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  • エホバの天の兵車は前進する
    ものみの塔 1991 | 3月15日
    • 天の兵車と共に前進する

      18 み使いたちの支えを引き続き得るためには,何を行なわなければなりませんか。わたしたちは何に対して敏感であるべきですか。

      18 柔順なみ使いたちは,神の裁きの警告をふれ告げるという任務を果たせるようエホバの地上の僕たちを援助しながら,神の天的な組織の一部として,一斉に前進します。神の僕であるこれら力強いみ使いたちからの保護と導きを引き続き受けたいなら,わたしたちも象徴的な車輪と共に一斉に前進し,その車輪と歩調を合わせなければなりません。さらには,神の天の兵車と共に前進する,目に見えるエホバの組織の一部として,神の霊の導きに敏感でなければなりません。(フィリピ 2:13と比較してください。)もしわたしたちがエホバの証人であるなら,天の兵車と同じ方向に動かなければなりません。決してそれと相反する目的のために力を傾けてはなりません。わたしたちの行くべき道が指示されるなら,それに従うべきです。そうすれば,会衆が分裂することはありません。―コリント第一 1:10。

      19 (イ)天の兵車の輪全体に目があるのと同じように,エホバの民はどんなことに対して機敏でなければなりませんか。(ロ)この混乱した時代にあって,わたしたちはどんな行動を取るべきですか。

      19 神の兵車の輪全体に目があることは,機敏さを表わします。天的な組織が機敏であるように,わたしたちもエホバの地上の組織を支持するために機敏でなければなりません。会衆のレベルでは,地元の長老たちと協力することによって,そのような支持を表わすことができます。(ヘブライ 13:17)また,この混乱した時代にあって,クリスチャンはエホバの組織に非常に堅く付き従う必要があります。わたしたちは,様々な出来事に自分自身の解釈を加えたいとは思いません。そのようなことをすれば,エホバの天の兵車と共に進むことにはならないからです。『天の兵車はどの方向に進んでいるのだろうか』と絶えず自問しましょう。わたしたちが目に見える神の組織と共に前進するなら,目に見えない神の組織と共に進んでいることにもなるのです。

      20 フィリピ 3章13-16節で,使徒パウロはどんな優れた諭しを与えていますか。

      20 この点に関してパウロはこう書きました。「兄弟たち,わたしはまだ,自分がそれをとらえたとは考えていません。それについては一つのことがあるのみです。すなわち,後ろのものを忘れ,前のものに向かって身を伸ばし,キリスト・イエスによる神からの賞である上への召しのため,目標に向かってひたすら走っているのです。それで,わたしたちのうち円熟した者は皆,このような精神態度を抱きましょう。そして,もしあなた方が何かの点でこれと異なる考え方をしているとしても,神はここに述べた態度をあなた方に啓示してくださるでしょう。いずれにしても,自分がどこまで進歩したかに応じ,その同じ仕方で整然と歩んでゆきましょう」― フィリピ 3:13-16。

      21 どんな方式に従えば,神の組織と共に霊的な進歩を遂げることが可能になりますか。

      21 ここで用いられている「仕方」という言葉(英語はroutine。基本的には,決まった方式)は,わたしたちが抜け出すことのできない悪習を意味しているのではありません。エホバの僕たちには,霊的に進歩するための優れた方式があります。その方式となるのは,聖書の個人研究を行なうこと,会衆の集会に出席すること,王国の良いたよりを定期的に宣べ伝えること,神の天的な組織に見られるさまざまな特質を反映することなどです。そのような方式により,彼らはエホバの天の兵車のような組織から出される指導に従うことができます。そのような方法に従ってがんばり通すことにより,わたしたちは天における不滅の命という賞であれ,地上の楽園における永遠の命であれ,自分の目標に到達することになります。

      22 (イ)油そそがれた残りの者とほかの羊の大群衆が組織されて一つになるため,どんなことがなされなければなりませんか。(ロ)どんな事柄は,エホバの目に留まらずにはすみませんか。

      22 ヨハネ 10章16節に指摘されているように,「ほかの羊」とエゼキエル級は組織されて一つになります。ですから,神の天の兵車と共に一斉に前進したいなら,エホバの組織の成員すべてにとって,エゼキエル 1章に記されている幻の十分な意味と重要性を把握するのは肝要なことです。この兵車に関する幻は,わたしたちが神の目に見える組織および目に見えない組織と調和して前進すべきことを認識するための助けになります。さらに,エホバの「目はあまねく全地を行き巡っており,ご自分に対して心の全き者たちのためにみ力を表わしてくださる」ことも銘記してください。(歴代第二 16:9)エホバの目に留まらないものは一つもありません。ご自分が宇宙主権者であることを立証するという目的に関係した事柄には,特にそれが当てはまります。

      23 わたしたちは前進するエホバの天の兵車と共に何をすべきですか。

      23 今日,エホバの天の兵車は確かに前進しています。程なくしてすべてのものが,この兵車に乗っておられる栄光に輝く方と調和して栄光を受けることになり,そのすべては,宇宙の主権者なる主であられる方の立証につながります。神に仕えるセラフやケルブやみ使いたちは,全世界の壮大な宣べ伝える業を行なっているわたしたちを支援しています。それでは,エホバの天的な組織と共に前進してください。しかしどうすれば,高速で動いているその天の兵車と歩調を合わせることができるでしょうか。

  • エホバの天の兵車と歩調を合わせなさい
    ものみの塔 1991 | 3月15日
    • エホバの天の兵車と歩調を合わせなさい

      「彼らが聞こうが聞くまいが,あなたはわたしの言葉を彼らに話さなければならない」― エゼキエル 2:7。

      1,2 エゼキエルは,王にふさわしいどんな乗り物を見ましたか。エゼキエルにどんなことが告げられましたか。

      エホバの天の兵車は今エホバの僕たちの前にあります。彼らは信仰の目で,彼らの主権者なる主の,王にふさわしいその乗り物を見ています。それは栄光に輝き,畏怖の念を起こさせ,荘重な印象を与えます。

      2 約2,600年前にも幻の中で,王にふさわしい同様の乗り物が,神の預言者エゼキエルの前に止まりました。王座をいただくこの兵車 ― 霊の被造物から成る神の天的な組織 ― から,エホバは次のような劇的な命令をエゼキエルにお与えになりました。「顔が不遜で,心の固い子ら ― わたしは彼らのもとにあなたを遣わすのである。あなたは彼らに言わなければならない,『主権者なる主エホバはこのように言われた』と。そして彼らについていえば,彼らが聞こうが聞くまいが ― 彼らは反逆の家であるので ― 彼らは預言者が自分たちの中にいたことをも必ず知るようになる」― エゼキエル 2:4,5。

      3 エゼキエルにはどんな現代版がありますか。

      3 エゼキエルは神のみ手の中にあるただ一つの器として奉仕し,その任務を断固たる態度で果たしました。同様に今も神は,ご自分の管理下にある組織上のただ一つの器を持っておられます。エゼキエル級,つまり油そそがれた残りの者は,最終的な証しの業の最前線に立っており,「ほかの羊」の「大群衆」がその周りに結集して残りの者を支えています。(ヨハネ 10:16。啓示 7:9,10)彼らは一緒になって「一つの群れ」となり,りっぱな羊飼いであるイエス・キリストが,兵車の偉大な乗り手であられるエホバ神の主権のもとで,彼らを導いています。

      4,5 目に見える神の組織は,どのようにして存在するようになりましたか。その組織はイザヤ 60章22節と調和して,何を経験してきましたか。

      4 この世界的な組織はエホバの指示のもとで小さな始まりから成長し,「神を恐れ,神に栄光を帰せよ。神による裁きの時が到来したからである」という布告をふれ告げる強力な機関になりました。(啓示 14:7)エゼキエルが自分自身を預言者として立てたり任命したりはしなかったように,目に見える神の組織も,自らを立てたり任命したりしたわけではありません。その組織は,人間の意志や努力から生じたものではありません。兵車の乗り手であられる神の働きにより,この組織が存在するようになりました。神の霊によって力づけられ,聖なるみ使いたちに支えられて,エホバの民は「小なる者が強大な国民となる」ほどの非常に劇的な拡大を経験してきました。―イザヤ 60:22。

      5 現在は400万余りのエホバの証人が,212の国や地域で王国の音信をふれ告げています。彼らは6万3,000を超える会衆に分けられ,それらの会衆は巡回区や地域区に組織されています。本部組織の中核をなす統治体の指示のもとで,大規模な支部事務所と印刷施設が運営されています。すべての人がまるで一人の人のように前進し,良いたよりを宣べ伝え,こたえ応じる人々を教育し,集会場を建てているのです。そうです,目に見えるエホバの組織は,天の兵車およびその乗り手と歩調を合わせているのです。

      6 目に見えるエホバの組織と歩調を合わせることには,何が関係していますか。

      6 もしあなたがエホバの証人であるなら,あなたは目に見える神の組織と歩調を合わせていますか。神の組織と歩調を合わせるとは,クリスチャンの集会に出席し,宣教のために時間を費やすというだけの問題ではありません。まず第一に,歩調は進歩や霊的な成長と関係があります。積極的な見方をし,正しい優先順位を定め,最新の情報に通じていることが関係しているのです。もしわたしたちがエホバの天の兵車と歩調を合わせているなら,わたしたちの生活は自分がふれ告げる音信と調和していることになります。

      7 神の預言者としてのエゼキエルの行動について考慮するのはなぜですか。

      7 歩調を合わせるという事柄において,エホバの現代の僕たちはエゼキエルの模範から多くを学ぶことができます。エゼキエルはエホバから預言者として特別な任命を受けましたが,それでもエゼキエルには様々な感情や関心事や必要がありました。例えば,比較的若くして結婚したエゼキエルは,妻と死別するという悲しみを味わいました。しかし彼は,エホバの預言者としての任務を決して見失いませんでした。エゼキエルが他の点でもどのように行動したかを考慮することによって,わたしたちは自分を強くし,目に見える神の組織と歩調を合わせることができます。そのようにして,わたしたちは目に見えない神の組織と歩調を合わせることができます。

      任務は受け入れられ,果たされる

      8 エゼキエルは自分の任務に関して,どんな模範を残しましたか。

      8 エゼキエルは自分の任務を受け入れ,それを果たすことによって立派な模範を残しました。しかし,その任務を遂行するには従順と勇気が必要とされました。こう記されているからです。「人の子よ,あなたは彼らを恐れてはならない。また彼らの言葉を恐れてはならない。かたくなな者たちと,あなたを刺す物とがあり,あなたはさそりの間に住んでいるからである。彼らの言葉を恐れてはならない。また,彼らの顔を見て恐怖の念を抱いてはならない。彼らは反逆の家だからである。そして彼らが聞こうが聞くまいが,あなたはわたしの言葉を彼らに話さなければならない。彼らは反逆の者だからである。そして,人の子よ,あなたはわたしがあなたに話すことを聞け。反逆の家のように反逆する者となってはならない」― エゼキエル 2:6-8。

      9 何を行なって初めて,エゼキエルは血の罪を免れることができましたか。

      9 エゼキエルは自分の任務を果たすために絶えず励ましを必要とする無関心な,あるいは恐れの気持ちの強い者になってはなりませんでした。喜んで,また大胆にエホバの言葉を語って初めて血の罪を免れることができたのです。エゼキエルは次のように告げられていました。「あなたが邪悪な者に警告したのに,彼がその邪悪と邪悪な道から実際に立ち返らないなら,彼はそのとがのために死ぬ。しかしあなたは,自分の魂を救い出したことになる」― エゼキエル 3:19。

      10 エゼキエル級はどのように預言者エゼキエルに似ていることを示してきましたか。

      10 エゼキエルの場合と同様,油そそがれたエゼキエル級も,神から与えられた自分たちの任務を受け入れ,それを果たしています。もしわたしたちがエホバの証人であるなら,わたしたちと他の人たちの命がわたしたちの従順に依存していることを忘れてはなりません。(テモテ第一 4:15,16)証人たち各自は,エホバの組織と歩調を合わせる必要があります。神はわたしたちをご自分の兵車に結び付け,わたしたちを引きずってゆくようなことはされません。無関心と分かたれた心は兵車の乗り手を卑しめます。ですから,目に見えるエホバの組織は,神の関心事を生活の中心に置くようわたしたちに勧めています。そのような勧めに首尾一貫してこたえ応じるなら,わたしたちは神の組織と歩調を合わせ,自分たちの神聖な奉仕の務めを,決まりきった方式,つまり機械的な作業を超えたものに高めることになります。確かにエホバの民は全体として際立った専心を表わしています。わたしたち個人としては,歩調を合わせなければなりません。

      神の言葉が心の中に取り入れられる

      11 エゼキエルは神の言葉に関して,どんな模範を残しましたか。

      11 エゼキエルは神の言葉を自分の心に取り入れることによっても立派な模範を残しました。彼は命令を受けて,神から与えられた巻き物を食べました。「それはわたしの口の中にあって,その甘いことは蜜のようであった」と,エゼキエルは述べています。その巻き物には「哀歌と,うめきと,どうこく」が満ちていましたが,エゼキエルにとっては甘いものでした。彼はエホバを代表することの誉れを認識していたからです。神から与えられた割り当てを果たすのは,この預言者にとって甘い経験でした。神はエゼキエルに,「人の子よ,わたしがあなたに話すすべての言葉をあなたの心の中に取り入れ,あなたの耳で聞け」とお告げになりました。(エゼキエル 2:9-3:3,10)これらの幻によって,エゼキエルは,神から参加することを許された事柄を鋭く意識し,エホバとの関係を強めました。

      12 エゼキエルは20年余りにわたる預言者としての奉仕の期間中に,何を行ないましたか。

      12 エゼキエルには,さまざまな目的やさまざまな人々のための幻と音信が与えられました。彼は注意深く聴いた後,指示どおりに語り,行動しなければなりませんでした。預言者としての約22年にわたる奉仕の期間に,エゼキエルに対して新しい情報や手順が漸進的に啓示されました。エゼキエルは特別に言い表わされた音信を語ったこともあれば,エルサレムを象徴するれんがの前に横たわるといった,パントマイムに訴えたこともありました。(エゼキエル 4:1-8)自分の妻の死に対する反応など,個人的な事柄における例も音信を伝えました。(エゼキエル 24:15-19)彼は最新の情報に通じ,正しい音信を常に提示し,然るべき時に然るべき行動を取らなければなりませんでした。エゼキエルはエホバと非常に親密な関係で結ばれていました。その関係は,働くことに関連した,漸進的に進展する関係でした。

      13 どうすればエホバとの親密な関係を築くことができますか。

      13 同様にわたしたちも,エホバの仲間の働き人としてエホバとの親密な関係を築き,その関係を保つために,神の言葉を自分の心の中に受け入れなければなりません。(コリント第一 3:9)この点で,目に見える神の組織と歩調を合わせるには,時に応じて供給される霊的食物の流れについてゆかなければなりません。(マタイ 24:45-47)「清い言語」は絶えず発展しています。(ゼパニヤ 3:9)最新の情報に通じて初めて,わたしたちは真の意味で,兵車の乗り手である方の指示に従順にこたえ応じることができるようになるのです。

      14,15 神の組織によって定められた歩調に合わせるため,どんな方式が必要ですか。

      14 その目的のために,わたしたちは個人的な祈り,個人研究,良いたよりに関係した聖なる奉仕の務めに参加することなど,良い方式を必要とします。(ローマ 15:16)神の音信を含む巻き物を食べたエゼキエルの模範を思い起こしてください。エゼキエルは巻き物の一部ではなく,その全体を食べ尽くしました。自分個人の好みに一層合うような少量だけをえりすぐったのではありません。同様に,わたしたちが行なう聖書やキリスト教の出版物の個人研究も,霊的食物の流れに歩調を合わせるために調整しなければなりません。また,より深い真理を含め,霊的な食卓に供されるすべてのものにあずからなければなりません。

      15 わたしたちは固い食物の意味を理解するために,祈りのこもった努力を払っているでしょうか。歩調を合わせるには,わたしたちの知識と理解が初歩の段階から先に進まなければなりません。こう記されているからです。「乳にあずかっている者はみな義の言葉に通じておらず,その人は赤子なのです。一方,固い食物は,円熟した人々,すなわち,使うことによって自分の知覚力を訓練し,正しいことも悪いことも見分けられるようになった人々のものです」。(ヘブライ 5:13,14)そうです,霊的な進歩を遂げるのは,神の組織が定めている歩調に合わせるための肝要な部分です。

      無関心に妨げられない

      16,17 エゼキエルは無関心,嘲笑,良い反応が見られないことにどのように対処しましたか。

      16 エゼキエルは従順であることによって,また無関心や嘲笑に妨げられないようにすることによっても,立派な模範を残しました。同様にわたしたちも,清い言語の進展についてゆくことにより,王なる兵車の乗り手が進む方向に自分を合わせることになります。そのようにしてわたしたちは,わたしたちがエホバの裁きの音信を伝える人々の無関心や嘲笑に妨げられないよう強められ,乗り手の命令にこたえ応じる備えをするのです。神はエゼキエルに警告されたように,わたしたちに対しても,ある人々は頭と心が固いために強く反対するということを事前に警告してくださいました。エホバに聞き従うことを望まないために,聞こうとしない人もいるでしょう。(エゼキエル 3:7-9)また,偽善者となる人たちもいるでしょう。エゼキエル 33章31節と32節が述べるとおりです。「彼らは民が入って来るときのように,あなたのもとに入って来て,わたしの民としてあなたの前に座るであろう。彼らは確かにあなたの言葉を聞くが,これを行なわないであろう。彼らは口でみだらな欲望を言い表わし,その心は不当な利得を慕って行くからである。そして,見よ,あなたは彼らにとって官能的な愛の歌のようであり,声がきれいで,上手に弦楽器を奏でる者のようだ。そして彼らは確かにあなたの言葉を聞くが,これを行なう者はだれもいない」。

      17 結果はどうなるでしょうか。33節はこう付け加えています。「そしてそれが実現するとき ― 見よ,それは必ず実現する ― 彼らはまた,自分たちの中に預言者がいたことを知らなければならなくなる」。この言葉は,良い反応が見られないためにエゼキエルがあきらめたわけではないことを明らかにしています。他の人々の冷淡さによってエゼキエルが冷淡になることはありませんでした。人々が聴こうが聴くまいが,エゼキエルは神に従い,自分の任務を果たしました。

      18 あなたはどんな自問をすることができますか。

      18 今日,エホバの目に見える組織は,すべての人が神を恐れ,神に栄光を帰するべきであるということをふれ告げる業を強化しています。あなたは,王国の証しを行なう点で大胆な立場を取ったとして,また生活様式が道徳的であるとして批判されたとき,たゆまず努力を続けますか。血を受け入れず,国家の象徴を崇拝せず,この世の祝祭日を祝わないという理由で集中的に圧力を加えられる時,あなたは確固たる立場を取りますか。―マタイ 5:11,12。ペテロ第一 4:4,5。

      19 もしわたしたちがエホバの天の兵車と歩調を合わせているなら,指示に関しては何を行なうでしょうか。

      19 この道は楽な道ではありませんが,救われるのは終わりまで耐え忍ぶ人たちです。(マタイ 24:13)世の人々がわたしたちを世の人のようにし,わたしたちがエホバの天の兵車と歩調を合わせるのを妨げようとしても,わたしたちはエホバの助けをいただいて,そうしたことを許しません。(エゼキエル 2:8。ローマ 12:21)もしわたしたちがみ使いたちで構成される兵車のような組織と歩調を合わせているなら,目に見える神の組織から出される指示や教えにすぐに従うでしょう。エホバは,わたしたちの信仰に対する攻撃に対処するために,また命の言葉をずっとつかんでいるために,そして天の兵車の王なる乗り手を中心とする霊的な現実にわたしたちの目を留めるために必要な事柄を備えてくださいます。

      歩調を合わせるための動機づけを得る

      20 歩調を合わせるための動機づけを与えるはずのどんな事柄が,エゼキエルによって書き記されましたか。

      20 エゼキエルの幻は,わたしたちが歩調を合わせるための動機づけを与えるはずです。エゼキエルはイスラエルに対する神の裁きを宣明しただけでなく,回復に関する預言も書き記しました。エゼキエルは,定められた時にエホバのみ座で支配する法的権利を持つようになる方に注意を向けさせました。(エゼキエル 21:27)その王なる僕「ダビデ」は,神の民を再び集め,彼らを牧されるでしょう。(エゼキエル 34:23,24)彼らはマゴグのゴグの攻撃を受けますが,神は彼らを救出され,神の敵は滅びに向かうまさにその時,やむなく『エホバを知る』ようになるでしょう。(エゼキエル 38:8-12; 39:4,7)次いで神の僕たちは,霊的な神殿の関係した清い崇拝の体制において,終わりのない命を享受することになります。聖なる所から流れる命の水は,人々を養いかつ癒すための源となり,相続地が彼らの祝福のために配分されます。―エゼキエル 40:2; 47:9,12,21。

      21 現代のエホバの証人がエゼキエルよりも大きな役割を担っているのはなぜですか。

      21 それらの預言を書き記すのはエゼキエルにとって胸の躍るような経験だったに違いありません。しかし,現代のエホバの証人はそれよりも大きな役割を担っています。わたしたちはそれらの預言の一部が成就しつつある時に生きているのです。事実わたしたちは,特定の成就に積極的に関与しています。わたしたちは個人的に,現在イエスが法的権利を持つ方として支配しておられるという確信を,自分の生き方によって表わしているでしょうか。エホバがまもなくご自分を神聖なものとされ,ご自分の組織と歩調を合わせる人々を救出して新しい世に入れられるということを,わたしたち個人としても確信しているでしょうか。(ペテロ第二 3:13)信仰の業を伴うそのような確信は,わたしたちが実際にエホバの天の兵車と歩調を合わせていることを実証するものです。

      引き続き歩調を合わせる

      22 気が散らされることを避けて,はっきりした霊的な視界を保つため,何を行なうことができますか。

      22 「手をすきにかけて」からは,どんなものであれ世が提供するものを未練がましく振り返って見るべきではありません。(ルカ 9:62; 17:32。テトス 2:11-13)ですから,地上に宝を蓄えようとするどんな傾向をも抑え,自分の目を純一に保ち,王国に焦点を合わせましょう。(マタイ 6:19-22,33)自分の生活を簡素化し,世俗的な重荷をできる限り捨て去ることは,エホバの組織と歩調を合わせるための助けになります。(ヘブライ 12:1-3)気が散らされると,天の兵車とその乗り手の姿がぼやけることになりかねません。しかしわたしたちは神の助けを得て,エゼキエルと同じように,はっきりした霊的な視界を保つことができます。

      23 忠実な証人たちは,新しい人たちのために何をする必要がありますか。

      23 エホバの証人としてのわたしたちの責任には,神の天の兵車と歩調を合わせるよう大勢の新しい人たちを援助することが含まれています。1990年にはイエス・キリストの死の記念式に1,000万人近い人々が出席しました。そのような人たちの多くは,クリスチャンの集会に時たま出席しているかもしれませんが,目に見えるエホバの組織と共に進歩する重要性を理解する必要があります。わたしたちは忠実な証人として,自分たちが示す霊と,自分たちが与える励ましによって彼らを援助することができます。

      24 わたしたちは最高潮をなすこの時代に,何をすべきですか。

      24 今は最高潮をなす時代です。わたしたちは信仰の目で,わたしたちの前に止まる天の兵車を見てきました。兵車の王なる乗り手は,諸国民に対して宣べ伝える任務を,目に見えるご自分の組織に与えてこられました。それは,最終的に諸国民がエホバとはどんな方かを知るようになるためです。(エゼキエル 39:7)では,エホバの天の兵車と歩調を合わせることにより,神の主権の立証と,神の聖なるみ名を神聖なものにすることにあずかるというこの壮大な特権を,何よりも大切なものとしてください。

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