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性と道徳若い人が尋ねる質問 ― 実際に役立つ答え
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第6部
性と道徳
多くの若者はまず本書のこの部分に目を向けるにちがいありません。なぜでしょうか。性と道徳ほど数多くの疑問と多大の議論 ― そして混乱 ― を生み出している問題はほかにないからです。しかし道徳には,性行動以外の事柄も含まれます。例えば,うそをつき,人をだます若者は道徳的であると言えますか。あるいは,不正直であってよい状況というものがあるでしょうか。幸いなことに,聖書はこれら道徳上の事柄に関し,率直で実際的な指針を与えています。
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婚前交渉をどう見るべきだろうか若い人が尋ねる質問 ― 実際に役立つ答え
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23章
婚前交渉をどう見るべきだろうか
『二人が愛し合っていれば,婚前交渉をしても構わないでしょうか。それとも,結婚するまで待つべきでしょうか』。『私はまだ処女ですが,どこかおかしいのでしょうか』。若い人たちはこうした疑問をたくさん抱いています。
アラン・グートマヒャー研究所が1981年に出した報告書は,「十代になっても性行為をしたことのない若者は例外的な存在である」と結論しています。「男子は10人中8人,女子は10人中7人が十代の時に性交を経験している」。
『では,どうしていけないのか』と尋ねる人がいるかもしれません。愛されたいと思うのはごく自然な感情です。また若い時には,心が乱されるほど情欲が募ることもあります。さらに,同年代の仲間の影響があります。彼らは,婚前交渉は楽しく,だれかを好きになると,親密になりたいと思うのはごく自然なことだと言うかもしれません。中には,性関係を持つのは男または女として大人になった証拠である,と言う若者さえいることでしょう。それで変わり者に見られたくないため,仕方なしに,性関係を経験しなければいけないように感じるかもしれません。
一般の見方とは反対に,若者という若者がすべて純潔を失うことを急いでいるわけではありません。一例として,エスターという名の独身女性のことを考えてみましょう。彼女は診察を受けていた時に医師から当たり前のように,「どんな避妊法を使っていますか」と尋ねられました。「何も使っていません」とエスターが答えると,医師は思わず大きな声で,「ええっ,君は妊娠したいの? 何も使わずに妊娠しないでいられると思っているのかね」と言いました。「性行為はしていませんから」と,エスターは答えました。
医師は疑わしげな表情で彼女の顔をじっと見つめて,「信じられないことだ。ここには13歳の子供たちがやって来るが,その子らはもう処女ではない。君は驚くべき人だ」と言いました。
どうしてエスターは「驚くべき人」だったのでしょうか。彼女は,「そこで,体は[婚前交渉を含む]淫行のため[にあるの]では(ありません)。……淫行から逃げ去りなさい」という聖書の訓戒に従っていたのです。(コリント第一 6:13,18)エスターは,婚前交渉が神に対する重大な罪であることを認識していたのです。「これが神のご意志であるからです。すなわち,……あなた方が淫行を避けることです」と,テサロニケ第一 4章3節は述べています。しかしなぜ聖書は婚前交渉を禁じているのでしょうか。
あとで現われる影響
婚前交渉を行なった人は聖書時代にもいました。不道徳な女は,若者を放縦な行ないに誘って,「どうか,来てください。朝になるまでわたしたちの愛を満喫しましょう。愛の表現を交わして,ぜひ互いに楽しみましょう」と言うかもしれません。(箴言 7:18)しかし聖書は,今日楽しんでいる快楽も明日には苦痛の原因になり得ると警告しています。「よその女の唇は蜜ばちの巣のように滴りつづけ,その上あごは油よりも滑らかだからである」とソロモンは言い,こう言葉を続けました。「しかし,彼女が後に残す作用は苦よもぎのように苦く,もろ刃の剣のように鋭い」。―箴言 5:3,4。
あとで現われるかもしれないひどい影響の一つは,性行為感染症です。不道徳がもとで,不妊症になるとか,深刻な健康上の問題を抱えるなど,取り返しのつかない害を身に受けたことが何年か後に分かったときの心の痛みを想像してみてください。箴言 5章11節が警告しているように,『将来あなたの肉体と身体が終わりを迎えるときに,あなたはうめかなければならない』のです。婚前交渉はまた,私生児を妊娠すること(184,185ページ参照),堕胎,あるいは早すぎる結婚につながることがあり,それぞれに苦しい結果が伴います。このように,婚前交渉を行なう人はまさに「自分の体に対して罪をおかしている」のです。―コリント第一 6:18。
リチャード・リー博士はそのような危険があることを認めて,「生物学と医学のエール・ジャーナル」の中でこう書いています。「我々は若い人々に対して,避妊や性病の治療において大きな進歩を遂げたことを誇る。そして妊娠に伴う苦しみや性病の苦しみを防ぎ,最も信頼できて明白な,最も安くて無毒の ― 昔ながらの,尊敬に値する,そして健康的でさえある,純潔を守るという方法を無視する」。
罪悪感と失望
多くの若者はさらに,婚前交渉がひどい失望をもたらすことに気づきました。どんな結果になるでしょうか。罪悪感と自尊心の低下を感じます。23歳のデニスは,「本当にがっかりしました。予期していた快感や愛の温かさは感じられませんでした。むしろ,その行為がいかに間違っているかを,いやというほど思い知らされました。自分の自制心のなさに恥じ入りました」と正直に語りました。ある若い女性は次のように告白しました。「現実に戻ったときにはむかつくような挫折感を味わいました。……事が終わってからむらむらと嫌悪の念を催し,自分がいかにも安っぽい,不潔な人間に思えました。『一体どうして君は一線を越えないうちに止めてくれなかったんだ』という彼の言葉に,私は一層惨めな思いをしました」。
ジェイ・シーガル博士によると,そのような反応は少しも珍しくありません。2,436人の大学生の性活動を調査した後,同博士は次のように結論しています。「不満足で失望に終わった[性交の]初体験のほうが,満足と興奮を覚えた初体験よりも2対1の割合で多かった。男性も女性も,ひどく失望したことを覚えている」。むろん夫婦でさえ性行為となると問題があるかもしれません。しかし純粋な愛と誓約のある結婚生活では,そのような問題は大抵解決できます。
乱交の代価
一部の若者たちは性関係を持つことに少しも罪悪感を覚えないため,肉欲の満足を得ることに全力を傾け,さまざまな相手と性関係を持とうとします。研究者のロバート・ソレンセンは,十代の性行為に関する調査で,そのような若者たちが乱交の代価を払っていることを観察しました。「個人的な面接調査で,[乱交を行なう]多く[の若者]は,……目的も自己満足もないまま生きていると自分で思っていることを明らかにした」と,ソレンセンは書いています。彼らの46%が,「現在のような生き方では,自分の能力がほとんどむだになってしまう」という一文に対し,自分たちもそう思っていることを認めました。ソレンセンはさらに,乱交を行なうその若者たちが,「自信と自尊心」の低下を報告している点も明らかにしました。
箴言 5章9節が述べるとおり,不道徳な行ないをしている若者は『自分の尊厳を他人に渡してしまう』のです。
その次の朝
いったん不正な関係を結んでしまうと,二人はお互いに相手を違った目で見るようになるものです。少年のほうは,少女に対する感情が以前ほど熱烈でないのを感じるかもしれず,彼女がそれほど魅力的に見えなくなるかもしれません。他方,少女はもてあそばれたと思うかもしれません。若者であったアムノンに関する聖書中の記述と,彼が処女のタマルを好きになって恋煩いをしたことを思い起こしてください。それなのに性交を行なった後,「アムノンは非常に大きな憎しみにかられて彼女を憎みはじめた」のです。―サムエル第二 13:15。
マリアという少女も同様の経験をしました。性関係を持った後,彼女は自分の気持ちをこう語りました。「私は(自分の弱さゆえに)自分を憎み,またボーイフレンドを憎みました。二人の関係をいっそう親密なものにすると思った性関係で,私たちの関係は終わりを告げたのです。彼とは二度と会いたくないと思いました」。そうです,婚前交渉を行なうカップルは,決して引き返すことのできない一線を踏み越えるのです。
家族生活の分野の研究で定評のあるポール・H・ランディスは,「[婚前交渉は]一時的には関係を強めるものかもしれないが,長期的に見たその影響はかなり異なったものになる」と述べています。事実,性関係を持つカップルは,それを控えるカップルよりも別れることが多いようです。理由は何でしょうか。不義の性は,嫉妬心と不信感を生むのです。ある若者はその点を認めてこう言っています。「性交を行なうとそのあとで,『彼女は僕と寝たのだから,ほかの人とも寝たことがあるかもしれない』と考える人たちがいる。実は僕も同じことを考えた。……僕は極端な嫉妬と猜疑心に駆られ,相手を信じられなくなった」。
これは純粋の愛とは何とほど遠いのでしょう。純粋の愛は,「ねたまず……みだりな振る舞いをせず,自分の利を求め」ません。(コリント第一 13:4,5)永続する関係を築く愛は,盲目的な恋愛から生まれるものではありません。
純潔がもたらす益 ― 平和と自尊心
しかし純潔を保つ若者は,悲惨な結果を避けることができるというだけにとどまりません。聖書は,一人の若い乙女がボーイフレンドを熱烈に愛していたにもかかわらず純潔を保ったことについて述べています。そのため,彼女は誇りをもって,「わたしは城壁です。わたしの乳房は塔のようです」と言うことができました。彼女は,不道徳な圧力がかかると容易に“開いてしまう”,いわば“自在戸”ではありませんでした。彼女は道徳的に言って,近づき難い塔のある要塞の,よじ登ることが不可能な城壁のように立っていて,「浄い者」と呼ばれるに値しました。その乙女は自分の夫となる人について,「わたしはあの方の目に,平和を見いだしている者のようになりました」と述べることができました。彼女自身の思いの平和は二人の間に満足感を生み出すことに役立ちました。―ソロモンの歌 6:9,10; 8:9,10。
先に述べた純潔を重んじる女性エスターも,同様の内面の平和と自尊心を持っていました。彼女はこう述べています。「私は自分自身に満足していました。職場の同僚に嘲笑されても,自分が処女であることを希少価値のあるダイヤモンドのようにみなしていました」。それに,エスターのような純潔な若者は良心の責めを感じることがありません。クリスチャンである19歳のステファンは,「エホバ神に対して正しい良心を持っていることほど気持ちの良いことはありません」と言いました。
『しかし性関係を持たずに,どうしてお互いをよく知ることができるだろうか』と考える若者もいます。
永続する親密さを培う
性だけによって永久的な関係を築き上げることはできません。接吻のような愛情表現によってもそれは築けません。アンという若い女性は,「あまりにも早くから肉体的に親密になりすぎることがあるのを私は経験から学びました」と忠告しています。二人が互いに愛情の表現に時間を費やすなら,有意義な対話はなくなってしまいます。そのようにすれば重大な食い違いをうまく取り繕えるかもしれませんが,それは結婚してから表面化する恐れがあります。アンは後日別の男性 ― 最終的に結婚した相手 ― と交際するようになった時,身体的にあまり親密にならないように注意しました。「私たちはいろいろな問題を解決することや,人生の目標について話し合うことに時間を用いました。ですから,自分がこれからどんなタイプの人と結婚しようとしているのかよく分かりました。結婚後は思いがけない喜びばかりでした」。
そのような自制を示すことはアンとボーイフレンドにとって難しかったでしょうか。アンは「難しかった」と告白しています。「私は生まれつき愛情の深いほうでした。でも私たちはいろいろな危険について話し合い,助け合いました。エホバに喜んでいただくことを二人とも心から願っていましたし,これから始まる結婚生活を台なしにしたくないと考えていました」。
しかし,新しく夫や妻になる人が前もって性的な経験を積んでおくと助かるのではありませんか。いいえ,その反対です。そのような経験は多くの場合,結婚の親密さを損ないます。婚前交渉では,自己満足や性の物理的な面が強調されます。奔放な情欲は,相互の敬意を損ないます。いったんそのような利己的なパターンが出来上がると,それを打ち破ることは難しく,やがては二人の関係も破壊される恐れがあります。
しかし結婚生活において健全で親密な関係を保つには,抑制と自制が求められます。得るよりも与えること,『相手が性的に当然受けるべきものを与える』ことに焦点が置かれなければなりません。(コリント第一 7:3,4)純潔を保つことは,そのような自制を培う助けになります。そのようにすれば,自分自身の願望よりも他の人の福祉に無私の関心を払うことを学びます。さらに,結婚生活から得られる満足は,身体的な要素だけにかかっているのではないことも覚えておきましょう。社会学者のシーモア・フィッシャーによると,女性の性的な反応は,妻が抱く「親密で親しい感情や,頼りになるという気持ち」,さらには「妻との一体感を示す[夫の]能力や,……妻が夫に寄せる信頼の程度」によっても左右されます。
興味深いことに,177人の既婚の女性を対象にした調査で,婚前交渉を行なっていた人々の4分の3が,結婚後最初の2週間は性の面で難しい問題があったと答えています。それに加えて,性の面で難しい問題が長期間続いたと答えた人々は皆,「婚前交渉の前歴を持って」いました。さらに,婚前交渉を行なう人々が結婚後姦淫を犯す可能性は,婚前交渉をしない人の2倍であることがその調査で分かりました。『淫行は良い動機を奪い去る』という聖書の言葉は何と真実なのでしょう。―ホセア 4:11。
ですから,『人は自分のまいたものを刈り取る』のです。(ガラテア 6:7,8)欲情をまいたなら,疑いと不安をたくさん刈り取ります。しかし自制をまけば,忠実さと安心感を刈り取ります。先に述べたエスターは,これまで幸福な結婚生活を何年も送ってきました。彼女の夫は,「妻のいる我が家へ帰って来る喜び,自分たちがお互いに二人だけのものであることを知っている喜びは口には表わせません。この確信は何物にも代え難いものです」と語りました。
結婚するまで待つ人々も,神に喜ばれていることを知って思いの平安を享受します。しかし今の時代に純潔を保つのはおよそ容易なことではありません。純潔を保つ上で何が助けになるでしょうか。
討論のための質問
□ あなたが知っている若者たちの間では,婚前交渉がどれほど広く行なわれていますか。そのことはあなたにとって問題や圧力となっていますか
□ 婚前交渉の後に現われる悪影響には,どんなものがありますか。あなたが知っている若者の中で,そのような影響を被った人がいますか
□ 避妊は,十代の妊娠という問題の解決策になりますか
□ 不正な性関係の後,罪悪感を覚えて失望する若者がいるのはなぜですか。
□ 性関係を持つことは,結婚していないカップルが親しくなるのに役立つと思いますか。答えの理由を述べてください
□ どうすれば未婚のカップルは,交際している間に相手をよく知ることができますか
□ 結婚するまで純潔を保つことにはどんな益があると思いますか
[182ページの拡大文]
「十代になっても性行為をしたことのない若者は例外的な存在である」― アラン・グートマヒャー研究所
[187ページの拡大文]
「本当にがっかりしました。予期していた快感や愛の温かさは感じられませんでした」
[190ページの拡大文]
婚前交渉を行なうカップルは,決して引き返すことのできない一線を踏み越える
[184,185ページの囲み記事/図版]
『わたしにはそんなことは起きないわ!』―十代の妊娠問題
「10人に一人を上回る割合で毎年十代の少女が妊娠しており,その割合は高くなっている。この調子でゆくと,若い女性10人に4人は十代のうちに少なくとも一度妊娠することになる」。「十代の妊娠: まだなくなってはいない問題」はそのように伝えています。ではどんな少女が妊娠するのでしょうか。「青年期」誌は,「学校に通う年齢で妊娠する少女は,あらゆる社会経済階層に見られ……あらゆる人種,あらゆる宗教の中に,また田舎であれ都会であれ国のあらゆる場所にいる」と述べています。
妊娠することを実際に望む少女はほとんどいません。妊娠した十代の少女400人余りを対象にした画期的な研究論文の中で,フランク・ファーステンバーグ2世は,「インタビューでほとんどの少女が『わたしにこんなことが起きるとは全く考えもしなかった』と繰り返し言った」と述べています。
ところが,性関係を持っていても妊娠しない友達がいるのを見て,自分も同じようにできると考えた少女もいます。ファーステンバーグはさらにこう述べています。「“すぐに”妊娠することはないと思っていたという少女が多い。“たまに”性関係を持ったのであれば妊娠しないだろうと考えた少女たちもいた……妊娠を免れている期間が長くなればなるほど,いっそう大きな危険を冒したようである」。
しかし実際には,性関係を持つ時はいつでも妊娠する危険があります。(544人の少女から成るグループのうち,『ほぼ5分の1は性交を始めて6か月以内に妊娠している』。)多くの少女は,ロビンという未婚の母親のように,わざと避妊をしません。ロビンは多くの若者と同様,経口避妊薬を使って健康を損なうことを恐れたのです。ロビンはさらに,「避妊をすれば,自分が何か悪いことをしているのを自分で認めることになってしまいます。それは私にはできませんでした。それで自分のしていることを考えないようにし,何事も起こらないよう願っていました」と言いました。
そのように考える未婚の母親は珍しくありません。ファーステンバーグの研究によれば,「十代の人のほぼ半数は,結婚するまで性関係を持たないことは女性にとって非常に重要だ」と述べました。「明らかに言行の不一致があったことは否めない……それらの若者は規準を一通り教わっていたが,別の規準に従って生活するようになった」というわけです。そのような感情的なかっとうがあったので,「それらの女性にとって性行為の結果を現実的に扱うことは特に難しかった」のです。
避妊をしても,未婚の母親にならないという保証はありません。「子供のいる子供」という本は,「どんな方法にも失敗率というものがある。……未婚の十代の人が,避妊法を終始一貫して利用しても……毎年[米国では]50万人が妊娠することになる」と述べています。そして,パットという16歳になる未婚の母親が「きちんと[避妊薬を]飲みました。本当に1日も欠かしませんでした」と嘆いて言った言葉を引用しています。
「惑わされてはなりません。神は侮られるような方ではありません。何であれ,人は自分のまいているもの,それをまた刈り取ることになるのです」と聖書は警告しています。(ガラテア 6:7)妊娠は,淫行から刈り取る不快な結果の一つの形にすぎません。幸いなことに,未婚の母親も,不道徳のわなに陥ってしまった他の人々すべてと同様,ダビデ王のような悔い改めの態度を示して転向し神のもとに来ることができます。「わたしのとがからわたしを完全に洗い,わたしの罪からわたしを清めてください」とダビデ王は祈りました。(詩編 51:2)「エホバの懲らしめと精神の規整とをもって」自分の子供たちを育てようとする,そのような悔い改めた人たちの努力を神は祝福してくださるでしょう。―エフェソス 6:4。
しかしさらに勝っているのは,婚前交渉を避けることです! うまくやりおおせると言う人々に欺かれてはなりません。
[183ページの図版]
不道徳な性関係を持った後,もてあそばれたと感じる若者や,屈辱感さえ覚える若者は少なくない
[186ページの図版]
性行為感染症は,婚前交渉に起因することが多い
[188ページの図版]
未婚のカップルが愛情の表現に気を取られすぎると道徳的な危険に陥る恐れがあり,有意義な対話をする機会が少なくなる
[189ページの図版]
幸福な結婚生活は,夫婦の身体的な関係だけにかかっているのではない
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どうすれば婚前交渉をきっぱりと拒否できるだろうか若い人が尋ねる質問 ― 実際に役立つ答え
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24章
どうすれば婚前交渉をきっぱりと拒否できるだろうか
ティーン誌が行なった全国調査で,同誌の若い読者の中に,次のような質問の答えを希望する人が多数いることが分かりました。その質問とは,「性的圧力をきっぱりと拒否するにはどうすればよいか」というものです。
詩編 119編9節の中で詩編作者は,「どのようにして若い人はその道筋を清めるのでしょうか」と,同様の質問を提起しています。「[神の]み言葉にしたがって注意深くあることによってです」というのがその答えです。しかし,頭の知識以上のものが必要です。ある若い女性は,「不道徳な性行為について聖書が何と述べているか頭では分かっていても,心がいつもそれらの理由を頭の奥に押し込んでしまうのです」と打ち明けました。詩編作者は前述の詩編のあとの部分で適切にも,「わたしはあなたのことばを心のうちに蓄えました。あなたに対して罪をおかさないためです」と述べています。―詩編 119:11。
心を守りなさい
神のことばを心のうちに蓄えるにはまず,聖書や聖書に基づく出版物を読んで研究することが求められます。そうすれば,神の律法の価値を確信できるようになります。一方,性を刺激するものを読んだり,聴いたり,見たりすると「性的欲情」はかき立てられます。(コロサイ 3:5)したがってそのようなものは断固,避けてください! むしろ純潔で清い事柄を思いめぐらすようにしましょう。
さらに,若者が純潔のままでいるかどうかに大きな影響を及ぼすのは,その若者の親しい友人であることが調査で明らかになっています。「わたしは,あなた[神]を真に恐れるすべての者たちの,また,あなたの命令を守る者たちの仲間なのです」と,詩編作者は述べています。―詩編 119:63。
あなたの友達は,『神の命令を守る』よう懸命に努力している人でしょうか。ジョウアナという若い女性は,友人の選択についてこのように語りました。「エホバを愛する人たちのそばにいると,道徳について話す場合に,彼らと同じように感じ始めている自分に気づきます。例えば,彼らが不道徳には胸が悪くなると言うのを聞くと,自分もそのように感じ始めるのです。一方,そういうことを気に留めない人と一緒にいると,間もなくその人と全く同じようになってしまいます」。―箴言 13:20。
しかし純潔を保つことがしばしば最大の挑戦となるのは,デートをする時や求婚期間を過ごす時です。ロバート・ソレンセンの行なったある全国調査を考慮してみましょう。ソレンセンによると,調査の対象となった若い男性の56%および若い女性の82%が,決まった恋人か,よく知っていて非常に好意を寄せている相手と初体験をしていることが分かりました。では,結婚を真剣に考慮する年齢に達し,だれかと交際している場合はどうでしょうか。どうすれば相手の人とよく知り合い,しかも純潔を保つことができますか。
交際する時の落とし穴を避ける
聖書は,「心は何ものよりもこうかつで,必死な状態にある。だれがこれを理解しているだろうか」と警告しています。(エレミヤ 17:9,バイイングトン訳)人は異性に対して魅力を感じるかもしれません。それはごく正常なことです。しかし二人が一緒にいる機会が多くなればなるほど,いっそう強く魅力を感じるようになります。しかもその正常な欲望は心を惑わしかねないのです。「心から,邪悪な推論,……淫行……が出て来ます」と,イエス・キリストは言われました。―マタイ 15:19。
若いカップルは大抵,性行為を意図して行なうわけではありません。a 多くの場合,二人が局部を愛撫したり刺激したりしたためにそのようなことが生じるのです。一人の未婚の母親はこう告白しました。「私の場合も,また私が知っている子たちの場合も大抵,会うたびに少しずつ深入りし,最後にはもう処女ではなくなっているという状態でした。ちょっとしたペッティングから始まって,何が起きつつあるのか気づかないうちに,もうやめられなくなっているのです」。
性の不道徳に自ら陥らないためには,心に導かれるままになるのではなく,心を導かなければなりません。(箴言 23:19)どうすればそうすることができますか。
制限を設ける: ガールフレンドはキスやペッティングをしてもらうことを期待していると若い男性は思うかもしれませんが,相手は実際にそう思っていないかもしれません。「せん越であることによって人は闘いを引き起こすだけである。しかし,一緒に協議する者たちには知恵がある」。(箴言 13:10)ですから,あなたがだれかと交際しているなら,そのことについて自分がどう感じているかを,「一緒に協議」することによって相手の人に知らせましょう。思慮を働かせて愛情の表現に制限を設けてください。それと同時に,まぎらわしい信号を送らないようにしましょう。ぴったりしすぎていて,あらわで,性を刺激するような衣服を身に着けるなら,相手に誤ったことを伝達しかねません。
誘惑となる状況を避ける: 山の中の人気のない場所へハイキングに行こうとボーイフレンドから誘われた,うら若い乙女の話が聖書に載っています。ボーイフレンドの動機は何でしたか。二人で早春の美しさを観賞したいと思ったのです。しかし乙女の兄たちはその行楽計画を知ると腹を立て,その計画を中止させました。それは,乙女のことをふしだらだと思ったからではなく,そのような状況下で働く誘惑の力を知っていたからです。(ソロモンの歌 1:6; 2:8-15)同様に家やアパート,あるいは駐車中の車の中でデートの相手と二人きりになるといった,誘惑につながりやすい状況は避けるべきです。
自分の限界を知る: ほかの時に比べてずっと性の誘惑に陥りやすくなる時があります。例えば,自分が何かの失敗をしたり,両親と意見が合わなかったりして気落ちすることがあります。どんな場合であれ,そのような時には特に用心しなければなりません。(箴言 24:10)また,アルコール飲料の使用にも気をつけてください。アルコール飲料の影響を受けて,抑制のきかなくなることがあります。「ぶどう酒と甘いぶどう酒とが良い動機を奪い去る」のです。―ホセア 4:11。
きっぱりと拒否し,その態度を変えない: 感情が高まり,自分たちが危険なほど親密になっていることに気づくなら,どうすることができますか。二人のうちのどちらかが,その気分をこわすことを言うか,行なうかしなければなりません。デブラという女性は,気がついてみるとデートの相手と二人きりになっていました。その男性は,“語り合う”ため寂しい場所に車を止めたのです。感情が高まってきた時,デブラはデートの相手に,「これはネッキングではないかしら。やめるべきですよね」と言いました。それで気分がこわれ,その男性は直ちに彼女を家に送り届けました。こうした状況のもとできっぱりと拒否するのは,これまで行なわなければならなかった事柄のうち最も難しいことかもしれません。しかし,状況に屈してしまって性関係を持った20歳のある女性が語ったように,「立ち去らなければ,後悔します」。
付き添いを伴う: 時代遅れとみなす人もいますが,デートに付き添いを伴うのはやはり良い考えです。中には,「僕たちが信頼できないみたいです」とこぼすカップルもいます。もしかするとそうかもしれません。しかし,自分を信頼することは賢明でしょうか。箴言 28章26節は,「自分の心に依り頼んでいる者は愚鈍であり,知恵によって歩んでいる者は逃れることになる」と率直に述べています。デートの時にはだれかほかの人に一緒に来てもらうようにして賢明に行動してください。デブラは,「私は付き添いを連れて来る人を心から尊敬します。その人も,純潔であることに私と同じほど関心を持っていることが分かるからです。そのためにつらい思いをすることは全くありません。何か二人だけで話したい時には,ほかの人たちに聞かれない所へ行けばよいからです。付き添いの人に来てもらうことによって得られる保護は,どんな不都合をも忍ぶだけの価値があります」と打ち明けています。
神との友情
何よりも,神を感情のある実在者として知り,神との親しい友情を培うなら,神を怒らせるような振る舞いを避けるよう助けられます。特定の問題に関して神に心中を打ち明けるなら,神をいっそう身近に感じます。純潔のままでいることを願い,感情の高まった状況に置かれた時には一緒に神に祈りをささげて,必要な力を願い求めることさえした男女は少なくありません。
エホバは寛大にも,そのような二人に『普通を超えた力』を与えてこたえてくださいます。(コリント第二 4:7)あなたが自分の分を果たさなければならないのは言うまでもありませんが,神の援助と祝福があれば,確かに,性の不道徳をきっぱりと拒否することは可能です。
[脚注]
a ある調査では,女性の60%が,性行為は成り行きによるもので,意図したものではなかった,と回答しています。
討論のための質問
□ 性に関するエホバの律法を重んじるのに役立つ,どんな事柄を行なえますか
□ あなたの友達は,婚前交渉に対するあなたの見方にどんな影響を与える恐れがありますか
□ デートの時に用心が必要と思われるのはなぜですか
□ 不品行に陥らないため,交際中のカップルは何を行なえますか
[193ページの拡大文]
「ちょっとしたペッティングから始まって……」
[194ページの拡大文]
求婚期間中は,二人きりにならないようにして不道徳を避ける
[195ページの囲み記事/図版]
デートの際に純潔を保つ
ネッキングやペッティングに発展しそうな状況を避ける
グループで交際するか,付き添いを伴う
常に建設的な会話を行なう
最初から,愛情の表現の制限について自分の態度を知らせておく
慎み深い服装をし,挑発的な行動を避ける
純潔が脅かされていると感じるなら,家に送り届けてもらうように頼む
“夜の別れのあいさつ”が長くならないようにする
早めに帰宅する
[図版]
交際中のカップルは,二人きりにならないような活動に参加するとよい
[196ページの図版]
状況が過度に“熱を帯びて”くるなら,分別を働かせてきっぱりと拒否し,その態度を変えない
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マスターベーションはどれほど重大なことだろうか若い人が尋ねる質問 ― 実際に役立つ答え
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25章
マスターベーションはどれほど重大なことだろうか
「神から見てマスターベーションは悪いことなのだろうかと考えています。マスターベーションは将来,私の体と精神の健康に,またはそのどちらかに影響を及ぼしますか。そしてもし結婚したらどうなりますか」― メリサ,15歳。
こうした疑問に悩む若い人は少なくありません。理由ですか。それは,マスターベーションが広く行なわれているからです。男性の約97%,女性の90%以上が,21歳までにはマスターベーションを行なうと言われています。また,この習慣は,いぼや赤いまぶたから,てんかんや精神病に至るまで,さまざまな病気の原因になるとされてきました。
20世紀の医学研究者たちはもはやそのような警告を発してはいません。事実,今日の医師たちは,マスターベーションに起因する身体的な病気はないと考えています。研究者のウィリアム・マスターズとバージニア・ジョンソンも,「マスターベーションが精神病の原因になるということは,その頻度にかかわりなく,医学的には確証されていない」と述べています。しかし,別の病的作用が確かにあるのです。クリスチャンの若者の中には,この習慣について心配する人が少なくありませんが,それはもっともなことです。ある若者は,「意志がくじけて[マスターベーション]をしてしまった時は,エホバ神の期待に背いたように感じました。時々ひどくふさいだ気分になりました」と書いています。
マスターベーションとは一体何でしょうか。それはどれほど重大なことでしょうか。また,それが克服しにくい習慣であると考えている若者が非常に多いのはなぜですか。
若い人たちが陥りやすい理由
マスターベーションとは,性的な興奮を得るために故意に自分を刺激する行為です。若さの盛りにある間は,性的な欲望が強くなり,生殖器官に影響を及ぼす強力なホルモンが放出されます。こうして若者は,生殖器官が快感を生み出せることを知るようになります。また性行為のことを考えていなくても,若者は性的に興奮することがあるかもしれません。
例えば,男子の間では,さまざまな心配,恐れ,欲求不満などによる緊張が,敏感な神経系に影響して,性的な興奮を誘発することがあります。精液が蓄積すると性的に興奮した状態で目を覚まします。あるいは眠っている間に射精するかもしれません。これには普通,性愛に関係した夢が伴います。同様に少女の中にも,無意識のうちに刺激を受ける人がいるかもしれず,生理期間の直前か直後に性欲の高まる人も少なくありません。
ですからそのような性欲の高まりを経験したとしても,気にすることはありません。これは,若い肉体の正常な反応なのです。そのような性感はたとえ非常に強いものであっても,ほとんどが無意識に生じるものですから,マスターベーションとは違います。そして年齢が進むにつれて,この新たに生じた性感の高まりはおさまります。
しかし,この新たな感覚作用に対する好奇心と物珍しさに引かれて,自分の性器を故意にいじったり,もてあそんだりする若者もいます。
『精神的燃料』
聖書はいかがわしい女に出会う若者を描写しています。その女は若者に口づけして,「どうか,来てください。……わたしたちの愛を満喫しましょう」と言います。それからどうなりますか。「突然,彼はその女について行く。ほふり場に向かう雄牛のように」とあります。(箴言 7:7-22)この若者は,見たことや聞いたことによって欲情をかき立てられたのであって,ホルモンのせいだけでなかったことは明らかです。
同じようなことをある若者は言いました。『私が抱えていたマスターベーションという問題全体の原因は,結局,自分が思いに取り入れていた事柄にありました。不道徳な事柄を含むテレビ番組を見たり,ある時には,有線テレビのヌード番組を見たりしていたからです。そうした場面は非常に衝撃的で,心に残ります。そして再び思いに浮かび上がり,マスターベーションに必要な精神的燃料になるのです』。
ですから多くの場合,会話や黙想の内容はもとより,読むもの,見るもの,聴くものなどが,マスターベーションの引き金となるのです。25歳のある女性は正直にこう語りました。「この習慣を捨てることはとてもできないように思えました。それでも私は相変わらず恋愛小説を読んでいました。それが問題の一因だったのです」。
一種の「精神安定剤」
この若い女性の経験は,この習慣をやめるのが非常に難しい最大の原因を示しています。彼女はさらに,「圧力や緊張,心配などから逃れるためにマスターベーションを行なうのが常でした。そのつかのまの快楽は,アルコール中毒の人が神経を静めるために酒を飲むのと似ていました」と語りました。
研究者のスーザン・サーノフとアービング・サーノフは,「冷たくあしらわれたり,何かのことで不安を感じたりするといつでもマスターベーションで自分を慰めるため,それが習慣になる人もあるだろうし,ときたま非常に激しい感情的ストレスを感じて,この行為にふける人もあるかもしれない」と書いています。また,気が立っている時,憂うつな時,寂しい時,強いストレスを感じている時にやはりこの習慣に頼る人もいるようです。問題を忘れるための一種の「精神安定剤」になるのです。
聖書は何と述べているか
「マスターベーションは許されない罪ですか」と,ある若者は尋ねました。聖書の中でマスターベーションに関する説明は全く見当たりません。a この習慣は聖書時代のギリシャ語圏で普通に行なわれており,その習慣を表わす幾つかのギリシャ語も用いられていました。しかし聖書ではそのうちのどの言葉も使われていません。
聖書の中で直接に非とされていないということは,マスターベーションは無害であるという意味でしょうか。絶対にそうではありません。淫行のようなゆゆしい罪の部類には入れられていませんが,マスターベーションは確かに汚れた習慣です。(エフェソス 4:19)そのため神の言葉に見られる諸原則は,この汚れた習慣に強く抵抗すれば「自分を益する」結果になることを示唆しています。―イザヤ 48:17。
「性的欲情」をかき立てる
「ですから,……性的欲情……に関して……あなた方の肢体を死んだものとしなさい」と,聖書は勧めています。(コロサイ 3:5)「性的欲情」というのは,正常な性的感覚のことではなく,抑制されない情欲のことです。したがってそのような「性的欲情」は,パウロがローマ 1章26節と27節で述べているようなゆゆしい行動に人がふけるという結果を招きかねません。
しかし,マスターベーションはそうした欲望を「死んだもの」にするのではありませんか。いいえ,その逆です。ある若者は,「マスターベーションをすると,頭の中でいつも間違った欲望のことを考えるようになります。そうすることは間違った欲望を募らせるだけです」と告白しました。性的快感を高めるためによく行なわれるのは,不道徳な空想にふけることです。(マタイ 5:27,28)そのため,もしあつらえ向きの状況が生まれるなら,その人はすぐさま不道徳に陥るでしょう。そのことが自分の身に生じた一人の青年は,「一時は,マスターベーションをすれば女性を巻き込まずに欲求不満を解消できると考えていたけれど,結局,女性を相手にしたいという欲望が募ってきて抑えきれなくなった」と述べています。彼は淫行を犯してしまいました。ある全国調査の結果によると,マスターベーションをしていた青年のうち,過半数は淫行も犯していましたが,それも驚くには当たりません。それらの人の数は,童貞や処女の若者たちより50%も多かったのです。
精神的にも感情的にも汚される
マスターベーションはまた,人を精神的に腐敗させるある態度を植えつけます。(コリント第二 11:3と比較してください。)マスターベーションにふけるとき,当人は自分自身の肉体の興奮にひたります。全く自己を中心に置いた行為です。性は愛とは別個のものとなり,緊張をほぐす反射行動に堕してしまいます。しかし神が意図されたのは,夫と妻の間の愛の表現である性関係において性的欲望を満足させるということでした。―箴言 5:15-19。
マスターベーションにふける人はさらに,異性を単なる性の対象,つまり性を満足させるための道具とみなす傾向に陥るかもしれません。マスターベーションで身についた間違った態度は,そのようにして当人の「霊」,つまり支配的な精神の傾向を汚します。結婚後でさえ,マスターベーションに起因する問題が根深く残る場合もあるのです。神の言葉は十分の理由があって,「愛する者たちよ,肉と霊のあらゆる汚れから自分を清め……ようではありませんか」と勧めているのです。―コリント第二 7:1。
罪に関する平衡のとれた見方
全般的に見て,多くの若者はこの悪い習慣を首尾よく克服していますが,時々その習慣に屈してしまうこともあります。幸いに,神は非常に憐れみ深い方であられます。「それは,エホバよ,あなたが善良で,進んで許してくださるからです」と,詩編作者は述べました。(詩編 86:5)クリスチャンがマスターベーションに屈すると,その人の心は自責の念に駆られるのが普通です。でも聖書は,「神はわたしたちの心より大きく,すべてのことを知っておられる」と述べています。(ヨハネ第一 3:20)神はわたしたちの罪以外のものもご覧になるのです。神はその偉大な知識により,許しを求める真剣な訴えを,同情心を抱いて聞くことがおできになります。ある若い女性は,「私はある程度罪を意識しました。でも,エホバはとても愛の深い神であり,私の心を読むことができ,私の努力と決意もすべてご存じであることを知っていたので,時々失敗しても過度に失望しなくてすみました」と語りました。マスターベーションに対する欲望と闘うなら,恐らく淫行という重大な罪を犯すことにはならないでしょう。
「ものみの塔」誌1959年9月1日号(英文)にはこう述べられています。「わたしたちは,ある悪い習慣が,意外に深く自分の以前の生活の型に食い入っていたために,それらの悪い習慣に幾度もつまずき,失敗することがある[かもしれません]。……絶望してはいけません。許されない罪を犯したと結論しないでください。そのように考えるなら,それこそサタンの思うつぼです。あなたが悲しみ悩んでいるということ自体,あなたが行き過ぎていないという証拠です。謙遜な態度で真剣に神に頼り,その許しと清めと援助を求めることに疲れてはなりません。何度同じ弱点につまずこうとも,困った時に子供が父親のところへ行くように,エホバのところに行ってください。そうすれば,エホバは過分のご親切をもって優しく援助してくださるでしょう。そしてもしあなたが誠実であれば,エホバはあなたが清い良心を持てるようにしてくださるでしょう」。
どうすれば,そのような「清い良心」が得られるでしょうか。
[脚注]
a オナンは『精液を地に流した』かどで神に処刑されました。しかしそのことに関係していたのは性交の中断であって,マスターベーションではありませんでした。さらに,オナンが処刑されたのは,死んだ兄弟の家系を継続させるための義兄弟結婚を,利己的な気持ちから怠ったためでした。(創世記 38:1-10)レビ記 15章16節から18節に述べられている「射精」についてはどうでしょうか。これはマスターベーションではなく,夢精や夫婦の性関係を指しているようです。
討論のための質問
□ マスターベーションとは何ですか。一般にはどんな誤解がありますか
□ 若者が,非常に強い性的な欲望を感じることが多いのはなぜですか。それは間違ったことだと思いますか
□ どんな事柄は,マスターベーションをしたくなる原因になりますか
□ マスターベーションは,若者に何らかの害を与えますか
□ あなたは,マスターベーションがどれほど重大な罪であると思いますか。マスターベーションを克服する面で問題を持つとしても,この習慣と闘っている若者をエホバはどうご覧になりますか
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圧力を受けたり,緊張や寂しさや失望を感じたりするとマスターベーションをしたいという衝動に駆られる人もいる
[202ページの拡大文]
『私が抱えていたマスターベーションという問題全体の原因は,結局,自分が思いに取り入れていた事柄にありました』
[204ページの拡大文]
「意志がくじけて[マスターベーション]をしてしまった時は,エホバ神の期待に背いたように感じました」
[198ページの図版]
マスターベーションによる罪の意識は強いものかもしれないが,神の許しを誠実な態度で祈り求め,その習慣に懸命に抵抗すれば,正しい良心を得ることができる
[203ページの図版]
性欲をかき立てるような映画や本またテレビ番組は,しばしばマスターベーションという火を燃やす『精神的燃料』となる
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マスターベーション ― どのようにその衝動と闘えるだろうか若い人が尋ねる質問 ― 実際に役立つ答え
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26章
マスターベーション ― どのようにその衝動と闘えるだろうか
「これは非常に強い中毒です。麻薬やアルコール飲料と同じほど習慣性があります」と,15年間マスターベーションと闘ったある若い男性は言いました。
しかし使徒パウロは,自分の欲望を苛酷な主人のようにはならせませんでした。逆にパウロは,「自分の体[肉の欲望]を打ちたたき,奴隷として引いて行くのです」と書きました。(コリント第一 9:27)パウロは自分に厳しかったのです。同じような努力をするなら,だれでもマスターベーションから逃れることができます。
「活動に備えて思いを引き締めなさい」
緊張や心配を和らげるためにマスターベーションをする人は少なくありません。しかしマスターベーションは問題に対する子供じみた反応です。(コリント第一 13:11と比較してください。)「思考力」を示して,問題そのものにアタックするほうが優れています。(箴言 1:4)問題や挫折感が抗しがたいものに思えるなら,『自分の思い煩いをすべて神にゆだねてください』。―ペテロ第一 5:6,7。
偶然,性を刺激するものを見たり,聞いたりしたならどうでしょうか。「活動に備えて思いを引き締めなさい。自己を抑制しなさい」と聖書は勧めています。(ペテロ第一 1:13,新国際訳)思いを働かせて不道徳な考えを払いのけるのです。興奮はほどなく収まるでしょう。
しかし,悪い考えを払いのけるのは難しいことです。夜一人でいる時は特にそうです。ある若い女性はこう勧めています。「一番よいのは,すぐにベッドから出て何かの仕事を始めるか,または軽食を取ることです。そうすると思いがほかの事柄に向くからです」。そうです,自分を強いて,『何であれまじめなこと,義にかなっていること,貞潔なこと,愛すべきこと,よく言われることを考え続ける』ことです。―フィリピ 4:8。
寝付きが悪いときは,忠実な王ダビデに見倣うよう努力しましょう。ダビデはこう書いています。「わたしが長いすの上であなた[神]を思い出したとき,夜警時の間に,わたしはあなたのことを思い巡らします」。(詩編 63:6)自分の思いを強いて,神と神の特質を深く考えるようにすれば,呪縛は大抵解けるものです。さらに,この汚れた習慣を神がどうご覧になるかを考え続けることも助けになります。―詩編 97:10。
予防策を講じる
「災いを見て身を隠す者は明敏である。しかし,経験のない者たちは進んで行って,必ず報いを身に受ける」と,霊感を受けた賢人は書きました。(箴言 22:3)先見を働かせるなら,自分が明敏であることを示せます。例えば特定の活動に参加することや体にぴったりした衣服を着ること,またはある種の食物を取ることが性的刺激を与えることが分かったなら,それをぜひとも避けるようにします。一例として,アルコール飲料を飲むと抑制力が低下し,自制しにくくなりがちです。また,官能的なテーマの読み物やテレビ番組や映画などはすべて疫病のように避けます。「無価値なものを見ないよう,わたしの目を過ぎ行かせてください」と,詩編作者は祈りました。―詩編 119:37。
特に誘惑を強く感じるときにも,予防策を講じることができます。若い女性であれば,ひと月のうちの特定の時期に性欲が普段より強くなるのを感じるかもしれません。あるいは感情的な痛手や失望を経験することもあります。「あなたは苦難の日に自分が失望していることを明らかにしたか。あなたの力は乏しくなる」と,箴言 24章10節は警告しています。それで長時間一人きりになることは避けてください。建設的な活動を計画するのもよいでしょう。取り組みがいのある仕事に思いを集中していれば,不道徳な考えに引かれる機会は少なくなります。
霊的攻勢
27歳のある男性は,11歳の時からこの習慣と闘っていましたが,ついに勝利を得ることができました。「攻勢に出ることです。私は聖書を読みました。毎日必ず少なくとも2章は読みました」とその男性は説明しました。そしてそれを3年間欠かさずに続けたのです。さらに別のクリスチャンは,「寝る前に,霊的な事柄と関係のあるものを読むことです。その日の最後の思いを霊的なものにすることはとても大切です。そのときの祈りも非常に助けになります」と提案しています。
聖書を他の人々に教えるといった,『主の業においてなすべき事をいっぱいに持つ』ことも助けになります。(コリント第一 15:58)マスターベーションの問題を克服したある女性はこう語りました。「この習慣を避けるのに今何よりの助けになっているのは,全時間福音宣明者として,他の人たちが神との是認された関係を得るよう援助することに思いとエネルギーをすべてそそぎ込むことです」。
心からの祈りによって,『普通を超えた力』を神に請い求めることもできます。(コリント第二 4:7)『神のみ前にあなたの心を注ぎ出す』のです。(詩編 62:8)ある若い女性は,「祈りはすぐに逃げ込める力の塔です。欲望が生じた時に祈ると確かに効果があります」と語りました。また起床した時に,そして一日中,自分の決意を神に言い表わし,力となる聖霊を願い求めてください。―ルカ 11:13。
他の人からの援助
自分の努力がうまくいかない場合は,親やクリスチャンの長老など,援助のできる人に話すことです。若い女性であれば,円熟したクリスチャンの女性に打ち明けることが助けになるかもしれません。(テトス 2:3-5)半ばあきらめていたある若者はこう語りました。「ある晩私はそのことをひそかに父に打ち明けました。ありったけの力を振り絞り,泣きながら話しました。恥ずかしくてたまりませんでした。しかし,あの時の父の言葉は決して忘れないでしょう。父は安心させるような微笑みを浮かべて,『お父さんはお前のことをとても誇りに思うよ』と言いました。父は私がそこまで来るのにどんな思いをしたか,よく知っていたのです。その言葉ほど私の精神を高揚させ,決意を固めさせたものはありませんでした。
「次に父は,私が『どうにもならないところまで』は行っていないことを私が理解できるよう幾つかの聖句を見せてくれました」と,若者は言葉を続けます。「そして,私に間違った行ないの重大さをしっかり理解させるために,さらに幾つかの聖句を示し,ある特定の時まで『身を清く保つようにしなさい』と言いました。そしてその時が来るとまた父と話し合いました。父は,逆戻りしたとしても,それにくじけてはいけない,次の時には負けない期間をさらに長くしなさい,と言いました」。問題を完全に克服したあとその若者は,「自分の問題をだれかに知ってもらい助けてもらったのが一番よかった」と語りました。
逆戻りしたらどうするか
ある若い人は懸命に努力してこの習慣を克服したのに,逆戻りしてしまいました。「そのことで私は打ちひしがれそうでした。自分が非常につまらない人間に思えました。そしてもっともらしく,『もう自分はどうにもならないんだ。いずれにせよエホバの恵みは得ていない。それならば何も自分にそう厳しくする必要はない』と思いました」と,その人は言いました。しかし逆戻りしたからといって闘いに負けたわけではありません。19歳のある女性は以前のことを振り返ってこう語りました。「最初のうちは毎晩のように生じたので,ますますエホバに頼るようになりました。エホバの霊の助けにより,今では失敗は年に6回ぐらいになりました。あとで非常に不快になりますが,その都度,次の誘惑に対して前よりもずっと強くなっています」。こうして彼女は徐々に勝利を収めています。
逆戻りしたときは,その原因を分析してみます。ある若者は,「私は何を見,どんなことを考えていたのか,振り返ってみますが,大抵の場合,失敗した理由を正確に突き止めることができます。そのような方法で,原因になる事柄をやめ,また正すようにしています」と言いました。
懸命な闘いの報い
マスターベーションを克服したある若者は,「問題を克服してからは,エホバのみ前に清い良心が保てるようになりました。これはもう何ものにも代えられません」と語りました。
そうです,清い良心が持てる,自分の価値に対する考えが向上する,道徳的な強さが増し加わる,神とのより親しい関係が得られる,これらはすべてマスターベーションと真剣に闘う時に得られる報いです。ついにマスターベーションを克服したある若い女性はこう言いました。「本当にこの習慣に対する勝利には,努力を払う価値が十分あります」。
討論のための質問
□ 欲望をかき立てる考えを抱き続けるのは,なぜ危険ですか。どうすれば,若者は自分の思いをほかの事柄に向けることができますか
□ マスターベーションにふけらせようとする誘惑を減らすために,若い人はどんな予防策を講じることができますか
□ 霊的攻勢をかけることは,なぜ助けになりますか
□ この習慣を克服する上で,祈りはどんな役割を果たしますか
□ この面で問題があればだれかに打ち明けることはなぜ助けになりますか
[208,209ページの囲み記事/図版]
ポルノ ― 習慣性があり,危険なもの!
「ポルノなんかどこにでもあります。街を歩けば,新聞や雑誌の販売所におおっぴらに陳列されています。僕たちの先生の中にはポルノを学校へ持って来て,次の授業が始まるまで自分の机でそれを読んでいた人がいました」と,19歳のロナルドは言いました。確かにさまざまな年齢,背景,教育の人たちがポルノを夢中になって読んでいます。マークという若者はこう言いました。「ヌード雑誌を読んだり,写真を見たりしたときには興奮しました……目を通した雑誌をもう一度読み返すのでは同じような興奮を味わえないので,新しい号が出るのを楽しみにしていました。習慣になってしまうのです」。しかし,それは良い習慣でしょうか。
ポルノには,『セックスは自己の欲望を満足させるだけのもの』という考えを強く持たせるところがあり,その大部分は強姦やサディスト的な暴行で満ちています。ポルノを見る人はやがて,“それほどどぎつくない”形のもの(ソフトコア)にもはや刺激を感じなくなる場合が少なくありません。ですからさらに卑わいな写真や映画を探し求めるようになります。ニューヨーク大学のエルネスト・ファン・デン・ハーク助教授が述べているとおり,「ポルノを見ると,しだいに他の人を単なる肉片,また自分自身の官能的な感覚を満足させるただの利用相手とみなすようになる」のです。
ポルノはさらに,性に対するゆがんだ,偶像化した見方を人に持たせ,結婚生活上の問題につながる場合も少なくありません。ある若妻は,「ポルノを読んでいた関係で,それらの本に描かれているような変態的な事柄を夫に望みました。そのために性的な面で絶えず欲求不満と幻滅を味わいました」と述べています。1981年に,数百人の女性を対象にして行なわれた調査で,ポルノを読む男性と彼女たちとの生活上の関係にポルノが及ぼす影響に関して,半数近くがポルノのために重大な問題が起きたことを報告しています。ポルノが原因で実際に結婚生活が破綻したり,婚約が解消されたりした例もあります。ある妻は,こう嘆いています。「[夫が]ポルノに性のはけ口を見いだすことを必要とし,またそう望んでいるのを見ると,私では不足なのだと思うほかはありません。……私は夫を満足させられる女でありたいと神に願うのですが,それでも夫はビニールと紙のほうを好みます。夫がそのようなものを求めるので私の心は傷ついてしまいました。……ポルノは……愛に反するものです。……ポルノは醜悪で,残酷で,破壊的です」。
しかし,クリスチャンの若者が何よりも心配するのは,ポルノが,神の目に清くあろうとする人の努力を真っ向から妨害するという事実です。(コリント第二 6:17-7:1)聖書は,古代のある人々が「その心の無感覚さのため」に『いっさいの道徳感覚を通り越す』ようになり,「貪欲にもあらゆる汚れを行なおうとして,身をみだらな行ないにゆだねた」ことを示しています。(エフェソス 4:18,19)あなたはそのような堕落した状態を経験したいと思いますか。ポルノをたまに見るだけでも,良心を鈍感にする作用があることを忘れないでください。その結果マスターベーションをするようになり,なお悪いことに,性の不道徳に陥ったクリスチャンの若者もいます。それで,ポルノから絶えず離れているよう懸命に努力するのは分別のある事柄と言えます。
「視線を向けた所にポルノがあるということは度々あります。ですから最初に目に入るときはいやおうなく見る形になりますが,もう一度見直す必要はありません」と,若いダリルは言いました。ですから,おおっぴらに陳列されている場所では目をそむけ,クラスメートから見るようにしつこく言われる場合でも見ないようにすることです。18歳のカレンは,このように説明しています。「不完全な者ですから,貞潔なことや称賛すべき事柄を考え続けるのは確かに容易ではありません。まして,わざわざポルノを読んだりすればなおのこと難しくなるのではないでしょうか」。
[206ページの図版]
「祈りはすぐに逃げ込める力の塔です。欲望が生じた時に祈ると確かに効果があります」
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正直であることは本当に最善の策ですか若い人が尋ねる質問 ― 実際に役立つ答え
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27章
正直であることは本当に最善の策ですか
うそをつこうという気持ちになったことがありますか。ドナルドは,自分の部屋を片づけた,と母親に言いました。でも実際には,物を全部ベッドの下に投げ込んだだけでした。リチャードも両親をだまそうとして,同様のへたな言い逃れを試みました。自分が落第点を取ったのは勉強をしなかったからではなく,『先生とうまくいかなかったからだ』と両親に言いました。
そのような見え透いた手は,両親や他の大人たちに大抵見破られてしまいます。それでも多くの若者は,有利に思えると,うそをつくことや事実を曲げて話すこと,あるいは全くのごまかしをともかく試してみるのです。一つには,両親が切迫した状況に対して冷静に反応するとは限らないからです。ですからあなたの帰宅が予定よりも2時間遅れたなら,ただ時間を忘れていたという事実を両親に告げて気まずい思いをするよりも,高速道路で大事故があったと言うほうがいいように思えるかもしれません。
学校でも,正直であることはやはり挑戦となる場合があります。生徒たちは大抵宿題が多すぎると感じています。熾烈な競争があることも少なくありません。幾つかの調査によると,米国では,カンニングをしている,あるいはしたことのある生徒は何と全体の半数余りに上っています。しかし,うそをつくことが面白く思えたり,カンニングをすることが安易な解決策に思えるとしても,不正直な振る舞いは本当に割に合うでしょうか。
うそをつくことが割に合わないのはなぜか
処罰を逃れるためにうそをつくほうがその場では有利に思えるかもしれません。しかし,「うそを吐く者は逃れられない」と聖書は警告しています。(箴言 19:5)うそが露見して,結局は罰せられる可能性が十分あります。そうなると親は,あなたが犯したもとの過ちだけでなく,あなたが親にうそをついたということに対しても怒りを覚えるでしょう。
学校での不正行為についてはどうでしょうか。ある大学の審理機関の一理事は,「学業の面で不正行為を働く学生はだれでも,将来の教育および就職の機会を失いかねない重大な危険を冒すことになる」と述べています。
なるほど,多くの人がうまくやりおおせているように思えるでしょう。不正行為をすれば進級できるかもしれません。しかし長い目で見ればどんな影響があるでしょうか。あなたは,水泳の授業を最後までさぼるのが愚かであることはきっと認めるでしょう。みんなが水の中で楽しそうにしている時に,自分は水に入れないというようなことを望む人がいるでしょうか。もしプールの中に突き落とされたなら,授業をさぼる習慣はでき死につながりかねません。
数学や国語の授業でカンニングをする場合はどうでしょうか。それほど大した結果にはならないかもしれません。確かに最初のうちはそうでしょう。しかし基本的な学力を身につけていなければ,求人市場では“沈む”かもしれません。そうなれば,不正な仕方で手に入れた卒業証書も,救命具としてはほとんど役に立ちません。『偽りの舌によって宝を得るのは,吹き払われる呼気である』と聖書は述べています。(箴言 21:6)うそをつくことによってどんな有利な立場を得ようとも,それは蒸気と同様に短命です。最後までうそとカンニングで通すよりも,身を入れて勉強に励むほうがどれほど優れているか分かりません。『勤勉な者の計画は必ず益をもたらす』と,箴言 21章5節は述べています。
うそをつくこととあなたの良心
ミシェルという少女は,大切な骨董品を弟が壊したと言ってうそをつきましたが,あとで,両親にうそをついたことを告白せずにいられなくなりました。「ほとんどいつも,気持ちの悪い思いをしました。両親はわたしを信じていてくれたのに,わたしは両親の信頼に背いたのです」と,ミシェルは説明しました。このことは,神が人間のうちに良心という機能を備えられたことをよく示しています。(ローマ 2:14,15)ミシェルの良心は,罪悪感にさいなまれたのです。
もちろん人は自分の良心を無視することもできます。しかしうそをつくことが多くなればなるほど,その人は悪に対してますます無感覚になり,『その良心に焼き金によるような印を付けられる』のです。(テモテ第一 4:2)あなたは本当に良心が無感覚になることを望みますか。
うそに関する神の見方
「偽りの舌」は昔も今も『エホバが憎まれる』ものの一つです。(箴言 6:16,17)つまるところ,「偽りの父」は悪魔サタン自身です。(ヨハネ 8:44)さらに聖書は,うそと,いわゆる罪のないうそとの間に区別を設けていません。「偽りが真理から出ることはない」のです。―ヨハネ第一 2:21。
ですから神の友になりたいと思う人はだれでも,正直さをモットーとしなければなりません。詩編 15編は,「エホバよ,だれがあなたの天幕の客となるのでしょうか。だれがあなたの聖なる山に住むのでしょうか」と問いかけています。(詩 15編1節)その答えは,続く四つの節に出ているので考えてみましょう。
「それは,とがなく歩み,義を行ない,その心に真実を語る人です」。(詩 15編2節)万引きや不正を行なう人がこれに当てはまると思えますか。親にうそをつく人,あるいは自分を偽る人のことを言っているのでしょうか。決してそうではありません。ですから神の友になりたいと思えば,行ないだけでなく,心の面でも正直でなければなりません。
「その人は舌で中傷したことがありません。自分の友に何も悪いことをしたことがなく,親しい知り合いに対するそしりを取り上げたこともありません」。(詩 15編3節)あなたは若者たちのあるグループと一緒になり,だれかについて思いやりの欠けたひどいことを言ったことがありますか。そのような話には加わらないだけの強い意志力を培ってください。
「彼の目には卑しむべき者は必ず退けられ,彼はエホバを恐れる者たちを敬います。彼は自分にとって悪いことを誓いましたが,それでも変えません」。(詩 15編4節)うそをついたり,カンニングをしたり,不道徳な行ないを手柄のように自慢したりする若者はだれであろうと友達にしないことです。そうした友達はあなたが同じようにすることを期待するでしょう。ボビーという若者が言うとおりです。「一緒になってうそをつくような友達は,こちらを問題に巻き込みます。そういう友達は信頼できる友達ではありません」。正直という規範を尊ぶ友達を見つけましょう。―詩編 26:4と比較してください。
約束を守る人々をエホバが高く評価される,つまり「尊ばれる」ことに気づきましたか。今度の土曜日に家の仕事を手伝うことを約束したとしましょう。ところが,その日の午後に行なわれる野球の試合に行こうという誘いが掛かります。約束を軽く扱い,友達と一緒に出かけて,雑用は両親にさせますか。それとも,約束を守るでしょうか。
「彼は利息を取って金を分け与えたことも,罪のない者を陥れるわいろを取ったこともありません。このようにしている人は決してよろめかされることがありません」。(詩 15編5節)不正行為や不正直のおもな原因は確かに貪欲にあるのではありませんか。試験でカンニングをする生徒は,十分勉強もしていないのに良い成績を得ようとします。わいろを取る人々は公正よりも金銭を高く評価しているのです。
自分の思い通りにするために正直に関する規則を曲げる政治指導者や財界の指導者のことを指摘する人もいるでしょう。しかし,そうした人たちの成功はどれほど確かなものでしょうか。詩編 37編2節は,「彼らは草のように速やかに枯れ,緑の若草のように衰える」と答えます。人に捕らえられたり,辱められたりすることがなくても,最後には必ずエホバ神の裁きを受けるのです。しかし,神の友となる人々は「決してよろめかされることがありません」。その人たちにはとこしえの将来が保証されています。
「正直な良心」を培う
では,どんな種類のうそもつくべきでない十分の理由があるのではありませんか。使徒パウロは自分自身と仲間の者たちに関して,「わたしたちは正直な良心を抱いていると信じています」と言いました。(ヘブライ 13:18)あなたの良心も同じように,虚偽に対して敏感ですか。もし敏感でなければ,聖書や聖書に基づく文書,例えば「ものみの塔」誌や「目ざめよ!」誌などの研究によって,良心を訓練してください。
ボビーはそのようにして良い結果を得ました。うそをクモの巣のように張りめぐらして問題をおおい隠したりしないようになりました。良心に促されて親に近づき,問題について正直に話し合います。時にはそのために懲らしめを受ける結果にもなりましたが,それでも,正直に話したために『内心,気持ちがいい』と,彼は言います。
真実を語るのは,必ずしも易しいことではありません。それでも真実を告げる決意をする人は,正しい良心,真の友との良い関係,そして何よりも神の天幕の「客」となるという特権を保てるのです。ですから正直であることは,最善の策であるばかりでなく,すべてのクリスチャンにとって正しい策でもあるのです。
討論のための質問
□ うそをつくことがよいように思える,どんな状況がありますか
□ うそをつくことや不正行為をすることが割に合わないのはなぜですか。そのことを個人的な観察や経験から例証できますか
□ うそをつく人は,自分の良心をどのように損ないますか
□ 詩編 15編を読んでください。各節は,正直さという問題にどのように当てはまりますか
□ どうすれば,若い人は正直な良心を培うことができますか
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