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四人の騎手の馬は疾駆する!啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
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エホバの民は地球上の至る所で個人的に,また会衆としても,使徒パウロが奉仕の務めに携わっていることの証拠として述べたのと同様な幾多の困難や圧迫や迫害を経験してきました。(コリント第二 11:23-28)エホバの証人は特に戦争や暴虐の舞台で忍耐するために『普通を超えた力』を必要としてきました。(コリント第二 4:7)しかし,忠実な証人たちは極めてつらい状態にあってさえ,パウロと同様,「主はわたしの近くに立って,わたしに力を注ぎ込んでくださいました。それは,わたしを通して,宣べ伝える業が十分に遂行され(るためでした)」と言うことができました。(テモテ第二 4:17)そうです,イエスは彼らのために征服なさったのです。それで,わたしたちが自分たちの信仰による征服を完了することを決意している限り,イエスはわたしたちのために引き続き出て行って征服を行なってくださいます。―ヨハネ第一 5:4。
8,9 (イ)エホバの証人の世界的な会衆はどんな征服にあずかってきましたか。(ロ)エホバの証人の増加はどこで確かに際立っていますか。
8 エホバの証人の世界的な会衆は,征服を行なっておられるその王の指導のもとで数多くの征服にあずかってきました。それら聖書研究者がサタンの政治組織によって一時的に『征服された』1918年に,その王は彼らを目ざましい仕方で保護して絶滅を免れさせました。そして,1919年に,いわば刑務所の窓格子を破って彼らを救い出し,その後,「地の最も遠い所にまで」良いたよりをふれ告げさせるために彼らを活気づけられました。―啓示 13:7。使徒 1:8。
9 第二次世界大戦前,および同大戦中,独裁主義の枢軸国は,宗教指導者,それも特にローマ・カトリック教会位階制の指導者たちが公然と,あるいは暗黙のうちに圧制的な独裁者を支持した多くの国々で,エホバの証人を一掃しようとしました。しかし,同大戦が始まった1939年当時の7万1,509人の証人たちは,そのうち1万人以上が刑務所や強制収容所で長い歳月を過ごし,約2,000人が殺されたにもかかわらず,1945年に同大戦が終わったころには14万1,606人になっていました。
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王は勝ち誇って乗り進む
1930年代および1940年代中,頑強な敵は,エホバの証人の宣教活動を不法な犯罪行為,もしくは破壊活動だとさえ考えさせるよう腐心しました。(詩編 94:20)米国では1936年だけで,1,149人が逮捕されたと記録されています。証人たちは数多くの訴訟を米国最高裁判所にまで提出して戦いました。証人たちの際立った勝訴の幾つかの例を次に掲げます。
1943年5月3日,米最高裁判所はマードック 対 ペンシルバニア州事件で,証人たちは金銭と引き換えに文書を配布するための認可を必要としないという判断を下しました。その同じ日に,マーティン 対 ストラザーズ市事件で,招待ビラその他の宣伝用印刷物を戸別訪問で頒布する際,玄関の呼び鈴を鳴らすのは不法行為ではないという判決が出されました。
1943年6月14日,米最高裁判所はテイラー 対 ミシシッピ州事件で,証人たちは伝道活動により政府に対する忠誠違背行為を助長してはいないという判断を下しました。その同じ日に,ウェスト・バージニア州教育委員会 対 バーネット事件で,同裁判所は,国旗敬礼を拒否するエホバの証人の子弟を放校する権利は教育委員会にはないという判断を下しました。また,その翌日,判事全員が出席したオーストラリアの高等裁判所は,エホバの証人に対する国家による禁令を「専断的で気まぐれな圧制的」処置と断定して取り除きました。
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