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    ものみの塔 1990 | 9月15日
    • エホバはとこしえの賛美に値する神

      「わたしは一日じゅうあなたをほめたたえ,定めのない時に至るまで,まさに永久にあなたのみ名を賛美します」― 詩編 145:2。

      1 ダビデにはエホバを賛美すべき数多くの理由があったと言えるのはなぜですか。

      エホバの忠節な僕ダビデには,神を賛美すべき数多くの理由がありました。古代イスラエルのこの有名な王は,エホバの偉大さと善良さを知っており,エホバの王権がとこしえにわたるものであることを認識していました。至高者は,生きているものすべての願いを満たされるゆえに,さらにはご自分の忠実な僕たちに憐れみを示されるゆえに,賛美に値する方でした。

      2 (イ)詩編 145編はどのように配列されていますか。(ロ)これからどんな質問を考慮しますか。

      2 ダビデは詩編 145編でそのような賛美を神にささげました。この折り句詩(アクロスティック)の各節の冒頭のヘブライ語文字をつなげるとヘブライ語のアルファベットになります。ただし一つの文字(ヌーン)は省かれています。折り句詩の配列の仕方は記憶の助けになったようです。詩編 145編は,「わたしは一日じゅうあなたをほめたたえ,定めのない時に至るまで,まさに永久にあなたのみ名を賛美します」という言葉に見られるとおり,エホバをほめたたえる詩です。(詩編 145:2)しかし,この詩はわたしたちにどんな影響を及ぼし得るのでしょうか。わたしたちと神との関係にはどんな影響を及ぼしますか。それを知るため,最初に1節から10節までを考えてみましょう。

      エホバの探りがたい偉大さ

      3 わたしたちはダビデのように,『王なるわたしたちの神』に何を示すべきですか。それはなぜですか。

      3 ダビデは王でしたが,自分の上におられるエホバの主権を認め,こう述べました。「王なるわたしの神よ,わたしはあなたを高めます。定めのない時に至るまで,まさに永久にあなたのみ名をほめたたえます」。(詩編 145:1)エホバの証人は同様の崇敬の念をもって神のみ名を高め,全地で神を賛美します。そのような活動に参加する時,わたしたちの生活は豊かになります。わたしたちもダビデのように,『王なるわたしたちの神』であられるエホバに従順であることと,服従する態度を示さなければなりません。それは当然のことです。エホバは「とこしえの王」であられるからです。(啓示 15:3)さらに,大いなるダビデであり,1914年以来天のシオンの山で統治してこられたイエス・キリストは,とこしえの王であられるエホバに対する服従のすばらしい模範を残しておられます。

      4 わたしたちはどのように『神のみ名をほめたたえる』ことができますか。

      4 ダビデは『神のみ名をほめたたえる』と述べました。弱小な人間にどうしてそのようなことができるのでしょうか。だれかをほめたたえるとは,とりわけ,その人のことをよく言うという意味です。神のみ名をほめたたえることは,神とその聖なるみ名エホバに対して強い愛を抱いていることを示唆します。わたしたちは決して神について不平を言ったり,神を非難したり,神の善良さを疑ったりはしません。そのような態度を保ち,エホバに献身し,バプテスマを受けたエホバの証人として忠誠を維持するなら,その時初めて,わたしたちはダビデに和して,『永久に神のみ名をほめたたえます』と言うことができるのです。自分を神の愛のうちに保つなら,永遠の命という賜物をいただいて,とこしえにエホバを賛美することができます。―ユダ 20,21。

      5 「一日じゅう」エホバをほめたたえたいという願いは,わたしたちにどんな影響を及ぼすはずですか。

      5 もしわたしたちが命の与え主を本当に愛しているなら,ダビデに和して,「わたしは一日じゅうあなたをほめたたえ,定めのない時に至るまで,まさに永久にあなたのみ名を賛美します」と言うことでしょう。(詩編 145:2)もし神をほめたたえないとしたら,一日はどんなにか不毛なものになることでしょう。わたしたちの天の父のことをほめることも,日々神に祈ることもできないほど忙しかったり,物質的な事柄を心配したりすることがないようにしたいものです。イエスは模範的な祈りの中で,「その日の必要に応じてその日のためのパンをわたしたちにお与えください」と述べ,わたしたちが日々祈るべきことを示されました。(ルカ 11:3)全時間奉仕にあずかる大勢の人々は,クリスチャン宣教に携わって日々神を賛美します。しかし,自分の境遇がどうあろうとも,わたしたちの心は,日々何らかの形で神を賛美するようわたしたちを動かすはずです。考えてみてください。とこしえの命の希望を持つ,エホバの献身した証人として,わたしたちには神のみ名を永久に賛美する壮大な見込みがあるのです。―ヨハネ 17:3。

      6 なぜエホバは「大いに賛美されるべき方」ですか。

      6 確かにわたしたちには,一日じゅう神を賛美すべき理由があります。「エホバは大いなる方,大いに賛美されるべき方。その偉大さは探りがたい」と,ダビデは付け加えているからです。(詩編 145:3)エホバは非常に偉大な方なので,エホバに並ぶ者はなく,その主権は絶対的なものです。バビロンの王ネブカドネザルは次のように告白せざるを得ませんでした。「[神]の手をとどめ得る者,『あなたは何をしてきたのか』と言い得る者はいない」。(ダニエル 4:34,35)エホバは「すべての神々に勝って畏怖の念を起こさせる方」です。(詩編 96:4)エホバが「大いに賛美されるべき方」であるのも不思議ではありません。エホバをたたえるのに度が過ぎた賛美の言葉など存在しません。神は限りない賛美,とこしえの賛美にふさわしい方なのです。

      7 神の「偉大さは探りがたい」ことを,何が証明していますか。

      7 エホバの「偉大さは探りがたい」ものです。エホバの体がどれほど偉大であるとしても,エホバの偉大さは,エホバがどんな神であられるかということにあります。確かに,神が創造されたものは,人間が理解できないほどにすばらしいもので,わたしたち自身も「くすしく造られて」います。(詩編 139:14。ヨブ 9:10; 37:5)さらに,エホバ神の行動は何と崇高なものなのでしょう。神はご自分の約束を忠実に守り,愛をもってご自分の目的を啓示されます。それでもわたしたちは,神について知りつくすことはできません。わたしたちはとこしえにわたって,神,その創造物,その目的に関する知識を増進させることができます。―ローマ 11:33-36。

      エホバのみ業をほめなさい

      8 (イ)どのように「代は代へと」エホバのみ業をほめてきましたか。(ロ)わたしたちがエホバのみ業と行ないについて子供たちに教えるなら,彼らはエホバへの崇拝をどのようにみなす可能性がありますか。(ハ)油そそがれた残りの者は喜びに満ちあふれた「代」として何を行なってきましたか。

      8 探りがたいほどに偉大なわたしたちの神を賛美する言葉は尽きないので,ダビデは心を動かされ,「代は代へとあなたのみ業をほめつづけ,彼らはあなたの力強い行ないを告げます」と述べました。(詩編 145:4)人類は代々エホバのみ業をほめ,その力強い行ないの一つ一つを語ってきました。そうした事柄を,わたしたちの司会で家庭聖書研究をしている人たちに語るのは,何と大きな特権なのでしょう。例えば,神が万物を創造されたということを告げることができます。(創世記 1:1-2:25。啓示 4:11)神が,イスラエル人をエジプト人の束縛から解放し,敵のカナン人を滅ぼし去るようイスラエル人を助け,古代ペルシャにおける集団虐殺からイスラエル人を保護された時などになされた力強い行ないについて語ることができます。そのような出来事は枚挙にいとまがありません。(出エジプト記 13:8-10。裁き人 4:15。エステル 9:15-17)また,エホバのみ業と行ないについて子供たちに告げるようにも促されるのではないでしょうか。もしわたしたちがそのようにして子供たちを教えるなら,そしてまた喜んで神に仕えるわたしたちの姿を子供たちが見るなら,子供は神を崇拝することを喜びとみなし,『エホバの喜びを彼らのとりでとして』成長することでしょう。(ネヘミヤ 8:10。詩編 78:1-4)油そそがれた残りの者は,喜びに満ちあふれるエホバの証人の一つの「代」を構成し,楽園の地に住む代の一部である「大群衆」に対して神のみ業をほめています。―啓示 7:9。

      9 神のみ業と力強い行ないについて熟考する時,何を確信できますか。

      9 わたしたちは神のみ業と力強い行ないについて熟考する時,「エホバはその偉大なみ名のためにご自分の民を捨て去ることはされない」という確信を一層深めることができます。(サムエル第一 12:22。詩編 94:14)試練や困難や迫害に直面する時にはわたしたちは平静を保つことができ,わたしたちの心と知力は「神の平和」によって守られることを確信できます。(フィリピ 4:6,7)ですから,愛に富まれ,保護を与えてくださる天の父について他の人々に語るのは,実に当を得たことと言えます。

      10 エホバの「くすしいみ業」には何が含まれますか。わたしたちはそれらの業について黙想することにより,どのように益を得ますか。

      10 わたしたちは時間を取ってエホバの威光とみ業について黙想しなければなりません。ダビデはさらにこう述べているからです。「あなたの尊厳の栄光に満ちた光輝と,あなたのくすしいみ業に関する事柄をわたしは自分の思いに留めます」。(詩編 145:5)神の尊厳は恐れの気持ちを抱かせるものであり,類のないものです。(ヨブ 37:22。詩編 148:13)このように,ダビデはエホバの尊厳の栄光に満ちた光輝を思いに留めました。この詩編作者は神の「くすしいみ業」に関する事柄も思いに留めていました。それには,大洪水の時のように,罪人を滅ぼし敬虔な人々を保護して神の公正を行なうことが含まれています。(創世記 7:20-24。ペテロ第二 2:9)そのような問題について黙想すれば,わたしたちとエホバとの関係は強められ,神の尊厳とくすしいみ業について他の人たちに告げることができるようになります。イエスは荒野にいた40日間に,天が開けてイエスの注意を喚起した事柄を黙想することにより,誘惑に抵抗するよう強められました。(マタイ 3:13-4:11)それ以後イエスは,エホバの尊厳とくすしいみ業について他の人に話されました。

      11 (イ)エリコの住民に怖れが臨んだのはなぜですか。(ロ)エホバの証人はどんな精神で,神の「畏怖の念を起こさせる事柄」と神の「偉大さ」について語りますか。

      11 神の尊厳とみ業について語る際,わたしたちは他の人たちがそれらについて話すよう促しているのです。ダビデはこう言いました。「そして,彼らはあなたの畏怖の念を起こさせる事柄の力について語り,あなたの偉大さについては,わたしがそれを告げ知らせます」。(詩編 145:6)エホバが紅海でイスラエル人を救出し,アモリ人の二人の王に対して勝利を得させたことを聞いて,エリコの住民には怖れが臨んだ,とラハブは語りました。エリコではそのような「畏怖の念を起こさせる事柄」について,多くのことが語られていたに違いありません。(ヨシュア 2:9-11)そして,差し迫っている「大患難」は確かに畏怖の念を起こさせることでしょう。(マタイ 24:21)しかし,神から疎外された民に非常な怖れを与える事柄も,義にかなった心には「エホバへの恐れ」,つまり神への健全な畏怖の念を抱かせます。(箴言 1:7)エホバの証人はそのような崇敬の念にあふれた精神をもって,神の力の顕現について語ります。油そそがれた者とその地上の仲間の間で交わされる会話の主要なテーマは,不思議を行なわれるこの偉大な方なのです。迫害でさえ,彼らがこれらの事柄とエホバの「偉大さ」を他の人に語るのを阻むことはできません。―使徒 4:18-31; 5:29。

      その善良さゆえにエホバを賛美せよ

      12 エホバの善良さはどのようにわたしたちに言葉を「ほとばしらせ」ますか。

      12 神はその偉大さのみならず,その善良さと義のゆえにも賛美に値する方です。それでダビデはこう述べました。「彼らはあなたの豊かな善良さに関する言葉をほとばしらせ,あなたの義のゆえに喜び叫びます」。(詩編 145:7)エホバの善良さは卓越したものであるため,わたしたちはそのことを表現する喜ばしい言葉を「ほとばしらせ」ます。ヘブライ語には,泉から噴出する水という考えが含まれています。わたしたちもちょうど奔流のように,神に対する感謝に満ちた賛美をほとばしらせたいものです。(箴言 18:4)イスラエルはエホバの善良さを忘れたため,ひどい霊的害を被ることになりました。(詩編 106:13-43)しかし,わたしたちは心を深い感謝で満ちあふれさせることによって,他の人々が,献身した証人たちに対するエホバの善良さを学んだ後に悔い改めるよう促したいものです。―ローマ 2:4。

      13 神の公正と義の表明は,わたしたちにどんな影響を及ぼすはずですか。

      13 わたしたちは,神の公正と義の表明にも心を動かされて喜び叫ぶようでありたいと思います。もしわたしたちがそのように感じているなら,神の王国だけでなく,神の義も第一に求めるでしょう。また,自分の振る舞いがエホバに賛美をもたらすことを常に願うでしょう。そうです,わたしたちは神への奉仕においてなすべきことをいっぱいに持ち,定期的に王国をふれ告げる者となるでしょう。エホバに対するわたしたちの賛美は,決して沈黙の墓に葬られることはありません。―マタイ 6:33。コリント第一 15:58。ヘブライ 10:23。

      エホバは憐れみ深い

      14 『エホバが慈しみと憐れみに富んでおられる』ことを示すどんな証拠がありますか。

      14 ダビデは,神が持っておられる賛美に値する別の特質に言及し,「エホバは慈しみと憐れみに富み,怒ることに遅く,愛ある親切の大いなる方です」と述べました。(詩編 145:8)神は,全く善良かつ寛大であられるゆえに慈しみに富んでおられます。(マタイ 19:17。ヤコブ 1:5)神はご自分に仕えていない者たちにさえ善いことを行なわれます。(使徒 14:14-17)エホバは憐れみに富み,同情心を持ち,「わたしたちが塵であることを覚えておられ」ます。神は打ちひしがれた心をさげすまれることも,わたしたちをわたしたちの罪に応じて扱うこともされません。最も愛のある人間の父親よりもずっと憐れみ深くあられます。(詩編 51:17; 103:10-14)神は憐れみの最大の表明としてご自分の愛するみ子を遣わされました。それは,み子がわたしたちのために死に,わたしたちが神と和解して神の慈しみを実際に味わえるようにするためでした。―ローマ 5:6-11。

      15 エホバ神が「怒ることに遅く」,「愛ある親切の大いなる」方であると言えるのはなぜですか。

      15 わたしたちの天の父は怒ることに遅い方です。むやみに怒りを爆発させることなどされません。エホバは「愛ある親切の大いなる」方でもあられます。ここで用いられているヘブライ語は,愛から出る親切,また対象に密着している親切を意味します。その対象に関係した目的が実現するまで,そのような状態を保つのです。この部分は,ほかの翻訳では「忠節な愛」となっています。神の愛ある親切,つまり忠節な愛は,とりわけ救出,生き長らえさせること,保護,苦難からの解放といった行為,それに贖いを通して得られる罪からの回復などに示されています。(詩編 6:4; 25:7; 31:16,21; 40:11; 61:7; 119:88,159; 143:12。ヨハネ 3:16)エホバが『天における戦争』のすぐ後にハルマゲドンをもたらされなかったので,大勢の人たちが救いを得ることができます。それは神の愛ある親切の大いなる表明です。―啓示 12:7-12。ペテロ第二 3:15。

      16 エホバは「すべてのものに対して善良」であることをどのように示されましたか。

      16 神の憐れみを考えると,神は大きな心を持っておられると言えるかもしれません。「エホバはすべてのものに対して善良であり,その憐れみはそのすべてのみ業の上にあります」と,ダビデは言明しました。(詩編 145:9)確かに,神はイスラエル人に対して善良であられました。その点に関して言えば,「父は邪悪な者の上にも善良な者の上にもご自分の太陽を昇らせ,義なる者の上にも不義なる者の上にも雨を降らせてくださるのです」。(マタイ 5:43-45)エデンでエホバは,祝福となる「胤」に関する約束をし,後にアブラハムに対して,「あなたの胤によって地のすべての国の民は必ず自らを祝福するであろう」と言われました。(創世記 3:15; 22:18)そして神はこの「終わりの時」においても非常に善良であられるので,だれでも『来て,命の水を価なくして受ける』ことができます。(ダニエル 12:4。啓示 22:17)エホバは理知ある被造物すべてに進んで善を行なわれます。ですからその善良さは,わたしたちをいよいよ神に引きつけるはずです。

      17 どのような意味で,エホバの「憐れみはそのすべてのみ業の上にあり」ますか。

      17 エホバの「憐れみ」は,人間と動物のために十分な備えを設けておられるという意味で,「そのすべてのみ業の上にあります」。神は「すべての肉なる者に食物を与えてくださる方」です。(詩編 136:25; 147:9)神は富んだ者たちに誉れを与えて,虐げられた人たちを蔑視するようなことはされません。傲慢な者たちを称揚して,謙遜な人たちを軽視するようなことも,愚かな者たちを高めて,賢い人たちを卑しめるようなこともされません。罪深い人間はそうしますが,わたしたちの憐れみ深い天の父はそうではありません。(詩編 102:17。ゼパニヤ 3:11,12。伝道の書 10:5-7)また,愛するみ子の贖いの犠牲を通して救いを可能にされた神の憐れみ,善良さ,愛ある親切は本当に偉大なものと言わなければなりません。―ヨハネ第一 4:9,10。

      忠節な者たちはエホバをほめたたえる

      18 (イ)神のみ業はどのように神を「たたえ」ますか。(ロ)わたしたちはいつ,エホバをたたえるよう促されるはずですか。

      18 神は各方面から賛美を受けるに値する方です。ダビデが述べたとおりです。「エホバよ,あなたのすべてのみ業はあなたをたたえ,あなたの忠節な者たちはあなたをほめたたえます」。(詩編 145:10)上手に建てられた家が建築者の誉れとなり,美しい壺が熟練した陶器師の誉れとなるように,神の創造のみ業は神を「たたえ」ます。(ヘブライ 3:4; イザヤ 29:16; 64:8と比較してください。)み使いと人間は,エホバの創造のみ業のあまりのすばらしさに感動してエホバを賛美します。神が地の基を置かれた時,神の子であるみ使いたちは喜んで称賛の叫びを上げました。(ヨブ 38:4-7)ダビデは,『天は神の栄光を告げ知らせ,大空はみ手の業を語り告げている』と述べました。(詩編 19:1-6)空高く舞い上がるハヤブサ,緑に覆われた丘を跳びはねるガゼルなどを見る時,わたしたちがエホバをたたえるのは,もっともなことです。(ヨブ 39:26。ソロモンの歌 2:17)穀物を収穫する時,あるいは友人と食事をする時に神を賛美するのはふさわしいことです。(詩編 72:16。箴言 15:17)驚異的に造られているわたしたちの体も,神に対する感謝に満ちた賛美の表現を促すものとなるでしょう。―詩編 139:14-16。

      19 「忠節な者たち」とはだれですか。彼らは何をしますか。

      19 今日,霊によって油そそがれた,地上にいるエホバの「忠節な者たち」は,エホバをたたえます。彼らは神をほめ,神のご意志が天におけると同じように地にも行なわれることを切望しています。(マタイ 6:9,10)油そそがれた者たちが神のくすしいみ業について他の人たちに告げる時,大群衆がそれにこたえ応じ,その数は常に増大してゆきます。大群衆も油そそがれた忠節な者たちと共に,王国宣明者として熱心に奉仕します。あなたは感謝の気持ちから,神を賛美するこの業に定期的に参加しているでしょうか。

      20 (イ)エホバのみ名はどのようにして神聖なものとされますか。(ロ)詩編 145編に関して,これからどんな質問を考慮しますか。

      20 わたしたちはエホバの証人として,ダビデのように神に賛美をささげます。エホバの聖なるみ名を神聖なものとし,み名を賛美することは,わたしたちにとって非常に重要な関心事です。神のみ名は神の王国によって神聖なものとされるので,王国に関する聖書のこの教えは,わたしたちが宣明している良いたよりの際立った特色の一つです。詩編 145編はこの点に関する霊的な啓発を与えていますか。この詩の残りの部分の討議から,何が明らかになるでしょうか。その部分には,エホバがとこしえの賛美に値する方であることが,他のどんな方法で示されているでしょうか。

  • エホバの聖なるみ名をほめたたえなさい
    ものみの塔 1990 | 9月15日
    • エホバの聖なるみ名をほめたたえなさい

      「わたしの口はエホバの賛美を語ります。すべての肉なる者が,定めのない時に至るまで,まさに永久にその聖なるみ名をほめたたえるように」― 詩編 145:21。

      1,2 (イ)サタンはどのように神の支配権に異議を唱えてきましたか。(ロ)詩編 145編 11-21節について,どんな疑問が生じますか。

      エホバは疑問の余地なく宇宙の主権者であられます。しかしサタンは,神の支配権が義にかなった正当なものであるという事実に異議を唱えてきました。(創世記 2:16,17; 3:1-5)悪魔は天と地の神の僕すべての忠誠についても,疑問を投げかけてきました。(ヨブ 1:6-11; 2:1-5。ルカ 22:31)そのためエホバは,すべての理知ある被造物が,ご自分の支配権に対する反逆から生じる悪い結果を見るための,また彼らがこれらの論争においてどんな立場を占めているかを示すための時間をお与えになりました。

      2 詩編 145編は,わたしたちが神の支配権を擁護する側に堅く立つための助けになります。どのように助けになるのでしょうか。ダビデはエホバの王権について何と述べていますか。また,神はその王権の支持者たちをどのように扱われますか。詩編 145編 11節から21節には,助けになる答えが記されています。

      エホバの王権について語りなさい

      3 もしエホバの王権がわたしたちにとって大切なものであるなら,わたしたちは何を行ないますか。

      3 エホバの支配権はダビデにとって大きな関心事でした。彼はこう言いました。「彼らはあなたの王権の栄光について語り,あなたの力強さについて話します。それは,その力強い行ないと,その王権の光輝に満ちた栄光とを人の子らに知らせるためです」。(詩編 145:11,12)人々は自分が関心のある事柄について語ります。ですから人は,自分の家族,自分の家,自分の作物について語ります。『善良な人は自分の心の良い宝の中から良いものを取り出します』と,イエスは言われました。(ルカ 6:45)もし神の支配権がわたしたちの心にとって大切なものであるなら,わたしたちは神の王国が来ることを祈り求め,王国の支配の下で行き渡る公正と平和と義について他の人々に語るでしょう。また,エホバを「とこしえの王」として賛美し,エホバの愛するみ子イエス・キリストの手中にあるメシアの王国を通して表明されるエホバの主権について話すでしょう。(啓示 15:3。イザヤ 9:6,7)エホバの王権の天的な栄光について話すのは,何とすばらしい特権なのでしょう。その王権は間もなく,完全に幸福な被造物で満たされた地上の楽園<パラダイス>の麗しさの中に反映されるでしょう。―ルカ 23:43。

      4 わたしたちがエホバの「力強さ」について話す機会はどんな時ですか。そのような活動において,わたしたちはどのように支えられますか。

      4 感謝の気持ちも,エホバの「力強さ」について話すようわたしたちを動かします。「神は力において高められて」いても,力を誤用されることは決してありません。(ヨブ 37:23)神は地と人類を創造するのにご自分の力を用いられました。邪悪な者たちを滅ぼすにもその力を行使されるでしょう。わたしたちが良いたよりを宣明する時は,神の力強さについて話す機会です。力の究極の源であられる方からこの業を行なうための力が与えられることに,わたしたちは感謝しているのではないでしょうか。(イザヤ 40:29-31)そうです,エホバの証人であるわたしたちは神聖な奉仕において,神の力と霊の支えを得ているのです。いま全世界で王国の音信がふれ告げられ,すばらしい成功を収めていますが,それはこうした方法によってのみ可能になりました。―詩編 28:7,8。ゼカリヤ 4:6。

      5 大勢の人たちはエホバの「力強い行ない」について知らないので,わたしたちは何をすべきですか。

      5 イスラエル人は,神がどのようにエジプト人の束縛から自分たちを解放してくださったのか,その方法を子供たちに話しました。それと同じように,わたしたちもエホバの「力強い行ない」について人の子らに知らせる必要があります。(出エジプト記 13:14-16)人間は偉業と思えるものを成し遂げた人の記念碑を建てますが,どれほどの人が神の力強い行ないについて知っているでしょうか。一人の学者はこう述べました。「彼らは英雄の功績を真鍮の上に刻み付けるが,エホバの輝かしい行ないは砂の上に書き記され,時の波がそれを現在の記憶から拭い去ってしまう」。それらの行ないは大勢の人に知られていないにしても,実際に拭い去られるわけではありません。ですからわたしたちの家から家の業で,また家庭聖書研究を司会する時などに,神の力強い行ないについて熱心に話しましょう。

      6 (イ)数十年前のどんな機会に,わたしたちが宣教を行なう際の熱心な精神が明示されましたか。(ロ)1922年には,王国を宣伝することについて,基本的にどんなことが言われましたか。

      6 また,神の王権の栄光についても熱心に知らせなければなりません。そのような王国奉仕に対する熱意は,1922年に確かに明らかになりました。その時,当時のものみの塔協会の会長であったJ・F・ラザフォードは,オハイオ州シーダー・ポイントの大会出席者たちに向かって次のように述べたのです。「1914年以来,栄光の王はその力を執って統治しておられます。……天の王国は近づいています。王は統治しておられ,サタンの帝国は倒れようとしています。現存する万民は決して死ぬことはありません。あなたはそれを信じますか。……では,至高の神の子の皆さん,野外に戻りなさい。自分の武具を身に着けなさい。冷静にし,油断なく警戒し,活発に働き,勇敢でありなさい。主の忠実な真の証人でありなさい。バビロンが跡形もなく荒廃するまで戦いで前進しなさい。音信を遠く広く告げ知らせなさい。世界は,エホバが神であり,イエス・キリストが王の王,主の主であることを知らねばなりません。今はあらゆる時代のうちで最も重大な時代です。ご覧なさい,王は統治しておられます! あなた方は王のことを広く伝える代理者です。それゆえに,王とその王国を宣伝し,宣伝し,宣伝しなさい」。

      7 わたしたちは王国宣明者としての活動について,どのように感じるべきですか。

      7 『神のみ名を思い』,神の支配権について他の人に告げ,神の愛するみ子のメシアの王国について宣伝するのは,何という喜びでしょう。(マラキ 3:16)わたしたちは王国の宣明者,また王国の支持者として,良いたよりを告げ知らせ,他の人々の心を神とキリストと王国に向けさせる特権を大切にします。わたしたちの内には,エホバの王権の光輝に満ちた栄光について他の人々に告げたいという燃えるような願いがあって然るべきです。―エレミヤ 20:9と比較してください。

      8 (イ)今,エホバの支配権は何によって表わされていますか。(ロ)神が『代々限りなく続く』統治権を有しておられると言えるのはなぜですか。

      8 わたしたちは,非常な熱意をもって神の王国を告げ知らせるよう動かされるはずです。ダビデは次にこう述べているからです。「あなたの王権は定めのないすべての時にわたる王権,あなたの統治権は代々限りなく続きます」。(詩編 145:13)エホバの王権に関する黙想が続くにつれ,詩編作者は「その」という言葉を「あなたの」という言葉に変え,祈りの気持ちのこもった言葉を直接神に向けています。もちろん,メシアの王国によって表わされるエホバの支配権は,神のとこしえの王権に代わるものではありません。実際,従順な人類が完全な状態に引き上げられた時,キリストは王国をみ父に渡されます。(コリント第一 15:24-28)したがって神は確かに,『代々限りなく続く』統治権を確かに有しておられます。アダムが創造された時にエホバは王であられましたが,義にかなった人間に対する統治権は永久に保持されます。

      9 詩編 145編の中のヘブライ語の字母ヌーンで始まる節については,何と言えますか。

      9 マソラ本文は,この折り句詩の中でヘブライ語の字母ヌーンで始まる節を省いています。しかし,ギリシャ語セプトゥアギンタ訳,シリア語ペシタ訳,ラテン語ウルガタ訳などと一致して,一つのヘブライ語写本はこの箇所を,「エホバはそのすべての言葉において忠実であられ,そのすべてのみ業において忠節であられます[あるいは,愛ある親切を示しておられます]」としています。(「参照資料付き 新世界訳聖書」,脚注)神はご自分の約束をすべて果たされ,神の善良さを認識する人すべてに対して忠節であり,愛を抱き,親切であられます。―ヨシュア 23:14。

      エホバの支えがなくなることはない

      10 神はどのように『わたしたちを支え』てくださいますか。

      10 とこしえの王はご自分の僕たちの窮状を決して無視されません。ですから,ダビデはこう言うことができました。「エホバは倒れてゆくすべての者を支え,かがんでいるすべての者を立ち上がらせておられます」。(詩編 145:14)アベルの日以来,エホバはご自分の崇拝者たちを支えてこられました。自分一人にされたなら,わたしたちは重荷を負って何度も倒れてしまうことでしょう。生活上のさまざまな悩みと,神の民であるがゆえにわたしたちに臨む迫害に耐えるだけの力が欠けていても,エホバはわたしたちを支援してくださいます。ここで用いられているヘブライ語動詞の形は,神が『わたしたちを支え』続けられることを示唆しています。バプテスマを施す人ヨハネと,神ご自身のみ子は,道徳的な意味で倒れた罪人たちを助けて立ち上がらせた,と言えるかもしれません。それらの人たちが悔い改め,エホバの僕になった時,彼らは神に支えられるというすばらしい祝福を享受しました。―マタイ 21:28-32。マルコ 2:15-17。

      11 エホバはどのようにして,「かがんでいるすべての者を立ち上がらせ」ますか。

      11 種々の試練によって『かがんでいるすべての者を,エホバが立ち上がらせておられる』ことを知ると慰められます。神はわたしたちの中にいる失意のどん底にある人たちを元気づけ,嘆いている者たちを慰め,迫害されても神の言葉を大胆に語るようわたしたちを助けてくださいます。(使徒 4:29-31)わたしたちが神の助けを受け入れさえすれば,神はわたしたちが重荷で押しつぶされるままにしておくようなことは決してされません。(詩編 55:22)それでわたしたちも,『体が折れ曲がって』いたのにイエスに体を治してもらった,「アブラハムの娘」のように,神が愛をもって霊的に立ち上がらせてくださる時,『神の栄光をたたえる』べきです。(ルカ 13:10-17)バビロン的な束縛のもとでかがんでいた油そそがれた者たちは,1919年に神が立ち上がらせてくださった時,感謝の気持ちで満たされました。また神は,1935年以降,感謝の念の厚い「ほかの羊」を立ち上がらせておられます。―ヨハネ 10:16。

      12 どのような意味で,『すべてのものの目は望みを抱いて[神]を見つめ』ますか。

      12 次にダビデが述べる言葉から明らかなように,エホバはご自分の民の期待にそむくようなことはされません。「すべてのものの目は望みを抱いてあなたを見つめます。そして,あなたは彼らに食物をその季節ごとに与えておられるのです。あなたはみ手を開いて,すべての生きているものの願いを満たしておられます」。(詩編 145:15,16)命ある被造物すべての目は,あたかも望みを抱いて宇宙の主権者に向けられているかのようです。み使いたちは生き続けられるよう神に頼ります。また,子供が親に頼って必要なものを得るように,わたしたちも天の父に頼ります。事実,人間も動物も,生きるのに必要なものを与えられています。人間や動物の必要を満たすことは,ほかのだれにもできません。神は「食物をその季節ごとに」,つまりそれが必要な時に,彼らにお与えになります。

      13 エホバはどのような方法で,『み手を開いて,すべての生きているものの願いを満たされ』ますか。

      13 神は『み手を開いて,すべての生きているものの願いを満たされます』。(詩編 104:10-28)確かに,動物の中には,食物がなくて死ぬものもいます。利己心,抑圧,資源の悪用などの犠牲となり,飢えを経験している人も少なくありません。さらにイエスは,「食糧不足」がこの終わりの日におけるイエスの臨在の「しるし」の一つとなることを予告されました。(マタイ 24:3,7)しかし,そうした食糧不足が起きるのは,エホバが物惜しみをされるからでも,エホバに供給能力がないからでもありません。養われている無数の被造物のことを考えてみてください。それに加えてこの詩は,『人が人を支配してこれに害を及ぼすことのない』王国支配の下で,神がわたしたちの物質的必要と霊的必要を満たされることを保証しています。(伝道の書 8:9。イザヤ 25:6)今日でさえ,わたしたちが霊的食物に飢える必要はありません。神は季節ごとに,「忠実で思慮深い奴隷」を通して霊的食物を豊かに備えておられるからです。(マタイ 24:45-47。ペテロ第一 2:2)霊的に言って,エホバの証人は地上において最もよく養われている民です。あなたはそのような恵み深さに対する認識を示していますか。

      エホバはご自分を愛する者たちを保護される

      14 ダビデが,「エホバはそのすべての道において義にかなっておられ,そのすべてのみ業において忠節です」と言い得たのはなぜですか。

      14 わたしたちの愚かさが『わたしたちの道をゆがめ』,わたしたちに難儀をもたらすとしても,そうした困難な事態のゆえに決してエホバを非難すべきではありません。(箴言 19:3)ダビデは次のように述べてその理由を示しました。「エホバはそのすべての道において義にかなっておられ,そのすべてのみ業において忠節です」。(詩編 145:17)神の行動の仕方は常に廉直で公正,また憐れみに富んでいます。特にその憐れみは,イエスの贖いの犠牲による救いの備えにはっきり見られます。(使徒 2:21; 4:8-12)さらにエホバは「そのすべてのみ業において忠節」であられ,常に忠実で愛に富み,不公平ではありません。ですから,わたしたちも「神を見倣う者」として,廉直かつ公正であるよう,また憐れみに富み,不公平を避け,忠節であるようにしましょう。―エフェソス 5:1,2。申命記 32:4。詩編 7:10; 25:8。イザヤ 49:7。使徒 10:34,35。

      15 わたしたちはどのように『神を真実に呼び求めて』きましたか。そのようにすることから,どんな結果が生じましたか。

      15 神は義であられ,忠節であられるので,わたしたちは神に引き寄せられます。さらにダビデは次のような保証を与えています。「エホバは,ご自分を呼び求めるすべての者,ご自分を真実に呼び求めるすべての者の近くにおられます」。(詩編 145:18)わたしたちは献身した信者としてバプテスマを受ける時,エホバのみ名を呼び求めました。(使徒 8:12; 18:8。ローマ 10:10-15)このようにしてわたしたちは神に近づいたので,神はわたしたちに近づいてくださいます。(ヤコブ 4:8)わたしたちが『神を真実に呼び求める』と言えるのは,イエス・キリストを通し,真実な方法でそうするからです。またエホバは,わたしたちが「霊と真理をもって」神を崇拝し,「偽善のない信仰」を示し,『見えない方を見ているように終始確固としている』なら,わたしたちの近くにいてくださいます。(ヨハネ 4:23,24。テモテ第一 1:5。ヘブライ 11:27)その場合,わたしたちの祈りがむなしく終わることはなく,独りでサタンの世に立ち向かう必要もありません。むしろ,神からの助けと導きを受け続けることになるのです。(詩編 65:2。ヨハネ第一 5:19)それは何とすばらしい安全を意味するのでしょう。

      16 エホバはなぜ,またどのように『ご自分を恐れる者たちの願いを遂げてください』ますか。

      16 エホバはわたしたちのために他の事柄も行なってくださるので,わたしたちは真の安全を得ています。ダビデはこう述べました。「神はご自分を恐れる者たちの願いを遂げてくださり,助けを求めるその叫びを聞き,彼らを救ってくださいます」。(詩編 145:19)エホバは,わたしたちが神に対する深い崇敬の念と,神の不興を買うことに対する健全な恐れを抱くゆえに,『わたしたちの願いを遂げてくださる』のです。(箴言 1:7)わたしたちの従順な心はエホバに献身するようわたしたちを動かしてきました。ですからわたしたちは,『あなたのご意志がなされますように』という態度を保ちます。わたしたちが王国の音信を宣明するのは神のご意志ですから,神はその業を行ないたいという願いを叶えてくださいます。(マタイ 6:10。マルコ 13:10)神が『わたしたちの願いを遂げてくださる』のは,わたしたちが利己的な祈りをせず,神のご意志に調和したことを願い求めるからです。神は,ご意志にかなった,わたしたちの益になるものを与えてくださいます。―ヨハネ第一 3:21,22; 5:14,15。マタイ 26:36-44と比較してください。

      17 わたしたちの『助けを求める叫び』が神に聞かれるという確信を抱けるのはなぜですか。

      17 エホバの忠節な証人であるわたしたちは,『助けを求める叫び』が聞かれずに終わることはないという確信も抱けます。神はダビデを災厄から救い出されましたし,イエスを死人のうちから復活させることさえして,イエスを救われました。敵の襲撃,特にゴグの攻撃に遭う時,わたしたちはエホバがわたしたちを救い出してくださることを確信できるでしょう。(エゼキエル 38:1-39:16)実際,どんな問題に遭遇する時でも,ダビデのように確信をもってこう祈ることができます。「エホバよ,わたしに恵みを示してください。わたしは窮境に陥っているからです。……わたしは多くの者による悪い報告を聞いたからです。怖れが四方にあります。彼らが一丸となってわたしを攻めるとき,彼らはわたしの魂を取り去ることをたくらむのです。しかしわたしは ― エホバよ,わたしはあなたに信頼を置きました。わたしは言いました,『あなたはわたしの神です』」― 詩編 31:9-14。

      18 エホバが『ご自分を愛する者すべてを守り』,『邪悪な者を滅ぼし尽くす』ことを知るなら,わたしたちはどのように益を得られますか。

      18 エホバ神は常にわたしたちを助ける備えをしておられます。ダビデが述べるとおりです。「エホバはご自分を愛する者すべてを守っておられます。しかし邪悪な者については,神は彼らをみな滅ぼし尽くされます」。(詩編 145:20)そうです,もしわたしたちが神を愛するなら,神はわたしたちを祝福し,守ってくださいます。(民数記 6:24-26)神は「ごう慢さを示す者には,たっぷり報いを与え」られますが,謙遜な僕たちは保護し,永続的な害の及ぶようなことが何も起こらないようにしてくださいます。エホバがわたしたちと共にいてくださるのですから,勇気を持ちましょう。(詩編 31:20-24。使徒 11:19-21)『わたしたちを攻めるために形造られる武器はどれも功を奏しません』。(イザヤ 54:17。詩編 9:17; 11:4-7)神の忠実な献身した僕として神への愛を証明する人々は,そのことを経験します。エホバの証人はグループとして,邪悪な者に臨む「大患難」を無事に通過することになります。(啓示 7:14)また,エホバの宇宙的な王権に関する大論争が解決を見ることは,『神を愛する者すべて』にとってすばらしい祝福となります。

      エホバの聖なるみ名を,引き続きほめたたえなさい

      19 わたしたちの口が「エホバの賛美」を語るのはなぜですか。

      19 ダビデはこの感動的な詩を次のような言葉で結んでいます。「わたしの口はエホバの賛美を語ります。すべての肉なる者が,定めのない時に至るまで,まさに永久にその聖なるみ名をほめたたえるように」。(詩編 145:21)わたしたちはエホバの証人として,神の偉大さ,善良さ,恵み深い王権,尽きない支え,疲れを知らない見張りの気遣いなどを感謝しています。それでわたしたちの口は,ダビデのように,神への賛美を語ります。全き専心を神に示し,数多くの祝福を神に感謝し,神の「麗しいみ名」を賛美するよう動かされるのです。―歴代第一 29:10-13。出エジプト記 20:4-6。

      20 とこしえの将来を考慮に入れ,わたしたちは今どんな決意をすべきですか。

      20 エホバは日々わたしたちを祝福してくださるのですから,わたしたちはいつも神をほめたたえ,神をほめるようにしましょう。良いたよりを熱心に宣べ伝えて神を賛美し,まもなく『すべての肉なる者がその聖なるみ名をほめたたえるようになる』ことを他の人々に告げましょう。地のすべての住民,実に宇宙の理知ある被造物すべてにより,天の父に対する賛美が歌われる時に生活できるのは,何とすばらしいことなのでしょう。(詩編 148:1-13)み名を啓示してくださり,わたしたちにエホバの証人としての特権を与えてくださったエホバがあがめられますように。(詩編 83:18。イザヤ 43:10-12)わたしたちの振る舞いが,エホバのみ名を聖なるものとして扱い,み名が神聖にされることを祈り求める者たちにふさわしいものでありますように。(ルカ 11:2)では,神の新しい体制で,エホバの聖なるみ名を永久にほめたたえる人々のコーラスにわたしたちの声が含まれるよう,忠節をつくして神に仕えましょう。

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