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モルドバ2004 エホバの証人の年鑑
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モルドバの波乱の歴史
ドニエストル川とプルート川に挟まれた土地 ― 何世紀もの間ベッサラビアおよびモルダビアと呼ばれていた ― は,ヨーロッパへの主要な陸路でした。この地域は,西暦前1千年紀にはスキタイの一部となり,その後ローマ帝国の影響下に置かれました。その波乱の歴史は他民族による侵略の歴史でもあります。ゴート人,フン族,アバール人などが次々と押し寄せて来たのです。モルダビアは13世紀と14世紀にはタタール人の属国となり,16世紀にはオスマン帝国の一部となりました。1812年のブカレスト条約により,トルコ人はベッサラビアと,モルダビアの半分をロシアに割譲しました。当時,ベッサラビアという名称はその地域全体を指していました。
ベッサラビアは1918年に大ルーマニアの一部になったものの,1940年に一時的に,そして1944年に再び元のようにロシアの領土になりました。ソビエト連邦の下では,その領土はモルダビア・ソビエト社会主義共和国と呼ばれました。ソビエト共産主義が崩壊すると,モルダビア共和国はモスクワとのつながりを絶ち,1991年8月27日に独立してモルドバ共和国となりました。a かつてのキシニョフであるキシナウが首都となっています。
1960年代にモルドバの人口は急増しましたが,その後増加の勢いは鈍くなり,1970年以降は横ばい状態です。現在の人口は約430万人で,モルドバ人の多くは国の主要産業であるワイン作りに従事し,世界のワインの約3%を生産しています。モルドバのワインはロシアや東ヨーロッパでたいへん人気があります。(71ページの囲み記事をご覧ください。)とはいえ,もっと見事なぶどう園がモルドバを豊かにしてきました。そのぶどう園は,エホバへの快い賛美という最良の実を生じさせています。
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モルドバ2004 エホバの証人の年鑑
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a 文脈上必要な場合を除き,ベッサラビアやモルダビアの代わりにモルドバという名称を用います。とはいえ,留意すべき点として,現在のモルドバの国境線は旧ベッサラビアやモルダビアの境界線と同じではありません。例えば,ベッサラビアの一部は今ではウクライナ領に,モルダビアの一部はルーマニア領になっています。
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