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  • ナチスによる大虐殺<ホロコースト> ― 確かに,それは起きた!
    目ざめよ! 1989 | 4月8日
    • 大虐殺<ホロコースト>の否定は一般に“アウシュビッツのうそ”と呼ばれています。アウシュビッツ(現在のオシフィエンチム)はポーランドにあった悪名高い強制収容所であり,ナチスはその収容所で大量殺りくを行ないました。西ドイツのマスコミによれば,右翼の過激派がそれらの出来事を隠蔽もしくは否定しようとしてきたため,“アウシュビッツのうそ”という言葉が生まれました。

  • ナチスによる大虐殺<ホロコースト> ― 確かに,それは起きた!
    目ざめよ! 1989 | 4月8日
    • 長官は告白する

      強制収容所で実際に処刑に当たった人たちは,どんな証言をしているでしょうか。アウシュビッツ収容所の元長官ルドルフ・ヘスは,『本当のところ,それら山なす死体を見たり,絶えず死体焼却の悪臭をかいだりするのは必ずしも快いことではなかった』とこぼしました。また,「ユダヤ人特別部隊(ゾンダーコマンドス)が,自分たちの命をわずかばかり延ばしてもらう代わりに,同じ民族の人々をガス室へ送る手助けを喜んで行なっていたことに驚きと共に非難を」表明しました。(ジョアキム・C・フェスト著,「第三帝国の顔」,285ページ)ドイツ人作家であるフェストはこう補足しています。「ヘスの語った次の言葉に,職人の抱く一方的な完全主義者の誇りが幾らか表われている。『親衛隊長[ハインリヒ・ヒムラー]の意志によって,アウシュビッツは古今最大の人間撲滅センターになった』。また,ヘスが,自分の収容所のガス室はトレブリンカのガス室より規模が10倍も大きいことを,成功した立案者としての満足感を抱いて述べる時にも表われる」。

      ヘスは自叙伝に,「わたしはいつの間にか第三帝国という大撲滅機構の歯車の一部になっていた」と書いています。「親衛隊長[ヒムラー]は,党の様々な高官や親衛隊の将校をアウシュビッツへ派遣して,彼らが自分の目でユダヤ人撲滅の過程を見ることができるようにした。彼らは皆,自分の見た事柄に深い感銘を受けた」ということです。a

      しかし彼らは,「ユダヤ人問題の最終的解決」という文句と,ガス室というその恐ろしい現実との違いに責めさいなまれていたようです。ヘスは,どうしてそれに耐えられたのかと尋ねられた時,「我々は鉄の決意をもってヒトラーの命令を遂行しなければならないが,人間的感情を押し殺さなければその決意を貫くことはできない,というのがわたしの変わらない答えだった」と言いました。

      こうして,残虐好みの操り人形となったヘスは,大虐殺<ホロコースト>が現にあったこと,また自分がアウシュビッツの収容所長官としてそれを実行した者の一人であることを率直に認めました。

      ポーランド語で出版された「アウシュビッツの価値基準と暴力」という本を英訳したキャサリン・リーチは,その訳本の中で,強制収容所における大量処刑,拷問,奴隷労働などのために,ポーランドに住んでいたユダヤ人320万人が命を失ったと述べ,「ヨーロッパのユダヤ人大虐殺はポーランド領土で起きた」と書いています。

  • ナチスによる大虐殺<ホロコースト> ― 確かに,それは起きた!
    目ざめよ! 1989 | 4月8日
    • a このうえなく入念な収容所組織者であり,盲目的に従順な官僚であったルドルフ・ヘスは,1947年4月,戦犯としてアウシュビッツで絞首刑に処されました。

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