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  • ペトロは初代の教皇でしたか
    ものみの塔 2015 | 12月1日
    • この称号は,西暦9世紀までローマ司教でない司教たちが使用していました。それでも,11世紀後半になるまで,公式の称号としてはほとんど用いられませんでした。さらに,初期クリスチャンはだれも,ペトロに与えられたとされる首位権が後継者に受け継がれるとは考えませんでした。それでドイツの学者マルティン・ヘンゲルは,「後にローマ教皇のものとされた“首位権”の正当性を歴史的また神学的に実証できる方法はない」と結論しています。

  • ペトロは初代の教皇でしたか
    ものみの塔 2015 | 12月1日
    • 1869年から1870年にかけて開かれた第一回バチカン公会議

      教皇の首位権の変遷

      • 西暦32年: イエスがご自分の上に教会つまり会衆を建てることを予告する。使徒ペトロに首位権を授けることはしていない

      • 55-64年: 使徒のパウロとペトロが,クリスチャン会衆の唯一の土台はイエスであるという根本的な考えに基づく様々な手紙を書き記す

      • 254-257年: ローマの司教ステファヌスが,ペトロの後継者である自分には他の司教たちに対する首位権があるとの考えを述べる。しかし,カエサレアのファミリアヌスやカルタゴのキプリアヌスなどの司教たちは,ステファヌスの主張を認めなかった

      • 296-304年: ローマ司教に関して“パパ”つまり“ポープ”(教皇)という称号を用いた,現存する碑文のうち最古のものが記される

      • 5世紀: ローマ司教レオ1世が,マタイ 16章18節を使い,他の司教に対する首位権を主張する

      • 6世紀: “パパ”(教皇)という称号が頻繁にローマ司教に用いられるようになる。しかし9世紀まで,ローマ司教でない司教たちもこの称号を使用し続けた

      • 1075年: グレゴリウス7世が,“教皇”という称号はローマの司教だけのものであると宣言する。ある歴史家によると,その勅書である「教皇令」(Dictatus Papae)により,教皇は「キリストの代理者であるかのように」思われるようになった

      • 1870年: 第一回バチカン公会議において,「ローマ教皇は聖ペトロの後継者,使徒たちの君,キリストの真の代理者,全教会の頭である」と宣言される

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