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聖書に対する洞察,第2巻
洞-2 「プリスカ」

プリスカ

[老婦人],プリスキラ[小柄な老婦人](Prisca,Priscilla)

短いほうの名前はパウロの書いたものに見られ,長いほうはルカによるものに見られます。ローマ人の名前でこのような変化は珍しくありませんでした。

プリスキラはアクラの妻で,常にアクラと共に出ています。二人はローマとエフェソスの両方において自分の家で会衆の集会を開くことにより,個人に対してだけでなく,会衆に対してもクリスチャンの立派な業ともてなしを示しました。

クラウディウス帝が布告を出したため,アクラとその妻は西暦50年ごろにローマを去り,コリントに向かいました。二人が到着して間もなく,パウロは二人に加わって天幕作りをしました。(使徒 18:2,3)二人はエフェソスまでパウロと共に旅行して,そこにしばらくとどまり,雄弁なアポロに『神の道をより正しく説き明かす』のに助けとなりました。(使徒 18:18,19,24-28; コリ一 16:19)二人は一時ローマに戻り(ロマ 16:3-5),その後またエフェソスに戻りました。(テモ二 4:19; テモ一 1:3)二人とパウロの親交は,西暦50年ごろから,その約15年後にパウロが死んだ時にまで及びました。そのような交友関係にあった間,二人は使徒パウロの魂のために「自分の首をかけ」ました。―ロマ 16:3,4。「アクラ」を参照。

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