-
その1 ― 地の最も遠い所にまで証人となるエホバの証人 ― 神の王国をふれ告げる人々
-
-
彼は1891年にはヨーロッパにも旅行し,その地で真理を広める業を推し進めるために何ができるか調査しました。その旅行で彼は,アイルランドとスコットランドとイングランド,ヨーロッパ大陸の多くの国々,ロシア(現在モルドバと呼ばれる地域),中東を訪れました。
その旅行で人々と接したことに基づき,ラッセル兄弟はどんな結論を下したでしょうか。彼はこう報告しました。「ロシアには真理を受け入れるための機会や備えがまだできていなかった。……イタリアやトルコ,またオーストリアやドイツでも,いくばくかの収穫を期待させるようなものは何もなかった。しかし,ノルウェー,スウェーデン,デンマーク,スイス,そして特にイングランドやアイルランドやスコットランドは,収穫を待つばかりの畑である。それらの畑は,やって来てわたしたちを助けてください,と叫んでいるかのようである」。当時,カトリック教会は依然として聖書を読むことを禁じており,多くのプロテスタント信者が教会を去り,少なからぬ人々が教会に幻滅を感じて聖書を全く退けていました。
霊的に飢えているそうした人々を援助するため,1891年のラッセル兄弟の旅行の後,出版物をヨーロッパの言語に翻訳することに集中的に力が注がれました。また,英国での需要にもっと速やかに応じられるよう,文書をロンドンで印刷し保管する取り決めが設けられました。英国の畑は確かに収穫を待っていました。1900年には既に九つの会衆があり,熱心な聖書文書頒布者<コルポーター>を含む合計138人の聖書研究者がいました。1903年にラッセル兄弟が英国を再び訪れた際,「千年期の希望と見込み」という彼の話を聞くためにグラスゴーでは1,000人が集まり,ロンドンでは800人,他の都市では500ないし600人が出席しました。
-
-
その1 ― 地の最も遠い所にまで証人となるエホバの証人 ― 神の王国をふれ告げる人々
-
-
[407ページの地図]
(出版物を参照)
ラッセルのヨーロッパ伝道旅行。たいてい英国経由で行なわれた
1891
1903
1908
1909
1910(2回)
1911(2回)
1912(2回)
1913
1914
-