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ミャンマー(ビルマ)2013 エホバの証人の年鑑
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そして1950年,ロバート・カークはバ・オーに,「ものみの塔」の研究記事をビルマ語に翻訳するよう依頼しました。手書きの翻訳原稿をもとに,ヤンゴンの印刷業者が植字と印刷を行ない,印刷された記事が会衆の集会に出席する人たちに配られました。後に支部はビルマ語のタイプライターを購入し,翻訳作業の効率が上がりました。
バ・オー(左)は「ものみの塔」の研究記事をビルマ語に翻訳した
初期の翻訳者たちは多くの苦労を経験しました。バ・オーが翻訳を続けられなくなり,ネイガ・ポ・ハンが作業を引き継ぎました。兄弟はこう回想します。「日中は家族を養うために働き,夜は遅くまで薄暗い電球の明かりを頼りに記事を訳しました。英語の知識が限られていたので,訳には正確でないところも多かったと思います。ともあれ,できるだけ多くの人がこの雑誌から益を得て欲しいという一心でした」。ロバート・カークがドリス・ラジに,「ものみの塔」誌をビルマ語に翻訳するよう依頼した時,姉妹は圧倒され泣き出しました。ドリスはこう言います。「私は基礎的な教育を受けただけで,翻訳の経験はありませんでした。それでもカーク兄弟は,まずやってみるよう励ましてくださいました。それでエホバに祈り,仕事に取りかかりました」。50年近くたった今も,ドリスはヤンゴンのベテルで翻訳者として奉仕しています。93歳になったネイガ・ポ・ハンもベテルにおり,王国の業を推し進めようという熱意にあふれています。
1956年,ネイサン・ノアは「ものみの塔」誌がビルマ語で刊行されることを発表した
1956年,世界本部のネイサン・ノアはビルマを訪問し,「ものみの塔」誌がビルマ語で刊行されることを発表しました。
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