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歴史に残るポーランドの大会
1987年10月,協会のペンシルバニア法人の年次総会において,国際的な大会が1989年にポーランドで開かれると発表されました。その時,この集まりがどれほど意義深いものになるか,理解していた人はほとんどいませんでした。ホジュフとポズナニは,8月4日から6日にかけて同時に開かれる大会の開催都市になりました。ワルシャワにおいても,8月11日から13日にかけて大会が開かれました。
22か国から14万人ほどが,これらの霊的な宴に集まると予想されていました。しかし合計出席者数は16万6,518人になり,国の数も当初の予想を上回りました。
7月28日を皮切りに2週間にわたって,ワルシャワ空港はまさしく沸き立っていました。来る日も来る日もポーランドの兄弟たちが,ヨーロッパ各地はもとより日本や北アメリカからやって来る代表者たちを歓迎したのです。中には,1万1,000㌔もの距離をおもに列車で丸六日間かけて旅行した代表者たちもいました。シベリア,カザフ,カフカス,バルト諸国,それにウクライナ共和国から人々がやって来たのです。休暇の時期であったため,またその他の理由により遅れが出ましたが,それでも兄弟たちには何のためらいもありませんでした。この霊的な祝宴に集うことを心から喜んでいたのです。
ポーランドの公式な旅行代理店であるオルビス国際会議局は,西ヨーロッパ,日本,北アメリカからの代表団に関し,ポーランドを訪れて大会に出席した国際的な訪問者の一団としては史上最大であったことを認めました。その職員たちは,兄弟たちの立派な振る舞いや効率的な組織に強い感銘を受けました。
当局の協力は非常にありがたいものでした。空港でもバス・ターミナルでも駅でも,ポーランドの大会関係者たちは,当局者や職員から親切な援助を受けました。
1万2,000人ほどの人々が大会の開催都市のホテルに宿泊しましたが,6万人余りの代表者たちは,地元の兄弟たちの家,アパート,王国会館,学校の寄宿舎,テントなどに泊まりました。86人の伝道者から成るある会衆は500人余りの訪問者を泊め,ワルシャワの西の郊外にある,146人の伝道者から成る別の会衆は1,276人の代表者たちをもてなしました。
各大会の金曜日の朝には,競技場に通じるすべての主要道路に代表者たちがあふれたため,大渋滞が生じました。話がはずみ顔をほころばせた証人たちを乗せた路面電車が到着しました。周りの都市や町から,兄弟たちを一杯に乗せた貸し切りバスがやって来て,あらかじめ決められた場所に駐車しました。ほかの証人たちは特別列車でやって来ました。どの人も大会のバッジをつけていました。
三つの大会では,外国の代表者用に特別に指定した区画が用意されていました。様々な国,とりわけチェコスロバキアから大勢の人々が来ました。ソ連から友人や親せきを訪ねて来た人々も大勢出席していました。
プログラムの特色
大会は国際的な規模で行なわれたので,約25か国からの報告を聞くことができました。プログラムの一部は16もの言語に同時に通訳されましたが,各言語のグループは,競技場内の他の言語の区画に妨げられることなくプログラムをはっきりと聞くことができました。この取り決めを実行する方法に関して相談を受けた,オーディオ関係の仕事をしている男性は,「出席者が同時に16か国語でプログラムを聴けるように,競技場内の音声を増幅することなど不可能だ」と言いました。それにもかかわらず,兄弟たちはまさにそのことを行ないました。すべての人が,ポーランドの国内委員や統治体の成員の話に注意深く耳を傾けることができたのです。
土曜日の午後に,ポーランド語で2種類のパンフレットが発表されたのは,大きな驚きとなりました。ポーランドの兄弟たちが大会の発表物を手にしたのはこれが初めてだったのです。日曜日の午前中に,「あなたは三位一体を信ずるべきですか」というブロシュアーが発表されましたが,これはさらに大きな驚きとなりました。ポーランドにおいては,三位一体という偽りの教理を暴き,生ける唯一まことの神とそのみ子キリスト・イエスに関する真理を知るよう,正直な心を持った人々を助ける点で,この出版物は非常に効果的な道具となることでしょう。
土曜日に行なわれたバプテスマは感動的な光景でした。各大会の開催都市で,バプテスマ希望者が,話し手の提起する二つの質問に答えるために起立した時,割れんばかりの拍手が起こり競技場を揺さぶりました。ポーランドの大会でそれほど大勢の人々がバプテスマを受けたことはかつてなかったのです。すべての人の目には喜びの涙があふれました。
これら三つの大会の雰囲気は,幾つかの理由で,忘れることのできない印象を残しました。第一に,このような大きな競技場で,「忠実で思慮深い奴隷」によって整えられたエホバの食卓からすばらしい霊的な食物を共にいただくことは,大きな喜びであり大きな特権でした。(マタイ 24:45-47)また,チェコスロバキア,ハンガリー,東ドイツ,ソ連,ユーゴスラビア,あるいはその他の地方から来た兄弟たちの隣の席に座ることは,本当に胸の躍るような経験でした。これまでそうした兄弟たちは,大勢の仲間の信者と会う機会がなかったのです。
ソ連から来たある人はこう言いました。「私たちは何年もの間この日を待っていました。そして今,こうしてこの国際的な大会に出席しています。このすべては私たちの理解を超えているように思います。なかなか実感がわいてきません。まさに夢のようです。見聞きした事柄すべてを言葉で言い表わすことはできません。巨大なすり鉢形の競技場が人で埋め尽くされるのを目にし,音楽を聞いた時,私たちの目には涙があふれました。そして祈り。私たちすべてがじっとして一つに結ばれていた間,背筋がぞくぞくするほどの感動を覚えました。祈りは非常に厳粛で,全員が一つになってその祈りに和していました。このワルシャワ大会は本当に見事な輝かしい大会であり,これをしのぐのは新しい世だけでしょう。私たちは,このすばらしい数日間のことをいつまでも忘れません。これは,忘れることのできない事柄なのです。わたしたちの創造者エホバ神に格別の感謝がささげられ,栄光が帰されますように」。
1989年8月16日付の,ポーランドの新聞「ジチエ・ワルシャウイ」は,ワルシャワのジエシエチオレチア競技場で開かれた大会について,こう述べました。「エホバ神を崇拝する人々は ― 彼ら自身が言うとおり ― その集まりを非常に高く評価している。それはまさしく彼らの間の一致を表わし示すものである。……それに加えて,大会出席者たちは,秩序正しさ,穏やかな態度,清潔さなどの点で見倣うべき手本である」。
兄弟同士だという意識や愛や共にいる喜びなどを言い尽くすことは,とてもできそうにありません。ですから各大会の開催都市で,兄弟たちが結びの話の後もその場に残っていたわけがよく分かります。その場を去りたくなかったのです。その瞬間を忘れたくなかったのです。遠からず,わたしたちの偉大な創造者エホバを愛し,一致してエホバに仕える人々で全地が満ちること ― それが兄弟たちの確信であり信仰なのです。
1989年夏のポーランド大会に出席する特権にあずかった人々にとって,詩編 70編4節の言葉は本当に適切です。「あなたを求めている者たちが皆,あなたにあって歓喜し,歓びますように。彼らが,『神が大いなるものとされますように』と絶えず言いますように ― あなたの救いを愛している者たちが」。
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[18ページの図表]
ポーランドにおける1989年の地域大会
都市 日付 出席者 バプテスマ
ポズナニ 8月4日から6日 4万442人 1,525人
カトビツェ 8月4日から6日 6万5,710人 2,663人
ワルシャワ 8月11日から13日 6万366人 1,905人
合計 16万6,518人 6,093人
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[19ページの図版]
カトビツェの近くにあるホジュフのシュロンスキ競技場が大会出席者で埋め尽くされる。大勢の人々がバプテスマを受けた
[20ページの図版]
東ヨーロッパから来た代表者たちは,ポズナニの大会に出席した大群衆の中で胸を躍らせた。その大会で,「あなたは三位一体を信ずるべきですか」という新しいブロシュアーがポーランド語で発表された
[21ページの図版]
ワルシャワの競技場は,28か国から来た代表者たちで満員になった。この大会では,プログラムの一部が16か国語で同時に通訳された。立っているのはフランス人の通訳で,共にいるのはポーランド人の話し手
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