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  • 人種とは何か
    目ざめよ! 1993 | 8月22日
    • 人種とは何か

      人種という言葉を聞くと何を思い浮かべますか。ある人々は差別や抑圧を思い浮かべます。憎しみや暴動,そして殺人さえ思い浮かべる人もいます。

      米国の人種暴動から南アフリカのアパルトヘイトにいたるまで,東ヨーロッパの民族間の戦争からスリランカやパキスタンで起きている闘争にいたるまで,人種は多くの人間の苦しみや荒廃の焦点となっています。

      しかし,なぜそうなるのでしょうか。他のことについてはほとんど何でも容認しているように思える国においてさえ,人種の問題となるとなぜ人々はそれほど神経質になるのでしょうか。どうして人種は,これほど多くの騒動や不当な行為に火をつける導火線になるのでしょうか。端的に言って,人種の違う人々が仲良くやってゆけないのはなぜでしょうか。

      これらの疑問に答えるには,単に人種とは何か,また人種はどのように異なっているかを知っているだけでは不十分です。どんな歴史的経過があって現在の人種間関係に至ったかも理解しなければなりません。しかしまず最初に,この問題について科学的な観点から調べてみましょう。

      人間を分類することの難しさ

      世界には身体的な特徴が様々に異なる人々が住んでいます。身体的な特徴には,皮膚の色,目鼻立ち,髪の毛の質などがあります。そのような身体的な違いによって,一つの人種が他の人種と区別されます。

      そのため人々は皮膚の色に注意を向けて,白人とか黒人という表現をよく用います。しかし,ヒスパニック,アジア人,スカンディナビア人,ユダヤ人,ロシア人などの表現も用いられます。こちらのほうは,身体的な特徴というよりも地理的,民族的,文化的な違いをもとにした呼び方です。ですからほとんどの場合,人がどの人種に属するかは,身体的な特徴だけで決まるのではなく,習慣,言語,文化,宗教,国籍も関係してきます。

      ところが興味深いことに,一部の著述家は人種について述べる際,「人種」という言葉を使うことにためらいを覚え,この言葉が出てくるたびに,引用符を付けて“人種”と表記します。あるいは,人種という言葉を完全に避け,代わりに「民族的分類群」,「グループ」,「集団」,「バラエティー」といった表現を用いる人もいます。なぜでしょうか。「人種」という言葉には,一般に理解されているとおり,様々な含みや言外の意味があるため,この言葉を使うと論点がぼけてしまうからです。

      多くの場合,生物学者や人類学者にとって人種の定義とは,「他の種の集団と区別される身体的特徴を受け継いだ種をさらに細かく分けたものの一つ」にすぎません。しかし問題は,人間という種の範囲内にある異なったグループを表現するのにどの特徴を用いることができるかという点です。

      皮膚の色,髪の毛の色や質,目や鼻の形,脳の大きさ,血液型などの要素が提案されてきましたが,いずれも人間の違いを分類する方法としては完全に満足のゆくものではありません。なぜなら,グループの全員が同じ特徴を備えている集団は自然には出現しないからです。

      皮膚の色について考えてみましょう。たいていの人は,人間を白,黒,褐色,黄,赤の五つの皮膚の色で五つの人種に容易に分けることができると考えます。白色人種は一般に,皮膚が白く,髪は淡い色で,青い目をしているものと思われています。しかし実際には,白色人種と呼ばれる人々の間でも,髪の毛,目の色,皮膚の色は非常に変化に富んでいます。「人間という種」と題する本は,「今日のヨーロッパには,構成員の大部分が同一のタイプであるという集団はないし,そのような集団はこれまで一度も存在したことがない」と述べています。

      確かに,人類を分類するのは困難です。「人類の種類」という本が述べているとおりです。「我々が言えることは次の点ぐらいだろう。どんな人間も他の人間と同じようには見えず,人々はいろいろな点で明らかに違って見えるが,人類には厳密に幾つの種類があるのかについては,科学者たちの意見はいまだに分かれている。科学者は,人々がどの人種に属するかを決めるために何を基準にするかさえ決めかねている。中には,完全にあきらめてしまい,この問題は難しすぎて解答不能だと言う科学者もいる」。

      これは不可解に思えるかもしれません。科学者は動物や植物を属,種,亜種などに分類することには困難を覚えていないように見えますが,人類を人種に分けるとなると大きな問題にぶつかるのはなぜでしょうか。

      「人が作り上げた最も危険な神話」

      人類学者アシュレー・モンタギューによれば,多くの人は,「身体的特性と精神的特性には関連があり,身体的な違いは知的能力のかなり著しい違いと結びついており,そうした違いは知能テスト,またそれらの人々の文化的業績によって測ることができる」と考えています。

      そのため多くの人は,人種には様々の身体的特徴があるので,ある人種は知的に優れていて,ある人種は劣っていると信じています。しかし,モンタギューはそのような考え方を「人が作り上げた最も危険な神話」と呼んでいます。他の専門家も同じ意見です。

      モートン・クラスとハル・ヘルマンは「人類の種類」の中でこう説明しています。「個々の人間は確かに異なっている。どの集団にも天才と痴愚者がいる。しかし,様々な調査が行なわれたにもかかわらず,知能や能力に関して集団間に遺伝的な相違があると認めるだけの根拠を,信頼できる学者たちは見いだしていない」。

      では,非常に多くの人が今でも,身体的な外面の違いは人種がそれぞれ根本的に異なっているからだと信じているのはなぜでしょうか。実際,どうして人種がこれほど問題になっているのでしょうか。次の記事ではこれらの点を考えます。

  • 人種がこれほど問題にされるのはなぜか
    目ざめよ! 1993 | 8月22日
    • 人種がこれほど問題にされるのはなぜか

      有史以来,“彼ら”と“我々”の間には大きな隔たりがあるという観念が人々の考えを支配してきました。多くの人は,自分たちこそ何でも正しい方法で行なっている正常な人間であると信じてきました。科学者はそれを,自民族中心主義と呼びます。これは,自民族とその慣習だけが価値のあるものであるという考え方です。

      例えば,古代ギリシャ人は自分の民族以外の人を「バルバロイ」と呼び,あまり高く評価していませんでした。外国人の言葉がギリシャ人の耳には“バルバル”というわけの分からない音にしか聞こえなかったことからこの言葉が生まれました。ギリシャより前のエジプト人や後代のローマ人も,自分たち以外の民族に対して優越感を抱いていました。

      何世紀もの間,中国人が自分たちの国を“中国”,つまり中央の王国と呼んでいたのは,自分たちの国が世界の中心,恐らくは宇宙の中心であると信じていたからです。その後,赤みがかった顔に緑色の目をした赤毛のヨーロッパ人宣教師が中国にやって来ると,中国人は彼らに“外国から来た悪鬼”というらく印を押しました。同様に東洋人は,初めてヨーロッパや北アメリカに渡ったとき,つり上がった目と奇妙な習慣のため,嘲笑の的になりやすく,ともすると疑いの目で見られました。

      しかし,考慮すべき重大な事実があります。「人類の種類」という本は,「自分の[人種の]優越性を信じることと,科学的な発見に基づいてそれを証明しようとすることとは別問題だ」と述べています。ある人種が他の人種よりも優れていることを証明しようという試みがなされるようになったのは比較的最近のことです。人類学者アシュレー・モンタギューは,「身体的にも精神的にも互いに異なる,自然発生的,または生物学的人種が存在するという概念は,18世紀の後半になって生まれたものである」と書いています。

      人種の優越性という問題が,18世紀と19世紀にそれほど大きくなったのはなぜでしょうか。

      奴隷貿易と人種

      一つの大きな理由は,利益の上がる奴隷貿易がそのころまでには絶頂期に達していて,幾十万人ものアフリカ人が強制的にヨーロッパや南北アメリカに連れて行かれていたことです。多くの場合,家族はばらばらにされ,男女子供は世界の別々の場所に送られ,二度と会うことはありませんでした。ほとんどがクリスチャンと自称していた奴隷貿易商や奴隷所有者は,そのような人間らしからぬ行為をどのように弁解したのでしょうか。

      アフリカ黒人は生来劣っているという見方を広めたのです。18世紀のスコットランド人の哲学者デービッド・ヒュームは,「私はどちらかと言えば,黒人はすべて,またその他すべての人種も概して,生まれながらに白人より劣っているのではないかと思う」と書いています。事実,ヒュームは「[黒人]の間には,独創的な発明品や芸術や科学は」見られないと主張しました。

      しかし,そのような主張は間違っていました。ワールドブック百科事典(1973年版)は,「今から何百年か前には,高度に発達した黒人王国がアフリカの至るところに存在していた。……西暦1200年から西暦1600年にかけて,西アフリカのティンブクトゥではニグロ・アラブ大学が隆盛を誇り,その名はスペイン,北アフリカ,中東地方全域に知られるようになった」と述べています。ところが,奴隷貿易に関係していた人々は,黒人は白人より劣った人種であり,実際には下等な人間であるという,ヒュームなどの哲学者の見方をすぐに取り入れました。

      宗教と人種

      奴隷貿易商の人種主義的な見解は,宗教指導者たちから少なからぬ支持を受けました。早くも1450年代の初めに,ローマ・カトリック教皇の勅令は,“異教徒”や“不信心者”の“魂”が救われて“神の王国”に入れるよう,奴隷制度を認可しました。教会の賛成を得た初期のヨーロッパ人探検家や貿易商は,先住民族を残忍に扱っても良心の呵責を全く感じませんでした。

      「1760年代には,黒人奴隷制はカトリック教会,英国国教会,ルーテル派教会,長老派教会,改革派教会などの僧職者や神学者らによって認可され,その後何十年間もその状態が続いた」と「奴隷制と人類の進歩」という本は述べています。「現代の教会や教派の中で,黒人奴隷の所有,あるいはその売買でさえ教会員に思いとどまらせようとしたところは一つもなかった」。

      中には,クリスチャンはみな兄弟であると唱える教会もありましたが,そうした教会も人種間の論争を激化させる教義を助長しました。例えば,ユダヤ大百科事典は,「スペイン人がアメリカで発見した先住民族を,魂の賦与された人間として認めたのは,長期に及ぶ争いと神学者たちの議論の末のことであった」と述べています。

      これは,そうした先住民族に属する人々の“魂”がキリスト教に改宗することによって“救われる”限り,彼らが肉体的にどのように扱われるかは重要ではなかったことを暗示しています。さらに,黒人の立場の話になると多くの宗教指導者は,いずれにしても黒人は神から呪われていると主張し,それを証明しようとして聖書を誤用しました。僧職者ロバート・ジェーミソン,A・R・フォーシト,デービッド・ブラウンは聖書の注解書の中で,「カナンは呪われよ[創世記 9:25]という判決はカナン人の破滅,エジプトの没落,ハムの子孫であるアフリカ人の奴隷化によって成就した」と述べています。―「聖書全巻の批評解説注解」。

      黒人の先祖が呪われていたという教えは,聖書の中にはどこにも出てきません。実際には,黒人はカナンの子孫ではなく,クシュの子孫です。18世紀にジョン・ウルマンは,聖書中のこの呪いを根拠にして黒人の奴隷制と生得の権利剥奪を正当化することは,「しっかりとした原則に支配されることを誠実に望む人には認めがたい,あまりにもひどい考えである」と述べました。

      疑似科学と人種

      黒人は劣った人種であるという説を支持する声には疑似科学も加わりました。19世紀のフランスの作家ジョーゼフ・ド・ゴビノーの著作「人種不平等論」は,そののち世に出た数多くのこの種の著作の土台となりました。この本の中でゴビノーは,人間を優れた人種から順に,白人,黄色人種,黒人と三つに分けています。そして,それぞれの人種に特有の形質は血液を通じて伝わるため,異人種間結婚によって血液が混じれば退化が生じ,優れた形質が失われると唱えました。

      ゴビノーは,長身でブロンドの髪に青い目をした純血の白色人種がかつて生存していたと主張し,それをアーリア人と呼びました。インドに文明やサンスクリット語をもたらしたのも,古代ギリシャとローマに文明を築いたのもアーリア人であるとゴビノーは主張しました。ところが劣った先住民との異人種間結婚によって,かつての輝かしい文明は失われ,それと共にアーリア人の特性や優れた形質も失われたと言います。純血のアーリア人に最も近い民族が依然として北ヨーロッパに,つまり北欧民族の間に,そして拡大解釈すればゲルマン民族の間に残っているとゴビノーは論じました。

      三つの人種区分,血統,アーリア人という図式のゴビノーの基本的な思想には科学的な根拠は全くなく,今日の科学者たちはだれも信じていません。ところが,この思想を受け入れる人々がすぐさま現われました。そのうちの一人,英国人のヒューストン・スチュアート・チェンバレンはゴビノーの思想に魅了されたため,ドイツに住みつき,アーリア人の純血を保つ希望はドイツ人にのみ懸かっているという運動を支援しました。言うまでもなく,チェンバレンの著作はドイツで広く読まれ,忌まわしい結果を招きました。

      人種主義がもたらした忌まわしい結果

      アドルフ・ヒトラーは自著「わが闘争」の中で,ドイツ民族はアーリア人の優秀民族であり,世界を支配する定めにあると説きました。ヒトラーは,ドイツ経済崩壊の責任はユダヤ人にあるとし,ユダヤ人がその輝かしい定めの障害になっていると考えました。こうして,ユダヤ人をはじめとするヨーロッパの少数民族皆殺しが生じました。これが人類史に最も暗いページを残したことに議論の余地はありません。ゴビノーやチェンバレンらの思想を含む人種主義的な思想は,このような破壊的な結果をもたらしました。

      しかし,そのような醜悪さはヨーロッパだけに限られたものではありません。海の向こうのいわゆる新世界でも同じような事実無根の思想が,言葉では言い尽くせないほどの苦しみを何世代にもわたって無実の人々にもたらしました。米国のアフリカ人奴隷は南北戦争後ついに自由にされましたが,多くの州では他の市民が有している多くの権利を黒人には禁じる法律が議会を通過しました。なぜそうなったのでしょうか。黒人には市民の義務を果たし,政治に参加するだけの知能がないと白人市民は考えていたからです。

      人種感情がどれほど根強いものだったかを示す例として,異人種間婚姻禁止法をめぐる裁判があります。この法律によって,白人と黒人との結婚は禁じられていました。この法律を破った男女を納得させる際,裁判官はこう言いました。「全能の神は人種を,白人,黒人,黄色人種,マレー人,赤色人種に創造され,別々の大陸に置かれた。この神の取り決めをだれも妨げる気がなければ,このような結婚をする理由もないはずだ」。

      裁判官は進歩の遅れた地域でそう言ったのでも,19世紀にそう言ったのでもなく,1958年に,しかも米国の国会議事堂から100㌔しか離れていない所でそう述べたのです。実際,米国の最高裁判所が異人種間の結婚を禁じる法律をすべて無効にしたのは,1967年のことでした。

      このような差別的な法律に加えて,学校や教会その他の公共機関での人種隔離,雇用や住宅に関する差別などがもとで,米国をはじめとする多くの国では市民の動揺,反対運動,暴力行為などが生活の中で現実に生じています。殺人や財産の破壊を別にしても,結果として生じる苦もん,憎しみ,侮辱的な扱い,苦しみなどは,いわゆる文明社会の恥辱また不名誉と言うほかはありません。

      こうして,人種主義は分裂を引き起こす極めて強力な要素となり,人間社会を悩ませてきました。確かに,わたしたちは皆,次のように自問して自分自身の心を見つめる必要があります。ある人種は他の人種よりも優れているという教えを,自分はすべて退けているだろうか。人種的な優越感を残らず自分から取り除こうと努めてきただろうか。

      さらに,次のように自問するのも適切なことです。今日広く見られる人種的偏見や緊張がいつの日か完全になくなるという希望はあるのだろうか。国籍や言語や習慣の違う人々が平和に共存することはできるだろうか。

      [7ページの図版]

      多くの白人は黒人を下等な人間とみなした

      [クレジット]

      DESPOTISM—A Pictorial History of Tyrannyからの転載

      [8ページの図版]

      皆殺しを目的としたナチの収容所は人種主義的な思想がもたらした破壊的な結果の一つ

      [クレジット]

      写真提供: U.S. National Archives

  • すべての人種が平和に共存する時代
    目ざめよ! 1993 | 8月22日
    • すべての人種が平和に共存する時代

      神は『一人の人からすべての国の人を造って地の全面に住まわせました』。(使徒 17:26)人類家族の起源について,聖書はそのように簡潔に述べています。

      これは,住んでいる場所や身体的特徴に関係なく,すべての人間には共通の祖先がいることを暗に示しています。また,見掛けがどれほど違っていようと,「どの国民でも」,能力と知力に関する限り同じ可能性を秘めているという意味です。ですから,神の目から見れば,どの人種または国籍の人も平等なのです。―使徒 10:34,35。

      聖書の見方が正しければ,人種の違いに基づくあらゆる偏見や不公正が取り除かれるという希望が存在することになります。さらに,人類家族の起源に関して聖書の述べていることが正しければ,当然聖書は,人間がどうすれば平和に共存できるかを明らかに示しているはずです。

      事実は何を示しているでしょうか。人間の起源に関する聖書の記録には,科学的な裏づけがあるでしょうか。

      科学的な証拠

      人類学者R・ベネディクトとG・ウェルトフィッシュが著した「人種と人類」にはこう書かれています。「全人類の父母,アダムとエバに関する幾世紀も昔の聖書の物語は,今日科学が示している同じ真理,すなわち地上の民族はすべて単一の家族であり,共通の起源を持つということを教えている」。著者はさらに,「人間の体の造りは複雑なので……人間に共通の起源がなければ,“ただの偶然で”すべての人間が同じ造りをしているはずがない」とも述べています。

      コロンビア大学の動物学教授L・C・ダンの「人種と生物学」というパンフレットには,「すべての人間が一つの種に属していることは明らかである。体の基本的な特徴はみなよく似ている。どのグループに属する人も,その枠を超えて結婚することができ,実際にそうしている」とあり,さらにこう説明されています。「しかし,細かな点ではどの個人にも独特のものがあり,他のどんな人とも異なっている。これは,人が住んでいる環境の違いにもよるし,受け継いだ遺伝子の違いにもよる」。

      科学的な証拠は決定的です。生物学的に言っても,優れた人種とか劣った人種,純血の人種とか汚れた人種などというものはありません。ある人々は,人種を考える場合に,皮膚や髪や目の色などの特徴を重要な要素とみなしていますが,そうした特徴は本人の知力や能力を示すものではありません。むしろ,それは遺伝によって受け継いだものなのです。

      確かに,人種間の違いはごく小さなものです。ハンプトン・L・カーソンは「遺伝と人間の生活」の中でこう書いています。「人間の各グループは外面的に異なっているように見えるが,それらの差異の下には基本的類似性があるというのが,我々の直面しているパラドックスである」。

      すべての人間が本当にただ一つの家族を構成しているのであれば,なぜひどい人種問題が存在するのでしょうか。

      問題が起きる理由

      人種主義が存在する基本的な理由は,人間の最初の夫婦が出だしで失敗し,その影響が子孫に及んでいることにあります。アダムとエバは故意に神に反逆したため,不完全な,欠陥を持つ人間になりました。その結果,アダムの不完全さ,つまり悪いほうに向かう傾向が子孫に伝わってゆきました。(ローマ 5:12)そのため,すべての人間は生まれた時から利己的に,また尊大になりやすく,それが人種闘争や紛争を招いてきました。

      人種主義が存在している理由はほかにもあります。神の支配下から抜け出したアダムとエバは,聖書がサタンまたは悪魔と呼んでいる邪悪な霊の被造物の支配下に入ったのです。「人の住む全地を惑わしている」この者の影響下で,人種問題に関して人々を欺くため,しばしば計画的な努力が払われてきました。(啓示 12:9。コリント第二 4:4)自民族中心主義,つまり自分が属しているグループが優れているという考え方があおり立てられて燃え盛る炎となり,多くの人は知ってか知らずかその勢いに押し流され,悲惨な結果を被りました。

      端的に言えば,サタンの支配下にある不完全で利己的な人間が人種について誤った教えを広めてきたため,人種問題が起きてきたのです。

      したがって,人類が一つに結ばれるには,人間が実際には人類という一つの家族であり,神が「一人の人からすべての国の人を造って地の全面に住まわせ」られたことを,すべての人が信じなければなりません。(使徒 17:26)さらに,すべての人種が平和に共存するには,人間の営みからサタンの影響力を取り除かなければなりません。そのようなことがいつの日か起きるのでしょうか。起きると信じるだけの根拠がありますか。

      人種的偏見をなくす

      イエス・キリストは,ご自分が追随者たちを愛したとおりに「互いに愛し合う」よう彼らに命令し,人種的偏見を取り除く方法を明らかにされました。(ヨハネ 13:34,35)この愛は,特定の人種の人々だけに示される愛のことでは決してありません。弟子の一人は,「仲間の兄弟全体を愛し」なさいと勧めています。―ペテロ第一 2:17。

      このクリスチャン愛はどのように示されるのでしょうか。聖書はその点を説明して,『互いを敬う点で率先する』よう強く勧めています。(ローマ 12:10)それが実行されるとどうなるか考えてみてください。人種や国籍にかかわりなく,だれもが他の人に対して真の品位と敬意をもって接します。相手を見下すのではなく,むしろ「他の人が自分より上であると考え」ます。(フィリピ 2:3)そのような純粋なクリスチャン愛を示す精神があれば,人種的偏見という問題は解決します。

      もちろん,人種的偏見を教え込まれてきた人々が,サタンの吹き込んだ考えを取り除くには並々ならぬ努力が必要です。しかし,取り除くことは可能です。西暦1世紀にクリスチャン会衆に集められた人々は皆,他に例のない一致を享受するようになりました。使徒パウロはその点について,「ユダヤ人もギリシャ人もなく,奴隷も自由人もなく,男性も女性もありません。あなた方は皆キリスト・イエスと結ばれて一人の人となっているからです」と書きました。(ガラテア 3:28)確かに,キリストの真の追随者たちは,真の兄弟関係を享受するようになったのです。

      中には,『そんなことは今の時代には絶対に起きない』と言って反論する人もいます。しかし,450万人を超えるエホバの証人の組織内ではすでに起きているのです。もちろん,この不敬虔な体制で身に着いた偏見を完全に取り除いた人たちばかりであるというわけではありません。ある黒人のアメリカ人は実際に,仲間の白人の証人たちについて気づいた点がありました。「中には,人種的な優越感の名残が態度に表われる人がいることに気づきますし,別の人種の人と親しく交わっていて,不愉快な点が目につくことも時々あります」。

      とはいえ,この人は次のことを認めました。「エホバの証人は,世界中の他のどんな人たちも真似ができないほど,人種的偏見を捨てています。人種に関係なく互いに愛し合おうと努力しています。……時々,白人の仲間から純粋な愛を示され,胸に熱いものを感じ,涙を抑え切れなくなることがあります」。

      人種間の一致を享受している人は幾百万人を数えるとはいえ,少数です。他の大勢の人が人種的優越というサタンの考えに影響されている中で,その一致が本当に大きな違いを生むのでしょうか。いいえ,人種問題がそれで解決されるわけではありません。人間の努力だけでは解決できないのです。解決できるのは,わたしたちの創造者であるエホバ神だけです。

      幸いなことに,近い将来,エホバはみ子イエス・キリストの手中にある王国によって,あらゆる不公正,そして人種その他に関係した差別や憎しみを助長する利己的な人々を地球から除き去られます。(ダニエル 2:44。マタイ 6:9,10)その後,キリストの統治下で完全な教育計画が実施され,すべての人種が本当に一つに結ばれます。その教育が進展すると,人々は人種差別の名残をとどめることなく,完全な調和を保ちながら暮らすようになります。そして,「以前のものは過ぎ去ったのである。……見よ! わたしはすべてのものを新しくする」という神の約束がついに成就します。―啓示 21:4,5。

      あなたは,真の兄弟関係が行き渡る時代,すべての人種が平和に共存する時代を待ち望んでおられますか。もしそうであれば,どうぞお近くの王国会館においでください。エホバの証人は聖書を研究するために王国会館で定期的に集会を開いています。エホバの証人があらゆる人種の人に対して真のクリスチャン愛を示しているところをご自分の目でお確かめください。

      [10ページの図版]

      間もなく世界中で,すべての人種が平和に共存するようになる

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