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宗教を吟味する ― なぜですかものみの塔 2013 | 7月1日
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特集記事: 宗教は信頼できますか
宗教を吟味する ― なぜですか
あなたが命に関わる病気で手術を必要とするとしたら,どうでしょう。担当の外科医の腕を信じて頼りたいと思うのではないでしょうか。自分の命をその医師に託すことになるからです。そのような場合,医師の経歴を考慮するのは賢明なことでしょう。
同様に,宗教をよく吟味するのは賢明なことです。何かの宗教団体に属している人は,事実上,神との関係における自分の命をその団体に託しているのであり,救われるかどうかもそれによって決まるからです。
イエスは,宗教を客観的に見るのに役立つ規準の一つとして,「木はそれぞれその実によって知られる」と述べました。(ルカ 6:44)例えば,あなたの見る宗教や宗派は,どんな実を結んでいますか。その宗教の指導者たちは,お金を重視していますか。信徒たちは,戦争や道徳に関して聖書の教えに従っているでしょうか。そして結局のところ,信頼できる宗教はあるのでしょうか。次の記事をお読みください。
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宗教を信頼できますか ― お金に関してものみの塔 2013 | 7月1日
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宗教を信頼できますか ― お金に関して
エステルaは,子どもたちを連れて教会に通っていました。「わたしは牧師に,聖書について教えてほしい,と頼みました」と語っています。しかし,教えてはくれませんでした。やがてエステルは,教会に行くのをやめました。こう述べています。「教会の役員たちからの手紙には,礼拝に出られないのなら献金だけしてください,という主旨のことが書かれていました。それで,『わたしが出席するかどうかなど問題ではなく,お金が欲しいだけなんだ』と思いました」。
以前から信仰心の厚かったアンヘリーナは,こう語っています。「わたしの属していた教会では,毎回,礼拝の間に3度,皆に寄付盆が回され,その都度お金を入れることになっていました。教会はいつも献金を求めていました。わたしは内心,『ここには神の霊がない』と思いました」。
あなたの住んでおられる地域の様々な宗教は,寄付集めのために,あからさまに,あるいはそれとなく圧力をかけてきますか。それは聖書の教えに調和したことでしょうか。
聖書は何と教えているか
キリスト教の創始者であるイエスは,「あなた方はただで受けたのです,ただで与えなさい」と言いました。(マタイ 10:8)聖書の教えは,非常に価値があり,望むならだれでも受けられるものであるべきです。
初期クリスチャンは会衆の出費をどのように賄っていたのでしょうか。
各人が「いやいやながらでも,強いられてでもなく,ただその心に決めたとおりに」寄付しました。「神は快く与える人を愛される」からです。(コリント第二 9:7)使徒パウロはこう述べています。「わたしたちは神の良いたよりをあなた方に宣べ伝えましたが,それは,あなた方のだれにも費用の面で重荷を負わせないようにするために,夜昼働きながらのことでした」。(テサロニケ第一 2:9)パウロは,宣教奉仕を行なってゆくために天幕作りの仕事をしたのです。―使徒 18:2,3。
エホバの証人はどうか
エホバの証人は普通,王国会館と呼ばれる簡素な建物で集会を開いています。出費をどのように賄っているのでしょうか。証人たちは,決して寄付盆を回しませんし,手紙で寄付を要請したりもしません。そうするのではなく,王国会館に寄付箱を置いて,だれでも神に関する教えに感謝する人がそっと寄付できるようにしています。
宗教はどのようにして出費を賄うべきか
本誌を印刷し発送するためには,当然,費用がかかります。しかし,本誌には広告も献金の要請も一切ありません。聖書の教える真理を伝えることに重きが置かれています。
どう思われますか。こうしたことの背後にある精神は,イエスの言葉や初期クリスチャンの模範と調和しているのではないでしょうか。
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宗教を信頼できますか ― 戦争に関してものみの塔 2013 | 7月1日
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宗教を信頼できますか ― 戦争に関して
アルベルトは,ほぼ10年間,軍務に就いていました。当時のことをこう述べています。「従軍司祭がわたしたちを祝福して,『神はあなた方と共におられる』と言いました。しかしわたしは,『聖書には「なんじ殺すなかれ」とあるのに,人を殺しに行くのか』と考えました」。
レイは,第二次世界大戦中,海軍にいました。ある時,従軍牧師に,「あなたはこの船に来て,部隊のために勝利を求めて祈ってくださいますが,敵も同じようなことをしているのではありませんか」と尋ねました。その牧師の答えは,主の働きは神秘に包まれている,というものでした。
その答えに納得できますか。できないとしても,それはあなただけではありません。
聖書は何と教えているか
イエスによれば,神の最も大きなおきての一つは『隣人を自分自身のように愛する』ことです。(マルコ 12:31)イエスは,隣人の居住地や国籍に基づいて隣人愛に限度を設けるようなことはせず,弟子たちに,『あなた方の間に愛があれば,それによってすべての人は,あなた方がわたしの弟子であることを知るでしょう』と語りました。(ヨハネ 13:34,35)つまり,互いを愛することが,身分証と言えるほど顕著なものとなるのです。弟子たちは,他の人の命を奪うどころか,自分の命を他の人のために与えるからです。
初期クリスチャンは,イエスの言葉に調和した生き方をしました。「宗教百科事典」(英語)にもこう書かれています。「テルトゥリアヌスやオリゲネスなどの初期の教会教父の言明するところであるが,クリスチャンは人の命を奪ってはならなかった。その原則のゆえにローマの軍隊に入ることはできなかった」。
エホバの証人はどうか
エホバの証人は,ほとんどすべての国にいるので,国家間の紛争のどちらの側にも住んでいます。それでも,自分たちの身分証とも言える愛を保つよう最善を尽くしています。
宗教指導者たちは真のクリスチャン愛を教えてきただろうか
例えば,1994年にルワンダのフツ族とツチ族の間で民族紛争が続いた期間中ずっと,エホバの証人は厳正中立の立場を保ちました。一方の部族の証人たちが,しばしば自分の命を非常な危険にさらして,他方の部族の証人たちをかくまいました。フツ族の民兵組織インテラハムウェは,ツチ族の証人たちをかくまったフツ族の証人二人を捕まえて,「おまえらはツチ族の逃亡を助けた。だから殺してやる」と言いました。痛ましいことに,フツ族のその証人たちは二人とも殺されました。―ヨハネ 15:13。
どう思われますか。エホバの証人の行動は,自己犠牲的な愛に関するイエスの言葉に調和しているのではないでしょうか。
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宗教を信頼できますか ― 道徳に関してものみの塔 2013 | 7月1日
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宗教を信頼できますか ― 道徳に関して
介護関係の仕事をしているシルビアという女性は,こう言います。「わたしの通った大学には,信仰を持っていると言う学生たちが大勢いました。しかし,彼らは試験の時にカンニングをしたり,違法薬物を使ったりしていました。その私生活に宗教は何の影響も及ぼしていませんでした」。
ライオネルという男性は,こう述べています。「職場の同僚たちは,うそをついたり,病気ではないのに電話で病欠の連絡をしたりします。宗教は,持っていても生かされてはいません。飾るためだけの家具のようなものです」。
宗教は,大多数の人々の生活に,道徳に関して強い影響を及ぼしていません。今日の多くの人は,「信心深い様子」をしているとしても,「その実を捨てる者」となっています。(テモテ第二 3:5,「口語訳」,日本聖書協会)宗教指導者は良い模範を示してきませんでしたし,僧職者も信者たちに道徳面で必要な聖書の諭しを与えてきませんでした。その当然の結果として,多くの人は,どんな生き方をしようと神は気にしない,と考えるようになっているのです。
聖書は何と教えているか
聖書は,神が感情を持っておられ,わたしたちの行ないに深い関心を抱いておられる,ということを示しています。古代のイスラエル人は,神に反逆して「神に痛みを覚えさせ」ました。(詩編 78:40)逆に,だれかが悪い行ないを誠実に改めると,『喜びが天にあり』ます。(ルカ 15:7)だれでも,天の父の麗しい特質を認識すると,神への愛が深まり,神の愛される事柄を愛し,神の憎まれる事柄を憎むようになります。―アモス 5:15。
エホバの証人はどうか
米国ユタ州ソルトレークシティーのデゼレット・ニューズ紙によれば,エホバの証人は「家族の絆を強め,生産的で正直な市民を育成して」おり,また「信者たちは,しっかりとした道徳律を擁護しており,喫煙,飲み過ぎ,薬物の乱用,ギャンブル,乱交,同性愛を霊的に有害な慣行とみなして」います。
宗教指導者は信者たちを,神の道徳規準を当てはめるよう助けてきただろうか
証人たちにとって,神のご性格について学ぶことは,どのように役立っているでしょうか。先ほどのシルビアはこう言っています。「介護関係の仕事では詐欺行為も珍しくありません。それに同調するのは簡単ですが,詐欺に対するエホバaの見方を理解しているので,正しいことを行なえます。わたしは幸福ですし,安らかな気持ちでいられます」。シルビアは,宗教上の信念に調和した生き方によって,人生がより良いものになっている,と確信しています。
a エホバとは,聖書中に啓示されている,神の名です。
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信頼できる宗教はありますかものみの塔 2013 | 7月1日
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信頼できる宗教はありますか
何かの宗教に幻滅した人は,どの宗教をも信頼できなくなるかもしれません。しかし,信頼の置ける宗教はあります。イエスは,地上にいた時,忠実な弟子たちを集めて,神の規準に従った生き方をするよう教えました。キリストに本当に従う人たち,つまりクリスチャンの規準に従った生き方をする良心的な人たちは,今でも存在します。どこにいるでしょうか。
前の記事で紹介したエステルは,こう言います。「エホバの証人と聖書を学び始めて,やっと聖書が分かるようになりました。そして間もなく,ヨハネ 8章32節の,『[あなた方は]真理を知り,真理はあなた方を自由にするでしょう』という聖句の意味を理解できました」。
やはり前の記事で紹介したレイは,こう述べています。「エホバの証人から聖書を教えてもらって,人間の苦しみが神のせいではないことを知りました。また,神が今は十分の理由があって悪を許してはいるものの,『間もなく悪を一掃する』という約束をしてくださっていることに感謝しています」。
言うまでもなく,この世の低い道徳規準の潮流に逆らって歩むのは容易なことではありません。とはいえ,それは可能です。多くの人が聖書の教えを理解し適用するための援助を望んでおり,エホバの証人は世界じゅうで幾百万もの人々にそれぞれの家庭で聖書を教えています。それによって毎週,大勢の人が,聖書の実際の教えを学び,その結果,創造者に近づき,より幸福な生活を送るようになっています。a
証人たちが自分の宗教をなぜ信頼しているのか,尋ねてみてはいかがですか
今度エホバの証人に会った時には,証人たちが自分の宗教をなぜ信頼しているのか,尋ねてみてはいかがですか。その教えている事柄や行なってきた事柄を調べてみてください。そして,信頼できる宗教が存在しているかどうか,ご自分で判断なさってください。
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