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聖書の61番目の書 ― ペテロの第二の手紙『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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1 ペテロがペテロ第二の書の筆者であることをどんな事実が証明していますか。
二番目の手紙を書いた時,ペテロは自分の死の近いことを悟っていました。彼は,仲間のクリスチャンたちに,正確な知識の大切さを銘記させることを強く願っていました。それは,奉仕の務めにおいて確固とした態度を保つように彼らを助けるためでした。ペテロの名の付された第二の手紙の筆者が使徒ペテロであることを疑う理由が存在するでしょうか。この手紙そのものが,筆者がだれであるかに関する疑いをすべて取り除いています。筆者は,自分が「イエス・キリストの奴隷また使徒であるシモン・ペテロ」であることを述べています。(ペテロ第二 1:1)筆者はまた,これで「二度目の手紙をあなた方に書いてい(る)」とも述べています。(3:1)また,自分がイエス・キリストの変ぼうの目撃証人であることを述べ,目撃証人らしい感情を込めて,変ぼうについて記しています。ペテロはヤコブやヨハネと共にその変ぼうを目撃する特権に恵まれた人でした。(1:16-21)また筆者は,イエスが自分の死について予告したことを述べています。―ペテロ第二 1:14。ヨハネ 21:18,19。
2 ペテロ第二の書の正典性を示すどんな事実がありますか。
2 しかし,二つの手紙の文体の相違を指摘して,第二の手紙はペテロによるものではないとする人々がいます。しかし,それは真の問題とはならないはずです。それぞれの手紙の主題と目的は異なっているからです。さらに,ペテロは第一の手紙を「忠実な兄弟であるシルワノを通し(て)」書きましたが,シルワノが文章の構成という点である程度の自由を与えられていたとすれば,それは二つの手紙の文体の相違を説明するものとなるでしょう。シルワノは第二の手紙の記述には参与しなかったとみなされるからです。(ペテロ第一 5:12)
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