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  • とこしえの王を賛美しなさい!
    ものみの塔 1996 | 4月1日
    • とこしえの王を賛美しなさい!

      「エホバは定めのない時に至るまで,まさに永久に王なのです」― 詩編 10:16。

      1 とこしえということに関してどんな質問が生じますか。

      とこしえ ― あなたは,とこしえということをどのように説明されますか。時間は本当に永遠に続くとお考えになりますか。時間が永遠の過去に及ぶことに疑問はありません。では,どうして永遠の未来に続かないということがあるでしょうか。実際のところ,新世界訳聖書は,神のことを,「定めのない時から,定めのない時に至るまで」賛美を受ける方と述べています。(詩編 41:13)この表現にはどんな意味があるでしょうか。関連した語である『空間』について考えてみると,これは理解しやすくなるでしょう。

      2,3 (イ)宇宙空間についてどんな質問をすると,とこしえということを認識しやすくなりますか。(ロ)わたしたちはなぜ,とこしえの王を崇拝したいと思うはずですか。

      2 宇宙空間はどこまで広がっているのでしょうか。それはどこかに果てがありますか。400年前まで,わたしたちの住む地球は宇宙の中心と考えられていました。そのころガリレオは望遠鏡を開発し,天空に対する見方を大いに広げました。今やガリレオはそれまでより多くの星を見ることができ,地球や他の惑星が太陽の周りを公転していることを実証できました。天の川はもはや乳白色の川のようには見えませんでした。それは星の大集団,1,000億個もの星の集まりだったのです。わたしたちは生涯をかけてもそれほど多くの星を実際に数えることはできないでしょう。その後,天文学者は,幾十億個もの銀河が存在することを知るようになりました。最も強力な望遠鏡でどこまで探ってみても,これらの銀河は宇宙空間に果てしなく広がっています。空間の広がりには全く果てがないように見えます。とこしえということについても同じです。時の流れに際限はありません。

      3 とこしえという概念は,わたしたち人間の限られた頭脳による理解を超越しているように思えます。しかし,それを完全に理解している方がおられます。その方は,幾十億もの銀河に散らばる幾千兆個とも知れない星を数えるだけでなく,それを個々の名前で呼ぶことまでされるのです。その方はこう述べておられます。「あなた方の目を高く上げて見よ。だれがこれらのものを創造したのか。それは,その軍勢を数によって引き出しておられる方であり,その方はそれらすべてを名によって呼ばれる。満ちあふれる活動力のゆえに,その方はまた力が強く,それらの一つとして欠けてはいない。あなたはまだ知るようになっていないのか。聞かなかったのか。地の果てを創造された方,エホバは,定めのない時に至るまで神である。神は疲れ果てることも,うみ疲れることもない。その理解は探り出すことができない」。(イザヤ 40:26,28)何と驚嘆すべき神なのでしょう。まさにこのような方こそ,わたしたちが崇拝したいと願う神であるはずです。

      『定めのない時に至る王』

      4 (イ)ダビデはとこしえの王に対する認識をどのように言い表わしましたか。(ロ)歴史上最も偉大な科学者の一人は,宇宙の起源についてどんな結論を述べましたか。

      4 詩編 10編16節で,ダビデはこの創造者なる神について,『エホバは定めのない時に至るまで,まさに永久に王である』と述べました。さらに詩編 29編10節で,「エホバは定めのない時に至るまで王として座られる」とも述べています。そうです,エホバはとこしえの王です。加えてダビデは,この崇高な王が,宇宙空間に見られる一切のものの設計者また造り主であることを証しして,詩編 19編1節で,「天は神の栄光を告げ知らせ,大空はみ手の業を語り告げている」と述べました。これよりおよそ2,700年後,広く知られる科学者アイザック・ニュートン卿は,ダビデと同じ考えを表明して,「この,太陽と惑星と彗星との極めて優美なる体系は,知性ある強大な存在者の意図と主権によってのみ生じ得る」と書いています。

      5 イザヤとパウロは,知恵の源である方について何と書いていますか。

      5 エホバは,広大な『天も,いや,天の天もお入れすることのできない』方です。(列王第一 8:27)このような主権者なる主エホバがとこしえに生きておられることを知ると,わたしたちは謙遜にさせられるのではないでしょうか。イザヤ 45章18節で,「天の創造者……地を形造られた方,それを造られた方」と描写されているエホバは,死すべき人間の頭脳が計り知るところをはるかに超えた広範な知恵の源であられます。コリント第一 1章19節で強調されている通り,エホバは,「わたしは賢人たちの知恵を滅ぼし,知能のたけた者たちのそう明さを押しのける」と述べておられます。これに加えて使徒パウロは,続く20節で,「賢い人はどこにいるのですか。書士はどこにいますか。この事物の体制の弁論家はどこですか。神は世の知恵を愚かなものとされたのではありませんか」と述べています。そうです,3章19節でパウロがさらに述べた通り,「この世の知恵は神にとっては愚かなもの……です」。

      6 伝道の書 3章11節は,「定めのない時」についてどんなことを示していますか。

      6 ソロモン王は天体も含む創造のみ業について,「神はすべてのものをその時にかなって美しく造られた。定めのない時をさえ彼らの心に置き,まことの神の行なわれた業を,人間が始めから終わりまで決して見いだすことができないようにされた」と述べました。(伝道の書 3:11)確かに,人の心には,「定めのない時」を,つまりとこしえということの意味を探り出そうとする思いが植え込まれました。しかし,人間は果たしてそれを知り極めることができるでしょうか。

      驚くべき命の見込み

      7,8 (イ)人類の前途にはどんな驚くべき命の見込みがありますか。その命はどのようにして得られますか。(ロ)わたしたちは神からの教育がずっととこしえに続くことをなぜ喜べますか。

      7 イエス・キリストはエホバへの祈りの中で,「彼らが,唯一まことの神であるあなたと,あなたがお遣わしになったイエス・キリストについての知識を取り入れること,これが永遠の命を意味しています」と言われました。(ヨハネ 17:3)どうしたらそのような知識を得ることができますか。神の言葉である聖書を研究することが必要です。それによって,楽園となる地上での永遠の命のためにみ子を通して設けられた備えを含め,神の壮大な目的について正確な知識を身に着けることができます。その命こそ,テモテ第一 6章19節の述べる「真の命」です。またそれは,エフェソス 3章11節が述べる,「キリスト,すなわちわたしたちの主イエスに関連して神がお立てになったとこしえの目的」にかなうところです。

      8 そうです,わたしたち罪を持つ人間が,神からの教育と,イエスの贖いの犠牲に対する信仰とによって,永遠の命を得ることができるのです。その教育はどれほど長く続くのでしょうか。それは,ずっととこしえに続きます。人類は創造者の持たれる知恵を漸進的に教えられてゆくのです。エホバの知恵は尽きることがありません。使徒パウロはその点を認めて,「ああ,神の富と知恵と知識の深さよ。その裁きは何と探りがたく,その道は何とたどりがたいものなのでしょう」と感動して述べました。(ローマ 11:33)テモテ第一 1章17節がエホバを「とこしえの王」と呼んでいるのはいかにも適切です。

      エホバの創造の知恵

      9,10 (イ)エホバは人類への贈り物として地球を整えるに当たって,どんな大いなる業を行なわれましたか。(ロ)エホバの卓越した知恵は,その創造物の中にどのように発揮されていますか。(囲み記事をご覧ください。)

      9 このとこしえの王がわたしたち人間のために備えてくださったすばらしい相続財産とも言うべきものについて考えてください。詩編 115編16節は,「天についていえば,天はエホバに属する。しかし地はというと,神はこれを人の子らにお与えになった」と述べています。これは壮大な委託物である,とお考えにならないでしょうか。まさにその通りです。そして,この地をわたしたちの住まいとして整えられたことのうちに,創造者の優れた先見を深く認識できるのではないでしょうか。―詩編 107:8。

      10 創世記 1章の述べる,創造の行なわれた『六日間』に,地上において驚嘆すべき物事の進展が生じました。その各一日は数千年の長さに及びました。それら神の創造されたものによって,ついには全地が,青草のじゅうたん,堂々たる森林,そして彩り豊かな花々で覆われることになっていました。魅力あふれる多彩な海洋生物と,愛らしく飛び回る大小の鳥と,多種多様の飼い慣らされる動物や野性の動物が満ちる所となるはずでした。これらの生物はそれぞれ「その種類にしたがって」繁殖するのです。そして,人間男女が創造されたことに関する描写に続いて,創世記 1章31節には,「神は自分の造ったすべてのものをご覧になったが,見よ,それは非常に良かった」と記されています。それら最初の人間は何と喜ばしい環境の中に置かれていたのでしょう。これら創造物すべてのうちに,わたしたちは,愛ある創造者の知恵と先見と配慮とを感じ取るのではないでしょうか。―イザヤ 45:11,12,18。

      11 ソロモンはエホバの創造に見られる知恵をどのように称賛しましたか。

      11 とこしえの王の持たれる知恵に驚嘆の念を深くしたのはソロモンでした。ソロモンは,繰り返し創造者の知恵に注意を喚起しました。(箴言 1:1,2; 2:1,6; 3:13-18)ソロモンは『地が定めのない時に至るまで立ちつづける』ことを保証しています。ソロモンは多くの創造の驚異を大いに称嘆しました。その一例として,地をさわやかに潤す雨雲の働きがあります。「冬の奔流はみな海に出て行くが,それでも海が満ちることはない。冬の奔流はその出て行く場所へ,そこへ帰っては出て行く」と,ソロモンは書いています。(伝道の書 1:4,7)ですから,雨が,そして水の流れが地を潤した後,その水は海から再び戻って雲の中に入ります。物を浄化しながら循環するこのような水の働きがなかったなら,この地上はどんな所となっていたでしょう。そして,わたしたちは一体どこに存在し得たでしょう。

      12,13 わたしたちは神による創造のみ業に対する認識をどのように示せますか。

      12 創造界の見事なバランスに対するわたしたちの認識は,実際の行動によって裏打ちされなければなりません。ソロモン王は伝道の書の結びの言葉の中でこう述べます。「すべてのことが聞かれたいま,事の結論はこうである。まことの神を恐れ,そのおきてを守れ。それが人の務めのすべてだからである。まことの神はあらゆる業をすべての隠された事柄に関連して,それが善いか悪いかを裁かれるからである」。(伝道の書 12:13,14)わたしたちは,何にせよ神の不興を買うような事柄を行なうことへの恐れを持たなければなりません。むしろ,深い畏敬の念を抱いて神に従おうとするべきです。

      13 確かに,わたしたちは,その栄えある創造のみ業のゆえに,とこしえの王を賛美したいと願うはずです。詩編 104編24節ははっきりこう述べます。「エホバよ,あなたのみ業は何と多いのでしょう。あなたはそのすべてを知恵をもって造られました。地はあなたの産物で満ちています」。わたしたちは喜びにあふれて詩編のこの部分の最後の一節に加わり,自分自身に,また他の人々にも,「わたしの魂よ,エホバをほめたたえよ。あなた方はヤハを賛美せよ」と語りましょう。

      最高の地的創造物

      14 神の創造物である人間は,どんな点で動物よりはるかに勝っていますか。

      14 エホバの創造のみ業はどれも見事です。しかし,地上の創造物として最も注目すべきものは,わたしたち,つまり人間です。アダム,そしてエバは,エホバの六日目の創造の業の頂点として,魚や鳥や動物よりはるかに勝るものとして造り出されました。これら他の生き物の多くは本能的に賢い生物ですが,人間には,理性と,正邪を判別する良心と,前途のために物事を計画する能力,さらには,崇拝の欲求が賦与されています。どうしてそうなったのでしょうか。人は,理知のない獣から進化したのではなく,神の像に創造されたのです。だからこそ,人間だけが創造者の特質を反映できるのです。その創造者はご自分のことを,「エホバ,エホバ,憐れみと慈しみに富み,怒ることに遅く,愛ある親切と真実とに満ちる神」とお告げになりました。―出エジプト記 34:6。

      15 わたしたちはなぜ謙遜な態度でエホバをたたえるべきですか。

      15 わたしたちの体の絶妙な仕組みのゆえにも,エホバを賛美し,感謝を表明しましょう。生命に欠くことのできない血液は60秒に1回,体中を循環しています。申命記 12章23節が述べる通り,「血は魂」,つまりわたしたちの命であり,神の目に貴重です。頑丈な骨,柔軟性に富む筋肉,敏しょうに反応する神経系,加えてどんな動物の脳よりもはるかに勝る頭脳があり,その頭脳は超高層ビルほどの大きさのコンピューターにも収まりようのないほどの容量があります。こうした事実は謙遜な思いを抱かせるのではないでしょうか。確かにその通りです。(箴言 22:4)次の点も考えてください。わたしたちの肺,のど,舌,歯,口は相互に組み合わさって,幾千もある言語のいずれについてもそれぞれ人間の音声を発します。ダビデはエホバへの適切な調べをつづり,「わたしはあなたをたたえます。なぜなら,わたしは畏怖の念を起こさせるまでにくすしく造られているからです。わたしの魂がよく知っているように,あなたのみ業はくすしいのです」と歌いました。(詩編 139:14)わたしたちもダビデに加わって,すばらしい設計者なる神エホバを,感謝を込めて賛美しましょう。

      16 有名な音楽家は,エホバへの賛美を込めてどんな歌を作りましたか。わたしたちは,心を引きつけるどんな招きの言葉にこたえ応じますか。

      16 ヨーゼフ・ハイドンによる18世紀のオラトリオの歌詞もエホバへの賛美を込めて,「いとくすしきそのみ業すべてよ,神に感謝をささげよ。その誉れを歌い,その栄光を歌い,そのみ名をほめ,高めよ。エホバの賛美はとわにとどまらん,アーメン,アーメン!」と歌っています。これよりさらに美しいのは,霊感のもとに記された,詩編の中のよく繰り返される表現です。例えば,詩編 107編の中で4回も差し伸べられている,「その愛ある親切に対して,人の子らへのそのくすしいみ業に対して,人々がエホバに感謝するように」という招きの言葉です。あなたもこの賛美に加わられるでしょうか。そうすべきです。なぜなら,真に麗しいものはすべて,とこしえの王エホバを源としているからです。

      さらに強大なみ業

      17 『モーセと子羊の歌』はどのようにエホバをほめたたえていますか。

      17 過去6,000年の間,とこしえの王は,さらに強大なみ業を進めてこられました。聖書の最後の書の啓示 15章3節と4節には,敵対する悪霊たちに勝利を収めた天にいる者たちに関する次の記述があります。「彼らは神の奴隷モーセの歌と子羊の歌を歌ってこう言う。『全能者なるエホバ神,あなたのみ業は偉大で,驚くべきものです。とこしえの王よ,あなたの道は義にかない,真実です。エホバよ,本当にだれがあなたを恐れないでしょうか,あなたのみ名の栄光をたたえないでしょうか。ただあなただけが忠節な方だからです。あらゆる国民はみ前に来て崇拝するのです。あなたの義なる定めは明らかにされたからです』」。なぜこれは『モーセと子羊の歌』と呼ばれているのでしょうか。その点を調べましょう。

      18 出エジプト記 15章の歌の中では,どんな強大なみ業のことが記念されていますか。

      18 およそ3,500年前,ファラオの強大な軍隊が紅海で壊滅した時,イスラエル人は感謝を込めてエホバへの賛美を歌いました。出エジプト記 15章1節と18節にこう記されています。「その時モーセとイスラエルの子らはエホバに向かってこの歌を歌い,次のように言いはじめた。『エホバに向かってわたしは歌う。神はまことに高められたから。馬とその乗り手とを海の中に投げ入れられた。エホバは定めなく,まさに永久に王として支配される』」。このとこしえの王の義なる定めは,その主権に挑んだ敵対者に裁きを下してそれを執行したことによって明らかにされたのです。

      19,20 (イ)エホバがイスラエル国民を組織されたのはなぜですか。(ロ)「子羊」や他の人たちはどのようにサタンの挑戦に答えてきましたか。

      19 なぜこのことが必要になったのでしょうか。エデンの園において,ずる賢い蛇は,わたしたちの最初の二親を誘って罪に陥れました。これは,人類全体に罪による不完全さを受け継がせる結果となりました。しかし,とこしえの王は,ご自身の初めからの目的のためにただちに処置を講じられました。それは,敵対する者すべてをやがて地上の領域から放逐して,パラダイスの状態を回復するためのものでした。これがどのように成し遂げられるかをあらかじめ示すために,とこしえの王は,イスラエルを一つの国民として組織し,律法をお与えになりました。―ガラテア 3:24。

      20 しかしやがて,このイスラエルが不忠実に陥りました。その悲しむべき事態が極みに達したのは,イスラエルの指導者たちが神の独り子をローマ人に引き渡し,残忍な拷問にかけて死なせた時です。(使徒 10:39。フィリピ 2:8)しかし,イエスは犠牲となる「神の子羊」として死に至るまで忠誠を保たれました。このことは,厳しい試練のもとでは地上のだれ一人として神への忠実を守れないという,神の年来の敵対者サタンの挑戦に対する,極めて強力な反ばくとなりました。(ヨハネ 1:29,36。ヨブ 1:9-12; 27:5)ほかにも,神を恐れる幾百万という人々が,アダムからの不完全性を受け継いではいても,イエスの足跡に従って,サタンによる攻撃の中で忠誠を守ってきました。―ペテロ第一 1:18,19; 2:19,21。

      21 使徒 17章29-31節に述べられているところに沿って,次にどんなことを取り上げますか。

      21 今,エホバがそれら忠実な人々に報いを与え,真理と義に敵対する者すべてに裁きを下すべき日が到来しています。(使徒 17:29-31)これはどのように起きるのでしょうか。その点は次の記事で扱われます。

  • とこしえの王を賛美しなさい!
    ものみの塔 1996 | 4月1日
    • エホバの卓越した知恵

      とこしえの王の持たれる知恵は,地上においてその方の産み出した物の中に実に様々な形で反映されています。アグルの言葉に注目してください。「神のことばはすべて精錬されている。神はご自分のもとに避難する者たちの盾である」と述べています。(箴言 30:5)次いでアグルは,神の創造された大小の生き物の多くについて述べています。例えば,24節から28節で,「地の最も小さいものが四ついるが,それらは本能的に賢い」と述べて,アリと岩ダヌキとイナゴとヤモリを挙げています。

      「本能的に賢い」― そうです,動物はそのように造られています。動物は人間のように物事を推論するのではなく,植え込まれた知恵によって行動します。あなたもこの点に驚きをお感じになったことがあるのではないでしょうか。何と整然と造り出されているのでしょう。一例を挙げましょう。アリは集団を成して組織的な生活を営みます。そこには,女王アリ,働きアリ,雄アリなどがいます。ある種のアリの場合,働きアリが特別の囲いをこしらえてアブラムシを飼育することさえします。働きアリは,いわばアブラムシの乳搾りをし,一方,兵隊アリは侵入して来る外敵をすべて撃退します。箴言 6章6節は,「怠惰な者よ,ありのところへ行け。そのやり方を見て,賢くなれ」と諭しています。このような例は,わたしたち人間に,「主の業においてなすべき事を常にいっぱいに」持つ励みを与えるのではないでしょうか。―コリント第一 15:58。

      人間は巨大な航空機を製作してきました。しかし,鳥の仲間のほうがはるかに機能性に富んでいるのではないでしょうか。例えば,ハチドリです。体重が30㌘にも満たないものもいます。ボーイング747型機は18万㍑もの燃料を積み,訓練を重ねた乗務員が操縦し,入り組んだ航行装置を用いて大洋横断の飛行をします。一方,小さなハチドリは1㌘ほどの脂肪を燃料とするだけで,北アメリカから,メキシコ湾を越え,さらに南アメリカにまでも飛びます。大量の燃料を積載することも,飛行の訓練も,入り組んだ図面やコンピューターに頼ることもありません。このような能力が進化の偶然の過程で生じたのでしょうか。そのようなことはあり得ません。この小さな鳥は本能的に賢く,創造者エホバ神によってそのように生体プログラムを授けられているのです。

  • 「あなた方はヤハを賛美せよ!」
    ものみの塔 1996 | 4月1日
    • 「あなた方はヤハを賛美せよ!」

      「すべて息あるもの ― それはヤハを賛美せよ」― 詩編 150:6。

      1,2 (イ)1世紀に真のキリスト教はどれほど栄えましたか。(ロ)使徒たちは前もってどんな警告を与えていましたか。(ハ)背教はどのようにして進展しましたか。

      イエスはご自分の弟子たちをクリスチャン会衆として組織され,その会衆は1世紀に栄えました。厳しい宗教的反対に遭いながらも,「良いたよりは天下の全創造物の中で宣べ伝えられ」ました。(コロサイ 1:23)しかし,イエス・キリストの使徒たちの死後,サタンはひそかに背教を育てました。

      2 使徒たちはあらかじめこのことを警告していました。例えば,パウロは,エフェソスから来た長老たちにこう言いました。「あなた方自身と群れのすべてに注意を払いなさい。神がご自身のみ子の血をもって買い取られた神の会衆を牧させるため,聖霊があなた方をその群れの中に監督として任命したのです。わたしが去った後に,圧制的なおおかみがあなた方の中に入って群れを優しく扱わないことを,わたしは知っています。そして,あなた方自身の中からも,弟子たちを引き離して自分につかせようとして曲がった事柄を言う者たちが起こるでしょう」。(使徒 20:28-30。ペテロ第二 2:1-3; ヨハネ第一 2:18,19もご覧ください。)果たして,4世紀になると,背教したキリスト教はローマ帝国と合体するようになりました。その幾世紀か後には,神聖ローマ帝国がローマの法王と結びついた形で人類のかなりの部分を支配するに至りました。やがて,プロテスタントの宗教改革がカトリック教会のひどい不正に対する反逆という形で進められましたが,それは真のキリスト教を復興させるには至りませんでした。

      3 (イ)良いたよりはいつ,どのように全創造物に宣べ伝えられましたか。(ロ)聖書に基づくどんな期待が1914年に実現しましたか。

      3 とはいえ,19世紀が終わりに近づいたころ,一群の誠実な聖書研究者たちが,再び『良いたよりの希望を天下の全創造物に』差し伸べ,それを宣べ伝えることに忙しく携わるようになりました。この一群の人々は,聖書預言の研究に基づき,30年以上にわたって1914年をあらかじめ指摘し,それが「諸国民の定められた時」の終わる年であることを示していました。それは,「七つの時」,つまり西暦前607年のエルサレムの荒廃をもって始まった2,520年の期間の終わりです。(ルカ 21:24。ダニエル 4:16)まさしく予期した通り,1914年は,地上における人間の物事の転換点となりました。天においても,歴史的な出来事が生じました。その時,とこしえの王は,ご自分の共に治める王イエス・キリストを天の王座に就け,地の表から悪を一掃して楽園を再び確立するための備えをされました。―詩編 2:6,8,9; 110:1,2,5。

      メシアなる王に目を留めなさい!

      4 イエスはどのように,ミカエルというご自分の名の意味にふさわしく行動されましたか。

      4 1914年,このメシアなる王イエスは行動を開始されました。聖書の中でイエスは,「だれか神のようであろうか」という意味のミカエルの名でも呼ばれています。イエスはエホバの主権を立証することに専心しているからです。啓示 12章7節から12節に記されているように,使徒ヨハネは,起きるはずの事柄を幻の形でこう描いていました。「天で戦争が起こった。ミカエルとその使いたちが龍と戦った。龍とその使いたちも戦ったが,優勢になれず,彼らのための場所ももはや天に見いだされなかった。こうして,大いなる龍,すなわち,初めからの蛇で,悪魔またサタンと呼ばれ,人の住む全地を惑わしている者は投げ落とされた。彼は地に投げ落とされ,その使いたちも共に投げ落とされた」。まさに決定的な没落でした。

      5,6 (イ)1914年以降に,天から,胸の躍るどんな宣言が発せられましたか。(ロ)マタイ 24章3-13節はこれとどのように結びついていますか。

      5 その時,天での非常に大きな声が次の宣言を発しました。「今や,救いと力とわたしたちの神の王国とそのキリストの権威とが実現した! わたしたちの兄弟を訴える者,日夜彼らをわたしたちの神の前で訴える者は投げ落とされたからである。そして彼ら[忠実なクリスチャン]は,子羊[キリスト・イエス]の血のゆえに,また自分たちの証しの言葉のゆえに彼を征服し,死に面してさえ自分の魂を愛さなかった」。これは,イエスの貴重な贖いの犠牲に信仰を働かせて忠誠を保った人々にとって救出となります。―箴言 10:2。ペテロ第二 2:9。

      6 天でのその大きな声は,さらにこう宣明しました。「このゆえに,天と天に住む者よ,喜べ! 地と海にとっては災いである。悪魔が,自分の時の短いことを知り,大きな怒りを抱いてあなた方のところに下ったからである」。こうしてこの地に関して預言された「災い」は,今世紀に地をさいなんできた世界戦争,飢きん,疫病,地震,不法などの形で表われてきました。マタイ 24章3節から13節に記述されている通り,イエスはこれらの事柄が「事物の体制の終結のしるし」の一部となることを予告されました。まさしく預言の通り,1914年以来,人類は地上でそれまでの人間の歴史を通じて類例のない災いを経験してきました。

      7 エホバの証人が緊急感を抱いて宣べ伝えるのはなぜですか。

      7 この,サタンから来る災いの時代に,人類は将来の希望を見いだすことができるでしょうか。もちろん,できます。マタイ 12章21節は,イエスに関して,「まさに,諸国民は彼の名に望みをかけるであろう」と述べているからです。諸国民の間に見られる痛ましい状態は,「事物の体制の終結のしるし」であるだけでなく,天のメシア王国の王としての『イエスの臨在のしるし』でもあるのです。その王国に関して,イエスはさらに,「王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」とも語られました。(マタイ 24:14)今日,地上において,神の王国の支配の壮大な希望を宣べ伝えているのはどんな人々でしょうか。エホバの証人です。証人たちは,義と平和を特徴とする神の王国が今や地上の物事を掌握しようとしていることを,緊急感を抱いて,公にも家から家にも宣べ伝えています。あなたは,この宣教の業に参加しておられますか。それに勝る特権はないのです!―テモテ第二 4:2,5。

      「終わり」はどのような形で到来するか

      8,9 (イ)裁きはどのように「神の家から」始まりましたか。(ロ)キリスト教世界はどのように神の言葉に背いてきましたか。

      8 人類は裁きの時に入っています。ペテロ第一 4章17節によれば,裁きは「神の家から」始まりました。つまり,クリスチャンの組織と唱えるものに対する裁きであり,その裁きは,1914年から1918年にかけての第一次世界大戦による大量殺りくをもって「終わりの日」が始まって以来明白になっています。キリスト教世界はこの裁きにおいて何を示してきたでしょうか。1914年以来の数々の戦争を諸教会が支持してきたことについて考えてください。僧職者たちは自分たちが説教して戦闘の前線に送り出した「罪のない貧しい者たちの魂の血こん」の染みで汚れているのではないでしょうか。―エレミヤ 2:34。

      9 マタイ 26章52節によれば,イエスは,「すべて剣を取る者は剣によって滅びる」と言われました。今世紀の多くの戦争においてこれは何と真実となってきたのでしょう。僧職者たちは若者に,他の若者たち,自分と同じ宗教に属する若者たちをさえ無差別に殺りくするよう勧めてきました。そのため,カトリック教徒がカトリック教徒を,プロテスタントがプロテスタントを殺しました。国家主義が神やキリストより上に掲げられました。最近アフリカの幾つかの国では,種族的結びつきが聖書の原則に優先するものとされました。ルワンダは人口の大多数がカトリック教徒ですが,少なくとも50万人が種族の違いによる暴力行為によって虐殺されました。法王はバチカンの新聞「オッセルバトーレ・ロマノ」の中で,「これは公然たる集団虐殺であり,遺憾ながら,カトリック教徒にもその責任がある」と認めざるを得ませんでした。―イザヤ 59:2,3; ミカ 4:3,5と比較してください。

      10 エホバは偽りの宗教にどんな裁きを執行されますか。

      10 互いに殺りくし合うことを勧め,あるいは自分の群れの成員が他の成員を殺しても何もしないでいる宗教を,とこしえの王はどうご覧になるでしょうか。大いなるバビロン,つまり偽りの宗教の世界的体制に関して,啓示 18章21節と24節はこう述べています。「ひとりの強いみ使いが,大きな臼石のような石を持ち上げ,それを海に投げ込んで,こう言った。『大いなる都市バビロンはこのように,速い勢いで投げ落とされ,二度と見いだされることはない。……彼女の中には,預言者と聖なる者たちの血,そして地上でほふられたすべての者の血が見いだされた』」。

      11 キリスト教世界ではどんな恐るべき状況が生じてきましたか。

      11 聖書の預言を成就する形で,キリスト教世界では恐るべき状況が生じています。(エレミヤ 5:30,31; 23:14と比較してください。)おおむね僧職者の側の自由放任的な態度によるものですが,その信徒たちは不道徳にむしばまれています。米国はキリスト教の国とされていますが,すべての結婚の約半数が離婚に終わっています。十代の妊娠や同性愛が教会員の間で手の施しようのないほど広まっています。僧職者が子供たちを性的に虐待しています。それもただ二,三の例ではありません。この種の事件に関する法廷の裁決によって,米国のカトリック教会は10年のうちに10億㌦を支払うことになる,と言われています。キリスト教世界は,コリント第一 6章9節と10節にある,「あなた方は,不義の者が神の王国を受け継がないことを知らないとでもいうのですか。惑わされてはなりません。淫行の者,偶像を礼拝する者,姦淫をする者,不自然な目的のために囲われた男,男どうしで寝る者,盗む者,貪欲な者,大酒飲み,ののしる者,ゆすり取る者はいずれも神の王国を受け継がないのです」という,使徒パウロの警告を無視してきました。

      12 (イ)とこしえの王は大いなるバビロンに対してどのように行動を起こされますか。(ロ)キリスト教世界とは対照的に,神の民はどんな理由で「ハレルヤ」のコーラスを合唱することになりますか。

      12 間もなく,とこしえの王エホバは,天の総司令官キリスト・イエスによって行動し,大患難を解き放たれます。まずキリスト教世界,および大いなるバビロンの他のすべての宗教がエホバの裁きの執行を受けます。(啓示 17:16,17)それらは,イエスの贖いの犠牲を通してエホバが備えられた救いに値しないことを示してきました。それらは神の聖なるみ名を侮ってきました。(エゼキエル 39:7と比較してください。)その豪しゃな大聖堂で「ハレルヤ」のコーラスを歌っているのは,何という愚弄でしょう。彼らは自分たちの聖書翻訳の中から貴いエホバのみ名を除き去っていますが,ヤハが「エホバ」の短縮形であり,「ハレルヤ」が「ヤハを賛美せよ」という意味であることには気づいていないように見えます。適切なことに,啓示 19章1節から6節は,大いなるバビロンに対する神の裁きの執行を祝って「ハレルヤ」のコーラスが間もなく合唱されることを記しています。

      13,14 (イ)次にどんな重大な出来事が生じますか。(ロ)神を恐れる人々にとってはどんな幸いな結果になりますか。

      13 それに続いて起きるのは,もろもろの国と民に裁きを宣告して執行するためのイエスの「到来」です。イエスご自身がこう預言されました。「人の子[キリスト・イエス]がその栄光のうちに到来し,またすべてのみ使いが彼と共に到来すると,そのとき彼は自分の栄光の[裁きの]座に座ります。そして,[地上の]すべての国の民が彼の前に集められ,彼は,羊飼いが羊をやぎから分けるように,人をひとりひとり分けます。そして彼は羊を自分の右に,やぎを自分の左に置くでしょう。それから王は自分の右にいる者たちにこう言います。『さあ,わたしの父に祝福された者たちよ,世の基が置かれて以来あなた方のために備えられている王国を受け継ぎなさい』」。(マタイ 25:31-34)さらに46節には,やぎの級が「去って永遠の切断に入り,義なる者たちは永遠の命に入ります」と述べられています。

      14 聖書の啓示の書は,「王の王,また主の主」,つまりわたしたちの天の主であるイエス・キリストが,その時ハルマゲドンの戦いへと乗り進み,サタンの体制の政治および商業の諸要素を滅ぼし去る様子を描いています。こうしてキリストは,「全能者なる神の憤りの怒り」を,サタンの地上の全領域に向けて注ぎ出すことになります。それら,『以前のものが過ぎ去る』とき,神を恐れる人々は輝かしい新しい世に導き入れられます。その新しい世において,神は「彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださ(る)」のです。―啓示 19:11-16; 21:3-5。

      ヤハを賛美すべき時

      15,16 (イ)エホバの預言の言葉に注意を払うことが肝要なのはなぜですか。(ロ)預言者たちや使徒たちの示すところによれば,わたしたちは救われるために何をしなければなりませんか。これは今日,非常に大勢の人々にとって何を意味しますか。

      15 裁きの執行されるその日は間近に迫っています。ですから,わたしたちは,とこしえの王の預言の言葉に注意を払うことが大切です。偽りの宗教の教えやしきたりに今なお巻き込まれている人々に対し,天からの声がこう宣明します。「わたしの民よ,彼女の罪にあずかることを望まず,彼女の災厄を共に受けることを望まないなら,彼女から出なさい」。しかし,そこから抜け出た人たちはどこへ行けばよいのでしょうか。真理はただ一つしかあり得ません。したがって,真の宗教もただ一つしか存在し得ません。(啓示 18:4。ヨハネ 8:31,32; 14:6; 17:3)わたしたちがとこしえの命を得るかどうかは,その宗教を見いだして,その神に従うことにかかっています。聖書は,詩編 83編18節で,「エホバなるみ名を持ちたまふ汝のみ全地を治むる至高者なることを人が知るためなり」と述べて,わたしたちの注意をその方に向けさせています。―ジェームズ王欽定訳。

      16 しかし,単にとこしえの王の名を知る以上のことをしなければなりません。聖書を研究し,その方の偉大な特質と壮大な目的について学ぶことが必要です。次いで,ローマ 10章9節から13節で示唆されているとおりに,今の時代に対するその方のご意志を行なうことが必要です。使徒パウロは,霊感を受けた預言者たちの言葉を引用し,「エホバの名を呼び求める者はみな救われる」と結んでいます。(ヨエル 2:32。ゼパニヤ 3:9)救われるのですか。そうです。エホバの設けてくださったキリストによる贖いの備えに信仰を働かせる,今日の非常に多くの人は,腐敗したサタンの世に裁きが執行される時に臨む,来たるべき大患難から救い出されます。―啓示 7:9,10,14。

      17 どんな壮大な希望を思うと,今モーセと子羊の歌に加わりたいという気持ちになるはずですか。

      17 生き残ることを望む人々に対する神のご意志は何でしょうか。それは今日この日にあっても,モーセと子羊の歌に加わって,とこしえの王の勝利を望み見ながらその方を賛美することです。わたしたちは,その方の輝かしい目的について他の人々にふれ告げることによってそうします。聖書の理解において進歩すると,わたしたちは献身してとこしえの王に命をささげます。それはこの強大な王がイザヤ 65章17節と18節で述べておられるような状態のもとでのとこしえの生活へとつながります。こう記されています。「いまわたしは新しい天[イエスのメシア王国]と新しい地[義にかなった新しい人類社会]を創造している……。以前のことは思い出されることも,心の中に上ることもない。しかし,あなた方はわたしが創造しているものに永久に歓喜し,それを喜べ」。

      18,19 (イ)詩編 145編のダビデの言葉は,何をするようわたしたちを動かすはずですか。(ロ)エホバのみ手によって何がなされるのを確信をこめて期待できますか。

      18 詩編作者ダビデは,とこしえの王を次のような言葉で描写しました。「エホバは大いなる方,大いに賛美されるべき方。その偉大さは探りがたい」。(詩編 145:3)エホバの偉大さは,時間や空間の限界と同じく探りがたいと言えます。(ローマ 11:33)わたしたちは創造者について,またみ子であるキリスト・イエスを通してなされた贖いの備えについて知識を深めてゆくにつれ,とこしえの王をますます賛美したいという気持ちになります。そして,詩編 145編11節から13節に述べられている事柄は,わたしたちがまさしく行ないたいと願う事柄となるでしょう。「彼らはあなたの王権の栄光について語り,あなたの力強さについて話します。それは,その力強い行ないと,その王権の光輝に満ちた栄光とを人の子らに知らせるためです。あなたの王権は定めのないすべての時にわたる王権,あなたの統治権は代々限りなく続きます」。

      19 わたしたちは,「あなたはみ手を開いて,すべての生きているものの願いを満たしておられます」と述べられた言葉に対して神が忠実であられる,と確信をこめて期待できます。とこしえの王は,この終わりの日の最後に至るまで,わたしたちを優しく導いてゆかれます。ダビデもこう保証しています。「エホバはご自分を愛する者すべてを守っておられます。しかし邪悪な者については,神は彼らをみな滅ぼし尽くされます」。―詩編 145:16,20。

      20 詩編の最後の五つの編で発せられている,とこしえの王の呼びかけに,あなたはどのようにこたえ応じますか。

      20 聖書の詩編の最後の五つの編はいずれも,「ハレルヤ」の呼びかけの言葉で始まり,また終わっています。例えば,詩編 146編はこう呼びかけています。「あなた方はヤハを賛美せよ! わたしの魂よ,エホバを賛美せよ。わたしは生きている限りエホバを賛美します。わたしのある限りわたしの神に調べを奏でます」。あなたはこの呼び声にこたえますか。あなたも,ヤハを賛美したいと願っておられるに違いありません。詩編 148編12節と13節は,「若者たちよ,また,処女たちよ。年老いた者たちも少年たちも。彼らがエホバのみ名を賛美するように。そのみ名だけが達しがたいまでに高いからである。その尊厳は地と天の上にある」と述べています。あなたもその中で述べられている人の一人でありますように。「あなた方はヤハを賛美せよ!」という呼びかけに,わたしたちは魂を込めてこたえ応じましょう。声を合わせてとこしえの王をほめたたえようではありませんか。

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