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ミクロネシア1997 エホバの証人の年鑑
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ミクロネシアのこの空の旅は,ハワイの旅行する監督ナサニエル・ミラーによって,1968年から行なわれました。ミクロネシア人の高齢者の多くは日本語を話しますが,ミラーは宣教者として日本にいたことがあるので,この骨の折れる割り当てに選ばれたのももっともなことでした。なぜ骨の折れる割り当てだったのでしょうか。ミラーは,「飛行機でホノルルからこれらの島々を回って往復すると,1万4,000㌔以上になりました」と述懐しています。
グアム島に到着した兄弟は,会衆に活気がないことに気づきました。増加は見られず,区域も定期的に網羅されていませんでした。ミラーは,宣教者をあと4人グアム島に送り,島の南端に2番目の宣教者の家を建てることを推薦しました。
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ミクロネシア1997 エホバの証人の年鑑
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グアム支部委員会の最初の調整者,ナサニエル・ミラー(今は亡き妻アリーンと共に)
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