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  • 第3部 ―『最良の人々による政治』は本当に最良のものですか
    目ざめよ! 1990 | 9月8日
    • 高潔な理念もゆがむ

      政治面での相違は,よくギリシャの哲学者たちの間で哲学的論議のテーマになりました。プラトンの門弟だったアリストテレスは,貴族政治と寡頭政治を区別しました。純粋な貴族政治を優良な政治形態として類別し,その高潔な理念に従えば,特別な才能を持つ,節操の堅い人たちは他の人々の益を図る公務に専念できると唱えたのです。しかし,圧制的で利己的なエリートが指導権を握ると,純粋の貴族政治は堕落して不公正な寡頭政治になりました。アリストテレスはこれをゆがんだ政治形態とみなしました。

  • 第3部 ―『最良の人々による政治』は本当に最良のものですか
    目ざめよ! 1990 | 9月8日
    • 「コリアの百科事典」はこう述べています。「極端に保守的なベネチア共和国は,最終的にナポレオンによって倒されたが,古代における寡頭政治の実例となっている。しかし,神聖ローマ帝国の自由市やハンザ同盟の諸都市,および英国とヨーロッパ西部の公認の町も一様に,比較的小規模でありながら自負心が強く高い教養を備えた貴族社会[貴族政治]による厳重な寡頭制的支配に向かう一般的な傾向を示している」。

  • 第3部 ―『最良の人々による政治』は本当に最良のものですか
    目ざめよ! 1990 | 9月8日
    • しかし,その時から2,000年余り後のヨーロッパでは,支配者として最良の資格を備えた人々であるエリートを選ぶ際に,「才能と優れた道徳心」はほとんど考慮されませんでした。ハーバード大学のカール・J・フリードリッヒ教授は,「18世紀の貴族主義国だった英国のエリートは,もっぱら血統や富に基づいて選ばれたエリートであり,ベネチアでもこれとよく似た状況が見られた」と述べ,「18世紀のプロシアのような一部の国では,血統や軍事力に基づいてエリートが選ばれた」と付け加えています。

      『優秀な人々』の良い特質は子孫に受け継がれるという考えがあったために,昔の君主たちは姻戚関係を結ぶのが習わしになっていました。中世の時代には,生物学上の優越性がもてはやされました。平民との結婚は,一家の尊厳を損ない,神の律法を破ることに等しかったのです。君主たちは高貴な生まれの人々としか結婚できないことになっていました。このような生物学上の優越性を重視する考えは,その後もっと道理にかなった論議に道を譲りました。つまり,優越性の根拠は,恵まれた機会・教育・才能・業績にあるという考えです。

  • 第3部 ―『最良の人々による政治』は本当に最良のものですか
    目ざめよ! 1990 | 9月8日
    • 貴族政治には不足のあることが分かる

      貴族政治が不完全なものであることは容易に例証できます。初期のローマでは,元老院の議員になる資格があったのは,貴族<パトリキ>として知られる,高貴な生まれの人々だけでした。下層民として知られる平民にはその資格がありませんでした。ところが,元老院の議員たちは,孔子が支配者たちに求めた「才能と優れた道徳心」を備えた者とはとても言えず,腐敗と圧制の度を増してゆきました。その結果は内乱です。

      度重なる改革にもかかわらず,元老院による寡頭政治は根強く存続し,ついにはユリウス・カエサルが独裁支配を確立しましたが,彼は数年後の西暦前44年に暗殺されました。その死後,貴族政治は復興しましたが,西暦前29年には再び他の政治形態に取って代わられました。「コリアの百科事典」はこう説明しています。「ローマの権力,富,領土が増大するにしたがって,貴族政治は腐敗した寡頭政治と化し,公共の福祉に対する関心が薄れたことは一般市民の敬意の欠如となって表われた。そのような腐敗がもとで,絶対君主制が導入されることになったのである」。

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