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    2002 エホバの証人の年鑑
    • 1939年3月,ハンガリーはナチス・ドイツの支援を受けてトランスカルパティアを占領しました。エホバの証人の活動に禁令が課され,王国会館はすべて閉鎖されました。当局は兄弟たちを残酷に扱い,その多くを刑務所に送りました。ウクライナのベリキー・ビチキフやコビレツカ・ポリャーナなどの村では,証人たちの大半が投獄されました。

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    2002 エホバの証人の年鑑
    • それから少したって,今度はナチスの軍隊がウクライナを侵略しました。ドイツの占領下で,僧職者たちは民衆をあおるようになり,エホバの民に敵対させました。ハリチナでは迫害の嵐が吹き荒れました。エホバの証人の家々の窓ガラスはたたき割られ,大勢の兄弟たちが激しく殴打されました。冬になると,十字を切らなかった兄弟たちの中には,冷たい水の中に何時間も立たされた人もいました。棒で50回打ちたたかれた姉妹たちもいます。忠誠を保って命を失った兄弟たちもいました。例えば,ゲシュタポはカルパティア山脈で全時間奉仕を行なっていたイリヤ・ホブチャクを処刑しました。ホブチャク兄弟が熱心に神の王国について宣べ伝えていたため,カトリックの司祭が兄弟をゲシュタポに引き渡したのです。それは厳しい試練の時でした。それでも,エホバの僕たちは堅く立ち続けました。

      エホバの証人は,しばしば危険が伴っても,互いに助け合いました。スタニスラフ市(現在のイワノ・フランコフスク)では,ユダヤ系の女性とその二人の娘がエホバの証人になりました。3人はユダヤ人街に住んでいました。兄弟たちは,ナチスが市内のユダヤ人の抹殺を企てていることを知り,3人の姉妹たちを逃れさせるよう計画しました。証人たちは自らの命を危険にさらしながら,戦争の期間中ずっとこのユダヤ人の姉妹たちをかくまいました。

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