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ローマの道路 ― 古代における工学上の偉業ものみの塔 2006 | 10月15日
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最初の重要なビア・プブリカ,つまり今日で言う街道は,ビア・アッピアすなわちアッピア街道でした。“街道の女王”として知られるこの道は,ローマ市とブルンディジウム(現在のブリンディジ)を結んでいました。ブルンディジウムは,東方への玄関口となっていた海港都市です。アッピア街道という名称は,西暦前312年ごろに建設に着手したローマの役人アピウス・クラウディウス・カエクスから取られています。
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ローマの道路 ― 古代における工学上の偉業ものみの塔 2006 | 10月15日
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アッピア街道が造られてからおよそ900年後,ビザンティンの歴史家プロコピウスは,その出来を「見事」と評しました。路面の石の板についてこう書いています。「長大な時が過ぎ,多くの乗り物が来る日も来る日も通ってきたにもかかわらず,その有様は全く変わっておらず,その滑らかな仕上がりも失われていない」。
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ローマの道路 ― 古代における工学上の偉業ものみの塔 2006 | 10月15日
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パウロはアッピア街道を通ってローマへ向かい,ローマの南東74㌔の所にあったにぎやかなアピウスの広場,すなわちアピウスの市場で仲間の信者に会いました。他の人たちも,14㌔ほどローマ寄りの三軒宿という休憩地でパウロを待ちました。(使徒 28:13-15)
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ローマの道路 ― 古代における工学上の偉業ものみの塔 2006 | 10月15日
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[15ページの図版]
ローマ郊外のアッピア街道
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ローマの道路 ― 古代における工学上の偉業ものみの塔 2006 | 10月15日
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[16ページの図版]
ローマ市の外のアッピア街道沿いにある墓の跡
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ローマの道路 ― 古代における工学上の偉業ものみの塔 2006 | 10月15日
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[17ページの図版]
パウロは,にぎやかなアピウスの広場,すなわちアピウスの市場で仲間の信者に会った
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