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  • 聖書の60番目の書 ― ペテロの第一の手紙
    『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
    • 2 ペテロがその名の付されている手紙の筆者であったことは何によって証明されていますか。この手紙はだれにあてられたものですか。

      2 ペテロがその筆者であることは冒頭の言葉から立証されます。さらに,イレナエウス,アレクサンドリアのクレメンス,オリゲネス,テルトゥリアヌスなども皆この手紙から引用し,その筆者としてペテロの名を挙げています。a ペテロ第一の書の信ぴょう性は,他の霊感の手紙の場合と同じく証明されています。エウセビオスは,教会の長老たちがこの手紙を自由に引用したことを述べています。つまり,エウセビオスの時代(西暦260年ごろ-340年ごろ)に,この手紙の信ぴょう性に関する疑いはなかったのです。イグナティウス,ヘルマス,バルナバスなど2世紀初めの人々も皆この手紙に言及しています。b ペテロ第一の書は霊感による聖書の他の部分と完全に調和しており,小アジアの地区である「ポントス,ガラテア,カパドキア,アジア,ビチニアの各地に散っている一時的居留者たち」,ユダヤ人と非ユダヤ人のクリスチャンに対する強力な音信を提出しています。―ペテロ第一 1:1。

  • 聖書の60番目の書 ― ペテロの第一の手紙
    『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
    • 4,5 (イ)ペテロがこの手紙をローマで書いたという主張の誤りはどのように証明されますか。(ロ)ペテロがこの手紙を文字どおりのバビロンから書き送ったことを何が示唆していますか。

      4 ペテロ第一の書はどこで書かれましたか。聖書の注釈者たちは,この書の信ぴょう性,正典性,筆者,書かれた時期に関しては一致を見ていますが,どこで書かれたかという点になると意見が分かれています。ペテロ自身の証言によれば,彼はバビロンにいた時分に第一の手紙を書きました。(ペテロ第一 5:13)しかし,中には,「バビロン」とはローマを意味する,なぞのような名称であるとして,ペテロはローマから手紙を書き送ったのだと主張する人もいます。しかし,証拠はそのような見方を支持していません。バビロンが特にローマを指すことを示唆する箇所は聖書のどこにもありません。ペテロはこの手紙を文字通りのポントス,ガラテア,カパドキア,アジア,およびビチニアの人たちにあてて書いたので,当然のこととして,バビロンに言及したペテロはその名称を持つ文字通りの場所を指していたと考えられます。(1:1)ペテロがバビロンにいたと考えるべき十分の理由がありました。彼は『割礼を受けた人たちのための良いたより』を託されており,また古代都市バビロンとその周辺にはかなりの数のユダヤ人が住んでいました。(ガラテア 2:7-9)「ユダヤ百科事典」はバビロニア・タルムードが編さんされたことについて論じた箇所で,西暦紀元の始まった時期のユダヤ人の「バビロンの大学」に言及しています。c

      5 ペテロの二つの手紙を含め,霊感による聖書は,ペテロがローマに行ったとは述べていません。パウロは自分がローマに来ていることについて述べていますが,ペテロがそこにいたことについては一度も述べていません。パウロは「ローマ人への手紙」の中で35人の人の名を挙げ,26人の人に名ざしであいさつを送っています。しかし,どうしてペテロの名を挙げていないのでしょうか。ペテロがその時そこにいなかったからにほかなりません!(ローマ 16:3-15)ペテロは第一の手紙を「バビロン」から書き送りましたが,この「バビロン」は明らかにメソポタミアのユーフラテス河畔にあった文字どおりのバビロン市でした。

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