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    2011 エホバの証人の年鑑
    • ラバウルからやって来た8人の開拓者は,マダン地区のあちこちで奉仕します。その一人タムル・マルングは自転車を手に入れ,船でマダンから約50㌔北にある故郷の村バスケンに行きます。そしてバスケンで伝道した後,道中で証言しながら自転車に乗ってマダンに戻りました。後に再びバスケンを訪れ,会衆を設立し,続く25年間開拓奉仕をしました。

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    2011 エホバの証人の年鑑
    • しかし,その人たちはめげることなく,隣の村バギルディグに移りました。やがてその村に活発な会衆ができます。会衆の人たちは後に大きな王国会館を建て,それは大会でも使われました。現在マダン地区には七つの会衆と二つの群れがあります。

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    2011 エホバの証人の年鑑
    • ラエから内陸に入った土地でも,たくましい奉仕者たちが立派に働いていました。ワウで,大柄な丸顔の男性ジャック・アリフィーが,熱意にあふれてエホバに奉仕し,郷里に活発な会衆を設立しました。

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    2011 エホバの証人の年鑑
    • ラエの南東に位置する小さな町ポポンデッタに良いたよりを伝えたのは,ジェローム・ホトタと妻のラビニアです。二人はポートモレスビーから自分たちの郷里の州に戻りました。ジェロームは意欲にあふれ,聖書を説得力のある仕方で用いました。一方ラビニアは,他の人に心から関心を払う優しい人でした。二人が証言を始めると,案の定,英国国教会の牧師と大勢の信徒が家に詰めかけ,活動をやめるよう求めてきました。それでもホトタ夫妻は怖じ気づいたりせずに伝道を続け,小さいながら熱心な会衆を設立しました。

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