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第3部 ―『最良の人々による政治』は本当に最良のものですか目ざめよ! 1990 | 9月8日
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アリストテレスは『最良の人々』による支配を唱道する一方で,貴族政治と民主政治の組み合わせによって望ましい結果が得られる可能性もあることを認めましたが,この考えはいまもなお一部の政治思想家に受け入れられています。実際,古代のローマ人たちは,これら二つの政治形態を組み合わせて,ある程度の成功を収めました。「[ローマの]政治にはすべての者が参与した」と,「コリンズ図表世界史」は述べています。しかし同時に,「最も裕福な市民と名門に生まれた幸運な人々が寡頭制支配者となり,行政長官,軍隊の司令官,司祭といった役職を独占した」のです。
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第3部 ―『最良の人々による政治』は本当に最良のものですか目ざめよ! 1990 | 9月8日
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貴族政治が不完全なものであることは容易に例証できます。初期のローマでは,元老院の議員になる資格があったのは,貴族<パトリキ>として知られる,高貴な生まれの人々だけでした。下層民として知られる平民にはその資格がありませんでした。ところが,元老院の議員たちは,孔子が支配者たちに求めた「才能と優れた道徳心」を備えた者とはとても言えず,腐敗と圧制の度を増してゆきました。その結果は内乱です。
度重なる改革にもかかわらず,元老院による寡頭政治は根強く存続し,ついにはユリウス・カエサルが独裁支配を確立しましたが,彼は数年後の西暦前44年に暗殺されました。その死後,貴族政治は復興しましたが,西暦前29年には再び他の政治形態に取って代わられました。「コリアの百科事典」はこう説明しています。「ローマの権力,富,領土が増大するにしたがって,貴族政治は腐敗した寡頭政治と化し,公共の福祉に対する関心が薄れたことは一般市民の敬意の欠如となって表われた。そのような腐敗がもとで,絶対君主制が導入されることになったのである」。
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