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    ものみの塔 1988 | 2月15日
    • 「あなた方の心を騒がせてはなりません」

      「あなた方の心を騒がせてはなりません。神に信仰を働かせ,またわたしにも信仰を働かせなさい」― ヨハネ 14:1。

      1 ヨハネ 14章1節にあるイエスの言葉が非常に時宜にかなっていたのはなぜですか。

      西暦33年ニサン14日のことでした。日没後に少人数の人たちがエルサレムの階上の部屋に集まっていました。その人たちの指導者は告別の諭しと激励を与え,その中で,「あなた方の心を騒がせてはなりません」と言われました。(ヨハネ 14:1)その後まもなく壊滅的な出来事が生じることになっていたので,その言葉は非常に時宜にかなっていました。その夜,その方は捕縛され,裁判にかけられ,死刑を宣告されたのです。

      2 その日が非常に重大な日だったのはなぜですか。何が弟子たちを助けましたか。

      2 その日が,人類の将来全体に影響する,歴史上最も重大な日であったと考えることには,十分な理由があります。その指導者イエスの犠牲の死は古代の数々の預言を成就し,イエスに信仰を持つ者たちに永遠の命を与えるための基盤となりました。(イザヤ 53:5-7。ヨハネ 3:16)しかし,その晩の精神的な痛手となる出来事に遭遇して茫然自失し,途方に暮れた使徒たちは,一時は面食らい,恐れにとらわれてしまいます。ペテロはイエスを否認することさえしました。(マタイ 26:69-75)ところが,忠実な使徒たちは約束の助け手である聖霊を受けてから,大胆に,動揺しないようになりました。(ヨハネ 14:16,17)そのため,ペテロとヨハネは厳しい反対に遭って拘留された時,「あらんかぎりの大胆さをもって」神の言葉を語るための助けを神に祈り求めました。その祈りは聞き届けられました。―使徒 4:1-3,29-31。

      3 今日,これほど多くの人がひどく動揺しているのはなぜですか。

      3 今日,わたしたちは激しく動揺する世界に住んでいます。この古い事物の体制の終わりは足早に近づいています。(テモテ第二 3:1-5)幾百万という人々が,家族生活や道徳規準の大々的な崩壊,奇病の驚くべき増加,政情不安,失業,食糧不足,テロ行為,核戦争の脅威などに個人的に影響されたり,ひどく悩まされたりしています。多くの人の心は,気の滅入るような,将来への恐れで動揺しています。イエスが予告されたように,「諸国民の苦もん」があり,「同時に人々は,人の住む地に臨もうとする事柄への恐れと予想から気を失います」。―ルカ 21:25,26。

      4 どのような要因により,クリスチャンはストレスを感じることがありますか。

      4 クリスチャンでさえ,こうした憂うつな要因から深刻な影響を受けることがあります。親族,隣人,同僚,学友,政府当局が示す宗教上の偏見や反対に起因するストレスに直面するかもしれません。(マタイ 24:9)では,どうすればこの困難な時代に,冷静さを保ち,動揺せずにすむでしょうか。状況が厳しいとき,どうすれば思いの平安を保てるでしょうか。どうすれば確信をもって将来に立ち向かえるでしょうか。日常化している強い不安を克服するために何が助けになるでしょうか。わたしたちは,イエスがヨハネ 14章1節でお与えになった諭しに関係した時期に生活しているので,その諭しを詳しく調べてみましょう。

      どうすれば不安を克服できるか

      5 聖書は励みとなるどんな勧めをわたしたちに与えていますか。

      5 イエスはご自分の使徒たちに,「あなた方の心を騒がせてはなりません」という愛ある励ましを与えてから,「神に信仰を働かせ,またわたしにも信仰を働かせなさい」と告げられました。(ヨハネ 14:1)霊感を受けて記された聖書は,これに類似した多くの勧めをわたしたちに与えています。「あなたの重荷をエホバご自身にゆだねよ。そうすれば,神が自らあなたを支えてくださる」,「あなたの道をエホバの上に転がし,神に頼れ。そうすれば,神ご自身が行動してくださる」などがその例です。(詩編 55:22; 37:5)パウロは次のような重要な忠告をフィリピの人たちに与えました。「何事も思い煩ってはなりません。ただ,事ごとに祈りと祈願をし,感謝をささげつつあなた方の請願を神に知っていただくようにしなさい。そうすれば,一切の考えに勝る神の平和が,あなた方の心と知力を,キリスト・イエスによって守ってくださるのです」― フィリピ 4:6,7。

      6,7 (イ)ストレスを軽減させる一つの方法は何ですか。(ロ)どうすれば,エホバとの親密な絆を培えますか。

      6 種々の問題や重い責任ゆえに不安や心配が生じ,時に自分の精神や健康がその影響を受ける場合もあります。しかし,一人の医学専門家は「うろたえてはならない」という本の中で,「自分が尊敬するだれかに自分の抱える問題を打ち明けることができるなら,……おおむねストレスの度合いは非常に軽減される」と述べています。他の人とのやり取りに関してそれが事実であるとすれば,神に話すことから得られる助けはそれをはるかに上回ります。わたしたちはエホバに対して抱く敬意よりも深い敬意をだれに示せるでしょうか。

      7 今日のクリスチャンにとってエホバとの親密で個人的な関係が非常に肝要なのはそのためです。エホバの円熟した僕たちはその点を十分わきまえているので,そうした関係を弱めかねない世の人々との交わりや気晴らしを避けるため十分注意します。(コリント第一 15:33)また,日に一,二回ではなく,頻繁に祈りによってエホバに語りかけることの重要性を認識しています。特に,若い,あるいは新しいクリスチャンは,み言葉の定期的な研究と黙想によって,またクリスチャンとしての交わりと奉仕によって,エホバとのこの親密な絆を培う必要があります。「神に近づきなさい。そうすれば,神はあなた方に近づいてくださいます」という勧めもあります。―ヤコブ 4:8。

      イエスがお与えになった諭し

      8,9 経済的な問題について,どんな積極的な諭しを当てはめることができますか。

      8 失業と経済不況が深刻な思い煩いの種になっている国は少なくありません。そのような心配事について,イエスは非常に積極的な諭しをお与えになりました。「何を食べまた何を飲むのだろうかと自分の魂のことで,また何を着るのだろうかと自分の体のことで思い煩うのをやめなさい。魂は食物より,体は衣服より大切ではありませんか」。(マタイ 6:25)そうです,魂と体,つまりその人全体は食物や衣服よりずっと重要なものなのです。神の僕たちは,自分たちの基本的な必要物が得られるよう神が助けてくださることを確信できます。イエスは次のような例を挙げておられます。「天の鳥をよく観察しなさい。種をまいたり,刈り取ったり,倉に集め入れたりはしません。それでも,あなた方の天の父はこれを養っておられます。あなた方はそれらより価値のあるものではありませんか」。(マタイ 6:26)人間という僕は神にとって非常に貴重であり,キリストも人間のためにご自分の命を捨てられましたが,神が鳥に必要物をあてがっておきながら,人間をないがしろにされるとは考えられません。

      9 次にイエスはこの点を強調するため,労したり紡いだりはしなくても,『栄光を極めたソロモンでさえ,これらの一つほどにも装ってはいなかった』野のゆりに言及されました。ソロモン王の統治はその光輝で有名でした。それからイエスは慰めを差し伸べるかのように,「[神は]ましてあなた方に衣を与えてくださらないことがあるでしょうか」と問いかけておられます。―マタイ 6:28-32。ソロモンの歌 3:9,10。

      10 (イ)イエスは慰めとなる言葉をだれに対して語られましたか。(ロ)イエスは将来のことについてどんな助言をお与えになりましたか。

      10 しかし,イエスは続けて,これが『王国と神の義を第一に求める』人々にのみ当てはまることを示されました。世界中のそのような真のクリスチャンは,神の王国が実際にどのようなものであるかを認識し,王国を生活の中で第一にしています。イエスの次の訓戒は彼らに当てはまります。「次の日のことを決して思い煩ってはなりません。次の日には次の日の思い煩いがあるのです。一日の悪いことはその日だけで十分です」。(マタイ 6:33,34)言い換えれば,それぞれの問題をそれが生じたときに扱い,将来のことを過度に思い煩ってはならないのです。

      11,12 あるクリスチャンたちは,エホバが助けを与え,自分たちの祈りに答えてくださったことをどのように実感しましたか。

      11 ところが,大抵の人は,特に物事がうまくゆかないときなど,将来のことを心配する傾向があります。しかし,クリスチャンは信仰をもってエホバに頼ることができ,また頼らなければなりません。エリナの例について考えてください。この女性の夫は重病にかかり,1年間は働けませんでした。エリナには二人の小さな子供と,世話の必要な老齢の父親がいたので,その上全時間の仕事を持つことはできませんでした。彼らはエホバに助けを祈り求めました。そのすぐ後のある朝のこと,彼らはドアの下にあった一つの封筒を見つけました。そこには,夫がまた働けるようになるまで十分に生活してゆけるだけの多額のお金が入っていたのです。この時宜にかなった助けに彼らは深く感謝しました。同じようなことが,困窮しているすべてのクリスチャンに生じると期待できる聖書的な根拠はありませんが,エホバがわたしたちの叫びをお聞きになることと,エホバには種々の方法でわたしたちを援助する力があることは確信できます。

      12 南アフリカに住む一人のクリスチャンのやもめは,二人の幼い子供たちに必要物をあてがうため仕事を探さなければなりませんでした。しかし,子供たちと共に時間を過ごせるよう,働くのは半日だけにしたいという強い願いを抱いていました。仕事は見つかったものの,必要なのは全時間勤務の秘書だという経営者の意向がはっきりしたので,そこをやめざるを得なくなりました。またもや失業してしまったこの姉妹は,真剣にエホバに助けを祈り求めました。3週間後,以前の経営者から,半日の勤務でよいから戻ってほしいという依頼がありました。姉妹は本当に喜びました! エホバが自分の祈りを聞き届けてくださったのだと思いました。

      エホバに祈願してください

      13 (イ)「祈願」にはどのような意味がありますか。(ロ)祈願について,聖書にはどんな実例がありますか。

      13 パウロが,「何事も思い煩ってはなりません」と忠告した後に,「ただ,事ごとに祈りと祈願をし,感謝をささげつつあなた方の請願を神に知っていただくようにしなさい」と付け加えていることにぜひ注目してください。(フィリピ 4:6)なぜ「祈願」のことが述べられているのでしょうか。この語には「真剣な懇願」あるいは「嘆願するような祈り」という意味があります。多大の圧力や重大な危機に面した場合のように,極めて真剣に神に哀願するという意味があるのです。パウロは囚人だったころ,『鎖につながれた大使として良いたより』を恐れずに宣べ伝えることができるよう,自分のために祈願をしてほしいと仲間のクリスチャンに頼みました。(エフェソス 6:18-20)ローマの士官であったコルネリオも「絶えず神に祈願をささげて」いました。「あなたの祈りと憐れみの施しとは記念として神のみ前に上りました」というみ使いの言葉を聞いて,コルネリオは大きな感動を覚えたに違いありません。加えてコルネリオは,聖霊によって油そそがれた最初の異邦人の一人になるという非常な特権に恵まれました。―使徒 10:1-4,24,44-48。

      14 エホバに対する真剣な嘆願は一度行なうだけでよいかどうか,どのように知ることができますか。

      14 エホバに対するそのような真剣な嘆願は通例一度だけ行なわれるのでないことは注目に値します。イエスは有名な山上の垂訓の中でこう教えられました。「求めつづけなさい。そうすれば与えられます。探しつづけなさい。そうすれば見いだせます。たたきつづけなさい。そうすれば開かれます」。(マタイ 7:7)多くの聖書翻訳はこの箇所を「求めよ……捜せ……たたけ」と訳していますが,原語のギリシャ語には継続的行為という考えが含まれています。a

      15 (イ)アルタクセルクセス王にぶどう酒を供していた時,ネヘミヤが憂うつだったのはなぜですか。(ロ)ネヘミヤはどのように,簡単な祈りをささげる以上のことを行ないましたか。

      15 ネヘミヤがぶどう酒の給仕長としてペルシャのアルタクセルクセス王に仕えていた時,王はネヘミヤがひどく憂うつな様子をしている理由を尋ねました。ネヘミヤは,エルサレムが荒廃状態にあることを知ったからであると答えました。それで王は「あなたが願い求めているこのことはどういうことなのか」と尋ねます。直ちにネヘミヤはエホバに助けを祈り求めました。短い時間,黙って祈ったに違いありません。それから,愛する故国の都市を再建するためエルサレムに戻る許可を願い求めます。その願いは聞き入れられます。(ネヘミヤ 2:1-6)しかし,ネヘミヤはこの重大なインタビューを受ける前に,助けを与えてくださるよう幾日もエホバに嘆願と祈願を行なっていました。(ネヘミヤ 1:4-11)ここには,あなたのための教訓が含まれていることにお気づきですか。

      エホバは答えてくださる

      16 (イ)アブラハムはどんな特別な特権にあずかりましたか。(ロ)わたしたちには,祈りに対する答えに関係することのあるどんな強力な助けがありますか。

      16 時折アブラハムは,み使いを通してエホバと意思を通わせる特権にあずかりました。(創世記 22:11-18; 18:1-33)今はそういうことは起きませんが,わたしたちにはアブラハムに付与されていなかった強力な助けがあります。その一つは,導きと慰めの尽きざる源,つまり完全にそろった聖書です。(詩編 119:105。ローマ 15:4)わたしたちが必要とする導きや励ましが聖書から得られるという場合は非常に多く,そのようにしてエホバは,望まれていた聖句を思い起こせるよう助けてくださるのです。語句索引や,神が組織を通して備えてくださった聖書関係の多くの出版物の一つから答えが得られることも珍しくありません。それらの出版物の詳しく豊富な索引は,必要な情報を見つけるためのもう一つの貴重な助けです。

      17 エホバはほかのどんな方法でわたしたちの祈りに答えてくださるかもしれませんか。また,親切で同情心に富んだクリスチャンはどのように助けになれますか。

      17 わたしたちが何かの問題,あるいは悲しみや失意で動揺しているなら,祈りに対する答えは別の方法でも与えられる場合があります。例えば,エホバの証人の会衆や大会で行なわれる聖書の話には,わたしたちがちょうど必要としていた“薬”が含まれているかもしれません。別のクリスチャンとの雑談が,わたしたちの必要とする事柄を与えてくれることもあります。会衆の長老たちが,励ましや助言を与えることができる場合も少なくありません。話をよく聞いてくれる円熟していて親切な,また同情心に富んだクリスチャンに自分の心を打ち明けて荷を軽くするだけで,気分がずっとよくなることも少なくありません。その友が,聖書的な考えについて熟考するよう助けてくれるときには,特にそう言えるでしょう。そうしたやり取りは,わたしたちの心と思いから重荷を取り去ることができます。―箴言 12:25。テサロニケ第一 5:14。

      18 クリスチャンが憂うつな時期を克服するのに,どんな特別な活動が助けになりますか。その方法によって,一人の若い開拓者はどのように助けられましたか。

      18 この「対処しにくい危機の時代」に一般化している憂うつな気分には,さまざまな形があります。(テモテ第二 3:1)人々が落胆し気落ちする原因もさまざまです。そうしたことはクリスチャンにも生じる可能性があり,非常に不愉快な経験となりかねません。それでも大勢の人たちは,良いたよりを宣べ伝えることが,一時的に憂うつな時期から立ち直るための助けになったことに気づいています。b あなたも試してみましたか。気分が少し沈んでいる時には,何らかの王国奉仕にあずかるよう努力してみましょう。神の王国について他の人々に語るのは,自分の気持ちを消極的なものから積極的なものに変化させる助けとなる場合が多いのです。エホバについて語り,そのみ言葉を用いるなら,神の霊の実である喜びを得,気分を変えることができます。(ガラテア 5:22)一人の若い開拓者の女性も,忙しく王国の業に携わることが,「[自分の]問題は他の人々の問題に比べて非常に小さく一時的なものにすぎないこと」を理解する助けになった,と認めています。

      19 健康のすぐれない一人のクリスチャンは,消極的な考えをどのように克服しましたか。

      19 時々,健康がすぐれないところへ心配や問題が重なって,憂うつになることがあります。そのため,心が騒いで夜中に目が覚めるかもしれません。健康がすぐれない一人の中年のクリスチャンは時折そのような経験をしました。しかしこの男性は,心からの祈りが真の助けになることを知りました。憂うつな気持ちになって目覚めるたびに,静かにエホバに祈ったのです。するとすぐに気持ちが楽になりました。この人は,詩編 23編などの慰めとなる聖句を繰り返し暗唱すると,気分が落ち着くことにも気づきました。祈りに対する答えとして,またはみ言葉を通して働くエホバの霊が,憂うつな精神状態に替えて幸福な精神状態を保てるよういつも助けてくれたのです。後にこの人は,問題を克服する方法を理解し,また問題に耐える強さが得られたように感じて,平衡の取れた冷静な態度で問題を考えられるようになりました。

      20 祈りに対する答えが時に手間取っているように思えるのはなぜですか。

      20 これは,祈りの答えがどのように与えられるかを示す一つの実例ですが,時に解決策を見いだすのに手間取るように思えることもあります。それはなぜですか。恐らく,答えは神のご予定の時を待たなければならないのかもしれません。神が,請願をする人の関心の深さ,願いの強さ,専心の純粋さを実証させておられる場合もあるようです。一人の詩編作者はそうした経験をしました。―詩編 88:13,14。コリント第二 12:7-10と比較してください。

      21 今日エホバの証人の一人であることが大きな特権と言えるのはなぜですか。わたしたちはどのように認識を示せますか。

      21 いずれにしても,祈りによって全能の神と意思を通わせるのは信仰を強める経験であり,わたしたちを絶望状態から確信に満ちた状態へと引き上げることができます。神が聞いて答えてくださるのを知るのは大きな慰めです。パウロがフィリピの会衆に書いたように,わたしたちは「感謝をささげつつ」祈りと祈願をささげるべきです。(フィリピ 4:6)エホバへの感謝のうちに,また「すべての事に感謝し(て)」,自分の心を日々開くべきです。(テサロニケ第一 5:18)それは親密で温かな絆に寄与し,わたしたちに平安をもたらします。次の記事には,現在の危険な動揺の時代に,これがエホバの僕たちにとってどれほど重要であるかが示されています。

      [脚注]

      a チャールズ・B・ウィリアムズは「新世界訳聖書」の正確な訳に調和して,この節をこう訳出しています。「求めつづけなさい。……探しつづけなさい。……たたきつづけなさい。そうすれば,扉は開かれます」― 新約聖書: 民衆の言葉による翻訳。

      b 一時的に悲しい気持ちになることは,ひどく憂うつな気持ちが長く続くこととは違います。後者の感情的・精神的状況は前者よりもはるかに深刻で複雑です。「目ざめよ!」誌1987年10月22日号の3-16ページをご覧ください。

  • 「あなた方に平安があるように」
    ものみの塔 1988 | 2月15日
    • 「あなた方に平安があるように」

      「イエスは来て彼らの真ん中に立ち,『あなた方に平安があるように』と言われた」― ヨハネ 20:19。

      1 世界平和をもたらそうとする人間の努力が失敗する定めにあるのはなぜですか。

      「全世界(は)邪悪な者の配下にある」。(ヨハネ第一 5:19)この言葉はヨハネの時代に当てはまりました。また,個人に加えられる暴行,テロ行為,戦争,道徳的腐敗が驚くほど増加している今日は,いよいよそれがはっきり認められます。さらに,霊感によるヨハネの記述からすると,法王や国の指導者たちや国連の努力の甲斐もなく,人間の努力によって世界平和を達成するという望みはすべて絶たれてしまいます。なぜでしょうか。「『邪悪な者たちに平和はない』と,わたしの神は言われた」からです。―イザヤ 57:21。

      2 「平和」という語,特にそのヘブライ語とギリシャ語にはどのような意味がありますか。

      2 しかし,「平和」という言葉には,戦争がないというだけではなく,それ以上の意味があります。平和は,「平静を乱す,もしくは気の滅入る考えや感情から解放されていることを特色とする精神的または霊的状態: 思いと心の平穏さ」であるとも言えるのです。しかし,「平和」に相当するヘブライ語(シャーローム)とギリシャ語(エイレーネー)には,もっと広い意味があります。この語は「安心して行きなさい」という別れの言葉の場合のように,福祉をも意味するのです。(サムエル第一 1:17; 29:7。ルカ 7:50; 8:48)この点は,イエスの死をめぐって精神的な痛手を被った時の弟子たちに対するイエスの愛ある関心を認識するための助けとなります。

      3 イエスは復活の後,どのようにご自分の弟子たちに深い関心を示されましたか。それにはどんな効果がありましたか。

      3 イエスは西暦33年ニサン14日の金曜日に死に,ニサン16日の日曜日に復活させられました。いつものようにご自分の弟子たちの福祉に深い関心を抱いておられたイエスは,その後に弟子たちを捜されました。イエスはどこで弟子たちを見つけたでしょうか。弟子たちは「ユダヤ人たちに対する恐れのため」錠をかけた扉の内側にいたのです。弟子たちが思い煩いと恐れにとらわれたのは無理からぬことでしたが,イエスは,「あなた方に平安があるように」と言われました。(ヨハネ 20:19-21,26)後日,弟子たちは聖霊によって強められ,成功を収めました。宣べ伝えるという割り当てに大胆に取り組み,多くの人が敬虔な平和を得られるよう助けたのです。

      今日の敬虔な平和

      4 エホバの民はこの危機の時代に,どうすれば思いと心の平和を保てますか。

      4 わたしたちは終わりの時,「対処しにくい危機の時代」に生活しています。(テモテ第二 3:1)戦争,食糧不足,病死などから分かるように,啓示の書で予告されていた騎士たちが地を乗り進んでいます。(啓示 6:3-8)エホバの民もまた,周囲の状況から影響を受けています。では,どのようにして思いと心の敬虔な平和を保てるのでしょうか。慰めと平和の大いなる源であられる方に絶えず近づくのです。前の記事に示されていたように,そのためには頻繁に祈り,祈願することが求められます。そのようにすれば,「一切の考えに勝る神の平和が,あなた方の心と知力を,キリスト・イエスによって守ってくださるのです」。―フィリピ 4:6,7。

      5 「神の平和」はわたしたちの心を守ることができるとパウロが確信していたのはなぜですか。

      5 これらの言葉を書き記した使徒パウロ自身,幾多の危険と困難を耐え忍びました。ユダヤ人とローマ人によって投獄され,殴打されました。石打ちにされ,死ぬにまかされました。当時の旅行には危険が伴いました。パウロは三度難船を経験し,しばしば追いはぎの危険にさらされました。眠らぬ夜を幾度も過ごし,寒さ,飢え,渇きによる苦しみも珍しくありませんでした。そのすべてに加え,「すべての会衆に対する心配」を日々感じていました。(コリント第二 11:24-28)ですから,パウロは,広範にわたる個人的な経験から,わたしたちの心を守ることのできる「神の平和」がどれほど重要なものかを知っていました。

      6 わたしたちの創造者との温かい親密な絆を確立し,維持することが肝要なのはなぜですか。

      6 「神の平和」は,神との良い関係を反映する平静かつ静穏な気持ちとも説明できるでしょう。特に迫害や患難に遭うとき,これはクリスチャンにとって非常に重要なものです。なぜでしょうか。わたしたちはみな不完全だからです。したがって,さまざまな問題,ストレス,反対,種々の挫折に苦しめられると,わたしたちは恐れにとらわれやすくなります。それが,忠誠を破るところまで進んでしまう場合もあります。そうしたことは神のみ名にそしりをもたらし,わたしたちからエホバの恵みを奪い,わたしたちが永遠の命を失う事態にも至りかねません。ですから,そのような挑戦に首尾よく立ち向かう助けになる「神の平和」を得るよう努めるのは,非常に肝要なことです。確かにその平和は,わたしたちの天の父が得られるようにしてくださった『良い賜物,また完全な贈り物』の一つです。―ヤコブ 1:17。

      7,8 (イ)「神の平和」は何に基づいていますか。それはどのような意味で,「一切の考えに勝る」ものですか。(ロ)アフリカの一兄弟の場合に,そうした平和がどのように実証されましたか。

      7 あなたは,ある人々が平穏で確信に満ちた生活を送っているのを見てこられたかもしれません。多くの場合,その原因となっているのは,生来の能力,家族の影響,富,教育,あるいはそれに類した他の要因です。「神の平和」はそれとは大いに異なっています。有利な境遇に基づくものでも,人間の能力や推論によって生じるものでもないのです。それは神から出て,「一切の考えに勝る」のです。フィリピ 4章7節のJ・B・フィリップス訳は,「人間の理解を超える,神の平和」となっています。世の人々は,クリスチャンが深刻な問題,身体的な危害,果ては死に立ち向かう時の様子にしばしば驚かされます。

      8 アフリカのある国でクリスチャンの集会を司会していたエホバの証人は,その点に関する現代の一例となりました。その国では,おもに地元のカトリック教徒の扇動によって,エホバの証人がテロリストとしての告発を受けていました。突然,銃剣を銃につけた憲兵隊がやって来ました。彼らは女と子供を家に帰したものの,男たちには殴打を加え始めました。その証人は次のように回顧しています。「私たちが受けた仕打ちをどう言い表わしてよいのか分かりません。責任者の伍長は,お前たちを死ぬまで殴打する,と公言しました。私は木のこん棒でしたたか打たれたので,その後90日間は血を吐きました。しかし,気がかりだったのは,仲間たちの命でした。私はエホバの羊であるその人たちの命を顧みてくださるよう,祈りのうちにエホバにお願いしました」。その仲間たちは全員生き残りました。極度の逆境にあっても平静を保ち,他の人々に愛ある気遣いを示した何とりっぱな模範なのでしょう。そうです,わたしたちの愛ある天の父は,ご自分の忠実な僕たちの求めに答え,ご自分の平和をお与えになるのです。その出来事に当惑した兵士たちの一人は,証人たちの神は「本当の神に違いない」と語りました。

      9 聖書を読んで黙想することには,どんな効果がありますか。

      9 この困難な時代に,多くのクリスチャンは問題を持ち,落胆と失意を味わわされています。思いの平安を保つ一つの優れた方法は,聖書を読み,それについて黙想することです。それは,前進して堅く立つための力と決意で人を満たすことができます。「神の言葉は生きていて,力を及ぼし」ます。―ヘブライ 4:12。

      10 聖句を思い起こせることは,どのように祝福をもたらす場合がありますか。

      10 しかし,聖書が手に入らない時に突然災難に見舞われたらどうでしょうか。例えば,いきなり逮捕され,聖書を持たずに刑務所にほうり込まれるクリスチャンがいるかもしれません。その場合,フィリピ 4章6,7節,箴言 3章5,6節,ペテロ第一 5章6,7節,詩編 23編などの聖句を思い起こせるのは文字通りの祝福となるでしょう。そのような聖句を思い起こし,それらの聖句について熟考できることを,あなたは深く感謝するのではないでしょうか。刑務所という苛酷な環境の中で,それはエホバご自身があなたに話しかけてくださるようなものです。神の言葉は精神的な痛手をいやし,弱った心を強くし,精神的な苦悩に替えて平和を与えることができるのです。(詩編 119:165をご覧ください。)そうです,まだ機会が開かれている今,頭の中に聖句を刻み込むのは非常に重要なことです。

      11 オランダの一兄弟は,霊的食物を必要としていることをどのように表わしましたか。

      11 アルトゥール・ウインクラーは,オランダがナチに占領され,特に,証人たちがクリスチャンの活動を地下で行なわなければならなかったころ,聖書の価値を深く認識しました。ゲシュタポはウインクラー兄弟を捜していました。ついに兄弟を捕らえたゲシュタポは,妥協させることに努めたものの成功せず,意識がなくなるまで兄弟を殴打しました。兄弟は歯を折られ,下あごをはずされ,皮がむけるほどに殴打されて,暗い独房に入れられました。しかし,看守は同情と親切を示してくれました。ウインクラー兄弟は祈りによってエホバの導きを求めましたが,霊的食物の必要をも痛感し,看守に助けを求めました。後日,独房の扉が開かれ,聖書が投げ込まれました。同兄弟は,『何という喜びでしょう。喜ばしい真理の言葉を毎日読むことができたのです。私は霊的にますます強められてゆくのを感じました』と述懐しました。a

      敬虔な平和はあなたを保護する

      12 わたしたちの心と知力を守ることが特に必要なのは,なぜですか。

      12 神の平和は『あなた方の心と知力を守る』と,エホバは約束しておられます。(フィリピ 4:7)これは極めて重要な約束です。心は動機と感情の座です。この終わりの日に,わたしたちの心は恐れや思い煩いですぐに弱くなったり,間違ったことを行なうよう唆したりします。生活の型全般が,急速に堕落しています。わたしたちは絶えず警戒していなければなりません。強い心が必要というだけではなく,自分の「知力」を強め,それが,み言葉と神の会衆を通して神に導かれるようにしなければなりません。

      13 知力を守ることから,どんな益が得られますか。

      13 W・E・バインによれば,ギリシャ語のノエーマ(「知力」と訳される)には,「目的」あるいは「計画」という考えが含まれています。(新約聖書用語解説辞典)ですから,神の平和は,わたしたちクリスチャンの目的を強めることができ,正当な理由もなくわたしたちの思いを弱めたり変えたりするどんな傾向にも流されないよう,わたしたちを守れるのです。それで,落胆や種々の問題ゆえにわたしたちの意欲が容易にくじかれることはなくなるでしょう。例えば,全時間の開拓奉仕者になったり,奉仕者が大いに必要な所へ移動したりするような,何らかの特別な立場でエホバに奉仕することを目的として歩んできたなら,「神の平和」はそうした目標を堅持するための大きな助けとなるでしょう。(ルカ 1:3; 使徒 15:36; 19:21; ローマ 15:22-24,28; テサロニケ第一 2:1,18と比較してください。)知力を一層強くするため,神の言葉の研究と,クリスチャンの交わりに十分な時間を充ててください。そうすれば,自分の思いと心を,清く築き上げる考えで養うことになります。あなたは,神の霊感による「ことば」に没頭するため,十分な時間を充てることができますか。そのことにもっと注意を払う必要がありますか。

      14 わたしたちは霊感によるどんな諭しに細心の注意を払うべきですか。それはなぜですか。

      14 「神の平和」を得て,その益にあずかることには,心と思い,つまり知力の両者が関係していることがお分かりになるでしょう。その点は,神からの次の助言の中で実証されています。「我が子よ,わたしの言葉に注意を払え。わたしのことばに耳を傾けよ。それがあなたの目から離れ去ることのないように。それをあなたの心の中に保て。それは,これを見いだす者たちにとっての命であり,その全身に健康を保たせるものだからである。守るべき他のすべてのものに勝ってあなたの心を守れ。命はそこに源を発しているからである」― 箴言 4:20-23。

      15 わたしたちが「神の平和」を得ることに関して,イエスはどんな役割を担っておられますか。

      15 エホバとの温かい親密な絆から生じる「神の平和」は,「キリスト・イエスによって」わたしたちの心と知力を守ってくれます。(フィリピ 4:7)このことに関してイエスはどんな役割を担っておられるのでしょうか。パウロはこう説明しています。「わたしたちの父なる神と主イエス・キリストからの過分のご親切と平和があなた方にありますように。キリストはわたしたちの罪のためにご自身を与えてくださいましたが,それは,わたしたちの神また父のご意志にしたがってわたしたちを現在の邪悪な事物の体制から救い出すためでした」。(ガラテア 1:3,4)そうです,イエスはわたしたちが贖われるよう,愛をもってご自分の命を与えてくださいました。(マタイ 20:28)したがって,わたしたちがエホバの献身した僕として受け入れられ,わたしたちの保護となり得る敬虔な平和を享受できる立場にとどまれるのは,「キリスト・イエスによって」いるのです。

      敬虔な平和を脅かす危険

      16 パウロは,「神の平和」を保つ助けになるどんな諭しを与えましたか。

      16 いったん神からの平和を与えられ,享受したあとは,それを保つために注意を払うべきです。クリスチャンから平和を奪う要因はたくさんあります。最も一般的で,間違いなく最も危険なものの一つは,若い時の欲望です。パウロは,当時すでに30代の初めに達していたと思われるテモテに宛てた第二の手紙の中に,次の諭しを含めました。「若さに伴いがちな欲望から逃れ,清い心で主を呼び求める人々と共に,義と信仰と愛と平和を追い求めなさい」― テモテ第二 2:22。

      17 性というエホバの備えに関して,しばしばどのようなことが生じてきましたか。

      17 この欲望には,結婚関係においてのみ誉れある立場を占める性的な衝動が含まれています。ところが,歴史を通じてこの衝動は,いずれも賢明な創造者に是認されない婚前交渉や結婚関係外の性関係という誤った形で表わされてきました。(ヘブライ 13:4。創世記 34:1-3)性の不道徳に屈する危険は,若者と年長者の別を問わず,今日のクリスチャンを脅かしています。道徳的に堕落した世界のこの終わりの日に,性は多くの人にとって単なる肉的な情欲を意味するにすぎません。それには大抵,男女の同性愛者の間で一般化しているような習慣が伴っています。―ローマ 1:24-27。

      18 ある人々の心がまだ確固としていないのはなぜですか。それはどんな結果を生み出すかもしれませんか。

      18 わたしたちがそうした風潮に囲まれて生活しているという事実は,エホバにささげた強い確固とした心を持つことがいかに不可欠かという点を強調するものです。王国の音信を受け入れ,聖書の基本的な真理を信じ,定期的にエホバの民と交わっていても,ある人々はエホバとそのみ言葉,また神の世界的な会衆に対する深い認識を培っていません。彼らの心はまだ確固としていません。「若さに伴いがちな欲望」によってやすやすと脇道へそれてしまうことがあります。そうした人の中には,淫行や姦淫を犯させようとする誘惑に抵抗するような人もいますが,彼らはパウロの警告にあるように,「神を愛するより快楽を愛する者」となります。(テモテ第二 3:4)個人研究,クリスチャンの集会,王国の奉仕に費やすよりもずっと多くの時間を,テレビを見ること,小説を読むこと,抑制の欠けた音楽を聴くことに充てているのです。それは,霊的な衰弱,挙げ句の果ては重大な罪に陥るという結果を生み出しやすいものです。

      19 流されないようにするには,何をすべきですか。

      19 そのような人たちは,錨のついていないボートのように,災難へと向かう時流に流されています。そのような人たちは何をすべきでしょうか。パウロは「それゆえわたしたちは,自分が聞いたことに普通以上の注意を払い,決して流されないようにすることが必要です」と助言しています。(ヘブライ 2:1)ですから,危険にさらされている人々は,神の言葉を研究したり,クリスチャンの集会の準備をしたり,他の人々に王国の真理を分かち与えたりする面で「普通以上の注意を払(う)」べきです。もちろん,『それは良い助言だが,私はそういう状況にはいないので,私には当てはまらない』と考えるのは容易でしょう。わたしたち各自が,どうすれば自分の心や内奥の考えや欲望をもっと清くし,「清い心で主を呼び求める人々と共に,義と信仰と愛と平和を追い求め」ることができるかを真剣に考えるほうが,はるかに賢明でしょう。(テモテ第二 2:22)わたしたちはとりわけ,導きと,人を強める神の霊の助けを神に求めなければなりません。

      20 だれであれ,由々しい悪行を犯した人は何をすべきですか。

      20 だれであれ由々しい悪行の罪を負っているのにそれを覆い隠しているなら,その人は明らかに,以前に得ていたエホバの是認と「神の平和」を失うでしょう。また,自分自身の思いの平安も失うでしょう。(サムエル第二 24:10; マタイ 6:22,23と比較してください。)そのようなときは,だれであれ重大な罪に陥ったクリスチャンが,その罪をエホバと,霊的ないやしを促進できる愛ある長老たちにどうしても告白しなければならない理由はご存じでしょう。(イザヤ 1:18,19; 32:1,2。ヤコブ 5:14,15)罪という不安定な道で霊的な平衡を失ってしまった人が円熟した兄弟たちの助けを求めるとき,やましい良心を抱え続ける,つまり敬虔な平和を失ったままでいることはありません。

      21 今日わたしたちには,エホバに深く感謝すべきどんないわれがありますか。わたしたちはどんな決意を抱くべきですか。

      21 今日,エホバの献身した証人たちの一人となるのは大きな特権です。周囲のこのサタンの世は,すべて崩壊の途上にあり,混乱の場と化しています。サタンの世は間もなく過ぎ去ってしまうでしょう。多くの人は,「人の住む地に臨もうとする事柄への恐れと予想から気を失(って)います」。しかしわたしたちは,「救出が近づいている」ことを知っているので,頭を上げることができます。(ルカ 21:25-28)わたしたちが「一切の考えに勝る[神の]平和」をエホバにどれほど感謝しているかを示すため,「平和を与えてくださる神」に忠実に仕える面で最善を尽くしましょう。―ローマ 15:33。コリント第一 15:58。

      [脚注]

      a 「1986 エホバの証人の年鑑」,154-157ページをご覧ください。

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