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ポーランド1994 エホバの証人の年鑑
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宣教者のベヒューニック兄弟とムハルク兄弟も出席していました。午後5時には恐ろしい剣幕の人々が近くに大勢集まり,“司教”を捕らえるためプログラムが終わるのを待っていました。彼らは宣教者のことを“司教”と呼んでいたのです。エホバの証人が会館を出ると,数百人の暴徒が襲いかかり,宣教者を含め何人かの人を殴って意識を失わせました。けが人は聖三位一体病院に運び込まれ,そこで手当てを受けましたが,病院のスタッフは修道女の影響を受けていたため,けが人が病院にとどまることを許可しようとしませんでした。
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ポーランド1994 エホバの証人の年鑑
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宣教者が追放される
ステファン・ベヒューニックとパヴェウ・ムハルクは,ポーランドに着いてから2年4か月後の1949年7月24日に,国外退去になりました。ベヒューニック兄弟は奉仕を行なったその年月について手記にこう書いています。「1949年の今,支部における業の組織はすでにより良いものになっています。会衆間の協力関係は一層緊密になっています。すでに三つの地域区があり,6月には1万3,699人の伝道者がいました。これは私たちが1947年に到着した時の2倍です。710の活発な会衆があり,45人が支部事務所で働いています。わたしたちの活動は黙認されており,家から家の伝道は続けられています」。
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ポーランド1994 エホバの証人の年鑑
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ステファン・ベヒューニック
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