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  • 誰が一番偉いかで口論が起きる
    イエス 道,真理,命
    • 誰が一番偉いかで口論が起きる

      マタイ 26:31-35 マルコ 14:27-31 ルカ 22:24-38 ヨハネ 13:31-38

      • イエスは偉さについて教える

      • ペテロはイエスを否定すると予告される

      • イエスの弟子は愛し合わなければならない

      使徒たちと一緒に過ごす最後の晩です。先ほどイエスは,使徒たちの足を洗うことによって謙遜に仕えることの大切さを教えたばかりです。なぜその必要があったのでしょうか。使徒たちに弱点があったからです。彼らは神に献身していますが,誰が一番偉いかということに強い関心を抱いていました。(マルコ 9:33,34; 10:35-37)その弱さがまた出てしまいました。

      使徒たちの間で「誰が一番偉いのか」について「激しい議論」が起きたのです。(ルカ 22:24)イエスはとてもがっかりしたはずです。どうするでしょうか。

      イエスは彼らの態度や行動を叱らず,根気強く接し,考えさせます。「諸国の王は威張り,権威を持つ人たちは功労者と呼ばれます。しかし,あなたたちはそうであってはなりません。……というのは,食事をしている人と給仕している人では,どちらが偉いですか」。そして,自分が示してきた手本を思い出させ,「しかし私は,あなたたちに仕える人です」と言います。(ルカ 22:25-27)

      使徒たちは不完全ですが,困難な時期にイエスとずっと一緒にいました。それでイエスは,「私は,天の父が私と契約を結んだように,あなたたちと王国のための契約を結[ぶ]」と言います。(ルカ 22:29)彼らはイエスに忠節な人たちです。イエスは契約を結ぶことにより,彼らが王国に入り,共に支配することを保証します。

      そうした素晴らしい希望があっても,使徒たちは弱点を持つ不完全な人間です。イエスは,「サタンはあなたたちを渡すよう要求しました。小麦をふるいにかけるように試すためです」と話します。(ルカ 22:31)そして,こう警告します。「今夜,あなたたちは皆,私を見捨てます。『私は牧者を打つ。すると,群れの羊は散り散りになる』と書いてあるからです」。(マタイ 26:31。ゼカリヤ 13:7)

      するとペテロは自信満々な態度で,「ほかのみんながあなたを見捨てても,私は決して見捨てません!」と主張します。(マタイ 26:33)そこでイエスは,今夜おんどりが2度鳴く前にあなたは私を知らないと言う,と話します。しかしイエスはこうも言います。「私は,あなたの信仰が尽きないように祈願しました。立ち直った後は,兄弟たちを力づけなさい」。(ルカ 22:32)それでもペテロは,「たとえ一緒に死ぬことになるとしても,あなたを知らないとは決して言いません」と言い張ります。(マタイ 26:35)他の使徒たちも同じことを言います。

      イエスはこう話します。「私はもうしばらくあなたたちと一緒にいます。あなたたちは私を捜すようになります。私はユダヤ人たちに,『私が行く所へあなた方は来ることができない』と言いましたが,今はあなたたちにも同じように言います」。そしてさらにこう言います。「新しいおきてを与えます。それは,あなたたちが互いに愛し合うことです。私があなたたちを愛した通りに,あなたたちも互いを愛しなさい。あなたたちの間に愛があれば,全ての人は,あなたたちが私の弟子であることを知ります」。(ヨハネ 13:33-35)

      ペテロは,イエスがもうしばらくの間だけ一緒にいると聞いて,「主よ,どこへ行くのですか」と尋ねます。イエスは,「あなたは私が行こうとしている所へ今は付いてくることができません。しかし後で来ることになります」と答えます。ペテロはその意味が分からず,「主よ,どうして今は付いていけないのですか。あなたのためには命もなげうちます」と言います。(ヨハネ 13:36,37)

      次にイエスは,使徒たちをガリラヤの伝道旅行に送り出した時のことを話します。その時,彼らは財布や食物袋を持たずに出掛けていきました。(マタイ 10:5,9,10)イエスが,「何にも不足しなかったのではありませんか」と尋ねると,使徒たちは,「はい,何にも!」と答えます。しかし,これからはどうなのでしょうか。イエスは言います。「財布がある人はそれを持ち,食物袋も同じようにしなさい。剣を持っていない人は,外衣を売ってそれを買いなさい。というのは,書かれている事,すなわち『彼は不法な者たちと共に数えられた』という言葉は,私に関して必ず成し遂げられるからです。これは私に関して実現しつつあります」。(ルカ 22:35-37)

      イエスは,自分が不法な者たち,つまり犯罪者と並んで杭にくぎ付けにされる時のことを話しています。その後,弟子たちはひどい迫害に遭うでしょう。使徒たちは,その準備ができていると考え,「主よ,ご覧ください,ここに剣が2本あります」と言います。イエスは,「それで十分です」と答えます。(ルカ 22:38)その後間もなく,イエスはこの剣に関係した教訓を与えることになります。

  • イエスは道,真理,命
    イエス 道,真理,命
    • イエスは道,真理,命

      ヨハネ 14:1-31

      • イエスは場所を整えに行く

      • 弟子たちに援助者を与えると約束する

      • 父はイエスよりも偉大

      記念式の食事が終わり,イエスは使徒たちをこう力づけます。「心を騒がせてはなりません。神に信仰を抱き,私にも信仰を抱きなさい」。(ヨハネ 13:36; 14:1)

      イエスは自分が去っても心を騒がせるべきでない理由をこう説明します。「私の父の家には住む所がたくさんあります。……行って場所を整えたら,再び来てあなたたちを私の所に迎えます。私がいる所にあなたたちもいるようにするのです」。しかし使徒たちは,イエスが天に行くことを話しているということが分かりません。トマスはこう尋ねます。「主よ,あなたの行こうとしている所が分からないのに,どうしてその道が分かるでしょうか」。(ヨハネ 14:2-5)

      イエスは,「私は道であり,真理であり,命です」と答えます。イエスとその教えを受け入れ,イエスの生き方に倣う人だけが,天の父の家に入ることができます。それでイエスは,「私を通してでなければ,誰も父の元に来ることはできません」と言います。(ヨハネ 14:6)

      すると,熱心に聞いていたフィリポが,「主よ,私たちに父を見せてください。それで十分です」と頼みます。モーセやエリヤやイザヤに与えられたような幻で神を見たいと思っているようです。でも使徒たちには,幻よりもずっと良いものがあります。イエスはその点をこう強調します。「こんなに長い間一緒に過ごしてきたのに,フィリポ,あなたはまだ私を知らないのですか。私を見た人は,父をも見たのです」。天の父を100%反映したイエスと一緒に暮らし,イエスを観察するのは,いわば神を見るようなものでした。とはいえ,父は子より上位の方なので,イエスは,「あなたたちに言うことは,独自の考えで言っているのではありません」と話します。(ヨハネ 14:8-10)そのことは使徒たちにもよく分かりました。

      使徒たちは,イエスが素晴らしい行いをするのを見たり,神の王国の良い知らせを伝えるのを聞いたりしてきました。それでイエスは,「私に信仰を抱く人も,私がしていることを行います。しかも,もっと大きなことを行います」と話します。(ヨハネ 14:12)これはイエスより偉大な奇跡を行うという意味ではありません。弟子たちがイエスよりも,もっと長い期間,もっと広い範囲で,もっと多くの人に伝道するということです。

      イエスは去っていきますが,使徒たちを見捨てるわけではありません。イエスは,「あなたたちが私の名によって何か求めるなら,私はそれを行います」と約束します。また,こうも言います。「私は天の父にお願いします。父は別の援助者を与えて,あなたたちと共に永久にいるようにしてくださいます。それは真理を伝える聖霊です」。(ヨハネ 14:14,16,17)別の援助者,つまり聖霊を与えるという約束は,ペンテコステの日に実現します。

      また,こう続けます。「もうしばらくすれば,世の人々は二度と私を見ません。しかしあなたたちは見ます。私は生きていて,あなたたちも生きるからです」。(ヨハネ 14:19)イエスは復活後に人間の姿で使徒たちに現れ,さらに彼らを復活させ天で一緒になるようにします。

      次にイエスはシンプルな真理を話します。「私のおきてを受け入れてそれに従う人は私を愛しています。さらに,私を愛する人は父に愛されます。そして私はその人を愛して,自分のことをはっきり知らせます」。この時,タダイとも呼ばれるユダが,「主よ,私たちには自分のことをはっきり知らせようとし,世の人々にはそうしようとしない,というのはどういうことですか」と質問します。イエスはこう答えます。「私を愛する人は私の言葉を守ります。私の父はその人を愛し……ます。私を愛さない人は私の言葉を守りません」。(ヨハネ 14:21-24)世の人々は,イエスが道,真理,命であることを認めません。

      イエスが去ってしまった後,弟子たちは教わったことをどのようにして思い出せばよいのでしょうか。イエスは説明します。「父が私の名によって遣わす援助者つまり聖霊が,あなたたちに,全てのことを教えるとともに,私が話した全てのことを思い起こさせます」。使徒たちは聖霊がどれほど強力に働くかを知っていたので,安心したでしょう。イエスはさらにこう言います。「私が与える平和はあなたたちの元にとどまります。……心を騒がせてはならず,弱気になってもなりません」。(ヨハネ 14:26,27)ですから,心を騒がせる必要はありません。イエスの父から指示と保護が与えられるからです。

      神からの保護は間もなく明らかになります。イエスはこう言います。「世の支配者が来ようとしてい[ま]す。もっとも,その者は私に対して何の力もありません」。(ヨハネ 14:30)悪魔はユダの中に入り,彼をコントロールできました。しかしイエスには罪深い弱さが全くないので,イエスを神に反逆させることはできません。イエスを死に封じ込めておくこともできません。イエスは「父が命じた通りにして」おり,父が自分を復活させてくださるという確信があります。(ヨハネ 14:31)

  • 枝として実を結び,イエスの友であり続ける
    イエス 道,真理,命
    • 階上の部屋を出る前にイエスが使徒たちに話しているところ

      120章

      枝として実を結び,イエスの友であり続ける

      ヨハネ 15:1-27

      • 真のブドウの木と枝

      • イエスに愛され続けるにはどうすればよいか

      イエスは心に響く話をして使徒たちを励ましています。時刻は遅く,真夜中を過ぎていると思われます。イエスはここで,使徒たちの意欲を高める別の例えを話します。

      イエスは,「私は真のブドウの木,私の父は耕作者です」と話し始めます。(ヨハネ 15:1)このイエスの例えは,数百年前にイスラエル国民について語られた事柄と似たところがあります。当時は,イスラエル国民がエホバのブドウの木と呼ばれていました。(エレミヤ 2:21。ホセア 10:1,2)しかし,エホバは彼らを捨て去ります。(マタイ 23:37,38)ですから,イエスがこの例えで教えるのは別のことです。ブドウの木はイエスで,天の父は西暦29年に聖霊でイエスに油を注いだ時からずっとこの木を育ててきました。しかしイエスは,自分1人がその木を表すのではないことを示し,こう言います。

      「父は,この木で実を結んでいない枝を全て切り落とし,実を結んでいる枝を全て手入れして,さらに実を結ぶようにします。……枝がブドウの木に付いていなければ実を結べないように,あなたたちも私と結び付いていなければ実を結べません。私はブドウの木,あなたたちはその枝です」。(ヨハネ 15:2-5)

      イエスは自分が去った後,援助者である聖霊を忠実な弟子たちに送ると約束しました。その時から51日後,使徒たちと他の弟子たちはその聖霊を受け,ブドウの木の枝になります。全ての「枝」はイエスと結び付いていなければなりません。なぜでしょうか。

      イエスはこう説明します。「私と結び付いていて,私が結び付いている人,その人は多くの実を結びます。あなたたちは私から離れては何も行えません」。忠実な弟子たちという「枝」は,イエスの特質に倣い,他の人に神の王国について積極的に伝え,もっと多くの人を弟子とすることにより,多くの実を結びます。イエスと結び付いたままでいなかったり,実を結ばなかったりするなら,どうなりますか。イエスは,「私と結び付いたままでいない人は……投げ捨てられて……しまいます」と話します。しかし,こうも言います。「あなたたちが私と結び付いたままでいて,私が言ったことがあなたたちの心にとどまっているなら,自分が願うどんなことでも求めなさい。それはかなえられます」。(ヨハネ 15:5-7)

      ここでイエスは,すでに2度話した,おきてを守ることについて話します。(ヨハネ 14:15,21)「私のおきてを守るなら,いつも私に愛されます。私が父のおきてを守っていつも父に愛されるようにしているのと同じです」。それから,イエスのおきてを守っていることを示す大切な方法について,次のように教えます。「私があなたたちを愛した通りにあなたたちが互いを愛すること,これが私のおきてです。友のために自分の命をなげうつことより大きな愛はありません。私が命じていることを行うなら,あなたたちは私の友です」。(ヨハネ 15:10-14)

      もう少しすれば,イエスは自分に信仰を抱く人全てのために命を差し出して,愛を示します。弟子たちはイエスの模範を考える時,同じように自分を犠牲にするほどの愛を示したいと思うはずです。この愛はイエスの弟子であることの証明になります。イエスが言った通りです。「あなたたちの間に愛があれば,全ての人は,あなたたちが私の弟子であることを知ります」。(ヨハネ 13:35)

      使徒たちはイエスが自分たちを「友」と呼んだことに気付いたでしょう。イエスはそう呼ぶ理由について話します。「私はあなたたちを友と呼びました。天の父から聞いた事を全てあなたたちに知らせたからです」。イエスの親しい友になり,イエスが父から聞いた事柄を教えてもらえるというのは何と素晴らしいのでしょう。しかし使徒たちがその友情を保つには,「実を結び続け」なければなりません。もしそうするなら,「あなたたちが私の名によって父に何を求めても,父が与えてくださる」とイエスは保証します。(ヨハネ 15:15,16)

      「枝」であるイエスの弟子たちの間の愛は,彼らが今後直面する出来事を忍耐するために必要です。イエスは,弟子たちが世から憎まれるという現実に注意を向けるとともに,こう言って励まします。「もし世があなたたちを憎むなら,あなたたちを憎む前に私を憎んだということをあなたたちは知ります。あなたたちが世の人々のようだったら,世から好まれることでしょう。ところが,あなたたちは……世の人々のようではないので,世から憎まれます」。(ヨハネ 15:18,19)

      イエスは,世が弟子たちを憎む理由について,さらにこう言います。「世の人々は,私の名のためにあなたたちをこのようにひどく扱います。私を遣わした方を知らないからです」。イエスの奇跡はイエスを憎む者たちを断罪します。イエスはこう説明します。「私は,ほかの誰もしなかった事を世の人々の間で行いました。もし私がそうしていなかったなら,彼らには何の罪もないでしょう。しかし今,彼らは私を見た上で憎み,私の父をも憎みました」。世から憎まれるのは預言の実現でもあります。(ヨハネ 15:21,24,25。詩編 35:19; 69:4)

      イエスは聖霊という援助者を送るともう一度約束します。イエスの弟子たち全ては,この強力な力の助けに頼りつつ「証言し」,実を結びます。(ヨハネ 15:27)

  • 「勇気を出しなさい! 私は世を征服したのです」
    イエス 道,真理,命
    • イエスの言葉を聞いて動揺している使徒たち

      121章

      「勇気を出しなさい! 私は世を征服したのです」

      ヨハネ 16:1-33

      • 使徒たちはもうすぐイエスを見なくなる

      • 使徒たちの悲しみは喜びに変わる

      イエスと使徒たちは過ぎ越しの食事をした階上の部屋を出ようとしています。イエスは大切な事柄をたくさん話してきましたが,さらにこう言います。「私がこれらの事を言ったのは,あなたたちが信仰を失わないためです」。この言葉は適切でした。なぜですか。イエスはこう説明します。「人々はあなたたちを会堂から追放します。実際,あなたたちを殺す人が皆,自分は神に神聖な奉仕をしたと思う時が来ます」。(ヨハネ 16:1,2)

      使徒たちは動揺したでしょう。世から憎まれるとイエスから聞きましたが,殺されるとは初耳です。イエスは,「これらの事を最初に話さなかったのは,あなたたちと一緒にいたからです」と説明します。(ヨハネ 16:4)しかし今,イエスは去っていくので,使徒たちをこれから先に備えさせようとしているのです。後になって,彼らが信仰を失うことのないためです。

      イエスはこう続けます。「私は自分を遣わした方の元に行こうとしています。それでも,あなたたちの誰も,『どこに行くのですか』とは尋ねません」。その晩,使徒たちはイエスがどこに行こうとしているのか尋ねました。(ヨハネ 13:36; 14:5; 16:5)でも今,迫害されると聞いて動揺し,悲しみに沈んでしまったため,イエスが受ける栄光や,それが神の真の崇拝者にどんな意味を持つかについて質問できません。イエスはその様子を見て,「私がこれらの事を話したために,悲しみに暮れています」と言います。(ヨハネ 16:6)

      それから,「私が去っていくことはあなたたちのためになります。私が去らなければ,援助者はあなたたちの元に来ませんが,去ったら,私はその者を遣わすからです」と言います。(ヨハネ 16:7)イエスが死に,天に行って初めて,弟子たちは聖霊を受けるようになります。イエスは自分の弟子たちが地上のどこにいようと,その援助者を遣わすことができます。

      聖霊は,「罪に関し,正しさに関し,裁きに関して,納得のいく証拠を世に与えます」。(ヨハネ 16:8)聖霊により,世が神の子に信仰を抱かなかった罪が暴露されます。そして,イエスが天へ昇ることによって,イエスの正しさに関する納得のいく証拠が与えられ,「この世の支配者」サタンが不利な裁きに値する理由も明らかになります。(ヨハネ 16:11)

      イエスは話を続け,「あなたたちに言うべきことがまだたくさんありますが,あなたたちは今はそれを理解できません」と言います。将来イエスが聖霊を注ぐ時,弟子たちは「真理を十分に理解できる」よう導かれ,真理に沿って生きることが可能になります。(ヨハネ 16:12,13)

      使徒たちはイエスの次の言葉を聞いて戸惑います。「しばらくしたら,あなたたちはもう私を見ません。でも,しばらくしたら,あなたたちは私を見ます」。彼らは,これはどういう意味だろうと話し合います。イエスは彼らが質問したがっていることに気付き,こう説明します。「はっきり言っておきますが,あなたたちは泣き叫びますが,世は喜びます。あなたたちは深く悲しみますが,悲しみは喜びに変わります」。(ヨハネ 16:16,20)イエスがこの日の午後に殺されると,宗教指導者たちは喜び,弟子たちは深く悲しみます。しかしその悲しみは,イエスが復活すると喜びに変わります。そして,イエスが彼らに聖霊を注ぐため,喜びは続きます。

      イエスは使徒たちの状況を陣痛に例えます。「女性は,出産の時が来ると苦しみます。しかし,子供を産み終えると,人が世に生まれた喜びのためにもう苦痛を覚えていません」。それからこう励まします。「あなたたちも今は悲しんでいますが,再び私に会い,心から喜びます。誰もその喜びを奪えません」。(ヨハネ 16:21,22)

      この時まで,使徒たちはイエスの名によって祈ったことがありませんでした。しかし今イエスは,「その日,あなたたちは私の名によって父に願い求めます」と言います。これは天の父が祈りをあまり聞きたがらない,ということでは決してありません。イエスはこう言います。「父はあなたたちに愛情を抱いているのです。あなたたちは,私に愛情を抱き,私が神の代理として来たことを信じているからです」。(ヨハネ 16:26,27)

      イエスの励ましにより使徒たちは勇気づけられたでしょう。「あなたが神の元から来たことを信じます」と言い,確信を表します。しかしその確信は間もなく試されます。イエスは何が待ち受けているかを話します。「あなたたちが散らされてそれぞれ自分の家に帰り,私を独りにする時が来ます。いえ,もう来ています」。しかし,保証も与えます。「これらの事を言ったのは,あなたたちが私によって平和な気持ちになるためです。あなたたちは世で苦難に遭いますが,勇気を出しなさい! 私は世を征服したのです」。(ヨハネ 16:30-33)イエスは彼らを見捨てません。イエスは使徒たちも世を征服できると確信していました。使徒たちはサタンとその世が自分たちの信仰を砕こうとしても,神の意志を忠実に果たしていくことにより,必ず世を征服できるのです。

  • 階上の部屋でイエスがささげた最後の祈り
    イエス 道,真理,命
    • イエスが天を見上げ,使徒たちの前で祈っているところ

      122章

      階上の部屋でイエスがささげた最後の祈り

      ヨハネ 17:1-26

      • 神と子を知るとどうなるか

      • エホバとイエスと弟子たちは一つである

      イエスは使徒たちへの深い愛に動かされ,別れを前にして彼らに心の準備をさせてきました。ここでイエスは天を見上げ,父にこう祈ります。「あなたの子に栄光をお与えください。子によってあなたが栄光を受けるためです。あなたは全人類に対する権威を子にお与えになりました。子が,自分に委ねられた人全てに永遠の命を与えるためです」。(ヨハネ 17:1,2)

      イエスにとって最も重要なのは,神が栄光を受けることです。しかし,イエスがこの祈りで述べた永遠の命の希望は,素晴らしいものです。イエスは「全人類に対する権威」を与えられているので,贖いによる祝福を全ての人に差し伸べることができます。しかし,祝福を受けるには条件があります。イエスの次の言葉通りにしなければなりません。「永遠の命を得るには,唯一の真の神であるあなたと,あなたが遣わされたイエス・キリストのことを知る必要があります」。(ヨハネ 17:3)

      エホバとイエスをよく知って強い絆を育むべきです。エホバやイエスと同じ感覚を身に付け,エホバとイエスに倣った仕方で他の人に接するよう努力することも大切です。さらに,自分が永遠の命を得るより,神が栄光を受ける方が重要であることも覚えておかなければなりません。次にイエスは,もう一度その点を話します。

      「私は,あなたから委ねられた事を成し遂げて,地上であなたをたたえました。父よ,人類が誕生する前に私があなたのそばで栄光を受けていたように,今,私をそばに置いて栄光をお与えください」。(ヨハネ 17:4,5)イエスは,復活して天で栄光を得たいと願っているのです。

      とはいえイエスは,伝道活動で成し遂げたことを忘れていません。こう祈ります。「私は,あなたが世から取って託してくださった人たちにあなたのお名前を明らかにしました。この人たちはあなたのものでしたが,私に託してくださいました。彼らはあなたの言葉を守っています」。(ヨハネ 17:6)イエスは伝道の際,エホバという名前を発音する以上のことを行いました。その名前が表すもの,つまり神がどんな方で,どのように人間と接するかが理解できるよう,使徒たちを助けました。

      使徒たちは,エホバについて,イエスの役割について,またイエスが教えた他の事柄について知るようになりました。それでイエスは謙遜にこう言います。「あなたが告げてくださった言葉を私が彼らに告げ[ました]。彼らはそれを受け入れて,私があなたの代理として来たことを本当に知り,あなたが私を遣わされたことを信じました」。(ヨハネ 17:8)

      それからイエスは,弟子たちと世の違いについてこう言います。「彼らに関してお願いします。世に関してではなく,私に託してくださった人たちに関してです。彼らはあなたのものだからです。……聖なる父よ,あなたは私にあなたのお名前を託してくださいました。そのお名前のためにこの人たちを見守ってください。私たちが一つであるように,彼らも一つになるためです。……私は彼らを守り,誰も滅びていません。あの者だけは滅びましたが」。あの者とは,イエスを裏切るユダ・イスカリオテのことです。(ヨハネ 17:9-12)

      イエスはさらに祈ります。「世の人々は彼らを憎みました。……この人たちを世から取り去ることではなく,邪悪な者から守ってくださることをお願いします。私が世の人々のようではないのと同じように,彼らも世の人々のようではありません」。(ヨハネ 17:14-16)使徒たちも他の弟子たちもサタンの支配する社会で生活しています。しかし,世とその悪から離れていなければなりません。どうすればよいのでしょうか。

      聖なる人でなければなりません。ヘブライ語聖書に記されている真理と,イエスが教えた真理を当てはめることによってそうできます。イエスはこう祈ります。「真理によって彼らを神聖なものとしてください。あなたの言葉は真理です」。(ヨハネ 17:17)後に,ある使徒たちは聖書の一部を書き記します。その書も,人を神聖なものとするのに役立つ「真理」に含まれることになります。

      「真理」を受け入れる人たちがさらに現れるので,イエスはこう祈ります。「この人たち[11人の使徒たち]だけでなく,彼らの言葉によって私に信仰を持つ人々についてもお願いします」。イエスの願いは何でしょうか。「彼ら全員が一つになり,父よ,あなたと私が結び付いているように,彼らも私たちと結び付いているため……です」。(ヨハネ 17:20,21)天の父とイエスは,全ての点で同意しているという意味で,一つです。イエスは弟子たちも同じように一つになることを祈っているのです。

      イエスはその少し前,ペテロや他の使徒たちに,あなたたちのために場所を整えに行く,と言いました。天の場所のことです。(ヨハネ 14:2,3)イエスはその点を再び取り上げて祈ります。「父よ,私に託してくださった人々が私のいる所に一緒にいるようにと願います。世が始まる前に私を愛して与えてくださった栄光を彼らが見るためです」。(ヨハネ 17:24)ここでイエスは,ずっと昔から,アダムとエバに子供ができる前から,自分が神に愛されてきたことを示しました。

      イエスは祈りの最後に,父の名前と神の愛を再び強調します。その愛は,使徒たちと,これから「真理」を受け入れる他の弟子に対するものです。「私はあなたのお名前を彼らに知らせました。これからも知らせます。あなたが私を愛してくださったように彼らが愛を示し,私が彼らと結び付いているためです」。(ヨハネ 17:26)

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