ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 神は人間が楽園の生活を楽しむことを意図しておられる
    ものみの塔 1989 | 8月1日
    • 神は人間が楽園の生活を楽しむことを意図しておられる

      「それからエホバ神は人を取ってエデンの園に住ませ,それを耕させ,またその世話をさせた」― 創世記 2:15。

      1 従順な人間に関する,創造者の当初の目的は何でしたか。

      従順な人間が日々若々しい活力にあふれ,一時も退屈せず,果たすべき価値ある目的を常に持ち,老化することの全くない生活を楽しむこと,また,誠実かつ利他的な仕方で完全に愛し愛される生活を楽園の中で楽しむことは,創造者の当初の目的でした。その目的は現在も変わっていません。―創世記 2:8。ルカ 23:42,43と比較してください。

      2 (イ)最初の人間が意識を持つようになった時,どんなことが生じたに違いありませんか。(ロ)最初の人間は,いつどこで,また一年のどの時期に創造されましたか。

      2 その点を理解するために,創造されたばかりのアダムが初めて意識を与えられ,自分の体と,周囲にある自分が見聞きできるもの,感じるものを調べ,自分が生きていることを知って驚いた時のことを振り返ってみましょう。聖書中に示されている時間の数え方によると,それは今から6,000年ほど前の西暦前4026年に生じました。場所は,今日トルコとして知られている地域,つまり現在はアジアと呼ばれている所の南西部,ユーフラテス川とチグリス川に近いどこかです。ですからそれは,この地球の北半球にあったことになります。時は10月1日ごろでしょう。人間が用いた古代の暦のほとんどは,その日から一年を数え始めたからです。

      3 (イ)最初の人間は生きるようになった時,どんな状態にありましたか。(ロ)最初の人間にはどんな名前が付けられましたか。それにはどんな意味がありましたか。

      3 最初の人間は,十分に成長した者,完全に形造られた者,また完全な健康と道徳心を持った者として生きるようになりました。聖書の記録の中で繰り返しこの人間に関して用いられている名前は,この人間を形造る際の元となった物質にわたしたちの注意を喚起します。彼の名はアーダームでした。a この人間を形造る際の元となった地,つまり土壌はアーダーマーと呼ばれています。ですから,この名に「地の人」という意味があると言われるのはもっともなことでしょう。この名はこの最初の人間アダムの固有の名となりました。アダムは生きた者となり,意識と理知を持った人になった時,大きな感動を覚えたに違いありません。

      4 最初の人間は,自分が生きていることをどのような奇妙な方法で認識したわけではありませんか。それで,その人間は何の子孫ではありませんでしたか。

      4 この最初の人間アダムが生きるようになり,知的な意識が働きはじめ,目を開けた時に,自分が雌猿に似た生き物の強くて長い腕に抱かれ,毛むくじゃらの胸の中でその生き物にしがみ付き,その生き物の目を見上げ,優しい愛情を込めて,その生き物をお母さんと呼んでいたということはありません。最初の人間アダムは,自分が生きていることをそのような奇妙な方法で認識したのではありません。アダムは最初に猿を見た時も,後に猿を見た時でさえも,自分と猿は肉的な関係で結ばれているとは思いませんでした。アダムが創造された日に,アダムが猿やそれに類した生き物の子孫であるとか,遠い親類に当たるとかいうことは何も示唆されませんでした。しかし,最初の人間アダムが存在するようになったいきさつは謎で終わることになっていましたか。そうではありません。

      5 アダムは公園のような園と自分自身について,何をはっきり知っていましたか。

      5 当然のことながら,アダムが見たすべての美しいものが存在するようになったいきさつは,アダムにとって謎だったかもしれません。アダムは自分が公園のような園に,自分が設計したのでも作ったのでも整備したのでもない楽園にいることに気づきました。どうしてこんな楽園ができたのでしょうか。理知を持ち,推論を行なう完全な人間として,アダムはそれを知りたいと思ったでしょう。アダムには以前の経験というものはありませんでした。自分で自分を作ったわけでも,自分で自分の能力を開発したわけでもないことを知っていました。アダムは自分自身の努力でここまで来たのではありませんでした。―詩編 100:3; 139:14と比較してください。

      6 アダムは完全な地上の住まいでの生活に対して,どんな反応を示したと思われますか。

      6 初めのうち,最初の人間アダムは,完全な地上の住まいでの楽しい生活という最初の経験に大いに胸を躍らせていて,自分がなぜ,どこから来たかについては考えなかったかもしれません。喜びの叫びを抑えることはできなかったでしょう。アダムは言葉が自分の口を突いて出ることに気づきました。自分が人間の言葉を話し,自分が見聞きしたすばらしい物事について語るのを聞きました。この楽園で生きるのは,何と良いことなのでしょう。しかし,あらゆる光景,音,香り,触った時の感じなどから得られる情報を楽しみながら豊富に吸収しているうちに,アダムは何かを考えるよう促されたことでしょう。わたしたちがアダムと同じ状況に置かれたなら,何もかもが謎だったことでしょう。それも自分では決して解くことのできない謎です。

      人間の存在に関する謎はない

      7 アダムにとって,自分が生きていて楽園の中にいるということは謎でしたが,その謎が長く続かなかったのはなぜですか。

      7 最初の人間アダムは,自分の生活環境や自分が独りでいること,その楽園には自分に似た者の姿が見えないことについて戸惑いを覚えましたが,それも長くは続きませんでした。だれかが話す声を聞いたのです。人間はそれを理解できました。しかし,話し手はどこにいたのでしょう。話す人の姿は見えませんでした。声は目に見えない領域から発せられ,アダムに呼びかけました。それは人間の造り主,アダムの創造者の声でした。そして人間は,それと同じ種類の言葉で答えることができました。アダムは自分が神と,つまり創造者と話をしていることに気づきました。神の声を聞くのに,現代科学が生みだした無線受信機は不要でした。神はご自分の被造物であるアダムと直接話されました。

      8,9 (イ)アダムはどんな質問の答えを得ることができましたか。アダムに対し,父親としてのどんな気遣いと関心が示されましたか。(ロ)アダムは天の父から,どんな答えを与えられましたか。

      8 この人間は自分が独りではないことを知るようになりました。そのことを知ってアダムは落ち着いたに違いありません。アダムの頭の中は疑問で一杯でした。それらの疑問については,自分に話しかけておられる見えない方に尋ねることができました。自分とこの喜びの園を造ったのはだれなのか,なぜ自分はここに置かれたのか,自分の命をどのように用いるべきなのか,生きることにはどんな目的があるのか,といった疑問です。この最初の人間アダムに対し,父親としての気遣いと関心が示されました。アダムの質問に答えが与えられ,彼の探究心は満たされたからです。人間が話を始め,最初の言葉を発するのを聞いて,アダムの造り主,また命の与え主であられる天の父は大きな喜びを感じたに違いありません。天の父はご自分の子がご自分と話すのを聞いて,何と大きな幸福感を味わわれたのでしょう。最初に尋ねたのは,当然,「自分はどうして存在するようになったのか」という質問だったでしょう。天の父は喜んでその質問に答え,そのようにして,この最初の人間がご自分の子であることを認められました。アダムは「神の子」でした。(ルカ 3:38)エホバはご自身がこの最初の人間アダムの父であることを明らかにされました。アダムが天の父から与えられ,自分の子孫に伝えたその質問の答えの重要な部分は次のとおりです。

      9 「それからエホバ神は地面の塵で人を形造り,その鼻孔に命の息を吹き入れられた。すると人は生きた魂になった。さらに,エホバ神はエデンに,その東のほうに園を設け,ご自分が形造った人をそこに置かれた。そうしてエホバ神は,見て好ましく食物として良いあらゆる木を地面から生えさせ,また園の真ん中に命の木を,そして善悪の知識の木を生えさせた。さて,川がエデンから発していて園を潤し,そこから分かれ出て,いわば四つの頭となった」― 創世記 2:7-10。b

      10,11 (イ)アダムはどんな事実をはっきりと知りましたか。しかし,他のどんな質問の答えを知る必要がありましたか。(ロ)アダムは天の父からどんな答えを与えられましたか。

      10 アダムの明晰で新鮮な思いは,満足のゆくこの情報を熱心に取り入れました。それでアダムは,自分が自分の造り主,また自分を形造られた方が語っておられるところ,つまり目に見えない領域から来たのではないことを知りました。アダムは自分の生活の場となっている地から形造られたゆえに,地的なものでした。アダムの命の与え主また父はエホバ神でした。アダムは「生きた魂」でした。エホバ神から命を与えられたので「神の子」でした。エデンの園のアダムの周りにあった木々は,食物として良い実を,アダムが食べ,生きた魂として生き続けるための実をつけました。それにしてもなぜアダムは生き続けなければならないのでしょうか。どうして地上のこのエデンの園に置かれたのでしょうか。アダムは理知と身体的な能力を持つ,完全に形造られた人間だったので,それを知るだけの価値ある存在でした。そうでなければ,どうして生きる目的を果たし,神のご意志を行なって自分の造り主また父を喜ばせることができるでしょうか。それら適切な質問の答えは,次の情報の中で与えられました。

      11 「それからエホバ神は人を取ってエデンの園に住ませ,それを耕させ,またその世話をさせた。また,エホバ神は人に命令を与えてこう言われた。『園のすべての木から,あなたは満ち足りるまで食べてよい。しかし,善悪の知識の木については,あなたはそれから食べてはならない。それから食べる日にあなたは必ず死ぬからである』」― 創世記 2:15-17。

      12 アダムは何に関して創造者に感謝したに違いありませんか。それで人間は,どのようにして神に栄光を帰することができましたか。

      12 アダムはこの美しいエデンの園で携わることのできる有用な仕事を与えられたことを創造者に感謝したに違いありません。創造者のご意志を知るようになったので,創造者のために地上で行なえる事柄ができたのです。今アダムには,エデンの園を耕して,その世話をするという責任が与えられました。しかしそれは楽しく行なえる仕事でした。それをすることによりアダムは,エデンの園が常にその園の造り主であるエホバ神に栄光と賛美をもたらすものとして映るようにすることができました。働いてお腹がすいたときには,いつでも園の木から満足のゆくまで食べることができました。このようにして,新たな力を得,定めのない時まで,永遠までも,幸福な生活を続けることができたのです。―伝道の書 3:10-13と比較してください。

      永遠の命の見込み

      13 最初の人間にはどんな見込みがありましたか。なぜそう言えますか。

      13 永遠にですか。その完全な人間にとって,これはまず信じ難い考えだったに違いありません。しかし,永遠に生きられない,とどうして言えるでしょうか。人間の創造者には,優れた造りを持つこのエデンの園を滅ぼすという考えや目的はありませんでした。非常に良く,芸術的な創造性が表われているご自分の業を滅ぼす理由はありません。道理から言っても,創造者がそうする意図を持たれることはないでしょう。(イザヤ 45:18)また,比類のないこの園が今後耕されることを考えると,完全な人間アダムのような耕す者,世話する者が必要になるでしょう。そして,世話をする人間は,禁じられた「善悪の知識の木」の実を絶対に食べなければ,決して死なないのです。完全な人間は永久に生きることができました。

      14 どのようにしてアダムは楽園で永遠の命を得ることができましたか。

      14 アダムの前には,エデンの楽園での永遠の命が置かれていました。人間が創造者に対して完全に従順を保ち,人間の創造者から禁じられた実を決して食べなければ,その命をとこしえまでも享受できたのです。完全な人間が従順を保ち,永遠に生きることは創造者の願いでした。「善悪の知識の木」の実を禁じたとしても,それは死をきたすわけではありませんでした。父に対する人間の完全な従順に関する試験に過ぎなかったのです。この試験は,人間が自分の創造者なる神への愛を証明する機会となりました。

      15 アダムが創造者のみ手の中にある善いことをわきまえつつ,輝かしい将来を楽しみにして待つことができたのはなぜですか。

      15 完全な人間の心は,自分が目的もなく偶然に存在するようになったのではなく天の父を持っていることに満足を覚え,その思いは,生きる目的を理解したために啓発されました。前途には,楽園でのとこしえの命の見込みがありました。ですから完全な人間は輝かしい将来を予想していました。「善悪の知識の木」を避けながらも,食物に良い木から食べました。そして,創造者のみ手の中にある善いことを知りたいと思いました。エデンの園を破滅させるのではなく,耕すのは善い仕事でした。そして完全な人間は働きました。

      物事を説明する責務を感じなかった

      16-18 アダムは,いわゆるどんな謎を解明する責務を感じませんでしたか。それはなぜですか。

      16 アダムは昼の大きな光体が空を横切るのをはっきり見ることができましたが,その光体が沈んでゆくにつれ,昼の明るさは次第になくなってゆきました。暗闇が立ちこめて夜になり,月がはっきり見えるようになりました。暗くなってもアダムは恐れの気持ちにとらわれませんでした。月は夜を支配する小さな光体だったのです。(創世記 1:14-18)小さな電灯のように冷光を点滅させながら,ホタルがエデンの園を飛んでいたことでしょう。

      17 夜になり,闇が迫ってきた時,アダムは周りにいる動物のように眠る必要を感じました。目覚めた時には空腹を感じるようになり,許されている果物の木からもりもり食べ,朝食とも言えるものを取りました。

      18 アダムは夜間の休息から新たな力を得,すっかり爽快な気分になり,昼間の仕事に注意を向けました。周囲にあるすべての緑樹を見ても,数千年後の人々が光合成と呼ぶことになる現象の謎を掘り下げるべきである,とは考えませんでした。これは,植物の緑色の物質,つまりクロロフィルが日光のエネルギーを利用して,人間や動物が食するための栄養分を産出し,同時に人間や動物が吐き出す二酸化炭素を取り入れ,それらの生物が吸うための酸素を放出するという不思議な作用です。人間はそれを謎と呼ぶかもしれませんが,アダムがそれを解明する必要はありませんでした。それは人間の創造者による奇跡だったのです。神はその奇跡を理解し,それが地上の被造物の生活のために作用するようにされました。したがって,最初の人間の完全な知性にとっては,創造者なる神が物を成長させておられ,神から与えられた人間の仕事は,エデンの園に生えているそれらの植物の世話である,ということだけで十分でした。―創世記 1:12をご覧ください。

      一人であったが,喜びが不足していたのではない

      19 アダムは自分が一人で,自分に似た者が地上に一人もいないことに気づいても,どんなことはしませんでしたか。

      19 天の父による人間の教育はまだ終わりませんでした。人間は,自分と一緒に働いてくれる,あるいは助けてくれる,自分と同じような者が地上に一人もいないまま,エデンの園の世話をしました。アダムの種類,つまり人間という種類となると,彼は一人でした。アダムは,地上の仲間となる,自分に似た人を探しに出ることはありませんでした。自分の兄弟か姉妹を与えてください,と天の父である神に願い求めることもありませんでした。人間が一人しかいないからといって,ついに気が狂ってしまうとか,生活や仕事の喜びが奪われてしまうということもありませんでした。アダムには神との交友があったのです。―詩編 27:4と比較してください。

      20 (イ)アダムの最高の喜び,また楽しみは何でしたか。(ロ)そのような生活を続けることが,アダムにとって死ぬほど辛いことでなかったのはなぜですか。(ハ)次の記事では,何が扱われますか。

      20 アダムは自分と自分の仕事が天の父の監察下にあることをわきまえていました。その最高の喜びは,自分の神また創造者を喜ばせることであり,その神のすばらしさは,人間の周囲至るところにあるすべての美しい創造のみ業に表われていました。(啓示 15:3と比較してください。)神と会話ができた,この完全な釣り合いの取れた人間にとって,そのような生活を続けることは,死ぬほど辛いこと,あるいは退屈な雑用ではなかったでしょう。さらに神は,アダムの前に,深い満足と楽しみをもたらす興味深い魅力的な仕事を置かれました。次の記事では,アダムが愛ある創造者のみ手を通して享受した,楽園の祝福と見込みについて,さらに多くの事柄が扱われます。

      [脚注]

      a ここに挙げた語は,聖書中の創造の記録に用いられている原語です。―創世記 1:26,「参照資料付き 新世界訳聖書」の脚注。

      b 西暦前16世紀に創世記の情報を記録した預言者モーセは,モーセの時代に知られていた事柄に従って,このエデンの川について,次のような情報を加えています。

      「第一のものの名はピションという。それはハビラの全土を巡るもので,そこには金がある。そしてその地の金は良質である。そこにはブデリウム樹脂やしまめのうもある。また第二の川の名はギホンという。それはクシュの全土を巡るものである。また,第三の川の名はヒデケルという。それはアッシリアの東を行くものである。そして,第四の川はユーフラテスである」― 創世記 2:11-14。

  • 快適な楽園における人間の壮大な見込み
    ものみの塔 1989 | 8月1日
    • 快適な楽園における人間の壮大な見込み

      「神は彼らを祝福し,神は彼らに言われた,『子を生んで多くなり,地に満ちて,それを従わせよ。そして,海の魚と天の飛ぶ生き物と地の上を動くあらゆる生き物を服従させよ』」― 創世記 1:28。

      1,2 エホバは人間に関係したどんな目的のために,愛情を込めて働いておられますか。エホバはアダムにどんな仕事を割り当てられましたか。

      『神は愛です』と,聖書には記されています。神は人類に対して愛に富んだ無私の関心を抱き,人間が地上の快適な楽園における健康で平和的な生活を永久に楽しめるよう,休まず働いておられます。(ヨハネ第一 4:16。詩編 16:11と比較してください。)最初の人間であった完全なアダムには,平和な生活と,興味深く楽しい仕事がありました。人間の創造者は,喜ばしいエデンの園を耕す仕事をアダムにお与えになりました。人間の創造者はここで別の特別な仕事,挑戦となる割り当てをアダムにお与えになります。生じた事柄に関する次の記述がそのことを明らかにしています。

      2 「さて,エホバ神は野のあらゆる野獣と天のあらゆる飛ぶ生き物を地面から形造っておられたが,人がそれぞれを何と呼ぶかを見るため,それらを彼のところに連れて来られるようになった。そして,人がそれを,すなわちそれぞれの生きた魂をどのように呼んでも,それがすべてその名となった。それで人は,すべての家畜と天の飛ぶ生き物と野のあらゆる野獣に名を付けていた」― 創世記 2:19,20。

      3 アダムの側にも,創造物である動物の側にも恐れがなかったのはなぜですか。

      3 人間は馬をスース,雄牛をショール,羊をセ,山羊をエーズ,鳥をオーフ,鳩をヨーナー,孔雀をトゥッキー,ライオンをアルエーもしくはアリー,熊をドーヴ,猿をコーフ,犬をケレヴ,蛇をナーハーシュと呼びました。これらはわずかな例に過ぎません。a エデンの園から流れ出ている川へ行ったアダムは,魚を見ました。魚にはダーガーという名を与えました。人間は,武器を帯びていませんでしたが,それらの家畜にも野生動物にも鳥にも恐れを抱かず,それらの動物たちも人間に対する恐れを感じませんでした。動物は本能的に,人間を自分たちより高度な,優れた種類の生物として認めていたのです。動物は神から命を与えられた神の被造物であったので,人間には,動物を傷つけたいとか殺したいとかいう気持ちも傾向もありませんでした。

      4 すべての動物と鳥にアダムが名を付けたことに関して,どんなことが推測できますか。それはどんな経験だったに違いありませんか。

      4 家畜と野生動物と天の飛ぶ生き物が人間に見せられていた期間について,聖書の記録には何も示されていません。それはすべて,神の導きと取り決めのもとに行なわれました。アダムは時間をかけて各々の動物について研究し,特有の習性や造りを観察したことでしょう。それから,その動物にぴったりした名前を選んだものと思われます。そのことからすれば,かなりの時間が経過したと言えるかもしれません。このように,この地上の多種多様な被造物に精通するのは,アダムにとって非常に興味深い経験でした。また,それらの生き物の各々を適切な名前によって区別するには,並々ならぬ知力と言語能力が必要でした。

      5-7 (イ)どんな質問が生じるかもしれませんか。(ロ)創世記 1章1-25節の創造に関する物語には,どんな答えが示されていますか。

      5 しかし,これらすべての生き物の創造の順序はどうなっていましたか。陸生動物が創造されたのは鳥が創造される前でしょうか,後でしょうか。人間が創造された時と順序は,これら下等な生き物すべてに関して,どんな位置を占めていましたか。神はどのようにこれほど多様な生き物のために地表を整え,非常な高所を鳥が飛べるように空気を備え,飲料水や食物となる植物を供給し,大きな光体を造ることにより昼間を明るくして人間が物を見ることができるようにし,小さな光体を造って夜を美しくされたのでしょうか。人間が何も身にまとわず裸のままで動き回り,働き,眠ることができるほど気候が温暖だったのはなぜですか。

      6 その答えは,人間の推測に任されたわけではありません。人間の探究心は,正確な知識を持つ権威ある源から聡明な答えを得るに値したのです。人間は神の無知な子として捨てられたのではありません。レベルの高い彼の知性は,創世記 1章1節から25節にある創造に関する驚くべき歴史ゆえに尊厳を付与されたことでしょう。

      7 アダムは創造に関するその感動的な物語を深く感謝したことでしょう。そこには多くの事柄が説明されていました。アダムはその言葉遣いから次のことを理解しました。それはつまり,神の時の測定の仕方に従って日と呼ばれる三つの長い期間があり,そのあと第4の創造の期間があって,その期間中に神は二つの大きな光体を天の大空に見えるようにされ,人間のためにずっと短い24時間の日を区分されたということです。地上における人間のこの短い日は,大きな光体が沈んでからまた沈むまでの期間でした。アダムは,自分にとって年というものが存在することも知るようになりました。アダムは自分の年齢をすぐに数え始めたに違いありません。天の大空にある大きいほうの光体によって数えることができたのです。しかし,それよりも長い,神の創造の日に関して,最初の人間は,自分がその時,神の地的な創造の業の六日目に生きていることを理解しました。それらすべての陸生動物が創造され,次いで別個に人間が創造された六日目が終わったとは,アダムにはまだ告げられていませんでした。アダムは,植物,海生生物,鳥,陸生動物の創造の順序を理解するようになりましたが,エデンの園に一人でいたアダムは,地上の楽園における人間に関する神の愛ある目的を,十分かつ完全に表わすものではありませんでした。

      最初の女を創造する

      8,9 (イ)完全な人間は,動物に関して,どんなことを観察しましたか。しかし,自分自身に関して,どんな結論を下しましたか。(ロ)完全な人間が,配偶者を神に求めなかったのは,なぜふさわしいと言えますか。(ハ)聖書の記述は,最初の人間の妻の創造をどのように描写していますか。

      8 完全な知力と観察力を備えた最初の人間は,鳥の世界にも動物の世界にも雄と雌がいて,両者から親と同じ種類の子孫ができることを理解しました。しかし,その時の人間自身はそうではありませんでした。アダムがこの観察を通して,自分にも仲間がほしいと考えるようになったとしても,動物の世界には,猿の間にさえ,ふさわしい配偶者はいませんでした。アダムは,自分の配偶者はいないと結論したことでしょう。もしいたなら,神はその人をアダムのところに連れて来られたのではないでしょうか。人間は他のどんな種類の動物とも別個に創造されたので,人間に対する意図は異なっていました。アダムは問題を自分で決定して厚かましい態度をとり,創造者である神に配偶者を求めるようなことはしませんでした。完全な人間がすべての問題を神に委ねるのはふさわしいことでした。そのすぐ後にアダムは,神がこの状況に関する神ご自身の結論をお出しになったことを知ったからです。この点に関して,またその時に生じた事柄について,次のように記されています。

      9 「[しかし]人のためには,これを補うものとなる助け手は見いだされなかった。そこでエホバ神は深い眠りを人に臨ませ,彼が眠っている間に,そのあばら骨の一つを取り,次いでそこの肉をふさがれた。それからエホバ神は,人から取ったあばら骨を女に造り上げ,それを人のところに連れて来られた。すると人は言った,『これこそついにわたしの骨の骨,わたしの肉の肉。これは“女”と呼ばれよう。男から取られたのだから』。それゆえに,男はその父と母を離れて自分の妻に堅く付き,ふたりは一体となるのである。そしてそのふたりは,すなわち人もその妻も共に裸のままであったが,それでも恥ずかしくは思わなかった」― 創世記 2:20-25。

      10 完全な女性がアダムに引き合わされた時,完全な男性はどんな反応を示しましたか。アダムの言葉は何を示していたと考えられますか。

      10 助け手また補う者として完全な女性がアダムに引き合わされた時にアダムが口にした,「これこそついにわたしの骨の骨,わたしの肉の肉」という言葉には,深い満足感が表われていました。アダムがやっとのことで,新しく創造された妻を見た時のこの言葉について考えると,彼は喜ばしい分身としての人間を与えられるまで,相当の期間待ったのかもしれません。アダムは自分の妻,自分を補う者を,「女」(イッシャー,つまり文字通りには「女性の人」)と呼びました。『男から取られたから』です。(創世記 2:23,参照資料付き新世界訳聖書,脚注)アダムは,以前に神が名前を付けさせるためアダムの注意を喚起された,空を飛ぶ生き物や陸生動物には肉体上の親近感を覚えませんでした。アダムの肉はそうした動物の肉とは異なっていたのです。しかし,この女性は,まさしくアダムと同じ種類の肉でできていました。アダムの脇腹から取られたあばら骨が,アダム自身の体内にあるのと同じ種類の血液を造りました。(マタイ 19:4-6をご覧ください。)今アダムは一人の人を与えられました。アダムはその人に対して神の預言者として行動でき,創造に関する驚くべき物語を伝えることができます。

      11-13 (イ)アダムに妻が与えられたことに伴ってどんな質問が生じるかもしれませんか。(ロ)最初の人間夫婦に関して,神はどんな目的を持っておられましたか。(ハ)どんなものが,完全な人類の食物となることになっていましたか。

      11 しかし,人間の創造者はどんな目的をもって,アダムに妻をお与えになったのでしょうか。助け手また補う者,そして寂しくならないようにアダムと同じ種類の仲間を与えるということだけが目的だったのでしょうか。記録は,二人の結婚に際して発表された神の祝福について述べ,その中で神の目的を説明しています。

      12 「次いで神は言われた,『わたしたちの像に,わたしたちと似た様に人を造り,彼らに海の魚と天の飛ぶ生き物と家畜と全地と地の上を動くあらゆる動く生き物を服従させよう』。そうして神は人をご自分の像に創造してゆき,神の像にこれを創造された。男性と女性にこれを創造された。さらに,神は彼らを祝福し,神は彼らに言われた,『子を生んで多くなり,地に満ちて,それを従わせよ。そして,海の魚と天の飛ぶ生き物と地の上を動くあらゆる生き物を服従させよ』。

      13 「次いで神は言われた,『さあ,わたしは,全地の表にあって種を結ぶすべての草木と,種を結ぶ木の実のあるあらゆる木をあなた方に与えた。あなた方のためにそれが食物となるように。そして,地のあらゆる野獣と,天のあらゆる飛ぶ生き物と,地の上を動き,その内に魂としての命を持つすべてのものに,あらゆる緑の草木を食物として与えた』。そしてそのようになった」― 創世記 1:26-30。

      最初の人間夫婦の前途の見込み

      14 神の祝福を受けた完全な男女の前には,どんな将来が待ち受けていましたか。二人がどんなことを想像するのは正しいことでしたか。

      14 その完全な夫と完全な妻にとって,神が自分たちに話しかけ,なすべきことを語り,自分たちを祝福される声を聞くのは実にすばらしい経験でした。神の祝福があるので,生活は空しいものとはなりません。むしろ二人は,行なうように告げられた事柄が行なえるようになるのです。二人の前途には何とすばらしい将来があるのでしょう。結婚したその幸福な二人は自分たちの住まいであるエデンの園に立った時,自分たちに対する神のご意志を行なうときにもたらされる結果について黙想したことでしょう。心の目を遠い将来に向け,『エデンに,その東のほうにある園』だけではなく,晴れやかな顔の男女で満ちる地球全体を思い見たことでしょう。(創世記 2:8)そこにいる人がみな自分たちの子供,自分たちの子孫であることを考え,二人の心は高鳴ったことでしょう。すべての人が完全であり,体の形や造りにも欠陥がなく,あふれるほどの健康と生きる喜びに満ちた若さを恒久的に楽しむのです。そして,すべての人が,お互いに完全な愛を示し合い,自分たちの偉大な創造者また天の父を一致して崇拝し,しかも最初の父親や母親と共にそれを行なうのです。そのような家族を持つことを考えて,この最初の男女は期待に胸をふくらませたに違いありません。

      15,16 (イ)人間家族のための食物が十分に備えられるのはなぜですか。(ロ)幸福な家族の成員が増えるにつれ,エデンの園以外の場所でどんな仕事が行なわれることになっていましたか。

      15 全地を満たすこの人間家族の一人一人に,十分な量の食物が備えられるでしょう。まず,そこエデンの園にも十分な量の食物がありました。神は,健康によい,命を支えるための,種を結ぶあらゆる草木と,実を結ぶ木を彼らのために備え,それらを彼らにお与えになりました。―詩編 104:24と比較してください。

      16 二人の幸福な家族の成員が増えるにつれ,二人はエデンの境界を超える場所に園を広げることになります。神の言葉には,地上のエデンの園以外の場所は未開拓の状態にあったことが示唆されているからです。そこは少なくとも世話がされておらず,エデンの園の特色であった非常によく耕された状態と同じ水準には至っていませんでした。人間夫婦の創造者が,二人に地を満たしながら地を「従わせ(る)」ようにと言われた理由はそこにありました。―創世記 1:28。

      17 増加する人々のために十分な量の食物が備えられるのはなぜですか。その園が広げられる時,最後にはどんな状態が行き渡りますか。

      17 耕し,世話をする完全な人によって園が拡大される時,従わせられた地は増加する人々のために豊かに産出するでしょう。最終的には,徐々に拡大する園が全地を覆って全世界が楽園となり,人類の永遠の住みかとして繁栄するのです。そこは天から,この上なく美しい場所に見えるでしょう。天の創造者はそれを,非常に良い,と宣言することができるでしょう。―ヨブ 38:7と比較してください。

      18 全地に及ぶエデンの園が,心配の種のないところとなるのはなぜですか。また,どんな平和な状態が行き渡りますか。

      18 そこは,結婚したばかりの男女が置かれていたエデンの園と同じように,平和で,心配の種のないところとなります。最初の人間アダムが調べて名付けた動物や,空を飛ぶ生き物による危険や危害を恐れる必要はなくなるでしょう。全地に及ぶ楽園に住むそれら完全な人たちは,最初の父親や母親と同様,海の魚,天の飛ぶ生き物,地の上を動くあらゆる生き物,それに野生の獣をも服従させるでしょう。「神の像に」創造された人間に本能的に服従する気持ちを持ったそれら下等な生き物は,人間との平和を保ちます。それら下等な生物を服従させる優しい完全な主人である人間は,動物間の平和な状態を育むことになります。それら神に似た主人である人間が及ぼす平和的な影響は,満足した下等な生き物に広がって彼らを保護します。とりわけ,完全な人類は神との平和を保ち,神の祝福が人類から取り除かれることは決してありません。―イザヤ 11:9と比較してください。

      神はご自分の創造の業を休まれる

      19 (イ)神の目的に関して,最初の男女は何を理解したはずですか。(ロ)神は時に関して,何を指摘されましたか。

      19 完全な人間夫婦は,神の目的どおり完成された地上の光景について熟考して,あることを理解します。二人が神から与えられたこのすばらしい使命を果たすには時間が必要です。どれほどの時間でしょうか。二人の創造者である天の父はそれをご存じでした。そして,一連の大いなる創造の日々が今や新たな終わりを迎え,人間が「夕」に,つまり神ご自身による創造の日々の区分に従った新しい日の出発点にいることを,人間にお示しになりました。それは祝福された日となり,神ご自身の清く義なる目的を果たすために,神聖なものとされることになっていました。神の預言者であった完全な人間は,そのことに注意を払いました。霊感による物語には次のように記されています。

      20 聖書の記述には,「七日目」について何が示されていますか。

      20 「そののち神は自分の造ったすべてのものをご覧になったが,見よ,それは非常に良かった。そして夕となり,朝となった。六日目である。こうして天と地およびその全軍は完成した。そして,七日目までに神はその行なわれた業を完了し,次いで七日目に,行なわれたすべての業を休まれた。それから神は七日目を祝福してそれを神聖にされた。その日に,造るために神が創造を行なったそのすべての業を休んでおられるのである。これは,天と地が創造されたとき,エホバ神が地と天を造られた日におけるその歴史である」― 創世記 1:31-2:4。

      21 (イ)聖書は,神がご自分の休みの日を終わらせ,それは非常に良かったと述べていますか。説明してください。(ロ)どんな質問が生じますか。

      21 この記述には,神がご自分の休みの日を終わらせ,それを非常に良いとご覧になったとか,夕となり,朝となった,七日目である,という表現は含まれていません。それに先立つ創造の六日間に対応するものとして,七日目について,非常に良い,とは宣言されていません。七日目はまだ終わっていないからです。エホバ神は,今に至るこの日を非常に良いと宣言できるでしょうか。この日はこれまでのところ,エホバにとって,平和な休みの日となってきたでしょうか。最初の男女が楽園で結婚した日に予想した,心を魅了するようなあの見込みについてはどうですか。次の記事で展開する場面を見ながら,調べましょう。

      [脚注]

      a ここに挙げたのは,霊感によるヘブライ語聖書の創世記および他の書のヘブライ語本文に見られる名前です。

  • 人間が不従順になっても,楽園の見込みは変わらない
    ものみの塔 1989 | 8月1日
    • 人間が不従順になっても,楽園の見込みは変わらない

      1 時がたち,最初の男と女はどこにいますか。周囲はどんな状況ですか。

      時がたちました。最初の男と女は,もはや無邪気に裸のままでいたのではなく,動物の皮でできた長い衣を身にまとっています。そして,完全なエデンの園に通じる入り口のすぐ外にいます。二人は園に背を向け,眼前に広がる風景を眺めています。見えるのは未開墾の土地ばかりです。そこに神の祝福が注がれていないことは一目瞭然です。彼らの前に見えるのはいばらとあざみです。これは,従わせるようにと神から命じられた地ではありませんか。そうです。しかし,最初の男と女は,管理されていないそうした地にエデンの園を広げるという目的をもってそこにいたのではありません。

      2 その男と女がもう一度,楽園に入ろうとしないのはなぜですか。

      2 これほど光景が対照的なのに,二人が引き返してもう一度楽園に入らないのはなぜですか。そのように勧めるのは簡単ですが,二人の後にある園の入り口にあるものを見てください。二人がこれまで園の中でも見たことのない被造物,つまりケルブたちと,自ら回転しつづける剣の燃える刃が見えます。その男と女がケルブたちのいる所を通過し,生きて園の中に入ることは決してできませんでした。―創世記 3:24。

      3 どんなことがあって,最初の夫婦の状況は大きく変化しましたか。

      3 何が起こったのでしょうか。それは,幾千年も続く科学上の混乱を引き起こすほどの複雑怪奇な謎ではありません。簡単に説明できます。最初の男と女は結婚の日に神から使命を与えられ,自分たちの前に置かれたすばらしい見込みを実現することになっていましたが,それには,どんな小さな事柄に関しても天の父に従うという条件がありました。二人の完全な従順は,「善悪の知識の木」の実を食べてはならないという,食物に関する一つの禁止事項によって試されることになっていたのです。(創世記 2:16,17)この二人が神の命令に逆らって食べたなら,必ず死ぬことになります。神の預言者であったアダムは,自分よりも年下の人間である妻にそれを告げましたが,驚いたことに,かのナーハーシュ,かの蛇は,禁じられた「善悪の知識の木」から食べてはいけないという警告を与えた際に神がアダムに言われたことの真実性を否定したのです。蛇は女を欺き,神の律法を破って禁じられた実を食べるなら,神のようになり,神から独立して何が善で何が悪かを決定できるようになる,と女に信じ込ませました。―創世記 3:1-5。

      神話ではない

      4,5 使徒パウロは,へびが最初の女を欺いたことに関する話が神話ではないことを,どのように示していますか。

      4 信じ難い話でしょうか。ひどく神話めいたものに,事実無根の伝説のように,またそれゆえに,啓発された現代の大人たちの思いには受け入れられない話のように聞こえますか。しかし,特別に選ばれた一人の使徒にとってはそうではありませんでした。その使徒の書いたものは今も広く読まれていますし,その筆者は信頼が置けます。そして,自分の書いたことが正しいことを知っていました。世の知恵にたけた都市コリントにあった,大人のクリスチャンの会衆に対して,その使徒パウロはこう書きました。「わたしは,へびがそのこうかつさによってエバをたぶらかしたように,あなた方の思いが何かのことで腐敗させられて,キリストに示されるべき誠実さと貞潔さから離れるようなことになりはしまいかと気遣っているのです」― コリント第二 11:3。

      5 パウロが,ギリシャの異教の神話に精通していたそれらのクリスチャンに自分の主張の正しさを示すため,神話や寓話に言及したり,とてつもない作り話を用いたりするとは,まず考えられません。使徒パウロは,「神の言葉」と自ら言明した,霊感によるヘブライ語聖書から引用し,「へびがそのこうかつさによってエバをたぶらかした」ことを確証しました。(テサロニケ第一 2:13)さらに同使徒は,「健全な言葉の型」を教える責務が課せられていたクリスチャンの監督に手紙を書き送った際,「アダムが最初に形造られ,その後にエバが形造られた(の)です。また,アダムは欺かれませんでしたが,女は全く欺かれて違犯に至ったのです」と述べました。―テモテ第二 1:13。テモテ第一 2:13,14。

      6 (イ)神に対するアダムの違犯は,女の違犯とどのように異なっていましたか。(ロ)女が蛇に関する作り話をしていたのでないことを,なぜ確信できますか。

      6 女がへびに欺かれたことが神話ではなく事実であることは,女が不従順になって禁じられた実を食べた結果が厳然たる歴史の事実であるのと同じほど確実なことです。女はそのようにして神に違犯した後,夫をそそのかし,自分と同じように実を食べさせました。しかし,夫が食べたのは,夫も完全に欺かれていたからではありません。(創世記 3:6)二人がその後で神に言い開きをしたことについて,次のように述べられています。「すると人はさらに言った,『わたしと一緒にいるようにと与えてくださった女,その女がその木から実をくれたので,わたしは食べました』。そこでエホバ神は女に言われた,『あなたがしたこの事はどういうことなのか』。これに対して女は言った,『蛇です,それがわたしを欺いたので,そのためにわたしは食べたのです』」。(創世記 3:12,13)女はかのナーハーシュ,かの蛇に関する作り話をしていたのではなく,エホバ神も女の説明を作り事,神話のようには扱われませんでした。神はその蛇を,女の神であり創造者でもあるご自分に違犯するよう女を欺くことにおいて手先となっていた者として処置されました。単なる神話の蛇を処置したとしたら,神の威厳は損なわれたでしょう。

      7 (イ)聖書の記述は,蛇に対する神の司法上の処置について,どのように説明していますか。(ロ)最初の女を欺いた蛇がわたしたちをも欺いていると言えるのはなぜですか。(脚注の注解も含めてください。)

      7 その記述は,エデンの園で神がその蛇に施された司法上の処置について説明し,こう述べています。「それからエホバ神は蛇に言われた,『この事を行なったゆえに,お前はすべての家畜のうち,また野のすべての野獣のうちののろわれたものである。お前は腹ばいになって進み,命の日のかぎり塵がお前の食らうところとなろう。そしてわたしは,お前と女との間,またお前の胤と女の胤との間に敵意を置く。彼はお前の頭を砕き,お前は彼のかかとを砕くであろう』」。(創世記 3:14,15)どんな裁判でも道理にかなった裁判では事実が扱われ,伝説ではなく,現実の証拠が厳密に調べられます。エホバ神は,神話の蛇に判決を告げたりして,ご自分を愚かで知恵の欠けた者としておられたのではありません。むしろ,責任を持つ,実在する被造物に判決を言い渡しておられました。その同じ蛇が,自分は存在しなかった,自分は神話の中の生き物である,自分はこの地上の悪い事柄に関して何の責任もない,とわたしたちを欺いて考えさせているとしたら,それは笑い話どころか,哀れな話です。a

      8 神はその女にどんな判決を言い渡されましたか。その娘や孫娘にはどんな影響が及ぶことになりましたか。

      8 その男の妻に関する記録は,蛇についての女の言葉を事実として扱い,こう述べています。「女に対してはこう言われた。『わたしはあなたの妊娠の苦痛を大いに増す。あなたは産みの苦しみをもって子を産む。あなたが慕い求めるのはあなたの夫であり,彼はあなたを支配するであろう』」。(創世記 3:16)このようなことは,エバがアダムと結婚した時に神が語られた,「子を生んで多くなり,地に満ち(よ)」という祝福の言葉には含まれていませんでした。(創世記 1:28)完全な人間の夫婦に対するその祝福された使命に示されているのは,女が何度も妊娠することであって,不当な苦痛や出産に伴う極度の苦しみ,また夫からの圧迫は示唆されていませんでした。違犯者となった女に下されたこの判決は,その娘にも孫娘にも代々影響を与えることになっていました。

      神の律法はアダムに対する判決によって大いなるものとされる

      9,10 (イ)神はアダムに直接どんな警告を与えておられましたか。神がそのような刑罰を固守したなら,どんな結果になりましたか。(ロ)神はアダムを非とするどんな裁きを下されましたか。

      9 しかし,女は,違犯に加わるよう自分が誘った男と共に,以前とは違うどんな状況に置かれることになりましたか。神はこの男に直接こう言っておられました。「善悪の知識の木については,あなたはそれから食べてはならない。それから食べる日にあなたは必ず死ぬからである」。(創世記 2:17)裁き主であられる神は,アダムが一つの実を食べたというだけの理由で,そのような極刑を固守されるのでしょうか。そのような刑罰の執行が意味するところを考えてみてください。アダムとエバが結婚の日に抱いた,魂を奮い立たせる見込み,つまり全地を二人の子孫で満たし,いつまでも若さを保ち,神また天の父との平和な関係を維持しつつ,とこしえまでも楽園の地に平和に住む完全な人類で満たすという見込みはおのずと打ち砕かれてしまいます。確かに,神は,全人類の最初の両親に死刑を厳格に施行して,人類と人間の地上の住まいに対するご自身のすばらしい目的を覆すことはなさらないでしょう。しかし,聖書に明確に記されている,神が下された判決に耳を傾けてください。

      10 「また,アダムに対してこう言われた。『あなたが妻の声に従い,わたしが命じて,「それから食べてはならない」と言っておいたその木から食べるようになったため,地面はあなたのゆえにのろわれた。あなたは,命の日のかぎり,その産物を苦痛のうちに食べるであろう。そして,それはいばらとあざみをあなたのために生えさせ,あなたは野の草木を食べなければならない。あなたは顔に汗してパンを食べ,ついには地面に帰る。あなたはそこから取られたからである。あなたは塵だから塵に帰る』」― 創世記 3:17-19。

      11 従順に関するどんな事実は,アダムを非とする神の裁きの正当性を例証していますか。

      11 その裁きは,愛し合いながら平和に共に住む,そして全地に広がる楽園を永遠に耕し世話する完全な男女で地上の楽園を満たすという神の目的がどんな結末を迎えるかにかかわりなく,男に死の刑罰が執行されることを意味していました。男は,禁じられた「善悪の知識の木」から食べてはならないと告げる神の声に聞き従う代わりに,妻の声に聞き従いました。また,その男自身,神また創造者の声に従わなかったとすれば,神に従うことを首尾一貫して子供たちに教えるでしょうか。エホバ神に従うよう子供たちを教える面で,男自身の手本は有利に作用するでしょうか。―サムエル第一 15:22と比較してください。

      12,13 (イ)アダムの罪はアダムの子供たちにどんな影響を及ぼすことになっていましたか。(ロ)アダムが,楽園で,いや地上においてさえ,永久に生きるに少しも価しなかったのはなぜですか。

      12 アダムの子供たちは,完全な人間であった時のアダム自身がかつて守れたように,神の律法を完全に守れるでしょうか。遺伝の法則の作用により,アダムは自分の弱点と,神の声に従わないで他の声に聞き従う傾向を子供たちに伝えるのではないでしょうか。歴史の事実は,それらの質問に答えを与えています。―ローマ 5:12。

      13 一人の人間のためだけに,神への完全な愛の表明としての神への完全な従順を捨てたような男が,楽園で,いや地上においてさえ永久に生きるに価したのでしょうか。その男を永遠に地上に生かしておくこと自体,安全なのでしょうか。その男が,違犯した状態のまま地上で永久に生きることを許されるのは,神の律法を大いなるものとし,神の完全な公正を表わすことでしょうか。それとも,神の律法に対する不敬を教え,神の言葉は信頼できないことを示唆するでしょうか。

      エデンの園から追い出される

      14 聖書の記録は,神がアダムとその妻を非とする行動を取られたことをどのように描いていますか。

      14 聖書の記録には,神がどんな方法でそうした事柄を決定されたかが示されています。「それからエホバ神は,アダムとその妻のために皮の長い衣を作って,ふたりにお着せになった。次いでエホバ神はこう言われた。『さあ,人は善悪を知る点でわたしたちのひとりのようになった。今,彼が手を出してまさに命の木からも実を取って食べ,定めのない時まで生きることのないように ―』。そうしてエホバ神は彼をエデンの園から出し,彼が取られたその地面を耕させた。こうして神は人を追い出し,エデンの園の東にケルブたちと自ら回転しつづける剣の燃える刃とを配置して命の木への道を守らせた」― 創世記 3:21-24。

      15 (イ)神はどのように,アダムとその妻が,裸であることを恥ずかしいと感じたその気持ちに思いやりを示されましたか。(ロ)最初の夫婦は,どのようにエデンの園から追い出されましたか。(ハ)アダムとその妻は,エデンの園の外で,以前とは違うどんな状況に直面しましたか。

      15 罪人となったアダムとその妻は,裸であることを恥ずかしいと感じましたが,裁き主なる神はその気持ちに思いやりを示されました。神は,述べられていない何らかの方法によって,二人がいちじくの葉をつづり合わせ,自分たちのために作った腰覆いの代わりに,皮の長い衣を備えられました。(創世記 3:7)皮の衣は長持ちし,これがあれば,いばらやあざみ,それにエデンの園の外にある他の有害な物から身を守りやすくなります。罪を犯した後,良心にやましさを感じていたので,二人はエデンの園の木の中に隠れ,神の目から逃れようとしました。(創世記 3:8)判決を受けたあとの二人は,神により園から追い出され,神からのある種の圧力を経験するようになりました。彼らは東のほうに追われ,まもなく園の外に出,園に入ることを永久に禁じられました。二人はもはや,その園を広げ,その楽園の状態を地の隅々に広げるために働くことはありません。これからは,野の植物で作るパンを食べますが,それは人間の命を永遠に支えるものではありません。彼らは「命の木」から切り断たれました。ある程度時間がたったなら,死ななければなりません。その時間はどれほどの長さでしょうか。

      エホバの最初の目的を覆すことはできない

      16 神は何を行なうことは意図されませんでしたか。それはなぜですか。

      16 神はそこで,塵でできたそれら二つの被造物が神に対する罪を犯したので,地球ばかりか月と日と星をも滅ぼし,宇宙に大火災をもたらすことにされましたか。神がそのようなことをされるのは,ナーハーシュが火を付けた事柄のゆえに,神の栄光ある目的が覆されたことを意味するのではないでしょうか。1匹の蛇にすぎないものが神のすべての目的を砕くことができたでしょうか。神はアダムとエバの結婚の日にご自分の目的を二人に発表し,二人を祝福し,二人に対するご意志を告げられました。完全な人類で全地を満たし,全地を従わせてエデンの園のような完全な状態にし,全人類が,地上と地の水の中にいる下等生物を平和裏に服従させるのが,そのご意志でした。神の目的に関するまばゆいばかりの展望が現実のものとなるのです。神は,幾万年にも及ぶ創造の業の六日間に,そのための準備を行なわれました。称賛に値するこの目的は,単なる蛇と,最初の単なる人間夫婦の邪悪な行為によって実現されずに終わることになりましたか。そのようなことは決してありません。―イザヤ 46:9-11と比較してください。

      17 神は七日目に関して,何をする決意をされましたか。それで,この日の最後は,どのように飾られますか。

      17 それはまだエホバ神の休みの日,つまり七日目のことでした。神はその日を祝福することに決め,その日を聖なるものとされました。神は七日目が呪われた日となることを何ものにも許されず,何人かによってご自分の休みの日に臨むことが画策されているどんな呪いをもくじき,それを祝福に変え,その日の最後を祝福で飾られることでしょう。それにより,全地は聖なる場所となり,神のご意志は天において行なわれているように,この地においても,完全な人類によって行なわれていることでしょう。―マタイ 6:10と比較してください。

      18,19 (イ)罪深い最初の人間夫婦の,苦しみを味わっている子孫が,元気を出せるのはなぜですか。(ロ)今後も「ものみの塔」誌上で,どんなことが論じられますか。

      18 神は挫折感を経験されませんでした。ご自分の目的を放棄されませんでした。そして,目的をお持ちになると同時に,ご自分が目的とする事柄を十分に果たす十分に信頼できる方としてご自身の正しさを立証することを決意しておられます。すべての誉れは神ご自身に帰せられるべきです。(イザヤ 45:18)罪深い最初の人間夫婦の,不完全で苦しみを味わっている子孫は,元気を出し,神が人類に永遠の益を及ぼすという当初の目的を忠実に果たされる将来に期待をかけることができます。神の休みの日はすでに幾千年も経過しているので,特別な祝福の伴うその日の最終部分が近づいているに違いありません。神の休みの日の「夕」は過ぎ去ろうとしており,先立つ創造の六日間全体の場合と同じように,「朝」が来なければなりません。この「朝」が完全な状態に達し,見る者すべてに,神の不変の目的が栄光のうちに果たされる様が十分に見えるようになる時,『こうして夕となり,朝となった。七日目である』と記せるようになるでしょう。まさに驚嘆すべき見込みです。

      19 そのすべてを考えると,背筋がぞくぞくするほどの感動を覚えます。今後もさらに「ものみの塔」誌上で,従順な人間,神の律法を愛する人たちを待ち受けている魅力的な楽園の見込みについて,さらに多くのことが語られるでしょう。

      [脚注]

      a 啓示 12章9節で,悪魔サタンは「初めからの蛇」とされており,ヨハネ 8章44節でイエス・キリストはその者のことを「偽りの父」と呼んでおられます。

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする