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  • マスターベーションを避けるのは,どうしてこんなに難しいのだろう

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  • マスターベーションを避けるのは,どうしてこんなに難しいのだろう
  • 目ざめよ! 1987
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目ざめよ! 1987
目87 11/8 18–20ページ

若い人は尋ねる…

マスターベーションを避けるのは,どうしてこんなに難しいのだろう

「習慣は柔らかいベッドのようだ。入るのは易しいが,出るのは難しい」ということわざがあります。マスターベーションの場合はまさにそれです。10歳の時から43歳までこれを習慣的に行なっていたある男性は,「この習慣には,喫煙の習慣以上に悩まされます。喫煙のほうは,易しくはなかったがやめられました」と言いました。

以前の記事ではマスターベーションの有害な理由を取り上げました。a しかし,どうしてティーンエージャーはこの習慣にたやすく巻き込まれるのでしょうか。

若さの盛り

青年期の人は,聖書の中で「若さの盛り」と呼ばれている時期に入ります。これは性欲の強くなる時期です。(コリント第一 7:36)体は親となるための準備を始めるので,生殖器官に影響を及ぼす強力なホルモンが放出されます。この期間に若者は,生殖器官が快感を生み出せることを知るようになります。若者の中には,初めて経験する,興奮を誘うこの性感への好奇心と珍しさから,わざわざ性器をいじって快感を得ようとしてみたり,高まった性的興奮を和らげようとしたりする人がいます。

体内で変化が起きているため,別に性のことを考えていない時でも,性的に興奮することがあります。例えば,男子の間では,さまざまな心配,恐れ,欲求不満などによる緊張が,敏感な神経系に影響して,性的な興奮を誘発することがあります。精液が蓄積すると眠っている間に射精するかもしれません。これ(夢精)には普通,性愛に関係した夢が伴います。あるいは性的に興奮した状態で目を覚まします。同様に少女の中にも,何かのことで偶然に刺激を受ける人がいるかもしれず,若い女性ならば,生理期間の直前か直後に性欲の高まる人がいるかもしれません。

望まないのにそのような性欲の高まりを経験したとしても,あなたが間違っているわけではありません。これは,若い肉体の正常な反応なのです。そのような性感はたとえ非常に強いものであっても,ほとんどが自動的に生じるものですから,マスターベーションとは違います。もっと年がいって,「若さの盛り」を過ぎれば,この新たに生まれた性感はおさまります。

「精神的燃料」

しかし,性欲が高まるのは,ホルモンの活動のせいばかりではないことがあります。例えば,聖書はいかがわしい女に出会う若者を描写しています。その女は若者に口づけして,「どうか,来てください。……わたしたちの愛を満喫しましょう」と言います。それからどうなりますか。「突然,彼はその女について行く。ほふり場に向かう雄牛のように」とあります。(箴言 7:7-22)この若者は,見たことや聞いたこと,また経験したことによって欲情をかき立てられたのであって,ホルモンのせいだけでなかったことは明らかです。同じようなことをある若者は言いました。「わたしが抱えていたマスターベーションという問題全体の原因は,結局,自分が思いに取り入れていた事柄にありました。不道徳な事柄を含むテレビ番組を見たり,ある時には,有線テレビのヌード番組を見たりしていたからです。そうした場面は非常にショッキングで,心に残ります。そして再び思いに浮かび上がり,マスターベーションに必要な精神的燃料になるのです」。

ですから,多くの場合,娯楽として読むもの,見るもの,聞くもの,会話や黙想の内容などが,マスターベーションを避けるのを難しくしているのです。したがって,この習慣から抜け出すには,自分の思いに取り入れるものに注意を払うことが是非とも必要です。25歳のある女性は正直にこう語りました。「この習慣を捨てることはとてもできないように思えました。それでも私は相変わらず恋愛小説を読んでいました。それが問題の一因となっていたのです」。興味深いことに,この人をマスターベーションの習慣に追いやったのは,性的に汚れた考えだけではなかったのです。この人の経験は,この習慣をやめるのが非常に難しい最大の原因を示すものかもしれません。

感情の「精神安定剤」

その若い女性はまた,「圧力や緊張,心配などを紛らわすためにマスターベーションを行なうのが常でした。そのつかのまの快楽は,アルコール中毒の人が神経を静めるために酒を飲むのと似ていました」と語りました。そういう理由でマスターベーションにふけるのは決してこの女性だけではありません。研究者のスーザン・サーノフとアービング・サーノフは,「冷たくあしらわれたり,何かのことで不安を感じたりするといつでもマスターベーションで自分を慰めるため,それが習慣になる人もあるであろうし,ときたま非常に激しい感情的ストレスを感じて,この行為にふける人もあるかもしれない」と書いています。

シャーウィン・ウッズ博士はさらにこう述べています。「マスターベーションを経験する人の数は少なくないが,性愛的必要よりも,一般の心配事,緊張,退屈などを動機として行なわれる場合のほうが多い。マスターベーションはそうしたことに対する格好の精神安定剤になるのだ」。ですから気が立っている時,憂うつな時,寂しい時,強いストレスを感じている時に,この習慣は問題を忘れるのに都合のよい「精神安定剤」になるのです。(箴言 31:6,7と比較してください。)ですから,マスターベーションを避けるには,これが問題を扱う未熟な方法であることを認め,進んで次のことを行なわねばなりません。

『みどりごの時のことをやめる』

使徒パウロはこう書いています。「わたしがみどりごであった時には,みどりごのように話し,みどりごのように考え,みどりごのように論じていました。しかし,大人となった今,みどりごの時のことをやめたのです」。(コリント第一 13:11)マスターベーションは問題に対する子供っぽい反応です。この「みどりごの時のこと」は一度身に着くと,大人になるまで続きがちです。こういう例があります。ある少年は9歳の時,学校でとても難しい算数の問題に直面しました。それで少年はまずマスターベーションによって思いを静めました。それからというものは,難問に直面すると,可能な場合はいつでもその習慣に頼るようになりました。大人になった現在その人は,「今でも,頭を使う非常に難しい仕事をする時には特に,マスターベーションをしようという強い衝動に駆られます。それをしなければ,仕事ができないくらいです」と言いました。

これは極端なケースかもしれませんが,感情的に難しい状況を避けて通るために,この「精神安定剤」を使うことには大きな危険があります。ですから,マスターベーションによって精神的に逃避するよりも,「思考力」を示して,問題そのものにアタックすることです。(箴言 1:4)問題や挫折感が抗しがたいものに思えるなら,『自分の思い煩いをすべて神にゆだねる』ことを学んでください。ほかの人間はだれも顧みてくれないように思えても,『神はあなたを顧みてくださり』,あなたの苦しい立場を理解してくださるからです。(ペテロ第一 5:6,7)「その霊による力をもって,あなた方の内なる人を強くして」くださるよう,神に助けてもらってください。(エフェソス 3:16)弱腰になって「精神安定剤」のマスターベーションなどに逃避するのではなく,「[みどりごの態度を捨てて]雄々しくあり,力強い者となりなさい」。―コリント第一 16:13。

サーノフ夫妻は共著,「マスターベーションと成人の性徴」の中で次のように述べています。「自分に弱点のあることを感じる理由やその感じ方がどうあろうと,マスターベーションをするという決定は,目的のある社会活動によってその弱点を改めようとしていないことを意味する。……緊張するといつでも,問題の解決とマスターベーションの両方を試みるという一般的な方策を採用できるのは事実である。しかし,体はいつも自分が持ち歩いているので,後者の“解決策”を用いたいという誘惑は非常に強い。したがって,問題の真の解決策を考え出すこととそれを実行することに注意を集中するのが最善である」。問題に直面した時に,その解決に努力を払わずにマスターベーションを行なうなら,その習慣は抑えがたい強いものになる恐れがあります。

「非常に強い中毒」

11歳の時から15年間マスターベーションと闘ったある男性はこう告白しました。「マスターベーションは非常に強い中毒です。軽く考えるべきものではありません。麻薬やアルコール飲料と同じほど習慣性があります」。ペネロープ・リーチの書いた「成長過程にあるあなたの子供」という本はこう説明しています。「マスターベーションから得られる快楽と慰みは,その子の生活の他の面が,その子にとって耐えられないものであるだけに,子供を捕らえて離さない。本物の中毒者のように,ますますマスターベーションをしなければいられなくなり,またそれをするのでほかの楽しみからますます遠ざかることになる」。

生活の中で物事がうまくいっていない時,マスターベーションに逃避してただ楽しみたいという衝動に駆られると,人は容易に『さまざまな欲望や快楽の無分別な奴隷』となってしまいます。(テトス 3:3)しかし使徒パウロは,「わたしは,いかなるものにもその権威のもとに置かれたりはしません」と述べています。(コリント第一 6:12)自分の欲望を苛酷な主人にならせるつもりはありませんでした。逆にパウロは,「自分の体[肉の欲望]を打ちたたき,奴隷として引いて行くのです」と書きました。(コリント第一 9:27)パウロは自分を容赦しなかったのです。同じような努力をするなら,だれでも,そしてどんなに難しくても,マスターベーションから逃れることができます。b

[脚注]

a 「目ざめよ!」誌,1987年9月8日号をご覧ください。

b のちに掲載される記事は,この習慣から逃れるためにどんな闘いができるか,という問題を取り上げます。

[18ページの図版]

不道徳な場面を見ることは,マスターベーションという火を燃やす「精神的燃料」となる

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