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エホバはずっと私の避難所となってくださったものみの塔 1996 | 12月1日
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自分たちが学んでいることをほかの人に話してあげたいという願いが強かったので,「希望の音信」というパンフレットを用いて家から家への宣教を始めました。
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エホバはずっと私の避難所となってくださったものみの塔 1996 | 12月1日
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私たちが「希望の音信」というパンフレットを配布していると,子供たちが周りに集まって来て,「千年期黎明者」などとののしりました。夫は同僚からも悩まされるようになりました。1926年の末には裁判にかけられ,公立学校の教師には不適格であるとされて,15日間の実刑を宣告されました。
母はそのことを知ると,私に夫と別れたほうがいいと言いました。私は母に答えました。「ねえ,お母さん。お母さんもよくご存じのとおり,私はお母さんが大好きですし,とても尊敬しています。でも,私たちはお母さんが反対だからといって,まことの神エホバを崇拝するのを止めるわけにはいかないんです」。母はたいへんがっかりして,自分の村へ帰って行きました。
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