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ルーマニア2006 エホバの証人の年鑑
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良いたよりがすばらしく前進していたため,ルーマニア出身の聖書研究者ヤーコブ・B・シーマが,業の調整およびその法的基盤を据える割り当てを受けました。1920年にクルジュ・ナポカに着いて間もなく,シーマはカローリー・サボーと,次いでヨーゼフ・キスと会いました。最優先事項は,支部事務所に適した家をクルジュ・ナポカに見つけることでした。しかし,住宅難だったため,兄弟たちはある兄弟のアパートに一時的な事務所を設けました。こうして1920年4月,最初の支部が開設され,ものみの塔聖書冊子協会という法人も設立されました。
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ルーマニア2006 エホバの証人の年鑑
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[77ページの図版]
クルジュ・ナポカの新しい事務所の建設,1924年
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ルーマニア2006 エホバの証人の年鑑
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しかしながら,業者による印刷に費用がかさむようになったため,支部は他の選択肢を吟味しました。ちょうどそのころ,兄弟たちがすでに利用していた,クルジュ・ナポカのレジナマリア通り36番地にある印刷所が売りに出されました。支部は世界本部から承認を得て,4階建てと2階建ての二つの建物を含む,その理想的な不動産を購入しました。
1924年3月に改修工事が始まり,自発奉仕者が遠くのバヤ・マーレ,ビストリツァ,ロドナからもやって来ました。プロジェクトに貢献できるよう,幾人かの兄弟は持ち物を売り,他の兄弟たちも食物や建設資材を寄付しました。そうした品の多くは,肩に下げたり馬の背に載せたりすることができるデサージと呼ばれる特別な袋に入れて運ばれました。
印刷所の機能を向上させるために支部が購入した物の中に,3台のライノタイプ,2台の平台印刷機,1台の輪転機,自動折り機,箔押し機があります。こうして設備が整った印刷所はやがて,国内における印刷の水準を高めました。
印刷所ではエホバの証人でない40人の従業員が3交代で働き,8人のベテル家族のうち1人がその人たちを監督しました。操業の最初の年である1924年の生産報告に反映されているように,皆が勤勉に働きました。兄弟たちはルーマニア語とハンガリー語で印刷を行ない,22万6,075冊の書籍,10万冊の小冊子,17万5,000冊の雑誌を生産しました。書籍の中には,聖書研究用の手引きである「神の立琴」,7巻から成る「聖書研究」の第1巻である「世々に渉る神の経綸」が含まれていました。
2年間の準備の末,支部は「『創造の写真劇』のシナリオ」という書籍のルーマニア語版も印刷しました。その名が示すとおり,「シナリオ」は「写真劇」に基づいていました。「写真劇」は,色付けしたガラス製のスライドと活動写真に音声を合わせて上映されたもので,聴衆は地球の創造からキリストの千年統治の終わりまでをかいま見ることになりました。「写真劇」ほど劇的でなかったものの,「シナリオ」には400のさし絵や,教義・歴史・科学上の事柄に関する短い説明があり,多くの読者は聖書をさらに調べるように動かされました。
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