-
マルティニーク1998 エホバの証人の年鑑
-
-
1956年にこの島には,7人の伝道者と3人の開拓者しかいませんでしたが,5,000冊の書籍と9,000冊余りの雑誌,そして多くの小冊子が配布されました。文書の大半は,バス・ターミナルで,この島の至る所から到着した乗客や出発する乗客に配布されました。ノル兄弟姉妹はまた,魚や野菜の市場に行って雑誌を提供し,市場に隣接する数多くの居酒屋で証言しました。このような方法で,村人たちは袋に貴重な聖書文書を入れて,丘の上の自分たちの家に帰って行ったのです。
-
-
マルティニーク1998 エホバの証人の年鑑
-
-
1960年には,伝道者の数は47人に増加していました。十分なスペースのある別の集会場を探すことがまた必要となりました。アドリエンヌ・ルディエが,ベルビューにある自分の家の1階の二部屋を提供してくれました。2年後,アドリエンヌは,自分が二階に移動するので,仕切り壁を取り払って集会場を広げるのはどうかと申し出ました。伝道者の数はわずか2年間で2倍になっていました。その時,伝道者は94人で,177件の家庭聖書研究が司会されていました。伝道者の中には,フォール・ド・フランスの反対側から来ている人もいたので,二番目の群れを組織するのが賢明のように思えました。この群れは,フォール・ド・フランス南部の小さな部落サント・テレズにあるイノエール・ピュイジの家で集まりました。
拡大は続きました。1964年までには,平均伝道者は157人になりました。集会に出席する人たちを収容するため,フォール・ド・フランスのベルビュー地区にあった1軒の家が購入され,王国会館に改装されました。その5年後,フォール・ド・フランスの別の場所に新しい王国会館が建てられました。セサール・カジマとエルビール・カジマが親切にも,自分たちの家のコンクリートの平屋根を使用させてくれ,そこに王国会館が建てられました。
-