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ロシア2008 エホバの証人の年鑑
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最初に全時間の巡回監督として奉仕した5人は,モスクワに遣わされたアルトゥール・バウアー,パベル・ブガイスキー,ロイ・エスター,そしてサンクトペテルブルクに遣わされたクシシュトフ・ポプワフスキーとハンヌ・タンニネンでした。
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ロシア2008 エホバの証人の年鑑
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ハンヌ・タンニネンは,初期の巡回訪問が1990年代の初めごろどのように行なわれたかについてこう語ります。「私は,カレリアのペトロザボーツクにある会衆に,近く行なわれる訪問に関する手紙を送りました。その週に集会をどのように開くべきかを説明したものでした。妻と私が到着すると,駅まで迎えに来た一人の長老が自分の家に連れて行ってくれました。長老は私に手紙を見せて,こう言いました。『この手紙をいただきましたが,意味がさっぱり分からなかったので,兄弟が来て全部説明してくださるまで何もせずに待つことにしたんです』。
「巡回訪問で初めてムルマンスクへ行った時,385人の伝道者が1,000件を超える聖書研究を司会していました。しかし,多くの研究が関心のある人たちのグループと行なわれていたので,実際にはずっと大勢の人が聖書を研究していたのです。例えば,ある開拓者の姉妹は聖書研究が13件ありましたが,学んでいたのは50人以上の人でした。
「2番目に割り当てられたのは,ボルゴグラード州とロストフ州から成る巡回区でした。ボルゴグラード市の人口は100万人を超えていましたが,会衆は四つしかありませんでした。兄弟たちは,集会を行なったり,聖書研究を司会したり,家から家へ宣べ伝えたりする方法を意欲的に学びました。訪問のたびに,新しい会衆を設立する必要がありました。巡回監督の報告に記入するため,前回の訪問以来バプテスマを受けた人の数を数えましたが,どの会衆にも50人,60人,あるいは80人いて,100人以上の会衆もありました。結果として,わずか3年の間に16の新しい会衆が市内に設立されました」。
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同時に最初の全時間の地域監督たちが任命されました。その中には,ローマン・スキバ(シベリアおよび極東地方),ロイ・エスター(ベラルーシ,モスクワ,そしてサンクトペテルブルクからウラル山脈まで),ハンヌ・タンニネン(カフカスからボルガ川まで),
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[208ページの図版]
ハンヌ・タンニネンと妻のエイヤは,サンクトペテルブルクに遣わされた
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