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勝利の新しい歌を歌う啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
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29章
勝利の新しい歌を歌う
第9の幻 ― 啓示 14:1-20
主題: 14万4,000人の人たちは子羊と共にシオンの山にいます。み使いのふれ告げる知らせが地上の至る所に響き渡ります。収穫物が刈り取られます
成就する期間: 1914年から大患難の時まで
1 わたしたちは啓示 7章,12章,および13章に関してどんなことを学びましたか。では,今からどんなことを学びますか。
ヨハネの次の幻を調べると,何と気持ちがさわやかにされるのでしょう。龍の奇怪な獣のような組織とは対照的に,わたしたちは今や,主の日の期間中のエホバの忠節な僕たちとその活動を見ます。(啓示 1:10)啓示 7章1節と3節は,それら油そそがれた奴隷たちの14万4,000人全員が証印を押されるまで,滅びをもたらす四方の風が引き止められていることをわたしたちにすでに明らかにしてきました。啓示 12章17節は,それら「[女]の胤のうちの残っている者たち」がその期間中,龍であるサタンの特別の標的にされることを示してきました。また,啓示 13章は,サタンがエホバの忠実な僕たちに激しい圧力と残忍な迫害をもたらすために地から起こした政治組織を鮮やかに描写しています。しかし,あの大敵は神の目的を阻むことはできません! わたしたちは今や,サタンの悪意のある活動にもめげず,14万4,000人の人たちがすべて勝利を得て集められてゆくことについて学びます。
2 啓示 14章1節で,ヨハネはどんな喜ばしい終楽章に関する予告編をわたしたちに示していますか。子羊とはだれのことですか。
2 ヨハネと,これと共にいる今日のヨハネ級の人たちには,あの喜ばしい結末に関する予告編が示されます。「またわたしが見ると,見よ,子羊がシオンの山に立っており,彼と共に,十四万四千人の者が,彼の名と彼の父の名をその額に書かれて立っていた」。(啓示 14:1)すでに調べた通り,この子羊は,悪魔と悪霊たちを追い出して天を清めたミカエルと同じ方です。この方は,エホバの義にかなった裁きを執行する際に「立ち上がる」用意をして,「[神]の民の子らのために立つ」方としてダニエルにより描写されているミカエルのことです。(ダニエル 12:1。啓示 12:7,9)自らを犠牲にされた,神のこの子羊は,1914年以来,メシアなる王としてシオンの山に立っておられます。
3 子羊と14万4,000人の人たちが「立って」いる「シオンの山」とは何ですか。
3 それはエホバが,「わたしは,まさしくわたしは,わたしの聖なる山シオンにわたしの王を立てた」と予告された通りです。(詩編 2:6; 110:2)この句はもはや,ダビデの家系の人間の王たちが治めていた都市,つまり地上のエルサレムの地理的な所在地である地上のシオンの山に言及しているのではありません。(歴代第一 11:4-7。歴代第二 5:2)というのは,イエスは西暦33年に死んで復活させられた後,エホバが「生ける神の都市なる天のエルサレム」を置くことを定められた天界の所在地である天的なシオンの山に,土台の隅石として据えられたからです。したがって,この句のシオンの山は,天のエルサレム,すなわち王国を構成するイエスとその共同相続人たちの高められた地位を表わしています。(ヘブライ 12:22,28。エフェソス 3:6)その山は,主の日の期間中,彼らがエホバにより高められて就けられる輝かしい王としての立場のことです。「生ける石」である油そそがれたクリスチャンは,栄光を受けられた主イエス・キリストとその壮大な王国で結ばれて,あの天のシオンの山に立つことを何世紀にもわたって切に待ち望んできました。―ペテロ第一 2:4-6。ルカ 22:28-30。ヨハネ 14:2,3。
4 14万4,000人の人たち全員がシオンの山に立っていますが,それはどうしてでしょうか。
4 ヨハネは,イエスのみならず,シオンの山に立っている天の王国の14万4,000人の仲間の相続人の一団全員をも見ます。幻が示している時期には,14万4,000人の全員ではありませんが,そのうちの多くの人たちがすでに天にいます。ヨハネは同じ幻の後の箇所で,聖なる者たちのある人々がなおも忍耐し,忠実を保って死ななければならないことを知ります。(啓示 14:12,13)ですから,明らかに,14万4,000人の中のある人々はなお地上にいます。では,彼らすべてがシオンの山でイエスと共に立っているのをヨハネは見ますが,それはどうしてでしょうか。a それは,油そそがれたクリスチャンの会衆の成員であるそれらの人たちが今や,「シオンの山,生ける神の都市なる天のエルサレム(に)……近づいた」からです。(ヘブライ 12:22,24)つまり,なお地上にいた時のパウロと同様,天の場所でキリスト・イエスと共になるため,すでに ― 霊的な意味で ― よみがえらされているのです。(エフェソス 2:5,6)その上,1919年には,「ここに上って来なさい」という招きにこたえ応じて,比喩的な仕方で「雲のうちにあって天へ上って行き」ました。(啓示 11:12)これらの聖句から見て,14万4,000人の人たちは全員 ― 霊的に言って ― イエス・キリストと共にシオンの山に立っていることが分かります。
5 14万4,000人の人たちの額にはだれの名が記されていますか。その各々の名にはどんな重要な意味がありますか。
5 14万4,000人の人たちは,666という象徴的な数字の印のある野獣の崇拝者たちとは何の関係もありません。(啓示 13:15-18)それとは対照的に,これら忠節な人たちは額に神と子羊との名が記されています。ユダヤ人だったヨハネは多分,יהוהというヘブライ語の文字で記された神のみ名を見たことでしょう。b それら証印を押された人たちは,イエスのみ父の名が象徴的に額に記されているので,自分たちがエホバの証人,つまりエホバの奴隷であることをすべての人に知らせています。(啓示 3:12)また,イエスの名も自分たちの額に記されて目につくようにされています。これは,自分たちがイエスに所有されているのを認めていることを示唆しています。イエスは彼らの婚約した「夫」で,彼らは天的な命を目指して神に仕える「新しい創造物」,つまりイエスの未来の「花嫁」です。(エフェソス 5:22-24。コリント第二 5:17。啓示 21:2,9)彼らはエホバとイエス・キリストと親密な関係を持っており,その関係は彼らの考えと行動のすべてに影響を及ぼしています。
新しい歌であるかのような歌を歌っている
6 ヨハネは,何を歌っているのを聞きますか。彼はその歌をどのように描写していますか。
6 このことと調和して,ヨハネはこう伝えています。「またわたしは,多くの水の音のような,そして大きな雷鳴のような音が天から出るのを聞いた。わたしが聞いた音は,自分で弾くたて琴に合わせて歌う歌い手たちの声のようであった。そして彼らは,み座の前および四つの生き物と長老たちの前で,新しい歌であるかのような歌を歌っている。地から買い取られた十四万四千人の者でなければ,だれもその歌を学び取ることができなかった」。(啓示 14:2,3)ヨハネは14万4,000人の人たちが声を和して美しい旋律の合唱をするのを聞くと,ごうごうと音を立てて流れ落ちる滝や鳴り響く雷鳴を思い起こすのも少しも不思議ではありません。よく響く,そのたて琴のような伴奏は,何と快いのでしょう。(詩編 81:2)かつて地上のどんな聖歌隊の歌声がこの壮大な合唱の雄大さに匹敵し得たでしょう。
7 (イ)啓示 14章3節の新しい歌とは何ですか。(ロ)詩編 149編1節の歌が現代でも新しいのは,どうしてでしょうか。
7 それに,この「新しい歌」とは何ですか。啓示 5章9節と10節について論じた時に注目したように,その歌はエホバの王国に関する目的と,霊的なイスラエルを「わたしたちの神に対して王国また祭司」とするための,イエス・キリストを通して設けられた,神のすばらしい備えと関係があります。それは,エホバが神のイスラエルによって,またそのイスラエルのために成し遂げておられる新しい事柄を広く告げ知らせる,エホバへの賛美の歌です。(ガラテア 6:16)この霊的なイスラエルの成員は,詩編作者の次のような勧めにこたえ応じます。「あなた方はヤハを賛美せよ! エホバに新しい歌を,忠節な者たちの会衆でその賛美を歌え。イスラエルはその偉大な造り主にあって歓べ。シオンの子ら ― 彼らはその王にあって喜べ」。(詩編 149:1,2)これらの言葉は確かに何世紀も前に書き記されましたが,現代でも新たな理解が加えられて歌われてきました。1914年にメシアによる王国が誕生しました。(啓示 12:10)1919年に,地上のエホバの民は取り戻した熱意を抱いて,「王国の言葉」を告げ知らせ始めました。(マタイ 13:19)1919年の年の聖句(イザヤ 54:17)に鼓舞され,また回復された霊的なパラダイスに入れられて励まされた彼らは,その年に「心の調べに合わせてエホバに歌い」始めました。―エフェソス 5:19。
8 啓示 14章3節の新しい歌は,どうして14万4,000人の人たちしか学べないのでしょうか。
8 しかし,啓示 14章3節で言及されている歌は,どうして14万4,000人の人たちしか学べないのでしょうか。なぜなら,その歌は神の王国の選ばれた相続人としての彼らの経験と関係があるからです。彼らだけが神の子として養子にされ,そして聖霊によって油そそがれます。彼らだけがその天の王国の一部となるために地から買い取られ,彼らだけが人類を完全な状態に到達させるため,イエス・キリストと共に千年間『祭司となり,王として支配します』。また,彼らだけがまさしくエホバのみ前で,「新しい歌であるかのような歌を歌っている」様子が見えます。c それらの人たちはこのような独特の経験と見込みのゆえに王国に対する並々ならぬ認識の念を抱いており,ほかの人はだれも歌えないような仕方で王国について歌うことができるのです。―啓示 20:6。コロサイ 1:13。テサロニケ第一 2:11,12。
9 大群衆は油そそがれた者たちが歌っているのを聴いて,どのようにこたえ応じてきましたか。こうして,彼らはどんな勧告に十分こたえてきましたか。
9 とは言うものの,ほかの人々も彼らが歌っているのを聴いて,こたえ応じています。1935年以来,ほかの羊の増大する大群衆が,彼らの勝利の歌を聞き,神の王国を広く告げ知らせる業に彼らと共に加わるよう動かされてきました。(ヨハネ 10:16。啓示 7:9)むろん,それらの新参者は,神の王国の将来の支配者たちが歌う,その同じ新しい歌の正確な歌い方を学ぶことはできません。しかし,彼らもエホバが成し遂げておられる新しい事柄に関してエホバをほめたたえる賛歌である,エホバへの美しい旋律の賛美の合唱に加わります。こうして,彼らは詩編作者の次のような勧告に十分こたえています。「エホバに向かって新しい歌を歌え。地のすべての者よ,エホバに向かって歌え。エホバに向かって歌い,そのみ名をほめたたえよ。日から日へとその救いの良いたよりを告げよ。諸国民の中でその栄光を,もろもろの民すべての中でそのくすしいみ業を告げ知らせよ。もろもろの民の諸族よ,エホバに帰せよ,栄光と力をエホバに帰せよ。諸国民の中で言え,『エホバ自ら王となられた……』と」― 詩編 96:1-3,7,10; 98:1-9。
10 14万4,000人の人たちはどうして象徴的な24人の長老の「前で」歌うことができるのでしょうか。
10 24人の長老は輝かしい天的な地位に就いている14万4,000人である以上,どうしてその14万4,000人の人たちは長老たちの「前で」歌うことができるのでしょうか。主の日の初めごろ,『キリストと結ばれて死んでいた』人たちは霊の被造物として復活させられました。こうして,征服した忠実な油そそがれたクリスチャンは,今や天にいて,祭司である長老の24の組の役目に類似した役割を象徴的な仕方で果たしています。それらのクリスチャンはエホバの天の組織に関する幻の中に含まれています。(テサロニケ第一 4:15,16。歴代第一 24:1-18。啓示 4:4; 6:11)ですから,なお地上にいる14万4,000人の残りの者は,復活させられて天にいる彼らの兄弟たちの前で新しい歌を歌っている,もしくはそれら兄弟たちから見える所でそうしているのです。
11 困難を克服した油そそがれた者たちは,どうして14万4,000人だけでなく,24人の長老とも呼ばれているのでしょうか。
11 ここで,わたしたちはまた,困難を克服したそれら油そそがれた者たちが,どうして14万4,000人だけでなく,象徴的な24人の長老とも呼ばれているのだろうかと問えるでしょう。それは,啓示の書がこの一つのグループを二つの異なった観点から見ているからです。24人の長老は常に,天で王ならびに祭司として就任し,エホバの王座の周りの彼らの究極的な地位に就いた者として示されています。彼らは自分たちの天的な地位に就いている14万4,000人のグループ全体を象徴しており,その少数の残りの者が今もなお地上にいます。(啓示 4:4,10; 5:5-14; 7:11-13; 11:16-18)しかし啓示 7章は,人類の中から生み出される14万4,000人の人たちに焦点を当てると共に,個々の霊的なイスラエル人全員に証印を押し,数えきれない大群衆に救いを得させるというエホバの偉大な目的を強調しています。啓示 14章は,困難を克服する14万4,000人で成る王国級の個々の人々全員がシオンの山で子羊と共に集められることを確証する光景を述べています。また,14万4,000人の一人として数えられるために満たされねばならない資格も示されていますが,この点はこれから調べましょう。d
子羊に従う人たち
12 (イ)ヨハネは14万4,000人の人たちに関する描写をどのように続けていますか。(ロ)14万4,000人の人たちは,どのような意味で童貞ですか。
12 ヨハネは『地から買い取られる』14万4,000人の人たちに関する描写を続けて,わたしたちにこう語ります。「これらは女によって自分を汚さなかった者である。事実,彼らは童貞である。これらは,子羊の行くところにはどこへでも従って行く者たちである。これらは,神と子羊に対する初穂として人類の中から買い取られたのであり,その口に偽りは見いだされなかった。彼らはきずのない者たちである」。(啓示 14:4,5)14万4,000人の人たちが「童貞である」からといって,この級の成員が必ずしも未婚の身であることを意味してはいません。使徒パウロは天的な召しを受けていたクリスチャンに対して,独身のクリスチャンにも利点がある一方,ある状況のもとでは結婚するほうが望ましいということを書き送っています。(コリント第一 7:1,2,36,37)この級の人たちの特徴となっているのは,霊的な意味で童貞であることです。彼らは世の政治や偽りの宗教との霊的な姦淫を避けてきました。(ヤコブ 4:4。啓示 17:5)婚約した,キリストの花嫁として,自らを「曲がってねじけた世代の中にあってきずのない」,清い者として保ってきました。―フィリピ 2:15。
13 14万4,000人の人たちは,どうしてイエス・キリストのためのふさわしい花嫁と言えますか。彼らはどのように,『子羊の行くところにはどこへでも従って行き』ますか。
13 その上,『その口に偽りは見いだされませんでした』。この点で,彼らは自分たちの王イエス・キリストに似ています。完全な人間であられたイエスは,「罪を犯さず,またその口に欺きは見いだされませんでした」。(ペテロ第一 2:21,22)14万4,000人の人たちはきずがないと同時に誠実ですから,エホバの偉大な大祭司のための貞潔な花嫁となる用意ができています。イエスは地上にいた当時,心の正しい人たちをご自分に従うよう招かれました。(マルコ 8:34; 10:21。ヨハネ 1:43)その招きにこたえ応じた人たちは,イエスの生き方に見習い,その教えに従いました。こうして,彼らは地上での歩みを続ける間,子羊に導かれてサタンの世を通過しながら,『子羊の行くところにはどこへでも従って行き』ます。
14 (イ)14万4,000人の人たちが「神と子羊に対する初穂」であるのは,どうしてでしょうか。(ロ)大群衆もやはり,どんな意味で初穂ですか。
14 14万4,000人の人たちは「地から買い取られ」ます。つまり,「人類の中から買い取られ」ます。彼らは神の子として養子にされ,復活させられた後は,もはや単なる血肉の人間ではなくなります。4節で言及されているように,「神と子羊に対する初穂」となります。なるほど,1世紀当時,イエスは「死の眠りについている者たちの初穂」でした。(コリント第一 15:20,23)しかし,14万4,000人の人たちはイエスの犠牲によって不完全な人間の中から買い取られた,『ある意味での初穂』です。(ヤコブ 1:18)とはいえ,人間の中から実を取り入れる業は,それらの人たちで終わる訳ではありません。啓示の書は,「救いは,み座に座っておられるわたしたちの神と,子羊とによります」と大声で叫ぶ,数えきれない大群衆の収穫が行なわれることをすでに指摘していました。この大群衆は大患難を生き残り,引き続き「命の水の泉」によってさわやかにされてゆき,地上で人間としての完全な状態に引き上げられるでしょう。大患難の後しばらくして,ハデスは空にされ,何十億もの数え切れないほどのほかの人間が復活させられ,その同じ命の水を飲む機会に恵まれます。このことを念頭に置けば,大群衆をほかの羊の初穂と呼ぶのは正しいと言えるでしょう。彼らは地上で永遠に生きる希望を抱いて,「自分の長い衣を子羊の血で洗って白くした」最初の人たちなのです。―啓示 7:9,10,14,17; 20:12,13。
15 3種類の異なった初穂とモーセの律法のもとで祝われた祭りとの間には,どんな類似点がありますか。
15 古代のモーセの律法にしたがって祝われた祭りには,これら3種類の初穂(イエス・キリスト,14万4,000人,および大群衆)との興味深い類似点があります。無酵母パンの祭りの間のニサン16日には,収穫された大麦の初穂の束がエホバにささげられました。(レビ記 23:6-14)ニサン16日は,イエスが死人の中から復活させられた日です。イスラエル人は第三の月に,ニサン16日から数えて50日目に,小麦の収穫のうち熟した初物の収穫の祭りを祝いました。(出エジプト記 23:16。レビ記 23:15,16)この祭りはペンテコステ(「第五十」を意味するギリシャ語から来た言葉)と呼ばれるようになりました。14万4,000人の最初の成員が聖霊で油そそがれたのは,西暦33年のペンテコステの時でした。最後に,収穫物が全部取り入れられた第七の月には,イスラエル人が,とりわけ,やしの枝で作った仮小屋に1週間住んで,喜びにあふれて感謝を表わす時であった仮小屋の祭りがありました。(レビ記 23:33-43)これに対応するものとして,大いなる取り入れの一部である大群衆は,『手にやしの枝』を持って王座の前で感謝の念を表わしています。―啓示 7:9。
永遠の良いたよりを宣明する
16,17 (イ)ヨハネはみ使いがどこを飛んでいるのを見ますか。そのみ使いはどんな知らせをふれ告げていますか。(ロ)王国を宣べ伝える業にだれが関係していますか。どんな経験がそれを示唆していますか。
16 ヨハネは次にこう書いています。「また,わたしは別のみ使いが中天を飛んでいるのを見た。彼は,地に住む者たちに,またあらゆる国民・部族・国語・民に喜ばしいおとずれとして宣明する永遠の良いたよりを携えており,大声でこう言った。『神を恐れ,神に栄光を帰せよ。神による裁きの時が到来したからである。それゆえ,天と地と海と水のわき出るところとを造られた方を崇拝せよ』」。(啓示 14:6,7)み使いは,鳥が飛ぶ中天を飛んでいます。(啓示 19:17と比較してください。)したがって,その声は地球上の至る所で聞くことができます。このみ使いのふれ告げる世界的な知らせは,テレビのどんなニュース速報よりも何と広範囲に及ぶのでしょう。
17 だれでも皆,野獣やその像ではなく,サタンの支配する,どんな象徴的な獣とも比べものにならないほど強力な方であられるエホバを恐れるように勧められています。というのは,エホバは天と地を創造された方で,今やこの方が地を裁く時が来たからです!(創世記 1:1; 啓示 11:18と比較してください。)イエスは地上にいた当時,現代に関して次のように預言なさいました。「そして,王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」。(マタイ 24:14)油そそがれたクリスチャンの会衆はこの使命を果たしています。(コリント第一 9:16。エフェソス 6:15)啓示の書はここで,目に見えないみ使いたちもやはり,この宣べ伝える業に関係していることを明らかにしています。ある苦悩する魂が霊的な助けをしきりに求めて祈ってさえいる時,エホバの証人の一人がみ使いによってその家に導かれて行くように思えることが,実際しばしばありました!
18 中天を飛んでいるみ使いによれば,どんな時が到来しましたか。だれがさらにほかの発表を行ないますか。
18 中天を飛んでいるみ使いが宣明したように,裁きの時が到来しました。今や,神はどんな裁きを下されるのでしょうか。第二,第三,第四,および第五のみ使いが今や行なおうとしている発表を聞くなら,耳が鳴るでしょう。―エレミヤ 19:3。
[脚注]
a コリント第一 4章8節が示しているように,油そそがれたクリスチャンはこの地上にいる間,王として支配したりはしません。とはいえ,啓示 14章3,6,12,13節の文脈によれば,彼らは自分たちの地上の歩みの最後まで忍耐しながら,良いたよりを宣べ伝えて,新しい歌を歌うことに加わります。
b この点は,ヘブライ語の名称がほかの幻の中でも使われていることにより支持されています。イエスは「アバドン」(「滅び」の意)というヘブライ語の名を与えられており,「ヘブライ語でハルマゲドンと呼ばれる」場所で裁きを執行されます。―啓示 9:11; 16:16。
c この聖句には,「新しい歌であるかのような歌」とあります。というのは,歌そのものは昔,預言的な言葉で記録されていたからです。しかし,それを歌う資格のある人は一人もいませんでした。今や,王国が樹立され,聖なる者たちが復活させられると共に,預言を成就する事実がにわかに現われたので,その雄大な歌を存分に歌う時が来ました。
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『大いなるバビロンは倒れた!』啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
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30章
『大いなるバビロンは倒れた!』
1 第二のみ使いは何を発表しますか。大いなるバビロンとはだれのことですか。
今や,神の裁きの時となりました! では,神からの音信に耳を傾けてください。「また,別の,二人目のみ使いがそのあとに従って,こう言った。『彼女は倒れた! 大いなるバビロン,あらゆる国民に自分の淫行の怒りのぶどう酒を飲ませた者は倒れた!』」(啓示 14:8)啓示の書はここで初めて,ただしこれが最後ではありませんが,大いなるバビロンに注意を集中します。後に,17章は同バビロンのことを肉欲にふける娼婦として描写しています。それはだれのことでしょうか。これから見てゆきますが,それは宗教的な性格を持つ,地球的な規模の帝国で,サタンが神の女の胤と戦うのに用いる偽物の制度です。(啓示 12:17)大いなるバビロンとは,偽りの宗教の世界帝国です。このバビロンには,古代バビロンの宗教上の教えや慣行を保持し,その精神を表わす,すべての宗教が含まれています。
2 (イ)バビロン的な宗教が地上のあらゆる場所に分散させられたのはどうしてですか。(ロ)大いなるバビロンの最も顕著な部分とは何ですか。それはいつ強力な組織として出現しましたか。
2 エホバがバベルの塔の独り善がりな建築者たちの国語を混乱させたのは,4,000年以上の昔のバビロンでのことでした。人々は,今日に至るまで大抵の宗教の基盤となってきた背教した信仰や慣行を携えて,様々な言語群に分かれて地の果てに散らされました。(創世記 11:1-9)大いなるバビロンはサタンの組織の宗教的な部分です。(ヨハネ 8:43-47と比較してください。)今日,大いなるバビロンの最も顕著な部分は背教したキリスト教世界です。キリスト教世界は聖書ではなく,おもにバビロン的な宗教に由来する信条や形式を取り入れて,西暦4世紀に,強力な不法の組織として出現しました。―テサロニケ第二 2:3-12。
3 どうして,大いなるバビロンは倒れたと言うことができますか。
3 読者は,『宗教が地上で依然として大きな力を行使しているのに,み使いはどうして,大いなるバビロンは倒れたなどと発表するのだろうか』と問われるかもしれません。では,古代バビロンが西暦前539年に倒れた後,どんな結果が生じましたか。確かに,イスラエルは解放されて故国に戻り,その地で真の崇拝を回復させました! それで,1919年に回復された霊的なイスラエルの輝くばかりの霊的な繁栄は,大いなるバビロンがその年に倒れたことを示す証拠で,その繁栄は今日まで続いており,さらに広がっています。大いなるバビロンにはもはや神の民を束縛する力がありません。その上,同バビロンはそれ自体の一般大衆の間の深刻な問題で手を焼いてきました。1919年以来,同バビロンの腐敗や不正や不道徳が大いに暴露されてきました。ヨーロッパの大抵の場所では,教会に通う人はもはやほとんどいませんし,社会主義国では宗教は「人民のあへん」とみなされることがあります。神の真理のみ言葉を愛する人々すべての目に恥ずべきものとされている大いなるバビロンは,今や,エホバの義なる裁きが同バビロンに執行されようとしているゆえに,あたかも死刑囚独房で待っているようなものです。
バビロンの不面目な倒壊
4-6 『大いなるバビロンはあらゆる国民に自分の淫行の怒りのぶどう酒を飲ませた』と言えるのは,どうしてでしょうか。
4 大いなるバビロンの不面目な倒壊を巡る事情をさらに詳しく調べてみましょう。み使いはここでわたしたちに,『大いなるバビロンはあらゆる国民に自分の淫行の怒りのぶどう酒を飲ませた』と告げています。これは何を意味していますか。それは征服と関係があります。例えば,エホバはエレミヤにこうお告げになりました。「あなたはこの激しい怒りのぶどう酒を満たした杯をわたしの手から取り,わたしがあなたを遣わすすべての国の民にそれを飲ませなければならない。そして,彼らは必ず飲んで,揺れ動き,狂人のように行動する。わたしが彼らの中に送ろうとしている剣のためである」。(エレミヤ 25:15,16)西暦前6,7世紀に,エホバは古代バビロンを用いて,背教したユダを含め,多くの国々に飲ませるため,象徴的な患難の杯の中身を注ぎ出させたので,ご自分の民さえ流刑に処せられました。その後,今度はバビロンが倒れました。なぜなら,その王が「天の主」エホバに逆らって自らを高めたからです。―ダニエル 5:23。
5 大いなるバビロンもまた,何度も征服を遂げましたが,大抵,もっと巧妙な仕方でそうしてきました。大いなるバビロンは売春婦の策略を巡らし,諸国民と宗教的な淫行を犯して,『あらゆる国民に飲ませ』ました。そして,政治支配者たちを誘惑し,同バビロンと同盟および友好関係を結ばせました。また,宗教的な魅力を利用して,政治的,商業的,および経済的な圧制を企ててきました。そして,純粋に政治的,また商業的な理由で,宗教的な迫害や宗教戦争,国家間の戦争はもとより,十字軍などを助長しました。それに,そのような戦争は神のみ旨にかなうものであると言って,戦争を神聖視しました。
6 二度の世界大戦の際,戦い合う双方の側の従軍牧師が若者たちに殺し合うよう勧めたことも見逃せませんが,神道の日本,ヒンズー教のインド,仏教のベトナム,“キリスト教”の北アイルランド,ラテンアメリカその他の国の場合のように,宗教が20世紀の戦争や政治に関係してきたことは周知の事柄です。大いなるバビロンが戯れの恋をした典型的な実例は,1936年から1939年に及んだスペイン内乱に荷担したことです。その戦いでは,少なくとも60万人もの人々が殺されました。この流血事件はカトリック教会の僧職者の支持者とその協力者たちにより引き起こされましたが,教会の富と地位がスペインの合法的な政府によって脅かされたことがその原因の一つでした。
7 大いなるバビロンのおもな標的になったのはだれでしたか。同バビロンはその標的に対してどんな方法を講じましたか。
7 大いなるバビロンはサタンの胤の宗教的な部分ですから,いつもエホバの「女」,つまり「上なるエルサレム」をおもな標的にしてきました。1世紀に,油そそがれたクリスチャンの会衆の実体は女の胤であることがまさしく明らかにされました。(創世記 3:15。ガラテア 3:29; 4:26)大いなるバビロンはあの貞潔な会衆を唆し,宗教的な淫行を犯させて,これを懸命に征服しようとしました。使徒のパウロやペテロは,多くの者がそれに屈して,重大な背教が起きることを警告しました。(使徒 20:29,30。ペテロ第二 2:1-3)七つの会衆に対するイエスの音信は,ヨハネの生涯の終わりごろ,大いなるバビロンが腐敗をもたらそうとする努力の点である程度前進したことを示唆しました。(啓示 2:6,14,15,20-23)しかしイエスは,同バビロンがどれほど先まで物事を進めて行くのを許されているかをすでに示しておられました。
小麦と雑草
8,9 (イ)小麦と雑草に関するイエスのたとえ話は何を示唆していましたか。(ロ)「人々が眠っている間に」,何が起きましたか。
8 イエスは小麦と雑草のたとえ話の中で,立派な種を畑にまいた人について話されました。ところが,「人々が眠っている間に」,敵がやって来て,雑草の種をまき足して行きました。それで,小麦は雑草のために覆い隠されるようになりました。イエスはこのたとえ話を次のように説明されました。「りっぱな種をまく者は人の子です。畑は世界です。りっぱな種,それは王国の子たちです。それに対し,雑草は邪悪な者の子たちであり,それをまいた敵は悪魔です」。それから,小麦と雑草は「事物の体制の終結」の時まで一緒に育つままにされ,その話,み使いたちが象徴的な雑草を『集め出す』ことを示されました。―マタイ 13:24-30,36-43。
9 イエスや使徒のパウロやペテロが警告した事柄は,実際に起きました。「人々が眠っている間に」,つまり使徒たちが死の眠りに就いた後,あるいはクリスチャンの監督たちが神の羊の群れを守りながらうとうとするようになった時,バビロン的な背教がまさしく会衆内に急に出現するようになりました。(使徒 20:31)ほどなくして,雑草は小麦よりもはるかに数が多くなり,小麦は覆い隠されて見えなくなってしまいました。女の胤は何世紀にもわたって,大いなるバビロンのゆったりとしたすそに完全に包まれてしまったかに見えました。
10 1870年代までに何が起きましたか。大いなるバビロンはそれに対してどのように反応しましたか。
10 1870年代までに,油そそがれたクリスチャンは,大いなるバビロンのみだらな習わしとの関係を絶つ断固とした努力を払い始めました。彼らはキリスト教世界が異教から取り入れた偽りの教理を捨て,聖書を大胆に使って,異邦人の時が1914年に終わることを宣べ伝えました。大いなるバビロンの主な器であるキリスト教世界の僧職者は,真の崇拝の回復を図るこの活動に反対しました。彼らは第一次世界大戦中,戦時下の興奮状態を利用して,この少数の忠実なクリスチャンのグループを根絶しようとしました。その活動がほぼ完全に阻止された1918年に,大いなるバビロンはこの点で成功したかに見えました。彼らに対して勝利を得たように思えました。
11 古代バビロンが倒壊した結果,何が起きましたか。
11 以前に触れた通り,誇り高い都バビロンは西暦前539年に権力の座からの悲惨な倒壊を経験しました。その時,「彼女は倒れた! バビロンは倒れた」という叫びが聞かれました。その世界帝国の偉大な首都は,キュロス大王の支配するメディア-ペルシャの軍の手に落ちました。都それ自体は征服された後も残存しましたが,権力の座からは現実に倒壊したため,その都に捕らわれていたユダヤ人は解放されました。彼らはエルサレムで清い崇拝を回復するために戻りました。―イザヤ 21:9。歴代第二 36:22,23。エレミヤ 51:7,8。
12 (イ)現代,大いなるバビロンは倒れたと言うことができますが,それはどうしてでしょうか。(ロ)キリスト教世界はエホバから完全に退けられましたが,何がそのことを証明していますか。
12 現代も,『大いなるバビロンは倒れた!』という叫びが聞こえてきました。1918年当時のバビロン的なキリスト教世界の一時的な成功は,油そそがれた人たちの残りの者であるヨハネ級の人々が霊的な復活により回復させられた1919年に急に一変しました。大いなるバビロンは,神の民をとりこにして支配する何らかの力に関しては倒れてしまいました。キリストの油そそがれた兄弟たちは行動を起こす用意を整えて,いなごのように,底知れぬ深みから群がって出て来ました。(啓示 9:1-3; 11:11,12)彼らは現代の「忠実で思慮深い奴隷」で,主人は彼らを任命して,自分のすべての持ち物をつかさどらせました。(マタイ 24:45-47)彼らがこのようにして用いられていることは,キリスト教世界が地上でエホバを代表する者であると主張しているにもかかわらず,同世界はエホバにより完全に退けられたことを証明しています。清い崇拝は再び確立され,14万4,000人の残りの者,つまり大いなるバビロンの宿敵,女の胤の残っている者たちに証印を押す業を完了する道が開かれました。このすべては,あのサタン的な宗教組織に決定的な敗北をもたらす合図となりました。
聖なる者たちの忍耐
13 (イ)第三のみ使いはどんなことを発表しますか。(ロ)野獣の印を受ける者たちに関して,エホバはどんな裁きを行なわれますか。
13 今や,第三のみ使いが語ります。お聴きください!「また,別のみ使い,三人目の者が彼らの後に従い,大声でこう言った。『野獣とその像を崇拝して,自分の額または手に印を受ける者がいれば,その者は,憤りの杯に薄めずに注がれた神の怒りのぶどう酒を飲むことにな(る)』」。(啓示 14:9,10[前半])啓示 13章16節と17節では,主の日の期間中,野獣の像を崇拝しない人たちは苦しんだり,殺されたりする場合さえあることが明らかにされました。今度は,エホバが,「その印,つまり野獣の名もしくはその名の数字を持つ」人々を裁く決意をしておられることが分かります。それらの人々はエホバの怒りの苦い「憤りの杯」からいやおうなく飲まされることになります。それは彼らにとって何を意味するでしょうか。西暦前607年に,エホバがエルサレムに「憤りの杯」から強制的に飲ませた時,その都はバビロニア人の手により「奪略と崩壊,飢えと剣」に遭遇しました。(イザヤ 51:17,19)同様に,地の政治強国やその像,つまり国際連合を偶像として崇拝する人たちがエホバの憤りの杯から飲む時,その結果は彼らにとって災いとなります。(エレミヤ 25:17,32,33)彼らは完全に滅ぼされてしまいます。
14 野獣とその像を崇拝する人々は滅ぼされる前でさえ,何を被らなければなりませんか。ヨハネはそのことをどのように描写していますか。
14 しかし,その滅びが起きる前でさえ,野獣の印のある人々はエホバの不興という責め苦をもたらす影響を被らなければなりません。み使いは野獣とその像を崇拝する者たちについて語り,ヨハネにこう知らせます。「(その者は)聖なるみ使いたちの見るところで,また子羊の見るところで,火と硫黄による責め苦に遭わされるであろう。そして,彼らの責め苦の煙は限りなく永久に上り,彼ら,すなわち,野獣とその像を崇拝する者,まただれでもその名の印を受ける者には,昼も夜も休みがない」― 啓示 14:10(後半),11。
15,16 啓示 14章10節の「火と硫黄」という言葉にはどのような意味がありますか。
15 中には,この句で言及されている火と硫黄は地獄の火が実在することを示す証拠であると考えた人もいます。しかし,同様の預言をちょっと調べてみると,その文脈の中のこれらの言葉の真の意味が分かります。昔のイザヤの時代に,エホバはエドムの国民がイスラエルに対して抱いた敵意のゆえに処罰されることを同国民に警告されました。エホバはこう言われました。「その奔流は歴青に,その塵は硫黄に必ず変えられ,その地は必ず燃える歴青のようになる。それは夜も昼も消されることがなく,その煙は定めのない時に至るまで立ち上る。彼女は代々乾き切ったままとなり,限りなく永久にだれもそこを通り過ぎる者はいない」― イザヤ 34:9,10。
16 エドムは永遠に燃やされるため,ある神話上の地獄の火の中に投げ込まれましたか。もちろん,そうではありません。かえって,その国民はあたかも火と硫黄で完全に焼き尽くされたかのように,世の舞台から完全に姿を消しました。処罰の結末は永遠の責め苦ではなく,「空漠……荒漠……無」でした。(イザヤ 34:11,12)「定めのない時に至るまで立ち上る」煙は,そのことを生き生きと例証しています。家が全焼すると,火炎が消えた後でも,しばらくの間,灰の中から煙が出て来るので,壊滅的な大火災があったことを傍観者に示す証拠となります。今日でさえ,神の民はエドムの滅びから学べる教訓を覚えています。こうして,『彼女の燃える煙』は象徴的な仕方で依然として立ち上っています。
17,18 (イ)野獣の印を受ける人々は結局どうなりますか。(ロ)野獣を崇拝する者たちはどのようにして責め苦に遭わされますか。(ハ)『彼らの責め苦の煙が限りなく永久に上る』というのは,どうしてでしょうか。
17 野獣の印を持っている人々もまた,あたかも火によるかのように,完全に滅ぼされます。後の章の預言が明らかにしているように,彼らの死体は動物や鳥が食べることができるよう埋葬されずに放置されます。(啓示 19:17,18)ですから,文字通り永久に責めさいなまれるのでないことは明らかです! 彼らはどのようにして「火と硫黄による責め苦に遭わされる」のでしょうか。真理がふれ告げられて,彼らのことが暴露され,来たるべき神の裁きについて警告されるからです。したがって,彼らは神の民のことをあしざまに言い,できれば,ずる賢い仕方で政治的な野獣を説得して,エホバの証人に対して迫害をさせたり,証人たちを殺させたりさえします。それが最高潮に達すると,それら反対者たちは火や硫黄でなされるように滅ぼされてしまいます。その後,エホバの正当な主権に対して万一再び異議が申し立てられるような場合,彼らに関する神の裁きは試金石になるという意味で,「彼らの責め苦の煙は限りなく永久に上り」ます。例の問題は未来永劫にわたって解決されることになるでしょう。
18 今日,だれが,責め苦をもたらす音信を伝えていますか。象徴的ないなごには,額に神の証印のない人々を責め苦に遭わせる権威があることを思い出してください。(啓示 9:5)み使いの導きを受ける,それらのいなごが,責め苦に遭わせる者たちであることは明らかです。その象徴的ないなごは大変執ようで,「彼ら,すなわち,野獣とその像を崇拝する者,まただれでもその名の印を受ける者には,昼も夜も休みがない」ほどです。そして,最後に,彼らが滅ぼされた後,エホバの主権の正しさを立証する,あの記念碑的な証拠,つまり「彼らの責め苦の煙」は限りなく永久に上って行きます。その立証が完了するまで,ヨハネ級の人たちが忍耐できますように。み使いが,「ここが,聖なる者たち,すなわち神のおきてとイエスの信仰を守る者たちにとって,忍耐となるところである」と結んでいる通りです。―啓示 14:12。
19 聖なる者たちにはどうして忍耐が要求されるのでしょうか。ヨハネは彼らを力づけるどんなことを伝えていますか。
19 そうです,『聖なる者たちの忍耐』とは,彼らがイエス・キリストを通して全き専心をもってエホバを崇拝することを意味しています。彼らの音信は人気のあるものではありません。それは反対や迫害,殉教の死をさえ招く場合があります。しかし,彼らはヨハネが次のように伝えている事柄によって力づけられています。「またわたしは,天から出る声がこう言うのを聞いた。『こう書きなさい: 今からのち主と結ばれて死ぬ死人は幸いである。しかり,彼らはその労苦を休みなさい,彼らの行なったことはそのまま彼らに伴って行くからである,と霊は言う』」― 啓示 14:13。
20 (イ)ヨハネが伝えている約束は,イエスの臨在に関するパウロの預言とどのように調和していますか。(ロ)サタンが天から放逐された後に亡くなる油そそがれた者たちには,どんな特異な特権が約束されていますか。
20 この約束は,イエスの臨在に関するパウロの次のような預言とよく調和しています。「キリストと結ばれて死んでいる者たちが最初によみがえ(ります)。その後,生き残っているわたしたち生きている者[つまり,主の日まで生き残る,油そそがれた者たち]が,彼らと共に,雲のうちに取り去られて空中で主に会い(ます)」。(テサロニケ第一 4:15-17)サタンが天から放逐された後,キリストと結ばれて死んでいる者たちが最初によみがえりました。(啓示 6:9-11と比較してください。)その後,主の日の期間中に亡くなる,油そそがれた者たちには,特異な特権が約束されています。天で霊者としての命を受ける彼らの復活は,即座に,つまり「またたくまに」行なわれるのです。(コリント第一 15:52)それは何と驚くべき復活でしょう。しかも,彼らの義の業はそのまま天の領域で続いてゆくのです。
地の収穫物
21 ヨハネは「地の収穫物」についてどんなことをわたしたちに告げていますか。
21 ヨハネがわたしたちにさらに次のように告げているように,ほかの人たちもまた,この裁きの日に益を受けます。「またわたしが見ると,見よ,白い雲があり,その雲の上には人の子のような者が座っており,その頭には黄金の冠があり,その手には鋭い鎌があった。また,別の[第四の]み使いが神殿の聖なる所から現われ出て,雲の上に座っている者に大声でこう叫んだ。『あなたの鎌を入れて刈り取ってください。刈り取る時が来たからです。地の収穫物はすっかり熟しているのです』。すると,雲の上に座っている者がその鎌を地に突き入れ,地は刈り取られた」― 啓示 14:14-16。
22 (イ)黄金の冠を着けて,白い雲に座っている,その方はどなたですか。(ロ)その収穫の最高潮はいつ,またどのように訪れますか。
22 白い雲に座っておられる方の実体については,不確かなところはありません。黄金の冠を着けて,白い雲に座っている,人の子に似たその方は,明らかにダニエルも幻の中で見たメシアなる王イエスです。(ダニエル 7:13,14。マルコ 14:61,62)しかし,ここで預言されている収穫物とは何ですか。イエスは地上にいた時,弟子を作る業を人類の世界という畑の収穫になぞらえられました。(マタイ 9:37,38。ヨハネ 4:35,36)この収穫の最高潮は,イエスが王位に就き,み父のために裁きを執行なさる,主の日に到来します。ですから,イエスが支配してこられた1914年以後の時代は,収穫物を取り入れる喜びの時代でもあります。―申命記 16:13-15と比較してください。
23 (イ)刈り入れを始めるようにという命令はだれから出されますか。(ロ)1919年以来,今日まで,どんな収穫が行なわれてきましたか。
23 イエスは王ならびに裁き主ですが,刈り入れを始める前に,ご自分の神エホバからの命令を待っておられます。その命令はみ使いにより,「神殿の聖なる所」から出され,イエスは直ちにその命令に従われます。まず最初に,1919年以来,14万4,000人の人たちの収穫をご自分のみ使いたちに完了させます。(マタイ 13:39,43。ヨハネ 15:1,5,16)次に,ほかの羊の大群衆を取り入れる収穫が行なわれます。(ヨハネ 10:16。啓示 7:9)歴史は,1931年から1935年にかけて,それらほかの羊のかなりの数の人々が出現し始めたことを示しています。1935年に,エホバは啓示 7章9節から17節の大群衆の真の実体をヨハネ級の人たちに理解させ始められました。それ以後,この大群衆を取り入れることがたいへん強調されました。2005年までに,その人数は600万人をはるかに超えて,なお増加しています。確かに,人の子のような方はこの終わりの時の間,豊かな収穫物を喜びにあふれて刈り取ってこられました。―出エジプト記 23:16; 34:22と比較してください。
地のぶどうの木を踏む
24 第五のみ使いの手には何がありますか。第六のみ使いは呼ばわって何と言いますか。
24 救いの収穫が完了すると,別の収穫を行なう時が来ます。ヨハネはこう伝えています。「また,さらに別の[第五の]み使いが天にある神殿の聖なる所から現われ出たが,彼も鋭い鎌を持っていた。また,さらに別の[第六の]み使いが祭壇から現われ出たが,彼は火に対する権威を持っていた。そして,鋭い鎌を持つ者に大声で呼ばわって言った,『あなたの鋭い鎌を入れて,地のぶどうの木の房を集めなさい。そのぶどうは熟したからである』」。(啓示 14:17,18)み使いの大軍には,主の日の期間中,良いものを悪いものから分ける大きな収穫の業がゆだねられています!
25 (イ)第五のみ使いが神殿の聖なる所から来たことは,何を示唆していますか。(ロ)刈り取ることを始めるようにという命令が,「祭壇から現われ出た」み使いから来るのは,どうしてふさわしいことですか。
25 第五のみ使いは神殿の聖なる所のエホバのみ前から来ます。ですから,最後の収穫もまた,エホバのご意志にしたがって行なわれます。そのみ使いは,「祭壇から現われ出た」別のみ使いを通して伝えられた音信によって,自分の業を始めるよう命じられます。このことは大変重要な意味を持っています。というのは,祭壇の下にいる忠実な魂が,「聖にして真実な,主権者なる主よ,あなたはいつまで裁きを控え,地に住む者たちに対するわたしたちの血の復しゅうを控えておられるのでしょうか」と尋ねていたからです。(啓示 6:9,10)地のぶどうの木の収穫が行なわれることにより,復しゅうを求めるこの叫びに対する十分の答えが出されます。
26 「地のぶどうの木」とは何ですか。
26 しかし,「地のぶどうの木」とは何ですか。ヘブライ語聖書の中で,ユダヤ国民はエホバのぶどうの木であると言われていました。(イザヤ 5:7。エレミヤ 2:21)同様に,イエス・キリストと,神の王国でキリストと共に仕える人たちは,ぶどうの木であると言われています。(ヨハネ 15:1-8)このような背景の中で,ぶどうの木の重要な特徴は,実を生み出すことです。ですから,ぶどうの木である真のクリスチャンは豊かに実を生み出して,エホバに賛美をもたらしてきました。(マタイ 21:43)ゆえに,「地のぶどうの木」とは,そのような本物のぶどうの木ではなく,サタンの偽のぶどうの木,つまり人間を支配する,サタンの政府の腐敗した見える体制であるに違いありません。その体制には,何世紀にもわたって生み出された悪霊的な実の様々な「房」が付いています。背教したキリスト教がたいへん顕著な部分となっている大いなるバビロンは,この毒のあるぶどうの木に対して大きな影響力を行使してきました。―申命記 32:32-35と比較してください。
27 (イ)鎌を持ったみ使いが地のぶどうの木を集めると,何が起きますか。(ロ)ヘブライ語聖書のどんな預言は,その収穫の規模を示唆していますか。
27 裁きは必ず執行されます!「すると,み使いは鎌を地に突き入れて,地のぶどうの木の取り入れを行ない,それを神の怒りの大きなぶどう搾り場に投げ込んだ。そして,その搾り場は都市の外で踏まれ,搾り場から血が出て馬のくつわに届くほどになり,千六百ファーロングの距離に及んだ」。(啓示 14:19,20)このぶどうの木に対するエホバの憤りについて知らされてから,すでに久しくなります。(ゼパニヤ 3:8)イザヤ書の預言によれば,ぶどう搾り場が踏まれる時,諸国民すべてが滅ぼされることには疑問の余地がありません。(イザヤ 63:3-6)ヨエルもまた,膨大な「群がる民」,つまり諸国民すべてが「決定の低地平原」の「ぶどうの搾り場」で踏まれて滅ぼされることを預言しました。(ヨエル 3:12-14)それは本当に,二度と行なわれないような驚異的な収穫です! ヨハネの幻によれば,単にぶどうが収穫されるだけでなく,象徴的なぶどうの木全体が切り倒され,ぶどう搾り場に投げ込まれて踏まれます。ですから,地のぶどうの木は根絶されてしまい,二度と再び生えることはありません。
28 だれが地のぶどうの木を踏みますか。ぶどう搾り場が『都市の外で踏まれる』ことは,何を意味していますか。
28 幻の中では,それは馬によって踏まれます。なぜなら,ぶどうの木が踏まれて出て来る血は「馬のくつわ」に届くからです。普通,「馬」という言葉は軍事行動を指していますから,これは戦いの時であるに違いありません。イエスに従って,サタンの事物の体制に対する最後の戦いに臨む,天の軍勢は,「全能者なる神の憤りの怒りのぶどう搾り場」を踏むと言われています。(啓示 19:11-16)この天の軍勢は明らかに,地のぶどうの木を踏む者たちです。ぶどう搾り場は「都市の外で踏まれ」ます。すなわち,天のシオンの外で踏まれます。実際,地のぶどうの木が地上で踏まれるのはふさわしいことです。しかしそれは,天のシオンを地上で代表している女の胤の残っている者たちが害を受けないという意味で,やはり,「都市の外で踏まれ」ます。それら残っている者たちは大群衆と共に,エホバの地上の組織の取り決めの中に安全に隠されることでしょう。―イザヤ 26:20,21。
29 ぶどう搾り場から流れる血はどれほどの深さになり,どれほど遠くに達しますか。このすべては何を示唆していますか。
29 この生き生きとした幻と,ダニエル 2章34節ならびに44節で述べられている王国の石で地の諸王国が打ち砕かれることには類似点があります。絶滅が起きるのです。ぶどう搾り場から流れる血の川は非常に深くて,血は馬のくつわに届き,川の距離は1,600ファーロングにも達します。a 4の4倍に10の10倍を掛けて得られる,この大きな数字(4×4×10×10)は,滅びを示す証拠が全地を包含するという音信を強調しています。(イザヤ 66:15,16)その滅びは徹底的なもので,取り消すことができません。サタンの地のぶどうの木は二度と再び根づきません!―詩編 83:17,18。
30 サタンのぶどうの木の実にはどのようなものがありますか。わたしたちはどんな決意を抱いているべきでしょうか。
30 今や,終わりの時も相当経過したので,これら二種類の収穫に関する幻にはたいへん重要な意味があります。サタンのぶどうの木の実を見るには,わたしたちの周囲を見回しさえすればよいのです。堕胎その他の殺人行為,同性愛,姦淫その他の不道徳,不正直,および自然の情愛の欠如 ― このような事柄すべてのために,この世はエホバの目には実に不快なものとなっています。サタンのぶどうの木は,「毒草や苦よもぎの実」を結んでいます。破壊的で,偶像を崇拝する,その歩みは,人間の偉大な創造者を辱めています。(申命記 29:18; 32:5。イザヤ 42:5,8)ヨハネ級の人たちと共に活発に交わって,イエスがエホバの賛美のために生み出しておられる健全な実の収穫にあずかるのは,何とすばらしい特権でしょう。(ルカ 10:2)わたしたちはすべて,この世のぶどうの木によって決して毒されないように決意し,そのようにして,エホバの不利な裁きが執行される時,地のぶどうの木と共に踏まれないようにすることができますように。
[脚注]
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『大いなるバビロンは倒れた!』啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
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[208ページの囲み記事]
『彼女の淫行のぶどう酒』
大いなるバビロンの顕著な部分はローマ・カトリック教会です。同教会はローマの教皇によって統治されており,教皇は各々使徒ペテロの後継者であると言われています。以下の事柄は,それらいわゆる後継者に関する公表された事実の一部です。
フォルモスス(891-896年): 「死後9か月たって,フォルモススの遺体は教皇の埋葬室から掘り出され,ステファヌス[新教皇]が議長を務めた『死体』会議に出され,糾弾された。この死去した教皇は,教皇位に対する不当な野望を抱いたとして告発され,その行為はすべて無効と宣告された。……遺体からは教皇の法衣がはぎ取られ,右手の指は切除された」―「新カトリック百科事典」(英文)。
ステファヌス6世(896-897年): 「[フォルモススの遺体に対する裁判が行なわれて]二,三か月後,激しい反動が生じて,教皇ステファヌスの任期は終わった。同教皇は教皇としてのしるしをはく奪され,投獄され,そして絞殺された」―「新カトリック百科事典」(英文)。
セルギウス3世(904-911年): 「彼のすぐ前の二人の前任者は……刑務所で絞殺された。……同教皇はローマでテオフィラクトゥス一家の支持を受け,その娘の一人マロツィアによって息子(後の教皇ヨハネス11世)をもうけたと考えられている」―「新カトリック百科事典」(英文)。
ステファヌス7世(928-931年): 「ヨハネス10世……は教皇在位期間の終わりの何年かの間,ローマの女性貴族マロツィアの憤りを招いて投獄され,暗殺された。次いで,マロツィアは教皇位を教皇レオ6世に授けたが,同教皇は6か月半在位した後に死去した。ステファヌス7世は多分,マロツィアの影響力を利用して,レオ6世の跡を継いだ。……ステファヌス7世は教皇として2年間在位したものの,マロツィアの支配下にあって無力であった」―「新カトリック百科事典」(英文)。
ヨハネス11世(931-935年): 「ステファヌス7世が死去するや……テオフィラクトゥス家出身のマロツィアは,20代の初めごろの青年だった息子ヨハネスのために教皇位を得た。……教皇としてのヨハネスは,その母親に支配された」―「新カトリック百科事典」(英文)。
ヨハネス12世(955-964年): 「彼は多分18歳にもなっておらず,同時代の種々の報告は,彼が霊的な事柄に関心がなく,粗野な道楽にふけり,放とうの生活をほしいままにした点で一致している」―「教皇に関するオックスフォード辞典」(英文)。
ベネディクトゥス9世(1032-1044年; 1045年; 1047-1048年): 「彼は教皇位を代父に売り渡し,またその後,教皇位の返還を二度要求したことで悪名を馳せた」―「新ブリタニカ百科事典」(英文)。
このように,これらの,また他の教皇は忠実なペテロの模範に従うどころか,悪い影響を与える人物でした。彼らは自分たちの支配した教会を腐敗させるイゼベルの影響だけでなく,流血の罪や霊的ならびに肉体的な淫行をも容認しました。(ヤコブ 4:4)1917年に,聖書研究者は,このような多くの事実を「終了した秘義」と題する本に,ありのまま詳しく列挙しました。これは,聖書研究者たちが当時,『あらゆる種類の災厄をもって地を撃った』一つの方法でした。―啓示 11:6; 14:8; 17:1,2,5。
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