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    2006 エホバの証人の年鑑
    • 1944年9月1日,ドイツ軍が退却する時,わたしを含む152人の兄弟たちは他の囚人と共に,セルビアのボールにある強制収容所からドイツに連れて行かれることになりました。食べる物が何もない日もありました。畑のそばの道端に落ちていたテンサイなど,わずかでも食物が手に入った時は,すべて平等に分けました。弱って歩けない人がいれば,体力のある人が手押し車に乗せて運びました。

      わたしたちはやっとのことで駅に着き,4時間ほど休みました。それから,屋根のない2台の貨車から荷物を降ろし,自分たちのために場所を作りました。立つだけのスペースしかありませんでした。暖かい服はなく,めいめい毛布1枚だけで,雨が降り出した時はそれを頭からかぶりました。そのようにして夜通し移動しました。翌日の午前10時,ある村に差しかかると,2機の飛行機が機関車を爆撃し,列車を止めました。わたしたちの乗っていた貨車は機関車のすぐ後ろにありましたが,死んだ人は一人もいませんでした。この出来事にもかかわらず,別の機関車が貨車につながれ,わたしたちは旅を続けました。

      約100㌔先の駅で2時間ほど足止めされた時,ジャガイモの入ったかごを持っている男女を見ました。『ジャガイモ売りだ』と思いましたが,そうではありませんでした。それは霊的な兄弟姉妹たちで,わたしたちのことを聞き,おなかをすかせているだろうと思って来てくれたのです。兄弟姉妹は一人一人に,ゆでた大きなジャガイモ3個と一切れのパン,それに少しの塩をくれました。わたしたちはこの“天からのマナ”のおかげで,ハンガリーのソンバトヘイに着くまでのさらに48時間を持ちこたえることができました。それは12月上旬のことでした。

      ソンバトヘイには冬のあいだとどまり,主に雪に埋もれたトウモロコシを食べて生き延びました。1945年の3月と4月,この美しい町は爆撃され,通りにはばらばらの死体が散乱しました。多くの人が瓦礫の下に閉じ込められ,時おり助けを求める声が聞こえました。わたしたちは鋤などの道具を使って,幾人かを助け出すことができました。

      爆弾は近くの建物に落ちましたが,わたしたちのいた建物には落ちませんでした。空襲警報のサイレンが鳴るたびに,みな恐怖におののきながら隠れ場を求めて駆け回りました。初めのうちはわたしたちも走りましたが,やがてそれが無駄なことに気づきました。ちゃんとした防空壕などなかったからです。それで,ただ自分たちのいる場所にとどまり,平静を保つように努めました。そのうち,見張りたちもわたしたちと一緒にいるようになりました。神が自分たちも守ってくれるかもしれない,というわけです。4月1日,ソンバトヘイで過ごした最後の晩は,かつてないほどたくさんの爆弾が降ってきました。それでも,わたしたちは建物の中にとどまって,歌でエホバを賛美し,心の平静さを保っていられることをエホバに感謝しました。―フィリ 4:6,7。

      翌日,ドイツに向けて出発するよう命じられました。馬車が2台あったので,それに乗ったり歩いたりしながら約100㌔進み,ロシアの前線まであと13㌔という森に着きました。裕福な地主の土地で一晩過ごし,次の日に見張りたちがわたしたちを自由の身にしました。エホバが身体的にも霊的にも支えてくださったことを感謝しつつ,わたしたちは涙ながらに別れのあいさつをし,ある者は徒歩で,ある者は列車で家路につきました。

  • ルーマニア
    2006 エホバの証人の年鑑
    • 1940年10月にはドイツ軍が同国を占領しました。そうした非常に厳しい状況下で,スイスの中央ヨーロッパ事務所とルーマニアとの通信はほぼ途絶えました。

      その地方のエホバの証人の大半はトランシルバニアに住んでいたので,マーティン・マジャロシはブカレストからそちらに移動し,トゥルグ・ムレシュに落ち着きました。妻のマリアは健康上の理由ですでにそこに移動していました。やはりブカレスト事務所で奉仕していたパムフィル・アルブとエレナ・アルブは,さらに北のバヤ・マーレに移動しました。この二つの町から,マジャロシ兄弟とアルブ兄弟は宣べ伝える業,および「ものみの塔」誌をひそかに生産する業を再組織しました。仲間の奉仕者であるテオドル・モララシュはブカレストにとどまり,1941年に逮捕されるまで,残ったルーマニア領での活動を調整しました。

      その間も,兄弟たちは忙しく宣教に携わり,非常に用心しつつあらゆる機会に聖書文書を配りました。例えば,文書がだれかの目につくことを願って,レストランや列車の客室など,さまざまな公共の場所に小冊子を置いてゆきました。また,霊的な励ましのために集まり合うようにという聖書の指示に引き続き留意しました。もちろん,疑われないように注意しました。(ヘブ 10:24,25)一例を挙げると,田舎に住んでいる人は収穫期に行なわれる伝統的なパーティーを利用しました。その時期,農民は作物の取り入れを互いに手伝い,その後,冗談や物語を語って収穫を祝います。兄弟たちはそのパーティーをクリスチャンの集会に置き換えたのです。

      『あらゆる面で圧迫される』

      マジャロシ兄弟は1942年9月に逮捕されましたが,刑務所から引き続き宣べ伝える業を調整しました。アルブ夫妻も,約1,000人の兄弟姉妹と共に逮捕されました。その多くは,殴打されて6週間ほど勾留された後に釈放されました。幾人かの姉妹を含む100人の証人たちは,クリスチャンの中立の立場ゆえに,2年から15年の刑を受けました。5人の兄弟は死刑を宣告され,その後,終身刑に減刑されました。夜の闇に紛れて,武装した警官が母親や幼い子どもたちまで引っ立て,あとに残された家畜は世話されず,だれもいない家は泥棒の入るがままにされました。

      収容所で,兄弟たちは“歓迎団”の看守たちの出迎えを受けました。看守は各人の足を縛り,床に押さえつけ,その間,別の看守がワイヤで補強したゴム製のこん棒で素足を打ちたたきました。骨は折れ,足のつめははがれ,皮膚は青黒くなり,まるで木の皮のようにめくれることもありました。収容所を見回って,こうした虐待を目にしていた司祭たちは,「我々の手からお前たちを解き放してくれるエホバはどこにいるんだ」とあざけりました。

      兄弟たちは「あらゆる面で圧迫され」ながらも「見捨てられているわけでは」ありませんでした。(コリ二 4:8,9)実際,王国の希望によって他の囚人を慰め,その中のある人たちは音信を受け入れました。トランシルバニア北東部のトプリツァ村出身のテオドル・ミロンについて考えてみましょう。テオドルは第二次世界大戦の前,人の命を奪うことを神は禁じておられると結論し,入隊を拒否しました。そのようなわけで,1943年5月に5年の刑を受けました。その後しばらくして,マーティン・マジャロシ,パムフィル・アルブ,そして他のエホバの証人の囚人に会い,聖書研究に応じました。テオドルは霊的に急速な進歩を遂げ,わずか数週間でエホバに献身しました。しかし,どうやってバプテスマを受けたのでしょうか。

      テオドルと約50人のルーマニアの証人たちが,セルビアのボールにあるナチの収容所に迂回路で連れて行かれる時,その機会が訪れました。途中,ハンガリーのヤースベレーニに寄り,そこでハンガリー語を話す100人余りの兄弟たちが合流しました。そこにいる間,看守たちは樽に水を満たすため,幾人かの兄弟たちを川にやりました。兄弟たちは看守の信用を得ていたので監視されずに行きました。テオドルも一緒に行き,その川でバプテスマを受けました。囚人たちは,ヤースベレーニからボールまで列車と川船で連れて行かれました。

      当時,ボールの収容所には,6,000人のユダヤ人,14人のアドベンティスト派,152人のエホバの証人が収容されていました。ミロン兄弟は当時を振り返ってこう語っています。「そこの環境はひどいものでしたが,エホバはわたしたちを顧みてくださいました。ハンガリーによく遣わされた好意的な看守が出版物を収容所に持ち込んだのです。その看守が留守の間,顔見知りの信用されていた証人たちがその人の家族を世話していたので,その人は証人たちにとって兄弟のようになりました。この男性は将校でもあり,何かあるときは警告してくれました。収容所には,今で言う長老たちが15人いて,週3回の集会を取り決めました。労働時間の都合で,出席できる人は平均約80人でした。また,記念式も守り行ないました」。

      一部の収容所では,投獄された兄弟たちに外部のエホバの証人が食物や他の物を届けることが許可されていました。1941年から1945年の間,ベッサラビア,モルドバ,トランシルバニアから,約40人の証人たちがトランシルバニアのシボトにある強制収容所に送られました。毎日,兄弟たちは地元の製材所に働きに出ました。収容所では食べ物がわずかだったので,近くに住んでいた証人たちは毎週,食物や衣服を製材所に持って行きました。兄弟たちはそれらの物を必要に応じて分配しました。

      そうした立派な行ないは,仲間の囚人にも看守にもたいへん優れた証言となりました。また,看守たちはエホバの証人が責任感のある,信用できる人たちであるのを見ました。そのため,ふつう囚人に許さないような自由を与えました。そればかりか,シボトの看守の一人は真理に入りました。

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