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宗教画の使用と誤用ものみの塔 1993 | 4月15日
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宗教画の使用と誤用
場所はロシアのサンクトペテルブルク,時は1914年8月2日です。皇帝の宮廷に集まった人々は興奮してイコン(聖画像)を振りかざしています。大広間の中央には祭壇が設けられていて,子を腕に抱いた女性の絵が祭壇の上方に掲げてあります。このイコンは「ウラジーミルの聖母」と呼ばれており,集まった人たちがロシアの最も聖なる宝とみなしているものです。
事実,このイコンは奇跡を行なうとされています。1812年にロシア軍がナポレオンとの戦いに進軍した時,クトゥーゾフ総司令官はこのイコンの前で祈りました。今その前に立っているのは,国民を戦争に動員した皇帝ニコライ2世です。皇帝は右手を挙げ,「ロシアの領土に敵が一人でも残っているかぎり,決して和を講じないと厳粛に誓う」と宣誓しました。
皇帝はその2週間後,部隊の上に神の加護を願い求めるためモスクワへ巡礼に行きます。そして「被昇天大聖堂」にある,宝石で飾られた大きなイコノスタシス(聖画壁),つまりイエスやマリアやみ使いや“聖人”を描いた仕切りの前でひざまずいて祈ります。
こうした宗教的な行為で難を逃れることはできませんでした。ロシア軍は4年足らずで600万人以上の死傷者を出し,領土をかなり失いました。さらに,皇帝は皇后と5人の子供もろとも惨殺されました。何世紀も続いた帝政は終わりを告げ,宗教に反感を持つ革命政府がこの国を支配しはじめました。ニコライ帝はイコンに依り頼みましたが,何の益にもなりませんでした。
しかし,ロシアや他の国では,今日に至るまで大勢の人がイコンを崇敬しています。
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宗教画の使用と誤用ものみの塔 1993 | 4月15日
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[26ページの図版]
イコンを用いて部隊を祝福する皇帝ニコライ2世
[クレジット]
写真提供: C.N.
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