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聖書に対する洞察,第2巻
洞-2 「ニコポリス」

ニコポリス

(Nicopolis)[征服の都市]

使徒パウロがある旅行の際に冬を過ごすことに決めた都市。パウロはテトスにそこに来るようにと促しました。(テト 3:12)ジェームズ王欽定訳の,テトスにあてたパウロの手紙の末尾にある注では,この手紙が「マケドニアのニコポリスから」書き送られたとされていますが,この注は最古の写本にはありません。パウロはこの手紙をニコポリスから書き送ったのではなかったようです。というのは,テトス 3章12節は彼がまだそこにはおらず,そこで冬を過ごすことに決めたにすぎないということを示唆しているからです。

ニコポリスという名称の古代都市は幾つかありましたが,その中でもギリシャ北西部の半島に位置しており,プレベザの北約10㌔の所にあるエピルスのニコポリスが聖書の言及箇所に最もよく合致しているようです。同市は著名な都市だったので,パウロが良いたよりを宣明するには良い場所だったことでしょう。さらに,パウロ(当時,マケドニアにいたと思われる)とテトス(クレタにいた)のどちらにとっても都合の良い位置にありました。パウロはニコポリスで捕らえられ,それからローマへ連れて行かれ,その時の投獄を最後に,処刑されたのかもしれません。

オクタウィアヌス(アウグスツス)は,その近くのアクティウムにおける海戦でアントニウスとクレオパトラに対して収めた勝利(西暦前31年)を記念してニコポリスを創建しました。彼がアポロ神に敬意を表して設けたアクティウム競技会もまた,この出来事を記念するものとなりました。都市自体はローマ人の野営地の跡にありました。そして,オクタウィアヌスは自分の天幕があった所にネプトゥヌス神のための神殿を建てました。歴史家ヨセフスによれば,同市の公共建造物のほとんどは,ヘロデ大王の関与と財政援助によって建てられました。―ユダヤ古代誌,XVI,147(v,3)。

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