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ロシア2008 エホバの証人の年鑑
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フェンスの外に投げられた手紙
1944年のことですが,後にレギーナの夫となるピョートルは,クリスチャンの中立の立場を保ったゆえにゴーリキー州の収容所に入れられていました。しかし,そのために宣べ伝える熱意がそがれることはありませんでした。ピョートルは,聖書の教えを短く説明した手紙を幾通も書いて封筒に入れ,ひもで縛って石につなぎ,高い有刺鉄線のフェンスの外に投げました。だれかが手紙を読んでくれることを期待していましたが,ある日そういう人が現われたのです。それは,リディヤ・ブラトバという名の少女でした。ピョートルはその少女を見つけてそっと呼び寄せ,聖書についてもっと学びたいか尋ねました。リディヤは学びたいと思い,また会う約束をしました。その後リディヤは定期的に貴重な手紙を拾いにやって来ました。
リディヤは良いたよりを熱心に宣べ伝える姉妹になり,やがてマリヤ・スミルノバとオルガ・セブリュギナとの聖書研究を司会するようになりました。その二人もエホバに仕え始めます。兄弟たちは姉妹たちを霊的に支えようと,収容所から直接この小さなグループに霊的食物を供給し始めました。ピョートルはそのために二重底の小さなスーツケースを作り,雑誌を詰められるようにしました。そして,エホバの証人ではない外部の人たちがそのスーツケースを持って収容所に出入りするよう手配しました。その人たちは,一人の姉妹の住所にスーツケースを届けました。
やがて姉妹たちは,その地域で宣べ伝える業を組織します。警察はそれに気づき,一人のスパイを送り込みました。それは当時よくあったことでした。その女性は学校の教師で,真理に関心があるふりをして姉妹たちの信頼を得ました。姉妹たちはこの種の経験がなかったので,新しい“姉妹”に聖書の真理を喜んで伝え,少したってから,文書をどのように受け取っているかを話しました。次にスーツケースが収容所から運び出された時,ピョートルは監禁処分になり,刑期がさらに25年追加されました。3人の姉妹たちもそれぞれ25年の刑を宣告されました。
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ロシア2008 エホバの証人の年鑑
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[95ページの図版]
オルガ・セブリュギナはピョートルの“石付き手紙”のおかげでエホバの僕になった
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