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    2008 エホバの証人の年鑑
    • モスクワの僧職者たちに大胆に証言する

      信仰心が厚く,ロシア正教の神学校を卒業したシミョン・コズリツキーは,宗教が復興していた時期にチャールズ・テイズ・ラッセルと出会いました。ラッセルは,当時聖書研究者として知られていたエホバの証人の業の先頭に立っていた人です。シミョンの孫娘ニーナ・ルッポはこう説明します。「祖父は1891年に米国に行き,ラッセル兄弟に会いました。二人が一緒に写っている写真を持っていて,いつもラッセル兄弟のことを自分の兄弟というふうに話していました」。1800年代の終わりごろ,ラッセル兄弟と仲間たちは,聖書に収められている強力な真理を教えて清い崇拝を回復させる業を指導していました。その業には,キリスト教世界の諸教会と僧職者階級が広める偽りの教理を暴露することも含まれていました。聖書の真理,またラッセル兄弟と仲間たちが示した清い崇拝に対する熱意に動かされたシミョンは,モスクワの僧職者たちに大胆に宣べ伝えました。その結果どうなったでしょうか。

      「祖父は裁判にかけられることもなく,モスクワの大主教を侮辱したかどで直ちに鎖につながれ,シベリアへ流刑になりました。そのようにして,1891年に神の言葉がシベリアに伝わったのです」と,ニーナは書いています。やがてシミョン・コズリツキーはシベリアの,現在はカザフスタンに含まれている地域に移動させられました。そこで,1935年に亡くなるまで熱心に神の言葉を語り続けました。

  • ロシア
    2008 エホバの証人の年鑑
    • [68ページの図版]

      カザフ語とロシア語で書かれたこの標識は,シミョン・コズリツキーが流刑にされたシベリアのブフタルマ村の方向を指している

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