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    啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
    • 5章

      ヨハネは栄光を受けられたイエスを見る

      第1の幻 ― 啓示 1:10–3:22

      主題: イエスは地上の霊的なイスラエルを視察し,温かい励ましをお与えになる

      成就する期間: 主の日のこの特徴は,1914年から,忠実な油そそがれた者たちの最後の人が亡くなって復活させられる時にまで及びます

      1 最初の幻はどのように示されましたか。ヨハネはそれが実際に当てはまる時代をどのように示唆しましたか。

      啓示の書の最初の幻は,1章10節から始まります。この幻は啓示の書のほかの幻と同様,ある異常な事柄としてヨハネの耳に聞こえたり,目に見えたりする宣言によって紹介されます。(啓示 1:10,12; 4:1; 6:1)この最初の幻は,ヨハネと同時代の七つの会衆あてに音信を送るという1世紀の時代の構成形式で示されています。しかしヨハネは,「わたしは霊感によって主の日に来ており」(啓示 1:10[前半])と述べて,その幻が実際に当てはまる時代を示唆しています。その「日」とはいつのことですか。すさまじいこの現代の劇的な出来事は,その「日」と何らかの関係があるでしょうか。もし,あるとすれば,わたしたちの生活そのものに ― わたしたちが生き残れるかどうかということにさえ影響を及ぼす,その預言に細心の注意を払うべきでしょう。―テサロニケ第一 5:20,21。

      主の日に

      2 主の日はいつ始まりますか。それはいつ終わりますか。

      2 この句からすれば,啓示の書の預言の成就はどの時代に組み込まれることになりますか。では,主の日とは何でしょうか。使徒パウロはその日のことを裁きの行なわれる,神からの約束の成就する時代として述べています。(コリント第一 1:8。コリント第二 1:14。フィリピ 1:6,10; 2:16)その「日」が到来すると共に,エホバの壮大な目的は最高潮に向かって漸進的に,また勝ち誇りながら進展してゆきます。その「日」は,天の王としてのイエスの戴冠式をもって始まります。イエスがサタンの世に裁きを執行された後でさえ,楽園<パラダイス>が回復され,人類が完全性を取り戻すと共に,イエスが最後に「王国を自分の神また父に渡(される)」時まで,主の日は続いてゆきます。―コリント第一 15:24-26。啓示 6:1,2。

      3 (イ)「七つの時」に関するダニエルの預言は,主の日が始まる時を見定めるのに,どのように役立ちますか。(ロ)地上のどんな出来事は,1914年が主の日の始まりであることを確証していますか。

      3 ほかの聖書預言の成就を調べると,主の日が始まる時を見定めるのに役立ちます。例えば,ダニエルは,ダビデ王の家系の王の支配権が切り倒されて,「七つの時」が経過した後,「至高者が人間の王国の支配者であり,ご自分の望む者にそれを与える」ということが分かるようになると述べました。(ダニエル 4:23,24,31,32)この預言の主要な成就は,ユダ王国の荒廃と共に始まりました。聖書の証拠によれば,同王国は西暦前607年10月までに完全に荒廃したことが示されています。啓示 12章6節と14節は,三時半が1,260日であることを示していますから,七つの時(三時半の2倍)は2,520日であるに違いありません。「一年に対して一日」を当てて計算すれば,「七つの時」の長さは2,520年となります。(エゼキエル 4:6)ですから,キリスト・イエスは1914年の後期に天的な支配を開始されました。その年に勃発した第一次世界大戦は,これまで人類を悩まし続けてきた「苦しみの劇痛の始まり」をしるし付けるものとなりました。1914年以来,その年がイエスの臨在の「日」の始まりであることは,この血まみれの地上の出来事によって,何と見事に確証されてきたのでしょう。―マタイ 24:3-14。a

      4 (イ)啓示の書それ自体の言葉は,最初の幻が成就する時に関して何を示唆していますか。(ロ)この最初の幻の成就はいつ終わりますか。

      4 したがって,この最初の幻とそこに収められている助言は,1914年以降の主の日のためのものです。主イエスが顕著な役割を果たされる出来事,つまり神の義にかなった真実の裁きが執行されることを啓示の書は後の箇所で述べているという事実も,このような時の定め方を支持しています。(啓示 11:18; 16:15; 17:1; 19:2,11)もし,この最初の幻の成就が1914年に始まったのなら,それはいつ終わりますか。これらの音信そのものが示す通り,それが書き送られている組織は,地上の油そそがれた者たちで成る神の会衆です。ですから,油そそがれたその会衆の最後の忠実な成員が亡くなり,天の命によみがえらされる時,この最初の幻の成就が終わります。とはいえ,地上のほかの羊に祝福をもたらす主の日は,イエス・キリストの千年統治の終わりまで続きます。―ヨハネ 10:16。啓示 20:4,5。

      5 (イ)ヨハネは,ある声により,何をするよう求められますか。(ロ)「七つの会衆」は,どうして巻き物を送ってもらうのに都合の良い場所にあったと言えますか。

      5 ヨハネはこの最初の幻の中で,何も見ないうちに,次のような事を聞きました。「わたしは……ラッパの音のような強い声がわたしの後ろでこう言うのを聞いた。『あなたが見ることを巻き物に書き,それを,エフェソス,スミルナ,ペルガモン,テアテラ,サルデス,フィラデルフィア,ラオデキアにある,七つの会衆に送りなさい』」。(啓示 1:10[後半],11)ラッパの合図のような権威のある堂々たる声により,ヨハネは「七つの会衆」に書き送るよう求められます。ヨハネは一連の音信を受け,自分が見たり聞いたりする事柄を言い広めなければなりません。ここで指摘されている幾つかの会衆は,ヨハネの時代に実在していたことに注目してください。それらの会衆はすべて,海を隔ててパトモス島の真向かいにある小アジアに位置していました。その地区にはローマ人の作った立派な道路があったので,それらの会衆は相互の接触を容易に保てました。使者が巻き物を一つの会衆から別の会衆へ携えて行くのは,少しも問題ではなかったでしょう。それら七つの会衆は,現代のエホバの証人の巡回区の一つに似ていたようです。

      6 (イ)「今あること」とは何を意味していますか。(ロ)今日の油そそがれたクリスチャンの会衆の状態も,確かにヨハネの時代のそれと同様であるに違いないと言えますが,それはどうしてでしょうか。

      6 啓示の書の預言の大半は,ヨハネの時代よりも後に成就することになっていました。それらの預言は「この後に起きること」を指し示していました。しかし,七つの会衆に対する助言は,「今あること」,つまり当時の七つの会衆に実際にあった状況を扱う助言でした。その音信はそれら七つの会衆はもとより,当時の油そそがれたクリスチャンのほかのすべての会衆の任命された忠実な長老たちにとっても貴重な助けでした。b その幻はおもに主の日に当てはまりますから,イエスの述べておられる事柄は,同様の事柄がこの現代の油そそがれたクリスチャンの会衆にも生ずるのを予期すべきであることを示しています。―啓示 1:10,19。

      7 ヨハネはこの最初の幻の中でどなたを見ますか。それは今日のわたしたちにとってどうして胸の躍るような重要な事柄ですか。

      7 ヨハネはこの最初の幻の中で,天的な栄光を受けられた光り輝く主イエス・キリストを見ます。天により任命されたこの主の大いなる日にかかわる預言の書にとって,それよりもふさわしいことがあるでしょうか。また,今やその期間に生活して,その方のすべてのご命令を注意深く聞いているわたしたちにとって,それよりも重要なことがあるでしょうか。その上,サタンのもたらした試練や迫害のすべてに耐え,2,000年近く前に「かかと」を砕かれて悲痛な死を遂げたメシアなる胤が,今や天で生きておられ,神の偉大な目的を堂々と完成させる力を授けられていることを確信できるのは,エホバの主権を擁護する人々にとって,まさに胸の躍るような事柄です!―創世記 3:15。

      8 イエスは今やどんな活動を開始するよう身構えておられますか。

      8 イエスは明らかに,今や即位された王として活動を開始するよう身構えておられます。イエスは,この古い邪悪な事物の体制とその悪魔的な神サタンに対するエホバの最終的な裁きを履行する,エホバの主要な刑執行官として任命された方です。イエスはまた,油そそがれた者たちで成るご自分の会衆の成員とその仲間の大群衆はもとより,世をも裁くことを引き受けておられます。―啓示 7:4,9。使徒 17:31。

      9 (イ)ヨハネは,黄金の燭台の真ん中におられる,栄光を受けられたイエス・キリストをどのように描写していますか。(ロ)神殿のような情景やイエスの着ておられる衣は何を示唆していますか。(ハ)その黄金の帯は何を表わしていますか。

      9 大きな声が響いて来る方向を振り向いたヨハネは,次のようなものを見ます。「わたしは,わたしと話している声のほうを見ようとして振り向いた。そして,振り向いたわたしは,七つの黄金の燭台を見た」。(啓示 1:12)ヨハネは後に,それら七つの燭台が何を象徴しているかを教えられます。ところで,ヨハネはそれらの燭台の真ん中にいる方に目を奪われます。「それらの燭台の真ん中に,人の子のような者が,足まで届く衣をまとい,胸に黄金の帯を締めて立って」いたのです。(啓示 1:13)「人の子」イエスはここで,畏怖の念に打たれた証人であるヨハネの前で,目もあやな,燃えるような姿で出て来られます。赤々と燃える黄金の燭台の間にさん然と輝く栄光を帯びて現われます。この神殿のような情景に接したヨハネは,イエスが裁きを行なう力を有する,エホバの偉大な大祭司としての任務に就いておられるということを銘記させられます。(ヘブライ 4:14; 7:21-25)その印象的な長い衣は,イエスの祭司職と合致しています。昔のユダヤ人の大祭司のように,イエスは帯 ― 黄金の帯を胸に締めておられ,その帯は心臓を守っています。これは,イエスがエホバ神から受けた天与の使命を心をこめて遂行されることを意味しています。―出エジプト記 28:8,30。ヘブライ 8:1,2。

      10 (イ)イエスの雪のように白い髪の毛や火のような目は何を示唆していますか。(ロ)イエスの足が燃えるように輝く銅のようであったことには,どんな重要な意味がありますか。

      10 ヨハネの描写は続きます。「しかも,その頭と髪の毛は白い羊毛のように,また雪のように白く,その目は火の炎のようであった」。(啓示 1:14)雪のように白いその髪の毛は,長寿に伴う知恵を示唆しています。(箴言 16:31と比較してください。)また,火のようなその目は,イエスが調べたり,試みたり,あるいは憤りを表わしたりする際,鋭くて,油断なく気を配る方であられることを示しています。ヨハネはイエスの足にさえ注意を奪われます。「そして,その足は,炉の中で白熱しているときの純良な銅に似ていた。また,その声は多くの水の音のようであった」。(啓示 1:15)幻の中のイエスの足は,燃えるように輝く銅のようです。エホバ神のみ前で立派な立場を得て,熱心に歩む方ですから,それももっともなことです。その上,神に関する物事は聖書ではしばしば金で表わされているので,人間に関する物事は時々銅で表わされています。c それで,純良な銅のように見える,その燃えるような足は,地上を歩いて良いたよりを宣べ伝えられたイエスの足がどんなに「麗しい」ものだったかをわたしたちに思い起こさせます。―イザヤ 52:7。ローマ 10:15。

      11 (イ)イエスの輝かしい足は,どんなことをわたしたちに思い起こさせますか。(ロ)イエスの声が「多くの水の音のようであった」ということは,何を示唆していますか。

      11 確かに,完全な人間であられたイエスには,み使いたちや人間にもはっきりそれと分かる輝きがありました。(ヨハネ 1:14)その輝かしい足はまた,エホバの組織の大祭司であるイエスが,その組織の中の聖なる地を踏み締めておられることをわたしたちに思い起こさせます。(出エジプト記 3:5と比較してください。)さらに,その声は,ごうごうと流れ落ちる巨大な滝のように,雷のようにとどろきます。それは,「人の住む地を義をもって裁くために」来られる,正式に神の言葉と呼ばれている方にふさわしく,感動的で,畏怖の念を起こさせる光景です。―使徒 17:31。ヨハネ 1:1。

      12 「鋭くて長いもろ刃の剣」には,どんな重要な意味がありますか。

      12 「そして,右の手に七つの星を持ち,その口からは鋭くて長いもろ刃の剣が突き出ており,その容ぼうは力いっぱいに輝くときの太陽のようであった。それで,彼を見た時,わたしは死んだようになってその足もとに倒れた」。(啓示 1:16,17[前半])イエスは少しあとの所で七つの星の意味を自ら説明しておられますが,その口から出ているものに注目してください。それは「鋭くて長いもろ刃の剣」です。何とふさわしい特徴でしょう。なぜなら,イエスは神の敵に対するエホバの最終的な裁きを言い渡すよう任命された方だからです。その口から決定的な言葉が出されると,邪悪な者たちはすべて処刑されてしまいます。―啓示 19:13,15。

      13 (イ)イエスの光り輝く明るい容ぼうは,どんなことをわたしたちに思い起こさせますか。(ロ)わたしたちはイエスに関するヨハネの描写から,どんな全体的な印象を受けますか。

      13 イエスの光り輝く明るい容ぼうは,エホバがシナイ山でモーセと親しく交わられた後,その顔が輝かしい光を発していたことをわたしたちに思い起こさせます。(出エジプト記 34:29,30)また,イエスが2,000年近く前に,ご自分の使徒たちのうちの三人の前で変ぼうを遂げられた時,「その顔は太陽のように輝き,その外衣は光のようにまばゆくなった」ことも思い出してください。(マタイ 17:2)今や,主の日の期間のイエスを描写した幻の中で,その顔は同様に,エホバのみ前におられる方の光を放つ光輝を反映しています。(コリント第二 3:18)実際,ヨハネの幻から受ける全体的な印象は,まばゆいばかりの栄光そのものです。雪のように白い髪や火の炎のような目,そして光り輝く容ぼうから,燃えるような足に至るまで,それはまさしく,今や「近づき難い光の中に」住んでおられる方の比類のない幻です。(テモテ第一 6:16)この目覚ましい光景の写実的な描写は,実に生き生きとしています! すっかり圧倒されたヨハネは,どんな反応を示しましたか。同使徒は,「それで,彼を見た時,わたしは死んだようになってその足もとに倒れた」と語っています。―啓示 1:17。

      14 栄光を受けられたイエスに関するヨハネの幻について読む時,わたしたちはどのような影響を受けずにはいられないでしょうか。

      14 今日,色彩豊かに詳細に描写されたヨハネの幻を調べる神の民は,心からの感謝の念に満たされます。主の日の期間にいるわたしたちは,すでに90年余りを過ごしてきましたが,この間にその幻は感動的な仕方で成就し続けてきました。イエスの王国による支配は,わたしたちにとって現に行使されている生きた現実であって,将来の希望などではありません。ですから,その王国の忠節な臣民であるわたしたちが,この最初の幻の中でヨハネの描写している事柄を驚嘆の念を抱いて調べ,栄光を受けられたイエス・キリストの言葉に従順に聴き従うのは,まさにふさわしいことです。

      [脚注]

      a さらに詳しい説明をお望みの方は,エホバの証人の発行した「聖書は実際に何を教えていますか」と題する本の88-92,215-218ページをご覧ください。

      b 1世紀の会衆は使徒から手紙を受け取ると,それを他の会衆に回覧して,すべての会衆がその助言の益を受けられるようにするのが習わしでした。―コロサイ 4:16と比較してください。

      c ソロモンの神殿の内部の装飾や備品は金で作られたり,金をかぶせられたりしましたが,中庭の備品には銅が使われました。―列王第一 6:19-23,28-35; 7:15,16,27,30,38-50; 8:64。

  • ヨハネは栄光を受けられたイエスを見る
    啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
    • [23ページの図版]

      考古学上の遺跡: 七つの会衆の所在地だった都市の遺跡は,聖書の記述の正しさを確証しています。1世紀のクリスチャンはイエスの励みの多い手紙をそれらの場所で受け取りました。今日,その音信は全世界の会衆を鼓舞するものです

      ペルガモン

      スミルナ

      テアテラ

      サルデス

      エフェソス

      フィラデルフィア

      ラオデキア

  • 神聖な奥義を解く
    啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
    • 6章

      神聖な奥義を解く

      1 わたしたちは啓示 1章10節から17節に記されている輝かしい光景に,どのように反応すべきでしょうか。

      高められたイエスの幻は,まさしく畏怖の念を起こさせます! もし,わたしたちが観察者として使徒ヨハネと一緒にそこにいたとしたら,確かにわたしたちもその輝くばかりの栄光に圧倒されて,ヨハネのようにひれ伏したに違いありません。(啓示 1:10-17)霊感によって示された,この比類のない幻は,今日のわたしたちの行動を促すために保存されてきました。わたしたちもヨハネのように,その幻の意味する事柄すべてに対する感謝の念を謙虚な態度で表わさなければなりません。わたしたちは,即位された王,祭司,ならびに裁き主としてのイエスの地位に対する恭しい敬意を常に抱いて歩めますように。―フィリピ 2:5-11。

      『最初であり,最後である』

      2 (イ)イエスはどんな称号を用いてご自身を紹介しておられますか。(ロ)エホバはどういう意味で,『わたしは最初であり,わたしは最後である』と言っておられますか。(ハ)『最初であり,最後である』というイエスの称号は何に注意を引きますか。

      2 しかし,畏怖の念に打たれるからといって,病的な恐れを抱く必要はありません。イエスはヨハネを安心させました。それは同使徒が次のように語っている通りです。「すると彼は右手をわたしの上に置いて,こう言った。『恐れてはいけない。わたしは最初であり最後であり,また,生きている者である』」。(啓示 1:17[後半],18[前半])エホバはイザヤ 44章6節で,「わたしは最初であり,わたしは最後であり,わたしのほかに神はいない」と言って,唯一無二の全能の神としてのご自分の地位について正しく述べておられます。a 『最初であり,最後である』という称号を用いて,ご自身を紹介しておられるイエスは,偉大な創造者エホバと同等であることを主張しておられるのではありません。神から授けられたご自分の正当な称号を用いておられるのです。エホバはイザヤ書の中で,まことの神としてのご自身の特異な地位について述べておられます。この方はとこしえの神ですから,確かにこの方のほかに神はいません。(テモテ第一 1:17)イエスは啓示の書の中で,神から授けられたご自分の称号について述べ,ご自身の特異な復活に注意を引いておられるのです。

      3 (イ)イエスはどのような点で『最初であり,最後である』と言うことができましたか。(ロ)イエスが「死とハデスのかぎ」を持っておられるとは,どういう意味ですか。

      3 イエスは確かに,不滅の霊者としての命に復活させられた「最初」の人でした。(コロサイ 1:18)その上,エホバご自身によって復活させられた「最後」の人でした。こうして,イエスは,「生きている者……限りなく永久に生きて」いる方となって,不滅性を享受しておられるのです。この点で,イエスは,「生ける神」と呼ばれている不滅のみ父と似ておられます。(啓示 7:2。詩編 42:2)人類の他のすべての人々にとって,イエスご自身は「復活であり,命」です。(ヨハネ 11:25)このことと調和して,イエスはヨハネにこう言われます。「わたしは死んだが,見よ,限りなく永久に生きており,死とハデスのかぎを持っている」。(啓示 1:18[後半])エホバは死者を復活させる権威をイエスにお与えになりました。それゆえに,イエスは,死とハデス(墓場)に縛られている人たちのために門の錠をあけるかぎを持っていると言うことがおできになるのです。―マタイ 16:18と比較してください。

      4 イエスはどんな命令を繰り返されますか。それはだれを益するためですか。

      4 イエスはここで,幻を書き記すようにとの命令を繰り返し,ヨハネにこうお告げになります。「あなたの見たこと,そして,今あることと,この後に起きることとを書き留めなさい」。(啓示 1:19)ヨハネは,わたしたちを教えるのに役立つ,胸の躍るようなどんな事柄をさらに知らせてくれるのでしょうか。

      「星と燭台」

      5 イエスは「七つの星」と「七つの燭台」についてどのように説明されますか。

      5 ヨハネは,七つの黄金の燭台の真ん中で右手に七つの星を持っておられるイエスを見ました。(啓示 1:12,13,16)さて,イエスはこのように説明なさいます。「あなたがわたしの右手にあるのを見た七つの星と,七つの黄金の燭台とに関する神聖な奥義について言えば,七つの星は七つの会衆の使いたちを表わし,七つの燭台は七つの会衆を表わしている」― 啓示 1:20。

      6 七つの星は何を表わしていますか。その音信はどうして特にそれらの人々にあてて書かれましたか。

      6 それらの「星」とは,「七つの会衆の使いたち」のことです。啓示の書の中では,時には星が文字通りのみ使いたちを象徴する場合もありますが,イエスが人間の筆記者を用いて,目に見えない霊の被造物あてに手紙を書き送らせるとは,まず考えられません。ですから,それらの「星」とは,イエスの使者とみなされる,諸会衆内の監督たち,もしくは長老たちである人間に違いありません。b 音信はそれらの星あてに書き送られています。それらの人には,エホバの羊の群れを監督する責任があるからです。―使徒 20:28。

      7 (イ)イエスが各々の会衆のただ一人の使いに話しかけておられるからといって,各々の会衆にただ一人の長老しかいないというわけではありません。それはどうしてですか。(ロ)イエスの右手にある七つの星は,実際にはだれを表わしていますか。

      7 イエスが各々の会衆のただ一人の「使い」に話しかけておられるということは,各々の会衆にただ一人の長老しかいないことを意味しているのでしょうか。そうではありません。初期のパウロの時代でさえ,エフェソス会衆には,ただ一人ではなく,何人かの長老たちがいました。(啓示 2:1。使徒 20:17)ですから,(エフェソスの会衆を含め)諸会衆で読まれるように,七つの星あてに音信が送られたヨハネの時代に,それらの星は,エホバの油そそがれた会衆内の長老団の中で仕えた人たち全員を表わしていたに違いありません。同様に今日,監督たちは,イエスの頭の権に従って仕える油そそがれた監督たちで構成されている統治体から受け取る手紙を自分たちの会衆に対して読みます。地元の長老団は,自分たちの会衆がイエスの助言に従っていることを確かめなければなりません。もとより,助言は単に長老たちだけでなく,会衆と交わる人たち全員の益となります。―啓示 2:11[前半]をご覧ください。

      8 長老たちがイエスの右手にあるということは,何を示唆していますか。

      8 イエスは会衆の頭ですから,長老たちがイエスの右手に,つまりその管理指導のもとにあると言われるのは,もっともなことです。(コロサイ 1:18)イエスは主要な牧者であられ,長老たちは従属の牧者です。―ペテロ第一 5:2-4。

      9 (イ)七つの燭台は何を表わしていますか。燭台はどうしてそれらのものを表わす適切な象徴と言えますか。(ロ)この幻は使徒ヨハネに恐らく何を思い起こさせたでしょうか。

      9 七つの燭台とは七つの会衆,つまりエフェソス,スミルナ,ペルガモン,テアテラ,サルデス,フィラデルフィア,およびラオデキアです。ヨハネはこれらの会衆あてに啓示の書を書き記しています。会衆はどうして燭台で象徴されているのでしょうか。なぜなら,クリスチャンは個人的にも,あるいは会衆として集団的にも,この暗黒の世で『自分たちの光を人々の前に輝かせるように』しなければならないからです。(マタイ 5:14-16)その上,燭台はソロモンの神殿の備品の中にも含まれていました。会衆が燭台と呼ばれているので,ヨハネは恐らく,油そそがれた者たちの地元の会衆が各々,比喩的な意味で,神の霊の宿る所としての「神の神殿」であることを思い起こさせられたでしょう。(コリント第一 3:16)さらに,ユダヤ人の神殿の取り決めの対型の場合,油そそがれた者たちの会衆の成員は,エホバの偉大な霊的な神殿の取り決めのもとで「王なる祭司」として仕えます。イエスはその神殿の大祭司であられ,またエホバはその天的な至聖所に自ら住んでおられるのです。―ペテロ第一 2:4,5,9。ヘブライ 3:1; 6:20; 9:9-14,24。

      大々的な背教

      10 ユダヤ人の体制と悔い改めなかったその支持者たちは西暦70年にどうなりましたか。

      10 ヨハネが啓示の書を記した当時,キリスト教は創設以来60年以上たっていました。最初,キリスト教はユダヤ教からの40年にわたる絶え間ない反対にもめげず生き残りました。その後,西暦70年に悔い改めないユダヤ人は自分たちの国家的身分と彼らにとって事実上偶像に等しかったエルサレムの神殿を失い,ユダヤ人の体制は致命的な打撃を受けました。

      11 明らかになっていた傾向について主要な牧者が会衆に警告するのは,どうしてたいへん時宜にかなったことでしたか。

      11 とはいえ,使徒パウロは,油そそがれたクリスチャンの間から背教が生じることを予告していましたし,イエスからの音信は,ヨハネが高齢に達した時,そのような背教がすでに現われていたことを示しています。ヨハネは,サタンが女の胤を腐敗させようとして全力を挙げて設けた企てに対する抑制力の働きをした人たちの最後の人でした。(テサロニケ第二 2:3-12。ペテロ第二 2:1-3。ヨハネ第二 7-11)ですから,当時は,エホバの主要な牧者が諸会衆の長老たちに手紙を書いて,明らかになっていた傾向について警告したり,義のためにしっかり立つよう心の正しい人たちを励ましたりする,ふさわしい時でした。

      12 (イ)ヨハネの時代の後の世紀に,背教はどのように現われましたか。(ロ)キリスト教世界はどのようにして存在するようになりましたか。

      12 西暦96年当時の諸会衆がイエスの音信にどのように反応したかは分かりません。しかし,わたしたちは,ヨハネの死後,背教が急速に現われたことを確かに知っています。いわゆる“クリスチャン”はエホバのみ名を使わなくなり,聖書写本にあるそのみ名を「主」もしくは「神」で置き換えました。4世紀までには,三位一体という偽りの教理が諸会衆に浸透しました。その同じ時期に,魂は不滅であるという考えが取り入れられました。ついに,ローマ皇帝コンスタンティヌスは“キリスト教”を公認し,こうしてキリスト教世界が形成されるに至り,教会と国家が協力して同世界を1,000年間支配しました。新たに流行した“クリスチャン”になるのは,容易なことでした。人々はそれまでの自分たちの異教の信仰をこの宗教の特定の型に部族ぐるみで合わせました。キリスト教世界の指導者の多くは政治上の圧制的な独裁者と化し,自分たちの背教した考え方を剣を用いて人々に強制しました。

      13 イエスが分派を戒められたにもかかわらず,背教したクリスチャンはどんな道を進みましたか。

      13 背教したクリスチャンは,七つの会衆に対するイエスの言葉を完全に無視しました。イエスは,最初に抱いた愛を取り戻すようエフェソス人に警告しておられました。(啓示 2:4)いずれにせよ,キリスト教世界の成員は,もはやエホバに対する愛で結ばれてはおらず,激しい戦争を行ない,恐るべき仕方で互いに迫害し合いました。(ヨハネ第一 4:20)イエスはペルガモンの会衆に対して分派を戒めておられました。ところが,2世紀のころでさえ分派が現われ,今日のキリスト教世界には幾千もの相争う分派や宗教団体が見られます。―啓示 2:15。

      14 (イ)イエスは霊的な死に陥らないよう警告なさいましたが,自称クリスチャンはどんな道を進みましたか。(ロ)自称クリスチャンは偶像崇拝や不道徳に対するイエスの警告に留意する点で,どのように失敗しましたか。

      14 イエスは霊的な死に陥らないようサルデスの会衆に警告しておられました。(啓示 3:1)サルデスの人たちのように,自称クリスチャンはキリスト教の業をたちまち忘れて,やがて非常に重要な宣べ伝える業を少数の有給の僧職者階級に任せました。イエスはテアテラの会衆に対して偶像崇拝と淫行を戒めておられました。(啓示 2:20)ところが,キリスト教世界は像の使用はもとより,国家主義や物質主義などの一層巧妙な偶像崇拝を助長することを公然と認めました。時には反対を唱える動きもありましたが,不道徳はいつも広く容認されてきました。

      15 七つの会衆に対するイエスの言葉は,キリスト教世界の宗教団体について何を暴露していますか。キリスト教世界の僧職者たちはどのような者になりましたか。

      15 したがって,七つの会衆に対するイエスの言葉は,キリスト教世界の宗教団体すべてがエホバの特別の民となる点で完全に失敗してきたことを暴露しています。確かに,キリスト教世界の僧職者たちは,サタンの胤の最も顕著な者たちとなってきました。使徒パウロはそのような人々のことを「不法の者」と述べて,それらの者が「存在するのはサタンの働きによるのであり,それはあらゆる強力な業と偽りのしるしと異兆を伴い,また……あらゆる不義の欺きを伴っています」と予告しました。―テサロニケ第二 2:9,10。

      16 (イ)キリスト教世界の指導者たちはだれに対して異例の憎しみを示しましたか。(ロ)中世のキリスト教世界ではどんなことが起きましたか。(ハ)プロテスタントの反抗,つまり宗教改革は,キリスト教世界の背教した歩みを変えさせましたか。

      16 キリスト教世界の宗教界および俗界の指導者たちは,神の羊の群れの牧者であると唱えながら,聖書を読むように勧めたり,指導者たちの聖書に反する行ないを暴露したりした人すべてに異例の憎しみを示しました。ジョン・フスや聖書翻訳者ウィリアム・ティンダルは迫害され,殉教の死を遂げました。中世の暗黒時代の背教者による支配は,カトリック教会の行なった悪魔的な異端審問という形で頂点に達しました。教会の教えや権威に異議を唱える人は皆,情け容赦なく取り押さえられ,幾千人もの数え切れない,いわゆる異端者たちが拷問を受けて殺されたり,杭につけられて焼かれたりしました。こうしてサタンは,神の女のような組織の真の胤が直ちにことごとく打ち砕かれるのを確実に見届けるよう努めました。その後,プロテスタントの反抗,つまり宗教改革が(1517年以降)起きましたが,多くのプロテスタント教会は同様な不寛容の精神を表わしました。それらの教会もまた,神とキリストに対して忠節を保とうとした人々を殉教の死に追いやり,流血の罪を負いました。実際,『聖なる者たちの血』が惜しげもなく注ぎ出されたのです!―啓示 16:6。マタイ 23:33-36と比較してください。

      胤は耐え忍ぶ

      17 (イ)イエスは小麦と雑草のたとえ話の中で何を予告されましたか。(ロ)1918年には何が起きましたか。その結果,何が退けられ,どんな任命が行なわれることになりましたか。

      17 イエスは小麦と雑草のたとえ話の中で,キリスト教世界が君臨している間,存続する暗黒の時代を予告されました。それにしても,背教がはびこる何世紀もの期間を通じて,個人的には小麦のようなクリスチャン,つまり正真正銘の油そそがれた者がいたようです。(マタイ 13:24-29,36-43)ですから,1914年10月に主の日が始まった時,地上にはなお真のクリスチャンがいました。(啓示 1:10)それから約3年半後の1918年に,エホバはご自分の「契約の使者」であるイエスを伴って,裁きを行なうため霊的な神殿に来られたようです。(マラキ 3:1。マタイ 13:47-50)それは,主人が偽クリスチャンを最終的に退け,『忠実で思慮深い奴隷級を任命して自分のすべての持ち物をつかさどらせる』時でした。―マタイ 7:22,23; 24:45-47。

      18 1914年にどんな「時」が来ましたか。当時はその奴隷が何をする時でしたか。

      18 それはまた,その奴隷が,七つの会衆あてのイエスの音信の中に記されている事柄に特別の注意を向ける時でもありました。このことはそれらの音信の中で述べられている事柄から分かります。例えば,イエスは諸会衆を裁くために来ることに言及しておられますが,それは1918年に始まりました。(啓示 2:5,16,22,23; 3:3)また,イエスはフィラデルフィア会衆を「人の住む地全体に臨もうとしている試みの時」から守ることについても述べておられます。(啓示 3:10,11)その「試みの時」は,主の日が1914年に始まって初めて到来するのです。それ以後,クリスチャンは樹立された神の王国に対する忠節の点で試みられました。―マタイ 24:3,9-13と比較してください。

      19 (イ)七つの会衆は今日,何を表わしていますか。(ロ)大勢のどんな人々が油そそがれたクリスチャンと交わってきましたか。イエスの助言とイエスが述べておられる状態は,どうして彼らにも当てはまりますか。(ハ)わたしたちは1世紀の七つの会衆に対するイエスの音信をどのように見るべきでしょうか。

      19 このような訳で,諸会衆に対するイエスの言葉は,おもに1914年以来当てはまります。このような背景の中で,七つの会衆は主の日の期間中の油そそがれたクリスチャンの諸会衆すべてを表わしています。その上,過去70年余の間,地上の楽園<パラダイス>で永久に生きる希望を抱く大勢の人々が,ヨハネによって表わされている油そそがれたクリスチャンに加わってきました。栄光を受けられたイエス・キリストの助言と,イエスが七つの会衆を検閲した結果見いだされた状態は,それら大勢の人々にも同様の効力をもって当てはまります。というのは,エホバの僕たちに対する義と忠実の規準は一つしかないからです。(出エジプト記 12:49。コロサイ 3:11)ですから,小アジアにあった1世紀の七つの会衆に対するイエスの音信は,単に歴史的好奇心をそそるだけの事柄ではありません。それはわたしたち各人にとって命か死を意味する事柄です。では,イエスの言葉に注意深く耳を傾けましょう。

      [脚注]

      a 元のヘブライ語のイザヤ 44章6節では,「最初」と「最後」という言葉に定冠詞は付いていませんが,啓示 1章17節でイエスがご自分のことを述べておられる箇所の元のギリシャ語には定冠詞があります。ですから,文法的に言えば,啓示 1章17節は称号に言及していますが,イザヤ 44章6節は,エホバの神性について述べています。

      b 「アンゲロス」というギリシャ語は,「使者」や「み使い」を意味しています。マラキ 2章7節では,レビ人の祭司が「使者」(ヘブライ語,マルアク)と呼ばれています。―「参照資料付き 新世界訳聖書」の脚注をご覧ください。

  • あの最初の愛を再び燃え立たせなさい!
    啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
    • 7章

      あの最初の愛を再び燃え立たせなさい!

      エフェソス

      1 イエスの最初の音信はどの会衆にあてて記されていますか。イエスは監督たちに何を思い起こさせておられますか。

      イエスの最初の音信は,エフェソスの会衆にあてて記されています。当時,エフェソスはパトモス島に近い小アジアの繁栄する沿岸都市でした。イエスはヨハネにこうお命じになります。「エフェソスにある会衆の使いに書き送りなさい。右手に七つの星をつかむ者,七つの黄金の燭台の真ん中を歩く者がこう言う」。(啓示 2:1)ほかの六つの音信と同様,イエスはここでご自分の権威ある地位を表わす特徴に注意を引いておられます。つまり,長老たちはすべてイエスの監督下で保護されており,ご自分がすべての会衆を検閲していることをエフェソスの監督たちに思い起こさせておられます。イエスは今日に至るまで,そのような頭の権を愛ある仕方で行使し続け,長老たちを見守り,会衆と交わるすべての人を親切に牧してこられました。イエスは時々,会衆の取り決めを調整し,光が一層明るく輝けるようにされます。そうです,イエスは神の羊の群れの主要な牧者であられます。―マタイ 11:28-30。ペテロ第一 5:2-4。

      2 (イ)イエスはどんな立派な事柄のゆえにエフェソス会衆をお褒めになりましたか。(ロ)エフェソスの長老たちは,使徒パウロのどんな助言に明らかに従っていましたか。

      2 次いで,イエスは温かい称賛の言葉をもって話し始め,その七つの音信のうち二つを除いて他の音信のための型を示されます。エフェソス人に対しては次のような音信を持っておられます。「わたしはあなたの行ないを知っている。また,あなたの労苦と忍耐を,そしてあなたが悪人たちに耐えることができず,使徒であると言いはするが実はそうでない者たちを試して,それが偽り者であるのを見いだしたことを知っている。またあなた方は忍耐を示しており,わたしの名のために耐えてきた。そしてうみ疲れたことがない」。(啓示 2:2,3)使徒パウロは何年も前に,エフェソスの長老たちに「圧制的なおおかみ」,つまり羊の群れをかき乱す背教者について警告し,自分自身の不屈の模範に従って『目ざめている』よう,それら長老たちに語りました。(使徒 20:29,31)イエスが彼らの労苦と忍耐とうみ疲れていないこととを褒めておられるのですから,彼らはパウロのその助言を当てはめていたに違いありません。

      3 (イ)「偽使徒」たちは現代の忠実な人々をどのように欺こうとしてきましたか。(ロ)ペテロは背教者たちに関するどんな警告を与えましたか。

      3 主の日の期間にもやはり,「弟子たちを引き離して自分につかせようとして曲がった事柄を言う」「偽使徒」たちが現われました。(使徒 20:30。コリント第二 11:13。啓示 1:10)彼らは相争う分派のどの宗教にも良い点があるとみなし,神はある一つの組織を持っておられるのではないと主張して,イエスが1914年に王国の支配権を受けられたことを否定します。彼らはペテロ第二 3章3節と4節の次のような預言を成就しています。「終わりの日にはあざける者たちがあざけりを抱いてやって来(ま)す。その者たちは自分の欲望のままに進み,『この約束された彼の臨在はどうなっているのか。わたしたちの父祖が死の眠りについた日から,すべてのものは創造の初め以来と全く同じ状態を保っているではないか』と言うでしょう」。

      4 (イ)あざける者たちの誇りや反抗的な態度はどのように明らかに示されていますか。(ロ)今日,クリスチャンはうそをつく反対者に対しどんな処置を講じて,自分たちがエフェソス人のようであることを示しますか。

      4 それらあざける者たちは,自分たちの信仰について公の宣言をするという考え方を嫌います。(ローマ 10:10)彼らはキリスト教世界の僧職者の支持や,ニュース雑誌やテレビ放送などの助けを得て,自分たちの以前の仲間に関する偽りの報告を広めます。忠実な人々は,人を欺くそれらの者の話や行ないには真実らしい響きがないことにすぐ気づきます。今日のクリスチャンもエフェソス人のように,『悪人たちに耐えることができない』ので,そのような人々を自分たちの会衆から排斥します。a

      5 (イ)イエスは,エフェソス人がどんな弱点を持っていると言われましたか。(ロ)エフェソス人はどんな言葉を覚えているべきでしたか。

      5 それにしても,イエスは七つの会衆の五つの場合と同様,ある重大な問題を指摘して,エフェソス人にこう言われます。「とはいえ,わたしにはあなたを責めるべきことがある。それは,あなたが,最初に抱いていた愛を離れたことである」。(啓示 2:4)彼らはこの点で失敗すべきではありませんでした。というのは,パウロが35年も前に彼らに手紙を書いて,「わたしたちを愛してくださった[神]の大いなる愛」に言及し,「愛される子供として,神を見倣う者となりなさい。そして,キリストがあなた方を愛し……たように,あなた方も愛のうちに歩んでゆきなさい」と勧めていたからです。(エフェソス 2:4; 5:1,2)さらに,次のように言われたイエスの言葉は,彼らの心の中にぬぐい去れないように刻まれていたはずです。「わたしたちの神エホバはただひとりのエホバであり,あなたは,心をこめ,魂をこめ,思いをこめ,力をこめてあなたの神エホバを愛さねばならない」。(マルコ 12:29-31)エフェソス人はその最初の愛を失ってしまったのです。

      6 (イ)古くから会衆と交わってきた人であろうと,新しい仲間であろうと,わたしたちはどんな危険性や傾向に対して警戒しなければなりませんか。(ロ)わたしたちは神への愛に動かされて何をすべきでしょうか。

      6 古くから会衆と交わってきた人であれ,新しい仲間であれ,わたしたちはエホバに対する最初の愛を失わないように用心しなければなりません。どうしてそれを失うようなことが起きるのでしょうか。世俗の仕事に対する愛着,お金を沢山もうけたいという欲望,あるいは快楽の追求などが生活上の重要な事柄になるがままにしようと思えば,そうすることもできるでしょう。そうすれば,霊的な思いではなく,肉的な思いを持つようになる恐れがあります。(ローマ 8:5-8。テモテ第一 4:8; 6:9,10)わたしたちはエホバに対する愛に動かされて,そのような傾向をことごとく矯正し,『神の王国とその義をいつも第一に求めて』,「自分のために天に宝を蓄え」なければなりません。―マタイ 6:19-21,31-33。

      7 (イ)わたしたちは何に動かされてエホバへの奉仕を行なうべきでしょうか。(ロ)ヨハネは愛に関して何と述べましたか。

      7 わたしたちは常に,しっかりと植え付けられた,エホバに対する愛に動かされて,神への奉仕を行なうようにしましょう。エホバとキリストがわたしたちのためにしてくださった事柄すべてに対する強烈な感謝の念を抱きましょう。ヨハネが後に書いた通りです。「愛はこの点,わたしたちが神を愛してきたというよりは,神がわたしたちを愛し,ご自分のみ子をわたしたちの罪のためのなだめの犠牲として遣わしてくださった,ということです」。ヨハネはさらにわたしたちにこう告げています。「神は愛であり,愛にとどまっている者は神とずっと結ばれており,神はその者とずっと結びついておられます」。エホバと主イエス・キリスト,ならびに生きている,神のみ言葉に対するわたしたちの愛を決して薄れさせることがありませんように! わたしたちは神に対する熱心な奉仕だけでなく,「神を愛する者は自分の兄弟をも愛しているべきであるという,このおきてをわたしたちは彼から受けているのです」から,そのおきてに従順に従うことによってもそのような愛を表わせます。―ヨハネ第一 4:10,16,21。ヘブライ 4:12。ペテロ第一 4:8; コロサイ 3:10-14; エフェソス 4:15もご覧ください。

      「以前の行ないをしなさい」

      8 エフェソス人はどのように行動すべきであるとイエスは言われましたか。

      8 それらエフェソス人は,もし失敗したくないなら,かつて抱いた愛を再び燃え立たせなければなりません。ですから,イエスは彼らにこうお告げになります。「それゆえ,自分が何から落ちたかを思い出し,悔い改めて以前の行ないをしなさい。もしそうしないなら,わたしはあなたのところに来て,あなたの燭台をその場所から取り除く。あなたが悔い改めなければそのようにする」。(啓示 2:5)エフェソス会衆のクリスチャンはどのようにしてこれらの言葉を受けたのでしょうか。それは分かりません。わたしたちは,彼らが悔い改めて,エホバに対する自分たちの愛を再び首尾よく呼び起こさせたものと思います。もし,そうしなかったら,彼らのともしびは消され,その燭台は取り除かれて,真理を光り輝かせる特権を失ったことでしょう。

      9 (イ)イエスはエフェソス人に対してどんな励ましの言葉を持っておられましたか。(ロ)ヨハネの時代の後,諸会衆はエフェソス人に対するイエスの助言にどのように留意しなくなりましたか。

      9 それにしても,イエスはエフェソス人に対する次のような励ましの言葉を持っておられます。「しかし,あなたにはこの点がある。すなわち,ニコラオ派の行ないを憎んでいることである。わたしもこれを憎む」。(啓示 2:6)主イエス・キリストがそれを憎んでおられるのと同様,彼らは少なくとも分派を招く分裂を憎みました。しかし,何年かたつうちに,多くの会衆はイエスのそのような言葉に留意しなくなり,エホバや真理ならびに互いに対する愛を失ったため,知らず知らずに霊的な暗闇に陥りました。こうして,相争う数多くの分派に分かれてしまいました。エホバに対する愛を持っていない“クリスチャン”の写字生は,ギリシャ語の聖書写本から神のみ名をさえ取り除きました。愛がなくなったために,地獄の火,煉獄,および三位一体などのバビロン的ならびにギリシャ的な教理がキリスト教の名によって教えられるようになりました。クリスチャンと称する人たちの大半は,神と真理に対する愛を抱いていないため,神の王国の良いたよりを宣べ伝えなくなり,この地上に自分たちの王国を作った利己的な僧職者階級に支配されるようになりました。―コリント第一 4:8と比較してください。

      10 1918年当時,キリスト教世界の宗教事情はどうなっていましたか。

      10 1918年に裁きが神の家から始まった当時,キリスト教世界の分派心の強い僧職者は,第一次世界大戦を公然と支持し,互いに殺し合うことを敵味方双方のカトリック教徒やプロテスタント信者に勧めていました。(ペテロ第一 4:17)ニコラオ派の行なっていたことを憎んだエフェソス会衆とは異なり,キリスト教世界の種々の宗教組織は長い間,神に逆らう,矛盾した教理で満たされており,僧職者たちは,イエスが弟子たちに世のものとなってはならないと言われた,この世に荷担して運命を共にしていました。(ヨハネ 15:17-19)聖書の主題である神の王国について何も知らない,彼らの会衆は,聖書の真理を輝かせる燭台ではありませんでしたし,教会員はエホバの霊的な神殿の一部でもありませんでした。教会の指導的な男子(ならびに女子)は星ではなく,「不法の人」に属する者であることが明らかにされました。―テサロニケ第二 2:3。マラキ 3:1-3。

      11 (イ)1918年当時,世界の舞台に登場していた,どんなクリスチャンの群れが,エフェソス人に対するイエスの言葉を実行しましたか。(ロ)ヨハネ級の人たちは,1919年以来,何を行なってきましたか。

      11 しかし,ヨハネ級の人たちは,エホバに対する愛と,燃えるような熱意を込めて神に仕えるよう自分たちを動かした真理に対する愛とを抱いて,第一次世界大戦の動乱の時代を切り抜けて立ち上がりました。彼らは,1916年に亡くなった,ものみの塔協会の初代会長チャールズ・T・ラッセルをその後,事実上偶像視して分派主義を持ち込もうとした人たちに抵抗しました。迫害や逆境によって懲らしめを受けた,このクリスチャンの群れは,明らかにその主人から「よくやった」という裁きの言葉を受け,主人の喜びにあずかるよう招かれました。(マタイ 25:21,23)彼らは,イエスが王国の支配権を執って目に見えない仕方で臨在していることをしるし付けるためにお与えになっていたしるしが,一連の世界の出来事や自分たちの経験のうちに成就していることを悟りました。そして,1919年以来,イエスの次のような偉大な預言の一層の成就にあずかるよう前進しました。「そして,王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」。(マタイ 6:9,10; 24:3-14)もし,エホバに対する彼らの愛が何らかの点で欠けていたとしたら,それはその時以来,あおられて炎と化したことでしょう。

      12 (イ)1922年に開かれた歴史的な大会で,どんな呼びかけの言葉が鳴り響きましたか。(ロ)真のクリスチャンは1931年に,どんな名称を受け入れましたか。彼らはどんなことを悔い改めましたか。

      12 1922年9月5日から13日まで米国オハイオ州シーダー・ポイントで開かれ,それら1万8,000人のクリスチャンが出席した歴史的な大会で,次のような呼びかけの言葉が鳴り響きました。「至高の神の子の皆さん,野外に戻りなさい!……世界は,エホバが神であり,イエス・キリストが王の王,主の主であることを知らねばなりません。……それゆえに,王とその王国を宣伝し,宣伝し,宣伝しなさい」。エホバの尊いみ名は一層傑出したものとされてゆきました。1931年には,米国オハイオ州コロンバスの大会に集まった,それらのクリスチャンは,神がイザヤの預言の中で示しておられた,エホバの証人という名称を喜んで受け入れ,採用しました。(イザヤ 43:10,12)証人たちの組織の主要な機関誌の名称は1939年3月1日号をもって,「エホバの王国を告げ知らせる ものみの塔」と改められ,こうして,おもにわたしたちの創造者とその王の治める政府に誉れが帰せられるようになりました。エホバに対する愛を新たにされたエホバの証人は,エホバの顕著なみ名と王国に誉れを帰して大いなるものとする面で,以前多少なりとも欠けていたかもしれない点を悔い改めました。―詩編 106:6,47,48。

      「征服する者に」

      13 (イ)エフェソス人がもし『征服した』なら,どんな祝福が彼らを待ち受けていましたか。(ロ)エフェソス人のクリスチャンはどのようにして征服したのでしょうか。

      13 最後にイエスは,ほかの音信の場合でもそうしておられるように,ご自身を通して忠実さに対する報いについて知らせる,神の霊に注意を引き,エフェソス人に向かってこう言われます。「耳のある者は霊が諸会衆に述べることを聞きなさい: 征服する者に,わたしは,神のパラダイスにある命の木から食べることを許そう」。(啓示 2:7)聞く耳のある人たちはその大変重要な音信に真剣に留意したことでしょう。その音信がイエスの独自の考えから出たのではなく,主権者なる主エホバご自身から,その聖霊つまり活動する力によってもたらされたことを知っていたからです。彼らはどのようにして『征服した』のでしょうか。死に至るまで忠誠を保ち,それゆえに,「勇気を出しなさい! わたしは世を征服したのです」と言い得たイエスの足跡にしっかり従うことによって征服できました。―ヨハネ 8:28; 16:33。ヨハネ第一 5:4もご覧ください。

      14 イエスの言及された「神のパラダイス」は何を指していたに違いありませんか。

      14 それらの人たちには地上のパラダイスで生きる見込みがない以上,それらエフェソス人のような油そそがれたクリスチャンはどうして,「神のパラダイスにある命の木から」食べるという報いを受けるのでしょうか。そのパラダイスは,地上の回復されるパラダイスではあり得ません。というのは,エフェソスの会衆のそれらの人たちを含め,14万4,000人の油そそがれたクリスチャンは,天のシオンの山で霊の子たちとして子羊キリスト・イエスと共に支配するため,人類の中から買い取られているからです。(エフェソス 1:5-12。啓示 14:1,4)ですから,ここでは,それらの征服者が受け継ぐ天の園のような領域に言及されているに違いありません。困難を克服して不滅性を与えられている,これらの人たちは,その「神のパラダイス」で,つまりエホバご自身のみ前で,とこしえに生き続けるのです。そうすることが,ここでは,命の木から食べることによって象徴されています。

      15 「征服する」ことを励ますイエスの言葉は,今日の大群衆にとってどうして重大な関心事ですか。

      15 では,14万4,000人の油そそがれた者たちを地上で忠節に支えている人々についてはどうですか。それら仲間の証人たちの大群衆もやはり征服しています。しかし,彼らの希望は地上のパラダイスに入ることであって,そこで彼らは「命の水の川」から水を飲み,その川沿いに植えられている「木の葉」でいやされるようになります。(啓示 7:4,9,17; 22:1,2)もし,あなたがその群れの一人でしたら,あなたもまた,エホバに対する温かい愛を表わし,信仰による征服を首尾よく遂げられますように。そうすれば,パラダイスとなる地上で永遠の命を受ける幸福を得られるでしょう。―ヨハネ第一 2:13,14と比較してください。

      [脚注]

      a 偽使徒たちの出現に関する歴史的な詳細については,エホバの証人の発行した「聖書から論じる」と題する手引き書の197-204ページをご覧ください。

  • 征服する者となるよう努力する
    啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
    • 8章

      征服する者となるよう努力する

      スミルナ

      1 (イ)次にどの会衆が栄光を受けられたイエスから音信を受け取りますか。(ロ)イエスはご自分のことを「最初であり,最後である者」と呼んで,その会衆のクリスチャンに何を思い起こさせましたか。

      今日,古代エフェソスは廃虚と化して横たわっています。しかし,イエスの第二の音信のあて先となった場所には,今でも人々が忙しく行き交う都市があります。エフェソスの廃虚の北方56㌔ほどの所にイズミルというトルコの都市がありますが,そこには今日でもエホバの証人の熱心な会衆が四つあります。1世紀当時,そこにスミルナがありました。さて,イエスの次のような言葉に注目してください。「また,スミルナにある会衆の使いにこう書き送りなさい。『最初であり,最後である者』,死んで,生き返った者がこのように言う」。(啓示 2:8)イエスはスミルナのクリスチャンにこのように述べて,ご自身がエホバにより直接復活させられて不滅の霊の命を受けた,忠誠を保たれた最初の方で,そのような者としてよみがえらされた最後の方であることを彼らに思い起こさせておられます。イエスご自身は油そそがれたほかのクリスチャンを全員復活させてくださいます。このようなわけで,イエスは,ご自分と共に天的な不滅の命にあずかることを望んでいる仲間の兄弟たちに助言を与える資格を十分備えておられます。

      2 クリスチャンはすべて,「死んで,生き返った」方の言葉により慰められますが,それはどうしてですか。

      2 イエスは義のために迫害を忍ぶ点で率先し,ふさわしい報いをお受けになりました。イエスが死に至るまで忠実を保った後,復活させられたことは,すべてのクリスチャンの希望の根拠となっています。(使徒 17:31)イエスが「死んで,生き返った」という事実は,真理のために何を耐え忍ばねばならないとしても,それはむなしくないことを証明しています。イエスの復活は,すべてのクリスチャンにとって,とりわけ信仰のために苦しむことを求められる場合,実に大きな励ましの源となります。あなたはそのような状況に直面しておられますか。では,スミルナの会衆に対するイエスの次のような言葉からも勇気を得ることができます。

      3 (イ)イエスはスミルナのクリスチャンにどんな励ましをお与えになりましたか。(ロ)スミルナのクリスチャンは貧しかったのに,イエスはどうして,彼らが「富んでいる」と言われましたか。

      3 「わたしはあなたの患難と貧しさを知っている ― しかしあなたは富んでいるのである ― また,自分はユダヤ人であると言いながら,実はそうではなく,むしろサタンの会堂に属する者たちによる冒とくを知っている」。(啓示 2:9)イエスはスミルナの兄弟たちに対して非難の言葉ではなく,ただ温かい褒め言葉だけを持っておられます。彼らは信仰のゆえに大変な患難を忍んできました。恐らく忠実だったためと思われますが,物質的には貧しい生活をしています。(ヘブライ 10:34)しかし,彼らがおもに関心を抱いているのは霊的な事柄で,イエスの助言どおり,宝を天に蓄えてきました。(マタイ 6:19,20)ですから,主要な牧者は彼らのことを「富んでいる」とみなしておられます。―ヤコブ 2:5と比較してください。

      4 スミルナのクリスチャンはだれから大変な反対を受けて苦しみましたか。イエスはそれらの反対者をどのようにみなされましたか。

      4 イエスは特に,スミルナのクリスチャンが肉のユダヤ人の手による大変な反対に耐えてきたことに注目しておられます。初期のころ,そのユダヤ人の宗教を奉じた人々の多くは,キリスト教が広まることに断固として反対しました。(使徒 13:44,45; 14:19)エルサレムが倒壊してわずか二,三十年後の今,スミルナのこれらの人々は同様のサタンの精神を示しています。イエスが彼らのことを「サタンの会堂」とみなしておられるのも,少しも不思議ではありません!a

      5 スミルナのクリスチャンの前途にはどんな試練が横たわっていましたか。

      5 このような憎しみに直面したスミルナのクリスチャンは,イエスにより慰められます。「あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはならない。見よ,悪魔はあなた方のうちのある者たちを次々に獄に入れるであろう。それは,あなた方が十分に試されるため,また十日のあいだ患難に遭うためである。忠実であることを死に至るまでも示しなさい。そうすれば,命の冠をあなたに与えよう」。(啓示 2:10)イエスはここで,「あなた」という意味のギリシャ語の複数形を3回(英文)使って,ご自分の言葉が会衆全体を包含していることを示しておられます。イエスは,スミルナのクリスチャンの試練が間もなく終わるということを約束するわけにはゆきません。その一部の人たちは引き続き迫害を受け,投獄されるのです。彼らは,「十日のあいだ」患難に遭うことになります。十という数は,地的な十分さ,もしくは全体を象徴しています。忠誠を保つ,霊的に富んだそれらの人たちでさえ,肉体でとどまっている間,徹底的な試みを受けるのです。

      6 (イ)スミルナのクリスチャンはどうして恐れるべきではありませんでしたか。(ロ)イエスはスミルナの会衆に対するその音信をどのように結ばれましたか。

      6 とはいえ,スミルナのクリスチャンは恐れたり,妥協したりすべきではありません。もし,終わりまで忠実を保つなら,彼らには報いとして「命の冠」,つまり彼らの場合は天における不滅の命が蓄えられているのです。(コリント第一 9:25。テモテ第二 4:6-8)使徒パウロはこの貴重な賞を他の一切のもの,自分の地的な命をさえ犠牲にするだけの価値のあるものとみなしました。(フィリピ 3:8)スミルナのそれら忠実な人たちも同様に感じているようです。イエスはその音信を次のように結んでおられます。「耳のある者は霊が諸会衆に述べることを聞きなさい: 征服する者は決して第二の死に損なわれることがない」。(啓示 2:11)征服する人たちは,死も影響を及ぼし得ない天的な不滅の命にあずかることを確信しています。―コリント第一 15:53,54。

      「十日のあいだ患難に」

      7,8 クリスチャンの会衆は1918年に,スミルナのクリスチャンと同様,どのように「十分に試され」ましたか。

      7 今日のヨハネ級の人々とその仲間たちも,スミルナのクリスチャンの場合と同様,「十分に試され」てきましたし,引き続きそのように試されます。試練のもとで示された忠実さは,彼らが神ご自身の民であることをしるし付けています。(マルコ 13:9,10)主の日が始まって間もなく,スミルナのクリスチャンに対するイエスの言葉は,エホバの民の小さいながらも国際的な群れに真の慰めをもたらしました。(啓示 1:10)それらの人たちは1879年以来ずっと,神のみ言葉から霊的な富を掘り出しては,惜しみなく他の人々と分かち合ってきました。ところが,第一次世界大戦中,彼らは激しい憎しみと反対に遭遇しました。それは,一つには,彼らが戦争熱に巻き込まれなかったため,またキリスト教世界の誤りを恐れずに暴露したためでした。キリスト教世界の一部の指導者による扇動のために彼らが受けた迫害は,1918年に絶頂に達しました。それは,スミルナのクリスチャンがその地のユダヤ人共同体から受けた迫害に匹敵しました。

      8 アメリカ合衆国における迫害の波は,ものみの塔協会の新しい会長ジョセフ・F・ラザフォードと7人の同僚が,その多くは20年の刑に処せられて,1918年6月22日に刑務所に送られた時,最高潮に達しました。彼らは9か月後,保釈されました。1919年5月14日,上訴裁判所は彼らの受けた誤った有罪判決を破棄し,その審理は130箇所で誤っていたことが示されました。1918年当時,それらのクリスチャンの保釈に反対した,聖グレゴリウス修道会会士,ローマ・カトリックのマントン判事は後日,1939年に,賄賂の要求と受け取りにかかわる6件の訴因で2年の懲役と罰金1万㌦の判決を受けました。

      9 エホバの証人はナチ・ドイツでヒトラーによりどのように扱われましたか。僧職者はどんな反応を示しましたか。

      9 ナチがドイツを支配していた間,ヒトラーはエホバの証人の宣べ伝える業を完全に禁止しました。幾千人もの証人たちは何年もの間,残酷にも強制収容所や刑務所に入れられ,多くの人たちがそこで亡くなりました。一方,ヒトラーの軍隊に入って戦うことを拒んだ約200人の若者は処刑されました。1938年5月29日付,ジャーマン・ウェイ紙に載せられた,あるカトリック司祭の言葉は,僧職者がそのすべてを支持していたことを証明しています。同司祭は一部次のように述べました。「今や,いわゆる……聖書研究者[エホバの証人]の業を禁止した国が地上に一つある。それはドイツである。……アドルフ・ヒトラーが政権を執り,ドイツのカトリック司教団がその要請を繰り返したところ,ヒトラーはこう言った,『これらいわゆる熱心な聖書研究者[エホバの証人]は厄介者だ。……彼らはいかさま師だと思う。ドイツのカトリック教徒が米国のラザフォード判事のためにこのように汚されるのをわたしは黙って見てはいない。わたしはドイツの[エホバの証人]を解散させる』」。これに対して,同司祭は,「うまいぞ!」という喝さいの言葉を付け加えました。

      10 (イ)主の日が経過するにつれ,エホバの証人はどんな迫害に直面しましたか。(ロ)それらのクリスチャンが信教の自由のために法廷で戦ったため,しばしばどんな結果がもたらされましたか。

      10 主の日が経過しても,蛇とその胤は,油そそがれたクリスチャンとその仲間に対する戦いを決してやめませんでした。それらの人たちの多くは投獄され,猛烈な迫害を受けました。(啓示 12:17)これらの敵は『法により害を謀り』続けてきましたが,エホバの民は,「わたしたちは,自分たちの支配者として人間より神に従わねばなりません」という立場をあくまでも堅持します。(詩編 94:20,ジェームズ王欽定訳。使徒 5:29)「ものみの塔」誌は1954年に,「過去40年間の色々の時期に70以上の国々が法律で制限を課し,エホバの証人を迫害しました」と報告しています。信教の自由のために法廷で戦える所では,これらのクリスチャンはそのようにして戦い,幾つもの国で大勝利を収めました。エホバの証人は米国の最高裁判所だけでも,50件の勝利を得ました。

      11 イエスがご自分の臨在のしるしについて話されたどんな預言が,主の日の期間中,エホバの証人の上に成就してきましたか。

      11 カエサルのものはカエサルに返しなさいというイエスのご命令にこれほど良心的に従ってきた団体はほかにありません。(ルカ 20:25。ローマ 13:1,7)しかも,これほど多くの違った形態の政府のもとで,またこれほど多くの国々で成員が投獄された団体はほかにありませんし,南北両アメリカ,ヨーロッパ,アフリカ,およびアジアではそのような投獄が現在でも続いています。イエスがご自分の臨在のしるしに関して話された偉大な預言には,次のような言葉が含まれていました。「その時,人々はあなた方を患難に渡し,あなた方を殺すでしょう。またあなた方は,わたしの名のゆえにあらゆる国民の憎しみの的となるでしょう」。(マタイ 24:3,9)この言葉は確かに,主の日の期間中,エホバのクリスチャン証人の上に成就してきました。

      12 ヨハネ級の人たちは迫害に備えて神の民をどのように強化してきましたか。

      12 ヨハネ級の人たちは,患難に備えて神の民を強化するため,スミルナのクリスチャンに対するイエスの言葉の趣旨を引き続き思い起こさせてきました。例えば,ナチによる迫害が始まった時,「ものみの塔」誌には1933年ならびに1934年に,マタイ 10章26節から33節について論じた,「彼らを恐れてはならない」という記事や,ダニエル 3章17節と18節に基づく「るつぼ」,およびダニエル 6章22節を主要聖句として論じた「ライオンの口」と題する記事が掲載されました。本書の初版が発行され,エホバの証人が40以上の国々で激しい迫害に遭った1980年代には,「ものみの塔」誌は,「迫害されても幸福!」,「クリスチャンは忍耐をもって迫害に立ち向かう」などの記事で神の民を強化しました。b

      13 クリスチャンであるエホバの証人はどうして,スミルナのクリスチャンのように迫害を恐れていませんか。

      13 クリスチャンであるエホバの証人は確かに,象徴的な十日の間,身体的な迫害や他の試みに遭っています。証人たちはスミルナのクリスチャンのように恐れたりはしませんでした。また,この地上の諸問題が悪化しても,わたしたちはだれをも恐れる必要はありません。わたしたちは苦しみに耐え,『自分の持ち物が強奪される』ようなことさえ甘受する覚悟ができています。(ヘブライ 10:32-34)わたしたちは神のみ言葉を研究し,それを自分自身のものにすることにより,堅い信仰をもって立てるように備えられます。エホバはあなたが忠誠を保てるよう守ることがおできになると共に,守ってくださる方であることを確信してください。「自分の思い煩いをすべて神にゆだねなさい。神はあなた方を顧みてくださるからです」― ペテロ第一 5:6-11。

      [脚注]

      a ヨハネが亡くなって約60年後,86歳のポリュカルポスはイエスに対する自分の信仰を取り消そうとしなかったために焼き殺されました。この事件と同時代の著作と考えられている,「ポリュカルポスの殉教」という著書は,焼くために薪が集められていた時,「ユダヤ人はその習慣どおり,それを集めるのを極めて熱心に助けた」― しかも,その処刑は「大安息日」に行なわれたのであると述べています。

      b 1933年11月1日号; 1934年10月1日および15日号,ならびに12月1日および15日号(以上英文); 1983年8月1日号の「ものみの塔」誌をご覧ください。

  • イエスの名を固守する
    啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
    • 9章

      イエスの名を固守する

      ペルガモン

      1 どんな会衆がイエスの次の音信を受け取りましたか。それらのクリスチャンはどのような都市で生活していましたか。

      スミルナから海岸沿いの道を80㌔ほど北上し,次いでカイクス川渓谷を内陸に向かって24㌔ほど進むと,ペルガモンに着きますが,そこは今ではベルガマと呼ばれています。その都市はゼウス,つまりジュピターの神殿で有名でした。1800年代に考古学者がその神殿の祭壇をドイツに運んだので,ベルリンのペルガモン博物館に行けば,その祭壇と共に異教の神々の数多くの立像や浮き彫りを今でも見ることができるでしょう。主イエスはそのようなあらゆる偶像崇拝の行なわれていた場所のただ中で生活していた会衆の成員に,どんな音信を送られたのでしょうか。

      2 イエスはご自分の実体をどのように明確にしておられますか。「もろ刃の剣」を持っておられるということには,どんな重要な意味がありますか。

      2 まず最初に,イエスはご自分の実体を明確にして,こう言われます。「また,ペルガモンにある会衆の使いにこう書き送りなさい。鋭くて長いもろ刃の剣を持つ者がこう言う」。(啓示 2:12)イエスは啓示 1章16節でご自分のことを描写した言葉をここで繰り返しておられます。裁き主で刑執行者であられるイエスは,ご自分の弟子たちを迫害する者たちを討ち倒されます。その保証の言葉は,何とすばらしい慰めを与えるのでしょう。しかし,裁きに関しては,会衆内の人たちも,そのような「契約の使者」であるイエス・キリストを通して行動なさるエホバが,偶像崇拝や不道徳,うそをつくことや不正直を習わしにし,困っている人たちを顧みようとしない,自称クリスチャンすべてに対して,「速やかな証人となる」という警告を受けるべきでしょう。(マラキ 3:1,5。ヘブライ 13:1-3)神がイエスに与えさせておられる助言や戒めには確かに留意しなければなりません!

      3 ペルガモンでは,どんな偽りの崇拝が行なわれていましたか。どうして「サタンの座」がそこにあったと言うことができましたか。

      3 さて,イエスは会衆にこうお告げになります。「わたしはあなたが住んでいる所を知っている。それはサタンの座のある所である」。(啓示 2:13[前半])確かにそれらのクリスチャンはサタン的な崇拝に取り囲まれていました。ゼウスの神殿のほかに,治癒の神アエスクラピウスの神殿がありました。ペルガモンはまた,皇帝崇拝の中心地としても知られていました。「サタン」と訳されているヘブライ語は「抵抗者」を意味しており,その「座」は一時期神により許されている,世の支配者としてのサタンの位を表わしています。(ヨブ 1:6,「参照資料付き 新世界訳聖書」,脚注)偶像崇拝がペルガモンでそのように盛んに行なわれていたことは,サタンの「座」がその都市でしっかり擁護されていたことを示していました。その地のクリスチャンは国家主義的な崇拝に屈してサタンに身をかがめたりはしなかったので,サタンは激しい怒りを感じたに違いありません!

      4 (イ)イエスはペルガモンのクリスチャンにどんな褒め言葉をお与えになりますか。(ロ)ローマ人の補佐官プリニウスは,クリスチャンの取り扱い方に関してトラヤヌス帝にどんなことを書き送りましたか。(ハ)ペルガモンのクリスチャンは危険をものともせずにどんな歩み方をしましたか。

      4 そうです,「サタンの座」はまさしくペルガモンにあります。イエスはこう続けておられます。「それでもあなたはわたしの名をしっかり守りつづけており,あなた方の傍ら,サタンの住むところで殺された,わたしの証人,また忠実な者であるアンテパスの日にも,わたしに対する信仰を否定しなかった」。(啓示 2:13[後半])何と魂を鼓舞する褒め言葉でしょう。アンテパスが殉教の死を遂げたのは,悪霊崇拝と関係のある慣行やローマの皇帝崇拝に同調するのを拒んだためであることは疑問の余地がありません。ヨハネがこの預言を受け取って間もなく,ローマ皇帝トラヤヌスの個人的な補佐官だった小プリニウスは,トラヤヌス帝に手紙を送り,クリスチャンとして訴えられる人々を扱う手順を説明し,皇帝はその手順を認めました。クリスチャンであることを否認した人々は,プリニウスの言葉によれば,「私のあとについて神々への祈願の言葉を復唱し,あなた[トラヤヌス]の像に向かって香やぶどう酒を捧げ……その上,キリストを呪った」なら,釈放されました。クリスチャンであることが分かった者は皆,処刑されました。ペルガモンのクリスチャンは,たとえこのような危険に直面しても,自分たちの信仰を否定しませんでした。彼らは引き続き,エホバの正しさを立証する方で,その任命された裁き主としてのイエスの高い地位に敬意を表して,『イエスの名を固守しました』。彼らは王国の証人としてイエスの足跡に忠節に従いました。

      5 (イ)今日のクリスチャンは,皇帝崇拝のどんな現代版のために厳しい試みに遭わされましたか。(ロ)「ものみの塔」誌はそれらのクリスチャンのためにどんな助けを備えてきましたか。

      5 イエスは色々の機会に,サタンが現在のこの邪悪な世を支配していることを知らせましたが,忠誠を保たれたゆえに,サタンはイエスに対して何の力もありませんでした。(マタイ 4:8-11。ヨハネ 14:30)今日,強力な国々,とりわけ「北の王」と「南の王」が,世界支配を目指して抗争してきました。(ダニエル 11:40)愛国的熱情がかき立てられ,皇帝崇拝の現代版として国家主義の波が地上で荒れ狂ってきました。「ものみの塔」誌は1939年11月1日号(英文)に掲載された中立に関する記事の中で,また1980年2月1日号や1986年9月1日号の同様の記事の中でも,この問題に関する聖書の教えをはっきりと説明し,イエスがたいへん勇敢になさったように,エホバのみ名によって歩み,また世を征服したいと願うそれらのクリスチャンのために指針を示しました。―ミカ 4:1,3,5。ヨハネ 16:33; 17:4,6,26; 18:36,37。使徒 5:29。

      6 現代のエホバの証人はどのようにアンテパスのような確固とした立場を取ってきましたか。

      6 そのような助言は緊急に必要でした。理不尽な愛国的熱情を考えると,エホバの証人は,油そそがれた者たちとその仲間の両方とも,信仰のうちに堅く立たなければなりませんでした。米国では何百人もの子供たちや先生が国旗敬礼をしなかったために,放校されたり,免職されたりしました。ドイツの証人たちはかぎ十字章に対する敬礼を拒んだために激しく迫害されました。すでに指摘された通り,何千人ものエホバの忠節な僕たちは,そのような国家主義的な偶像崇拝に加わろうとしなかったため,ヒトラーのナチ党員により殺されました。神道の天皇崇拝を奉じた日本が全盛期を迎えた1930年代に,二人の開拓者が日本の占領下の台湾で王国の種を沢山まきました。軍事支配者たちは二人を投獄し,そのうちの一人は苛酷な仕打ちを受けたために死にました。もう一人は後日釈放されたものの,結局,背後から撃たれて殺されてしまいました。ここにも現代版アンテパスがいます。今日でも,国家主義的な象徴の崇拝や国家に対する全き専心を要求する国があります。多数の若い証人たちはクリスチャンの中立を保つ人としての立場を勇敢に守ったために投獄されましたし,処刑された人も少なくありませんでした。もし,あなたがこのような問題に直面している若者でしたら,永遠の命のために「魂を生き長らえさせる」信仰を抱けるよう,神のみ言葉を毎日研究してください。―ヘブライ 10:39–11:1。マタイ 10:28-31。

      7 インドの年若い子供たちは国家主義的な崇拝の問題にどのように直面しましたか。どんな結果がもたらされましたか。

      7 在学中の若い人たちも同様の問題に直面してきました。1985年にインドのケララ州のエホバの証人の3人の年若い子供たちは,聖書に基づく自分たちの信仰の点で妥協せずに,国歌を歌うことを拒否しました。他の生徒が歌っていた時,それらの子供たちは敬意を表して起立していましたが,それでも3人は放校されました。父親はその処置に対する訴えをインドの最高裁判所にまで提出したところ,同裁判所の二人の判事はその子供たちに有利な判決を下し,勇敢にもこう述べました。「わが国の伝統は寛容を説き,我々の哲学も寛容を説いており,わが国の憲法も寛容の実践を旨としている。この精神を弱めてはならない」。この事件は新聞で広く報道され,好意的な社説が掲げられたため,当時の世界人口の5分の1近くを占めたインドの全住民は,この国にもまことの神エホバを崇拝し,聖書の原則を忠節に守るクリスチャンがいることを知らされました。

      腐敗させようとする影響

      8 イエスはペルガモンのクリスチャンにどんな厳しいけん責を与える必要があることに気づかれますか。

      8 そうです,ペルガモンのクリスチャンは忠誠を保つ人たちです。ですが,イエスはこう言われます。「とはいえ,わたしには,あなたを責めるべきことが幾つかある」。とがめられてしかるべきどんなことをしたのでしょうか。イエスはこう告げておられます。「あなたのところにはバラムの教えを堅く守っている者たちがいる。彼はバラクを教えて,つまずきのもとをイスラエルの子らの前に置かせ,偶像に犠牲としてささげられた物を食べさせ,また淫行を犯させた」― 啓示 2:14。

      9 バラムとはどんな人でしたか。その助言は,どのように「つまずきのもとをイスラエルの子らの前に」置くものとなりましたか。

      9 モーセの時代に,モアブの王バラクは,エホバの道についてある程度知っていた,イスラエル人ではない預言者バラムを雇って,イスラエルをのろわせようとしました。エホバはバラムに抵抗して,イスラエル人に対しては祝福を,その敵に対しては災いを告げさせるように仕向けられました。そのために憤まんを抱いたバラクの気持ちをなだめさせようとして,バラムはさらにこうかつな攻撃方法を示唆しました。モアブの女たちを動かし,イスラエルの男たちをそそのかして重大な性的不道徳を犯させ,偽りの神ペオルのバアルの偶像崇拝に陥らせるのです! この策略はうまくゆきました。義憤に燃えたエホバから下された神罰で,淫行を犯したそれら2万4,000人のイスラエル人が殺され,祭司ピネハスが積極的に行動を起こしてイスラエルから悪を取り除いて初めて,その神罰は食い止められました。―民数記 24:10,11; 25:1-3,6-9; 31:16。

      10 どんなつまずきのもとがペルガモンの会衆に浸透していましたか。それらクリスチャンはどうして,神が自分たちの違犯を見過ごしてくださると考えたのでしょうか。

      10 さて,ヨハネの時代のペルガモンにも同様なつまずきのもとがあるのでしょうか。確かにあります! 不道徳な行為や偶像崇拝が会衆に浸透していたのです。それらのクリスチャンは使徒パウロを通して与えられた神の警告に留意しませんでした。(コリント第一 10:6-11)彼らは迫害に耐えてきたので,恐らく,エホバは自分たちの性的な違犯を見過ごしてくださると思っているのかもしれません。ですから,イエスは,そのような悪は避けなければならないことを明らかにしておられるのです。

      11 (イ)クリスチャンは何に警戒しているべきでしょうか。また,どんな考え方を避けなければなりませんか。(ロ)何年かにわたって,どれほど多くの人々がクリスチャン会衆から排斥されましたか。その大半はどんな理由でそうされましたか。

      11 同様に今日,クリスチャンは『わたしたちの神の過分のご親切をみだらな行ないの口実に変える』ことのないように警戒しなければなりません。(ユダ 4)わたしたちは悪いことを憎み,クリスチャンの徳を表わす歩み方を追い求めるために『自分の体を打ちたたかなければ』なりません。(コリント第一 9:27。詩編 97:10。ローマ 8:6)神への奉仕に熱心にあずかり,迫害のもとで忠誠を保てば,性的非行を犯しても許してもらえるなどと決して考えるべきではありません。世界的なクリスチャン会衆から,何年かにわたって排斥された非行者の人数は何万人にも上りますが,その大半は性的な不道徳の理由で排斥されました。中には,ペオルのバアルのために古代イスラエルの中で倒れた人々よりもさらに多くの人々が排斥された年もありました。わたしたちは警戒を続け,決してそのような人々の仲間に入ることがありませんように!―ローマ 11:20。コリント第一 10:12。

      12 初期の神の僕たちと同様,どんな原則が今日のクリスチャンにも当てはまりますか。

      12 イエスはまた,『偶像に犠牲としてささげられた物を食べる』ことで,ペルガモンのクリスチャンをけん責しておられます。これにはどんな事柄が関係していたのでしょうか。コリント人へのパウロの言葉からすると,多分,ある人々はクリスチャンの自由を乱用し,他の人々の良心を故意に傷つけていたのかもしれません。もっとも,彼らは実際の偶像崇拝の儀式に恐らく多少加わっていたのでしょう。(コリント第一 8:4-13; 10:25-30)今日,忠実なクリスチャンはクリスチャンの自由を行使する際,利他的な愛を示し,他の人々をつまずかせたりしないよう注意しなければなりません。確かにクリスチャンは,テレビや映画やスポーツ界のスターを崇拝したり,金や自分の腹をさえ神にしたりするような現代の偶像崇拝を避けなければなりません。―マタイ 6:24。フィリピ 1:9,10; 3:17-19。

      分派主義を退けなさい!

      13 イエスは次にペルガモンのクリスチャンにどんな戒めの言葉をお与えになりますか。その会衆はどうしてそのような戒めを必要としていましたか。

      13 イエスはさらにペルガモンのクリスチャンを戒めて,こう言っておられます。「あなたのところには,同じようにニコラオ派の教えを堅く守る者たちもいる」。(啓示 2:15)イエスは以前,この分派の仕業に対する憎しみの点でエフェソス人をお褒めになりました。しかし,ペルガモンのクリスチャンは分派主義から会衆を守るための助言を必要としています。イエスがヨハネ 17章20節から23節で祈り求められた一致を保つには,もっと確固とした態度でキリスト教の規準を守ることが必要です。「健全な教えによって説き勧めることも,また,言い逆らう者を戒めることも」必要なのです。―テトス 1:9。

      14 (イ)クリスチャンの会衆は初期のころからだれと戦わなければなりませんでしたか。使徒パウロはそれらの人々のことをどのように述べましたか。(ロ)だれであれ,分離したグループに従おうとするような人は,イエスのどんな言葉に留意すべきでしょうか。

      14 クリスチャンの会衆は初期のころから,人を欺く,耳ざわりのいい話をしてエホバの経路を通して備えられる「教えに逆らって分裂とつまずきのきっかけをもたらす」高慢な背教者たちと戦わなければなりませんでした。(ローマ 16:17,18)使徒パウロはそのほとんどすべての手紙の中でこの脅威について警告しました。a イエスが真の会衆を純粋のキリスト教を奉ずる一致した状態に回復させてこられた現代でも,分派主義の危険が潜んでいます。ですから,だれであれ,分離したグループに従って,分派を作ろうとするような人は,イエスの次のような言葉に留意すべきでしょう。「それゆえ,悔い改めなさい。そうしないなら,わたしは速やかにあなたのところに行き,わたしの口の長い剣で彼らと戦うであろう」― 啓示 2:16。

      15 分派主義はどのようにして始まりますか。

      15 分派主義はどのようにして始まりますか。多分,自称教師が,ある種の(例えば,今は終わりの日であるというような)聖書の真理に異議を唱えて疑惑の種をまき,ある少数派のグループが離脱して,その教師に付いて行くことでしょう。(テモテ第二 3:1。ペテロ第二 3:3,4)あるいは,エホバがご自分の業を行なわせておられる仕方を批判し,王国の音信を携えて家から家に行くことは聖書に基づいておらず,また必要でもないと主張して,骨惜しみをする精神に訴える人もいます。イエスとその使徒たちの模範に倣って,そのような奉仕にあずかるなら,そういう人たちも謙遜さを保てるでしょう。ところが,そのような人は分離して,恐らく私的なグループを作って,ただ聖書を時々読んだりするだけで,気楽にやるのを好みます。(マタイ 10:7,11-13。使徒 5:42; 20:20,21)そういう人々は,イエスの死を思い起こす記念式,血を避けるようにという聖書の命令,祭日の祝い,たばこの使用などに関して独自の考え方を作り上げます。さらに,エホバのみ名を見下し,たちまち大いなるバビロンの放縦なやり方に逆戻りしてしまいます。もっと悪いことに,ある人々はサタンに動かされて,かつての仲間の兄弟たちを攻撃し,『仲間の奴隷たちをたたく』ようにさえなります。―マタイ 24:49。使徒 15:29。啓示 17:5。

      16 (イ)背教の影響を受けて動揺する人は,どうして速やかに悔い改めるべきでしょうか。(ロ)悔い改めようとしない人たちはどうなりますか。

      16 背教の影響を受けて動揺するような人は,悔い改めるようにというイエスの呼びかけの言葉に速やかに留意すべきでしょう! 毒にほかならない背教者の宣伝は,まさしく毒として退けなければなりません! その根底にあるのは,イエスがご自分の会衆を養われる糧である,義にかなった愛すべき清浄な真理とは対照的に,うらやむ気持ちや憎しみです。(ルカ 12:42。フィリピ 1:15,16; 4:8,9)悔い改めようとしない者たちに関しては,主イエスは確かに,『[ご自分の]口の長い剣で彼らと戦われます』。イエスは地上でその弟子たちと共に過ごした最後の晩に祈り求めた一致を保たせるため,ご自分の民をふるい分けておられます。(ヨハネ 17:20-23,26)背教者たちはイエスの右手の七つの星の与える,愛ある助言や助けを拒むので,イエスは彼らを裁き,「最も厳しく」罰して,「外の闇」の中に追いやられます。彼らは排斥され,もはや神の民の中でパン種の役をすることはありません。―マタイ 24:48-51; 25:30。コリント第一 5:6,9,13。啓示 1:16。

      『隠されているマナと白い小石』

      17 どんな報いが,「征服する」油そそがれたクリスチャンを待ち受けていますか。ペルガモンのクリスチャンは何に打ち勝つ必要がありましたか。

      17 エホバの聖霊に導かれて与えられるイエスの助言に留意する人たちすべてを待ち受けている,すばらしい報いがあります。お聴きください!「耳のある者は霊が諸会衆に述べることを聞きなさい: 征服する者には,隠されているマナの幾らかを与えよう。また,白い小石を与えよう。その小石には,それを受ける者以外にはだれも知らない新しい名が書かれている」。(啓示 2:17)ですから,ペルガモンのクリスチャンは,スミルナのクリスチャンのように,「征服する」よう励まされます。首尾よく征服するためには,サタンの座のある所であるペルガモンの人たちは,偶像崇拝を避けなければなりません。また,不道徳や分派主義,ならびにバラクやバラムやニコラオ派と関係のある背教に打ち勝たなければなりません。そうすれば,それら油そそがれたクリスチャンは,「隠されているマナ」の幾らかを食べるよう招かれるでしょう。それは何を意味していますか。

      18,19 (イ)エホバがイスラエル人のために備えられたマナとは何でしたか。(ロ)どんなマナは隠されていましたか。(ハ)隠されているマナを食べるということは,何を象徴的に表わしていますか。

      18 エホバはモーセの時代に,荒野の旅をするイスラエル人を養うため,マナを備えられました。そのマナは隠されませんでした。というのは,それは安息日を除いて毎朝,地を覆う薄片状の霜のように奇跡的に現われたからです。それはイスラエル人を生き続けさせるための神からの備えでした。エホバは,その「パン」の幾らかを神聖な契約の箱の中の金のつぼに入れて,イスラエルの記念として「代々」保存するようモーセにお命じになりました。―出エジプト記 16:14,15,23,26,33。ヘブライ 9:3,4。

      19 何と適切な象徴でしょう。そのマナは幕屋の至聖所と呼ばれる仕切り室の中に隠されていました。その部屋にあった契約の箱の覆いの上に現われた奇跡的な光は,まさしくエホバの臨在を象徴しました。(出エジプト記 26:34)隠されたマナを食べるためにその神聖な場所に入り込むことは,だれにも許されていませんでした。しかしイエスは,ご自分の油そそがれた追随者で,征服する人たちが,「隠されているマナ」を食べると言われました。彼らは自分たちよりも前のキリストのように,「実体の写しである,手で造った聖なる場所にではなく,天そのもの」に入るようになります。(ヘブライ 9:12,24)彼らは復活させられる時,不朽性と不滅性を着けます。それはエホバの驚くべき備えで,滅びうせることのない「隠されているマナ」が彼らに与えられることによって象徴的に表わされています。困難に打ち勝つ人たちのその小さな群れは,何とすばらしい特権を与えられているのでしょう。―コリント第一 15:53-57。

      20,21 (イ)白い小石を油そそがれたクリスチャンに与えることは,何を象徴的に表わしていますか。(ロ)白い小石は14万4,000個しか用意されていないので,大群衆はどんな希望を抱いていますか。

      20 それらの人たちはまた,「白い小石」をもらいます。ローマの法廷では判決を下すのに小石が使われました。b 白い小石は無罪を表わしましたが,黒い小石は有罪,多くの場合,死刑を表わしました。イエスがペルガモンのクリスチャンに「白い小石」を与えることは,彼らが罪のない純粋で清い人であると宣告なさることを示唆していました。しかし,イエスの言葉にはさらに別の意味があるようです。ローマ時代には,小石はまた,特別の行事の行なわれる場所に入るための切符代わりに使われました。それで,白い小石は,征服する油そそがれたクリスチャンにとって,ある非常に特別なこと ― 子羊の結婚が行なわれる際,天の誉れある場所に入るのを許されることを示唆していると言えるでしょう。そのような小石は14万4,000個しか用意されていません。―啓示 14:1; 19:7-9。

      21 これは,もしあなたが仲間の崇拝者たちの大群衆の一人なら,あなたは顧みられずに放置されるという意味でしょうか。決してそうではありません! 天に入る許可証のような白い小石はもらえなくても,もし忍耐するなら,あなたも大患難から出て来て,地上に楽園<パラダイス>を回復する喜ばしい業にあずかれるでしょう。復活させられる,キリスト教時代以前の忠実な人たちや,もっと最近に亡くなったかもしれないほかの羊のそのような人たちも,あなたと共にその業にあずかることでしょう。やがて,請け戻された他の人々はすべて,地上の楽園<パラダイス>で復活させられ,命を受ける恵みにあずかるでしょう。―詩編 45:16。ヨハネ 10:16。啓示 7:9,14。

      22,23 油そそがれたクリスチャンに与えられる小石に記されている名には,どんな重要な意味がありますか。このことからどんな励ましが得られるはずですか。

      22 小石に記されている新しい名とは何ですか。名とは,人の身元を明らかにし,当人と他の人とを区別するものです。それら油そそがれたクリスチャンは征服する者として自分たちの地上の歩みを終えた後,その小石をもらいます。ですから,明らかに,小石に記されている名は,彼らが天でイエスと結ばれる特権と関係があります。つまりそれは,天の王国を受け継ぐ人たちだけが十分に評価し,享受するようになる,極めて親密な関係を持って王として奉仕する立場です。したがって,それは「それを受ける者以外にはだれも知らない」名称,もしくは役職名です。―啓示 3:12と比較してください。

      23 これはヨハネ級の人たちにとって,「霊が諸会衆に述べることを聞き」,それを当てはめるための何と優れた動機づけとなるのでしょう。また,ヨハネ級の人たちと共に忠実に奉仕するための何と大きな励ましをその仲間の大群衆に与えるのでしょう。同時に,ヨハネ級の人たちはこの地上でその仲間との親しい交わりを享受し,エホバの王国を知らせる業に彼らと共にあずかれるのです。

      [脚注]

      a また,コリント第一 3:3,4,18,19; コリント第二 11:13; ガラテア 4:9; エフェソス 4:14,15; フィリピ 3:18,19; コロサイ 2:8; テサロニケ第一 3:5; テサロニケ第二 2:1-3; テモテ第一 6:3-5; テモテ第二 2:17; 4:3,4; テトス 1:13,14; 3:10; ヘブライ 10:26,27もご覧ください。

      b 「参照資料付き 新世界訳聖書」の使徒 26章10節と脚注をご覧ください。

  • 「サタンの奥深い事柄」を憎悪する
    啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
    • 10章

      「サタンの奥深い事柄」を憎悪する

      テアテラ

      1 テアテラは他の会衆とどのような位置関係にありましたか。宗教的環境はどのようなものでしたか。

      ベルガマ(ペルガモン)の東南64㌔ほどの所にアキサルという繁栄するトルコの町があります。1,900年ほど前,この町の同じ場所にテアテラがありました。旅行する監督はペルガモンから内陸の道を通って容易にテアテラへ行き,それから啓示 3章に出てくる残りの諸会衆 ― サルデス,フィラデルフィア,およびラオデキアを一巡することができました。テアテラはペルガモンと違って,皇帝崇拝の重要な中心地ではなかったようですが,確かに異教の神々にささげられた宮や神殿がありました。テアテラは商業中心地として知られていました。

      2,3 (イ)クリスチャンになったテアテラのある人に関する初期のどんな記録がありますか。(ロ)テアテラのクリスチャンにとって,イエスが「神の子」であり,「火の炎のような目」を持っておられることにはどんな重要な意味がありますか。

      2 パウロはマケドニアで宣べ伝える業に携わっていた時,紫布を売っていた,テアテラ出身のルデアという名の婦人に出会いました。ルデアとその家の者は全員,パウロが宣べ伝えていた音信を喜んで受け入れ,ひとかたならぬもてなしをしました。(使徒 16:14,15)彼女はキリスト教を受け入れた最初のテアテラの人として記録に載せられました。やがて,その都市にもクリスチャンの会衆ができました。イエスは最も長い音信をその会衆にあてて記させておられます。「また,テアテラにある会衆の使いにこう書き送りなさい。火の炎のような目を持ち,足は純良な銅のような者である,神の子がこう言う」― 啓示 2:18。

      3 イエスは確かに他の箇所でエホバのことを「わたしの父」と呼んでおられますが,啓示の書の中で「神の子」という表現が出てくるのはただ1回で,ここだけです。(啓示 2:27; 3:5,21)ここで使われているその称号は,多分,イエスとエホバとの親密な関係をテアテラのクリスチャンに思い起こさせることでしょう。そのみ子は『火の炎のような目を持って』おられます。これはテアテラのクリスチャンにとって,イエスは会衆の中でご覧になる,どんな汚れた事柄に対しても,ご自分の裁きを燃え上がらせる方であることを知らせる警告となります。イエスは燃えるように輝く銅のようなご自分の足に二度目に言及することにより,この地上で歩んだ際に示した,ご自分の輝かしい忠実の模範を強調しておられます。テアテラのクリスチャンは確かにイエスの助言に留意しましたから,今日,わたしたちもぜひそうしなければなりません!―ペテロ第一 2:21。

      4,5 (イ)イエスはどうしてテアテラのクリスチャンを褒めることがおできになりましたか。(ロ)テアテラの会衆はどのように今日のエホバの証人の会衆の予型となっていますか。

      4 幸い,イエスはテアテラのそれらの人たちを褒めることができるので,こうお告げになります。「わたしは,あなたの行ない,また,あなたの愛と信仰と奉仕と忍耐を,そして,あなたの最近の行ないが以前のものより多いことを知っている」。(啓示 2:19)その地の油そそがれたクリスチャンは,エフェソス人とは異なり,エホバに対する最初の愛を失いませんでした。彼らは強い信仰を抱いています。その上,彼らの行ないは以前のものよりも多く,また前に挙げた三つの会衆のように,テアテラのクリスチャンは忍耐しています。このことは,今日,地上の至る所にある,エホバの証人のおよそ10万の会衆の何とよい予型でしょう。奉仕の務めを熱心に遂行する精神が組織に行き渡って,老若を問わず,すべての人を鼓舞すると共に,エホバに対する愛が輝きあふれています。開拓者として自らを費やし,来たるべき神の王国の輝かしい希望をふれ告げるために,なお残されている時間を賢明な仕方で用いる人たちは,確かに増えています!―マタイ 24:14。マルコ 13:10。

      5 油そそがれた残りの者と大群衆の双方の大勢の忠実な人たちは,何十年もの間,神への奉仕の点で模範的な忍耐を示してきましたが,それらの人たちの周囲の世界は希望のない暗闇の中にますます深く突入してきました。しかし,勇気を出しましょう! 啓示の書は,初期の神の預言者たちの次のような証言を確証しています。「エホバの大いなる日は近い。それは近い。しかも非常に急いでやって来る」― ゼパニヤ 1:14。ヨエル 2:1。ハバクク 2:3。啓示 7:9; 22:12,13。

      「かの女イゼベル」

      6 (イ)テアテラの会衆には称賛に値する特色があるにもかかわらず,イエスは直ちに注意を必要とするどんな問題に注目しておられますか。(ロ)イゼベルとはだれでしたか。彼女は女預言者であると正当に主張できましたか。

      6 イエスの火のような目はさらに物事を見抜きます。イエスは直ちに注意を必要とする,ある事柄に注目し,テアテラのクリスチャンにこうお告げになります。「とはいえ,わたしにはあなたを責めるべきことがある。あなたがかの女イゼベルを容認していることである。彼女は自ら女預言者と称し,わたしの奴隷たちを教えて惑わし,淫行を犯させ,偶像に犠牲としてささげられた物を食べさせる」。(啓示 2:20)西暦前10世紀に,イスラエルの王アハブの妻で,バアル崇拝者だった王妃イゼベルは,殺人や姦淫を犯す横柄なやり方で悪名をはせていました。エホバの油そそがれた者となったエヒウは,彼女を処刑させました。(列王第一 16:31; 18:4; 21:1-16。列王第二 9:1-7,22,30,33)偶像崇拝者だったイゼベルは,女預言者であると主張することはできませんでした。彼女はイスラエルの忠実な女預言者として仕えたミリアムやデボラのような人ではありませんでした。(出エジプト記 15:20,21。裁き人 4:4; 5:1-31)また,エホバの霊は,年取ったアンナや福音宣明者フィリポの4人の娘たちの場合のように,イゼベルを動かして預言をさせたりはしませんでした。―ルカ 2:36-38。使徒 21:9。

      7 (イ)イエスは「かの女イゼベル」のことを述べて,明らかにどんな影響力に言及しておられますか。(ロ)会衆と交わっていた一部の女性は,自分たちのわがままな歩みをどのように正当化してきたでしょうか。

      7 ですから,テアテラで女預言者であると主張する「かの女イゼベル」は,明らかに偽者です。彼女は神の霊の後ろ盾を得ていません。この女はだれでしょうか。恐らく,会衆内で人を腐敗させる影響を及ぼす,厚かましい,一人もしくは一群の女性と考えられます。会衆と交わっている女性の中には,その成員を不道徳な行為に巻き込みながら,聖句を間違った仕方で適用して,自分たちのわがままな歩みをずうずうしくも正当化しようとする人がいるかもしれません。それはまさしく偽りの預言を語ることです! それらの女性は他の人々に影響を及ぼして,「淫行,汚れ,性的欲情,有害な欲望,また強欲つまり偶像礼拝」の関係する自分たちの勝手な道に陥らせたことでしょう。(コロサイ 3:5)また,キリスト教世界の大抵の宗教組織の中で今黙認されたり,あるいは見逃されたりしている自己本位の不道徳な生活の仕方を会衆内の人たちに気ままに行なわせたことでしょう。

      8 (イ)イエスはテアテラの「イゼベル」に関してどんな宣言を行なわれますか。(ロ)現代でもそのような女性の不当な影響力をどのように受けてきましたか。

      8 イエスはさらにテアテラの長老たちにこうお告げになります。「そして,わたしは悔い改めの時間を与えたが,彼女は自分の淫行を悔い改めようとはしない。見よ,わたしは彼女を病の床に投げ込む。また,彼女と姦淫を犯している者たちが彼女の行ないについて悔い改めないなら,その者たちを大患難に投げ込む」。(啓示 2:21,22)元のイゼベルが明らかにアハブを支配し,その後,神の刑執行者エヒウを侮ったように,女性が影響力を及ぼして,夫や長老たちを操ろうとしているのかもしれません。テアテラの長老たちはこの慎みのないイゼベルの影響力を大目に見ているようです。イエスはここでそれらの長老たちはもとより,今日のエホバの民の世界的な会衆のために重大な警告を発しておられます。現代でも,そのような一部の勝ち気な女性は夫をいざなって背教者にならせたり,エホバの忠実な僕たちに対する訴訟をさえ起こさせたりしました。―ユダ 5-8と比較してください。

      9 (イ)イゼベルに関するイエスの言葉は,どうして会衆内のすべての女性に不利な影響をもたらすわけではありませんか。(ロ)どのような場合にのみ,イゼベルの影響が生じますか。

      9 クリスチャンの会衆内の忠実な女性たちはこのことで決して不利な影響を被るわけではありません。今日,証しの業の相当の部分は忠実な姉妹たちによって成し遂げられています。姉妹たちは家庭聖書研究を司会して,大勢の新しい人たちを会衆に導いています。「エホバご自身がみことばを与えてくださる。良いたよりを告げる女は大軍をなしている」と述べる詩編 68編11節が示唆しているように,神ご自身がこの取り決めを祝福しておられます。妻が敬意のこもった温和な態度で示す,「神の目に大いに価値のある」行状は,夫に良い影響を及ぼし得ます。(ペテロ第一 3:1-4)レムエル王は有能で勤勉な妻をたたえています。(箴言 31:10-31)女性が男性をそそのかしたり,あるいは頭の権に挑戦したり,それを無視したりして,独立した行動を取る場合にのみ,イゼベルの影響が生じるのです。―エフェソス 5:22,23。コリント第一 11:3。

      10 (イ)イゼベルと彼女の子供たちはどうして裁きを受けるのですか。(ロ)イゼベルの子供たちとなる人たちは,どんな危険な状態に陥っていますか。そのような人々はどうすべきですか。

      10 イエスは「かの女イゼベル」に言及し,続けてこうお告げになります。「そして,彼女の子供たちをわたしは死の災厄で殺す。それによってすべての会衆は,わたしが腎と心を探る者であることを知るであろう。そしてわたしは,あなた方一人一人にその行ないにしたがって与えよう」。(啓示 2:23)イエスはイゼベルと子供たちに悔い改める時間をお与えになりますが,彼らはその不道徳な生き方をあくまでもやめないので,裁きを受けなければなりません。ここに,今日のクリスチャンにとっても強力な音信があります。男女を問わず,イゼベルに倣って,頭の権や道徳に関する聖書の原則を破ったり,あるいは頑固になって神権的な秩序を無視したりしてイゼベルの子供になる人たちは,霊的な意味で危険な病気の状態にあります。そのような人が会衆の長老たちを呼んで祈ってもらい,そのような祈りと調和して謙遜に行動しさえすれば,確かに,「信仰の祈りが病んでいる人をよくし,エホバはその人を起き上がらせてくださるでしょう」。しかし,不道徳な行為を隠そうとしたり,あるいは熱心な奉仕をしているように見せかけたりして,神やキリストをだますことができるなどと,だれも考えないようにしましょう。―ヤコブ 5:14,15。

      11 今日,諸会衆は女性の不法な影響力の侵入に油断しないようにするため,どのように助けられていますか。

      11 幸いにも,今日,エホバの証人のほとんどの会衆はこの危険に目覚めています。長老たちは,非神権的な態度に陥ったり悪行に走ったりする傾向に注意しています。長老は危険な状態にある人たちを男女を問わず助けて,当人が霊性を築き,手遅れにならないうちに調整を施されるように努めます。(ガラテア 5:16; 6:1)女性解放運動に似た運動を進めて徒党を組もうとする女性の何らかの試みがあれば,それらクリスチャンの監督たちは愛ある,しかも毅然とした態度でそのような試みを抑えます。その上,時宜にかなった助言が,エホバの証人の出版物に周期的に載せられます。a

      12 ヨハネ級の人たちは今日,エヒウが示したのと同様の熱意をどのような仕方で表わしていますか。

      12 しかし,由々しい不道徳なことが行なわれたり,特にそういうことが習わしになったりするなら,悔い改めない罪人は排斥されなければなりません。イスラエルからイゼベルの影響の痕跡をことごとく除去しようとしたエヒウの熱意が思い起こされます。同様に,ヨハネ級の人たちは今日,断固とした処置を講じて,彼らの仲間のヨナダブ(エホナダブ)に対して模範を示し,キリスト教世界の何でも許容する牧師とは全く異なっていることを示しています。―列王第二 9:22,30-37; 10:12-17。

      13 女性のこの間違った影響力に屈する人たちは,どうなりますか。

      13 エホバの使者で裁き主であられる,神のみ子が行動を起こして,現代のイゼベルの実体を明らかにし,彼女を病の床に投げ込むのは正当なことです。なぜなら,彼女の霊的な病気は確かに慢性的なものだからです。(マラキ 3:1,5)女性のこの間違った影響力に屈した人たちもまた,大患難に遭って苦しみます。それはクリスチャンの会衆から,あたかも死者のように切り断たれて排斥される悲しみです。それらの人は悔い改め,身を転じて,会衆に再び受け入れてもらうようにならない限り,「死の災厄」により,また遅くとも大患難の際に物理的な死に直面します。一方,自分たちの間違った行ないを完全に悔い改めるなら,復帰することができます。―マタイ 24:21,22。コリント第二 7:10。

      14 (イ)イエスは何らかのイゼベルの影響などの問題を扱う際,長老たちをどのようにお用いになりますか。(ロ)会衆は,そのような問題を扱う長老たちをどのように支持すべきですか。

      14 「すべての会衆」は,イエスが「腎」,つまり最奥の感情と,「心」,つまり根底にある動機を含め,内奥のひととなりを探る方であることを知るようにならなければなりません。そのためにイエスは,生じてくる何らかのイゼベルの影響などの問題を扱う際,信頼されている星,つまり長老たちをお用いになります。(啓示 1:20)それら長老たちがそのような問題を十分に調査して,裁きが行なわれた後は,講じられた処置の理由を個人的に詮索すべきではありません。すべての人は長老たちが物事を処理した結果を謙遜に受け入れ,それら会衆の星を引き続き支持すべきです。エホバとその組織の取り決めに対する忠節は報われます。(詩編 37:27-29。ヘブライ 13:7,17)イエスが一人一人にその行ないにしたがって祝福をお与えになる時,読者ご自身も祝福にあずかれますように。―ガラテア 5:19-24; 6:7-9。

      『あなた方が持っているものをしっかり守りなさい』

      15 (イ)イエスはイゼベルによって腐敗させられなかった人たちに対して何と言われましたか。(ロ)1918年当時,クリスチャンであると唱えていた人たちすべてが背教したキリスト教世界によって腐敗させられたわけではないことを何が示していますか。

      15 イエスが次に述べておられる言葉は慰めを与えます。「しかしわたしは,テアテラにいるあなた方のうちのほかの者,すなわち,この教えを持たない者すべて,彼らの言う『サタンの奥深い事柄』を知るようにならなかった者たちに言う: わたしはこれ以外の重荷をあなた方に負わせない。それにしても,あなた方が持っているものを,わたしが行くまでしっかり守りなさい」。(啓示 2:24,25)テアテラには,イゼベルの影響を受けなかった忠実な魂がいます。同様に,1918年以前の40年間,またそれ以後,クリスチャンであると唱える人たちすべてが,キリスト教世界で広く行き渡っている不道徳で腐敗した生き方を大目に見てきたわけではありません。キリスト教世界の教理の多くがキリスト教以外の宗教に由来することを理解するよう教会員を助けようとした,今日ではエホバの証人として知られる少数の聖書研究者の一団は,背教したキリスト教世界から受けたバビロン的な信仰や慣行をすべて除去する処置を講じてきました。その慣行には,「かの女イゼベル」の何でも許容する教えも含まれています。

      16 イエスや1世紀のクリスチャンの統治体はそのうえ何の重荷も加えませんでしたが,どんなことは避けなければなりませんか。

      16 今日,ヨハネ級の人たちはまた,堕落した娯楽の世界の影響力のような不道徳な影響に用心するよう,自分たちの仲間の大群衆を励ましてきました。好奇心を抱いて,あるいは何を避けるべきかを学ぶために堕落したことを眺めたり,経験したりする必要は少しもありません。「サタンの奥深い事柄」には,近づかずに遠く離れているのが知恵の道です。イエスは,「わたしはこれ以外の重荷をあなた方に負わせない」と言っておられます。これで思い出すのは,1世紀のクリスチャンの統治体の次のような布告です。「聖霊とわたしたちとは,次の必要な事柄のほかは,あなた方にそのうえ何の重荷も加えないことがよいと考えたからです。すなわち,偶像に犠牲としてささげられた物と血と絞め殺されたものと淫行を避けていることです。これらのものから注意深く身を守っていれば,あなた方は栄えるでしょう」。(使徒 15:28,29)霊的な繁栄を保つために,偽りの宗教,(輸血の場合のような)血の誤用,ならびに不道徳を避けてください! そうすれば,恐らくあなたの体の健康も守られるでしょう。

      17 (イ)今日,サタンは人々を「奥深い事柄」によってどのように誘惑してきましたか。(ロ)わたしたちは人を惑わすサタンの世の「奥深い事柄」に対してどんな態度を取るべきですか。

      17 今日,サタンには,知識人を喜ばせる複雑な憶測や人生観などの他の「奥深い事柄」もあります。それには,何でも許容する不道徳な考え方のほかに,心霊術や進化論も含まれます。全知の創造者はそれら「奥深い事柄」をどのように見ておられるでしょうか。使徒パウロは,『わたしは賢人たちの知恵を滅ぼす』という創造者の言葉を引き合いに出しています。それとは対照的に,「神の奥深い事柄」は単純明快で,心温まるものです。賢明なクリスチャンは,人を惑わすサタンの世の「奥深い事柄」を忌避します。「世は過ぎ去りつつあり,その欲望も同じです。しかし,神のご意志を行なう者は永久にとどまります」という言葉を思い起こしてください。―コリント第一 1:19,「王国行間逐語訳」(英文); 2:10。ヨハネ第一 2:17。

      18 イエスは,終わりに至るまで忠実を保つ油そそがれたクリスチャンに対して,どんな祝福を約束なさいましたか。それら復活させられる人たちは,ハルマゲドンの際,どんな特権を受けますか。

      18 イエスは今やテアテラのクリスチャンに心温まる言葉を語られますが,その言葉は今日の油そそがれたクリスチャンをも励ますものです。「そして,征服する者,わたしの行ないを終わりまで守り通す者には,わたしは諸国民に対する権威を与え,その者は鉄の杖で民を牧し,彼らは粘土の器のように打ち砕かれるであろう。それは,わたしが自分の父から受けたのと同様であ(る)」。(啓示 2:26,27)確かにすばらしい特権です! 油そそがれた,征服する者たちが復活させられる時に受けるその権威とは,ハルマゲドンの際,反抗する諸国民に対して滅びをもたらす「鉄の杖」をイエスと共に振るう業にあずかる権威です。キリストがその敵を粘土の器のように粉砕される時,それら諸国民の核兵器の火力はせいぜい,ぬれた花火の火花のようなものとなるでしょう。―詩編 2:8,9。啓示 16:14,16; 19:11-13,15。

      19 (イ)「輝く明けの星」とはだれのことですか。その方は征服する人たちにどのように与えられますか。(ロ)大群衆にはどんな励ましが与えられますか。

      19 次いでイエスは,「わたしはその者に明けの星を与える」と付け加えておられます。(啓示 2:28)イエスご自身,この「星」が何を意味するかを後で説明し,「わたしはダビデの根また子孫であり,輝く明けの星である」と言っておられます。(啓示 22:16)そうです,エホバが,話したがらないバラムの唇から強いて出させた,「星が必ずヤコブから進み出,笏がまさしくイスラエルから起こる」という預言を成就されるのはイエスです。(民数記 24:17)イエスはどのようにして,征服する人たちに「明けの星」をお与えになるのでしょうか。明らかに,ご自身を彼らに与えて,つまり彼らをご自分との最も密接で最も親密な関係に迎え入れることによって,そうなさいます。(ヨハネ 14:2,3)それは確かに,忍耐するための強力な動機づけです! また,「輝く明けの星」が間もなくその王国の権威を行使して,この地上に楽園<パラダイス>を回復してくださることを知るのは,大群衆にとっても大いに心を鼓舞する事柄です!

      忠誠を保ちなさい

      20 キリスト教世界のどんな事情は,テアテラの会衆の弱点の幾つかを思い起こさせますか。

      20 この音信はテアテラのクリスチャンを大いに励ましたに違いありません。考えてもみてください。栄光を受けられた天の神のみ子が,それらクリスチャンの問題の幾つかについてテアテラのクリスチャンに個人的に話されたのです! 確かに,その会衆の少なくとも何人かの人々は,羊を牧する,そのような愛ある世話にこたえ応じました。七つの音信のうち最も長いこの音信はまた,今日,真のクリスチャン会衆を見分けるのにも役立ちます。1918年にイエスが裁きを行なうためエホバの神殿に来られた時,キリスト教を奉じていると主張する組織の大多数は,偶像崇拝と霊的な不道徳で汚されていました。(ヤコブ 4:4)中には,セブンスデー・アドベンティスト派のエレン・ホワイトやクリスチャン・サイエンス教会のメアリー・ベーカー・エディなどの19世紀の勝ち気な女性の教えに基づく信条を奉じた人々もいました。もっと最近でも,多くの女性が説教壇から説教を行なってきました。(テモテ第一 2:11,12と対照してください。)カトリック教会の中でも別の形態の教会では,多くの場合,マリアが神やキリスト以上に尊ばれています。イエスはマリアをそのように尊んだりはされませんでした。(ヨハネ 2:4; 19:26)そういう女性の不法な影響力を許容するような組織を果たしてキリスト教に基づくものとして本当に受け入れることができるでしょうか。

      21 テアテラに対するイエスの音信には,どんな個人的な教訓がありますか。

      21 ヨハネ級,もしくはほかの羊のいずれにせよ,クリスチャンがこの音信を個人的に考慮するのは良いことです。(ヨハネ 10:16)中には,テアテラのイゼベルの弟子たちがそうだったように,安易な道に従うほうが魅力的だと思う人たちがいるかもしれません。また,妥協するよう誘惑される場合もあります。今日では,血の入った製品を食べたり,輸血を受けたりするなどの問題に直面する場合があります。中にはまた,熱心に野外奉仕をしたり,あるいは講演をしたりすれば,暴力や不道徳を売り物にした映画やビデオを見たり,飲酒にふけったりするなどの他の分野で,あまり厳しくしなくてもよいと考える人たちがいるかもしれません。テアテラのクリスチャンに対するイエスの警告によれば,わたしたちはそのような点で自分勝手に振る舞ってはなりません。エホバはわたしたちがテアテラの多くのクリスチャンのように,分裂したりせず,魂を込めて物事を行なう,清い人であることを望んでおられます。

      22 イエスは,聞く耳を持つことの重要性をどのように強調しておられますか。

      22 イエスは最後にこう言明されます。「耳のある者は霊が諸会衆に述べることを聞きなさい」。(啓示 2:29)イエスはこれで,心を鼓舞するこの反復句を4回繰り返しておられますがこの句はなおこの後に続く三つの音信すべての結びの言葉となっています。あなたはそのような良い反応を示す耳をお持ちですか。では,神がその霊により,ご自分の経路を通して,引き続き助言をお与えになる時,一心に耳を傾け続けてください。

      [脚注]

      a 例えば,「ものみの塔」誌,2003年11月1日号の「忠実なクリスチャン女性 ― 神の崇拝者として貴重な存在」と題する記事をご覧ください。

  • あなたの名は命の書の中にありますか
    啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
    • 11章

      あなたの名は命の書の中にありますか

      サルデス

      1 サルデスの会衆にはどんな霊的な状態が見られますか。イエスはその音信をどのように語り始められますか。

      アキサル(テアテラ)の南48㌔ほどの所に,栄光を受けられたイエスからの音信を受ける次の会衆があります。それはサルデスです。西暦前6世紀当時,この都市は古代リュディア王国の誇り高い首都で,莫大な富を得たクロイソス王の王宮の所在地でした。ヨハネの時代には,その王国はすでに不幸な目に遭って,クロイソス治下の昔の栄華は単なる歴史の物語となっていました。同様に,その地のクリスチャンの会衆は霊的に疲へいしていました。イエスは初めて褒め言葉を用いずにその音信を述べておられます。「また,サルデスにある会衆の使いにこう書き送りなさい。神の七つの霊と,七つの星を持つ者がこのように言う。『わたしはあなたの行ないを知っている。あなたは生きているとの名を持ってはいるが,実は死んでいるのである』」― 啓示 3:1。

      2 (イ)サルデスのクリスチャンにとって,イエスが「七つの霊」を持っておられるということにはどんな重要な意味がありますか。(ロ)サルデス会衆はどんな評判を得ていましたか。しかし,事実はどうでしたか。

      2 イエスはどうしてご自分が『七つの霊を持つ者』であることを明らかにしておられるのでしょうか。なぜなら,それらの霊は十分に流れるエホバの聖霊を表わしているからです。後日,ヨハネはそれらの霊のことを「七つの目」と述べて,神の聖霊によりイエスに授けられる鋭い洞察力を示唆しています。(啓示 5:6)ですから,イエスは,存在し得るどんな状況をも明らかにし,扱うことがおできになります。(マタイ 10:26。コリント第一 4:5)サルデスの会衆は生き生きとして活発であるという評判を得ていますが,イエスはその会衆が霊的には死んでいるのを見抜くことがおできになります。明らかに,その成員の大半は,クリスチャンになる以前の状態と同様の無関心な態度に陥っていました。―エフェソス 2:1-3; ヘブライ 5:11-14と比較してください。

      3 (イ)「サルデスにある会衆の使い」は,イエスが「七つの星」を持っておられるという事実にどうして特に注意すべきですか。(ロ)イエスはどんな強い助言をサルデスの会衆にお与えになりますか。

      3 イエスはまた,ご自分が「七つの星」を持つ者であることを「サルデスにある会衆の使い」に思い起こさせておられます。イエスは会衆のそれら長老たちをご自分の右手に持ち,牧羊の業で長老たちを指導する権威を持っておられます。長老たちは『羊の群れの様子をはっきり知る』ことに心を用いるべきです。(箴言 27:23)ですから,長老たちはイエスの次の言葉に注意深く耳を傾けてください。「油断なく見張っていなさい。今にも死ぬ状態にあった残りのものを強めなさい。わたしは,あなたの行ないがわたしの神の前で十分になされたのを見ていないからである。それゆえ,あなたがどのように受けてきたか,またどのように聞いたかを思いにとどめ,それを守りつづけ,そして悔い改めなさい。あなたが目ざめないなら,必ずわたしは盗人のように来る。そしてあなたは,わたしがどの時刻にあなたのもとに来るかを全く知らないであろう」― 啓示 3:2,3。

      4 ペテロの言葉は,サルデスの会衆にとって『残りのものを強める』のにどのように役立ちましたか。

      4 サルデスの長老たちは,真理を学んだ時に最初に抱いた喜びと,その時に受けた祝福を思い起こす必要があります。ところが今や,彼らは霊的な活動の点では死んでいます。信仰の業が欠けているため,その会衆のともしびは消えようとしています。何年も前,使徒ペテロは,クリスチャンが受け入れて,ヨハネの幻の七つの霊によって表わされている,「天から送られた聖霊をもって」ふれ告げられていた,輝かしい良いたよりに対する認識を高めさせるため,(恐らくサルデスを含め)アジアの諸会衆に手紙を書き送りました。ペテロはまた,それらアジアのクリスチャンは,『選ばれた種族,王なる祭司,聖なる国民,特別な所有物となる民であり,それは,闇からご自分の驚くべき光の中に呼び入れてくださった方の卓越性を広く宣明するため』であることを彼らに思い起こさせました。(ペテロ第一 1:12,25; 2:9)このような霊的な真理について思い巡らせば,サルデスの会衆は悔い改めて,『残りのものを強める』よう助けられます。―ペテロ第二 3:9と比較してください。

      5 (イ)サルデスのクリスチャンの抱いていた認識はどうなりましたか。(ロ)もし,サルデスのクリスチャンがイエスの助言にこたえ応じないなら,どうなりますか。

      5 今では,真理に対する彼らの認識や愛はほとんど消えかけている火のようです。ほんのわずかの残り火だけが燃え続けています。イエスは彼らがその炎をあおいで,火を燃え立たせ,怠慢になったために陥った罪を悔い改めて,もう一度霊的に生き生きとした会衆になるよう励ましておられます。(テモテ第二 1:6,7と比較してください。)もし,そうならないなら,イエスが裁きを執行するため ―「盗人のように」― 突然に来られる時,サルデスの会衆は不意をつかれることになるでしょう。―マタイ 24:43,44。

      「盗人のように」来られる

      6 1918年にイエスはどのように「盗人のように」来られましたか。イエスはその追随者であると称する人々の間にどんな状況を見いだされましたか。

      6 「盗人のように」来られるというイエスの警告は,現代にまで及んでいます。それは,特に主の日に生き残っているクリスチャンに当てはまります。1914年のすぐ後に,次のようなマラキの預言が成就しました。「『あなた方の求める,まことの主がその神殿に突然に来る。そして,あなた方の喜ぶ契約の使者が。見よ,その者は必ず来る』と,万軍のエホバは言われた」。(マラキ 3:1。啓示 1:10)「契約の使者」であられるイエスは,ご自分の追随者であると主張していた人たちを検閲し,裁くために来られました。(ペテロ第一 4:17)その時,つまり1918年に,キリスト教世界は第一次世界大戦の流血行為に巻き込まれ,霊的に言って完全に死んでいました。同大戦以前に大変熱心に宣べ伝える業にあずかっていた真のクリスチャンでさえ,霊的な眠気に襲われた時期を過ごしました。彼らの著名な長老たちの何人かは投獄され,宣べ伝える活動はほとんど止まりました。翌年,エホバの霊がそれらのクリスチャンを目覚めさせた時,皆が用意ができていたわけではありませんでした。中には,イエスのたとえ話の愚かな処女たちのように,エホバに仕える特権にあずかる霊的な備えができていない人たちもいました。しかし幸いにも,思慮深い処女たちのように,「ずっと見張っていなさい。あなた方は,その日もその時刻も知らないからです」というイエスの警告に留意していた人たちは,少なくありませんでした。―マタイ 25:1-13。

      7 今日,クリスチャンはどうして目覚めていなければなりませんか。

      7 主の日の初めごろ,クリスチャンが油断なく見張っている必要がなくなったわけではありません。イエスは「これらのすべてのものが終結に至るように定まった時のしるし」に関する,その偉大な預言の中で,次のような強力な警告をお与えになりました。「その日または時刻についてはだれも知りません。……ずっと見ていて,目を覚ましていなさい。あなた方は,定められた時がいつかを知らないからです。しかし,わたしがあなた方に言うことは,すべての者に言うのです。ずっと見張っていなさい」。(マルコ 13:4,32,33,37)そうです,まさしく今でさえ,油そそがれた者,または大群衆のいずれであれ,わたしたちは各々油断なく見張っていて,知らず知らずに霊的な眠りに陥らないよう闘う必要があります。エホバの日が,「夜の盗人のように」来る時,わたしたちは有利な裁きを受けられるよう,十分目覚めている状態でありますように。―テサロニケ第一 5:2,3。ルカ 21:34-36。啓示 7:9。

      8 今日,ヨハネ級の人たちは,霊的に生き生きとした状態を保つよう神の民をどのように鼓舞してきましたか。

      8 今日,ヨハネ級の人たちは,霊的に生き生きとした状態を保つよう神の民を鼓舞する必要があることに気づいています。そのために,地上の至る所で毎年数回,特別の集まりが取り決められています。最近のある年には,2,981か所で開かれた地域大会に合計1,095万3,744人が出席し,新たに信仰を抱いた人々が12万2,701人バプテスマを受けました。ヨハネ級の人たちは100年以上にわたり,エホバのみ名と目的を告げ知らせるため,「ものみの塔」誌を用いてきました。二度の世界大戦で厳しい迫害を受けたことに対応して,「ものみの塔」誌は,「恐れなき者は幸いである」(1919年),「活動への招き」(1925年),ならびに「迫害の敗北」(1942年)などの記事で,熱意を新たにするようエホバの証人を奮起させました。

      9 (イ)クリスチャンは皆,いつもどんなことを自問してみるべきですか。(ロ)「ものみの塔」誌は,どんな励ましを与えてきましたか。

      9 サルデスの場合と同様,今日の諸会衆でも,絶えず自己吟味することはどのクリスチャンにとっても肝要です。わたしたちは皆,いつも次のように自問してみるべきです。わたしの『行ないはわたしの神のみ前で十分になされた』だろうか。ほかの人々を裁かずに,わたし個人は自己犠牲の精神を培い,神に対して魂を込めた奉仕を行なうよう努力しているだろうか。この点に関連して,「ものみの塔」誌は,「自分自身がどんなものであるかを絶えず吟味しなさい」あるいは「もはや自分のために生きない」というようなテーマを取り上げて論じ,励ましを与えてきました。a このような聖書的な助けを得て,エホバのみ前で謙遜に,また祈りを込めて忠誠を保って歩むように努めながら,内奥の自分を深く探りましょう。―詩編 26:1-3; 139:23,24。

      「少数の名」

      10 イエスはサルデスの会衆のどんな励みとなる特色に注目なさいましたか。このことはわたしたちにどのような影響を与えるはずですか。

      10 イエスがサルデスの会衆に対して次に語られた言葉は,たいへん励みの多いものです。こうお告げになります。「とはいえ,サルデスのあなたのところには,自分の外衣を汚さなかった少数の名があるにはある。彼らは白い外衣を着てわたしと共に歩くであろう。それにふさわしい者だからである。征服する者はこのようにして白い外衣で身を装うのである。そしてわたしは彼の名を命の書から決して塗り消さず,わたしの父の前またそのみ使いたちの前で彼の名を認める」。(啓示 3:4,5)これらの言葉はわたしたちを奮起させ,忠実を保つ決意を強めさせるものではありませんか。長老団の怠慢のために,会衆全体が深い霊的な眠りに陥るかもしれません。しかし会衆には,勇敢にもクリスチャンとしての身分を個人的に純正で汚点のないものに保って,エホバとの間で良い名を引き続き保とうと努める人が何人かいるかもしれません。―箴言 22:1。

      11,12 (イ)大規模な背教が起きた期間中でさえ,ある人々はサルデスのそれら忠実な「少数の名」のように,どのように努力してきたに違いありませんか。(ロ)主の日の期間中,小麦のようなクリスチャンには,どんな救済がもたらされましたか。

      11 そうです,それらの「外衣」は当人のクリスチャンとしての義にかなった身分を指しています。(啓示 16:15; 19:8と比較してください。)大多数の人たちが無関心になっているにもかかわらず,「少数の名」,つまりサルデスの少数の油そそがれたクリスチャンが依然としてそのような身分を首尾よく保っていることを知るのは,イエスにとって心温まる事柄であるに違いありません。同様に,大規模な背教が起きた,何世紀にもわたる長い期間,自称クリスチャンは偽りの宗教の世界帝国である大いなるバビロンに飲み込まれましたが,不利な状況にもかかわらずエホバのご意志を個人的に行なおうと努力した少数の人々が常にいたに違いありません。それらの人々はおびただしい分派的な雑草の中に隠されていた小麦のような義にかなった人たちでした。―啓示 17:3-6。マタイ 13:24-29。

      12 イエスは「事物の体制の終結の時までいつの日も」それら小麦のようなクリスチャンと共にいてくださると約束なさいました。イエスはそれらのクリスチャンがだれで,どんな良い名を得たかをご存じです。(マタイ 28:20。伝道の書 7:1)主の日が始まったころ,なお生きていたそれら忠実な「少数の」人たちの喜びを想像してみてください! 彼らはついに,霊的に死んでいたキリスト教世界から分けられ,スミルナの会衆のような義にかなった会衆に集められたのです。―マタイ 13:40-43。

      13 『自分の外衣を汚さない』油そそがれたクリスチャンには,どんな祝福が用意されていますか。

      13 サルデスの人たちで,終わりまで忠実を保ち,クリスチャンとしての身分を汚さない人々は,すばらしい希望の実現にあずかることになります。メシアなるイエスの王国が1914年に樹立されてからは,それらの人たちは復活させられて霊の命を受け,きずも汚点もない義の象徴としての白い外衣をもって,征服者として装われています。それらの人は命に通ずる狭められた道を歩んできたので,永遠の報いを享受することになります。―マタイ 7:14。啓示 6:9-11もご覧ください。

      永遠に命の書に!

      14 「命の書」とは何ですか。だれの名がそこに記されていますか。

      14 「命の書」とは何ですか。だれの名がそこにとどめられるのでしょうか。その書もしくは巻き物は,永遠の命を授けられる見込みのある,エホバの僕たちの記録を指しています。(マラキ 3:16)この啓示の書では,特に油そそがれたクリスチャンの名のことが触れられています。しかし,地上で永遠の命を受ける見込みのある人たちの名もそこに記されています。その上,その書から名を『ぬぐい去る』こともできます。(出エジプト記 32:32,33)それにしても,死に至るまで命の書に名をとどめられるヨハネ級の人たちは,天で不滅の命を受けます。(啓示 2:10)それらの名こそイエスが特に父の前,ならびにそのみ使いたちの前で認める名なのです。それは何とたぐいまれな報いでしょう。

      15 大群衆の成員の名はどのようにして命の書に消えないように書き記されますか。

      15 同様に名を命の書に記されている大群衆は,生きて大患難から出て来るでしょう。それらの人たちはイエスの千年統治の期間中ずっと,またその後に行なわれる決定的な試みの際にも信仰を働かせることにより,地上の楽園<パラダイス>における永遠の命の報いを受けるでしょう。(ダニエル 12:1。啓示 7:9,14; 20:15; 21:4)その時,彼らの名は命の書に消えないように書き記されます。聖霊によってここでどんなことが述べられているかを知っているあなたは,イエスが繰り返し語っておられる次のような勧告に熱意を込めてこたえ応じられるのではないでしょうか。「耳のある者は霊が諸会衆に述べることを聞きなさい」― 啓示 3:6。

      [脚注]

      a 「ものみの塔」誌,2005年7月15日号および2005年3月15日号をご覧ください。

  • 『自分が持っているものをしっかり守りつづけなさい』
    啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
    • 12章

      『自分が持っているものをしっかり守りつづけなさい』

      フィラデルフィア

      1 イエスの6番目の音信はどの都市の会衆にあてて書き送られましたか。その都市の名称にはどんな意味がありますか。

      兄弟の愛情 ― 何と好ましい特質でしょう。イエスは,フィラデルフィアの会衆にあてて書き送られる,ご自分の6番目の音信を述べる際,恐らくこの特質を考えておられたことでしょう。というのは,その名称には「兄弟の愛情」という意味があるからです。年老いたヨハネは,60年以上も前に,ペテロが主に対して温かい愛情を抱いている旨,イエスに3回主張した時のことをなお覚えています。(ヨハネ 21:15-17)フィラデルフィアのクリスチャンは,兄弟の愛情を示していますか。明らかにそうしています!

      2 フィラデルフィアはどんな都市でしたか。どんな会衆がそこにありましたか。イエスはこの会衆の使いに何とお告げになりますか。

      2 サルデスの南東48㌔ほどの所(現代のトルコの都市アラシェヒルの場所)に位置している,ヨハネの時代のフィラデルフィアはかなり繁栄した都市です。しかし,さらに注目に値するのは,その地のクリスチャンの会衆が繁栄していることです。その会衆の人たちは,サルデスを通って旅して来たと思われる奉仕者をたいへん大きな喜びを抱いて迎えたに違いありません。その奉仕者が携えている音信には,彼らのための感動的な助言が含まれています。しかし,まず最初に,その音信はその著名な送り主の権威に言及しています。その方はこうお告げになります。「また,フィラデルフィアにある会衆の使いにこう書き送りなさい。聖なる者,真実な者,ダビデのかぎを持つ者,開けてだれも閉じないようにし,閉じてだれも開けないようにする者がこのように言う」― 啓示 3:7。

      3 イエスが「聖なる」方と呼ばれるのは,どうしてふさわしいことでしょうか。どうしてイエスを「真実な」方と呼ぶことができますか。

      3 ヨハネはかつて,ペテロが人間イエス・キリストに次のように言うのを聞きました。「あなたこそ永遠の命のことばを持っておられます。そしてわたしたちは,あなたが神の聖なる方であることを信じ,また知るようになったのです」。(ヨハネ 6:68,69)エホバ神はまさに神聖さの本質を体現しておられる方ですから,その独り子もまた,「聖なる」方でなければなりません。(啓示 4:8)イエスはまた,「真実な」方です。ここで使われているギリシャ語(アレーティノス)は真正さを示唆しています。そのような意味で,イエスは天から下って来た真の光,ならびに真のパンです。(ヨハネ 1:9; 6:32)また,真のぶどうの木です。(ヨハネ 15:1)イエスはまた,信頼できる方であるという意味でも真実な方です。ですから,常に真実を語られます。(ヨハネ 8:14,17,26をご覧ください。)この神のみ子は確かに王ならびに裁き主として仕えるに値する方です。―啓示 19:11,16。

      「ダビデのかぎ」

      4,5 「ダビデのかぎ」はどんな契約と結びつけられていますか。

      4 イエスは「ダビデのかぎ」を持っておられます。それを使って,「開けてだれも閉じないようにし,閉じてだれも開けないように」されますが,この「ダビデのかぎ」とは何ですか。

      5 エホバは永遠の王国のための契約をイスラエルの王ダビデと結ばれました。(詩編 89:1-4,34-37)ダビデの家は西暦前1070年から同607年までエルサレムのエホバの王座から支配を行ないましたが,その王国が悪に傾いたため,同王国に対して神の裁きが執行されました。こうしてエホバは,「わたしはそれ[地上のエルサレム]を破滅,破滅,破滅とする。これについてもまた,それ[ダビデの家系に属する王権の笏]は法的権利を持つ者が来るまで,決してだれのものにもならない。わたしはその者にこれを必ず与える」というエゼキエル 21章27節の預言を成就し始められました。

      6,7 「法的権利」を持つ方はいつ,またどのようにして現われることになりましたか。

      6 「法的権利」を持つその方はいつ,またどのようにして現われるのでしょうか。ダビデの王国の笏はどのようにしてその方に与えられるのでしょうか。

      7 約600年後のこと,ダビデ王の子孫であるユダヤ人の乙女マリアが聖霊によって妊娠しました。神はみ使いガブリエルを遣わして,マリアに一人の男の子が授けられるので,その子をイエスと名づけるよう彼女にお知らせになりました。ガブリエルはこう付け加えました。「これは偉大な者となり,至高者の子と呼ばれるでしょう。エホバ神はその父ダビデの座を彼に与え,彼は王としてヤコブの家を永久に支配するのです。そして,彼の王国に終わりはありません」― ルカ 1:31-33。

      8 イエスはダビデの王権を受け継ぐ資格があることをどのように証明されましたか。

      8 イエスは西暦29年にヨルダン川でバプテスマを受け,聖霊で油そそがれた時,ダビデの家系の指名された王となられました。そして,王国の良いたよりを宣べ伝える点で模範的な熱意を示し,ご自分の弟子たちにも同様に宣べ伝える使命をお与えになりました。(マタイ 4:23; 10:7,11)イエスは苦しみの杭の上で死を遂げるに至るまでご自分を低くし,こうしてダビデの王権を受け継ぐ十分の資格があることを証明されました。エホバはイエスを不滅の霊者として復活させ,天のご自分の右に高められました。イエスはそこでダビデの王国の権利をすべて受け継がれました。イエスはやがて『[その]敵のただ中で従えてゆく』権利を行使することになりました。―詩編 110:1,2。フィリピ 2:8,9。ヘブライ 10:13,14。

      9 イエスが戸を開けたり,閉じたりするためにダビデのかぎを用いられるのはどうしてでしょうか。

      9 その間,イエスはダビデのかぎを使って,神の王国に関連した機会や特権にあずかる道を開くことになりました。エホバは今やイエスを通して,地上の油そそがれたクリスチャンを「闇の権威から」救い出し,「ご自分の愛するみ子の王国へ」移すことになりました。(コロサイ 1:13,14)そのかぎはまた,不忠実になる者がだれもそのような特権にあずかれないようにするためにも使われました。(テモテ第二 2:12,13)ダビデの王国のこの永久相続者はエホバの後ろ盾を得ておられるので,どんな被造物もこの方がそのような義務を履行するのを妨げることはできません。―マタイ 28:18-20。

      10 イエスはフィラデルフィアの会衆にどんな励ましをお与えになりますか。

      10 フィラデルフィアのクリスチャンに対するイエスの言葉は,このような権威ある源から出ているので,特に慰めを与えるものであるに違いありません! イエスは彼らを褒めて,こうお告げになります。「わたしはあなたの行ないを知っている ― 見よ,わたしはあなたの前に開かれた戸を置いた。それはだれも閉じることができない ― すなわち,あなたには少しの力があり,わたしの言葉を守って,わたしの名に不実な者とはならなかった」。(啓示 3:8)その会衆は活発で,会衆の前には戸が開かれてきました。それは疑いもなく奉仕の務めのための機会の戸口でした。(コリント第一 16:9; コリント第二 2:12と比較してください。)ですから,イエスは,宣べ伝える機会を十分活用するよう会衆を励ましておられます。成員たちは忍耐し,神の霊による助けにより,エホバへの奉仕の点での「行ない」をさらに続けるための十分の力を持っていることを示してきました。(コリント第二 12:10。ゼカリヤ 4:6)彼らはイエスの命令に従っており,言葉と行動のいずれの点でもキリストを否んだりはしませんでした。

      『彼らはあなたに身をかがめる』

      11 イエスはクリスチャンにどんな祝福を約束しておられますか。それはどのように実現しましたか。

      11 したがって,イエスは彼らに成果をこう約束しておられます。「見よ,わたしは,ユダヤ人であると言いながら実はそうではなく,偽りを語る,サタンの会堂の者たちを与える ― 見よ,わたしは彼らを来させてあなたの足もとに敬意をささげさせ,わたしがあなたを愛したことを悟らせる」。(啓示 3:9)スミルナの場合のように,恐らくこの会衆も地元のユダヤ人のことで問題を抱えていたのでしょう。イエスはそれらのユダヤ人のことを「サタンの会堂」と呼んでおられます。とはいえ,それらのユダヤ人の中の少なくとも幾人かの人々は,イエスについてクリスチャンの宣べ伝えてきた事柄が真理であることを今にも悟ろうとしています。それらの人たちは,多分パウロがコリント第一 14章24,25節で述べているような仕方で「敬意をささげ」,実際に悔い改めてクリスチャンとなり,弟子たちのためにご自分の魂をさえなげうって示されたイエスの大いなる愛を十分認識するようになります。―ヨハネ 15:12,13。

      12 フィラデルフィアのユダヤ人の会堂の成員は,そのうちの幾人かが地元のクリスチャンの共同体の人々に『身をかがめる』ようになるのを知って,多分驚かされたことと思われますが,それはどうしてでしょうか。

      12 フィラデルフィアのユダヤ人の会堂の成員は,そのうちの幾人かが地元のクリスチャンの共同体の人々に「敬意をささげ」ようとしているのを知って,多分驚かされたことでしょう。ユダヤ人ではない人たちがその会衆に確かに多数いたのですから,会衆の人々は前述の事柄とは全く逆の事態が生じるのを期待していたことでしょう。どうしてでしょうか。なぜなら,イザヤはこう予告していたからです。「[ユダヤ人ではない]王たちは必ずあなた[イスラエルの民]のために世話係となり,その王妃たちはあなたのために乳母となる。彼らは地に顔を伏せてあなたに身をかがめ(る)」。(イザヤ 49:23; 45:14; 60:14)霊感を受けたゼカリヤも同様の調子で,こう書いています。「その日には,諸国のあらゆる言語から来た[ユダヤ人ではない]十人の者が,ユダヤ人である一人の者のすそをとらえ,まさしくとらえてこう言う。『わたしたちはあなた方と共に行きます。神があなた方と共におられることを聞いたからです』」。(ゼカリヤ 8:23)そうです,ユダヤ人ではない人たちがユダヤ人に身をかがめることになっており,その逆ではなかったからです!

      13 古代イスラエルに対して述べられた預言の成就を経験することになったユダヤ人とはだれのことでしたか。

      13 これらの預言は神の選ばれた国民に対して語られたものでした。それらの預言が述べられた時,肉のイスラエルはあの名誉ある立場を占めていました。しかし,ユダヤ国民がメシアを退けた時,エホバは彼らをお捨てになりました。(マタイ 15:3-9; 21:42,43。ルカ 12:32。ヨハネ 1:10,11)その代わり,エホバは西暦33年のペンテコステの際,神の真のイスラエルであるクリスチャンの会衆をお選びになりました。その成員は真の割礼を心に施された霊的なユダヤ人です。(使徒 2:1-4,41,42。ローマ 2:28,29。ガラテア 6:16)それ以後,肉のユダヤ人がエホバとの恵まれた関係を個人的に取り戻す唯一の方法は,メシアなるイエスに信仰を抱くことでした。(マタイ 23:37-39)明らかにフィラデルフィアの一部の人たちにも,このことがまさに起きようとしていました。a

      14 イザヤ 49章23節とゼカリヤ 8章23節は,現代になってどのように重要な成就を遂げてきましたか。

      14 イザヤ 49章23節やゼカリヤ 8章23節のような預言は,現代になって非常に重要な成就を遂げてきました。ヨハネ級の人たちが宣べ伝える業を行なった結果,おびただしい数の人々が開かれた戸を通って,王国奉仕に加わってきました。b それらの人々の大半は,霊的なイスラエルであると偽って主張する種々の宗教組織で成るキリスト教世界から出てきました。(ローマ 9:6と比較してください。)大群衆である,これらの人々は,イエスの犠牲の血に信仰を働かせることにより,自分たちの長い衣を洗って白くしています。(啓示 7:9,10,14)彼らはキリストの王国による支配に従って,その祝福をこの地上で受け継ぐことを望んでいます。それらの人々はイエスの油そそがれた兄弟たちのもとに来て,霊的な意味で彼らに「身をかがめ」ます。なぜなら,それらの人は,『神が彼らと共におられることを聞いた』からです。これらの人々は油そそがれた人たちに仕え,また彼らと結ばれて世界的な兄弟たちの交わりを形作ります。―マタイ 25:34-40。ペテロ第一 5:9。

      「試みの時」

      15 (イ)イエスはフィラデルフィアのクリスチャンに何を約束なさいましたか。彼らは何をするよう励まされましたか。(ロ)クリスチャンはどんな「冠」を受けることを待ち望んでいましたか。

      15 イエスはさらにこうお告げになります。「あなたがわたしの忍耐に関する言葉を守ったので,わたしもあなたを,地に住む者たちを試みるため人の住む地全体に臨もうとしている試みの時から守る。わたしは速やかに来る。自分が持っているものをしっかり守りつづけ,あなたの冠をだれにも取られないようにしなさい」。(啓示 3:10,11)ヨハネの時代のクリスチャンは(1914年に始まる)主の日まで生き残るわけではありませんが,彼らはイエスが来られることを確信していたので,宣べ伝える業を続行する力を得ました。(啓示 1:10。テモテ第二 4:2)彼らを天で待ち受けていたのは「冠」,つまり永遠の命の賞でした。(ヤコブ 1:12。啓示 11:18)もし,彼らが死に至るまで忠実ならば,だれもその報いを彼らから奪えませんでした。―啓示 2:10。

      16,17 (イ)「人の住む地全体に臨もうとしている試みの時」とは何でしょうか。(ロ)その「試みの時」の始めごろ,油そそがれた者たちはどんな状態でしたか。

      16 しかし,「試みの時」とは何でしょうか。確かに,アジアのクリスチャンはローマ帝国からの恐ろしい迫害の波にさらに対処しなければなりませんでした。c それにしても,その主要な成就は,ふるい分けて裁きを行なう時となります。その時は主の日の期間についに到来して,1918年以来最高潮を迎えてきました。その試みは,人が樹立された神の王国を支持しているか,それともサタンの世を支持しているかを決するものとなってきました。それは比較的短い期間,いわば一「時」ですが,まだ終わっていません。それが終わるまでは,今が「試みの時」であることを忘れてはなりません。―ルカ 21:34-36。

      17 1918年,ヨハネ級の油そそがれたクリスチャンは,フィラデルフィアの強固な会衆と同様,現代の「サタンの会堂」からの反対に直面しなければなりませんでした。霊的なユダヤ人であると主張した,キリスト教世界の宗教指導者たちは,真のクリスチャンの活動を禁止させるために,支配者たちをひそかに動かしました。とはいえ,それらのクリスチャンは『イエスの忍耐に関する言葉』を守ろうと懸命に努力しました。ですから,彼らは霊的な助け,つまり大切な「少しの力」で生き残り,今や自分たちの前に開かれた戸を入るよう奮起させられました。どのようにしてでしたか。

      「開かれた戸」

      18 イエスは1919年にどんな任命を行なわれましたか。それで,被任命者はどのようにしてヒゼキヤの忠実な家令のようになりましたか。

      18 1919年,イエスはご自分の約束を成就し,油そそがれた真のクリスチャンのその小集団を「忠実で思慮深い奴隷」として承認されました。(マタイ 24:45-47)それらのクリスチャンは,ヒゼキヤ王の時代の忠実な家令エリヤキムが享受したのと同様の特権を受けました。d エホバはエリヤキムについてこう仰せになりました。「わたしはダビデの家のかぎをその肩の上に置く。彼が開けると閉じる者はなく,彼が閉じると開ける者はない」。エリヤキムはダビデの王統の子ヒゼキヤのために重い責任を引き受けました。同様に,今日,油そそがれたヨハネ級の人たちはメシアによる王国の地上の関心事を託されているので,「ダビデの家のかぎ」が彼らの肩に置かれています。エホバはこの特権を受けられるよう,ご自分の僕たちを強め,彼らの少しの力を全地球的な規模の膨大な証しをするための十分な活動力となるよう増強されました。―イザヤ 22:20,22; 40:29。

      19 ヨハネ級の人たちは,1919年にイエスから与えられた責任をどのように負いましたか。その結果,どうなりましたか。

      19 油そそがれた残りの者は1919年以来,イエスの模範に従って,王国の良いたよりを広く宣明する精力的な運動に乗り出しました。(マタイ 4:17。ローマ 10:18)その結果,現代のサタンの会堂,つまりキリスト教世界の一部の人々はこの油そそがれた残りの者のもとに来て,悔い改め,その奴隷の権威を認めて,『身をかがめる』ようになりました。それらの人々もまた,ヨハネ級の年長の人たちと一緒になってエホバに仕えるようになり,このことはイエスの油そそがれた兄弟たちが全員集められるまで続きました。その後,『すべての国民の中から来る大群衆』が,油そそがれた奴隷に『身をかがめる』ようになります。(啓示 7:3,4,9)その奴隷とこの大群衆は,エホバの証人の一つの羊の群れとして一緒に奉仕します。

      20 エホバの証人は今日,強い信仰を保ち,神への奉仕を活発に行なっていなければなりませんが,それはどうしてでしょうか。

      20 フィラデルフィアのクリスチャンのように,純粋な兄弟の愛情のきずなで結ばれているエホバの証人は,今日,自分たちの宣べ伝える業が果たされなければならない緊急な務めであることを認識しています。まもなく,大患難でサタンの邪悪な世の幕が下ろされます。その時,わたしたちは各々強い信仰を保ち,神への奉仕を活発に行なっていて,わたしたちの名がエホバの命の書からぬぐい去られることがありませんように。(啓示 7:14)フィラデルフィアの会衆に対するイエスの勧告を真剣に受け止めて,わたしたちの奉仕の特権をしっかり保ち,永遠の命の報いを受けられるようにしましょう。

      征服する者たちの受ける祝福

      21 今日の油そそがれたクリスチャンは,どのように『イエスの忍耐に関する言葉を守って』きましたか。どんな見込みが彼らを待ち受けていますか。

      21 今日のヨハネ級の人たちは,『イエスの忍耐に関する言葉を守って』きました。つまり,イエスの模範に従い,忍耐してきました。(ヘブライ 12:2,3。ペテロ第一 2:21)ですから,彼らは,フィラデルフィアの会衆に対してイエスがさらに次のように述べておられる言葉により,大いに励まされてきました。「征服する者 ― わたしはその者をわたしの神の神殿の中の柱とし,彼はもはやそこから決して出ないであろう」― 啓示 3:12(前半)。

      22 (イ)イエスの神の神殿とは何ですか。(ロ)征服する,油そそがれたクリスチャンは,どのようにその神殿の柱となりますか。

      22 エホバの神殿の柱となるのは,何とすばらしい特権でしょう。古代エルサレムの文字通りの神殿はエホバの崇拝の中心地でした。その神殿の中では,毎年一日だけ,大祭司が「至聖所」におけるエホバの臨在を表わす奇跡的な光の前で動物の犠牲の血をささげました。(ヘブライ 9:1-7)イエスがバプテスマをお受けになった時,もう一つの神殿,つまりエホバを崇拝するための偉大な霊的な,神殿のような取り決めが存在するようになりました。その神殿の聖の聖なる所は天にあって,イエスはそこで「神ご自身の前に」正式に出てくださいました。(ヘブライ 9:24)イエスは大祭司です。そして,罪を完全に覆うためにささげられた,ただ一つの犠牲があります。それは完全な人間イエスの流された血です。(ヘブライ 7:26,27; 9:25-28; 10:1-5,12-14)地上の油そそがれたクリスチャンは,忠実を保つ限り,その神殿の地的な中庭で従属の祭司として奉仕します。(ペテロ第一 2:9)しかし,彼らも一度征服したなら,天の聖の聖なる所に入って,崇拝のための神殿のような取り決めの不動の支柱,つまり柱となります。(ヘブライ 10:19。啓示 20:6)彼らが『そこから出る』危険性はもはや少しもありません。

      23 (イ)イエスは次に,征服する,油そそがれたクリスチャンにどんな約束をなさいますか。(ロ)エホバの名と新しいエルサレムの名がそれら征服したクリスチャンに記される結果,どうなりますか。

      23 イエスは続けてこうお告げになります。「そしてわたしは,わたしの神の名と,わたしの神の都市,すなわち天のわたしの神のもとから下る新しいエルサレムの名と,わたしの新しい名とをその者の上に書く」。(啓示 3:12[後半])そうです,それら征服する者たちには,彼らの神でイエスの神でもあられるエホバの名が記されます。これは明らかに,エホバとイエスがふたりの別個の存在者であって,三者一体つまり三位一体の神のうちの二者ではないことを示しています。(ヨハネ 14:28; 20:17)創造物はすべて,それら油そそがれた者たちがエホバに属することを知るようにならなければなりません。彼らはその方の証人なのです。彼らにはまた,新しいエルサレムの名も記されます。そのエルサレムは,忠実な人類すべてに情け深い支配を及ぼすという意味で天から下って来る天的な都市です。(啓示 21:9-14)ですから,地上のクリスチャンの羊はすべて,それら油そそがれた征服者たちが王国,つまり「天のエルサレム」の市民であることをやはり知るようになります。―詩編 87:5,6。マタイ 25:33,34。フィリピ 3:20。ヘブライ 12:22。

      24 イエスの名は何を表わしていますか。それは忠実な油そそがれたクリスチャンにどのように書き記されますか。

      24 最後に,困難を克服した油そそがれた者たちには,イエスの新しい名が記されます。それはイエスの新しい職責とエホバがイエスに授けられる無類の特権を指しています。(フィリピ 2:9-11。啓示 19:12)その名を知るようになる人はほかにだれもいません。それは,ほかのだれもそのような経験をしない,もしくはそのような特権を託されることがないという意味です。しかし,イエスがご自分の名をご自身の忠実な兄弟たちに書き記される時,それら兄弟たちはあの天の領域でイエスとの親密な関係に入れられ,イエスの種々の特権にさえあずかります。(ルカ 22:29,30)イエスが,「耳のある者は霊が諸会衆に述べることを聞きなさい」という勧めの言葉を繰り返して,そのような油そそがれた者たちに対するご自分の音信を結んでおられるのも,少しも不思議ではありません。―啓示 3:13。

      25 今日,クリスチャンは,イエスがフィラデルフィアの会衆にお与えになった助言の背後にある原則を,どのように各自個人的に当てはめることができますか。

      25 その音信はフィラデルフィアの忠実なクリスチャンにとって,すばらしい励みとなったに違いありません。そして,確かにその音信には今でも,主の日の期間にいるヨハネ級の人たちに対する力強い教訓が含まれています。しかし,その原則は,油そそがれた者,あるいはほかの羊のいずれを問わず,クリスチャン各個人にとって重要です。(ヨハネ 10:16)わたしたちが各々,フィラデルフィアのそれらのクリスチャンが行なったように,王国の実を引き続き生み出すのは良いことです。わたしたちは皆,少なくとも少しの力を持っています。わたしたちは皆,エホバへの奉仕で何かを行なえます。その力をぜひ用いましょう! 増し加えられた王国の特権に関して,わたしたちのために開かれるどんな戸でも入って行けるよう,油断なく気を配っているようにしましょう。わたしたちは,そのような戸を開けてくださるようエホバに祈り求めることさえできます。(コロサイ 4:2,3)わたしたちがイエスの忍耐の手本に従い,その名に対して忠実であることを示すなら,わたしたちもまた,神の聖霊が諸会衆に述べることを聞く耳を持っていることを示せるでしょう。

      [脚注]

      a パウロの時代には,コリントのユダヤ人の会堂の主宰役員ソステネがクリスチャンの兄弟となりました。―使徒 18:17。コリント第一 1:1

      b ヨハネ級の出版する「ものみの塔」誌は,この機会をとらえて,宣べ伝える業にできるだけ十分にあずかるのが緊急な事柄であることを絶えず際立たせてきました。例えば,「ものみの塔」誌,2004年1月1日号の「すべてのものはエホバの栄光を告げ知らせよ」ならびに『その音は全地へ出て行った』と題する記事をご覧ください。2004年6月1日号の「神に栄光を帰する人は祝福される」と題する記事では,「開かれた戸」を通って全時間奉仕に入ることが強調されました。2005年のある月には,そのような奉仕を報告した開拓者は109万3,552人の最高数に達しました。

      c マクリントクとストロング共編,「百科事典」(第10巻,519ページ)はこう伝えています。「キリスト教の信仰が驚くほど普及するのを見た異教の祭司たちにより民衆の間で引き起こされた騒ぎのために,皇帝たちはいやおうなくキリスト教に注目させられ,こうしてトラヤヌス[西暦98-117年]は,人々を神々を憎む者に変えさせた,その新しい教えを徐々に禁止する勅令を出さざるを得なくなった。[ローマ州アジアの北方の国境に接する]ビチニアの総督,小プリニウスは,キリスト教が急速に広まり,その結果同州に住む一般の異教徒が憤りを抱いたために生じた複雑な問題を処理することになった」。

      d ヒゼキヤという名には,「エホバは強めてくださる」という意味があります。「参照資料付き 新世界訳聖書」の列王第二 16章20節の脚注をご覧ください。

  • 『自分が持っているものをしっかり守りつづけなさい』
    啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
    • [63ページの囲み記事]

      身をかがめるよう多くの人々を助ける

      天の王国を受け継ぐことになる,油そそがれた者たち14万4,000人のうち,ヨハネ級の人たち,つまり9,000人足らずの残りの者が地上での歩みをまだ終えていないようです。同時に,大群衆は膨れ上がり,660万人を上回る大勢の集団となりました。(啓示 7:4,9)これほど大きな増加をもたらすのに何が役立ってきましたか。エホバの証人の運営する様々な学校が大いに貢献してきました。世の哲学を教えたり,聖書を見下げたりする,キリスト教世界の神学校とは全く異なり,証人たちのそれらの学校では,神のみ言葉に対する深い信仰が教え込まれます。また,道徳的な清い生活や神に対する献身的な奉仕に関して神のみ言葉を実際に当てはめる方法が示されます。1943年以来,世界中のエホバの証人の会衆は各々地元の王国会館で神権宣教学校を運営してきました。毎週,何百万人もの人々がこの学校に出席し,聖書教育のための一致したプログラムに従って学んでいます。

      1959年以来,エホバの証人は会衆の長老や奉仕の僕たちを訓練するための王国宣教学校をも運営してきました。さらに,1977年以来,開拓奉仕学校では幾十万人もの兄弟姉妹が訓練を受けました。それらの人々は真のフィラデルフィア精神を抱いて,宣べ伝える業で全時間エホバに仕えています。1987年には,世界の野外で特別の割り当てを受ける男子の証人たちのための宣教訓練学校が開設されました。

      エホバの証人の運営する学校の中でも際立っているのは,ものみの塔ギレアデ聖書学校です。1943年以来,ニューヨーク州にある,宣教者のためのこの学校は卒業生を大抵毎年2回送り出してきました。この学校では,7,000人以上のエホバの奉仕者が,外国で宣教者として奉仕するための訓練を受けてきました。同校の卒業生は100以上の国々で奉仕しており,それら多くの場所で王国の業を開始することに尽力してきました。60年余りたちましたが,初期の宣教者の一部は依然として活動しており,エホバの組織の世界的な拡大を促進する業に新しい宣教者たちと共にあずかっています。これは何と驚嘆すべき拡大でしょう。

      [64ページの図表]

      1919年,統治する王イエスはクリスチャンの携わる奉仕のための機会の扉を開かれました。その機会を活用する,献身したクリスチャンの人数は増加してきました。

      音信を 宣べ伝える業に 全時間

      伝えられた あずかった 伝道者の

      年 国や地域 クリスチャンの人数e 人数f

      1918 14 3,868 591

      1928 32 23,988 1,883

      1938 52 47,143 4,112

      1948 96 230,532 8,994

      1958 175 717,088 23,772

      1968 200 1,155,826 63,871

      1978 205 2,086,698 115,389

      1988 212 3,430,926 455,561

      1998 233 5,544,059 698,781

      2005 235 6,390,022 843,234

      [脚注]

      e 上記の数字は月平均です。

      f 上記の数字は月平均です。

      [65ページの図表]

      エホバの証人の活動は心を込めて行なわれてきました。例えば,宣べ伝えたり教えたりするために費やされた時間や人々の家庭で司会された無償の聖書研究の膨大な件数を考えてみてください。

      宣べ伝える業に 司会された

      費やされた時間 聖書研究の件数

      年 (年間合計) (月平均)

      1918 19,116 報告なし

      1928 2,866,164 報告なし

      1938 10,572,086 報告なし

      1948 49,832,205 130,281

      1958 110,390,944 508,320

      1968 208,666,762 977,503

      1978 307,272,262 1,257,084

      1988 785,521,697 3,237,160

      1998 1,186,666,708 4,302,852

      2005 1,278,235,504 6,061,534

  • 火で精錬された金を買いなさい
    啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
    • 13章

      火で精錬された金を買いなさい

      ラオデキア

      1,2 栄光を受けられたイエスからの音信を受け取った七つの会衆のうちの最後の会衆は,どこに位置していますか。その都市には幾つかのどんな特徴がありますか。

      ラオデキアは,復活させられたイエスからの音信を受け取った,七つの会衆のうちの最後の会衆です。しかも,その音信は,何と人を鼓舞し,目をみはらせるような情報を伝えているのでしょう。

      2 今日,アラセヒルの南東約88㌔の所にあるデニズリの近くで,ラオデキアの遺跡が見られます。1世紀当時,ラオデキアは繁栄した都市で,主要道路の交差点に位置していたので,金融と商業の主要な中心地の一つでした。また,広く知られた目薬の売買でその都市の富は増え,さらに同市は上等の黒羊毛を使って地元で作られた上質の衣服でも有名でした。同市の主要な問題の一つは水がないことでしたが,かなり遠い所にある温泉から導管で水を引いて問題を克服しました。ですから,その水は同市に届くころには,すっかり生ぬるくなっていたようです。

      3 イエスはラオデキアの会衆あてのご自分の音信の中で,どのように語り始めておられますか。

      3 ラオデキアはコロサイの近くにありました。使徒パウロはコロサイ人に手紙を書いた時,ラオデキアの人々に書き送った手紙に言及しています。(コロサイ 4:15,16)パウロがその手紙の中でどんなことを書いたかは知るよしもありませんが,イエスが今ラオデキアの人々に送られる音信は,彼らが霊的に悲惨な状態に陥っていることを示しています。けれども,イエスはいつものように,まずご自身の信用証明となるものに言及し,こうお告げになります。「また,ラオデキアにある会衆の使いにこう書き送りなさい。アーメンなる者,忠実で真実な証人,神による創造の初めである者がこのように言う」― 啓示 3:14。

      4 イエスはどうして「アーメンなる者」であられますか。

      4 イエスはどうしてご自身のことを「アーメンなる者」と呼んでおられるのでしょうか。この称号はイエスの音信に法的な重みを加えています。「アーメン」という言葉は,「確かに」,もしくは「そうなるように」という意味のヘブライ語の言葉を翻字したもので,祈りの中で言い表わされた気持ちが真実であることを認めるために祈りの終わりに用いられます。(コリント第一 14:16)イエスは「アーメンなる者」であられます。なぜなら,その非の打ちどころのない忠誠と犠牲の死は,エホバの貴重な約束すべてが成就することを確証し,保証するものとなったからです。(コリント第二 1:20)その時以来,祈りはすべてイエスを通して正しくエホバにささげられています。―ヨハネ 15:16; 16:23,24。

      5 イエスはどんな点で「忠実で真実な証人」であられますか。

      5 イエスはまた,「忠実で真実な証人」でもあられます。イエスのことは預言の中ではしばしば,忠実,真実,および義と結びつけて考えられています。というのは,イエスはエホバ神の僕として完全に信頼できる方であられるからです。(詩編 45:4。イザヤ 11:4,5。啓示 1:5; 19:11)イエスはエホバのための最も偉大な証人であられます。実際,イエスは「神による創造の初めである者」として,まさに最初から神の栄光を明らかにされました。(箴言 8:22-30)人間として地上におられたイエスは,真理について証しをされました。(ヨハネ 18:36,37。テモテ第一 6:13)イエスは復活させられた後,弟子たちに聖霊を約束して,こうお告げになりました。「あなた方は……エルサレムでも,ユダヤとサマリアの全土でも,また地の最も遠い所にまで,わたしの証人となるでしょう」。西暦33年のペンテコステ以降,イエスは「天下の全創造物の中で」良いたよりを宣べ伝えるよう,それら油そそがれたクリスチャンを導かれました。(使徒 1:6-8。コロサイ 1:23)確かに,イエスは忠実で真実な証人と呼ばれるに値する方です。ラオデキアの油そそがれたクリスチャンがイエスの言葉に耳を傾けるなら,益を受けられます。

      6 (イ)イエスはラオデキアの会衆の霊的な状態をどのように描写しておられますか。(ロ)ラオデキアのクリスチャンはイエスのどんな立派な模範に従い損ないましたか。

      6 イエスはラオデキアの人たちに対してどんな音信を持っておられますか。褒め言葉は持っておられません。イエスは彼らに率直にこうお告げになります。「わたしはあなたの行ないを知っている。あなたは冷たくも熱くもない。わたしは,あなたが冷たいか熱いかのどちらかであってくれればと思う。このように,あなたがなまぬるく,熱くも冷たくもないので,わたしはあなたを口から吐き出そうとしている」。(啓示 3:15,16)あなただったら,主イエス・キリストからのこのような音信にどのようにこたえ応じたでしょうか。目覚めて,自分自身を吟味したのではないでしょうか。確かに,ラオデキアの人たちは自ら奮起する必要があります。というのは,彼らは物事を余りにも当たり前と考えたためと思われますが,霊的に怠惰になったからです。(コリント第二 6:1と比較してください。)彼らがクリスチャンとして見倣うべきであったイエスは,エホバとエホバへの奉仕に対する燃えるような熱意を常に表わしておられます。(ヨハネ 2:17)さらに,柔和な人たちは,イエスが常に優しくて,温和で,うだるように暑い日の一杯の冷たい水のようにさわやかな方であることも知っています。(マタイ 11:28,29)しかし,ラオデキアのクリスチャンは熱くも冷たくもありません。彼らの都市に流れて来る水のように,微温で,生ぬるくなっています。彼らはイエスから完全に退けられ,つまり『口から吐き出され』てしまいそうです! わたしたちも,イエスがなさったように,他の人を霊的にさわやかにするものを提供するよう,常に熱心に努力できますように。―マタイ 9:35-38。

      『あなたは,「わたしは富んでいる」と言う』

      7 (イ)イエスはラオデキアのクリスチャンの問題の根本的な原因が何かをどのように明らかにしておられますか。(ロ)イエスはどうして,ラオデキアのクリスチャンが「盲目で,裸である」と述べておられるのでしょうか。

      7 ラオデキアの人たちの問題の根本的な原因は実際,何でしょうか。それはイエスの述べておられる次の言葉からよく分かります。「あなたは,『わたしは富んでおり,富を得たのだから,何一つ必要なものはない』と言いながら,自分が惨めで,哀れで,貧しく,盲目で,裸であることを知らない」。(啓示 3:17。ルカ 12:16-21と比較してください。)彼らは裕福な都市に住んでいるため,自分たちの富ゆえに自信に満ちているように感じています。恐らく,彼らは生活の仕方の面で大競技場や劇場や体育場などの影響を受けて,「神を愛するより快楽を愛する者」となっているようです。a (テモテ第二 3:4)しかし,ラオデキアの人たちは物質的には富んでいますが,霊的には貧困に陥っています。彼らは『天に宝を蓄えている』にしても,それはごくわずかです。(マタイ 6:19-21)彼らは目を純一に保って,神の王国のことを生活の中で第一にしてはいません。ですから,実際には闇の中におり,盲目で,霊的な未来像を持っていません。(マタイ 6:22,23,33)その上,彼らは物質上の富を使って購入したのかもしれない上等の服を着ているにもかかわらず,イエスの目には裸同然です。彼らには自分たちのクリスチャンとしての身分を証明する霊的な衣がありません。―啓示 16:15と比較してください。

      8 (イ)ラオデキアで生じたような状況が今日でもどのように存在していますか。(ロ)一部のクリスチャンはこの貪欲な世の中で,どのように自分を欺いてきましたか。

      8 何というひどい状態でしょう。しかし今日,同様の状況がしばしば見られるのではありませんか。根本的な原因は何でしょうか。それは物質上の所有物や人的資源に依存することから来る自己過信の態度です。エホバの民の中の一部の人たちは,キリスト教世界の教会に通う人々のように,ただ時々集会に出席しさえすれば,神を喜ばせることができると考えて,自分を欺いてきました。それらの人は,ただしるし程度に「み言葉を行なう者」となるだけで,うまくやってゆこうとします。(ヤコブ 1:22)彼らはヨハネ級の人たちから繰り返し警告されているにもかかわらず,専ら流行の服や車や家に,またレクリエーションや快楽を中心とした生活に心を用いています。(テモテ第一 6:9,10。ヨハネ第一 2:15-17)そのようなことは皆,霊的な知覚力を鈍くさせる結果を招きます。(ヘブライ 5:11,12)そのような人たちは気乗りのしない,生ぬるい態度を取る代わりに,「霊の火」を再び燃え立たせ,『み言葉を宣べ伝える』ために,人をさわやかにする熱意を示す必要があります。―テサロニケ第一 5:19。テモテ第二 4:2,5。

      9 (イ)生ぬるいクリスチャンはイエスのどんな言葉に,きっとがく然とさせられますか。それはどうしてですか。(ロ)会衆は,さまよっている「羊」をどのように助けられるでしょうか。

      9 イエスは生ぬるいクリスチャンをどう見ておられますか。そのような人たちは,「[あなたは]自分が惨めで,哀れで,貧しく,盲目で,裸であることを知らない」というイエスの率直な言葉に,きっとがく然とさせられることでしょう。それらの人は自分自身の恐るべき状態をさえはっきりと理解できないほど良心が無感覚になっています。(箴言 16:2; 21:2と比較してください。)会衆のこのような重大な状態を軽々しく扱うことはできません。長老や長老から割り当てを受けた他の人たちは,熱心さの立派な模範を示したり,愛をこめて牧したりして,心をこめた奉仕でかつて味わった喜びを取り戻せるよう,それらさまよっている「羊」を目覚めさせることができるかもしれません。―ルカ 15:3-7。

      「富んだ者となる」ための助言

      10 イエスがご自分から買い求めるようラオデキアのクリスチャンに命じておられる「金」とは何ですか。

      10 ラオデキアの悲しむべき事態を直す方法がありますか。もし,そのようなクリスチャンが,「わたしはあなたが,富んだ者となるために火で精錬された金を……買うように忠告する」というイエスの助言に従うならば,方法はあります。(啓示 3:18[前半])火で精錬されて不純物のすべて除去された,キリスト教で真の「金」とみなされるものを得る人は,『神に対して富む』ことになります。(ルカ 12:21)そのような金はどこで買えますか。地元の銀行家からではなく,イエスから買えます! 使徒パウロは,『善を行ない,りっぱな業に富み,惜しみなく施し,進んで分け合い,自分のため,将来に対するりっぱな土台を安全に蓄える』よう裕福なクリスチャンに命令を与えることをテモテに命じて,その金がどういうものかを説明しました。(テモテ第一 6:17-19)物質的に富んでいたラオデキアの人たちは,パウロの忠告に従って,霊的に富んだ者となるべきでした。―箴言 3:13-18もご覧ください。

      11 「火で精錬された金」を買った人たちの現代のどんな実例がありますか。

      11 「火で精錬された金」を買った現代の実例がありますか。確かにあります! 主の日が近づいていたころでさえ,聖書研究者の小さな群れは,三位一体,霊魂不滅,地獄の火による責め苦,幼児洗礼,(十字架やマリアの像を含む)種々の像の崇拝など,キリスト教世界のバビロン的な多くの教えの偽りに気づいていました。聖書の真理を擁護する,それらのクリスチャンは,人類の唯一の望みであるエホバの王国や救いのための基盤であるイエスの贖いについてふれ告げました。彼らは1914年よりおよそ40年も前に,その年が異邦人の時の終わりとして聖書預言の中でしるし付けられていた年であり,それに伴って地上で驚くべき事態が進展する,ということを指摘しました。―啓示 1:10。

      12 目覚めたクリスチャンの間で率先して事を進めた人たちの一人はだれですか。その人はどのように宝を天に蓄える顕著な模範を残しましたか。

      12 それら目覚めたクリスチャンの間で率先して事を進めていたのは,1870年代の初めに米国ペンシルバニア州アレゲーニー(現在のピッツバーグ市の一部)で聖書研究のクラスを組織したチャールズ・テイズ・ラッセルでした。ラッセルは真理を探究し始めた当時,父親と共同で事業を経営し,百万長者になろうとしていました。ところが,ラッセルはそのチェーンストアの事業の利権を売り払い,神の王国を全地でふれ告げる業の資金調達の一助として私財を費やしました。1884年,ラッセルは今日,ペンシルバニア州のものみの塔聖書冊子協会として知られる法人団体の初代会長となりました。1916年,米国西部での最後の伝道旅行で力を使い果たしたラッセルは,テキサス州パンパの近くで,ニューヨークへの帰途の列車の中で死去し,霊的な宝を天に蓄える顕著な模範を残しました。現代の自己犠牲の精神に富む何十万人もの開拓奉仕者は,その模範に従っています。―ヘブライ 13:7。ルカ 12:33,34。コリント第一 9:16; 11:1と比較してください。

      霊的な目薬を塗る

      13 (イ)ラオデキアの状態は霊的な目薬でどのように改善できるでしょうか。(ロ)イエスはどのような衣を勧めておられますか。それはどうしてでしょうか。

      13 イエスはまた,ラオデキアの人たちを次のように厳しく諭しておられます。「身にまとってあなたの裸の恥が現われないようにするために白い外衣を,そして見えるようになるため自分の目に塗る目薬をわたしから買うように忠告する」。(啓示 3:18[後半])それらの人たちは,地元の治療者ではなく,ただイエスのみが提供できるような治癒力のある目薬を買って,霊的な盲目を治すよう努力すべきでしょう。そうすれば,神のご意志を行なうことに焦点を合わせた輝く目をもって,「義なる者たちの道筋」を歩むのに役立つ霊的な識別力を得るよう助けられます。(箴言 4:18,25-27)そのようにして,ラオデキアの地元で作られた黒羊毛の高価な衣ではなく,イエス・キリストの追随者として特権を与えられた自分たちの身分を公に示す「白い外衣」を着ることができるでしょう。―テモテ第一 2:9,10; ペテロ第一 3:3-5と比較してください。

      14 (イ)1879年以来,どんな霊的な目薬が入手できるようになりましたか。(ロ)エホバの証人を財政的に支持する究極の源となってきたのは何ですか。(ハ)エホバの証人は寄付の使い方の点で,ほかの人たちとどのように異なっていますか。

      14 現代でも霊的な目薬は入手できますか。確かに入手できます! 1879年,ラッセル師という愛称で呼ばれていた彼は,真理を擁護するため,今日,「エホバの王国を告げ知らせるものみの塔」として世界中で知られている雑誌を発行し始めました。同誌の第2号の中で,ラッセルは次のように宣言しました。「[当誌]はエホバがその支持者であるとわたしたちは信じる。そうであるかぎり,この雑誌は人間に支持を乞い求めたり,懇願しようとはしない。『山々の金と銀はみな我がものである』と言われる方が必要な資金を供給しないなら,それは出版を中止する時である,とわたしたちは考える」。テレビに出る一部の福音伝道師たちは,莫大な財産を築き,恥ずかしげもなく(時には不道徳で)ぜいたくな生活をしてきました。(啓示 18:3)それとは対照的に,今日,エホバの証人として知られる聖書研究者たちは,懇請することなく受け取る寄付すべてを,到来するエホバの王国の世界的な宣べ伝える業を組織し,促進するために用いてきました。ヨハネ級の人たちは,2006年に合計発行部数5,900万部を超えた「ものみの塔」,ならびに「目ざめよ!」両誌の出版を,今日に至るまで導いてきました。「ものみの塔」誌は約150の言語で入手できます。同誌は,このような霊的な目薬を塗って,偽りの宗教や,あらゆる国民の中で良いたよりを宣べ伝える緊急な業に対して目を開かれた600万人以上のクリスチャンの会衆の正式な機関誌です。―マルコ 13:10。

      戒めと懲らしめから益を受ける

      15 イエスはどうしてラオデキアのクリスチャンに強い助言をお与えになるのでしょうか。会衆はその助言にどのように反応すべきでしょうか。

      15 ラオデキアの人たちに話を戻しましょう。彼らはイエスの厳しい助言にどのように応じるでしょうか。落胆して,イエスはもはや自分たちをご自分の追随者として欲してはおられないと考えるようになるでしょうか。いいえ,決してそうではありません。その音信はこう続いています。「すべてわたしが愛情を抱く者を,わたしは戒め,また懲らしめる。それゆえ,熱心になり,そして悔い改めなさい」。(啓示 3:19)エホバからの懲らしめと同様,イエスの懲らしめもその愛のしるしです。(ヘブライ 12:4-7)ラオデキアの会衆はイエスの愛情のこもった配慮を生かして,その助言を当てはめるべきです。そして,自分たちの生ぬるさが罪を犯す行為に匹敵することを認めて,悔い改めるべきです。(ヘブライ 3:12,13。ヤコブ 4:17)彼らの長老たちには,物質主義的な生き方を後にして,神から受けている賜物を「火のように燃え立たせる」ようにさせましょう。霊的な目薬が効果を発揮して,会衆内のすべての人が冷たい湧き水を一杯飲み干す時のようなさわやかさを見いだせるようにしましょう。―テモテ第二 1:6。箴言 3:5-8。ルカ 21:34。

      16 (イ)イエスの愛と愛情は,今日,どのように示されていますか。(ロ)もし強い助言を受けたなら,わたしたちはどのように反応すべきでしょうか。

      16 今日のわたしたちについてはどうですか。イエスは相変わらず,「世にあるご自分の者たちを愛して」おられます。そして,「事物の体制の終結の時までいつの日も」そうしてくださいます。(ヨハネ 13:1。マタイ 28:20)その愛と愛情は,現代のヨハネ級の人たち,ならびにクリスチャン会衆内の星,つまり長老たちを通して示されています。(啓示 1:20)今のこの非常に苦しい時代に,長老たちは,老若を問わず,わたしたちすべてが独立心や物質主義に根ざす貪欲や世の道徳上の汚れに抵抗して,神権的な囲いの境界内にとどまるよう助けることに深い関心を抱いています。もし,時々強い助言,あるいは懲らしめを受けるなら,『懲らしめの戒めは命の道である』ことを思い起こしましょう。(箴言 6:23)わたしたちはすべて不完全ですから,必要に応じて努めて悔い改め,再調整を施してもらい,神の愛のうちにとどまれるようにすべきでしょう。―コリント第二 13:11。

      17 富はわたしたちにとってどうして危険なものとなり得ますか。

      17 物質主義や富のために,あるいは富がないからと言って,生ぬるくなってはなりません。富は奉仕を行なう新たな可能性の扉を開くのに役立つ一方,危険なものともなり得ます。(マタイ 19:24)裕福な人は時々相当高額の寄付をしさえすれば,ほかの人々のように宣べ伝える業に熱心でなくてもよいと思うかもしれません。あるいは,富んでいるゆえに好意を受ける資格があると思うかもしれません。その上,ほかの人々は余裕がなくてできないのに,裕福な人なら行なえる楽しみや娯楽は少なくありません。しかし,そのような気晴らしをするには時間がかかるので,不注意な人たちはクリスチャンの宣教に携わることから遠ざかるようになり,こうして思慮深さに欠ける人は生ぬるくなるかもしれません。わたしたちはそのようなわなをすべて避け,永遠の命を目指して「骨折って働き,また努力し」続けられますように。―テモテ第一 4:8-10; 6:9-12。

      「晩さんを共にする」

      18 イエスはラオデキアのクリスチャンの前にどんな機会を置かれましたか。

      18 イエスはさらにこうお告げになります。「見よ,わたしは戸口に立ってたたいている。わたしの声を聞いて戸を開けるなら,わたしはその者の家に入って彼と,そして彼はわたしと晩さんを共にするであろう」。(啓示 3:20)もし,ラオデキアのクリスチャンがイエスを自分たちの会衆に歓迎しさえすれば,確かにイエスは生ぬるさを克服するよう彼らを助けてくださるでしょう!―マタイ 18:20。

      19 ラオデキアの会衆と晩さんを共にすることを約束なさるイエスは,何を示唆しておられるのでしょうか。

      19 ラオデキアの人たちは晩さんに言及しておられるイエスの言葉から,イエスが弟子たちと食事をした時のことを思い起こさせられます。(ヨハネ 12:1-8)そのような時にはいつも,居合わせた人たちに霊的な祝福がもたらされました。同様に,イエスは復活させられた後,ご自分の弟子たちと共に居合わせて食事をし,弟子たちを大いに強められた,注目に値する機会が何度かありました。(ルカ 24:28-32。ヨハネ 21:9-19)ですから,ラオデキアの会衆に来て,弟子たちと晩さんを共にすると約束しておられるイエスは,彼らから迎えられさえすれば,豊かな霊的な益を彼らにもたらすことを約束しておられるのです。

      20 (イ)主の日の初めごろ,キリスト教世界の生ぬるさは,どんな結果を招きましたか。(ロ)イエスはキリスト教世界をどのように裁かれましたか。

      20 ラオデキアの人たちに対するイエスの愛ある訓戒は,今日残っている油そそがれたクリスチャンにとって重大な意味を持っています。その一部の人たちは,主の日が始まったころ,キリスト教世界の宗教家たちが驚くほど生ぬるかったことを覚えています。同世界の僧職者は,1914年に戻られた,わたしたちの主を歓迎する代わりに,第一次世界大戦の大量殺りくに巻き込まれました。しかも,28か国の交戦国のうち24か国はキリスト教を奉じていると称する国々でした。それら僧職者の血の罪は何と大きいのでしょう。それに,これまた大方キリスト教世界で戦われた第二次世界大戦中,偽りの宗教の罪は再び,「重なり加わって天に達し」ました。(啓示 18:5)その上,僧職者たちは国際連盟,国際連合,ならびに国家主義的な革命運動などを支持して,到来するエホバの王国に背を向けましたが,そのいずれも人類の諸問題を解決できるものではありません。イエスが僧職者たちに不利な裁きを下し,ちょうど漁師が網にかかった不適当な魚を捨てるように彼らを捨てて退けてから,もう久しくなります。今日のキリスト教世界の諸教会の惨めな状態は,同世界がそのような裁きを受けたことを証明しています。同世界の最終的な運命が,まさしくわたしたちに対する警告となりますように!―マタイ 13:47-50。

      21 1919年以来,真の会衆のクリスチャンはラオデキアのクリスチャンに対するイエスの言葉に,どのようにこたえ応じてきましたか。

      21 人を元気づけるほど熱くもなければ,さわやかにするほど冷たくもない飲み物のような生ぬるい人は,個人的には真の会衆の中にさえいるものです。しかし,イエスは依然としてご自分の会衆を温かく愛しておられます。イエスは親切なもてなしをもってこたえ応ずるクリスチャンに対してご自身を役立たせてくださいます。それで,多くの人々は晩さんにでも迎えるかのように,イエスを歓迎してきました。その結果,1919年以来,それらの人たちの目は聖書預言の意味を理解するよう開かれ,たくさんの啓発を受ける時期を喜びをもって過ごしてきました。―詩編 97:11。ペテロ第二 1:19。

      22 イエスは将来のどんな晩さんのことをも念頭に置かれたかもしれませんか。だれがそれに共にあずかりますか。

      22 ラオデキアの人たちに語りかけた際,イエスはほかの晩さんのことをも念頭に置かれたかもしれません。啓示の書の後の方に,「子羊の結婚の晩さんに招かれた者たちは幸いである」と記されています。これは,神が偽りの宗教に対して裁きを執行なさった後に行なわれる,エホバをたたえる堂々たる勝利の宴です。これはキリストとその14万4,000人の完成した花嫁が天であずかる宴です。(啓示 19:1-9)あの古代のラオデキア会衆の反応の敏感な成員たち ― そうです,それに正真正銘の油そそがれたクリスチャンとしての身分を示す清い衣を着ている,今日のキリスト・イエスの忠実な兄弟たち ― すべては,その晩さんで自分たちの花婿と共にごちそうを頂きます。(マタイ 22:2-13)これは,熱心になり,そして悔い改めるように励ます,何と強力な誘因でしょう。

      征服する人たちのための王座

      23,24 (イ)イエスはそれ以上のどんな報いについて話しておられますか。(ロ)イエスはメシアなるご自分の王座にいつ座られましたか。自称クリスチャンに対する裁きをいつ開始されましたか。(ハ)イエスはご自分の死を思い起こす記念式を設けた時,弟子たちにどんな驚くべき約束をなさいましたか。

      23 イエスはそれ以上の報いについてこう話されます。「征服する者には,わたしと共にわたしの座に座することを許そう。わたしが征服して,わたしの父と共にその座に座したのと同様である」。(啓示 3:21)詩編 110編1,2節のダビデの言葉の成就として,世を征服して忠誠を保たれたイエスは,西暦33年に復活させられ,み父と共にその天の王座に座るよう高められました。(使徒 2:32,33)もう一つの重大な年である1914年に,イエスは王ならびに裁き主として,メシアなるご自分の王座に座るため,到来されました。その裁きは1918年に自称クリスチャンから始められたようです。その時以前に亡くなった,油そそがれた征服者たちはその時,復活させられ,イエスとその王国で一緒になります。(ペテロ第一 4:17)イエスはご自分の死を思い起こす記念式を設けた時,このことを約束して,弟子たちにこう言われました。「わたしは,ちょうどわたしの父がわたしと契約を結ばれたように,あなた方と王国のための契約を結び,あなた方がわたしの王国でわたしの食卓について食べたり飲んだりし,また座に着いてイスラエルの十二部族を裁くようにします」― ルカ 22:28-30。

      24 「再創造」の際,統治しておられるその王と共に座し,イエスの完全な犠牲に基づいて,従順な人類の世をエデンのような完全な状態に引き上げる業にイエスと共にあずかるのは,何という驚くべき割り当てなのでしょう。(マタイ 19:28; 20:28)ヨハネがわたしたちに教えているように,イエスは征服する人たちを「ご自分の神また父に対して王国とし,祭司として」,エホバご自身の壮大な天の王座の周りの座を占めさせてくださいます。(啓示 1:6; 4:4)油そそがれた者,あるいはパラダイスを回復する業にあずかることを望む新しい地の社会の者のいずれを問わず,わたしたちは皆,ラオデキアの人たちに対するイエスの言葉を本当に心に銘記しましょう。―ペテロ第二 3:13。使徒 3:19-21。

      25 (イ)これまでの音信と同様,イエスはラオデキアにあてたご自分の音信をどのように結んでおられますか。(ロ)今日,クリスチャンはラオデキアの会衆に対するイエスの言葉に個人個人どのようにこたえ応じるべきでしょうか。

      25 これまでの音信と同様,イエスは,「耳のある者は霊が諸会衆に述べることを聞きなさい」という訓戒の言葉でこの手紙を結んでいます。(啓示 3:22)今や終わりの時も相当経過しました。わたしたちの周りのすべての証拠は,愛に関する限り,キリスト教世界が冷えていることを示しています。それとは対照的に,わたしたちは真のクリスチャンとして,ラオデキアの会衆に対するイエスの音信に,そうです,諸会衆に対するわたしたちの主の七つの音信すべてに熱心にこたえ応じられますように。現代に関して,「そして,王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」と言われたイエスの偉大な預言の成就の一端に精力的にあずかることにより,熱心にこたえ応ずることができます。―マタイ 24:12-14。

      26 イエスはいつ再びヨハネに直接話されますか。とはいえ,イエスは何に参加されますか。

      26 七つの会衆に対するイエスの助言はこれで終わります。啓示の書の中で,イエスは最後の章に至るまでヨハネとは二度と話しませんが,多くの幻に,例えば,エホバの裁きを執行することなどに関与されます。では,今,ヨハネ級の人たちに加わって,主イエス・キリストが明らかにしておられる,注目すべき第2の幻を調べてみましょう。

      [脚注]

      a これらの場所は,ラオデキアの遺跡を発掘した考古学者により掘り出されてきました。

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