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模範的な祈りに沿って生活する その1ものみの塔 2015 | 6月15日
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模範的な祈りに沿って生活する その1
「あなたのお名前が神聖なものとされますように」。―マタ 6:9。
1. わたしたちは,マタイ 6章9-13節にある祈りを宣教でどのように用いますか。
主の祈りをそらで言える人は少なくありません。わたしたちは家から家の奉仕でこの祈りについて述べ,神の王国が現実の政府であって,地上に素晴らしい変化をもたらすことを伝えます。また,この祈りの冒頭にある願いを取り上げ,神が名前をお持ちになり,その名前が神聖なものとされる,つまり「聖なるものとして扱われ」るべきことも示します。―マタ 6:9,脚注。
2. イエスは,祈るたびに主の祈りを一語一語繰り返すよう勧めたわけではありません。どうしてそう言えますか。
2 イエスは,キリスト教世界で多くの人が行なっているように,祈るたびに主の祈りを一語一語繰り返すよう勧めていたのでしょうか。いいえ。イエスは主の祈りについて教えるすぐ前,「祈る際には……同じことを何度も繰り返し言ってはなりません」と語っています。(マタ 6:7)その祈りについてはもう一度述べておられますが,言葉遣いは異なっています。(ルカ 11:1-4)イエスが教えていたのは,何を願い求めるべきか,祈る事柄にはどんな優先順位があるか,ということです。それで,この祈りを模範的な祈りと呼ぶのは正しいことです。
3. 模範的な祈りを分析する際,どんなことを自問できますか。
3 この記事と次の記事では,模範的な祈りの内容を分析してゆきます。その際には,「自分の祈りの質を向上させるうえで,この模範的な祈りはどのように助けになるだろうか。さらに,自分はその祈りに沿って生活しているだろうか」と自問してください。
「天におられるわたしたちの父よ」
4. 「わたしたちの父」という言葉は,何を思い起こさせますか。地的な希望を持つクリスチャンにとって,エホバはどのような意味で「父」と言えますか。
4 「わたしの父」ではなく「わたしたちの父」という言葉が使われていることは,わたしたちが,互いに心から愛し合う「仲間の兄弟」たちと結ばれていることを思い起こさせます。(ペテ一 2:17)それは大きな特権です。神の子供として生み出された,天的な命の見込みを持つ油そそがれたクリスチャンは,完全な意味でエホバを「父」と呼ぶことができます。(ロマ 8:15-17)地上で永遠に生きる希望を持つクリスチャンも,エホバを「父」と呼ぶことができます。エホバは命の与え主であり,真の崇拝者すべての必要を愛情深く満たしてくださるからです。地的な希望を持つそれらの人たちが完全な意味で神の子供となるのは,完全さに到達し,最後の試みにおいて忠節を示した後のことです。―ロマ 8:21。啓 20:7,8。
5,6. 親は子どもたちにどんな価値ある贈り物を与えることができますか。その贈り物を,子どもたち各自はどう扱うべきですか。(冒頭の写真を参照。)
5 親は,祈ることを子どもたちに教え,エホバを気遣いの深い天の父と見るよう助けることができます。それは,価値ある贈り物を子どもに与えるようなものです。南アフリカで巡回監督として奉仕している兄弟は,こう述べています。「娘たちが生まれた日から,わたしが家にいない時は別として,毎晩娘たちと祈りました。いま娘たちは,祈りの正確な言葉は覚えていないけれども,その時の雰囲気,天の父エホバとお話しする時の神聖な気持ち,穏やかな安心感は覚えている,とよく言います。自分で祈れるようになると,大きな声で祈るよう娘たちに勧めました。そうすれば,エホバにどのように自分の考えや気持ちを言い表わしているかが分かるからです。この方法によって,子どもの心の中を知ることができました。その後に,祈りが意味深いものとなるよう,模範的な祈りの考えを含めることを親切に教えました」。
6 兄弟の娘たちは,その後も霊的な進歩を続けました。今は結婚して幸福な日々を送り,夫と一緒に全時間奉仕者としてエホバのご意志を行なっています。エホバとの温かで親密な関係を築くよう子どもを助けること ― これ以上に価値ある贈り物はありません。もちろん,この貴重な関係を保つ責任は個々の人にあります。その関係を保つには,神のみ名を愛するようになり,そのみ名を非常に深い敬意をもって扱うことが必要です。―詩 5:11,12; 91:14。
「あなたのお名前が神聖なものとされますように」
7. 神の民にはどんな特権がありますか。しかし,その特権ゆえにどんなことが求められますか。
7 神の固有の名を知っているだけでなく,「み名のための民」としてみ名を担えるのは,大きな特権です。(使徒 15:14。イザ 43:10)わたしたちは天の父に,「あなたのお名前が神聖なものとされますように」と請願します。そのように請願する人は,神の聖なる名を辱める言動を避けられるよう,エホバに助けを願い求めることでしょう。1世紀当時,一部の人たちは,宣べ伝えている事柄を実行しませんでした。そのような人にはなりたくありません。使徒パウロは彼らについて,「神の名はあなた方のために諸国民の間で冒とくされている」と書いています。―ロマ 2:21-24。
8,9. エホバは,お名前を神聖なものにしたいと願う人たちを祝福されます。そのことを示す例を挙げてください。
8 わたしたちは,神のお名前を神聖なものにすることを願っています。ノルウェーのある姉妹は夫が急死したため,2歳の息子と2人だけになりました。こう述べています。「それは非常につらい時期でした。わたしが愚かな決定をしたり不忠実になったりすれば,サタンはそれを理由にエホバを嘲弄することになります。そんなことはしたくありませんでした。それで,感情の安定性を保てるよう,毎日,ほとんど1時間ごとに祈りました。わたしはエホバのお名前を神聖なものにしたいと願っていました。息子を楽園で父親に会わせたい,とも思いました」。―箴 27:11。
9 エホバはこの祈りにお答えになったでしょうか。お答えになりました。愛情深い仲間のクリスチャンとの定期的な交わりがこの姉妹を支えたのです。5年後に長老と結婚しました。息子は現在20歳で,バプテスマを受けた兄弟です。姉妹は,「息子を育てるのを夫が助けてくれたので,本当によかったです」と言います。
10. 神のお名前が完全に神聖なものとされるには,何が必要ですか。
10 神のお名前が完全に神聖なものとされ,あらゆる非難がぬぐい去られるためには,何が必要でしょうか。エホバは,ご自分の主権を故意に退ける者たちすべてを除き去る行動を取らなければなりません。(エゼキエル 38:22,23を読む。)その後,人類は徐々に完全になってゆきます。そして,理知ある全創造物がエホバのみ名を聖なるものとして扱うことになります。わたしたちはその時を心から待ち望んでいます。ついに,愛に富む天の父は,「だれに対してもすべてのものとなる」のです。―コリ一 15:28。
「あなたの王国が来ますように」
11,12. 19世紀の終わりごろ,真のクリスチャンはどんな理解を与えられましたか。
11 イエスが昇天する前に使徒たちは,「主よ,あなたは今この時に,イスラエルに王国を回復されるのですか」と尋ねました。イエスの答えからすると,その時はまだ,神の王国がいつ支配を開始するかを知るべき時ではありませんでした。イエスは,弟子たちが行なうべき大切な証しの業に注意を向けさせました。(使徒 1:6-8を読む。)それでもイエスは,神の王国が来ることを待ち望むよう教えておられます。ですからクリスチャンは,使徒たちの時代以降,王国が来ることを祈り求めてきました。
12 イエスが天の神の王国で支配を開始する時が近づいたころ,エホバは,その時がいつかを理解できるようご自分の民を助けてくださいました。1876年,チャールズ・テイズ・ラッセルの書いた「異邦人の時: それはいつ終わるか」という記事が,「バイブル・イグザミナー」誌(英語)に掲載されました。その記事では1914年が重要な年とされ,ダニエルの預言の「七つの時」がイエスの述べた「諸国民の定められた時」と結び付けられました。a ―ダニ 4:16。ルカ 21:24。
13. 1914年に何が起こりましたか。それ以降の世界の出来事は,何を確証していますか。
13 1914年にヨーロッパで戦争が勃発し,世界全体を巻き込むまでになりました。終戦を迎えた1918年には,すでにひどい食糧不足が生じていました。インフルエンザが猛威を振るい,戦争の死者よりも多くの人命が奪われました。こうして,地の新しい王イエスの臨在を示す「しるし」が,成就し始めました。(マタ 24:3-8。ルカ 21:10,11)多くの証拠からすると,主イエス・キリストに「冠が与えられ」たのは1914年です。イエスは「征服しに,また征服を完了するために出て行」きました。(啓 6:2)イエスはサタンおよび悪霊との戦争によって天を清め,サタンと悪霊たちを地の近くに投げ落としました。それ以来,人類は霊感による次の言葉の真実さを経験してきました。「地と海にとっては災いである。悪魔が,自分の時の短いことを知り,大きな怒りを抱いてあなた方のところに下ったからである」。―啓 12:7-12。
14. (イ)今も,神の王国が来ることを祈り求めるのは,なぜですか。(ロ)わたしたちにはどんな特権が与えられていますか。
14 啓示 12章7-12節にある預言には,神の王国の誕生とほぼ時を同じくして,人類を悩ます災厄が始まった理由が説明されています。神の王国の王イエスは,敵のただ中で支配を開始しました。イエスが征服を完了し,地上の悪を終わらせる時まで,わたしたちは神の王国が来ることを引き続き祈り求めます。それと同時に,その祈りに沿った生活をし,「しるし」の際立った特色と言える活動に参加することが必要です。イエスはこう予告されました。「王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」。―マタ 24:14。
「あなたのご意志が……地上においてもなされますように」
15,16. 神のご意志が地上で行なわれることを願う祈りに沿って生活するには,どうすることが必要ですか。
15 6000年ほど前,神のご意志は地上で完全に行なわれていました。ですからエホバは,人類が良いスタートを切ったのを見て,「それは非常に良かった」と言うことができました。(創 1:31)その後サタンが反逆し,それ以来,地上で神のご意志を行なう人は比較的少数しかいませんでした。しかし,うれしいことに今は,約800万の証人たちが,神のご意志が地上で行なわれることを祈り求めるだけではなく,その祈りに沿って生活するよう努力しています。彼らは生き方によって,また弟子を作る業に熱心に参加することによって,そうしています。
神のご意志が地上で行なわれることを願う祈りに沿って生活するよう,お子さんを助けていますか(16節を参照)
16 例えば,1948年にバプテスマを受け,アフリカで宣教者として奉仕した姉妹は,こう言っています。「時間が残されているうちに羊のような人々すべてが見いだされ,エホバを知ることができるよう,頻繁に祈ります。証言する前には,相手の心を動かせるよう知恵を願い求めます。羊のような人が見いだされたなら,その人を助ける努力を祝福してくださるようエホバに祈ります」。この80歳の姉妹が宣教で成功を収め,他の兄弟姉妹の支えを受けながら,エホバの証人となるよう多くの人を援助できたのも不思議ではありません。きっと皆さんは,この姉妹以外にも,年齢ゆえの限界がありながら神のご意志を行なうために自分を注ぎ出している人たちの模範をご存じでしょう。―フィリピ 2:17を読む。
17. エホバが,地上にご意志が行なわれることを願う祈りに答えて行なってくださる事柄について,あなたはどう感じますか。
17 神の王国の敵たちが地から除き去られるまで,わたしたちは神のご意志が行なわれることを引き続き祈り求めます。その後,幾十億もの人たちが地上の楽園に復活してくる時,神のご意志がいっそう十分になされるのを見ることができます。イエスはこう述べました。「このことを驚き怪しんではなりません。記念の墓の中にいる者がみな,[わたし]の声を聞いて出て来る時が来ようとしているのです」。(ヨハ 5:28,29)復活した愛する家族を生きて迎えるのは,感動的な時となります。神は「[わたしたち]の目からすべての涙をぬぐい去ってくださ」るのです。(啓 21:4)復活してくる人たちの大半は,エホバ神とみ子に関する真理を知らずに死んだ「不義者」です。そのような人たちに神のご意志と目的について教え,「永遠の命」にふさわしい者となるよう援助するのは,特権です。―使徒 24:15。ヨハ 17:3。
18. 人類最大の必要とは何ですか。
18 エホバのお名前が神の王国によって神聖なものとされるなら,全宇宙の平和と調和が実現します。そうです,模範的な祈りの最初の3つの願いが完全に聞き届けられる時,人類最大の必要が満たされるのです。しかしわたしたちには,ほかにも必要な事柄があります。次の記事では,その大切な必要について述べている4つの願いを取り上げましょう。
a この預言が,神のメシア王国が誕生した1914年にどのように成就したかに関しては,「聖書は実際に何を教えていますか」の215-218ページを参照。
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模範的な祈りに沿って生活する その2ものみの塔 2015 | 6月15日
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模範的な祈りに沿って生活する その2
「神は,……あなた方がどんなものを必要としているかを知っておられる」。―マタ 6:8。
1-3. ある姉妹が,エホバはわたしたちの必要をご存じであると確信したのはなぜですか。
ラナは,ドイツを訪れていた2012年夏のその日のことは決して忘れない,と言います。2つの祈りが聞き届けられたからです。1つは,空港に向かう電車の中でささげた祈りです。証言できる機会をお与えください,とエホバに祈りました。もう1つは,空港に到着した後にささげた祈りです。予定していた便が翌日に延期されたことが分かったからです。ユーロをほとんど使い果たして泊まる所もないので,助けてください,と祈りました。
2 2つ目の祈りを終えた途端,「久しぶり,ラナ。こんなところで何をしているの?」という声が聞こえました。ラナと同じ学校を卒業した若い男性の声でした。飛行機で南アフリカに向かうところで,見送りに来ていた母親と祖母も一緒でした。事情を知った母親のエルケは,わたしたちの家にいらっしゃいませんか,と温かく招きました。エルケとその母親はラナを親切にもてなし,ラナの信仰と開拓奉仕について,いろいろな質問をしました。
3 その翌日,ラナは心のこもった朝食の後,もう一度様々な聖書の質問に答えました。そして,再訪問がなされるよう2人の連絡先を確認しました。ラナは無事に家に戻り,正規開拓を続けています。「祈りを聞かれる方」がすべてを導いてくださった,とラナは感じています。―詩 65:2。
4. これから,どんな必要について考えますか。
4 突然何かの問題に直面した時に助けを祈り求めるのは,難しいことではありません。もちろんエホバは,忠節な者たちのそうした嘆願を喜んで聞いてくださいます。(詩 34:15。箴 15:8)とはいえ,模範的な祈りについて黙想するなら,見過ごしがちなもっと重要な必要があることに気づくかもしれません。例えば,模範的な祈りの後半の4つの願いに,霊的な必要がどのように示されているかを考えましょう。日々のパンに関する4つ目の願いに沿って生活するために,もっとできることがあるでしょうか。―マタイ 6:11-13を読む。
「今日この日のためのパンをわたしたちにお与えください」
5,6. 自分が物質的な物に事欠かないとしても,この日のためのパンをわたしたちにお与えください,と祈るのが大切なのはなぜですか。
5 この個人的な祈りが,この日のためのパンを「わたしに」ではなく,「わたしたちに」お与えください,と述べていることに注目してください。アフリカの巡回監督ビクトルはこうコメントしています。「わたしたちが次の食事のことや家賃の支払いを心配せずにすむことを,いつも心からエホバに感謝しています。兄弟たちが毎日親切に世話してくださるからです。でもわたしは,それらの兄弟たちが経済的な圧力に負けないように必ず祈ります」。
6 自分が食物に事欠かないとしても,貧しい兄弟たちや被災した兄弟たちについて考えることができます。そのような兄弟たちのために祈るだけでなく,その祈りに沿って行動する必要があります。例えば,自分が持っているものを,困窮している仲間の崇拝者たちと分け合うことができます。世界的な業のために定期的に寄付することもできます。その寄付は有益な目的で用いられるからです。―ヨハ一 3:17。
7. イエスは,「次の日のことを決して思い煩ってはなりません」というアドバイスを与えた際,どんな例を用いましたか。
7 イエスはわたしたちの日々のパンに言及した際,当面の必要のことを述べていたようです。イエスは続く部分で,神が野の花に衣を与えておられることを示してから,「ましてあなた方に衣を与えてくださらないことがあるでしょうか。信仰の少ない人たちよ。それで,思い煩って,……『何を身に着けるのか』などと言ってはなりません」と述べておられます。結論として,「次の日のことを決して思い煩ってはなりません」と語り,大切なアドバイスを繰り返しています。(マタ 6:30-34)この箇所は,わたしたちが物質主義的になるのではなく,日々の基本的な必要物で満足すべきであることを教えています。そうした必要物には,適切な住まい,家族を養うための仕事,健康問題に対処するための知恵などが含まれるでしょう。しかし,そうした物質的な必要だけを祈り求めるとしたら,平衡を欠くことになるでしょう。もっと大切なのは霊的な必要です。
8. イエスがわたしたちの日々のパンに言及したことは,どんなことを思い起こさせるはずですか。(冒頭の写真を参照。)
8 イエスがわたしたちの日々のパンに言及したことは,霊的な食物の必要性を思い起こさせるはずです。イエスは,「人は,パンだけによらず,エホバの口から出るすべてのことばによって生きなければならない」と言われました。(マタ 4:4)ですからわたしたちは,エホバが時に応じた霊的食物を引き続き与えてくださるよう祈る必要があります。
「わたしたちの負い目をもお許しください」
9. わたしたちの罪はどんな意味で「負い目」だと言えますか。
9 イエスが「負い目」という語を用いたのはなぜですか。別の時には,「罪」という語を代わりに使っています。(マタ 6:12。ルカ 11:4)本誌は60年余り前,その点についてこう説明しました。「神の律法に対する違反の罪ゆえに,わたしたちは神に対して負い目のある者となる。……わたしたちの罪ゆえに,神はわたしたちの命を要求し,取り去ることもできた。……わたしたちとの平和な関係をことごとく断ち切り,わたしたちから平和を奪い去ることもできた。……わたしたちは従順によって神への愛を表わす務めを負っている。罪を犯すなら,神に愛という負債を返していないことになる。罪は,神への愛に欠けた行ないだからである」。―ヨハ一 5:3。
10. エホバは何に基づいて罪を許すことができますか。わたしたちはそのことをどう見るべきですか。
10 わたしたちは日々許しを必要とするので,わたしたちの罪を神が帳消しにするための唯一の法的な基盤,つまりイエスの贖いの犠牲に強い関心を抱きます。この贖いは2000年近く前に支払われたものですが,わたしたちはこれを,きょう与えられた贈り物のように大切にすべきです。わたしたちの命を「請け戻す代価は非常に貴重」なので,不完全な人間はだれも,その代価を支払うことなどできないでしょう。(詩編 49:7-9; ペテロ第一 1:18,19を読む。)ですから,この貴重な贈り物をエホバに感謝することを決してやめてはなりません。また,「わたしの罪」ではなく「わたしたちの罪」という語が使われていることは,エホバの崇拝者から成る家族すべてがこの憐れみ深い備えを必要とすることを思い起こさせます。明らかにエホバは,わたしたちが自分の霊的健康のみならず,わたしたちに対して罪を犯した人たちを含め,他の人たちの霊的健康にも関心を抱くよう願っておられます。そのような罪は大抵ささいなものです。そういう場合には,兄弟たちを心から愛していることと,神が憐れみ深く許してくださったように兄弟たちを進んで許す気持ちがあることを示せます。―コロ 3:13。
神に許していただきたいなら,人を許す必要がある(11節を参照)
11. 人を許すことが大切なのは,なぜですか。
11 わたしたちは不完全なので,残念ながら他の人に恨みを抱くことがあります。(レビ 19:18)そのことをだれかに話すと,同調する人が現われて,会衆に分裂が生じることがあります。そのような状況が続くままにしている人は,神の憐れみと贖いに対する感謝が欠けています。わたしたちが人を許さない態度を取るなら,み子の犠牲の価値を適用していただくことは期待できないでしょう。(マタ 18:35)イエスはその点を,模範的な祈りについて述べたすぐ後で指摘しておられます。(マタイ 6:14,15を読む。)また,神の許しから益を得るためには,重大な罪を習わしにしないよう努力しなければなりません。そのように努力したいという願いは,次に取り上げる祈りにつながります。―ヨハ一 3:4,6。
「わたしたちを誘惑に陥らせないで……ください」
12,13. (イ)イエスのバプテスマのすぐ後,どんなことがありましたか。(ロ)誘惑に陥った責任は当人にある,と言えるのはなぜですか。(ハ)イエスは死に至るまで忠実を保つことにより,何を成し遂げましたか。
12 イエスのバプテスマのすぐ後に生じた事柄を考えると,「わたしたちを誘惑に陥らせないで……ください」と祈るべき理由が分かります。イエスは神の霊によって荒野へ導かれました。「悪魔の誘惑を受けるため」です。(マタ 4:1; 6:13)これは意外なことですか。そうではありません。神がみ子を地に遣わした主な理由を考えれば分かります。イエスが遣わされたのは,アダムとエバが神の主権を退けた時に提起された論争を解決するためでした。様々な疑問が解決されるには時間が必要でした。どんな疑問でしょうか。神は人間を創造した際に何かのミスを犯したのではないか,完全な人間が「邪悪な者」の圧力を受けても神の主権を擁護することは可能か,人間はサタンが示唆したように神の支配から独立したほうが幸福になるか,といった疑問です。(創 3:4,5)そうした疑問に答えるには時間が必要だったとはいえ,疑問の答えが出されるなら,エホバは主権を有益な仕方で行使しておられるということが,理知あるすべての創造物に示されることになります。
13 エホバは聖なる方なので,悪を行なうよう人を誘惑することは決してありません。「誘惑者」とは悪魔のことです。(マタ 4:3)悪魔は誘惑となる状況を作り出すことができます。しかし,誘惑に陥るままでいるかどうかは,個々の人の問題です。(ヤコブ 1:13-15を読む。)イエスは,神の言葉から適切な箇所を引用して,一つ一つの誘惑を直ちに退けました。そのようにして,神の義にかなった主権を擁護しました。しかしサタンはあきらめず,「別の都合の良い時まで」待ちました。(ルカ 4:13)イエスは,忠誠を打ち砕こうとするサタンの働きかけすべてに抵抗しました。エホバの主権の正しさを擁護し,完全な人間が非常に厳しい試みに直面しても忠実を保てるということを証明しました。しかしサタンは,あなたを含め,イエスの追随者たちをわなに掛けようとします。
14. 誘惑に陥らないためには,何をする必要がありますか。
14 神の主権に関する論争が続いているので,エホバは誘惑者がこの世を用いてわたしたちを誘惑することを許しておられます。神はわたしたちを誘惑に陥らせるどころか,わたしたちを信頼し,助けたいと願っておられます。それでも,人間の自由意志を尊重するゆえに,誘惑に陥るのを自動的にとどめることはされません。わたしたちは2つのことを行なわなければなりません。霊的に目覚めていることと,たゆまず祈ることです。エホバはその祈りにどのように答えてくださるでしょうか。
霊性と宣教への熱意を保ってください(15節を参照)
15,16. (イ)どんな誘惑に抵抗する必要がありますか。(ロ)誘惑に陥った場合,だれが責めを負うべきですか。
15 エホバは強力な聖霊を与えてくださいます。それはわたしたちを強め,誘惑に抵抗するうえで助けになります。また,み言葉と会衆を通して,避けるべき事柄について警告しておられます。例えば,重要ではない物質的な事柄に時間やお金やエネルギーを過度に費やすことがそうです。ヨーロッパの富裕国に住むエスペンとヤンネは,長年にわたり国内の必要の大きな場所で正規開拓を行なってきましたが,子どもが生まれて開拓を中止せざるを得なくなりました。その後2人目の子どもが生まれました。エスペンはこう言います。「以前ほど神権的な活動に多くの時間を費やせないので,誘惑に陥らないよう頻繁にエホバに祈ります。霊性と宣教への熱意を保てるよう,エホバに助けを求めます」。
16 現代におけるもう1つの大きな誘惑は,ポルノを見ることです。この誘惑に陥った場合,それをサタンのせいにすることはできません。サタンもその世も,わたしたちの意志に反して何かを行なわせることはできないからです。ある人たちは,悪い事柄を考え続けることによってこの誘惑に屈してしまいました。しかし,大勢の兄弟姉妹がその誘惑に抵抗してきました。ですから,わたしたちも抵抗できます。―コリ一 10:12,13。
「邪悪な者から救い出してください」
17. (イ)どうすれば,邪悪な者からの救出を求める願いに沿って生活できますか。(ロ)どんな解放が近づいていますか。
17 「わたしたちを……邪悪な者から救い出してください」という願いに沿って生活するには,サタンの「世のもの」とならないよう努力しなければなりません。サタンの「世も世にあるものをも愛していてはなりません」。(ヨハ 15:19。ヨハ一 2:15-17)そのためには,闘いを続けなければなりません。エホバがこの祈りに答えてサタンを除き去り,サタンの邪悪な世を過ぎ去らせる時,何と素晴らしい解放がもたらされるのでしょう。しかし忘れてはなりません。天から投げ落とされたサタンは,自分の時が短いのを知っています。激怒し,わたしたちの忠誠を打ち砕くためにあらゆる手を用います。ですからわたしたちは,サタンからの救出を求めて祈り続けなければなりません。―啓 12:12,17。
18. サタンの世を生き残るために,引き続き何を行なわなければなりませんか。
18 サタンのいない世界で生活したいと思いますか。では,神の王国によって神のお名前が神聖なものとされ,ご意志が地上で行なわれるよう,引き続き祈り求めてください。霊的必要と物質的必要を満たしてくださるエホバに目を向けてください。そうです,模範的な祈りに沿って生活することを固く決意してください。
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