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『つぶやかないようにしてゆきなさい』ものみの塔 2006 | 7月15日
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『つぶやかないようにしてゆきなさい』
「すべての事を,つぶやかずに……行なってゆきなさい」。―フィリピ 2:14。
1,2 使徒パウロはフィリピとコリントのクリスチャンにどんな助言を与えましたか。なぜそうしましたか。
使徒パウロは,神の霊感のもとに1世紀のフィリピのクリスチャン会衆にあてて書いた手紙の中で,多くの褒め言葉を述べました。その都市にいた仲間の信者たちの寛大さや熱心さを褒め,その良い業について喜びを言い表わしました。それでもパウロは,『すべての事を,つぶやかずに行なってゆく』べきことを思い起こさせました。(フィリピ 2:14)使徒パウロはなぜそのような訓戒を与えたのでしょうか。
2 パウロは,つぶやくことがどんな結果を招くかを知っていました。それより数年前,コリントの会衆に対しても,つぶやくことの危険性を思い起こさせていました。イスラエル人が荒野にいた時に繰り返しエホバの怒りを引き起こした,ということを指摘したのです。イスラエル人はどんなことをしましたか。害になる事柄を欲し,偶像礼拝や淫行を行ない,エホバを試み,つぶやいたのです。パウロはコリントの人々に,そうした事例から教訓を得るように勧めました。こう書いています。「彼らのうちのある者たちがつぶやいたように,つぶやく者となってはなりません。彼らは滅ぼす者によって滅びる結果になりました」。―コリント第一 10:6-11。
3 今日,つぶやくという問題に関心を払うべきなのはなぜですか。
3 エホバの現代の僕であるわたしたちも,フィリピの会衆と同様の精神を示しています。りっぱな業に熱心であり,わたしたちの間には愛があります。(ヨハネ 13:34,35)しかし,かつて神の民の間につぶやきによる害が生じたのですから,わたしたちも当然,「すべての事を,つぶやかずに……行なってゆきなさい」という助言を心に銘記しておくべきです。まず,聖書中に述べられているつぶやきの事例について考えましょう。そのあとで,今日つぶやくことの害が生じないようにするためにできる事柄を幾つか取り上げます。
よこしまな集会がエホバに対してつぶやく
4 イスラエル人は荒野でどんなことをつぶやきましたか。
4 聖書の中では,『つぶやく,愚痴をこぼす,不平を述べる,あるいは口うるさく文句を言う』という意味のヘブライ語の言葉が,荒野に40年間いた時のイスラエルに生じた幾つかの出来事に関連して用いられています。時々イスラエル人は,自分たちの境遇に不満を抱き,つぶやくことによってその感情を表わしました。例えば,エジプトでの奴隷状態から救い出されて数週間しかたっていないというのに,『イスラエルの子らの全集会はモーセとアロンに対してつぶやくようになり』ました。食物について不平を述べ,こう言ったのです。「エジプトの地で肉のなべのそばに座り,パンを満ち足りるまで食べていたころにエホバの手にかかって死んでいたほうがましであった。あなた方はわたしたちをこんな荒野に連れ出して,この全会衆を飢え死にさせようというのだ」。―出エジプト記 16:1-3。
5 イスラエル人が不平を述べたとき,そのつぶやきは実際にはだれに対するものでしたか。
5 実際のところエホバは,イスラエル人が荒野で必要としていた物を与えて民を養われました。愛をもって食物と水を供給されたのです。イスラエルの民が荒野で飢きんに見舞われて死ぬという恐れは全くありませんでした。しかし民は不満を抱き,自分たちの苦境を大げさに考えて,つぶやくようになりました。民はモーセとアロンに対して不平を述べましたが,エホバの目から見れば,その不満は実のところ神ご自身に対するものでした。モーセはイスラエル人にこう告げました。「エホバは,ご自分に対してあなた方がつぶやいているそのつぶやきをお聞きに(なりました)。それで,わたしたちが何者なのでしょう。あなた方のつぶやきは,わたしたちに対してではなく,エホバに対してなのです」。―出エジプト記 16:4-8。
6,7 民数記 14章1-3節に示されているように,イスラエル人の態度はどのように変わっていましたか。
6 その後まもなく,イスラエル人は再びつぶやきます。モーセが約束の地を偵察させるために12人の斥候を遣わし,そのうちの10人が悪い報告を持ち帰ったとき,どうなったでしょうか。「イスラエルの子らは皆モーセとアロンに対してつぶやき始め,集会のすべての者が彼らに向かってこう言いだした。『わたしたちはエジプトの地で死んでいればよかった。でなければ,この荒野で死んでいればよかったのだ。一体どうしてエホバはわたしたちをこんな土地[カナン]に連れて来て,剣に倒れさせるのか。妻や幼い者たちも強奪されることだろう。わたしたちはエジプトに戻ったほうが良いのではないか』」。―民数記 14:1-3。
7 イスラエルの精神態度はすっかり変わっていました。エジプトから解放され,紅海を通って救出された当初は,そのことに感謝してエホバに向かって賛美を歌いました。(出エジプト記 15:1-21)ところが,荒野で難儀を経験し,カナン人に恐れを感じたとき,神の民は感謝の念を失って不満を抱くようになりました。自分たちが自由にされたことを神に感謝するどころか,良いものを奪われたかのようにみなして神を責めたのです。ですからつぶやきは,エホバから与えられたものに対してふさわしい感謝の念を抱いていなかったことを表わすものでした。神が,「このよこしまな集会は,わたしにしているこのつぶやきをいつまで続けるのか」と言われたのも当然です。―民数記 14:27; 21:5。
1世紀におけるつぶやき
8,9 クリスチャン・ギリシャ語聖書に記録されている,つぶやきの事例を挙げてください。
8 これまでに取り上げたつぶやきの事例は,一群の人々によって不満が声高に表明されたと思われるものです。一方,イエス・キリストが西暦32年の仮小屋の祭りのためエルサレムにいた時,「群衆の間では,イエスに関するひそひそ話が盛んになされて」いました。(ヨハネ 7:12,13,32)人々はイエスについて声をひそめて話し,彼は善良な人だと言う人もいれば,そうではないと言う人もいました。
9 また,イエスと弟子たちが,収税人のレビつまりマタイの家に招かれていた時には,『パリサイ人やその書士たちが彼の弟子たちに向かってつぶやきはじめ,「あなた方が収税人や罪人たちと一緒に食べたり飲んだりするのはどういうわけか」と言いました』。(ルカ 5:27-30)その後しばらくしてから,ガリラヤで「ユダヤ人たちは,彼[イエス]が,『わたしは天から下って来たパンである』と言ったことで,彼に対してつぶやきはじめ」ました。イエスの追随者たちの中にさえ,イエスの言った事柄に感情を害し,つぶやくようになった人がいました。―ヨハネ 6:41,60,61。
10,11 ギリシャ語を話すユダヤ人がつぶやいたのはなぜですか。その苦情が扱われた方法から,クリスチャンの長老たちはどんな有益なことを学べますか。
10 西暦33年のペンテコステの直後に起きたつぶやきは,他の場合より建設的な結果になりました。当時,イスラエル以外の所から来て転向したばかりの多くの弟子たちが,ユダヤにいた仲間の信者たちのもてなしを受けていました。しかし,入手できる物を分かち合うことに関して問題が生じました。記述はこうなっています。「ヘブライ語を話すユダヤ人に対してギリシャ語を話すユダヤ人がつぶやくということが起こった。そのやもめたちが日ごとの分配の面で見過ごされていたからである」。―使徒 6:1。
11 それらつぶやいた人たちは,荒野のイスラエル人のようではありませんでした。ギリシャ語を話すユダヤ人が自分たちの境遇について不満を述べたのは,利己的な理由からではありません。やもめの中に必要を満たされていない人たちがいる,ということに注意を喚起したのです。また,つぶやいた人たちは,もめ事を起こす者として行動したりエホバに反対の声を上げたりしたわけでもありません。使徒たちのところに苦情を持っていったのです。使徒たちは,その苦情がもっともなものであったため,速やかな措置が取られるように手配しました。使徒たちは,今日のクリスチャンの長老たちにとって,実に良い模範となっています。これら霊的な牧者たちも,「立場の低い者の訴えの叫びに耳を閉じる」ことがないように気をつけます。―箴言 21:13。使徒 6:2-6。
つぶやきの腐食作用に気をつける
12,13 (イ)つぶやきの影響を例えで説明してください。(ロ)人はどんなことが原因でつぶやく場合がありますか。
12 これまでに取り上げた聖書中の実例の大半に見られるとおり,つぶやきはかつて神の民の間に多くの害を引き起こしました。ですから,今日でもつぶやきには腐食作用があるということを真剣に考えるのは良いことです。一つの例えで説明しましょう。大抵の金属には,さびが生じるという自然な傾向があります。さびの初期の兆候があるのに何もしないでいると,さびが進み,もはやその金属は使いものにならなくなる場合があります。数知れないほど多くの自動車が廃車にされるのは,機械の故障によるのではなく,金属部分のさびが進んで乗り物として安全ではなくなるからです。この例えは,どのようにつぶやきに当てはまるでしょうか。
13 ある種の金属にさびる傾向があるのと同じように,不完全な人間には不平を言う傾向があります。わたしたちは,こうした傾向を表わすものは何一つ見逃さないようにすべきです。さびる速度が空気中の水分や塩分の影響で速まるのと同様,つぶやく傾向も,人が逆境のもとに置かれると強まります。ストレスにさらされていると,小さないらだちが原因で大きな不満を抱くようになる場合があります。この体制の終わりの日における状態が悪化するにつれ,不平の種となり得る事柄も増えてゆくことでしょう。(テモテ第二 3:1-5)そのため,エホバの僕の間でも,だれかを非難してつぶやくということが起きるかもしれません。原因は,相手の弱点や能力や奉仕の特権に対する不満など,ささいな問題にすぎない場合もあります。
14,15 不平を言う傾向を放置すべきでないのはなぜですか。
14 不愉快に思う理由が何であれ,不平を言う傾向を放置するなら,不満がつのり,いつもつぶやいてばかりいる人になりかねません。そうです,つぶやくことの霊的な腐食作用によって,すっかり腐敗させられることにもなりかねないのです。イスラエル人は,荒野での生活についてつぶやき,エホバを非難するまでになってしまいました。(出エジプト記 16:8)わたしたちにそのようなことは起きませんように。
15 金属のさびる傾向は,さび止めのペンキを塗ったり,腐食した箇所をすぐ補修したりして抑えることができます。同様に不平を言う傾向も,それが自分の内にあることに気づいたらすぐに,祈りつつ注意を払い,とどめることができます。実際にどのようにしたらよいでしょうか。
エホバの観点から物事を見る
16 どうすれば不平を言う傾向を克服できますか。
16 つぶやくなら,自分や自分の問題のことばかり考えてしまい,エホバの証人として享受している祝福が見えなくなります。不平を言う傾向を克服するには,受けている祝福を一番大切な事柄として銘記している必要があります。例えば,わたしたちには各自エホバの固有の名を負うという素晴らしい特権があります。(イザヤ 43:10)神との親しい関係を培うことができ,「祈りを聞かれる方」にいつでも話しかけることができます。(詩編 65:2。ヤコブ 4:8)また,宇宙主権に関する論争を理解しており,神への忠誠を保つという特権を心に留めているので,生活が真に意義のあるものとなっています。(箴言 27:11)王国の良いたよりを宣べ伝える活動に定期的に参加することもできます。(マタイ 24:14)イエス・キリストの贖いの犠牲に対する信仰により,清い良心を抱くことができます。(ヨハネ 3:16)わたしたちはそうした祝福を,忍耐の必要などんな状況下にあっても,享受しているのです。
17 不平を述べる正当な理由があるとしても,物事をエホバの観点から見るようにすべきなのはなぜですか。
17 ですから,物事を単に自分の観点からではなく,エホバの観点から見るようにしましょう。詩編作者ダビデは,「エホバよ,あなたの道をわたしに知らせてください。あなたの道筋をわたしに教えてください」と歌いました。(詩編 25:4)不平を述べる正当な理由があるとすれば,それがエホバの目に留まらないはずはありません。エホバはすぐに事態を正すこともおできになります。では,なぜ逆境をそのままにされることもあるのでしょうか。それは,わたしたちが辛抱強さ,忍耐,信仰といった優れた特質を身に着けられるようにするためかもしれません。―ヤコブ 1:2-4。
18,19 不都合な事態に面しても不平を言わずに辛抱すれば,どんな結果になる場合がありますか。例を挙げて説明してください。
18 不都合な事態に面しても不平を言わずに辛抱するなら,自分の人格が向上するだけでなく,わたしたちの行状を観察する人たちに良い印象を与えることにもなります。2003年のことですが,ドイツのエホバの証人の一グループが,ハンガリーで開かれる大会に出席するためにバスで旅行しました。運転手はエホバの証人ではなく,証人たちと10日のあいだ一緒に過ごすことにためらいを感じていました。ところが,その旅行の終わりごろには,見方がすっかり変わっていました。なぜでしょうか。
19 旅行中,物事が順調に進まないことが何度かあったのに,証人たちは不平を言わなかったのです。その運転手は,これまでに乗せた団体客の中で証人たちが一番良い人たちだった,と言いました。それどころか,今度エホバの証人が訪ねて来たら,家に招き入れて注意深く話を聴く,と約束しました。乗客であった証人たちは,『すべての事を,つぶやかずに行なう』ことによって,なんと良い印象を与えたのでしょう。
許し合えば一致が促進される
20 互いに許し合うべきなのはなぜですか。
20 では,信仰の仲間のだれかに対して何か言いたいことがあるなら,どうでしょうか。もしそれが重大な問題なら,マタイ 18章15-17節の,イエスの言葉に含まれている原則を適用すべきです。しかし,不満の種はたいてい小さなものなので,必ずしもそうする必要はないでしょう。その状況を,許すことを実践する機会とみなしてはどうでしょうか。パウロはこう書いています。「だれかに対して不満の理由がある場合でも,引き続き互いに忍び,互いに惜しみなく許し合いなさい。エホバが惜しみなく許してくださったように,あなた方もそのようにしなさい。しかし,これらすべてに加えて,愛を身に着けなさい。それは結合の完全なきずななのです」。(コロサイ 3:13,14)わたしたちは心の内に,相手を許す余地を見いだせるでしょうか。エホバはわたしたちについて不満の理由を持っておられるのではないでしょうか。それでも,何度も同情を示し,許してくださっています。
21 つぶやきを聞く人たちはどんな影響を受けると考えられますか。
21 どんな不満があるとしても,つぶやくことによって問題が解決するわけではありません。ヘブライ語の,「つぶやく」という意味の語は,「口うるさく文句を言う」という意味もあります。あなたは,絶えずつぶやく人のそばにいると不愉快な気持ちになり,その人からは離れていようとすることでしょう。もしあなたがつぶやく,あるいは口うるさく文句を言うなら,それを聞く人たちもやはり同じような気持ちになるかもしれません。そうです,不愉快に感じ,あなたからは離れていたいと思うほどになるかもしれないのです。文句を言えばだれかの注意を引くことにはなるかもしれませんが,だれの心も引き寄せることはないでしょう。
22 一人の女性はエホバの証人について何と述べましたか。
22 許す態度は,一致を促進します。エホバの民はその一致を大切にしています。(詩編 133:1-3)ヨーロッパのある国に住む17歳のカトリック教徒の女性は,エホバの証人の支部事務所に手紙を寄せて,証人たちに対する賛辞を述べ,「この組織は,わたしが知っている中で,成員たちが憎しみや貪欲,不寛容,利己心,不一致などで分裂していない唯一の組織です」と言いました。
23 次の記事ではどんな点を取り上げますか。
23 わたしたちがまことの神エホバの崇拝者として受けている霊的な祝福すべてを感謝しているなら,一致は促進されます。また,他の人を個人的な問題で非難してつぶやくということはないでしょう。次の記事では,より一層危険なつぶやき ― つまり,エホバの組織の地上の部分に対するつぶやき ― を避けるために,敬虔な特質がどのように助けになるか,という点が示されます。
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エホバの組織の良いものに目を留めるものみの塔 2006 | 7月15日
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エホバの組織の良いものに目を留める
『わたしたちは,あなたの家の良いものに必ず満ち足りるのです』。―詩編 65:4。
1,2 (イ)神殿に関連した取り決めは,神の民にどんな影響を及ぼすと考えられましたか。(ロ)ダビデは神殿の建設に備えてどんなことをしましたか。
古代イスラエルのダビデは,ヘブライ語聖書の登場人物の中でも特に際立った人の一人です。羊飼いであり,楽士,預言者,また王でもあったこの人は,エホバ神に全幅の信頼を置きました。ダビデは,エホバに対する深い個人的な愛着から,神のための家を建造することを願うようになりました。そのような家つまり神殿が,イスラエルにおける真の崇拝の中心地となるのです。ダビデは,その神殿に関連した取り決めが神の民に喜びと祝福をもたらすことを知っていました。それで,こう歌いました。「あなた[エホバ]に選ばれ,近づくことを許され,その中庭に住むようになる者は幸いです。わたしたちは,あなたの家,あなたの神殿の聖なる場所,その良いものに必ず満ち足りるのです」。―詩編 65:4。
2 ダビデは,エホバの家の建設を監督することは許されませんでした。その特権は,息子ソロモンのために取って置かれたのです。しかし,自分の切に願っていた特権がほかの人に与えられても,つぶやいたりしませんでした。ダビデにとって一番重要だったのは,神殿が建設されることでした。それで,エホバから授けられていた建築計画をソロモンに譲り渡すことにより,その大事業を心から支援しました。さらに,何万人ものレビ人を幾つかの奉仕の組に分け,また神殿建設のために大量の金銀を寄進しました。―歴代第一 17:1,4,11,12; 23:3-6; 28:11,12; 29:1-5。
3 神の僕たちは,真の崇拝のための取り決めに対して,どんな態度を取りますか。
3 忠実なイスラエル人は,神の家における真の崇拝のために設けられた取り決めを支持しました。現代のエホバの僕であるわたしたちも,エホバの組織の地上部分における,崇拝のための取り決めを支持します。そのようにして,ダビデと同じ思いでいることを実証します。不平の精神を抱くどころか,エホバの組織から受けている良いものに目を留めるのです。あなたは,わたしたちが本当に感謝できる多くの良い事柄について思い巡らしたことがありますか。その幾つかについて考えてみましょう。
指導の任に当たっている人たちに関して感謝する
4,5 (イ)「忠実で思慮深い奴隷」は任務をどのように果たしていますか。(ロ)エホバの証人の中には,自分たちの受けている霊的食物についてどのように感じている人たちがいますか。
4 わたしたちには,イエス・キリストがご自分の地上の持ち物をつかさどらせるために任命した「忠実で思慮深い奴隷」に関して感謝すべき,もっともな理由があります。聖霊によって油そそがれたクリスチャンたちから成る奴隷級は,良いたよりを宣べ伝える業の指導の任に当たり,崇拝のための集会を取り決め,聖書に基づく文書を400以上の言語で出版しています。全地の幾百万という人々が,感謝の気持ちを抱きながら,この『時に応じた[霊的]食物』にあずかっています。(マタイ 24:45-47)確かに,それについてつぶやく理由は全くありません。
5 エホバの証人でエルフィという名の年配の女性は,長年,奴隷級の出版物に載せられる聖書の助言を心に留めることにより,慰められ支えられてきました。それで,深く感謝して,「エホバの組織がなかったら私はやってゆけません」と書いています。ペーターとイルムガルトも,長年,神の僕として歩んできました。イルムガルトは,「エホバの,愛と気遣いにあふれる組織」が供給しているものすべてに対する感謝を述べています。それらの出版物の中には,視力や聴力に障害のある人など,特別な必要を抱えた人々のためのものも含まれています。
6,7 (イ)全世界の諸会衆の活動はどのように監督されていますか。(ロ)エホバの組織の地上の部分について,どのように感じている人がいますか。
6 その『忠実な奴隷』を代表しているのが,エホバの証人の統治体です。その一団は,ニューヨークのブルックリンにある世界本部で奉仕している,聖霊によって油そそがれた少人数の男子によって構成されています。その統治体が,経験あるエホバの僕たちを各地にある支部事務所での奉仕のために任命し,世界じゅうの支部を通して9万8,000余りの会衆の活動が監督されています。それらの会衆では,聖書的な要求にかなっている男子が長老や奉仕の僕として任命されています。(テモテ第一 3:1-9,12,13)長老たちは指導の任に当たり,ゆだねられている神の羊の群れを愛情こめて牧します。そうした群れの一員であること,また「仲間の兄弟全体」に見られる愛と一致を経験できることは,実に大きな祝福です。―ペテロ第一 2:17; 5:2,3。
7 個々の成員は,不平を訴えるどころか,長老たちから受けている,愛ある霊的な指導についてしばしば感謝の気持ちを表わします。一例として,30代の主婦であるクリスチャンのビルギトのことを考えてみましょう。この人は十代のころ,良くない友達と付き合って,悪行に巻き込まれそうになったことがありました。しかし,長老たちから聖書に基づいてはっきり助言され,信仰の仲間に支えてもらえたおかげで,害を被りかねない危険な状況から抜け出すことができました。ビルギトは今どう感じているでしょうか。「自分が今もエホバの素晴らしい組織に属していることを深く感謝している」と言っています。アンドレアスという17歳の男子は,「これは本当にエホバの組織,世界で一番良い組織です」と述べています。わたしたちもエホバの組織の地上の部分から受けている良いものに感謝しているべきではないでしょうか。
指導の任に当たっている人たちも不完全
8,9 ダビデの時代のある人々はどのように行動しましたか。ダビデはそのような行為にどう反応しましたか。
8 もちろん,真の崇拝において指導の任に当たっている人たちも不完全です。それらの人はみな間違いを犯しますし,中には克服しようとしてもすぐには克服できない弱点を持っている人もいます。わたしたちはそのことで心を乱す必要があるでしょうか。いいえ,ありません。古代イスラエルで多くの責任をゆだねられていた人でさえ,重大な過ちを犯しました。例えば,ダビデがまだ若かったころ,苦悩するサウル王は,自分の気持ちを静めるためにダビデを楽士として呼び寄せましたが,後にダビデを殺そうとするようになり,ついにダビデは命からがら逃げなければなりませんでした。―サムエル第一 16:14-23; 18:10-12; 19:18; 20:32,33; 22:1-5。
9 他のイスラエル人の中にも,不実な行動をする人たちがいました。例えば,ダビデの軍司令官であったヨアブは,サウルの親族のアブネルを殺害しました。アブサロムは,王権を求めて父親のダビデに対して陰謀を企てました。また,ダビデの信頼する助言者だったアヒトフェルは,ダビデを裏切りました。(サムエル第二 3:22-30; 15:1-17,31; 16:15,21)それでもダビデは,苦々しく不平を言ったりはせず,真の崇拝に背を向けることもありませんでした。実際には,その正反対でした。ダビデは逆境のもとに置かれた結果,エホバに固く付くようになり,サウルのゆえに逃げ去った時に持っていた立派な態度を保ちました。その時ダビデはこう歌ったのです。「わたしに恵みを示してください。神よ,わたしに恵みを示してください。わたしの魂はあなたのもとに避難したからです。わたしは逆境が過ぎ去るまで,あなたの翼の陰に避難します」。―詩編 57:1。
10,11 ゲルトルートという名のクリスチャンは,若かったころ,どんなことを経験しましたか。そして後に,信仰の仲間の落ち度について何と言いましたか。
10 今日,神の組織内で不実な行ないを目にしたとしても,不平を言う理由は全くありません。エホバも,み使いたちも,霊的な牧者たちも,クリスチャン会衆内に不実で邪悪な者がとどまることを容認しません。とはいえ,わたしたちはだれしも ― 自分自身の,また神の他の僕たちの ― 人間的な不完全さに遭遇します。
11 長年にわたるエホバの崇拝者であったゲルトルートという女性は若いころ,全時間の王国宣明者ではなく詐欺師だ,と偽って非難されました。どのように反応したでしょうか。そのような扱いについてつぶやいたでしょうか。いいえ。2003年に91歳で亡くなる少し前,自分の生涯を振り返って,「そうした事柄やその後の経験を通して教えられたことは,個々の人がいくら間違いを犯しても,エホバはご自分の偉大な業を導いておられ,その一部にわたしたち不完全な人間を用いておられるということです」と説明しました。ゲルトルートは,神の他の僕たちの不完全さに遭遇した時,心からの祈りをささげてエホバに頼りました。
12 (イ)1世紀の一部のクリスチャンはどんな良くない例となっていますか。(ロ)わたしたちはいつも何について考えるべきですか。
12 どんなに忠節で献身的なクリスチャンでも不完全なのですから,任命された僕が間違いを犯しても,引き続き「すべての事を,つぶやかずに」行なってゆきましょう。(フィリピ 2:14)もし1世紀のクリスチャン会衆にいた少数の人の良くない例に倣うとしたら,それは全く残念なことです。イエスの弟子ユダによれば,当時の偽教師たちは『主たる者の地位を無視し,栄光ある者たちをあしざまに言って』いました。また,それら悪行者たちは「つぶやく者,自分の境遇について不平を言う者」でもありました。(ユダ 8,16)わたしたちは,つぶやいて不平を言う者たちの歩みを退け,『忠実な奴隷』を通して来る良いものについていつも考えたいものです。エホバの組織から受けている良いものに感謝して,『すべての事を,つぶやかずに行なってゆき』ましょう。
「この話はひどい」
13 一部の弟子たちはイエス・キリストの教えた特定の事柄にどう反応しましたか。
13 1世紀には,任命された僕たちに向かってつぶやく人がいた一方,イエスの教えに対してつぶやく人もいました。ヨハネ 6章48-69節に記されているように,イエスは,『わたしの肉を食し,わたしの血を飲む者は永遠の命を持ちます』と述べました。その言葉を聞いて,『彼の弟子のうち大勢の者が,「この話はひどい。だれがこれを聴いていられようか」と言い』ました。イエスも気づいていたことですが,『弟子たちはそのことでつぶやいて』いました。さらには,『このために,弟子のうち多くの者が後ろのものに戻って行き,もはや彼と共に歩もうとはしませんでした』。しかし,すべての弟子がつぶやいたわけではありません。イエスが12使徒に,「あなた方も去って行きたいと思っているわけではないでしょう」と問いかけた時のことに注目してください。使徒ペテロがこう答えました。「主よ,わたしたちはだれのところに行けばよいというのでしょう。あなたこそ永遠の命のことばを持っておられます。そしてわたしたちは,あなたが神の聖なる方であることを信じ,また知るようになったのです」。
14,15 (イ)少数ながら,クリスチャンの教えの何らかの面に不満を抱くようになる人がいるのはなぜですか。(ロ)エマヌエルという人の例からどんなことを学べますか。
14 現代でも,神の民のうちのごく少数の人が,クリスチャンの教えの何らかの面に不満を抱き,エホバの組織の地上の部分に対してつぶやきました。なぜそのようなことが起きるのでしょうか。そうしたつぶやきは,神の物事の行ない方を理解していないために生じる場合が少なくありません。創造者はご自分の民に真理を漸進的に明らかにされます。そのため,聖書についてのわたしたちの理解は,時とともに一層正確なものにされることが必要です。エホバの民の大多数は,そのような精錬を歓びます。しかし少数ながら,「義に過ぎる者」となって変更に憤慨する人もいます。(伝道の書 7:16)プライドが高いためかもしれず,独立的な考え方というわなにはまってしまうからかもしれません。原因が何であれ,そのようなつぶやきは危険です。それがきっかけとなって世と世の道に戻ってしまうことにもなりかねないからです。
15 例えば,エマヌエルという男性はエホバの証人でしたが,「忠実で思慮深い奴隷」の出版物を読んで,幾つかの点を批判的に見るようになりました。(マタイ 24:45)その後,クリスチャンの文書を読まなくなり,とうとう地元の会衆の長老たちに,自分はもはやエホバの証人でいたいとは思わない,と告げました。しかし,やがてエマヌエルは,エホバの組織の教えがやはり正しいということを悟りました。そして,証人たちと連絡を取り,自分の間違いを認め,エホバの証人として復帰しました。こうして再び幸福な人となりました。
16 クリスチャンの特定の教えに懐疑的になった場合,疑念をぬぐい去るのに何が助けになりますか。
16 では,エホバの民の特定の教えに対して懐疑的になり,つぶやきたくなったら,どうすべきでしょうか。そうなったとしても,性急な行動は慎みましょう。やがては『忠実な奴隷』が,疑問に答え,わたしたちの疑念を晴らす情報を公にするかもしれません。クリスチャンの長老たちに助けを求めるのは賢明なことです。(ユダ 22,23)祈りや個人研究,霊的に熱心な信仰の仲間との交わりも,疑念を解く助けになり,エホバの意思伝達経路を通して学んできた,信仰を強める聖書の真理に対する感謝の念を深めるのに役立ちます。
積極的な精神を保つ
17,18 つぶやくよりもむしろ,どんな態度を取るべきですか。なぜそうすべきですか。
17 確かに,不完全な人間には生来,罪をおかす傾向があり,正当とは言えない不平をすぐ口にしてしまう人もいます。(創世記 8:21。ローマ 5:12)しかし,つぶやくことが習慣になってしまうなら,エホバ神との良い関係が損なわれる危険があります。ですから,つぶやく傾向は,気づいたらすぐに抑制する必要があります。
18 わたしたちにとって,会衆内の事柄についてつぶやくよりもむしろ,積極的な態度を保つのはよいことです。また,いつも活発で喜びにあふれ,敬虔さや平衡を保ち,信仰において健全でいられるような日課に従うのもよいでしょう。(コリント第一 15:58。テトス 2:1-5)エホバはご自分の組織内のすべての事柄を統御しておられ,イエスも1世紀におけると同様,各会衆に見られる物事の成り行きをご存じです。(啓示 1:10,11)神と,会衆の頭であるキリストを,辛抱強く待ってください。再調整の必要な問題があるとしたら,それは責任ある牧者たちを通して正されることでしょう。―詩編 43:5。コロサイ 1:18。テトス 1:5。
19 王国が人間の物事を全面的に統御する時までの間,わたしたちは何に目を留めるべきですか。
19 間もなくこの邪悪な体制は終わり,メシアによる王国が人間の物事を全面的に統御することになります。その時までわたしたち各人が積極的な精神を保つことは,本当に重要です。そのような精神を抱いていれば,信仰の仲間の短所に目を留めるのではなく,長所を認めやすくなります。仲間の人格上の良い面に目を留めるなら,幸福になります。わたしたちは,つぶやくことによって感情的に消耗するよりもむしろ,そのようにして励みを得,霊的に築き上げられます。
20 積極的な態度を抱くことによって,どんな祝福を享受できますか。
20 わたしたちはまた,積極的な精神を抱くことによって,エホバの組織の地上の部分と交わっているゆえに享受している多くの祝福をいつも銘記していることができます。わたしたちが属しているのは,世界にただ一つの,宇宙主権者に忠節な組織です。この事実,および唯一まことの神エホバを崇拝できるこの特権を,あなたはどう思いますか。ダビデはこう歌いました。「祈りを聞かれる方よ,あなたのもとに,すべての肉なる者は来るのです。あなたに選ばれ,近づくことを許され,その中庭に住むようになる者は幸いです。わたしたちは,あなたの家……の良いものに必ず満ち足りるのです」。あなたの態度も,ダビデと同じようでありますように。―詩編 65:2,4。
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