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諸国民はメギドに集合するものみの塔 1989 | 1月1日
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メギドの位置はこの記事の地図に示されています。この町は実際に二つの幹線道路を支配する位置にありました。南のエジプトから北のダマスカスその他の諸都市を抜けてユーフラテスに至る南北の道路は,カルメル山脈に阻まれていて,軍隊や隊商は否応なしにメギドのわきの低い通路を通って迂回することになりました。写真では右側の道です。そこを通る南北の道路は,ティルスとヨルダン渓谷,あるいはサマリアとエルサレムを結ぶ重要な道路とエズレルの谷で交差していました。メギドはこれらの道路にまたがる位置にあったので,そこを通る人々を事実上支配することができましたし,メギドに面する谷は決定的な戦いが行なわれる場所となりました。
例えば,裁き人バラクが,鉄の大鎌のついた戦車900両を有する軍の長シセラに率いられたカナン人を打ち負かしたのはこの場所でした。(裁き人 4:1-3,12-16; 5:19)後にファラオ・ネコは,兵士たちと戦車から成るエジプトの強力な軍隊を率いて海岸道路(したがってその名はビア・マリス,つまり海の道)を北上し,ユーフラテスのほとりでアッシリア人に加勢しました。ユダの王ヨシヤは何らかの理由でネコとの国際的な対決を決意しました。どこでですか。ヨシヤは,エルサレムからおよそ90㌔も北になるにもかかわらず,メギドの近くの平原を選びました。―歴代第二 35:20-22。エレミヤ 46:2。
彼はエジプト人がそこを通らざるを得ないことを知っていました。そして,自分はイスラエルの要塞の近くにいられるので有利だろう,と感じたのかもしれません。
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諸国民はメギドに集合するものみの塔 1989 | 1月1日
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[17ページの地図]
(正式に組んだものについては出版物を参照)
大海
至ダマスカス
至ティルス
ガリラヤの海
アコ
カルメル山脈
メギド
海の道
ヨッパ
至エジプト
ベト・シェアン
ドタン
サマリア
シェケム
至エルサレム
ヨルダン川
マイル 0 10
㌔ 0 10 20
[クレジット]
Pictorial Archive (Near Eastern History) Est. and Survey of Israelが版権を所有する地図に基づく
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