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  • 「ガン ― 私は負けてはいません」
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目ざめよ! 1986
目86 10/8 14–15ページ

「ガン ― 私は負けてはいません」

ローズ・マリーは米国テキサス州に住む60代の婦人で,たいへん明るい外向的な人です。ローズ・マリーが自分に腫瘍のあることを初めて発見したのは1964年のことで,更年期に入ったころでした。彼女は励みになる経験を次のように語ります。

乳房にしこりがあるのに初めて気づいた時,それが何なのか気掛かりでした。それで検査のために主人が病院へ連れて行ってくれました。診察の結果を待って座っているあの時間といったら,気が気ではありませんでした。そしてついに,乳ガンかもしれないと言われた時,腹部をけられたかのように感じたのを覚えています。それから,どの治療法を採るか,思案に暮れる期間が始まりました。手術を強く勧める医師もいれば,手術に代わる療法を勧める医師もいました。主人と私はどのように決定したでしょうか。

主人が医師である友人に話したところ,乳房にできるしこりはほとんどが良性のものだが,悪性腫瘍の可能性もあるということでした。それで,成り行きを見て手術を遅らせるか,あるいは気になるそのしこりを直ちに切除するかの選択の問題になりました。私は主人と相談し,手術を受けることに決めました。そのしこりは切除され,悪性ではないと診断されました。私は安堵の胸をなでおろしました。

1965年になって同じ乳房に別のしこりを発見しました。これはある意味で後退でしたが,敗北ではありませんでした。私はもう一度手術を受けに行きましたが,そのしこりも良性ということでした。言ってみれば,その2年間は,事がすべて順調に行くのをかたずをのんで見守っていた形でした。その後,1967年にまたもや同じ乳房にしこりができました。医師たちは注意深い生検をするよう手配し,やっと悪性であることが分かりました。乳房を切除しなければなりません。こうして1か月後,“単純”乳房切除手術を受けました。

その後何の問題もないまま8年が過ぎました。私はガンに勝ったと考え始めました。ところが,1975年にもう一方の乳房にしこりがあるのが分かりました。医師たちは私の病歴が病歴なので,その乳房の切除手術を選びました。さらに,そのガンが転移しないようにするために,一連の放射線療法をも勧めました。私は正直言ってこの治療法を恐ろしく感じました。どうしてでしょうか。

私は毎回,同じように放射線治療を受けていた他の人々と一緒に待合室にいなければなりませんでした。その人たちの顔や体には,放射線の照射を受ける部分に赤い染料で印が付けられているので,それを見ると心は乱れました。そして自分ひとりで,その特別の放射線治療室へ入って行かねばなりませんでした。目に見えないその力が自分の肉体を悪性の部分も健全な部分も同時に破壊していることを知っていましたから,全く薄気味悪い気持ちでした。とにかく,15週間ほどの過程で30回の放射線治療を受けました。それ以後は,背中と頭部にできた良性の腫瘍のために小さな手術をする必要が2度あっただけです。

生き抜くための強さ

最初に腫瘍が現われてから22年後の今も自分が生きていることを私は本当に感謝しています。こうした試練を耐え抜く助けになったのは何でしょうか。まず第一に,主人が支えになってくれたことです。主人は,放射線治療の全過程を含めて毎回病院へ付き添って行ってくれました。病院へ行く時には,親切な友達か親戚の人に付き添ってもらうことがどうしても必要だと思います。でも,付き添いは感傷的な人ではなく,強く積極的な人でなければなりません。私はすぐに泣くほうなので,その面ではだれかに刺激してもらう必要はありません。

また,お医者さんたちが大いに助けになってくださいました。私たちにとって,その時の一番よい支えの一人としてジェームズ・トムソン博士がいてくださったことは大変ありがたいことでした。トムソン博士は手術室の中でさえ温かい態度で患者に接する方でした。病状については率直に話されましたが,荒々しいところや,ぶっきらぼうなところはありませんでした。

私は自分の状態をくよくよ考えてはならないことを学びました。常に自分の思いと生活を関心事と活動で満たすようにしました。私は読書が好きです。といっても,その内容は楽しい事柄をテーマにしたものでなければなりません。病気に関する問題をあれこれ考えたくありませんし,テレビ番組の病院ものには我慢できません。

私が病気だった時,助けになったのは何だったでしょうか。うれしかったのはあの見舞いのカードや手紙でした。非常に多くの方が私のことを気遣ってくださっていることを知ってとても励まされました。病気の時というのは,必ずしもいろいろな人に訪ねて来てもらいたいという気持ちでいるとは限りません。でも,見舞い状なら大歓迎です。もちろん,見舞いに来てくださった方々には,築き上げる積極的な言葉に感謝しました。3年前にガンで死んだ親族のだれかのことなど知りたいと思う人はいません。ですから,病気の人を見舞う際には,その人の気持ちに敏感であれば感謝されます。

言うまでもなく,エホバの証人としての私の信仰は大きな支えとなってきました。できる限りクリスチャン宣教に忙しく携わるようにもしました。神の新秩序に関する希望と復活のことを宣べ伝え,教えることは,自分の信仰を深めるのに役立ちました。1986年の今もなお生きており,エホバへの奉仕における活動で生活を満たすことができるのは,私にとって幸せなことです。―寄稿。

[近年のガン治療における進歩のおかげで,患者によっては単純腫瘤摘出だけですむようになりました。しかし,治療法の選択には多くの要素が関係します。―編集者。]

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