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ルーマニア2006 エホバの証人の年鑑
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最初に訓練を受けたのはニコライエ・ベンタルで,その後ベンタルが他の人を教えました。ベンタル家での文書生産は,他の多くの場合と同様,家族そろっての作業で,各人がそれぞれの役目を果たしました。
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ルーマニア2006 エホバの証人の年鑑
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[136,137ページの囲み記事/図版]
エホバが訓練してくださいました
ニコライエ・ベンタル
生まれた年: 1957年
バプテスマ: 1976年
プロフィール: 共産主義時代に印刷工として奉仕し,現在は妻のベロニカと共に特別開拓者として奉仕している。
わたしは1972年にサチェレという町で聖書を学び始め,4年後,18歳の時にバプテスマを受けました。当時,業は禁令下にあり,集会は群れ単位で開かれました。それでも,わたしたちは霊的食物を定期的に受け取りました。聖書劇さえも,録音された音声とカラースライドを使って提供されました。
バプテスマの後,最初に割り当てられた仕事はスライド映写機を操作することでした。2年後,地元でひそかに印刷を行なうために紙を購入するという付加的な特権を与えられました。1980年には印刷の仕方を学び,「ものみの塔」誌,「目ざめよ!」誌,その他の出版物の生産に携わりました。謄写版と小さな手動の印刷機が用いられました。
その間に,わたしはエホバへの忠実を実証していたベロニカという立派な姉妹に出会い,結婚しました。仕事を果たすうえでベロニカは大きな支えになってくれました。1981年,初めて入手した枚葉オフセット複写機の操作の仕方を,オーストリア支部のオットー・クグリッチから教わりました。1987年にはクルジュ・ナポカに2台目の印刷機が据えられ,わたしは作業者を訓練する仕事を割り当てられました。
1990年に禁令が解かれた後も,わたしとベロニカと息子のフロリンは8か月の間,文書を印刷して分配する仕事を続けました。フロリンは印刷されたページを順番に重ねる作業を手伝い,その後,その束はプレスされ,断裁され,ホチキスでとじられ,梱包されて発送されました。2002年,わたしたち3人は,ブカレストの北約80㌔にある人口1万5,000人の町ミジルで開拓奉仕をする割り当てを受けました。わたしとベロニカは特別開拓者として,フロリンは正規開拓者として奉仕しています。
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[134ページの図版]
ニコライエ・ベンタルと妻のベロニカ,自宅の地下にある秘密の部屋で
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