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  • 神の過分のご親切 ― その目的を逸してはなりません!
    ものみの塔 1988 | 8月1日
    • エホバ神の献身した僕として,わたしたちも解放を経験してきました。わたしたちは神の過分のご親切により,もはや大いなるバビロンの偽りの教理や伝統,またこの古い事物の体制に見られる悪の奴隷ではありません。(ヨハネ 8:32。コリント第二 4:4-6)そのような解放や,その結果としてもたらされる自由は,わたしたちに示された神の愛に感謝する機会を提供します。(ヨハネ第一 4:9)その感謝をわたしたちはどのように表わすことができるでしょうか。

      神の過分のご親切の目的を逸しないようにすることによって表わせます。神の過分のご親切には,エホバのそれら初期の僕たちの場合と同じく,わたしたちに真の崇拝を行なわせるという目的があります。今日これは,パウロの時代と同様に,わたしたちが「キリスト……に関する良いたよりを諸国民に宣明」しなければならないという意味です。(エフェソス 3:8)したがって,神の過分のご親切を受ける人は皆,クリスチャンの宣教にあずからなければなりません。これは,エホバ神の献身した僕として,他の人たちに真理を示し,神のみ名を高めて賛美し,清く聖なる崇拝を行なって神に仕える責任がわたしたちにあることを意味しています。―マタイ 28:19,20。ヘブライ 13:15。ヤコブ 1:27。

  • 神の過分のご親切 ― その目的を逸してはなりません!
    ものみの塔 1988 | 8月1日
    • わたしたちの業は,わたしたちがこの古い事物の体制とその偽りの宗教から解放された目的を逸していないことを示しているでしょうか。パウロはコリントの人々に,「今こそ特に受け入れられる時です」と言いました。それは救いを得るよう他の人を助けるためです。(コリント第二 6:2)この事物の体制に臨む滅びが間近に迫っている今日,パウロの言葉には一層の緊急感があります。

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