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ミャンマー(ビルマ)2013 エホバの証人の年鑑
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喜ばしい再会
戦争が終わると,インドに逃げていた兄弟姉妹の多くはビルマに戻り始めます。1946年4月には,ヤンゴン会衆に8人の活発な奉仕者がいました。その年の終わりには24人に増え,兄弟たちは大会を開くことにしました。
二日間の大会は,インセインの学校で開かれました。ヤンゴンで1932年に真理を学んだテオ・シリオプロスは,こう回想します。「インドから戻ると,私が1時間の公開講演を行なう予定であることを知りました。それまでインドの集会で5分の話を2回しただけでした。ともかく大会は大成功で,100人以上が出席しました」。
数週間後,真理に関心を持つカレン族の首長が,アーロン地区の土地を会衆に提供してくれました。それはヤンゴンの中心部に近い川沿いの地区です。兄弟たちはその土地に竹で王国会館を建て,約100人分の座席も作りました。会衆は喜びにあふれていました。戦争を生き延びた兄弟姉妹は信仰を堅く保っており,意欲的に宣べ伝える業を推し進める心積もりでいました。
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ミャンマー(ビルマ)2013 エホバの証人の年鑑
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それから間もなく,ヤンゴン会衆はアーロン地区にある竹でできた会館から,ボガレイ・ゼイ通りのアパートの2階に移りました。そこから徒歩で数分の場所に,イギリスの植民地政府の庁舎である堂々たる建物がありました。そのころ,植民地政府の統治は終わりを迎えようとしていたのです。
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