-
「あらゆる人に対してあらゆるもの」となるものみの塔(研究用)2016 | 12月
-
-
1955年5月のある日のことです。リーチ兄弟とわたしが野外奉仕を終えて家に帰ると,部屋に手紙が届いていました。自分たちが巡回監督に任命されたことを知りました。わたしはまだ22歳でした。でもこの奉仕を通して,「あらゆる人に対してあらゆるもの」となる経験を積むことができました。
ビコル語の巡回大会で公開講演をしている
例えば,巡回監督として最初の公開講演を行なったのは,村のある店の前でした。当時のフィリピンでは,公開講演は文字通り公の場所で行なわれていたのです。その後の巡回訪問でも,戸外の休憩所,市場,バスケットボールのコート,公園,公会堂の前などで話をしました。街角で講演することもよくありました。サン・パブロ市の会衆では,市場で講演を行なう予定でしたが土砂降りでできませんでした。それで,王国会館で公開講演をすることを責任ある兄弟たちに勧めました。後ほど,その兄弟たちから,この集会は公開講演の報告に含めてもよいかと尋ねられました。“公の場所”で行なわれなかったからです。
巡回訪問中はいつも兄弟たちの家に泊めてもらいました。兄弟たちの家は簡素とはいえ,清潔でした。夜は,木の床の上に敷物を敷いて休みました。屋外で目立たないように体を洗う方法も学びました。移動手段はジープニーかバスで,ほかの島へ行く時は船を使いました。自動車を持ったことは一度もありません。
正式な言語コースでタガログ語を学んだことはありません。野外奉仕や集会で兄弟姉妹のタガログ語を聞いて学びました。兄弟姉妹は辛抱強く教えてくれました。率直に間違いを指摘してくれたことにも感謝しています。
-
-
「あらゆる人に対してあらゆるもの」となるものみの塔(研究用)2016 | 12月
-
-
地域監督として奉仕するようになってからも,様々な状況に対応することの大切さを学びました。当時,「幸福な新しい世の社会」という映画を上映していました。屋外の公共の場所で上映することが多く,虫に悩まされました。プロジェクターの明かりに引き寄せられた虫が装置の中に入ってしまったからです。あとで装置を掃除するのに一苦労しました。こうした集会を組織するのは大変でしたが,エホバの証人の国際的な組織について知らせることができたのは喜びでした。
-