ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • あなたの名は命の書の中にありますか
    啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
    • 11章

      あなたの名は命の書の中にありますか

      サルデス

      1 サルデスの会衆にはどんな霊的な状態が見られますか。イエスはその音信をどのように語り始められますか。

      アキサル(テアテラ)の南48㌔ほどの所に,栄光を受けられたイエスからの音信を受ける次の会衆があります。それはサルデスです。西暦前6世紀当時,この都市は古代リュディア王国の誇り高い首都で,莫大な富を得たクロイソス王の王宮の所在地でした。ヨハネの時代には,その王国はすでに不幸な目に遭って,クロイソス治下の昔の栄華は単なる歴史の物語となっていました。同様に,その地のクリスチャンの会衆は霊的に疲へいしていました。イエスは初めて褒め言葉を用いずにその音信を述べておられます。「また,サルデスにある会衆の使いにこう書き送りなさい。神の七つの霊と,七つの星を持つ者がこのように言う。『わたしはあなたの行ないを知っている。あなたは生きているとの名を持ってはいるが,実は死んでいるのである』」― 啓示 3:1。

      2 (イ)サルデスのクリスチャンにとって,イエスが「七つの霊」を持っておられるということにはどんな重要な意味がありますか。(ロ)サルデス会衆はどんな評判を得ていましたか。しかし,事実はどうでしたか。

      2 イエスはどうしてご自分が『七つの霊を持つ者』であることを明らかにしておられるのでしょうか。なぜなら,それらの霊は十分に流れるエホバの聖霊を表わしているからです。後日,ヨハネはそれらの霊のことを「七つの目」と述べて,神の聖霊によりイエスに授けられる鋭い洞察力を示唆しています。(啓示 5:6)ですから,イエスは,存在し得るどんな状況をも明らかにし,扱うことがおできになります。(マタイ 10:26。コリント第一 4:5)サルデスの会衆は生き生きとして活発であるという評判を得ていますが,イエスはその会衆が霊的には死んでいるのを見抜くことがおできになります。明らかに,その成員の大半は,クリスチャンになる以前の状態と同様の無関心な態度に陥っていました。―エフェソス 2:1-3; ヘブライ 5:11-14と比較してください。

      3 (イ)「サルデスにある会衆の使い」は,イエスが「七つの星」を持っておられるという事実にどうして特に注意すべきですか。(ロ)イエスはどんな強い助言をサルデスの会衆にお与えになりますか。

      3 イエスはまた,ご自分が「七つの星」を持つ者であることを「サルデスにある会衆の使い」に思い起こさせておられます。イエスは会衆のそれら長老たちをご自分の右手に持ち,牧羊の業で長老たちを指導する権威を持っておられます。長老たちは『羊の群れの様子をはっきり知る』ことに心を用いるべきです。(箴言 27:23)ですから,長老たちはイエスの次の言葉に注意深く耳を傾けてください。「油断なく見張っていなさい。今にも死ぬ状態にあった残りのものを強めなさい。わたしは,あなたの行ないがわたしの神の前で十分になされたのを見ていないからである。それゆえ,あなたがどのように受けてきたか,またどのように聞いたかを思いにとどめ,それを守りつづけ,そして悔い改めなさい。あなたが目ざめないなら,必ずわたしは盗人のように来る。そしてあなたは,わたしがどの時刻にあなたのもとに来るかを全く知らないであろう」― 啓示 3:2,3。

      4 ペテロの言葉は,サルデスの会衆にとって『残りのものを強める』のにどのように役立ちましたか。

      4 サルデスの長老たちは,真理を学んだ時に最初に抱いた喜びと,その時に受けた祝福を思い起こす必要があります。ところが今や,彼らは霊的な活動の点では死んでいます。信仰の業が欠けているため,その会衆のともしびは消えようとしています。何年も前,使徒ペテロは,クリスチャンが受け入れて,ヨハネの幻の七つの霊によって表わされている,「天から送られた聖霊をもって」ふれ告げられていた,輝かしい良いたよりに対する認識を高めさせるため,(恐らくサルデスを含め)アジアの諸会衆に手紙を書き送りました。ペテロはまた,それらアジアのクリスチャンは,『選ばれた種族,王なる祭司,聖なる国民,特別な所有物となる民であり,それは,闇からご自分の驚くべき光の中に呼び入れてくださった方の卓越性を広く宣明するため』であることを彼らに思い起こさせました。(ペテロ第一 1:12,25; 2:9)このような霊的な真理について思い巡らせば,サルデスの会衆は悔い改めて,『残りのものを強める』よう助けられます。―ペテロ第二 3:9と比較してください。

      5 (イ)サルデスのクリスチャンの抱いていた認識はどうなりましたか。(ロ)もし,サルデスのクリスチャンがイエスの助言にこたえ応じないなら,どうなりますか。

      5 今では,真理に対する彼らの認識や愛はほとんど消えかけている火のようです。ほんのわずかの残り火だけが燃え続けています。イエスは彼らがその炎をあおいで,火を燃え立たせ,怠慢になったために陥った罪を悔い改めて,もう一度霊的に生き生きとした会衆になるよう励ましておられます。(テモテ第二 1:6,7と比較してください。)もし,そうならないなら,イエスが裁きを執行するため ―「盗人のように」― 突然に来られる時,サルデスの会衆は不意をつかれることになるでしょう。―マタイ 24:43,44。

      「盗人のように」来られる

      6 1918年にイエスはどのように「盗人のように」来られましたか。イエスはその追随者であると称する人々の間にどんな状況を見いだされましたか。

      6 「盗人のように」来られるというイエスの警告は,現代にまで及んでいます。それは,特に主の日に生き残っているクリスチャンに当てはまります。1914年のすぐ後に,次のようなマラキの預言が成就しました。「『あなた方の求める,まことの主がその神殿に突然に来る。そして,あなた方の喜ぶ契約の使者が。見よ,その者は必ず来る』と,万軍のエホバは言われた」。(マラキ 3:1。啓示 1:10)「契約の使者」であられるイエスは,ご自分の追随者であると主張していた人たちを検閲し,裁くために来られました。(ペテロ第一 4:17)その時,つまり1918年に,キリスト教世界は第一次世界大戦の流血行為に巻き込まれ,霊的に言って完全に死んでいました。同大戦以前に大変熱心に宣べ伝える業にあずかっていた真のクリスチャンでさえ,霊的な眠気に襲われた時期を過ごしました。彼らの著名な長老たちの何人かは投獄され,宣べ伝える活動はほとんど止まりました。翌年,エホバの霊がそれらのクリスチャンを目覚めさせた時,皆が用意ができていたわけではありませんでした。中には,イエスのたとえ話の愚かな処女たちのように,エホバに仕える特権にあずかる霊的な備えができていない人たちもいました。しかし幸いにも,思慮深い処女たちのように,「ずっと見張っていなさい。あなた方は,その日もその時刻も知らないからです」というイエスの警告に留意していた人たちは,少なくありませんでした。―マタイ 25:1-13。

      7 今日,クリスチャンはどうして目覚めていなければなりませんか。

      7 主の日の初めごろ,クリスチャンが油断なく見張っている必要がなくなったわけではありません。イエスは「これらのすべてのものが終結に至るように定まった時のしるし」に関する,その偉大な預言の中で,次のような強力な警告をお与えになりました。「その日または時刻についてはだれも知りません。……ずっと見ていて,目を覚ましていなさい。あなた方は,定められた時がいつかを知らないからです。しかし,わたしがあなた方に言うことは,すべての者に言うのです。ずっと見張っていなさい」。(マルコ 13:4,32,33,37)そうです,まさしく今でさえ,油そそがれた者,または大群衆のいずれであれ,わたしたちは各々油断なく見張っていて,知らず知らずに霊的な眠りに陥らないよう闘う必要があります。エホバの日が,「夜の盗人のように」来る時,わたしたちは有利な裁きを受けられるよう,十分目覚めている状態でありますように。―テサロニケ第一 5:2,3。ルカ 21:34-36。啓示 7:9。

      8 今日,ヨハネ級の人たちは,霊的に生き生きとした状態を保つよう神の民をどのように鼓舞してきましたか。

      8 今日,ヨハネ級の人たちは,霊的に生き生きとした状態を保つよう神の民を鼓舞する必要があることに気づいています。そのために,地上の至る所で毎年数回,特別の集まりが取り決められています。最近のある年には,2,981か所で開かれた地域大会に合計1,095万3,744人が出席し,新たに信仰を抱いた人々が12万2,701人バプテスマを受けました。ヨハネ級の人たちは100年以上にわたり,エホバのみ名と目的を告げ知らせるため,「ものみの塔」誌を用いてきました。二度の世界大戦で厳しい迫害を受けたことに対応して,「ものみの塔」誌は,「恐れなき者は幸いである」(1919年),「活動への招き」(1925年),ならびに「迫害の敗北」(1942年)などの記事で,熱意を新たにするようエホバの証人を奮起させました。

      9 (イ)クリスチャンは皆,いつもどんなことを自問してみるべきですか。(ロ)「ものみの塔」誌は,どんな励ましを与えてきましたか。

      9 サルデスの場合と同様,今日の諸会衆でも,絶えず自己吟味することはどのクリスチャンにとっても肝要です。わたしたちは皆,いつも次のように自問してみるべきです。わたしの『行ないはわたしの神のみ前で十分になされた』だろうか。ほかの人々を裁かずに,わたし個人は自己犠牲の精神を培い,神に対して魂を込めた奉仕を行なうよう努力しているだろうか。この点に関連して,「ものみの塔」誌は,「自分自身がどんなものであるかを絶えず吟味しなさい」あるいは「もはや自分のために生きない」というようなテーマを取り上げて論じ,励ましを与えてきました。a このような聖書的な助けを得て,エホバのみ前で謙遜に,また祈りを込めて忠誠を保って歩むように努めながら,内奥の自分を深く探りましょう。―詩編 26:1-3; 139:23,24。

      「少数の名」

      10 イエスはサルデスの会衆のどんな励みとなる特色に注目なさいましたか。このことはわたしたちにどのような影響を与えるはずですか。

      10 イエスがサルデスの会衆に対して次に語られた言葉は,たいへん励みの多いものです。こうお告げになります。「とはいえ,サルデスのあなたのところには,自分の外衣を汚さなかった少数の名があるにはある。彼らは白い外衣を着てわたしと共に歩くであろう。それにふさわしい者だからである。征服する者はこのようにして白い外衣で身を装うのである。そしてわたしは彼の名を命の書から決して塗り消さず,わたしの父の前またそのみ使いたちの前で彼の名を認める」。(啓示 3:4,5)これらの言葉はわたしたちを奮起させ,忠実を保つ決意を強めさせるものではありませんか。長老団の怠慢のために,会衆全体が深い霊的な眠りに陥るかもしれません。しかし会衆には,勇敢にもクリスチャンとしての身分を個人的に純正で汚点のないものに保って,エホバとの間で良い名を引き続き保とうと努める人が何人かいるかもしれません。―箴言 22:1。

      11,12 (イ)大規模な背教が起きた期間中でさえ,ある人々はサルデスのそれら忠実な「少数の名」のように,どのように努力してきたに違いありませんか。(ロ)主の日の期間中,小麦のようなクリスチャンには,どんな救済がもたらされましたか。

      11 そうです,それらの「外衣」は当人のクリスチャンとしての義にかなった身分を指しています。(啓示 16:15; 19:8と比較してください。)大多数の人たちが無関心になっているにもかかわらず,「少数の名」,つまりサルデスの少数の油そそがれたクリスチャンが依然としてそのような身分を首尾よく保っていることを知るのは,イエスにとって心温まる事柄であるに違いありません。同様に,大規模な背教が起きた,何世紀にもわたる長い期間,自称クリスチャンは偽りの宗教の世界帝国である大いなるバビロンに飲み込まれましたが,不利な状況にもかかわらずエホバのご意志を個人的に行なおうと努力した少数の人々が常にいたに違いありません。それらの人々はおびただしい分派的な雑草の中に隠されていた小麦のような義にかなった人たちでした。―啓示 17:3-6。マタイ 13:24-29。

      12 イエスは「事物の体制の終結の時までいつの日も」それら小麦のようなクリスチャンと共にいてくださると約束なさいました。イエスはそれらのクリスチャンがだれで,どんな良い名を得たかをご存じです。(マタイ 28:20。伝道の書 7:1)主の日が始まったころ,なお生きていたそれら忠実な「少数の」人たちの喜びを想像してみてください! 彼らはついに,霊的に死んでいたキリスト教世界から分けられ,スミルナの会衆のような義にかなった会衆に集められたのです。―マタイ 13:40-43。

      13 『自分の外衣を汚さない』油そそがれたクリスチャンには,どんな祝福が用意されていますか。

      13 サルデスの人たちで,終わりまで忠実を保ち,クリスチャンとしての身分を汚さない人々は,すばらしい希望の実現にあずかることになります。メシアなるイエスの王国が1914年に樹立されてからは,それらの人たちは復活させられて霊の命を受け,きずも汚点もない義の象徴としての白い外衣をもって,征服者として装われています。それらの人は命に通ずる狭められた道を歩んできたので,永遠の報いを享受することになります。―マタイ 7:14。啓示 6:9-11もご覧ください。

      永遠に命の書に!

      14 「命の書」とは何ですか。だれの名がそこに記されていますか。

      14 「命の書」とは何ですか。だれの名がそこにとどめられるのでしょうか。その書もしくは巻き物は,永遠の命を授けられる見込みのある,エホバの僕たちの記録を指しています。(マラキ 3:16)この啓示の書では,特に油そそがれたクリスチャンの名のことが触れられています。しかし,地上で永遠の命を受ける見込みのある人たちの名もそこに記されています。その上,その書から名を『ぬぐい去る』こともできます。(出エジプト記 32:32,33)それにしても,死に至るまで命の書に名をとどめられるヨハネ級の人たちは,天で不滅の命を受けます。(啓示 2:10)それらの名こそイエスが特に父の前,ならびにそのみ使いたちの前で認める名なのです。それは何とたぐいまれな報いでしょう。

      15 大群衆の成員の名はどのようにして命の書に消えないように書き記されますか。

      15 同様に名を命の書に記されている大群衆は,生きて大患難から出て来るでしょう。それらの人たちはイエスの千年統治の期間中ずっと,またその後に行なわれる決定的な試みの際にも信仰を働かせることにより,地上の楽園<パラダイス>における永遠の命の報いを受けるでしょう。(ダニエル 12:1。啓示 7:9,14; 20:15; 21:4)その時,彼らの名は命の書に消えないように書き記されます。聖霊によってここでどんなことが述べられているかを知っているあなたは,イエスが繰り返し語っておられる次のような勧告に熱意を込めてこたえ応じられるのではないでしょうか。「耳のある者は霊が諸会衆に述べることを聞きなさい」― 啓示 3:6。

      [脚注]

      a 「ものみの塔」誌,2005年7月15日号および2005年3月15日号をご覧ください。

  • 『自分が持っているものをしっかり守りつづけなさい』
    啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
    • 12章

      『自分が持っているものをしっかり守りつづけなさい』

      フィラデルフィア

      1 イエスの6番目の音信はどの都市の会衆にあてて書き送られましたか。その都市の名称にはどんな意味がありますか。

      兄弟の愛情 ― 何と好ましい特質でしょう。イエスは,フィラデルフィアの会衆にあてて書き送られる,ご自分の6番目の音信を述べる際,恐らくこの特質を考えておられたことでしょう。というのは,その名称には「兄弟の愛情」という意味があるからです。年老いたヨハネは,60年以上も前に,ペテロが主に対して温かい愛情を抱いている旨,イエスに3回主張した時のことをなお覚えています。(ヨハネ 21:15-17)フィラデルフィアのクリスチャンは,兄弟の愛情を示していますか。明らかにそうしています!

      2 フィラデルフィアはどんな都市でしたか。どんな会衆がそこにありましたか。イエスはこの会衆の使いに何とお告げになりますか。

      2 サルデスの南東48㌔ほどの所(現代のトルコの都市アラシェヒルの場所)に位置している,ヨハネの時代のフィラデルフィアはかなり繁栄した都市です。しかし,さらに注目に値するのは,その地のクリスチャンの会衆が繁栄していることです。その会衆の人たちは,サルデスを通って旅して来たと思われる奉仕者をたいへん大きな喜びを抱いて迎えたに違いありません。その奉仕者が携えている音信には,彼らのための感動的な助言が含まれています。しかし,まず最初に,その音信はその著名な送り主の権威に言及しています。その方はこうお告げになります。「また,フィラデルフィアにある会衆の使いにこう書き送りなさい。聖なる者,真実な者,ダビデのかぎを持つ者,開けてだれも閉じないようにし,閉じてだれも開けないようにする者がこのように言う」― 啓示 3:7。

      3 イエスが「聖なる」方と呼ばれるのは,どうしてふさわしいことでしょうか。どうしてイエスを「真実な」方と呼ぶことができますか。

      3 ヨハネはかつて,ペテロが人間イエス・キリストに次のように言うのを聞きました。「あなたこそ永遠の命のことばを持っておられます。そしてわたしたちは,あなたが神の聖なる方であることを信じ,また知るようになったのです」。(ヨハネ 6:68,69)エホバ神はまさに神聖さの本質を体現しておられる方ですから,その独り子もまた,「聖なる」方でなければなりません。(啓示 4:8)イエスはまた,「真実な」方です。ここで使われているギリシャ語(アレーティノス)は真正さを示唆しています。そのような意味で,イエスは天から下って来た真の光,ならびに真のパンです。(ヨハネ 1:9; 6:32)また,真のぶどうの木です。(ヨハネ 15:1)イエスはまた,信頼できる方であるという意味でも真実な方です。ですから,常に真実を語られます。(ヨハネ 8:14,17,26をご覧ください。)この神のみ子は確かに王ならびに裁き主として仕えるに値する方です。―啓示 19:11,16。

      「ダビデのかぎ」

      4,5 「ダビデのかぎ」はどんな契約と結びつけられていますか。

      4 イエスは「ダビデのかぎ」を持っておられます。それを使って,「開けてだれも閉じないようにし,閉じてだれも開けないように」されますが,この「ダビデのかぎ」とは何ですか。

      5 エホバは永遠の王国のための契約をイスラエルの王ダビデと結ばれました。(詩編 89:1-4,34-37)ダビデの家は西暦前1070年から同607年までエルサレムのエホバの王座から支配を行ないましたが,その王国が悪に傾いたため,同王国に対して神の裁きが執行されました。こうしてエホバは,「わたしはそれ[地上のエルサレム]を破滅,破滅,破滅とする。これについてもまた,それ[ダビデの家系に属する王権の笏]は法的権利を持つ者が来るまで,決してだれのものにもならない。わたしはその者にこれを必ず与える」というエゼキエル 21章27節の預言を成就し始められました。

      6,7 「法的権利」を持つ方はいつ,またどのようにして現われることになりましたか。

      6 「法的権利」を持つその方はいつ,またどのようにして現われるのでしょうか。ダビデの王国の笏はどのようにしてその方に与えられるのでしょうか。

      7 約600年後のこと,ダビデ王の子孫であるユダヤ人の乙女マリアが聖霊によって妊娠しました。神はみ使いガブリエルを遣わして,マリアに一人の男の子が授けられるので,その子をイエスと名づけるよう彼女にお知らせになりました。ガブリエルはこう付け加えました。「これは偉大な者となり,至高者の子と呼ばれるでしょう。エホバ神はその父ダビデの座を彼に与え,彼は王としてヤコブの家を永久に支配するのです。そして,彼の王国に終わりはありません」― ルカ 1:31-33。

      8 イエスはダビデの王権を受け継ぐ資格があることをどのように証明されましたか。

      8 イエスは西暦29年にヨルダン川でバプテスマを受け,聖霊で油そそがれた時,ダビデの家系の指名された王となられました。そして,王国の良いたよりを宣べ伝える点で模範的な熱意を示し,ご自分の弟子たちにも同様に宣べ伝える使命をお与えになりました。(マタイ 4:23; 10:7,11)イエスは苦しみの杭の上で死を遂げるに至るまでご自分を低くし,こうしてダビデの王権を受け継ぐ十分の資格があることを証明されました。エホバはイエスを不滅の霊者として復活させ,天のご自分の右に高められました。イエスはそこでダビデの王国の権利をすべて受け継がれました。イエスはやがて『[その]敵のただ中で従えてゆく』権利を行使することになりました。―詩編 110:1,2。フィリピ 2:8,9。ヘブライ 10:13,14。

      9 イエスが戸を開けたり,閉じたりするためにダビデのかぎを用いられるのはどうしてでしょうか。

      9 その間,イエスはダビデのかぎを使って,神の王国に関連した機会や特権にあずかる道を開くことになりました。エホバは今やイエスを通して,地上の油そそがれたクリスチャンを「闇の権威から」救い出し,「ご自分の愛するみ子の王国へ」移すことになりました。(コロサイ 1:13,14)そのかぎはまた,不忠実になる者がだれもそのような特権にあずかれないようにするためにも使われました。(テモテ第二 2:12,13)ダビデの王国のこの永久相続者はエホバの後ろ盾を得ておられるので,どんな被造物もこの方がそのような義務を履行するのを妨げることはできません。―マタイ 28:18-20。

      10 イエスはフィラデルフィアの会衆にどんな励ましをお与えになりますか。

      10 フィラデルフィアのクリスチャンに対するイエスの言葉は,このような権威ある源から出ているので,特に慰めを与えるものであるに違いありません! イエスは彼らを褒めて,こうお告げになります。「わたしはあなたの行ないを知っている ― 見よ,わたしはあなたの前に開かれた戸を置いた。それはだれも閉じることができない ― すなわち,あなたには少しの力があり,わたしの言葉を守って,わたしの名に不実な者とはならなかった」。(啓示 3:8)その会衆は活発で,会衆の前には戸が開かれてきました。それは疑いもなく奉仕の務めのための機会の戸口でした。(コリント第一 16:9; コリント第二 2:12と比較してください。)ですから,イエスは,宣べ伝える機会を十分活用するよう会衆を励ましておられます。成員たちは忍耐し,神の霊による助けにより,エホバへの奉仕の点での「行ない」をさらに続けるための十分の力を持っていることを示してきました。(コリント第二 12:10。ゼカリヤ 4:6)彼らはイエスの命令に従っており,言葉と行動のいずれの点でもキリストを否んだりはしませんでした。

      『彼らはあなたに身をかがめる』

      11 イエスはクリスチャンにどんな祝福を約束しておられますか。それはどのように実現しましたか。

      11 したがって,イエスは彼らに成果をこう約束しておられます。「見よ,わたしは,ユダヤ人であると言いながら実はそうではなく,偽りを語る,サタンの会堂の者たちを与える ― 見よ,わたしは彼らを来させてあなたの足もとに敬意をささげさせ,わたしがあなたを愛したことを悟らせる」。(啓示 3:9)スミルナの場合のように,恐らくこの会衆も地元のユダヤ人のことで問題を抱えていたのでしょう。イエスはそれらのユダヤ人のことを「サタンの会堂」と呼んでおられます。とはいえ,それらのユダヤ人の中の少なくとも幾人かの人々は,イエスについてクリスチャンの宣べ伝えてきた事柄が真理であることを今にも悟ろうとしています。それらの人たちは,多分パウロがコリント第一 14章24,25節で述べているような仕方で「敬意をささげ」,実際に悔い改めてクリスチャンとなり,弟子たちのためにご自分の魂をさえなげうって示されたイエスの大いなる愛を十分認識するようになります。―ヨハネ 15:12,13。

      12 フィラデルフィアのユダヤ人の会堂の成員は,そのうちの幾人かが地元のクリスチャンの共同体の人々に『身をかがめる』ようになるのを知って,多分驚かされたことと思われますが,それはどうしてでしょうか。

      12 フィラデルフィアのユダヤ人の会堂の成員は,そのうちの幾人かが地元のクリスチャンの共同体の人々に「敬意をささげ」ようとしているのを知って,多分驚かされたことでしょう。ユダヤ人ではない人たちがその会衆に確かに多数いたのですから,会衆の人々は前述の事柄とは全く逆の事態が生じるのを期待していたことでしょう。どうしてでしょうか。なぜなら,イザヤはこう予告していたからです。「[ユダヤ人ではない]王たちは必ずあなた[イスラエルの民]のために世話係となり,その王妃たちはあなたのために乳母となる。彼らは地に顔を伏せてあなたに身をかがめ(る)」。(イザヤ 49:23; 45:14; 60:14)霊感を受けたゼカリヤも同様の調子で,こう書いています。「その日には,諸国のあらゆる言語から来た[ユダヤ人ではない]十人の者が,ユダヤ人である一人の者のすそをとらえ,まさしくとらえてこう言う。『わたしたちはあなた方と共に行きます。神があなた方と共におられることを聞いたからです』」。(ゼカリヤ 8:23)そうです,ユダヤ人ではない人たちがユダヤ人に身をかがめることになっており,その逆ではなかったからです!

      13 古代イスラエルに対して述べられた預言の成就を経験することになったユダヤ人とはだれのことでしたか。

      13 これらの預言は神の選ばれた国民に対して語られたものでした。それらの預言が述べられた時,肉のイスラエルはあの名誉ある立場を占めていました。しかし,ユダヤ国民がメシアを退けた時,エホバは彼らをお捨てになりました。(マタイ 15:3-9; 21:42,43。ルカ 12:32。ヨハネ 1:10,11)その代わり,エホバは西暦33年のペンテコステの際,神の真のイスラエルであるクリスチャンの会衆をお選びになりました。その成員は真の割礼を心に施された霊的なユダヤ人です。(使徒 2:1-4,41,42。ローマ 2:28,29。ガラテア 6:16)それ以後,肉のユダヤ人がエホバとの恵まれた関係を個人的に取り戻す唯一の方法は,メシアなるイエスに信仰を抱くことでした。(マタイ 23:37-39)明らかにフィラデルフィアの一部の人たちにも,このことがまさに起きようとしていました。a

      14 イザヤ 49章23節とゼカリヤ 8章23節は,現代になってどのように重要な成就を遂げてきましたか。

      14 イザヤ 49章23節やゼカリヤ 8章23節のような預言は,現代になって非常に重要な成就を遂げてきました。ヨハネ級の人たちが宣べ伝える業を行なった結果,おびただしい数の人々が開かれた戸を通って,王国奉仕に加わってきました。b それらの人々の大半は,霊的なイスラエルであると偽って主張する種々の宗教組織で成るキリスト教世界から出てきました。(ローマ 9:6と比較してください。)大群衆である,これらの人々は,イエスの犠牲の血に信仰を働かせることにより,自分たちの長い衣を洗って白くしています。(啓示 7:9,10,14)彼らはキリストの王国による支配に従って,その祝福をこの地上で受け継ぐことを望んでいます。それらの人々はイエスの油そそがれた兄弟たちのもとに来て,霊的な意味で彼らに「身をかがめ」ます。なぜなら,それらの人は,『神が彼らと共におられることを聞いた』からです。これらの人々は油そそがれた人たちに仕え,また彼らと結ばれて世界的な兄弟たちの交わりを形作ります。―マタイ 25:34-40。ペテロ第一 5:9。

      「試みの時」

      15 (イ)イエスはフィラデルフィアのクリスチャンに何を約束なさいましたか。彼らは何をするよう励まされましたか。(ロ)クリスチャンはどんな「冠」を受けることを待ち望んでいましたか。

      15 イエスはさらにこうお告げになります。「あなたがわたしの忍耐に関する言葉を守ったので,わたしもあなたを,地に住む者たちを試みるため人の住む地全体に臨もうとしている試みの時から守る。わたしは速やかに来る。自分が持っているものをしっかり守りつづけ,あなたの冠をだれにも取られないようにしなさい」。(啓示 3:10,11)ヨハネの時代のクリスチャンは(1914年に始まる)主の日まで生き残るわけではありませんが,彼らはイエスが来られることを確信していたので,宣べ伝える業を続行する力を得ました。(啓示 1:10。テモテ第二 4:2)彼らを天で待ち受けていたのは「冠」,つまり永遠の命の賞でした。(ヤコブ 1:12。啓示 11:18)もし,彼らが死に至るまで忠実ならば,だれもその報いを彼らから奪えませんでした。―啓示 2:10。

      16,17 (イ)「人の住む地全体に臨もうとしている試みの時」とは何でしょうか。(ロ)その「試みの時」の始めごろ,油そそがれた者たちはどんな状態でしたか。

      16 しかし,「試みの時」とは何でしょうか。確かに,アジアのクリスチャンはローマ帝国からの恐ろしい迫害の波にさらに対処しなければなりませんでした。c それにしても,その主要な成就は,ふるい分けて裁きを行なう時となります。その時は主の日の期間についに到来して,1918年以来最高潮を迎えてきました。その試みは,人が樹立された神の王国を支持しているか,それともサタンの世を支持しているかを決するものとなってきました。それは比較的短い期間,いわば一「時」ですが,まだ終わっていません。それが終わるまでは,今が「試みの時」であることを忘れてはなりません。―ルカ 21:34-36。

      17 1918年,ヨハネ級の油そそがれたクリスチャンは,フィラデルフィアの強固な会衆と同様,現代の「サタンの会堂」からの反対に直面しなければなりませんでした。霊的なユダヤ人であると主張した,キリスト教世界の宗教指導者たちは,真のクリスチャンの活動を禁止させるために,支配者たちをひそかに動かしました。とはいえ,それらのクリスチャンは『イエスの忍耐に関する言葉』を守ろうと懸命に努力しました。ですから,彼らは霊的な助け,つまり大切な「少しの力」で生き残り,今や自分たちの前に開かれた戸を入るよう奮起させられました。どのようにしてでしたか。

      「開かれた戸」

      18 イエスは1919年にどんな任命を行なわれましたか。それで,被任命者はどのようにしてヒゼキヤの忠実な家令のようになりましたか。

      18 1919年,イエスはご自分の約束を成就し,油そそがれた真のクリスチャンのその小集団を「忠実で思慮深い奴隷」として承認されました。(マタイ 24:45-47)それらのクリスチャンは,ヒゼキヤ王の時代の忠実な家令エリヤキムが享受したのと同様の特権を受けました。d エホバはエリヤキムについてこう仰せになりました。「わたしはダビデの家のかぎをその肩の上に置く。彼が開けると閉じる者はなく,彼が閉じると開ける者はない」。エリヤキムはダビデの王統の子ヒゼキヤのために重い責任を引き受けました。同様に,今日,油そそがれたヨハネ級の人たちはメシアによる王国の地上の関心事を託されているので,「ダビデの家のかぎ」が彼らの肩に置かれています。エホバはこの特権を受けられるよう,ご自分の僕たちを強め,彼らの少しの力を全地球的な規模の膨大な証しをするための十分な活動力となるよう増強されました。―イザヤ 22:20,22; 40:29。

      19 ヨハネ級の人たちは,1919年にイエスから与えられた責任をどのように負いましたか。その結果,どうなりましたか。

      19 油そそがれた残りの者は1919年以来,イエスの模範に従って,王国の良いたよりを広く宣明する精力的な運動に乗り出しました。(マタイ 4:17。ローマ 10:18)その結果,現代のサタンの会堂,つまりキリスト教世界の一部の人々はこの油そそがれた残りの者のもとに来て,悔い改め,その奴隷の権威を認めて,『身をかがめる』ようになりました。それらの人々もまた,ヨハネ級の年長の人たちと一緒になってエホバに仕えるようになり,このことはイエスの油そそがれた兄弟たちが全員集められるまで続きました。その後,『すべての国民の中から来る大群衆』が,油そそがれた奴隷に『身をかがめる』ようになります。(啓示 7:3,4,9)その奴隷とこの大群衆は,エホバの証人の一つの羊の群れとして一緒に奉仕します。

      20 エホバの証人は今日,強い信仰を保ち,神への奉仕を活発に行なっていなければなりませんが,それはどうしてでしょうか。

      20 フィラデルフィアのクリスチャンのように,純粋な兄弟の愛情のきずなで結ばれているエホバの証人は,今日,自分たちの宣べ伝える業が果たされなければならない緊急な務めであることを認識しています。まもなく,大患難でサタンの邪悪な世の幕が下ろされます。その時,わたしたちは各々強い信仰を保ち,神への奉仕を活発に行なっていて,わたしたちの名がエホバの命の書からぬぐい去られることがありませんように。(啓示 7:14)フィラデルフィアの会衆に対するイエスの勧告を真剣に受け止めて,わたしたちの奉仕の特権をしっかり保ち,永遠の命の報いを受けられるようにしましょう。

      征服する者たちの受ける祝福

      21 今日の油そそがれたクリスチャンは,どのように『イエスの忍耐に関する言葉を守って』きましたか。どんな見込みが彼らを待ち受けていますか。

      21 今日のヨハネ級の人たちは,『イエスの忍耐に関する言葉を守って』きました。つまり,イエスの模範に従い,忍耐してきました。(ヘブライ 12:2,3。ペテロ第一 2:21)ですから,彼らは,フィラデルフィアの会衆に対してイエスがさらに次のように述べておられる言葉により,大いに励まされてきました。「征服する者 ― わたしはその者をわたしの神の神殿の中の柱とし,彼はもはやそこから決して出ないであろう」― 啓示 3:12(前半)。

      22 (イ)イエスの神の神殿とは何ですか。(ロ)征服する,油そそがれたクリスチャンは,どのようにその神殿の柱となりますか。

      22 エホバの神殿の柱となるのは,何とすばらしい特権でしょう。古代エルサレムの文字通りの神殿はエホバの崇拝の中心地でした。その神殿の中では,毎年一日だけ,大祭司が「至聖所」におけるエホバの臨在を表わす奇跡的な光の前で動物の犠牲の血をささげました。(ヘブライ 9:1-7)イエスがバプテスマをお受けになった時,もう一つの神殿,つまりエホバを崇拝するための偉大な霊的な,神殿のような取り決めが存在するようになりました。その神殿の聖の聖なる所は天にあって,イエスはそこで「神ご自身の前に」正式に出てくださいました。(ヘブライ 9:24)イエスは大祭司です。そして,罪を完全に覆うためにささげられた,ただ一つの犠牲があります。それは完全な人間イエスの流された血です。(ヘブライ 7:26,27; 9:25-28; 10:1-5,12-14)地上の油そそがれたクリスチャンは,忠実を保つ限り,その神殿の地的な中庭で従属の祭司として奉仕します。(ペテロ第一 2:9)しかし,彼らも一度征服したなら,天の聖の聖なる所に入って,崇拝のための神殿のような取り決めの不動の支柱,つまり柱となります。(ヘブライ 10:19。啓示 20:6)彼らが『そこから出る』危険性はもはや少しもありません。

      23 (イ)イエスは次に,征服する,油そそがれたクリスチャンにどんな約束をなさいますか。(ロ)エホバの名と新しいエルサレムの名がそれら征服したクリスチャンに記される結果,どうなりますか。

      23 イエスは続けてこうお告げになります。「そしてわたしは,わたしの神の名と,わたしの神の都市,すなわち天のわたしの神のもとから下る新しいエルサレムの名と,わたしの新しい名とをその者の上に書く」。(啓示 3:12[後半])そうです,それら征服する者たちには,彼らの神でイエスの神でもあられるエホバの名が記されます。これは明らかに,エホバとイエスがふたりの別個の存在者であって,三者一体つまり三位一体の神のうちの二者ではないことを示しています。(ヨハネ 14:28; 20:17)創造物はすべて,それら油そそがれた者たちがエホバに属することを知るようにならなければなりません。彼らはその方の証人なのです。彼らにはまた,新しいエルサレムの名も記されます。そのエルサレムは,忠実な人類すべてに情け深い支配を及ぼすという意味で天から下って来る天的な都市です。(啓示 21:9-14)ですから,地上のクリスチャンの羊はすべて,それら油そそがれた征服者たちが王国,つまり「天のエルサレム」の市民であることをやはり知るようになります。―詩編 87:5,6。マタイ 25:33,34。フィリピ 3:20。ヘブライ 12:22。

      24 イエスの名は何を表わしていますか。それは忠実な油そそがれたクリスチャンにどのように書き記されますか。

      24 最後に,困難を克服した油そそがれた者たちには,イエスの新しい名が記されます。それはイエスの新しい職責とエホバがイエスに授けられる無類の特権を指しています。(フィリピ 2:9-11。啓示 19:12)その名を知るようになる人はほかにだれもいません。それは,ほかのだれもそのような経験をしない,もしくはそのような特権を託されることがないという意味です。しかし,イエスがご自分の名をご自身の忠実な兄弟たちに書き記される時,それら兄弟たちはあの天の領域でイエスとの親密な関係に入れられ,イエスの種々の特権にさえあずかります。(ルカ 22:29,30)イエスが,「耳のある者は霊が諸会衆に述べることを聞きなさい」という勧めの言葉を繰り返して,そのような油そそがれた者たちに対するご自分の音信を結んでおられるのも,少しも不思議ではありません。―啓示 3:13。

      25 今日,クリスチャンは,イエスがフィラデルフィアの会衆にお与えになった助言の背後にある原則を,どのように各自個人的に当てはめることができますか。

      25 その音信はフィラデルフィアの忠実なクリスチャンにとって,すばらしい励みとなったに違いありません。そして,確かにその音信には今でも,主の日の期間にいるヨハネ級の人たちに対する力強い教訓が含まれています。しかし,その原則は,油そそがれた者,あるいはほかの羊のいずれを問わず,クリスチャン各個人にとって重要です。(ヨハネ 10:16)わたしたちが各々,フィラデルフィアのそれらのクリスチャンが行なったように,王国の実を引き続き生み出すのは良いことです。わたしたちは皆,少なくとも少しの力を持っています。わたしたちは皆,エホバへの奉仕で何かを行なえます。その力をぜひ用いましょう! 増し加えられた王国の特権に関して,わたしたちのために開かれるどんな戸でも入って行けるよう,油断なく気を配っているようにしましょう。わたしたちは,そのような戸を開けてくださるようエホバに祈り求めることさえできます。(コロサイ 4:2,3)わたしたちがイエスの忍耐の手本に従い,その名に対して忠実であることを示すなら,わたしたちもまた,神の聖霊が諸会衆に述べることを聞く耳を持っていることを示せるでしょう。

      [脚注]

      a パウロの時代には,コリントのユダヤ人の会堂の主宰役員ソステネがクリスチャンの兄弟となりました。―使徒 18:17。コリント第一 1:1

      b ヨハネ級の出版する「ものみの塔」誌は,この機会をとらえて,宣べ伝える業にできるだけ十分にあずかるのが緊急な事柄であることを絶えず際立たせてきました。例えば,「ものみの塔」誌,2004年1月1日号の「すべてのものはエホバの栄光を告げ知らせよ」ならびに『その音は全地へ出て行った』と題する記事をご覧ください。2004年6月1日号の「神に栄光を帰する人は祝福される」と題する記事では,「開かれた戸」を通って全時間奉仕に入ることが強調されました。2005年のある月には,そのような奉仕を報告した開拓者は109万3,552人の最高数に達しました。

      c マクリントクとストロング共編,「百科事典」(第10巻,519ページ)はこう伝えています。「キリスト教の信仰が驚くほど普及するのを見た異教の祭司たちにより民衆の間で引き起こされた騒ぎのために,皇帝たちはいやおうなくキリスト教に注目させられ,こうしてトラヤヌス[西暦98-117年]は,人々を神々を憎む者に変えさせた,その新しい教えを徐々に禁止する勅令を出さざるを得なくなった。[ローマ州アジアの北方の国境に接する]ビチニアの総督,小プリニウスは,キリスト教が急速に広まり,その結果同州に住む一般の異教徒が憤りを抱いたために生じた複雑な問題を処理することになった」。

      d ヒゼキヤという名には,「エホバは強めてくださる」という意味があります。「参照資料付き 新世界訳聖書」の列王第二 16章20節の脚注をご覧ください。

  • 『自分が持っているものをしっかり守りつづけなさい』
    啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
    • [63ページの囲み記事]

      身をかがめるよう多くの人々を助ける

      天の王国を受け継ぐことになる,油そそがれた者たち14万4,000人のうち,ヨハネ級の人たち,つまり9,000人足らずの残りの者が地上での歩みをまだ終えていないようです。同時に,大群衆は膨れ上がり,660万人を上回る大勢の集団となりました。(啓示 7:4,9)これほど大きな増加をもたらすのに何が役立ってきましたか。エホバの証人の運営する様々な学校が大いに貢献してきました。世の哲学を教えたり,聖書を見下げたりする,キリスト教世界の神学校とは全く異なり,証人たちのそれらの学校では,神のみ言葉に対する深い信仰が教え込まれます。また,道徳的な清い生活や神に対する献身的な奉仕に関して神のみ言葉を実際に当てはめる方法が示されます。1943年以来,世界中のエホバの証人の会衆は各々地元の王国会館で神権宣教学校を運営してきました。毎週,何百万人もの人々がこの学校に出席し,聖書教育のための一致したプログラムに従って学んでいます。

      1959年以来,エホバの証人は会衆の長老や奉仕の僕たちを訓練するための王国宣教学校をも運営してきました。さらに,1977年以来,開拓奉仕学校では幾十万人もの兄弟姉妹が訓練を受けました。それらの人々は真のフィラデルフィア精神を抱いて,宣べ伝える業で全時間エホバに仕えています。1987年には,世界の野外で特別の割り当てを受ける男子の証人たちのための宣教訓練学校が開設されました。

      エホバの証人の運営する学校の中でも際立っているのは,ものみの塔ギレアデ聖書学校です。1943年以来,ニューヨーク州にある,宣教者のためのこの学校は卒業生を大抵毎年2回送り出してきました。この学校では,7,000人以上のエホバの奉仕者が,外国で宣教者として奉仕するための訓練を受けてきました。同校の卒業生は100以上の国々で奉仕しており,それら多くの場所で王国の業を開始することに尽力してきました。60年余りたちましたが,初期の宣教者の一部は依然として活動しており,エホバの組織の世界的な拡大を促進する業に新しい宣教者たちと共にあずかっています。これは何と驚嘆すべき拡大でしょう。

      [64ページの図表]

      1919年,統治する王イエスはクリスチャンの携わる奉仕のための機会の扉を開かれました。その機会を活用する,献身したクリスチャンの人数は増加してきました。

      音信を 宣べ伝える業に 全時間

      伝えられた あずかった 伝道者の

      年 国や地域 クリスチャンの人数e 人数f

      1918 14 3,868 591

      1928 32 23,988 1,883

      1938 52 47,143 4,112

      1948 96 230,532 8,994

      1958 175 717,088 23,772

      1968 200 1,155,826 63,871

      1978 205 2,086,698 115,389

      1988 212 3,430,926 455,561

      1998 233 5,544,059 698,781

      2005 235 6,390,022 843,234

      [脚注]

      e 上記の数字は月平均です。

      f 上記の数字は月平均です。

      [65ページの図表]

      エホバの証人の活動は心を込めて行なわれてきました。例えば,宣べ伝えたり教えたりするために費やされた時間や人々の家庭で司会された無償の聖書研究の膨大な件数を考えてみてください。

      宣べ伝える業に 司会された

      費やされた時間 聖書研究の件数

      年 (年間合計) (月平均)

      1918 19,116 報告なし

      1928 2,866,164 報告なし

      1938 10,572,086 報告なし

      1948 49,832,205 130,281

      1958 110,390,944 508,320

      1968 208,666,762 977,503

      1978 307,272,262 1,257,084

      1988 785,521,697 3,237,160

      1998 1,186,666,708 4,302,852

      2005 1,278,235,504 6,061,534

  • 火で精錬された金を買いなさい
    啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
    • 13章

      火で精錬された金を買いなさい

      ラオデキア

      1,2 栄光を受けられたイエスからの音信を受け取った七つの会衆のうちの最後の会衆は,どこに位置していますか。その都市には幾つかのどんな特徴がありますか。

      ラオデキアは,復活させられたイエスからの音信を受け取った,七つの会衆のうちの最後の会衆です。しかも,その音信は,何と人を鼓舞し,目をみはらせるような情報を伝えているのでしょう。

      2 今日,アラセヒルの南東約88㌔の所にあるデニズリの近くで,ラオデキアの遺跡が見られます。1世紀当時,ラオデキアは繁栄した都市で,主要道路の交差点に位置していたので,金融と商業の主要な中心地の一つでした。また,広く知られた目薬の売買でその都市の富は増え,さらに同市は上等の黒羊毛を使って地元で作られた上質の衣服でも有名でした。同市の主要な問題の一つは水がないことでしたが,かなり遠い所にある温泉から導管で水を引いて問題を克服しました。ですから,その水は同市に届くころには,すっかり生ぬるくなっていたようです。

      3 イエスはラオデキアの会衆あてのご自分の音信の中で,どのように語り始めておられますか。

      3 ラオデキアはコロサイの近くにありました。使徒パウロはコロサイ人に手紙を書いた時,ラオデキアの人々に書き送った手紙に言及しています。(コロサイ 4:15,16)パウロがその手紙の中でどんなことを書いたかは知るよしもありませんが,イエスが今ラオデキアの人々に送られる音信は,彼らが霊的に悲惨な状態に陥っていることを示しています。けれども,イエスはいつものように,まずご自身の信用証明となるものに言及し,こうお告げになります。「また,ラオデキアにある会衆の使いにこう書き送りなさい。アーメンなる者,忠実で真実な証人,神による創造の初めである者がこのように言う」― 啓示 3:14。

      4 イエスはどうして「アーメンなる者」であられますか。

      4 イエスはどうしてご自身のことを「アーメンなる者」と呼んでおられるのでしょうか。この称号はイエスの音信に法的な重みを加えています。「アーメン」という言葉は,「確かに」,もしくは「そうなるように」という意味のヘブライ語の言葉を翻字したもので,祈りの中で言い表わされた気持ちが真実であることを認めるために祈りの終わりに用いられます。(コリント第一 14:16)イエスは「アーメンなる者」であられます。なぜなら,その非の打ちどころのない忠誠と犠牲の死は,エホバの貴重な約束すべてが成就することを確証し,保証するものとなったからです。(コリント第二 1:20)その時以来,祈りはすべてイエスを通して正しくエホバにささげられています。―ヨハネ 15:16; 16:23,24。

      5 イエスはどんな点で「忠実で真実な証人」であられますか。

      5 イエスはまた,「忠実で真実な証人」でもあられます。イエスのことは預言の中ではしばしば,忠実,真実,および義と結びつけて考えられています。というのは,イエスはエホバ神の僕として完全に信頼できる方であられるからです。(詩編 45:4。イザヤ 11:4,5。啓示 1:5; 19:11)イエスはエホバのための最も偉大な証人であられます。実際,イエスは「神による創造の初めである者」として,まさに最初から神の栄光を明らかにされました。(箴言 8:22-30)人間として地上におられたイエスは,真理について証しをされました。(ヨハネ 18:36,37。テモテ第一 6:13)イエスは復活させられた後,弟子たちに聖霊を約束して,こうお告げになりました。「あなた方は……エルサレムでも,ユダヤとサマリアの全土でも,また地の最も遠い所にまで,わたしの証人となるでしょう」。西暦33年のペンテコステ以降,イエスは「天下の全創造物の中で」良いたよりを宣べ伝えるよう,それら油そそがれたクリスチャンを導かれました。(使徒 1:6-8。コロサイ 1:23)確かに,イエスは忠実で真実な証人と呼ばれるに値する方です。ラオデキアの油そそがれたクリスチャンがイエスの言葉に耳を傾けるなら,益を受けられます。

      6 (イ)イエスはラオデキアの会衆の霊的な状態をどのように描写しておられますか。(ロ)ラオデキアのクリスチャンはイエスのどんな立派な模範に従い損ないましたか。

      6 イエスはラオデキアの人たちに対してどんな音信を持っておられますか。褒め言葉は持っておられません。イエスは彼らに率直にこうお告げになります。「わたしはあなたの行ないを知っている。あなたは冷たくも熱くもない。わたしは,あなたが冷たいか熱いかのどちらかであってくれればと思う。このように,あなたがなまぬるく,熱くも冷たくもないので,わたしはあなたを口から吐き出そうとしている」。(啓示 3:15,16)あなただったら,主イエス・キリストからのこのような音信にどのようにこたえ応じたでしょうか。目覚めて,自分自身を吟味したのではないでしょうか。確かに,ラオデキアの人たちは自ら奮起する必要があります。というのは,彼らは物事を余りにも当たり前と考えたためと思われますが,霊的に怠惰になったからです。(コリント第二 6:1と比較してください。)彼らがクリスチャンとして見倣うべきであったイエスは,エホバとエホバへの奉仕に対する燃えるような熱意を常に表わしておられます。(ヨハネ 2:17)さらに,柔和な人たちは,イエスが常に優しくて,温和で,うだるように暑い日の一杯の冷たい水のようにさわやかな方であることも知っています。(マタイ 11:28,29)しかし,ラオデキアのクリスチャンは熱くも冷たくもありません。彼らの都市に流れて来る水のように,微温で,生ぬるくなっています。彼らはイエスから完全に退けられ,つまり『口から吐き出され』てしまいそうです! わたしたちも,イエスがなさったように,他の人を霊的にさわやかにするものを提供するよう,常に熱心に努力できますように。―マタイ 9:35-38。

      『あなたは,「わたしは富んでいる」と言う』

      7 (イ)イエスはラオデキアのクリスチャンの問題の根本的な原因が何かをどのように明らかにしておられますか。(ロ)イエスはどうして,ラオデキアのクリスチャンが「盲目で,裸である」と述べておられるのでしょうか。

      7 ラオデキアの人たちの問題の根本的な原因は実際,何でしょうか。それはイエスの述べておられる次の言葉からよく分かります。「あなたは,『わたしは富んでおり,富を得たのだから,何一つ必要なものはない』と言いながら,自分が惨めで,哀れで,貧しく,盲目で,裸であることを知らない」。(啓示 3:17。ルカ 12:16-21と比較してください。)彼らは裕福な都市に住んでいるため,自分たちの富ゆえに自信に満ちているように感じています。恐らく,彼らは生活の仕方の面で大競技場や劇場や体育場などの影響を受けて,「神を愛するより快楽を愛する者」となっているようです。a (テモテ第二 3:4)しかし,ラオデキアの人たちは物質的には富んでいますが,霊的には貧困に陥っています。彼らは『天に宝を蓄えている』にしても,それはごくわずかです。(マタイ 6:19-21)彼らは目を純一に保って,神の王国のことを生活の中で第一にしてはいません。ですから,実際には闇の中におり,盲目で,霊的な未来像を持っていません。(マタイ 6:22,23,33)その上,彼らは物質上の富を使って購入したのかもしれない上等の服を着ているにもかかわらず,イエスの目には裸同然です。彼らには自分たちのクリスチャンとしての身分を証明する霊的な衣がありません。―啓示 16:15と比較してください。

      8 (イ)ラオデキアで生じたような状況が今日でもどのように存在していますか。(ロ)一部のクリスチャンはこの貪欲な世の中で,どのように自分を欺いてきましたか。

      8 何というひどい状態でしょう。しかし今日,同様の状況がしばしば見られるのではありませんか。根本的な原因は何でしょうか。それは物質上の所有物や人的資源に依存することから来る自己過信の態度です。エホバの民の中の一部の人たちは,キリスト教世界の教会に通う人々のように,ただ時々集会に出席しさえすれば,神を喜ばせることができると考えて,自分を欺いてきました。それらの人は,ただしるし程度に「み言葉を行なう者」となるだけで,うまくやってゆこうとします。(ヤコブ 1:22)彼らはヨハネ級の人たちから繰り返し警告されているにもかかわらず,専ら流行の服や車や家に,またレクリエーションや快楽を中心とした生活に心を用いています。(テモテ第一 6:9,10。ヨハネ第一 2:15-17)そのようなことは皆,霊的な知覚力を鈍くさせる結果を招きます。(ヘブライ 5:11,12)そのような人たちは気乗りのしない,生ぬるい態度を取る代わりに,「霊の火」を再び燃え立たせ,『み言葉を宣べ伝える』ために,人をさわやかにする熱意を示す必要があります。―テサロニケ第一 5:19。テモテ第二 4:2,5。

      9 (イ)生ぬるいクリスチャンはイエスのどんな言葉に,きっとがく然とさせられますか。それはどうしてですか。(ロ)会衆は,さまよっている「羊」をどのように助けられるでしょうか。

      9 イエスは生ぬるいクリスチャンをどう見ておられますか。そのような人たちは,「[あなたは]自分が惨めで,哀れで,貧しく,盲目で,裸であることを知らない」というイエスの率直な言葉に,きっとがく然とさせられることでしょう。それらの人は自分自身の恐るべき状態をさえはっきりと理解できないほど良心が無感覚になっています。(箴言 16:2; 21:2と比較してください。)会衆のこのような重大な状態を軽々しく扱うことはできません。長老や長老から割り当てを受けた他の人たちは,熱心さの立派な模範を示したり,愛をこめて牧したりして,心をこめた奉仕でかつて味わった喜びを取り戻せるよう,それらさまよっている「羊」を目覚めさせることができるかもしれません。―ルカ 15:3-7。

      「富んだ者となる」ための助言

      10 イエスがご自分から買い求めるようラオデキアのクリスチャンに命じておられる「金」とは何ですか。

      10 ラオデキアの悲しむべき事態を直す方法がありますか。もし,そのようなクリスチャンが,「わたしはあなたが,富んだ者となるために火で精錬された金を……買うように忠告する」というイエスの助言に従うならば,方法はあります。(啓示 3:18[前半])火で精錬されて不純物のすべて除去された,キリスト教で真の「金」とみなされるものを得る人は,『神に対して富む』ことになります。(ルカ 12:21)そのような金はどこで買えますか。地元の銀行家からではなく,イエスから買えます! 使徒パウロは,『善を行ない,りっぱな業に富み,惜しみなく施し,進んで分け合い,自分のため,将来に対するりっぱな土台を安全に蓄える』よう裕福なクリスチャンに命令を与えることをテモテに命じて,その金がどういうものかを説明しました。(テモテ第一 6:17-19)物質的に富んでいたラオデキアの人たちは,パウロの忠告に従って,霊的に富んだ者となるべきでした。―箴言 3:13-18もご覧ください。

      11 「火で精錬された金」を買った人たちの現代のどんな実例がありますか。

      11 「火で精錬された金」を買った現代の実例がありますか。確かにあります! 主の日が近づいていたころでさえ,聖書研究者の小さな群れは,三位一体,霊魂不滅,地獄の火による責め苦,幼児洗礼,(十字架やマリアの像を含む)種々の像の崇拝など,キリスト教世界のバビロン的な多くの教えの偽りに気づいていました。聖書の真理を擁護する,それらのクリスチャンは,人類の唯一の望みであるエホバの王国や救いのための基盤であるイエスの贖いについてふれ告げました。彼らは1914年よりおよそ40年も前に,その年が異邦人の時の終わりとして聖書預言の中でしるし付けられていた年であり,それに伴って地上で驚くべき事態が進展する,ということを指摘しました。―啓示 1:10。

      12 目覚めたクリスチャンの間で率先して事を進めた人たちの一人はだれですか。その人はどのように宝を天に蓄える顕著な模範を残しましたか。

      12 それら目覚めたクリスチャンの間で率先して事を進めていたのは,1870年代の初めに米国ペンシルバニア州アレゲーニー(現在のピッツバーグ市の一部)で聖書研究のクラスを組織したチャールズ・テイズ・ラッセルでした。ラッセルは真理を探究し始めた当時,父親と共同で事業を経営し,百万長者になろうとしていました。ところが,ラッセルはそのチェーンストアの事業の利権を売り払い,神の王国を全地でふれ告げる業の資金調達の一助として私財を費やしました。1884年,ラッセルは今日,ペンシルバニア州のものみの塔聖書冊子協会として知られる法人団体の初代会長となりました。1916年,米国西部での最後の伝道旅行で力を使い果たしたラッセルは,テキサス州パンパの近くで,ニューヨークへの帰途の列車の中で死去し,霊的な宝を天に蓄える顕著な模範を残しました。現代の自己犠牲の精神に富む何十万人もの開拓奉仕者は,その模範に従っています。―ヘブライ 13:7。ルカ 12:33,34。コリント第一 9:16; 11:1と比較してください。

      霊的な目薬を塗る

      13 (イ)ラオデキアの状態は霊的な目薬でどのように改善できるでしょうか。(ロ)イエスはどのような衣を勧めておられますか。それはどうしてでしょうか。

      13 イエスはまた,ラオデキアの人たちを次のように厳しく諭しておられます。「身にまとってあなたの裸の恥が現われないようにするために白い外衣を,そして見えるようになるため自分の目に塗る目薬をわたしから買うように忠告する」。(啓示 3:18[後半])それらの人たちは,地元の治療者ではなく,ただイエスのみが提供できるような治癒力のある目薬を買って,霊的な盲目を治すよう努力すべきでしょう。そうすれば,神のご意志を行なうことに焦点を合わせた輝く目をもって,「義なる者たちの道筋」を歩むのに役立つ霊的な識別力を得るよう助けられます。(箴言 4:18,25-27)そのようにして,ラオデキアの地元で作られた黒羊毛の高価な衣ではなく,イエス・キリストの追随者として特権を与えられた自分たちの身分を公に示す「白い外衣」を着ることができるでしょう。―テモテ第一 2:9,10; ペテロ第一 3:3-5と比較してください。

      14 (イ)1879年以来,どんな霊的な目薬が入手できるようになりましたか。(ロ)エホバの証人を財政的に支持する究極の源となってきたのは何ですか。(ハ)エホバの証人は寄付の使い方の点で,ほかの人たちとどのように異なっていますか。

      14 現代でも霊的な目薬は入手できますか。確かに入手できます! 1879年,ラッセル師という愛称で呼ばれていた彼は,真理を擁護するため,今日,「エホバの王国を告げ知らせるものみの塔」として世界中で知られている雑誌を発行し始めました。同誌の第2号の中で,ラッセルは次のように宣言しました。「[当誌]はエホバがその支持者であるとわたしたちは信じる。そうであるかぎり,この雑誌は人間に支持を乞い求めたり,懇願しようとはしない。『山々の金と銀はみな我がものである』と言われる方が必要な資金を供給しないなら,それは出版を中止する時である,とわたしたちは考える」。テレビに出る一部の福音伝道師たちは,莫大な財産を築き,恥ずかしげもなく(時には不道徳で)ぜいたくな生活をしてきました。(啓示 18:3)それとは対照的に,今日,エホバの証人として知られる聖書研究者たちは,懇請することなく受け取る寄付すべてを,到来するエホバの王国の世界的な宣べ伝える業を組織し,促進するために用いてきました。ヨハネ級の人たちは,2006年に合計発行部数5,900万部を超えた「ものみの塔」,ならびに「目ざめよ!」両誌の出版を,今日に至るまで導いてきました。「ものみの塔」誌は約150の言語で入手できます。同誌は,このような霊的な目薬を塗って,偽りの宗教や,あらゆる国民の中で良いたよりを宣べ伝える緊急な業に対して目を開かれた600万人以上のクリスチャンの会衆の正式な機関誌です。―マルコ 13:10。

      戒めと懲らしめから益を受ける

      15 イエスはどうしてラオデキアのクリスチャンに強い助言をお与えになるのでしょうか。会衆はその助言にどのように反応すべきでしょうか。

      15 ラオデキアの人たちに話を戻しましょう。彼らはイエスの厳しい助言にどのように応じるでしょうか。落胆して,イエスはもはや自分たちをご自分の追随者として欲してはおられないと考えるようになるでしょうか。いいえ,決してそうではありません。その音信はこう続いています。「すべてわたしが愛情を抱く者を,わたしは戒め,また懲らしめる。それゆえ,熱心になり,そして悔い改めなさい」。(啓示 3:19)エホバからの懲らしめと同様,イエスの懲らしめもその愛のしるしです。(ヘブライ 12:4-7)ラオデキアの会衆はイエスの愛情のこもった配慮を生かして,その助言を当てはめるべきです。そして,自分たちの生ぬるさが罪を犯す行為に匹敵することを認めて,悔い改めるべきです。(ヘブライ 3:12,13。ヤコブ 4:17)彼らの長老たちには,物質主義的な生き方を後にして,神から受けている賜物を「火のように燃え立たせる」ようにさせましょう。霊的な目薬が効果を発揮して,会衆内のすべての人が冷たい湧き水を一杯飲み干す時のようなさわやかさを見いだせるようにしましょう。―テモテ第二 1:6。箴言 3:5-8。ルカ 21:34。

      16 (イ)イエスの愛と愛情は,今日,どのように示されていますか。(ロ)もし強い助言を受けたなら,わたしたちはどのように反応すべきでしょうか。

      16 今日のわたしたちについてはどうですか。イエスは相変わらず,「世にあるご自分の者たちを愛して」おられます。そして,「事物の体制の終結の時までいつの日も」そうしてくださいます。(ヨハネ 13:1。マタイ 28:20)その愛と愛情は,現代のヨハネ級の人たち,ならびにクリスチャン会衆内の星,つまり長老たちを通して示されています。(啓示 1:20)今のこの非常に苦しい時代に,長老たちは,老若を問わず,わたしたちすべてが独立心や物質主義に根ざす貪欲や世の道徳上の汚れに抵抗して,神権的な囲いの境界内にとどまるよう助けることに深い関心を抱いています。もし,時々強い助言,あるいは懲らしめを受けるなら,『懲らしめの戒めは命の道である』ことを思い起こしましょう。(箴言 6:23)わたしたちはすべて不完全ですから,必要に応じて努めて悔い改め,再調整を施してもらい,神の愛のうちにとどまれるようにすべきでしょう。―コリント第二 13:11。

      17 富はわたしたちにとってどうして危険なものとなり得ますか。

      17 物質主義や富のために,あるいは富がないからと言って,生ぬるくなってはなりません。富は奉仕を行なう新たな可能性の扉を開くのに役立つ一方,危険なものともなり得ます。(マタイ 19:24)裕福な人は時々相当高額の寄付をしさえすれば,ほかの人々のように宣べ伝える業に熱心でなくてもよいと思うかもしれません。あるいは,富んでいるゆえに好意を受ける資格があると思うかもしれません。その上,ほかの人々は余裕がなくてできないのに,裕福な人なら行なえる楽しみや娯楽は少なくありません。しかし,そのような気晴らしをするには時間がかかるので,不注意な人たちはクリスチャンの宣教に携わることから遠ざかるようになり,こうして思慮深さに欠ける人は生ぬるくなるかもしれません。わたしたちはそのようなわなをすべて避け,永遠の命を目指して「骨折って働き,また努力し」続けられますように。―テモテ第一 4:8-10; 6:9-12。

      「晩さんを共にする」

      18 イエスはラオデキアのクリスチャンの前にどんな機会を置かれましたか。

      18 イエスはさらにこうお告げになります。「見よ,わたしは戸口に立ってたたいている。わたしの声を聞いて戸を開けるなら,わたしはその者の家に入って彼と,そして彼はわたしと晩さんを共にするであろう」。(啓示 3:20)もし,ラオデキアのクリスチャンがイエスを自分たちの会衆に歓迎しさえすれば,確かにイエスは生ぬるさを克服するよう彼らを助けてくださるでしょう!―マタイ 18:20。

      19 ラオデキアの会衆と晩さんを共にすることを約束なさるイエスは,何を示唆しておられるのでしょうか。

      19 ラオデキアの人たちは晩さんに言及しておられるイエスの言葉から,イエスが弟子たちと食事をした時のことを思い起こさせられます。(ヨハネ 12:1-8)そのような時にはいつも,居合わせた人たちに霊的な祝福がもたらされました。同様に,イエスは復活させられた後,ご自分の弟子たちと共に居合わせて食事をし,弟子たちを大いに強められた,注目に値する機会が何度かありました。(ルカ 24:28-32。ヨハネ 21:9-19)ですから,ラオデキアの会衆に来て,弟子たちと晩さんを共にすると約束しておられるイエスは,彼らから迎えられさえすれば,豊かな霊的な益を彼らにもたらすことを約束しておられるのです。

      20 (イ)主の日の初めごろ,キリスト教世界の生ぬるさは,どんな結果を招きましたか。(ロ)イエスはキリスト教世界をどのように裁かれましたか。

      20 ラオデキアの人たちに対するイエスの愛ある訓戒は,今日残っている油そそがれたクリスチャンにとって重大な意味を持っています。その一部の人たちは,主の日が始まったころ,キリスト教世界の宗教家たちが驚くほど生ぬるかったことを覚えています。同世界の僧職者は,1914年に戻られた,わたしたちの主を歓迎する代わりに,第一次世界大戦の大量殺りくに巻き込まれました。しかも,28か国の交戦国のうち24か国はキリスト教を奉じていると称する国々でした。それら僧職者の血の罪は何と大きいのでしょう。それに,これまた大方キリスト教世界で戦われた第二次世界大戦中,偽りの宗教の罪は再び,「重なり加わって天に達し」ました。(啓示 18:5)その上,僧職者たちは国際連盟,国際連合,ならびに国家主義的な革命運動などを支持して,到来するエホバの王国に背を向けましたが,そのいずれも人類の諸問題を解決できるものではありません。イエスが僧職者たちに不利な裁きを下し,ちょうど漁師が網にかかった不適当な魚を捨てるように彼らを捨てて退けてから,もう久しくなります。今日のキリスト教世界の諸教会の惨めな状態は,同世界がそのような裁きを受けたことを証明しています。同世界の最終的な運命が,まさしくわたしたちに対する警告となりますように!―マタイ 13:47-50。

      21 1919年以来,真の会衆のクリスチャンはラオデキアのクリスチャンに対するイエスの言葉に,どのようにこたえ応じてきましたか。

      21 人を元気づけるほど熱くもなければ,さわやかにするほど冷たくもない飲み物のような生ぬるい人は,個人的には真の会衆の中にさえいるものです。しかし,イエスは依然としてご自分の会衆を温かく愛しておられます。イエスは親切なもてなしをもってこたえ応ずるクリスチャンに対してご自身を役立たせてくださいます。それで,多くの人々は晩さんにでも迎えるかのように,イエスを歓迎してきました。その結果,1919年以来,それらの人たちの目は聖書預言の意味を理解するよう開かれ,たくさんの啓発を受ける時期を喜びをもって過ごしてきました。―詩編 97:11。ペテロ第二 1:19。

      22 イエスは将来のどんな晩さんのことをも念頭に置かれたかもしれませんか。だれがそれに共にあずかりますか。

      22 ラオデキアの人たちに語りかけた際,イエスはほかの晩さんのことをも念頭に置かれたかもしれません。啓示の書の後の方に,「子羊の結婚の晩さんに招かれた者たちは幸いである」と記されています。これは,神が偽りの宗教に対して裁きを執行なさった後に行なわれる,エホバをたたえる堂々たる勝利の宴です。これはキリストとその14万4,000人の完成した花嫁が天であずかる宴です。(啓示 19:1-9)あの古代のラオデキア会衆の反応の敏感な成員たち ― そうです,それに正真正銘の油そそがれたクリスチャンとしての身分を示す清い衣を着ている,今日のキリスト・イエスの忠実な兄弟たち ― すべては,その晩さんで自分たちの花婿と共にごちそうを頂きます。(マタイ 22:2-13)これは,熱心になり,そして悔い改めるように励ます,何と強力な誘因でしょう。

      征服する人たちのための王座

      23,24 (イ)イエスはそれ以上のどんな報いについて話しておられますか。(ロ)イエスはメシアなるご自分の王座にいつ座られましたか。自称クリスチャンに対する裁きをいつ開始されましたか。(ハ)イエスはご自分の死を思い起こす記念式を設けた時,弟子たちにどんな驚くべき約束をなさいましたか。

      23 イエスはそれ以上の報いについてこう話されます。「征服する者には,わたしと共にわたしの座に座することを許そう。わたしが征服して,わたしの父と共にその座に座したのと同様である」。(啓示 3:21)詩編 110編1,2節のダビデの言葉の成就として,世を征服して忠誠を保たれたイエスは,西暦33年に復活させられ,み父と共にその天の王座に座るよう高められました。(使徒 2:32,33)もう一つの重大な年である1914年に,イエスは王ならびに裁き主として,メシアなるご自分の王座に座るため,到来されました。その裁きは1918年に自称クリスチャンから始められたようです。その時以前に亡くなった,油そそがれた征服者たちはその時,復活させられ,イエスとその王国で一緒になります。(ペテロ第一 4:17)イエスはご自分の死を思い起こす記念式を設けた時,このことを約束して,弟子たちにこう言われました。「わたしは,ちょうどわたしの父がわたしと契約を結ばれたように,あなた方と王国のための契約を結び,あなた方がわたしの王国でわたしの食卓について食べたり飲んだりし,また座に着いてイスラエルの十二部族を裁くようにします」― ルカ 22:28-30。

      24 「再創造」の際,統治しておられるその王と共に座し,イエスの完全な犠牲に基づいて,従順な人類の世をエデンのような完全な状態に引き上げる業にイエスと共にあずかるのは,何という驚くべき割り当てなのでしょう。(マタイ 19:28; 20:28)ヨハネがわたしたちに教えているように,イエスは征服する人たちを「ご自分の神また父に対して王国とし,祭司として」,エホバご自身の壮大な天の王座の周りの座を占めさせてくださいます。(啓示 1:6; 4:4)油そそがれた者,あるいはパラダイスを回復する業にあずかることを望む新しい地の社会の者のいずれを問わず,わたしたちは皆,ラオデキアの人たちに対するイエスの言葉を本当に心に銘記しましょう。―ペテロ第二 3:13。使徒 3:19-21。

      25 (イ)これまでの音信と同様,イエスはラオデキアにあてたご自分の音信をどのように結んでおられますか。(ロ)今日,クリスチャンはラオデキアの会衆に対するイエスの言葉に個人個人どのようにこたえ応じるべきでしょうか。

      25 これまでの音信と同様,イエスは,「耳のある者は霊が諸会衆に述べることを聞きなさい」という訓戒の言葉でこの手紙を結んでいます。(啓示 3:22)今や終わりの時も相当経過しました。わたしたちの周りのすべての証拠は,愛に関する限り,キリスト教世界が冷えていることを示しています。それとは対照的に,わたしたちは真のクリスチャンとして,ラオデキアの会衆に対するイエスの音信に,そうです,諸会衆に対するわたしたちの主の七つの音信すべてに熱心にこたえ応じられますように。現代に関して,「そして,王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」と言われたイエスの偉大な預言の成就の一端に精力的にあずかることにより,熱心にこたえ応ずることができます。―マタイ 24:12-14。

      26 イエスはいつ再びヨハネに直接話されますか。とはいえ,イエスは何に参加されますか。

      26 七つの会衆に対するイエスの助言はこれで終わります。啓示の書の中で,イエスは最後の章に至るまでヨハネとは二度と話しませんが,多くの幻に,例えば,エホバの裁きを執行することなどに関与されます。では,今,ヨハネ級の人たちに加わって,主イエス・キリストが明らかにしておられる,注目すべき第2の幻を調べてみましょう。

      [脚注]

      a これらの場所は,ラオデキアの遺跡を発掘した考古学者により掘り出されてきました。

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする