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  • パプアニューギニア
    2011 エホバの証人の年鑑
    • 同じころ,ドン・フィールダーはポートモレスビーのコキ・マーケットで伝道していて,真理に関心を持つ数人の漁師に会いました。その人たちは約100㌔東の海岸の村フラから来ていました。それらの漁師やその家族をさらに援助するために,ドンとアソル(ダップ)・ロブソン,それにフラ出身の関心を持つ幾人かの人が,ドンの所有する新しい8㍍の双胴型カヌーに乗ってフラに向かいます。彼らはフラに3日間滞在し,少人数の研究生から成る群れを設けました。

      その後まもなく,ドン・フィールダーは特別開拓者としてフラに移動します。妻のシャーリーと2歳の娘デビーが一緒でした。ドンはこう言います。「わたしたちは小屋を建て,その地方の五つの村で伝道を始めました。毎日12㌔ほど歩いて村々を回りました。体はとても疲れましたが,霊的にはさわやかにされました。多くの聖書研究が始まり,程なくして8人の新しい伝道者と一緒に奉仕するようになったのです」。

      ドンとシャーリーの活動は,地元の合同教会の牧師の怒りを買いました。ドンの地主は,その牧師から圧力をかけられ,敷地から小屋を移動するよう言い渡します。ドンはこう語ります。「近くの村の人たちはこのことを聞いて,とても腹を立てました。わたしたちがそこを去るのを望まなかったからです。20人ほどの人が小屋を自分たちの村の新しい土地に土台ごと移すのを手伝ってくれました」。

      憤っていたその僧職者は,それでもまだあきらめませんでした。ポートモレスビーの当局に働きかけて,フィールダー夫妻がその地方のどこにも小屋を設置できないようにしたのです。ドンはこう続けます。「割り当てられた区域を離れる代わりに,腕利きの大工のアルフ・グリーンに頼んで,小屋の木材を使って,わたしの持つ双胴型カヌーに小さな部屋を造ってもらったのです。そのカヌーを付近の川の河口近くにあるマングローブの沼地に停泊させました。辺りにワニが潜み,蚊の大群もいましたが,それから2年半,そこで暮らして開拓奉仕をしました」。次女のビッキーが生まれてから,フィールダー夫妻はポートモレスビーに戻ります。後に二人は旅行する奉仕に携わり,ドンは支部委員会で奉仕しました。

  • パプアニューギニア
    2011 エホバの証人の年鑑
    • [93ページの図版]

      左: フィールダー家のシャーリー,デビー,ドン。右: ドンのカヌー

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