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    啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
    • 19章

      神のイスラエルに証印を押す

      第4の幻 ― 啓示 7:1-17

      主題: 14万4,000人の人々が証印を押され,大群衆がエホバのみ座と子羊との前に立っている様子が見える

      成就する期間: キリスト・イエスが1914年に即位してから,その千年統治の期間に入るまで

      1 神の憤りの大いなる日には,『だれが立ちえるでしょうか』。

      「だれが立ちえようか」。(啓示 6:17)そうです,実際,だれが立ち得るでしょうか。神の憤りの大いなる日にサタンの体制が荒廃させられる時,世の支配者や諸民族がそのように尋ねるのは良いことです。それらの人々にとって,差し迫った大激変はすべての人間の命を奪い去るように思えるかもしれません。しかし,そうでしょうか。幸いにも,神の預言者は,「エホバの名を呼び求める者はみな安全に逃れることになる」と,わたしたちに保証しています。(ヨエル 2:32)使徒ペテロやパウロも,このことを確証しています。(使徒 2:19-21。ローマ 10:13)そうです,エホバのみ名を呼び求める人たちは生き残るのです。それはだれでしょうか。次の幻が現われる際,そのことを考えてみましょう。

      2 エホバの裁きの日に生き残る人がいるということは,どうして本当に注目すべき事柄でしょうか。

      2 だれかがエホバの裁きの日を生きて通過できるとすれば,それは本当に注目すべきことです。というのは,神の預言者の別の人はその日のことを次のように描写しているからです。「見よ,エホバの風あらし,激しい怒り,吹き進む大あらしが出て行った。それは邪悪な者たちの頭上に渦を巻く。エホバの燃える怒りは,ご自分の心の考えを成し遂げて,遂行するまで元に戻らない」。(エレミヤ 30:23,24)そのあらしを乗り切るための処置を講ずるのは,まさしく急を要する事柄です!―箴言 2:22。イザヤ 55:6,7。ゼパニヤ 2:2,3。

      四方の風

      3 (イ)ヨハネはみ使いたちがどんな特別の奉仕を行なうのを見ますか。(ロ)「四方の風」は何を象徴的に表わしていますか。

      3 エホバがそのような激怒をあらわにされる前に,天のみ使いたちは特別の奉仕を行ないます。今やヨハネはそのことを幻の中で見ます。「この後わたしは,四人のみ使いが地の四隅に立ち,地の四方の風をしっかり押さえて,地にも海にも,またどの木にも風が吹かないようにしているのを見た」。(啓示 7:1)これは今日のわたしたちにとって何を意味していますか。この「四方の風」は,邪悪な地上の社会や,不法な人類の波立つ「海」や,地の人々から支持と生活に必要な物とを得る木のような高位の支配者たちに対して,まさに容赦なく執行されようとしている,壊滅的な結果をもたらす裁きを生き生きと表わした象徴的な表現です。―イザヤ 57:20。詩編 37:35,36。

      4 (イ)四人のみ使いは何を表わしていますか。(ロ)四方の風が放たれる時,サタンの地上の組織はどんな影響を受けるでしょうか。

      4 これらの四人のみ使いは,裁きの執行を定められた時まで差し控えるためにエホバがお用いになる,み使いたちの四つの集団を表わしているようです。み使いたちが神の憤りのその風を放ち,それが渦を巻いて東西南北から一度に吹きすさんだなら,恐るべき荒廃がもたらされるでしょう。これはエホバが四方の風を用いて古代エラム人を散らして粉砕し,絶滅させられた時のような,しかし途方もない規模の出来事となるでしょう。(エレミヤ 49:36-38)そのあらしは,エホバがアンモンの国民を滅ぼし尽くすのに用いられた「大荒れ」よりもはるかに壊滅的な恐ろしい暴風となるでしょう。(アモス 1:13-15)エホバがご自分の主権の正しさを未来永劫にわたって立証なさる,その憤怒の日には,サタンの地上の組織のいかなる部分も立つことはできないでしょう。―詩編 83:15,18。イザヤ 29:5,6。

      5 神の裁きが全地を包含するものであることを理解するのに,エレミヤの預言はどのように役立ちますか。

      5 神の裁きは全地を損なうほどのものであることを確信できますか。神の預言者エレミヤの言葉に再び耳を傾けてください。「見よ,災いが国から国へと出て行き,激しい大あらしが地の最果てから引き起こされる。そして,エホバに打ち殺される者は,その日,地の一方の果てから地の他方の果てにまで及ぶであろう」。(エレミヤ 25:32,33)この大暴風が襲う際,この世界は暗黒にすっぽりと包まれるでしょう。この世の統治機関は揺り動かされて滅び,忘れ去られてしまうでしょう。(啓示 6:12-14)しかし,将来はすべての人にとって暗くなるわけではありません。では,四方の風はだれのために引き止められているのでしょうか。

      神の奴隷たちに証印を押す業

      6 だれがみ使いたちに四方の風を引き止めるよう命じますか。その結果,何をするための時間の余裕ができますか。

      6 ヨハネはさらに,ある人々が生き残るための印をどのように付けられるかを説明して,こう述べます。「また,別のみ使いが日の昇る方角から,生ける神の証印を携えて上って行くのを見た。彼は,地と海を損なうことを許された四人のみ使いに大声で叫んでこう言った。『わたしたちが,わたしたちの神の奴隷たちの額に証印を押してしまうまでは,地も海も木も損なってはならない』」― 啓示 7:2,3。

      7 第五のみ使いは実際にはだれのことですか。どんな証拠がその実体を確認するのに役立ちますか。

      7 この第五のみ使いの名は挙げられていませんが,すべての証拠は,そのみ使いが栄光を受けられた主イエスであられるに違いないことを示唆しています。イエスがみ使いの頭であられることと調和して,そのみ使いはここでほかのみ使いたちに対して権威を持つ方として示されています。(テサロニケ第一 4:16。ユダ 9)そのみ使いは「日の昇る方角から来る王たち」― エホバとそのキリスト ― のように,東から上って来ます。これらお二方は,ダリウスとキュロス両王が古代バビロンを卑しめた時のように,裁きを執行するために来られるのです。(啓示 16:12。イザヤ 45:1。エレミヤ 51:11。ダニエル 5:31)このみ使いもまた,油そそがれたクリスチャンに証印を押す務めをゆだねられている点でイエスに似ています。(エフェソス 1:13,14)さらに,その風が放たれる時,イエスは諸国民に対して裁きを執行するために天軍を導かれます。(啓示 19:11-16)では,論理的に言って,イエスこそ,神の奴隷たちに証印が押されるまで,サタンの地上の組織のその滅びを差し控えるよう,お命じになる方であると言えるでしょう。

      8 証印を押すとはどういうことですか。それはいつ始まりましたか。

      8 証印を押すとはどういうことですか。また,それら神の奴隷たちとはだれのことでしょうか。証印を押すことは,最初のユダヤ人のクリスチャンたちが聖霊で油そそがれた西暦33年のペンテコステの日に始まりました。後日,神は「諸国の人たち」を呼び出し,油そそぐことを始められました。(ローマ 3:29。使徒 2:1-4,14,32,33; 15:14)使徒パウロは,「キリストに属する」ことを保証するものを持っている油そそがれたクリスチャンについて書き,さらに,神は「またわたしたちにご自分の証印を押し,来たるべきものの印,つまり霊をわたしたちの心の中に与えてくださった」と付け加えました。(コリント第二 1:21,22。啓示 14:1と比較してください。)ですから,それらの奴隷たちは神の霊的な子として養子にされると,天の相続財産に関する事前の印,つまり証印,もしくは保証の印を受けるのです。(コリント第二 5:1,5。エフェソス 1:10,11)それで,彼らは次のように言うことができます。「霊そのものが,わたしたちの霊と共に,わたしたちが神の子供であることを証ししています。さて,子供であるならば,相続人でもあります。実に,神の相続人であり,キリストと共同の相続人なのです。ただし,共に栄光を受けるため,共に苦しむならばです」― ローマ 8:15-17。

      9 (イ)霊によって生み出された神の子たちの残っている人々は,どんな忍耐を要求されますか。(ロ)油そそがれた人たちを試すことは,いつまで続きますか。

      9 「ただし……共に苦しむならばです」とは,どういう意味でしょうか。油そそがれたクリスチャンは命の冠を受けるために,死に至るまでも忠実に忍耐しなければなりません。(啓示 2:10)それは,『一度救われたなら,いつまでも救われたことになる』という事柄ではありません。(マタイ 10:22。ルカ 13:24)かえって,「自分の召しと選びを自ら確実にするため,いよいよ力を尽くして励みなさい」と諭されています。使徒パウロのように,最後に,「わたしは戦いをりっぱに戦い,走路を最後まで走り,信仰を守り通しました」と言えなければなりません。(ペテロ第二 1:10,11。テモテ第二 4:7,8)ですから,霊によって生み出された神の子たちの残っている人々を試したり,えり分けたりすることは,自分たちが試みられた忠実な「わたしたちの神の奴隷」であることを決定的,また最終的に実証する人たちすべての「額に」,イエスと付き添っているみ使いたちとが証印をしっかり刻み込むまで,この地上で続けられなければなりません。その時,その証印は永久の印となります。患難を意味する四方の風が放たれる時,霊的なイスラエルの少数の人々はなお肉の体で生きているとしても,そのすべては最終的に証印を押されていることでしょう。(マタイ 24:13。啓示 19:7)その成員の数は完全にそろうでしょう!―ローマ 11:25,26。

      証印を押されるのは何人ですか

      10 (イ)どんな聖句は,証印を押される者たちの数が限定されていることを示唆していますか。(ロ)証印を押される者たちの人数は全部で何人ですか。それらの人たちはどのように列挙されていますか。

      10 イエスは証印を受ける見込みのある人たちに向かって,「恐れることはありません,小さな群れよ。あなた方の父は,あなた方に王国を与えることをよしとされたからです」と言われました。(ルカ 12:32)啓示 6章11節やローマ 11章25節などの他の聖句は,この小さな群れの人数がまさしく限定されており,実際には予定されていることを示唆しています。ヨハネの次の言葉はそのことを確証しています。「そしてわたしは,証印を押された者たちの数を聞いたが,それは十四万四千であり,イスラエルの子らのすべての部族の者たちが証印を押された。ユダの部族の中から一万二千人が証印を押され,ルベンの部族の中から一万二千人,ガドの部族の中から一万二千人,アシェルの部族の中から一万二千人,ナフタリの部族の中から一万二千人,マナセの部族の中から一万二千人,シメオンの部族の中から一万二千人,レビの部族の中から一万二千人,イッサカルの部族の中から一万二千人,ゼブルンの部族の中から一万二千人,ヨセフの部族の中から一万二千人,ベニヤミンの部族の中から一万二千人が証印を押された」― 啓示 7:4-8。

      11 (イ)12部族のことが指摘されているのに,これはどうして文字通りの肉のイスラエルには当てはまらないのでしょうか。(ロ)啓示の書にはなぜ12部族の一覧表があるのでしょうか。(ハ)神のイスラエルにはどうして王もしくは祭司の職を独占する部族がないのでしょうか。

      11 これは文字通りの肉のイスラエルを指しているのではないでしょうか。いいえ,そうではありません。啓示 7章4節から8節の一覧表は,通常の部族の一覧表とは異なっているからです。(民数記 1:17,47)ここの一覧表は明らかに,肉のユダヤ人を部族によって見分けるためではなく,霊的なイスラエルのための同様の組織的な構造を示すためのものです。このイスラエルは釣り合いが取れています。この新しい国民の成員は,12部族の各々から1万2,000人ずつ取られて,ちょうど14万4,000人になります。この神のイスラエルには,王もしくは祭司の職を独占する部族はありません。この国民は成員全員が王として支配し,また国民全員が祭司として奉仕することになっています。―ガラテア 6:16。啓示 20:4,6。

      12 24人の長老が啓示 5章9節と10節に記されている歌を子羊の前で歌うのは,どうしてふさわしいことですか。

      12 生来のユダヤ人とユダヤ教への改宗者には霊的なイスラエルになるよう選ばれる最初の機会が与えられましたが,その国民の中の少数の人々がこたえ応じたにすぎませんでした。ゆえに,エホバはその招待を異邦人に差し伸べられました。(ヨハネ 1:10-13。使徒 2:4,7-11。ローマ 11:7)かつては「イスラエルの国家から疎外され」ていたエフェソス人の場合のように,今やユダヤ人ではない人々が神の霊によって証印を押され,油そそがれたクリスチャンの会衆の一部になることができるようになりました。(エフェソス 2:11-13; 3:5,6。使徒 15:14)ですから,24人の長老が子羊の前で次のように歌うのは,ふさわしいことです。「あなたは……自分の血をもって,あらゆる部族と国語と民と国民の中から神のために人々を買い取(りました)。そして,彼らをわたしたちの神に対して王国また祭司とし,彼らは地に対し王として支配(しま)す」― 啓示 5:9,10。

      13 イエスの異父兄弟ヤコブはその手紙を「各地に散っている十二部族」にあてて書き送ることができましたが,それはどうして適切なことでしたか。

      13 クリスチャンの会衆は「選ばれた種族,王なる祭司,聖なる国民」です。(ペテロ第一 2:9)それが神の国民である生来のイスラエルに取って代わって,「真に『イスラエル』」である,新しいイスラエルとなるのです。(ローマ 9:6-8。マタイ 21:43)a このようなわけで,イエスの異父兄弟ヤコブが「各地に散っている十二部族」,つまりやがて成員が14万4,000人になる,油そそがれたクリスチャンの世界的な会衆にあてて牧羊の手紙を書き送ったのは,たいへん当を得たことでした。―ヤコブ 1:1。

      今日の神のイスラエル

      14 エホバの証人は,14万4,000人が霊的なイスラエルを構成する成員の文字通りの人数であるという見方を一貫して固守してきましたが,何がこのことを示していますか。

      14 興味深いことに,チャールズ・T・ラッセルは,この14万4,000人が霊的なイスラエルを構成する個々の成員の文字通りの人数であることを認めました。ラッセルは1904年に発行された,自著,「聖書研究」の第6巻,「新しい創造」(英文)と題する本の中で,こう書いています。「選びを受けた者[選ばれて,油そそがれた者たち]の定められた決まった人数は,啓示の書(7:4; 14:1)で何度か述べられているあの数,すなわち『人々の中から請け戻された』14万4,000人であることを信ずべき十分の理由がある」。1930年に聖書研究者が発行した「光」(英文)と題する本の第1巻では同様に,「こうして,キリストの体の14万4,000人の成員は,選択され,油そそがれた,もしくは証印を押された者として示されている集められた人々の中にいるのである」と記されています。エホバの証人は,文字通り14万4,000人の油そそがれたクリスチャンが霊的なイスラエルを構成しているという見方を一貫して固守してきました。

      15 誠実な聖書研究者たちは主の日の直前のころ,異邦人の時が終わった後,生来のイスラエルが何を享受するようになると考えていましたか。

      15 それにしても,今日,生来のイスラエルは何らかの特別の恵みを受けるに値するのではありませんか。誠実な聖書研究者たちが神のみ言葉の基本的な真理の多くを再発見してきた主の日の直前の時期には,異邦人の時が終わると,ユダヤ人は再び神のみ前で特権的な立場を享受するようになると考えられていました。ですから,1889年に発行された,C・T・ラッセルの著した,「時は近づけり」(「聖書研究」,第2巻,英文)と題する本では,エレミヤ 31章29節から34節が生来のユダヤ人に適用され,次のような注解が記されています。「世界は,異邦人の支配のもとでイスラエルの受ける処罰が紀元前[607年]以来続いてきたこと,また依然として続いていること,さらに『七つの時』,つまり2,520年の限界である紀元1914年よりも前に彼らの国家的再組織が行なわれるのを期待すべき理由はないということの証人である」。当時,ユダヤ人は国家的な回復を経験するのではなかろうかと思われましたし,パレスチナにおけるユダヤ人の母国建設を英国が支持することを保証したバルフォア宣言が出された1917年には,その見通しは一見明るく見えました。

      16 エホバの証人はキリスト教の音信をユダヤ人に伝えるため,どんな努力を払いましたか。結果はどうでしたか。

      16 第一次世界大戦に続いて,パレスチナは英国の委任統治領となり,多くのユダヤ人がその地に帰国する道が開かれました。1948年には政治上のイスラエル国家が生まれました。これは,ユダヤ人は神の祝福を受ける見込みがあることを示唆していませんでしたか。エホバの証人は多年,そうであると考えていました。ですから,証人たちは1925年に,「ユダヤ人のための慰め」(英文)と題する128ページの本を発行しました。1929年には,ユダヤ人に訴えるために書かれると共に,聖書のヨブ記をも扱った,「命」(英文)と題する,360ページの魅力的な本を発表しました。特に,ニューヨーク市では,メシアに関するその音信をユダヤ人に伝えるため,大変な努力が払われました。幸いにも,少数の個々の人はこたえ応じましたが,大方のユダヤ人は彼らの1世紀の父祖たちと同様,メシアの臨在に関する証拠を退けました。

      17,18 地上の神の奴隷たちは,新しい契約や回復に関する聖書の預言に関してどんな事柄を理解するようになりましたか。

      17 一民族ならびに一国民としてのユダヤ人が,啓示 7章4節から8節,あるいは主の日に関係のある聖書の他の預言の中で述べられているイスラエルでないことは明らかでした。ユダヤ人は伝統に従って,引き続き神のみ名を用いることを避けてきました。(マタイ 15:1-3,7-9)エホバの証人が1934年に発行した「エホバ」(英文)と題する本は,エレミヤ 31章31節から34節を論じ,「新しい契約はイスラエルの生来の子孫や一般の人類とは何ら関係がなく……霊的なイスラエルに限定されている」と最終的に述べました。回復に関する聖書の預言は,生来のユダヤ人にも,また国際連合の一成員国で,イエスがヨハネ 14章19節と30節および18章36節で話された世の一部である政治上のイスラエルにも関係がありません。

      18 地上の神の奴隷たちは1931年にエホバの証人という名称を大きな喜びを抱いて受け入れました。証人たちは,「光が義なる者のために,歓びが心の廉直な者たちのためにきらめいた」と記されている詩編 97編11節の言葉に心を込めて賛同できました。証人たちは,霊的なイスラエルだけが新しい契約に入れられたことをはっきりと識別できました。(ヘブライ 9:15; 12:22,24)こたえ応じようとしなかった生来のイスラエルも,また一般の人類も,その契約にはあずかりませんでした。このことを理解したので,神からの光が輝かしくきらめく道が開かれました。これは神権的な歴史の記録の中で目覚ましい事柄でした。それは,エホバがご自分に近づく人々すべてに対してご自身の憐れみや愛ある親切や真理をどんなに豊かに示される方であるかを明らかにするものとなりました。(出エジプト記 34:6。ヤコブ 4:8)そうです,み使いたちが滅びをもたらす四方の風を引き止めているので,神のイスラエル以外のほかの人々も恩恵を受けるようになりました。それはだれでしょうか。あなたもその一人になれるでしょうか。では,調べてみましょう。

      [脚注]

      a いみじくも,イスラエルという名称には,「神は闘う; 神と闘う者; 神に対してねばり強い者」という意味があります。―創世記 32:28,「参照資料付き 新世界訳聖書」,脚注。

  • 神のイスラエルに証印を押す
    啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
    • [114ページ,全面図版]

      [116,117ページの図版]

      真の神のイスラエルを選び出す全般的な業は,西暦33年のペンテコステの日から始まって,1935年まで続き,同年米国のワシントン特別区で開かれたエホバの証人の歴史的な大会で,それまでとは異なり,地的な命の見込みを持つ大群衆の取り入れを行なうことが強調されるようになりました(啓示 7:9)

  • おびただしい大群衆
    啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
    • 20章

      おびただしい大群衆

      1 ヨハネは14万4,000人に証印を押すことを述べてから,ほかのどんなグループの人々を見ますか。

      ヨハネは14万4,000人に証印を押すことを述べてから,さらに聖書全巻の中で最も感動的な啓示の一つについて報告します。そして,次のように報告した時,喜びで胸が躍るのを感じたに違いありません。「これらのことの後,わたしが見ると,見よ,すべての国民と部族と民と国語の中から来た,だれも数えつくすことのできない大群衆が,白くて長い衣を着て,み座の前と子羊の前に立っていた。彼らの手には,やしの枝があった」。(啓示 7:9)そうです,四方の風を引き止めることにより,霊的なイスラエルの14万4,000人の成員のほかに別のグループ,つまり多国語を用いる国際的な大群衆の救いが可能になるのです。a ―啓示 7:1。

      2 世の注釈者たちは大群衆のことをどのように説明しましたか。昔の聖書研究者たちでさえ,このグループの人々のことをどのように考えましたか。

      2 世の注釈者たちはこの大群衆のことをキリスト教に改宗した,肉のユダヤ人でない人々,もしくは天に行くクリスチャンの殉教者たちと解釈してきました。昔の聖書研究者たちでさえ,1886年当時,「聖書研究」第1巻の「代々に渉る神の経綸」(英文)と題する本の中で指摘されているように,この「大群衆」を二次的な天的級の人々とみなしていました。こう記されています。「彼らはみ座および神性という賞を失うが,ついには神性を備えた存在よりも低級な霊者として生まれることになる。それらの人々は確かに聖別されてはいるが,自分の命を犠牲としてささげることができないほど,世の霊に打ち負かされるのである」。さらに,1930年当時でさえ,「光」(英文)と題する本の第1巻は,「この大群衆を構成する人々は,主の熱心な証人になるようにとの招きにこたえ応じていない」と述べて,同様の考えを表明しました。これらの人々は真理の知識を持っていながら,それをほとんど宣べ伝えようとしない,独り善がりなグループの人々であると言われていました。彼らはキリストと共に統治することにはあずからない二次的な級の者として天に行くことになっていました。

      3 (イ)後に宣べ伝える業に熱心になった,正しい心を持っていた,ある人たちに,どんな希望が差し伸べられましたか。(ロ)1923年の「ものみの塔」誌は,羊とやぎに関するたとえ話をどのように説明しましたか。

      3 しかし,油そそがれたクリスチャンと交わるほかの仲間で,後に宣べ伝える業にたいへん熱心になった人たちがいました。それらの人々は天に行く願望を少しも抱いていませんでした。実際,彼らの希望は,エホバの民が1918年から1922年にかけて呼び物として行なった公開講演の主題と合致していました。それは最初,「世の終わりは近し ― 現存する万民は決して死することなし」という主題で行なわれました。b その後まもなく,1923年10月15日号の「ものみの塔」誌は羊とやぎに関するイエスのたとえ話を説明し(マタイ 25:31-46),「羊は,霊によって生み出されていないが,イエス・キリストを主として知的に認め,その統治の行なわれる,より良い時代を待ち望む,義に心の向いている諸国の民の人々すべてを表わしている」と述べました。

      4 地的な級の人たちに関する光は1931年,1932年,および1934年にそれぞれどのように一層明るく輝きましたか。

      4 何年か後の1931年に,「証明」(英文)と題する本の第1巻はエゼキエル 9章を論じ,世の終わりに際して守られるよう額に印を付けられる人たちの実体は,前述のたとえ話の羊であることを明らかにしました。次いで,1932年に発表された「証明」(英文)と題する本の第3巻は,イスラエルの油そそがれた王エヒウの兵車に同乗して,偽りの宗教家を処刑するエヒウの熱心さを見守るために出かけた,イスラエル人ではないエホナダブの廉直な心の態度について述べました。(列王第二 10:15-17)その本はこう注解しています。「ヨナダブ(エホナダブ)は,[エホバの裁きを告げ知らせる]エヒウの業が進行している時代の今,地上にいる,あの級の人々を表わしていた,もしくは予表していた。彼らは善意を持つ人々で,サタンの組織と調和せず,義の側を支持する人々であり,主はハルマゲドンの際に彼らを守り,その困難を切り抜けさせ,地上で彼らに永遠の命をお与えになるのである。これらの人はその『羊』級の人々を構成している」。「ものみの塔」誌は1934年に,地的な希望を抱くそれらのクリスチャンもエホバに献身し,バプテスマを受けるべきであることを明らかにしました。この地的な級の人たちに関する光は一層明るく輝いていました。―箴言 4:18。

      5 (イ)1935年に,大群衆の実体はどのように明らかにされましたか。(ロ)1935年にJ・F・ラザフォードが,地上で永遠に生きる希望を抱いている大会出席者に起立するよう勧めた時,どんなことが起きましたか。

      5 啓示 7章9節から17節に関する理解は今や,さん然と輝く光そのものの中で突如明らかにされようとしていました!(詩編 97:11)「ものみの塔」誌は,米国ワシントン特別区で1935年5月30日から6月3日まで開催される予定の大会が,エホナダブ(ヨナダブ)によって表わされていた人たちに「真の慰めと益」をもたらすものになるという希望を繰り返し表明していましたが,まさにその通りになりました! 当時,世界的な宣べ伝える業を率先して進めていたJ・F・ラザフォードは,約2万人の大会出席者に話した「大いなる群衆」と題する感動的な講演の中で,現代のほかの羊は啓示 7章9節の大群衆と同一であることを示す聖書的な証拠を提出しました。その話が最高潮に達した時,講演者は,「地上で永遠に生きる希望を抱いておられる方々は皆,起立していただけますか」と尋ねました。聴衆の中のかなり多くの人々が起立すると,講演者は,「ご覧なさい! 大いなる群衆です!」と宣言しました。と,一瞬静まり返ったかと思うと,万雷の拍手喝さいがわき起こりました。ヨハネ級の人たちは,それにエホナダブのグループの人々も,どれほど歓喜したことでしょう。翌日,840人の証人たちがバプテスマを受けましたが,その大半の人々はあの大群衆の者であることを公言しました。

      大群衆の実体を確認する

      6 (イ)大群衆とは,地上で永遠に生きることを望む,献身した現代のクリスチャンのグループであることを,どうしてはっきり理解できますか。(ロ)大群衆の白くて長い衣は何を象徴していますか。

      6 大群衆とは,神の所有なさる地球の上で永遠に生きることを望む,献身した現代のこのクリスチャンのグループであると,どうしてそのように断言できるのでしょうか。ヨハネは以前に,『あらゆる部族と国語と民と国民の中から神のために買い取られた』天的なグループの人たちを幻の中で見ました。(啓示 5:9,10)大群衆は同様のところから来ますが,前途の定めは異なっています。神のイスラエルとは違って,その人数は予定されていません。それらの人々が何人になるかは,だれも事前に告げることができません。彼らの長い衣は子羊の血で洗われて白くなっていますが,これは彼らがイエスの犠牲に対する自分たちの信仰により,エホバのみ前で義にかなった立場を得ていることを象徴しています。(啓示 7:14)そして,彼らはやしの枝を振って,自分たちの王であるメシアを歓呼して迎えています。

      7,8 (イ)やしの枝を振ることで,使徒ヨハネは多分,どんな出来事を思い起こしたでしょうか。(ロ)大群衆の人々がやしの枝を振っていることは,どんな重要な意味を持っていますか。

      7 ヨハネはこの幻を見ながら,60年余り前にイエスが地上で過ごされた最後の1週間のことを思い返しているに違いありません。西暦33年ニサン9日に,群衆は群がって来て,エルサレムに入城されるイエスを歓迎しました。その時,彼らは,「やしの木の枝を取って彼を迎えに出て行った。そして,大声でこう叫びはじめた。『救いたまえ! エホバのみ名によって来たる者,イスラエルの王こそ祝福された者!』」と記されています。(ヨハネ 12:12,13)同様に,大群衆がやしの枝を振って大声で叫ぶことは,抑え難い喜びを抱いてイエスをエホバの油そそがれた王として受け入れていることを示しています。

      8 また,やしの枝や歓喜の叫びは,多分,古代イスラエル人の仮小屋の祭りのことをヨハネに思い起こさせるでしょう。エホバはこの祭りに関して次のようにお命じになりました。「そしてあなた方は,自分たちのため,最初の日に,壮麗な樹木の実,やしの木の葉,茂った木の大枝,奔流の谷のポプラを取るように。あなた方の神エホバの前で七日のあいだ歓び楽しむのである」。やしの枝は歓びの印として用いられました。一時的な仮小屋は,エホバがご自分の民をエジプトから救い出して,荒野で天幕に住まわせたことを思い出させるためのものでした。「外人居留者,父なし子,やもめも」この祭りに加わりました。イスラエルは皆,「ただ喜びに満ちる」ことになっていました。―レビ 23:40。申命記 16:13-15。

      9 大群衆は喜びにあふれたどんな叫び声に加わりますか。

      9 それで,大群衆が霊的なイスラエルの一部ではないにしても,やしの枝を振るのはふさわしいことです。というのは,ヨハネがここで述べているように,彼らは喜びにあふれ,感謝の念を抱いて,勝利と救いを神と子羊とに帰しているからです。「そして大声でこう叫びつづける。『救いは,み座に座っておられるわたしたちの神と,子羊とによります』」。(啓示 7:10)この大群衆はあらゆる民族から分けられているとはいえ,そのようにただ一つの大きな声で叫びます。彼らは多種多様な国民や言語から来ているにもかかわらず,どうしてそのように叫ぶことができるのでしょうか。

      10 大群衆は多種多様な国民や言語から来ているにもかかわらず,どうしてただ一つの「大声」を上げて,一致して叫ぶことができるのでしょうか。

      10 この大群衆は,今日の地上の真に結び合わされた唯一の多国籍組織の一部です。彼らは国が異なっていても別の規準を持っているわけではなく,どこに住んでいようとも,聖書の正しい原則を一貫して当てはめます。彼らは国家主義的な革命運動に関係したりせず,かえって確かに『剣をすきの刃に打ち変えて』きました。(イザヤ 2:4)彼らは分派や宗派に分かれて,キリスト教世界の諸宗教のように混乱した,もしくは互いに相反する音信を大声で伝えたりはしません。また,賛美の業を自分たちが行なう代わりに専門の僧職者階級に任せたりもしません。彼らは,救いは聖霊によります,などと大声で叫んだりもしません。というのは,彼らは三位一体の神の僕ではないからです。彼らは地上の至る所のおよそ200の地理上の領土で,真理というただ一つの清い言語を話し,一致してエホバの名を呼び求めています。(ゼパニヤ 3:9)彼らは自分たちの救いが神の主要な救いの代理者イエス・キリストを通して,救いの神エホバから来ることを公に認めていますが,それは当然なことです。―詩編 3:8。ヘブライ 2:10。

      11 現代の科学技術は,大群衆が自分たちの大声の響きをなお一層大きくするのにどのように役立ってきましたか。

      11 現代の科学技術は,結び合わされた大群衆の大声の響きをなお一層大きくするのに役立ってきました。聖書研究の手引きを400以上の言語で出版する必要のある宗教団体は地上にはほかにありません。というのは,ただ一つの一致した音信を地上の人々すべてに伝えることに関心を持っている団体は,ほかにはないからです。エホバの証人の油そそがれた統治体の監督のもとに,この点でさらに助けになる多言語電算写植システム(英語の略称,MEPS<メップス>)が開発されました。本書を印刷している時点で,様々な形態のMEPS<メップス>が世界中の125の場所で使われており,それは月2回発行の「ものみの塔」誌を130以上の言語で同時出版できるようにするのに役立ってきました。エホバの民はまた,多数の言語で本書のような書籍の同時出版も行なっています。ですから,大半が大群衆で構成されているエホバの証人は,よく知られている言語すべてを用いて,毎年,何十億冊もの出版物を頒布し,すべての部族と国語の中から来る,さらに加えられる群衆が神のみ言葉を研究し,自分たちの声を大群衆のその大声に加えられるようにすることができるのです。―イザヤ 42:10,12。

      天で,それとも地上で?

      12,13 大群衆はどのような仕方で,「み座の前と子羊の前に立って」いますか。

      12 大群衆が『み座の前に立っている』といっても,天にいるという意味ではないことが,どうして分かりますか。このことに関しては,たいへん明確な証拠があります。例えば,ここで,「の前に」と訳されているギリシャ語(エノーピオン)は,文字通りには,「[の]見るところに」という意味で,エホバ「の前に」,あるいはエホバ「の見るところに」いる,地上の人間に関して何回か使われています。(テモテ第一 5:21。テモテ第二 2:14。ローマ 14:22。ガラテア 1:20)イスラエル人が荒野にいたころ,モーセはある時,アロンにこう言いました。「イスラエルの子らの全集会にこう言ってください。『エホバのみ前に近づきなさい。あなた方のつぶやきをお聞きになったからです』」。(出エジプト記 16:9)その時,イスラエル人はエホバのみ前に立つため天に移される必要はありませんでした。(レビ記 24:8と比較してください。)それどころか,彼らはまさしくその荒野で,エホバから見えるところに立っており,エホバは彼らに注意を向けておられました。

      13 さらに,こう記されています。「人の子がその栄光のうちに到来(すると)……すべての国の民が彼の前にc集められ(るでしょう)」。この預言が成就する時,全人類が天にいるわけではありません。『去って永遠の切断に入る』者たちは,確かに天にはいません。(マタイ 25:31-33,41,46)それどころか,人間は地上でイエスから見えるところに立っており,イエスは人々に注意を向けて裁きを行なわれます。同様に,大群衆はエホバとその王キリスト・イエスから見えるところに立っているので,「み座の前と子羊の前に」おり,このお二方から有利な裁きを受けます。

      14 (イ)だれが「み座の周りに」,また「[天の]シオンの山に」いると述べられていますか。(ロ)大群衆は神に「その神殿で」仕えているからといって,どうして祭司級の人々になっている訳ではありませんか。

      14 24人の長老や14万4,000人の油そそがれた人々のグループは,エホバの「み座の周りに」,また「[天の]シオンの山に」いると述べられています。(啓示 4:4; 14:1)大群衆は祭司級の人々ではありませんから,このような高位の地位には就きません。確かに,後の箇所の啓示 7章15節では,神に「その神殿で」仕えていると述べられています。しかし,この神殿は奥の聖所である至聖所を指していません。むしろ,それは神の霊的な神殿の地的な中庭のことです。ここで「神殿」と訳されているギリシャ語ナオスは,エホバの崇拝のために建てられた建造物全体という広い意味を表わす場合が少なくありません。今日,それは天と地の両方を包含する,霊的な構造物です。―マタイ 26:61; 27:5,39,40; マルコ 15:29,30; ヨハネ 2:19-21,「参照資料付き 新世界訳聖書」,脚注と比較してください。

      宇宙的な規模の賛美の叫び

      15,16 (イ)大群衆が姿を現わす時,天ではどんな反応が生じますか。(ロ)エホバの霊的な創造物は,神の目的に関する新たな啓示が示される度に,どんな反応を表わしますか。(ハ)わたしたちはその賛美の歌に地上でどのようにあずかることができますか。

      15 大群衆はエホバを賛美していますが,ほかの者も神を賛美する歌を歌っています。ヨハネはこう報告します。「そして,すべてのみ使いたちは,み座と長老たちと四つの生き物の周りに立っていたが,彼らはみ座の前にひれ伏し,神を崇拝してこう言った。『アーメン! 祝福と栄光と知恵と感謝と誉れと力と強さが,わたしたちの神に限りなく永久にありますように。アーメン』」― 啓示 7:11,12。

      16 エホバが地球を創造された時,その聖なるみ使いたちは皆,「共々に喜びにあふれて叫び,神の子たちがみな称賛の叫びを上げはじめ」ました。(ヨブ 38:7)エホバの目的に関する新たな啓示が示される度に,み使いたちは同様の賛美の叫びを上げるよう促されてきたに違いありません。24人の長老,つまり天的な栄光を受けた14万4,000人の人たちが子羊の尊さを認めて大声で叫ぶ時,神の天の被造物のほかの者もすべて,イエスとエホバ神を賛美する声に和します。(啓示 5:9-14)それらの被造物はすでに,エホバが油そそがれた忠実な人間を霊の領域の輝かしい場所に復活させ,ご自分の目的を成就しておられるのを見て,大いに喜んできました。今度は,大群衆が姿を現わすので,エホバの天の忠実な被造物はすべて,美しい旋律の賛美の歌声を一斉に上げます。エホバの僕すべてにとって,彼らが生活しているこの主の日は確かに胸の躍るような時代です。(啓示 1:10)わたしたちがこの地上で,エホバの王国について証しをして,その賛美の歌にあずかるのは,何という恵まれた特権でしょう。

      大群衆が現われる

      17 (イ)24人の長老の一人がどんな質問を起こしますか。その長老が答えを探し出せたということは,何を暗示していますか。(ロ)その長老の質問の答えはいつ出されましたか。

      17 使徒ヨハネの時代から,主の日の現代のある時期に至るまで,油そそがれたクリスチャンは大群衆の実体が分からず,当惑していました。ですから,すでに天にいる油そそがれた人たちを表わしている24人の長老の一人が,次のような的を射た質問をして,ヨハネの考えを刺激するのは,ふさわしいことです。「すると,長老の一人がこれに応じてわたしに言った,『白くて長い衣を着たこれらの者,これはだれか,またどこから来たのか』。それでわたしはすぐ彼に言った,『わたしの主よ,あなたが知っておられます』」。(啓示 7:13,14[前半])そうです,その長老は答えを探し出して,ヨハネに伝えることができました。このことは,24人の長老のグループのうちの復活させられた人たちが,今日,神からの真理を伝達する仕事に関係しているかもしれないことを暗示しています。一方,地上のヨハネ級の人たちは,自分たちの中でエホバが行なっておられる事柄を注意深く観察して,大群衆の実体を理解できるようになりました。彼らはエホバのご予定の時である1935年に神権的な組織の天空を明るく彩った,神からの光のまばゆい閃光をいち早く認めました。

      18,19 (イ)1920年代中と1930年代の初期のころ,ヨハネ級の人たちはどんな希望を強調していましたか。しかし,増加し続けるどんな人たちが,音信にこたえ応じましたか。(ロ)1935年に大群衆の実体が明らかにされたことは,14万4,000人の人たちに関してどんなことを示唆していましたか。(ハ)記念式の統計は何を明らかにしていますか。

      18 1920年代中と1930年代の初期のころ,ヨハネ級の人たちは出版物,ならびに宣べ伝える業の双方で,天的な希望を強調していました。14万4,000人の人数が全部そろうのは,なお先のことだったようです。しかし,音信に留意し,証しの業で熱意を示す,増加し続ける人たちは,地上の楽園<パラダイス>で永遠に生きることに関心があることを表明するようになりました。彼らは天に行く願いを少しも抱いていませんでした。それは彼らの受けた召しではありませんでした。彼らは小さな群れの一部ではなく,むしろほかの羊の一部でした。(ルカ 12:32。ヨハネ 10:16)それらの人々は1935年にほかの羊の大群衆と同一視されましたが,これは14万4,000人を選ぶことが当時まさに完了しようとしていたことを示唆していました。

      19 統計はこの結論を支持していますか。確かに支持しています。1938年には,5万9,047人のエホバの証人が世界中で宣教にあずかりました。そのうち,3万6,732人がイエスの死を思い起こす,年に一度の記念式の表象物にあずかり,天的な召しを受けていることを示しました。それ以後の年々,表象物にあずかる人々の人数は次第に減少してゆきました。それはおもに,エホバの忠実な証人たちが亡くなって,それぞれ地上の生涯を終えたからです。2005年には,わずか8,524人が記念式の表象物にあずかっただけでした。これは全世界で行なわれたその記念式の出席者1,639万116人の0.05%にすぎません。

      20 (イ)第二次世界大戦中,J・F・ラザフォードは大群衆についてどんな意見を個人的に述べましたか。(ロ)今や,どんな事実が,大群衆は実際に大きなものであることを示していますか。

      20 第二次世界大戦が勃発した時,サタンは大群衆の収穫を阻止させようとして激しく試みました。エホバの業は多くの国々で制限されました。J・F・ラザフォードは1942年1月に亡くなる少し前の当時の暗い時期に,「さて……大いなる群衆は結局のところ,それほど大きなものとはならないようだ」と語ったと言われています。しかし,神からの祝福により,物事はそれとは違った方向に導かれました! 世界中で奉仕に携わる証人の人数は,1946年までに17万6,456人に飛躍的に増えました。その大半は大群衆の人たちでした。2005年には,639万22人の証人たちが235の異なった国や地域で,エホバに忠実に奉仕しました。これはまさに大群衆です! そして,その人数は増加し続けています。

      21 (イ)主の日の期間中の神の民の収穫の業は,ヨハネの幻とどのように完全に一致していますか。(ロ)ある重要な預言がどのように成就し始めましたか。

      21 このようなわけで,主の日の期間中の神の民の収穫の業は,ヨハネの幻と完全に一致しています。まず最初に,14万4,000人の残っている者たちを集める業,次いで大群衆を集めることが行なわれます。イザヤが預言したように,「末の日」の今,すべての国の人々がエホバの清い崇拝にあずかるために流れて来ています。ですから,わたしたちは,エホバが創造しておられる「新しい天と新しい地」を感謝して歓喜しています。(イザヤ 2:2-4; 65:17,18)神は「すべてのもの,天にあるものと地にあるものを,キリストにおいて再び」集めておられます。(エフェソス 1:10)イエスの時代以来,何世紀にもわたって選ばれてきた,天の王国の油そそがれた相続人は,「天にあるもの」です。そして今や,ほかの羊の大群衆が「地にあるもの」の最初の者たちとして姿を現わしています。この取り決めと調和して奉仕するなら,あなたはとこしえの幸福を味わうことになるでしょう。

      大群衆の受ける祝福

      22 ヨハネは大群衆に関して,さらにどんな情報を受けますか。

      22 ヨハネはこの大群衆に関して,神の経路からさらに情報を受けます。「すると彼[長老]はわたしに言った,『これは大患難から出て来る者たちで,彼らは自分の長い衣を子羊の血で洗って白くした。それゆえに神のみ座の前にいるのである。そして,その神殿で昼も夜も神に神聖な奉仕をささげている。また,み座に座っておられる方は彼らの上にご自分の天幕を広げられるであろう』」― 啓示 7:14(後半),15。

      23 「大群衆」は大患難から「出て来る」人たちですが,その大患難とは何ですか。

      23 イエスは以前のある時,王国の栄光を伴うご自分の臨在が,「世の初めから今に至るまで起きたことがなく,いいえ,二度と起きないような大患難」の際に最高潮に達するであろうと言われました。(マタイ 24:21,22)その預言の成就として,み使いたちは地の四方の風を放って,サタンの世の体制を荒廃させることになります。まず最初に,偽りの宗教の世界帝国である大いなるバビロンが取り除かれます。それから,大患難の絶頂に際して,イエスは,14万4,000人の地上に残っている人たちと共に,おびただしい大群衆を救い出されます。―啓示 7:1; 18:2。

      24 大群衆の中の個々の人々はどのようにして生き残る資格を得ますか。

      24 大群衆の中の個々の人々はどのようにして生き残る資格を得ますか。例の長老はヨハネに,それらの人たちは「自分の長い衣を子羊の血で洗って白くした」と語っています。言い換えれば,彼らは自分たちの贖い主としてのイエスに信仰を働かせ,エホバに献身し,その献身の象徴として水のバプテスマを受けて,廉直な行動により『正しい良心を保って』きました。(ペテロ第一 3:16,21。マタイ 20:28)こうして,それらの人たちはエホバの目に義にかなった清い者となっています。また,彼らは自らを「世から汚点のない状態に」保っています。―ヤコブ 1:27。

      25 (イ)大群衆はどのようにしてエホバに『その神殿で昼も夜も神聖な奉仕』を行なっていますか。(ロ)エホバはどのように大群衆の上に「ご自分の天幕を広げ」てくださいますか。

      25 さらに,これらの人々は熱心なエホバの証人となり,「その神殿で昼も夜も神に神聖な奉仕」を行なってきました。あなたはこの献身した大群衆の一人ですか。もしそうでしたら,神の大いなる霊的な神殿の地的な中庭でエホバに絶えず仕えるのは,あなたの特権です。今日,大群衆は,油そそがれた者たちの指導のもとに,証しの業の大半を行なっています。その中の何十万もの人たちは,世俗の生活上の責任があるにもかかわらず,都合をつけて開拓者として全時間の宣教に携わってきました。しかし,あなたはそのグループの中の一人であろうとなかろうと,大群衆の献身した一成員として,ご自分の信仰と業のゆえに神の友として義と宣せられ,神の天幕の客として歓迎されているのですから,歓ぶことができます。(詩編 15:1-5。ヤコブ 2:21-26)エホバはこうして,ご自分を愛する人たちの上に「ご自分の天幕を広げ」,善良な主人としてそれらの人々を保護してくださいます。―箴言 18:10。

      26 大群衆はほかにどんな祝福を享受しますか。

      26 その長老はさらにこう語り続けます。「彼らはもはや飢えることも渇くこともなく,太陽が彼らの上に照りつけることも,どんな炎熱に冒されることもない。み座の真ん中におられる子羊が,彼らを牧し,命の水の泉に彼らを導かれるからである。そして神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去られるであろう」。(啓示 7:16,17)確かにエホバは温かくもてなしてくださる方です! しかし,この言葉にはどんな深い意味があるのでしょうか。

      27 (イ)イザヤはその長老の言葉と同様の事柄をどのように預言しましたか。(ロ)イザヤの預言がパウロの時代のクリスチャン会衆に成就し始めたことを何が示していますか。

      27 同様の言葉遣いの次のような預言も考慮してみましょう。「エホバはこのように言われた。『わたしは善意の時にあなたに答え,救いの日にあなたを助けた。……彼らは飢えることも,渇くこともない。また,焼けつくような熱や太陽が彼らを打つこともない。彼らに哀れみを抱いている方がこれを率いて,水の泉のほとりに導くからである』」。(イザヤ 49:8,10。詩編 121:5,6もご覧ください。)使徒パウロはこの預言の一部を引用し,西暦33年のペンテコステの時に始まった「救いの日」に適用して,こう書きました。「『受け入れることのできる時にわたしはあなたのことばを聞き,救いの日にあなたを助けた』と[エホバが]言っておられるのです。見よ,今こそ特に受け入れられる時です。見よ,今こそ救いの日なのです」― コリント第二 6:2。

      28,29 (イ)イザヤの言葉は1世紀にどのように成就しましたか。(ロ)啓示 7章16節の言葉は大群衆に関してどのように成就していますか。(ハ)大群衆は「命の水の泉」に導かれる結果,どうなりますか。(ニ)大群衆は人類の中でどうして特異な存在となりますか。

      28 飢えたり,渇いたり,あるいは焼けつくような熱を受けたりはしないという約束は,1世紀当時,どのように適用されましたか。1世紀のクリスチャンは,時には確かに文字通りの飢えや渇きを経験しました。(コリント第二 11:23-27)しかし,霊的には豊かでした。霊的なものが豊かに備えられていたので,その点で飢えたり,渇いたりはしませんでした。その上,エホバが西暦70年にユダヤ人の事物の体制を滅ぼした時,ご自分の怒りを燃え立たせて,その熱をクリスチャンに受けさせたりはなさいませんでした。啓示 7章16節の言葉は,今日の大群衆にも同様に霊的な仕方で成就しています。彼らは油そそがれたクリスチャンと一緒に,豊富な霊的な備えを享受しています。―イザヤ 65:13。ナホム 1:6,7。

      29 もし,あなたがこの大群衆の一人でしたら,たとえサタンの体制の終末期の何年かの間,窮乏や圧迫のためにどんなにか忍耐しなければならないとしても,ご自分の心の良い状態のゆえに「喜び叫ぶ」ことでしょう。(イザヤ 65:14)今でさえ,エホバはそのような意味で,『あなたの目からすべての涙をぬぐい去る』ことがおできになります。神の不利な裁きという酷熱の「太陽」があなたを脅かすことはもはやありませんし,滅びをもたらす四方の風が放たれる時,あなたはエホバの不興という「炎熱」からも守られることでしょう。その滅びが終わった後,子羊は生気を回復させる「命の水の泉」の益に十分あずかれるよう,あなたを導かれるでしょう。その水は永遠の命を得られるようエホバがあなたのために設けておられる備えのすべてを表わしています。あなたはやがて完全な人間の状態に引き上げられることにより,子羊の血に対するあなたの信仰の正しさが立証されるでしょう。大群衆に属するあなたは,死ぬ必要さえなかったあの「万民」,つまり何百万もの人々の一つのグループとして人類の中で特異な存在となるでしょう! あなたの目から,完全な意味で涙がことごとくぬぐい去られることでしょう。―啓示 21:4。

      召しを確かなものにする

      30 ヨハネの幻の中で,わたしたちのためにどんな壮大な展望が開かれますか。だれが「立ち」得るでしょうか。

      30 これらの言葉はわたしたちのために何という壮大な展望を開いてくれるのでしょう。エホバご自身はその王座に座しておられ,天と地の僕たちはすべて,一致してこの方を賛美しています。地上の僕たちは,増大するこの賛美の合唱に加わることが,どんなに畏怖の念を起こさせる特権かを認識しています。エホバとキリスト・イエスは実際,間もなく裁きを執行なさり,『彼らの憤りの大いなる日が来た。だれが立ちえようか』という叫び声が上がるでしょう。(啓示 6:17)その答えですか。それは,証印を押された14万4,000人のうち,なお肉の体で残っているかもしれない人たちと,彼らと共に『立つ』,つまり生き残るほかの羊の大群衆を含め,人類の中の少数の人々だけでしょう。―エレミヤ 35:19。コリント第一 16:13。

      31 ヨハネの幻の成就は,油そそがれた者と大群衆の両方のクリスチャンにどのような影響を及ぼすはずですか。

      31 このことを考えて,ヨハネ級の油そそがれたクリスチャンは,『キリスト・イエスによる神からの賞である上への召しのため,目標に向かってひたすら走る』よう精力的に努力しています。(フィリピ 3:14)彼らはこの時代の出来事のために特別の忍耐が要求されていることを十分知っています。(啓示 13:10)彼らは多年エホバに忠節に仕えた後,自分たちの名が「天に記された」ことを歓びとして,信仰を固守しています。(ルカ 10:20。啓示 3:5)大群衆の人たちもまた,「終わりまで耐え忍んだ人が救われる者」となることを知っています。(マタイ 24:13)大群衆はグループとしては大患難から出て来る者たちとしてしるし付けられていますが,その中の個人個人は活動的な清い状態を保つために努力しなければなりません。

      32 ただ二つのグループだけがエホバの憤りの日に『立つ』ということは,どんな緊急な状況を強調していますか。

      32 エホバの憤りの日に,これら二つのグループとは別に『立つ』者がだれかいることを示す証拠は一つもありません。このことは,毎年イエスの死を思い起こす記念式の祝いに出席して,その犠牲に対する感謝の念をある程度示しながらも,献身してバプテスマを受けて神への奉仕に活発にあずかるエホバの僕となる程度まで,イエスの犠牲に対する信仰をまだ働かせていない何百万もの人たちにとって,何を意味していますか。さらに,かつては活発でしたが,心を『生活上の思い煩いのために押しひしがれる』ままにしてしまった人たちについてはどうですか。そのような人たちすべてが,「起きることが定まっているこれらのすべての事を逃れ,かつ人の子[イエス・キリスト]の前に立つことができる」よう,目を覚まし,そして目覚めていますように。時は縮まっています!―ルカ 21:34-36。

      [脚注]

      a 「参照資料付き 新世界訳聖書」の脚注をご覧ください。

      b 「ものみの塔」誌(英文),1918年4月1日号,98ページ。

      c 字義通りには,「彼の面前で」,ギリシャ語聖書王国行間逐語訳(英文)。

  • おびただしい大群衆
    啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
    • [119ページの囲み記事]

      解き明かしは神によります

      何十年もの間,ヨハネ級の人たちは大群衆の実体について探究していましたが,満足のゆく説明を見いだせませんでした。どうしてでしたか。「解き明かしは神によるのではありませんか」と述べた忠実なヨセフの言葉の中に,その理由を見いだせます。(創世記 40:8)神はいつ,またどのようにご自分の預言の成就を解き明かされるのでしょうか。普通,解き明かされるのは預言が成就する予定の時,あるいは成就の途上にある時ですから,観察力の鋭い神の僕たちはその音信をはっきりと識別することができます。そのような理解は,「わたしたちの教えのため……であり,それは,わたしたちが忍耐と聖書からの慰めとによって希望を持つためです」。―ローマ 15:4。

      [124ページの囲み記事]

      大群衆の成員は

      ■ すべての国民と部族と民と国語の中から来ます

      ■ エホバのみ座の前に立っています

      ■ 自分たちの長い衣を子羊の血で洗って白くしました

      ■ 救いをエホバとイエスに帰しています

      ■ 大患難から出て来ます

      ■ 神殿でエホバに昼も夜も仕えます

      ■ エホバの愛ある保護と世話を受けます

      ■ イエスによって牧され,命の水の泉に導かれます

      [121ページ,全面図版]

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