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    2003 エホバの証人の年鑑
    • マタガルパについて言えば,2002奉仕年度には,二つの活発な会衆に合計153名の奉仕者がいます。

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    2003 エホバの証人の年鑑
    • この3人は,国内各地で九つの異なる会衆を設立するか強めるかしました。

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    2003 エホバの証人の年鑑
    • ロス・アティリョスの新しい伝道者の多くは,それまでタバコ栽培を主な収入源としていましたが,今は聖書によって訓練された良心がその仕事をすることを許しません。それで,伝道者の大半は収入が減るにもかかわらず,漁業に頼ったのです。そうした信仰や,エホバが宣教を豊かに祝福しておられる証拠をたくさん目にして,ソリス家の人たちは何と大きな喜びを味わったのでしょう。実際,その地域の伝道者数はすぐに32名に増え,王国会館が必要になりました。新しい伝道者の一人で,スイカを栽培していたアルフォンソ・アレマンが,親切にも会館のために土地を寄付したいと申し出ました。しかし,ロス・アティリョスの伝道者たちは,どのように建設資金を得るのでしょうか。

      ヒルベルト・ソリスは,寄付された土地に,アレマン兄弟が用意してくれたスイカの種をまく自発奉仕者を組織しました。ヒルベルトは自発奉仕者たちのグループに,「エホバのためのスイカ」を世話するよう励まし,自分も一生懸命働いて手本を示しました。小柄ながら精力的な女性であるマリア・エルサは,伝道者の小さなグループがどのようにスイカの世話をしたかについて,次のように述べています。「わたしたちはまだ暗いうちから起きて,畑に水をやりました。三度,豊作に恵まれました。アレマン兄弟が自家用ボートでニカラグア湖を渡ってスイカをグラナダへ運び,そこで売ってから建設資材を買いました。こうしてロス・アティリョスの王国会館が建ちました。だから兄は,この王国会館をスイカからできた小さな会館と呼んだんです」。始まりはこうしたささやかなものでしたが,オメテペ島には現在三つの活発な会衆があります。

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